ー次、二次医療機関のための
O-157感染症治療のマニュアルの活用について


 病原性大腸菌O-157感染症は、少量の菌の感染により発症し、溶血性尿毒症症候群(HUS)等の重篤な病状を呈する疾患であり、国民の健康保持の観点から、その克服に向けて対策の強化が急がれています。 本疾患の治療方法は未だ確立されておらず、臨床現場からは治療の参考となる指針の作成が強く求められています。本日、厚生省腸管出血性大腸菌感染症の診断治療に関する研究班が治療マニュアルをまとめられましたので、診療に携わられる皆様におかれましては本マニュアルを活用し治療に役立てて頂くようお願い申し上げます。

 なお、本マニュアルは、現下の我が国におけるO-157感染症の発生状況の重大性に鑑み、臨床現場からの切なる要請に応えるべく緊急に取りまとめられたものであり、統一的な見解に拠るものではなく、今後知見の蓄積を踏まえ適時見直されていく性格のものであることをご理解頂きたいと思います。

平成8年8月2日

厚生大臣菅直人
社団法人日本医師会会長坪井栄孝

一次、二次医療機関のための
O−157感染症治療のマニュアル

                                                              平成8年8月2日
                            厚  生  省

               腸管出血性大腸菌感染症の診断治療に関する研究班
               班長 竹田 美文 国立国際医療センター研究所長
 病原性大腸菌O−157感染症は、いわゆる「エマージング・ディジーズ」と呼ばれ
る新しい疾患の1つであり、その治療方針については、未だ国内・国外を問わず統一的
な見解が得られていない現状にある。
 本マニュアルは、現時点までの知見と我が国のこれまでの症例経験の範囲で治療法の
現状、留意事項についてまとめたものであり、今後、さらにデータを集積することによ
って、内容の充実を図ることになろう。
 また、本マニュアルにおいては、最近の集団発生と、全国的な感染の拡がりに鑑み、
広く臨床現場で適切な対応ができるよう、一次、二次医療機関においてO−157感染
症が疑われる場合にどのように対応すべきかに焦点を当てた。

 1 O−157とはどのような菌か

 病原性大腸菌O−157は、腸管出血性大腸菌(Vero毒素産生性大腸菌)に属す
る下痢を起こす大腸菌である。菌の種々の性状は、ヒトの常在菌である大腸菌とほぼ同
じと考えてよいが、最大の特徴はVero毒素を産生することである。
 Vero毒素は、培養細胞の一種であるVero細胞(アフリカミドリザルの腎臓由
来)に極く微量で致死的に働くことから付けられた名称である。
 O−157以外にもVero毒素を産生してO−157の場合と同じ疾病を起こす血
清型が報告されているが、我が国や米国では、これまでにO−157が最も多く分離さ
れている。
 O−157は熱には弱く、75℃で1分間加熱すれば死滅するが、低温条件には強く
、家庭の冷凍庫でも生き残る菌があると言われている。酸性条件にも強く、pH3.5
程度でも生き残る。水の中では相当長期間生存するといわれている。
 O−157の感染は、飲食物を介する経口感染で、O−157に汚染された飲食物を
摂取するか、患者の糞便を何らかの理由で直接口にすることが唯一の原因である。感染
が成立する菌量は約100個ともいわれ、従来報告されている食中毒菌の中では最も少
ない。

 2 O−157感染により、どのような症状が出現するか

 病原性大腸菌O−157:H7感染(以下O−157感染という)では、まったく症
状がないものから軽度の下痢、激しい腹痛、頻回の水様便、著しい血便とともに重篤な
合併症を起こし、死に至るものまで様々である。しかし、多くの場合(感染の機会のあ
った者の約半数)は、平均して4〜8日の潜伏期をおいて激しい腹痛を伴う頻回の水様
便が始まり、まもなく著しい血便となる。これが出血性大腸炎である。

 血液の検査所見では、合併症が始まるまでは特徴的なものはなく、軽度の炎症所見が 見られるのみである。出血性大腸炎の場合は、腹部超音波検査で、結腸壁の著しい肥厚 が見られることが特徴的である。  O−157感染による有症状者の約6〜7%では、下痢、腹痛などの初発症状発現の 数日から2週間後、溶血性尿毒症症候群(HUS)または脳症などの重症合併症が発症 することが多い。  鑑別診断としては、虫垂炎、腸重積、赤痢、カンピロバクターや、サルモネラなどに よる食中毒が重要である。

 3 下痢症の治療はどのように行うか

 下痢の症状がある時には、安静、水分の補給及び年齢・症状に応じた消化しやすい食
事の摂取をすすめる。激しい腹痛や血便が認められ、経口摂取がほとんど不可能な場合
は輸液を行う。
 止痢剤は、腸管内容物の停滞時間を延長し、毒素の吸収を助長する可能性があるので
使用しない。
 腹痛に対する痛み止めは、ペンタゾシン(ソセゴン、ペンタジンなど)の皮下注また
は筋注を慎重に行う。(*投与の目安:ペンタゾシン5-10mg/)
 スコポラミン系(臭化ブチルスコポラミン:ブスコパン、スパリコンなど)は腸管運
動を抑制するため、この菌が毒素産生性であることを考慮すれば、避けたほうがよい。
 痛み止めの使用は、副作用に十分注意し、その使用回数は極力抑えるようにする。

 4 抗菌剤治療をどのように考えるか

 病原性大腸菌O−157感染による下痢症は、細菌感染症であるので、抗菌剤を使用
することが基本である。
 一方、抗菌剤の使用の有無による臨床効果の厳密な比較検討データはいまだ得られて
おらず、使用の是非、使用する薬剤の選択に関して多くの議論がある。
 これまでに、ST合剤、ゲンタマイシンを使用した症例において、HUSが悪化した
という報告や、抗菌剤を使用しても臨症経過の改善が認められなかったなどの報告があ
る。抗菌剤が、増殖した腸管内の菌を一度に破壊することによって、大量の毒素が遊離
し症状を悪化させるのではないかという理論的懸念が指摘されており、いくつかの成書
では抗菌剤の使用をすすめていない。しかし、このような解釈は根拠に乏しいとする批
判もある。
 したがって現時点では、抗菌剤の使用については上記のことを念頭に置いて、主治医
が判断して対応すればよい。
 抗菌剤を使用する場合は、初発症状発現後できるだけすみやかに、以下に例示する抗
菌剤の経口投与を行う。
    小児 : ホスホマイシン(FOM)、ノルフロキサシン(NFLX)*、
         カナマイシン(KM)
         *ノルフロキサシン50mg錠。5歳未満の幼児には錠剤が服用可能
                 なことを確認して慎重に投与する。乳児等には投与しない。
    成人 : ニューキノロン、ホスホマイシン
 これまでわが国においては、ホスホマイシン(1日2〜3g、小児は40〜120mg/kg
/日を3〜4回に分服)の投与が多く実施されている。
 抗菌剤の使用期間は3〜5日間とし、耐性菌と判明した場合はただちに中止する。
 抗菌剤を使用していない場合、または抗菌剤との併用により、乳酸菌製剤などの生菌
剤を投与する。
 なお、輸液、抗菌剤の使用後まもなく症状が改善しても、その2〜3日後に急激に症
状が悪化することがあるので、この間は注意を怠ってはならない。

 5 重症合併症をどのように予測し早期発見するか

 頻回の水様便、激しい腹痛、血便を示す典型的な出血性大腸炎の症例では、その約1
0%に溶血性尿毒症症候群(HUS)や脳症の合併の可能性がある。
 HUSとは、血栓性微少血管炎の形で乳幼児期に好発する急性腎不全であり、(1)破砕
状赤血球を伴った貧血、(2)血小板減少、(3)腎機能障害を3徴とする。
 O−157感染は、HUSの重要な原因のひとつであり、
	・血便を伴う重症下痢、
	・傾眠、
	・末梢白血球増多
 があれば、HUS合併の可能性が高くなると考えられている。
 HUSの初期にみられる症状・検査所見は下記のとおりである。
          症状  : 乏尿、浮腫
	 検査所見:
       ○尿検査     尿蛋白、潜血
       ○末梢血検査   血小板数(減少)、白血球数(増加)
       ○血液生化学検査 LDH(上昇)、血清ビリルビン値(上昇)
	   検査所見では、上記に引き続き赤血球数(減少)、ヘモグロビン
	   ヘマトクリット(低下)、破砕状赤血球の出現、血清BUN、
	   クレアチニン、GOT、GPT(いずれも上昇)などの異常が出
	   現する。
 したがって、外来では、血便がなければ乏尿、浮腫に注意しながら1〜2日に1回程
度の検査(少なくとも検尿は毎日1回)を、入院では、1日1回程度の検査を実施し、
できるだけ早く結果を確認することが重要である。また、上記のような症状、検査所見
がみられれば、HUSに対応できる設備、機能を持つ医療機関に転院させることが望ましい。
 一般的にO−157感染に伴うHUSは、下痢、血便の始まりから数日〜2週間以内
に発症することが多いので、その間に以下のような症状がみられたときは、HUSを疑
う。このとき、検査所見が破砕状赤血球を伴った貧血、血小板減少、腎機能障害を示せ
ば、HUSと診断される。
	 乏尿あるいは無尿、浮腫、意識障害、痙攣
	 その多稀に肉眼的血尿、出血斑、黄疸
(稀ではあるが、出血性大腸炎の症状が強くなくても重症合併症が起こる例もあるので
、本症の集団発生時には注意が必要である。)
 下痢がおさまって1週間経過し、菌も陰性であれば、概ねHUSの心配はないといわ
れている。
 脳症は、HUSと同じ頃またはHUSに先がけて発症することが多い。その予兆は頭
痛、傾眠、不穏、多弁、幻覚で、これらが見られた場合には、数時間から12時間後に
痙攣、昏睡が始まることを予測してそれに備えなければならない。

 6 二次感染の防止のためにどのような指導を行うか

 病原性大腸菌O−157は、少量の菌数で感染が成立するとされているため、幼少児
が集団生活を行う場合や家族内では二次感染を防止するために注意が必要である。患者
またはその保護者に対し、次の留意事項を守るよう注意を促す。

1)手洗いの励行

  ヒトからヒトへの感染を防ぐには手洗いが最も大切である。排便後、食事の前、特
  に下痢をしている子どもや高齢者の世話をしたときには、石けんと流水でよく手を洗
  う。患者の糞便に触れた場合は直ちに流水で十分に手洗いを行い、逆性石けんまたは
  消毒用アルコールで消毒を行う。また、患者本人が用便をした後も同様に十分な手洗
  い、消毒を行う。

2)消毒

 (1) 消毒の範囲

   原則として患者の家のトイレと洗面所を対象とする。患者の用便後は、トイレの
    取っ手やドアのノブなど患者が触れた可能性のある部分の消毒を行う。
   小児や高齢者の施設で発生した場合には、施設のトイレと洗面所を対象とする。

 (2) 消毒薬と消毒法

   逆性石けんまたは両性界面活性剤などを規定の濃度に薄めたものに布を浸して絞
    り、上記の場所を拭き取る。噴霧はしない。また、クレゾールや石炭酸は環境保護
    の観点から使わない。

 (3) 寝衣、リネン、食器

   患者が使用した寝衣やリネンは、家庭用漂白剤に浸潰してから洗濯するよう指導
    する。
   糞便で汚染されたリネンは消毒用薬液に浸潰してから洗濯する。患者の糞便が付
    着した物品等は、煮沸や薬剤で消毒を行う。
   食器は、洗剤と流水で洗浄する。

 (4) 入浴等について

   患者が風呂を使用する場合には、混浴を避けるとともに、使用後に乳幼児を入浴
    させない。また、風呂の水は毎日換える。
   患者等が家庭用のビニールプール等を使用する場合には、乳幼児と一緒の使用は
    避けるとともに、使用時ごとに水を交換する。

3)食品を扱う際の注意

  患者がいる家庭では、病気が治るまでの間、野菜を含め食品すべてに十分な加熱を
  行い、調理した食品を手で直接触れないように注意する。また、一般的に食品を扱う
  場合には、手や調理器具を流水で十分に洗う。生肉が触れたまな板、包丁、食器等は
  熱湯等で十分消毒し、手を洗う。75℃以上1分間の加熱により菌は死滅すると言わ
  れているため、調理にあたっては、中心部まで十分に加熱するとともに、調理した食
  品はすみやかに食べる。
   なお、腸管出血性大腸菌感染症の伝染病予防法指定に伴い、患者及び保菌者を診断
  した医師は、ただちに保健所長に届け出ることが義務づけられることになった。

 7 無症状の保菌者にはどのように対応するか

 無症状の保菌者に対する抗菌剤治療の考え方は「4 抗菌剤治療をどのように考える
か」に準じるものであり、投与を行う場合には概ね3日間を投与期間とする。
 O−157の疫学、臨床的知見が十分でない現状からは、菌の排出を重視する観点か
ら抗菌剤を投与することが多いが、投与にあたっては、その旨保菌者またはその保護者
に十分説明することが重要である。また、保菌者に対しては、手洗い・消毒の励行を十
分に指導する。

 8 菌陰性化をどのように確認するか

 患者については、24時間以上間隔を置いて実施した少なくとも2回の検便結果が、
連続して陰性(抗菌剤を投与した場合は、服薬中と服薬中止後48時間以上経過した時
点の連続2回が陰性)であれば、菌陰性化として扱い、就業制限があれば解除する。
 無症状の保菌者については、直近の検便結果が1回陰性であれば菌陰性化とみなして
よい。
 集団発生時などさらに慎重を期す必要がある場合には、無症状の保菌者についても患
者に準じた取扱いとする。
 以上の、O−157感染症治療に関する内容は、現時点における考え方をまとめたも
のであり、新たな知見が得られれば、必要な改訂を行う。本マニュアルに関する意見等
は、厚生省保健医療局エイズ結核感染症課にお寄せください。

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NOV. 14, 1996