テストシナリオ01 第一章第一節

第一章第一節「新暦208年8番目の月20日」

○20/alfrea(8th month)/208

 砦の中は人々のざわめきが支配していた。
戦乱をさけて砦へと避難してきた旅人達、行商途中の商隊もいて人の数が普段よりも何割か増えているのだ。
戦間近のせいか砦の兵たちはみな緊張した面もちであった。
10倍の兵が攻めてくるという前代未聞の危機を考えれば当然なのかもしれないが。
それでも兵士同士の諍いや、旅人達との騒動に発展しないのは、ひとえにランケストの指導の賜物であった。

 クレネリアス軍襲来の報を受けたランケストは善後策を協議すべく、砦の中の一室に小隊長以上の幹部の招集をかけた。
この場に最後に駆け込んできたのは、ク=ルム同盟の都市から軍事研修に来ているモーリー・レムスンと言う若い騎士だった。
 彼はいつものように倉庫の帳簿チェックをしていた。ふだんと変わらぬ日々のはずであったが、それは突然破られた。
部屋に息せきって従卒兵が駆け込んできたのだ。
「レスムン様、ランケスト隊長がお呼びです。どうやら敵襲のようです。」
 レムスンは一瞬、自分の耳を疑った。
この砦に研修のため赴任してから2年10ヶ月、最前線とは名ばかりのこの辺境に退去して敵が押し寄せてこようとは思っていなかったのだ。
レムスンは慌てて身支度を整えると、部屋を後にしたのだ。
 全員そろったのを見届けてからランケストは立ち上がり口を開いた。
「もうすでに皆も知っていると思うが、改めて報告する。クレネリアス軍がこの砦に迫っている。」
 一瞬部屋中がざわめく。改めて事実を突きつけられるとやはり衝撃を受けるのだろう。
  「敵の兵力はおよそ2000。率いているのはおそらく”血塗れの将軍”アギウス」
 ランケストはそこでいったん語を区切り、幹部達の顔を見回した。
誰もが緊張の面もちを隠せないでいた。
  「さてここまで言えばこの会議の意味が分かってもらえたと思う。どうするのが最善の策なのか皆の意見を聞きたいのだ。」
 ランケストはそう言うと席に座った。
初めは互いの顔を見合わせるだけだった幹部連も時間が経つにつれ、だんだんと活発な議論を始めていく。
 エルベランの兵にとって降伏は決して恥ではない。たとえ失敗したとしても、それ以上の功績をあげればそれで良いことなのだ。
だが今度ばかりはその手は使えないだろう。
何せ相手は血塗れの将軍と呼ばれる男なのだ。彼、アギウスの両の手は、決して敵兵の血のみで血塗れな訳ではないのだ。
それ故に徹底抗戦派か撤退派、議論は両派に分かれて堂々巡りを繰り返していた。
 ランケストは黙したままじっとその様子を眺めていた。
否、自らの思考に没頭しているのだ。否、答えはすでに出ていた。
− 撤退しかない。
 敵は10倍の戦力をもって迫ってくるのだ。いかに智将と讃えられた者でも奇跡を起こすことは出来ないだろう。
だがかといって近隣の村人を引き連れての撤退は無理だろう。
必ず追いつかれてしまい兵、民衆共々アギウスの輝ける功績の1ページに字を綴るための真紅のインクと化すのは自明のことであった・・・。
− 撤退しかない。しかしどうやるかを考えねばなるまい・・・・・
 ランケストは不意に立ち上がり、幹部達の議論を制した。
議論は無駄と初めから分かっていたのだが、それでは納得しない者もいるので今まで黙っていたのだ。
今日の会議、−つまりはランケストの鶴の一声−、で決まったのはクレネリアスの進路上にあるカラの村へと退去するよう使者をたてる事、ルシニアの町への連絡、そして一番近い城塞都市コロムに至急援軍要請の使者を立てることだけであった。

 議論ばかりで結論の出そうにない会議を区切りの良いところで終了させた後、ランケストは執務室へと引きこもり、今出来うることを考え始めた。
ルシニアとコロムに伝書用の鳩を2羽ずつ飛ばすよう命じ、コロムの町へはさらに早馬も行かせた。さらに砦の補修や食料の備蓄の調査も命じた。
残るはカラの村への使者の件のみであった。
− さてどうするか・・・・
 カラの村へ使者を出すことは決めたものの、誰を行かせるかでランケストは悩んでいた。
彼の脳裏には人選を巡って、人物が浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。
− なるべく戦に関係ない者で、なおかつ確実に成し遂げられる者・・・・
 そんな虫のいいことを考えていたランケストであったが、不意に彼の脳裏に一人の人物が閃いた。
− そう言えば・・・・役に立ちたいと言っていた行き倒れがいたな。
 彼はそのハーフエルフと一度だけ砦の中ですれ違ったことがあった。
「誰か行き倒れのハーフエルフ・・・・そうギアといったな。彼を呼んできてくれ。今すぐにだ」
 隣の部屋にいた従卒が慌てて部屋から出ていくのを確認すると、彼はペンと紙をとりカラの村への退去勧告を書き始めた。

 リューン=リュネイルが商隊とともにルクスの砦へと立ち寄ったのは偶然であった。
たまたま彼の護衛した商隊が”名も無き街道”を抜けアユーブ王国へ行こうとしていた矢先に戦乱の噂を聞きつけ、たまたま近くの砦へと避難したのだ。そしてその砦の名はルクスと言った。
そしてそこに砦の長としてランケストがいたのは、彼にとって幸運だったのか不幸だったのか・・・。
ともかくも彼はランケストに請われて砦の傭兵の一員となったのである。
 砦での生活の場として提供された幹部用の一室に彼の姿はあった。
さすがにランケストが請うて傭兵となったとはいえ、正式な会議には肩書きを持つ傭兵隊長以下数人のみしか参加できないのである。
「まったくついてないったら・・・・・・商隊護衛の仕事がオシャカになった上に、飛び込みで入った砦が陥落寸前とはな。しかもランケストの旦那が守備隊長だなんて逃げることもできやしない。」
 そう言ったリューンの顔に苦笑が浮かぶ。
「どっちみち10倍の敵を相手にしたら、どう策略練ったってかなうわけないし、こりゃ撤退しかないよな、ランケストの旦那も交戦を考えてたりはしないと思うが・・・。」
 彼はしばし腕組みをして、ランケストの顔を思い出した。彼は少し痩せたようだが、それは精悍さを増したと言うことのようであった。
つまり、昔と変わっていない、彼はそう判断したのだ。
「ふう。といっても、守備隊のメンツとリューンの名にかけて、無抵抗撤退ってのはいただけないな。もっとも、住民さまには逃げていただかないと、聞こえが悪いし、なにより邪魔だ。相手方の大将は・・・・・・アギウスか、ヤな野郎だ。けど、頭に血が上りやすい分、策略をかけてやる余地はあるかもな。ということは・・・・クリムゾン、あいつがいる可能性もあるな・・・・・・こんな形でやりあいたくはないが・・・とにかく作戦だ。砦内は狭いし、敵は一気に入ってこれるわけもなし、となると各個撃破が考えられるが、こっちの身が持たない。・・・いったん、侵入させて・・・”これでいくか!”」
 リューンはそうつぶやくと、砦の見取り図とわら束、油の在庫を確認した後、守備隊長ランケストのもとへ、作戦の具申に訪れた。
数度ノックをすると中からランケスト声がかけられた。
「ランケストのだ・・・ランケスト殿、少しお話があるのですが。」
 リューンは以前と同じ調子で話しかけようとして、慌てて言い直す。
相手はもう一介の傭兵ではないのだから。
むろんランケストは彼を拒む理由を持ち合わせてはいなかった。
「さすがは流れ参謀、さっそく何か思いついたのかな。」
 ランケストはそう言って執務室にリューンを招き入れたのだった。

 ルクスの砦、傭兵達の詰め所の扉側の奥まった席に1人の男が座っていた。
彼の名はアッシュ・ダーク。最近傭兵として入ってきたせいか、それともどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出しているからなのか、彼の両脇の席には誰も座っていなかった。
 もうすでに傭兵達にもクレネリアス軍襲来の噂は伝わっていた。
もちろん風前の灯火となった砦の運命を憂い、そしてそのような砦に傭兵と雇われてしまったことを嘆く者も何人かはいたが、大多数の者はふだんと変わらぬ様子であった。
− 意外だな・・・みんななかなか落ち着いている。もっと焦りと不安で満ちていると思ったのだが・・・。
 アッシュは食事の最中も抜け目無く辺りの様子を伺いながらそんなことを考えていた。
− これは指揮官に対する信頼からくるものか、それとも単に暗愚なのか・・まあ、それはこれからわかることだ。
 彼は干し肉の残りを口に入れると、つっと立ち上がった。
見張り交代の時間なのだ。いかに風紀の緩い傭兵とはいえど責務からは免れえないのだ。
アッシュはそのまま誰にも気づかれることなく詰め所を後にした。

 ”名も無き街道”をクレネリアス領からエルベランへと向かう一つの影があった。
もし知る者がいれば現在クレネリアス領内の関所は閉じられているはずなのに、という疑問を感ぜずにはいられなかったろう。
かといってクレネリアスの斥候、と言う風にも見えなかった。
彼女の名はキチェル・シュラ。黒を基調とする服に身を包んだ少女であった。
彼女はふと気がつくと見知らぬ場所−クレネリアス帝国の辺境−に1人立っていたのだ。
そこでエルベランへの侵攻の噂を聞き、いてもたってもいられなくなって、戦場へと足を向けたのだ。
「まだ遠い・・・まだここはクレネリアス領、ルクスの砦は・・・まだ、遠い。戦いが始まるまでにつければいいけど・・・。」
 彼女はそうつぶやくと、なおいっそう歩む足を早めた。

 ルクスの砦は”名も無き街道”が通る中州の上に立てられている。
つまりルクスの砦は交通の要所を押さえる軍事拠点の他に、関所としての役割も果たしているのだ。
もっとも”名も無き”と冠される街道のこと、旅人や商人など関所を通る者など日に何人もいなかった。
エルベランの方から姿を現した人影が現に今日初めての旅人であった。
普段なら何事もなく通り過ぎることが出来たであろう。しかしクレネリアス来襲の方はすでに砦の隅々にまで行き渡っていた。
特に最前線とも言うべき門兵達は、時間が経つごとに緊張の度合いが強くなっていた。
そんなところにのこのこと武装した怪しげな風体の者が顔を出したのだ。
、 「現在砦は閉鎖されており、この先に行くことはかなわん。」
 ポールウエポンで男の行く手を遮り、門兵のおそらく年上であろう方がそう口にした。
「とっとっと。残念ながら俺は旅人じゃない。ま、流れの戦士などやってるがな。俺の名はジェイズ。ここにはうちのバカ娘に会いに来たんだ。」
 人を食ったような態度で男は門兵へとそう言った。
「娘の名は?」
 相手の態度に少しむっとしながら、先ほどと同じ門兵がそう訪ねた。
「セミットと言うんだが。金髪青目のハーフエルフなんか珍しいから名前くらいは知ってるだろう?」
 門兵は2,3言相談しあったようだが、特に年上の方は不承不承ながら彼の行く手を遮っていたものを上げた。
「入るがよい。だが何度も言うが許可無くばこの砦から東へは出ることはできん。」
「はいよ。ありがとさん」
 彼はそう言うととっとと砦の中へと入っていった。
 近くに大きな町もないこともあり、ルクスの砦には無料ではないが旅人や商人用の簡単な宿泊施設がある。
彼はそこでとりあえずの宿を取ると、娘を捜すために砦の中をあちこちとふらつき始めた。
だが数百人はゆうに収容できる砦なだけあって、なかなか娘の姿を探し出すことは出来なかった。
  いい加減疲れたのか、立ち止まって、息をつき、そろそろ宿へと帰ろうかと辺りを見回す彼の目に、当の本人が両手一杯の洗濯物を抱えて歩いてくるのが見えた。
ジェイズはこれ幸いとばかりに娘、セミットへと近づいていった。
「よっ、元気か?」
「お父さん! なんでこんなところにいるのよ!?」
 驚いた彼女であったが、両手一杯の洗濯物を落とさない辺りはさすがである。
「ちょっと近くを通りかかってな。元気そうだな。恋人はできたか?」
「いーえ、全然! そんなことより、もうすぐここ戦場になるの知ってる?」
 話題を逸らしているのか、父の身を案じているのか。 「いや?」
 ジェイズはそう言って肩をすくめる。
「クレネリアス軍が侵攻してくるのよ。命が欲しいのなら早く逃げた方がいいわよ。」
 セミットはそう言っていたずらっ子のような笑みを見せた。 「・・・なあ、一応聞いておくが・・・お前は逃げないのか?」
「逃げるわけないでしょ。そんな友達を見捨てるような真似、誰がするもんですか!それに傭兵に志願したばかりよ。」
「・・・お前、なんか性格変わってないか?」
「そんなことはないと思う。私は今でもどんな人も傷つけたくはないわ。けどね、そうしないことで私の大切な友達が傷つけられる見るのはもっといやなの。ところで・・・・一緒にいてくれるんでしょ?」
「・・・ああ。」
「よかった。あ、私まだ仕事が残ってるから。宿にいるんでしょ?明日行くね。」
「ああ、じゃあな。」
 小走りに去っていく娘を見送った後、ジェイズは宿の方へと足を向けた。
宿泊場付設の酒場で一杯引っかけるつもりなのだろう。

 ルクスの砦の北には葦やしだなどが群生する湿地帯が広がっている。
もっとも砦が二つの川の交差する中州にあることを考えれば特に驚くには値しないが。
そこらじゅうに底なしの泥沼が広がるこの場所に人が滅多に足を踏み入れることはなかった。
それ故に底なしの沼をおそれぬ生き物、たとえば空を飛ぶ鳥達や沈まない小動物達の楽園と化していた。
 湿地帯の中一人の少年、いや、少年とははっきりとわからないが、ともかくも誰かが泥だらけになって倒れていた。
傍らにはこの少年のものだろうか、古ぼけたハープが落ちている。
『ここはどこだろう?』
 ぼんやりとした意識の中で彼は思った。
意識はあるのだが立ち上がろうとする気配は見えなかった。いやその気がないのだろうか。
どうせ起き上がっても倒れていても、考えるという事に関しては同じなのだからというのがその理由らしい。
単なるモノグサではないだろうか、という疑問はさておき、ともかくもその"者"はその体勢のまましばらく考え事をしていた。
− 名前は・・・えーと・・・そうだ、ユウ・・・
 何とか自分の名前を思い出したその時に、不意に声をかけられた。
「君、・・・大丈夫?」
 心配そうな、それでいて少しの警戒感を滲ませた声であった。
「ほえ?」
 声をかけられた方はなんとも間の抜けた声を上げ、顔をそちらへと向けた。
何時の間に来たのか、彼から少し離れたところに一人の少年が立っていた。
「あ、良かった。そんな所に倒れているからてっきり・・・」
 ほっとしたような表情で少年はそう言った。見知らぬ者のためにでも心配することが出来る心優しい少年のようだ。
「ね、ここどこ?」
 その泥だらけの方はぴょんと言った感じで立ち上がると自らは名も名乗らず、自分の身を心配してくれた少年の名も聞かずにそう訪ねた聞いた。
立ち上がった雰囲気から察すると、驚いたことにこちらも少年のようであった。
「ここ?ここはエルベランとクレネリアスとの国境のルクスの砦からちょっと北にある湿地帯だけど・・・。君、名前は?」
 立ち上がった方も”少年”だったことに安心したのか、警戒心を解いたようだ。
「ヒトはヒトに名を聞く時、まず自分から名乗ると聞いたが・・・」
 軽く服の泥をはたきながら、泥だらけの少年はまるで講義をする教師のようにそう言った。
もっとも服の泥はやるだけ無駄のようで、すぐにはたくのを止めてしまった。
「あ、ごめん。僕の名前はディナ。ルクスの砦でコックの見習いをしているんだ」
「おいらはユウ。ユウ・リヴスとゆー名がついてる。こう見えてもただの泥人形ではなく、ハーフリングなんだな。たった今思い出した」
 ハーフリングは草原妖精とも呼ばれるこの世界にとらわれた妖精族の一員である。
「たった今思い出したって・・・自分の事忘れてたの?」
「そーゆー事ではないと思うが・・・まぁいいじゃないか。今は思い出しているんだから不都合ないだろう?」
 ユウはそう言って破顔した。ハーフリングは細かいことを気にする種族ではない。
いや気にしなさすぎて困るくらいなのだから。
「うーん・・・そうだね」
 納得したのかしないのか、ともかくもディナとしてはうなずくしかなかった。
「で、一番始めの質問だが・・・」
「あ、君泥だらけで気持ち悪いだろ?一緒に砦においでよ。湯あみできるし、残り物でよかったら食べる物もあるし・・・」
 こんどはユウの言葉を遮るようにディナがそう言った。
「おいらは"キミ"ではなく"ユウ"だぞ。名をお互いに知っているんだから名で呼ぶのが普通だろう?まあいい。ディナ、その条件にさらに"服を洗う事ができる"を付け加えて、こちらから勝手に砦までついて行くぞ」
「ああ、いいよ。こっちからいけるよ」
 ディナはユウの言いぐさに笑みを漏らした後、彼を連れて歩き始めた。ユウはハープを拾うと彼の後をひょこひょこと着いていく。
ふたりはそのままルクスの砦へと歩いて行った・・・。
 ユウの一日はこの後、洗濯係のオバさん、ルーリスに見つかり、まるで拾われた子猫のように頭の先から足の爪までしっかりと洗われるので終ってしまった。
「おいらは服を洗いたかったんであって、自分を洗いたかったんじゃない!」
 何度もそう呟いたユウであったが、残念ながら彼を洗うルーリスとそれを見ていたディナに笑いを提供したに過ぎなかった。

 ルクスの砦にある兵士用の大食堂。だが兵士用とは名ばかりで、また食堂というのも名ばかりであった。
夜ともなると非番の兵士や傭兵達は言うに及ばず、本来はこの場所に入れない旅人たちまでが、酒と喧噪を求めて来るのだ。
クレネリアスの来襲が伝えられていても、今晩もいつもと変わらず人であふれていた。
いや、危険に敏感な商隊や旅人達が安全を求めて砦へと滞在しており、いつもより人が多かった。
そんな中で一際目を引くのは、この大陸では珍しいエルフの少女が1人座っていることだろう。
誰もがあこがれる永遠の命と人外の美しさを持つ気高き森の妖精。
だがその脇にはやたらと軽そうな男が1人しきりに彼女に話しかけていた。
「お嬢ちゃん名前なんていうねん?」
 男の方は二十歳くらいであろうか。赤毛で軽い天パーで珍しい訛りの言葉を話していた。
「ほうファーランちゃんいうんか?わてはミナイ・ラキアいうねん。」
 森妖精の少女の方は、迷惑そうにはしているものの激しい拒絶反応を示すまでには至っていないようだ。
かといって適当にあしらってると言うわけでもない。
「そういやここクレネリアスの大軍が攻めてくるらしいで。ファーランちゃん。こんなとこ残ってて大丈夫なんかいな。もう時機ここも戦場になってまうから、逃げるんやったら早めにな。奇麗な娘を護るのは、男の甲斐性やからな。きぃ使わんでええで。」
 ラキアはそう言いながらははははと笑った。
そして抜け目無くファーランの肩に手を回そうとした彼の頭を強くこづいた者が居た。
「馬鹿野郎!見回りさぼってなにしてんだ!?」
 ラキアを殴ったのは彼とコンビを組んでいる年上の傭兵であった。
「い、いや、ちょっと騒動があったみたいやさかいに・・・」
「言い訳はいいからとっとといかんか!」
 傭兵はそう怒鳴ると食堂の出口を指し示した。
「は、はいな。」
 ラキアはあわてて立ち上がると、そのまま扉の方へと走っていった。
「ほなまたな。ファーランちゃん。」
 もちろん女性への挨拶を忘れないところが彼らしい所なのである。

 クレネリアス軍の進行は遅々としていたが、それは軍隊のレベルを示すものではなかった。
この行軍はエルベランの人間に出来るだけ恐怖を味あわせようというアギウスの趣味からでた行動にすぎなかった。
帝国領内に張り巡らされているはずのエルベランの情報網をくらますため、2000の兵を10の集団に分け一人の脱落者もなくエルベランとの国境近くで再集結を果たせる兵士達なのだ。
実はルクスの砦の巡回も捕らえようと思えば捕らえられたのだ。斥候を出しているのはエルベランだけでは無いのだから。
それをわざわざ見逃したのはルクスの砦にはもう援軍を頼む余裕がないことが分かっていたからだ。
撤退ならそれもいい。労せずして役目を果たせる訳だから。
 今日も早々に場所を見つけ、完璧なまでの陣を築き、宿営に入るのであった。
各国への侵略を繰り返しているだけあってクレネリアス軍の宿営技術には目を見張るものがあった。
下手な砦より堅牢な陣をわずか数時間のうちに作ってしまうのだ。
 そしてアギウスの命により常に1/4の兵が起きているそれは、まさしく不夜城という名がふさわしかった。
その宿営地のはじの方に傭兵達の天幕が連なっていた。そのさらに小隊長以上にのみが与えられる個人用の小さな天幕の一つの事である。
その天幕が無人でないのは厚い布越しに微かな灯りと影が見て取れることからも明らかだった。
「ちっ・・・クレネリアスのお偉いさん達、年端もいかねえ女をさらうために戦争かよ・・・・・背中の傷がうずきやがるぜ。ったく、ド外道なやつらだぜ・・・・ま、その手先やってる俺らも十分外道か・・・・」
 彼はそう言って苦笑した。
「まさか、次の戦の傭兵の仕事取ったらその内容が“色ボケ親父の助平のための戦争”とわな。まいったぜ・・・・今更降りられねぇしなぁ・・・あぁーっ!気が進まねぇったら進まねぇ!一応俺の部隊には無抵抗な者は斬るな。とはいってるが・・・・くっそぉぉっ!ぼやいててもしゃぁないのは解ってるけど・・・・はぁぁぁぁぁぁぁっ。」
 クレネリアス帝国軍傭兵部隊の小隊長を務めるクリムゾンはそう言いながら何十回目かの溜息を吐き出した。
それでも彼の愚痴はしばらく止まらなかった。
「はぁぁぁっ・・・・・ぐちっててもしゃぁねぇか。」
 やがて誰も聞かぬ愚痴のむなしさを悟るとクリムゾンはそう言って天井を見やった。
「この軍の大将は・・・アギウス・・だったな、『血塗れの』・・・はぁ、俺の『深紅』『紅蓮』に似てて・・・やだなぁ・・・あんなやつと似てるなんて。」
 彼の口調から心底嫌がっているのが見て取れた。
もっともアギウスの方もクリムゾンを、いや傭兵を使い捨ての道具くらいにしか見ていないのでおあいこといった所だろう。
「さて、到着まであと7日・・・することは・・・・例の手配と、見張りでもしててやるか・・・」
 そうつぶやくと彼は愛剣と酒袋を一つ持つと天幕から出ていった。
 クリムゾンが向かったのは陣営地のはしの見張り場であった。彼が見張り場に着いたとき、見張りの男は緊張した面もちであった。
傭兵部隊とはいえ小隊長がわざわざ一人で出向いてくるなんて、一般の兵士には凶報以外の何物でもないはずだったからである。
「よう、たいへんだなぁ」
 クリムゾンはにこやかな笑顔でそう見張りへと声をかけた。
「・・・毎晩毎晩、どうだい?変わってやろうか?大丈夫だよ、朝になる頃にここに戻ってくればばれやしねぇって。こんなつまんねぇ仕事で疲れてもしゃぁねぇだろ、こんなもんもあるんだぜ。」
 そういうと酒の入った袋を振ってみせる。
ちゃぱちゃぱという確かに酒の入っているであろう音が男の責任感を氷解させた。
「ま、酒でも飲んでゆっくり寝て明日の朝ここに戻ってこいよな。下っ端はこき使われるからなぁ・・・休めるときに休んでた方が利口だぜ!俺は暇だからよ、気にすんな。」
 彼はそういって酒袋を見張りの男へと渡した。
にこにこ顔の見張り役の兵士は、酒袋を抱えていそいそとどこかへ消えていった。
「さて・・・・行ったか・・・おい!いるんだろ!」
 それを確認してから闇の中へと向かってクリムゾンはそう言うつぶやいた。
と、いつからの居たのか彼の目の前に”影”が音もなく現れた。
光の加減を計算しているのか、体の輪郭すら闇に紛れてよく分からなかった。
それでもクリムゾンの目にはしかと見えているようであったが。
「こいつの手配を頼む、隠し場所も書いてるからな・・・頼んだぞ。」
 影は揺らめくようにうなずいてクリムゾンから書面を受け取ると、闇に解けるように消えていった。
「ふぅ、昔のコネが意外に役に立つな・・・さて、見張りを続けるか・・・でも・・・この性格何とかしないと、出費がかさんじまうな・・・しまいにゃ。」
 苦笑いするクリムゾンの脇を、ただ時間と夜風のみが通り過ぎていった・・・・

 遙か遠きク=ルムの都市から、エルベラン王国の大草原を抜け、クレネリアス帝国を斜めに抜け、ファラスムーン王国にて東の果てを縦断する大街道”繁栄の道”へと通ずる”名も無き街道”。そのエルベランとクレネリアスとの国境に一つの村があった。
名をカラという村はエルベラン国王の権威のおよぶ果ての村であった。農業と牧畜が主な産業のこの村では、時すらが牧歌的に流れているのであった。
「どうもありがとうございました」
 街道沿いに面するこの村唯一の店“ラティの店”ではおかみさんと、その養い子である有翼人のルーリエが今日も元気に働いていた。
有翼人、ある者は天使の末裔と呼ぶ白き二枚の羽を持つ亜人。深き森の奥にのみに住む彼らの事を人間はほとんど知らなかった。
否、ほとんどの者としては姿を見ることとて難しいであろう。だがこの村の者にとっては彼女は、同じ村に住む隣人以上のものではなかった。
 この最果ての村には1週間ほど前から、クレネリアス軍が攻めてくるという噂がまことしやかに流れていたが、心中はどうあれこの親子の生活は普段とまったく変わりなかった。
この程度の噂はいつも流れていたし、噂が常に真実であるとは限らないのだ。
ただこのところクレネリアスからくる旅人が全くと言っていいほど通らなくなったことが、噂に一抹の真実の影を落としていることに村人は皆気づいていた。
だが、それでも人はその営みを続けなけらばならなかった。
それ故にこの親子も、ふだんと変わらぬ日々を過ごしているのであった。
「おかあさん、皮の背負い袋って、まだ在庫あったっけ? 店に出てる分はなくなっちゃったの」
「そうねぇ、倉庫にあったと思うわ」
 母は首を少し傾げてそう言った。
「取って来るね。他にもなにかある?」
 しかし、普段と変わらないのはこの親子だけではない。
失う者のない貧しき者、失う者の大きい富んだ者など一部の者を除き、まだ殆どのものが村にいる。
理由は簡単、今畑を離れるわけにはいかないからだ。 まだ暑い日もあるが、季節はもうすぐ秋。収穫の季節だ。
ここでほうりだせば、敵軍が来なくても一年間の苦労は水の泡。
農業と牧畜で支えられているカラの村は大きな打撃となる。
たとえ戦乱に巻き込まれるかもしれなくてもぎりぎりまで働く村人達のために、村で唯一の雑貨屋も、未だに通常営業しているのだった。
「おとうさん、今ごろ何処かしら?」
 最後のお客が帰った後、店を片付けながらルーリエがつぶやく。
この店の主人は、今仕入れのために遠くの都市まで出かけている。
早ければもうすぐ帰ってくるはずだ。
「噂を聞いて、帰ってくるのをずらしてくれるといいんだけどねぇ」
「もし戦が起こっても、おかあさんだけは私が抱えて飛んで逃げてあげるからね。だいじょうぶよ!」
 義母であるおかみさんはくすくす笑う。
ルーリエは20歳だが、有翼人のため成長が遅く、外見はまだ10歳程度なのだ。
どう考えても人間一人を抱えて飛べるようには見えない。
それでも娘の言葉が嬉しくて、おかみさんはうなずいた。
「そうねぇ。空を飛んだらきっと大丈夫ね」
 そうやって今日もいつもどおり日が暮れていった。
この村はまだ戦を知らない。しかしこの”吸血大陸”では平穏は決して長くは続かないだろう。

 ルシニアという町がある。名も無き街道沿いに面するこの町は人口わずか400人ほどの小さな町であった。
ルクスの砦の城下町、というには遠いが、それでも小さいながらもいくつかのギルドの支部がある砦からもっとも近い場所だった。
それでも馬で1日ほどの距離があるのだが。
冒険者、という職業の者がこの世界には数多く居るのだが、この町にもそんな未来の英雄を夢見る者たちの宿が一軒だけあった。
この町では朝食に肉が出ないということで有名な、赤獅子亭というのがその宿であった。
 小さな町のせいか、泊まり客もそれほど居るわけではないが、代わり映えもしない朝食を黙々と食べる客達の中で一際目を引く男が一人居た。
この男を見れば、百人が百人とも、この男が闘うことを生業にしていることはみて取れるだろう。赤銅色の肌、褐色の髪も、日に焼けた健康的な雰囲気を醸し出している。
しかし、この体と並んでこの男を最も印象づけているのは、頬から首筋にかけて残っている傷痕ではなく、意志の強さを覗かせながらも、時折優しい光を見せる灰色の瞳である。
この瞳がこの男を実に悠然と、泰然自若に見せるのであろう。宿の主人もこの男には気をかけているらしく、自ら暇を見つけてはちょくちょくこの男に何か話しかけていた。
 男の名前はスラッシュと言う。名前と言うと少々正確でないかもしれない。この男の本名は本人ですら知らないと言えば、その名が顔の大きな傷痕からとられた渾名であることは明らかであろう。
まだ幼少の頃、恐らくこのエルベランから、隣国であるクレネリアスに誘拐され、つい最近まで奴隷として働いてきた男である。
着古された服の下になっていて見えないが、右肩の背中側には今も奴隷であったことを示す焼き印がある。だがただの奴隷とはいっても彼の名はクレネリアスでもそこそこ有名であろう。
剣闘士育成を趣味とするとある中級貴族のお抱えとして、クレネリアスの一地方で強者として名を通らせていたのだ。
やがて奴隷の身分から解放されたのだが、剣闘士スラッシュと言えば、クレネリアスの若手の剣闘士の中でも3人のうち1人は知っているだろう。
解放された剣闘士は、望めばその主人の庇護の元で一生を不自由なく暮らすことは可能であった。
主人は強き剣闘士を自らの手で育てたことを誇りにし、その証として手元に置くことを望むのだから。
しかし、約束された裕福な将来を捨ててこの男が選んだ道は、剣闘士から解放されたときに主人から受け取った金を路銀として、自らの故郷エルベランに帰ることだった。
故郷に帰り、自分の生い立ちを知り、そしてその下に育つはずであった父や母に会うことであった。
 クレネリアス帝国軍来襲の知らせがルクスの砦からの伝書鳩によって、ルシニアに届けられたのはもう一日も暮れようと言う事のことだった。
そして宿の親父の耳にその噂が届くのもそれほど後のことではなかった。
人の形をして突然飛び込んできた凶報は用件を伝えるとまた宿を飛び出していった。
テーブルを囲んでいた客たちもすっかり酩酊気分は吹き飛び、町を出る支度をすべく部屋に戻るものもいれば、宿代の相談をするものもいた。しかし、スラッシュの反応は、そのどれでもなかった。
 「俺はどうするんだ」と問うまでもなく、スラッシュの心の内は決まっていた。長い奴隷生活の中で押しつぶされそうになりながらも、決して失われることのなかった故郷への思いが彼を突き動かそうとしていた。
しかし、この男の灰色の瞳は、この戦いが勝ち目のない戦いであることもさとっていた。「遅かれ早かれルクスは陥ちる」ことを彼は十分過ぎるほどわかっていたのである。そして砦よりこの町までクレネリアスの進軍を阻む物は何一つ無かった。
今の彼の目的はただ一つ、ルクスの陥落を少しでも先に延ばすその手伝いをすることであった。
 夜。暗い路上にスラッシュの姿はあった。彼の次の行き先は、どこの町にもある、いわゆる冒険者ギルドであった。あてはあった。彼がこの町に着いて最初に訪れたのもこのギルドであり、その時、このギルドの長は、スラッシュの類稀なる戦士としての能力と、その灰色の瞳から発せられる落ち着いた雰囲気に惚れ込みんでいるのを知っていたからだ。生まれてこのかた、いつも一人で生きてきたスラッシュであるが、今自分がやろうとしていることは、自分だけでは絶対に成し遂げることができないということを知っていたのである。
 ギルド長、ハンクというらしい、はスラッシュの顔を見て少し微笑んだようだった。
「よう。真面目な顔してるじゃねえか。どうした」
 スラッシュも負けずと笑い返し、自己紹介をした上で、こう続けた。
「なあ。俺はこの町で育ったわけじゃねえ。誰か好きな女がいるわけでもねえ。だけど・・・・何かしてえんだよ。・・・何かできるんじゃねえかと。頼むよ。あんたの力と知恵を貸してくれ」
 ルシニアの町の夜は、不安と緊張に彩られながらも表面上はいつもと変わらず、刻一刻と更けていった。

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