テストシナリオ01 第一章第三節

第一章第三節「新暦208年8番目の月22日」

○22/alfrea(8th month)/208

 ルクスの砦の朝は、いつもと変わらぬ朝を迎えるはずであった。
だが昨夜からちらほらとカラの村からの避難者が砦に着いていることもあって、まさしく砦は夜通し起きていた。
夜が明けるまでに数十名の村人を受け入れていた。彼らの混乱した情報では、村人の2/3あたりが避難してくると言う話らしかった。
− 愚か者が多いことだ・・・・。
 仮眠中にその報を聞いたランケストは大きく溜息をついた。1/3、つまり30名ほどは村に残っているということだ。
死が目前に迫ってきているというのに、それを回避しようとしないなど、彼には理解できないことであった。
いかに残るべき理由があろうとも、死ねば全ては終わりなのだから。
− ともかくもやつらの行動は無駄にならない・・・と言う訳か。
 それきり彼はそのことを考えるのを止めた。彼の今のこの状況でやれることはやったはずだ。ならばこれ以上時を割くのですら無駄だと言わんばかりであった。
 朝日が顔を出すと煌々と焚かれていた篝火は消され、赤い目をした夜警の兵が一つあくびをしながら当番を交代していく。
また忙しい一日が始まるのであった。

 エルベラン国王クリス・ハーンの権威の及ぶ果ての村、カラ。昨日ルクスの砦からの退去勧告を受けたこの村にもいつもと変わらぬ朝が訪れた。だがすでに村人の何割かは砦を、あるいは遠き親戚や知己を頼って村を後にしていた。そして今日、この村を発つ者も多い。去る者にとって最後かもしれぬ夜を彼らはいかに過ごしたのだろうか?
 この村に住む有翼人の少女、ルーリエはいつもの通り、小さな袋を持って、家のドアを開けた。まだ太陽神の御身が東の空に昇り始めたばかりの事である。牧畜と農業の村なので、比較的朝は早いのだが、今の時間はさすがにまだ寝ている人も多い。
ルーリエは大きな音を立てないよう、慎重にドアを閉めた。そしてそのまま、村の通りを村外れに向かって走る。 外れに出たところで、ルーリエは軽くジャンプした。同時に背中の白い羽根を広げて、うっすらと朝もやの光る空へ飛び立った。
空の青と森の緑の背景に彼女は自然にとけ込んでいた。その調和的な美しさは芸術家達が見たらさぞ創造意欲をかき立てられただろう。
 彼女は調子を確かめるように軽く羽ばたいた後、いつもの場所、つまり牧草地の外れの丘を目指して空を舞った。歩けば大の男達でも軽く汗ばむような丘の上でも、彼女ならばひとっ飛びであった。
丘の上にはすでに気の早い常連さんたちが数羽、ルーリエを待っていた。
「ちょっとまってね」
 丘に生える草花をつぶさぬようにそっと降り立つルーリエを見つけ、寄ってくる小鳥達にそう言うと、ルーリエは朝日を受け止めるように翼を広げ、歌を歌い始めた。

草原をかける少年は 遠い空にあこがれる
旅人から聞くは 遥かな地の物語
いつか剣を握り締め 冒険を探して旅にでる

幼なじみの少女は祈る 旅立つ少年のためだけに
その心にあるは 少年の笑顔と約束
朝もやの中に消えし たのもしき彼の姿

ああ、だがここは吸血大陸
大地が真紅に染まりしとき
その約束は永遠(とわ)に守れず

街道を行く青年は 大きな街を目指して進む
背中に背負うは 小さな袋
貧しき青年の持ち物は 夢と希望だけが詰まった袋

小鳥の歌に励まされ もう一息と歩きだす
太陽は輝く 空高く
穏やかな昼下がり 彼の道をゆく

ああ、だがそこは吸血大陸
太陽が真紅に染まりしとき
青年は静かに横たわる

その紅を薄めるは ただ流した涙のみ
恵みとなりて 大地に降るか
清く白き月の光りに 一夜一時の夢を見る

ああ、ただあるは吸血大陸
真紅に染まるは どこの地ぞ
真紅に染まるは どこの誰ぞ

 小鳥達のさえずりのような声で歌う、しかし物悲しいメロディーは風乙女達の手によって、森の奥隅々まで運ばれていった。
 合図はまだか、と待ち構えていた小鳥達は、一斉に飛び立ちいつもの丘の上を目指す。ルーリエのいる丘はあっという間に幾千万の色様々な小鳥達で埋まり、まるで季節はずれの春が来たように色鮮やかな世界が広がった。小鳥達は彼女を恐れず、甘えるようにさえずりながら彼女に朝食を下さいと急かすのだ。
彼女はルーリエはパンの入った袋を開け、小鳥達に朝の食事を提供した。小鳥達は餌を取り合うことなく、否、むしろ分け合うようについばんでいく。そんななか、一羽の小鳥がルーリエの肩にとまった。
首を傾げ、青いくるっとした瞳が問い掛けるようにルーリエの顔をのぞき込む。いつもは光や大地、太陽や風や空を讚える歌を歌っていたのに、どうして今日は悲しい別れのメロディーなのかと不思議がっているようであった。
「さあ皆、朝の集会は今日でおしまい。明日からはもう来れないの。皆も来ちゃだめ。遠くへ逃げて。怖い人間達がやって来るの。危ないから、もう来ちゃだめよ。」
 鳥達が餌をついばむのを辞め、一斉にルーリエの方を向いた。そう、まるで言葉が通じたかのように。
「また何処かで会いましょう。きっと、また、どこかの空の下で!」
 それを合図にしたのか、すべての鳥達が一気に飛び立った。青い光の中、色とりどりの鳥達が思い思いの方向へ飛び立っていった。
彼女にとっていつもと同じカラの村の朝の始まり−−−そして彼女にとって最後の朝でもあった。

 ルクスの砦が動き出した頃、砦の補給を預かる責任者の一人、モーリー・レスムンも寝床から起き出した。
眠りについてから数時間のはずなのだが、敵の来襲目前ということで精神が高ぶっているらしく、それほど苦にはならないようであった。
 一つ小さなあくびをした彼は、昨夜の事を思い出していた。
避難民らを砦へと受け入れているさなか、一つの悲鳴が闇夜に響いたのだ。 彼が数人の部下と共に駆けつけると、幼子をうばわんとする数人の男達とそれを必死でとめんとする親の激しい争いが繰り広げられていたのだ。小剣らしき物で斬りつけられたのか親たちは血塗れであった。だがそれでも泣き叫ぶ子を放そうとはしなかった。子供を奪おうと熱中していた男どもがレムスン達に切り捨てられるのもそれほど後ではなかった。幸い両親の傷も浅く命には別状無いようであった。
だが、子供を連れ去られたという他の村人の話を聞いてあたりを捜索してみると、人さらいの物とおぼしき馬車が見つかり3名の子供が無事救出されたのだった・・・・。
 彼はベッドより立ち上がると、早速身支度を整えて、自らの執務室へと向かう。砦内の巨大な倉庫の隣の続きの3部屋が、彼と同僚とそして部下達の執務室である。 今朝も、昨夜の点呼によって数えられた砦の兵・傭兵の数-もっともほとんど変動することはない−と、砦へと避難している、または避難してくる者たちの数を推定し、食糧の備蓄があと何日分あるのかを算出していく。
「あともって15日分か・・・クレネリアス軍の到着が遅くても5日後だから、その後10日分。まぁそれだけの日数持ちこたえる訳がないか。」
彼はうっかり口に出してしまった後、あわてて自室に他人がいないことを確認する。もちろん誰もいるわけがない。
彼は息を一つつくと、再び独白を続ける。
「しかし、隊長の策はどうなっているのだ。敵は街道を西進してくる。途中のカラ村は住民がいない。」
 まだ彼には、ランケストから戦闘か撤退かの正式な報告は無かった。
「シルバーダガーを偵察に向かわせている。もし彼が信用できるとしてなにを見て聞いて報告するのだろう。」
 彼は銀の嵐を知らなかった。いや話には聞いたことがるが、どうしてもシルバーダガー本人を見ていると、そんな人々の噂になるほどの冒険者だったことが分からなかったのだ。
「この砦の地形は守るに易いが、10倍の兵力差では防ぎきれはしないだろう・・・」
とりあえず、この数字を報告するためにランケストの部屋へ向かう。途中で部下が声をかけてきた。
「昨晩の件についてランケスト様が報告せよとのことです。」
「今から行くところだ。」
 レムスンは書類を見せてそう答えた。そしてそのまま足早に廊下を歩いていく。ランケストの執務室にたどり着くのもそれほど後のことではなかった。
「ランケスト隊長、レスムンです。入ります。」
 彼はいつもどおりの挨拶をした後で入室した。
「隊長、備蓄の報告にまいりました。」
「その前に昨夜の東の門外での騒ぎの報告を聞こう。」
 ランケストは備蓄の話よりもそちらの方に興味があるようだ。もっとも昨日18日分と報告しているので、それほど変動しないというのは明らかな事ではなるのだが。
「はっ、昨夜東の門外で奴隷商人の手下とおぼしき数名を斬りました。」
 レムスンは人さらいの一団を斬ったこと、数名の子供を救助し無事親元へと引き渡したことなど、簡単に昨夜の事を説明する。
「人狩りどもか・・・・戦乱の噂を聞きつけてカナーンくんだりからこんな所まで来るとはご苦労なことだ。」
 ランケストは苦笑しつつそう応えた。彼らの嗅覚には恐れ入るばかりだ。それをもっとまともな商売に生かしていれば死ぬこともなかっただろうに。
「はっ、人狩り・・・ですか?」
 彼には聞き覚えのない単語であった。いやカナーンという地名からして彼は知らなかった。
「戦に負け占領された地に住む敗者側の者は人間ではないと言うことだよ。愚かな戦争は多くの悲喜劇を生む。」
 ランケストはそう言うと首を振った。この件に関してはそれ以上の議論はしたくないようだ。
「して備蓄の方は後どれくらい持つ?」
「は、カラの村の避難民を受け入れますと、15日程度になるかと。」
 彼はそういって先ほど調べた備蓄の量が記載された紙をランケストへと差し出す。
「十分だ。」
 ランケストはそれを受け取りつつそう答えた。
「ところで隊長、このまま傭兵達に際限なく酒と食料を拠出すると・・・」
 彼は眉を顰めてそう言った。
「酒を飲めるのも敵の来ぬ今のうちだけだ。この砦を退却するとしても撃って出るとしても、どちらにせよ無用の物だ、好きにさせておけ。」
 まだ何かいいたそうなレムスンを遮るように、ランケストはさらに続ける。
「それにわざわざカラの村特産の極上の美酒を敵にくれてやることもないだろう。食料だけ保存の効かぬ物から使うようにしてくれればそれでよい。」
 人の悪そうな笑みを浮かべると、ランケストはそう言い放った。それを聞いてレムスンはもしかしてこの砦に戻ってくることはないのではないかという不安を感じた。
「ところでスラッシュとか言う輩が物が欲しいと君の所に行くかもしれん。出来る限りそろえてやってくれ。」
「は、はあ。よろしいのですが?」
 戦闘が差し迫っているというのに、そのようなまねをして良いのか、と問えないところが悲しかった。
「ルシニアの町からの正式な要請だからな。」
 ランケストはそう言っただけであった。
「分かりました。最大限の努力をさせていただきます。」
「後は・・・そうだな、リューン・リュネイルという男がこの砦にいる。彼にも物資の面では全面的な協力をしてやってくれ。」
「りゅー・・・・分かりました。」  彼はその名を聞いて驚いた。
「以上だ。」
 ランケストはそう言って話を打ち切った。こうなると彼の態度はとたんに冷たくなる。存在を無視し始めるのだ。
レムスンはランケストに一礼すると部屋を退出した。
ランケストの執務室を後にした彼は、自らの部屋へ向かいつつ一人の男について考えていた。
リューン・リュネイル、ク=ルム同盟の軍人の間では参謀と言えば彼を指すほどの名前は、 レムスンの意識を十分に刺激した。
− 田舎砦かと思ったが十分楽しめそうだ・・・。
 彼は心の中でそう呟いた。
ルクスの砦は今日も砦の各所で兵達が補修工事を行う音で満ちあふれていた。レムスンらも資材や食事を用意せねばならず結構忙しい。
砦の補修・補強は作業は夜を徹して行われている。こうなると戦うだけの傭兵というのはうらやましいものだろう。

 早朝、ルクスの砦の一室、ルシニアの冒険者ギルドの長であるハンクに与えられた一室にスラッシュ、ファーラン、ライディーズ、ジェイズの4人の姿があった。
「というわけで3人集めることができた。」
 スラッシュはハンクへと昨夜の事を、そして3人の人間が集まったことを報告した。その間他の者はじっとハンクを見つめている。
ハンクの方もギルド長としての性なのか、それとも信頼できる人間なのかどうか、ともかくもスラッシュ以外の3人の腕前を測っているようだった。
「馬や荷馬車の準備を整え、出来れば今日中に出発したいのだが・・・」
「そうか、出来るだけ急いでくれ。ファーラン、ジェイズ、ライディーズも宜しく頼む。・・・・・それから、カラの村に・・・・・フェリシアという女性がいたら、何とか無事に避難させてくれんか。もしいたら・・で結構だが。」
 彼は3人をどう判断したのだろうか。ともかくハンクはそう口を開いた。
「フェリシアさん・・・・。カラの村に立ち寄った時にお名前だけは伺った覚えがあります」
 そう答えたのは、 一度この村に立ち寄ったことのあるファーランだった。ハンクは頷いたもののそれ以上の言葉は発しなかった。
「ところで報酬は?」
 壁に寄りかかって話を聞き流していたジェイズが不意にそう尋ねた。
「成功すれば一人当たり2千クィルを出そう。これだけあれば十分だろう。」
 ハンクの提示した額は派手な生活をしなければ半年は暮らせるものだった。おそらく破格の報酬だろう。だがジェイズが求めているのは別の報酬だった。
「いや、それよりも、俺はこの仕事が終わったらここに傭兵として雇われるつもりだ。成功したあかつきには、希望者全員にここの軍におけるある程度の地位を用意してもらいたい。どうだ?」
 彼の発言はおよそ危険を金で請け負う冒険者の者とはかけ離れていた。
「私は軍の人間ではないので、その約束はできん。だがそれを望むのならば守備隊長に掛け合ってもいい。」
 ハンクはそう答えた。だが彼の表情はその厳しさを物語っていた。
「・・・分かった。」
 それで納得したのかどうか、ジェイズはそう応えたにとどまった。
「他に無ければ後は諸君で適当に親交を深めておいて れ。今回の依頼は難しい依頼だ。仲間内での親密な関係が無ければ成功しないかもしれん。一緒に食事にでも行ったらどうだ?」
ハンクにそう言われて4人は顔を見回した後、次々に部屋を辞していった。
ハンクの部屋から昨夜4人があった食堂へと向かう途中、スラッシュは不意に仲間達の名前しか知らないことに気がついた。
「そういえば自己紹介もまだだったな。さっきも言ったが俺はスラッシュ。少し前まではクレネリアス帝国にいたんだが・・・・。」
 クレネリアスという単語を聞いた瞬間、ライディーズの目つきが変わる。突然飛び退いて剣に手をかけて叫ぶ。
「クレネリアス!?貴様、帝国の人間だったのか!」
「やれやれまたか・・・。」
 ジェイズがつぶやいて壁にもたれかかる。どうやら傍観を決め込む気らしい。
一方、突然のライディーズの反応にスラッシュは自然に距離を取ってしまう。が、さすがに武器を抜くことはなかった。
「いや、だから俺は子供の頃に・・・」
 スラッシュは何とか彼をなだめようと事情を説明するが、全くの無駄だったようだ。
「黙れ!帝国の人間は殺す!」
 ライディーズは剣を抜き放ち、スラッシュへと襲いかかった。
 ジェイズは楽しそうにその二人を見つめている。ライディーズの抜き打ち際の一撃を何とかかわしたスラッシュは武器に手をかけて距離を取る。
「ちょっと待て、落ちつけ。」
「死にやがれ!」
 ライディーズは聞く耳すら持たずにスラッシュに斬りかかる。それをスラッシュが何とかかわしていく。いつの間にか回りには兵士や傭兵達が集まってきて、無責任にヤジを飛ばし、二人を煽る。
「ちょ、ちょっとライディーズさんやめて下さい。本気で殺す気なんですか?」
 事態をどうにか納めようと、ファーランは必死に二人へと声をかける。
「殺す気さ。あいつは昔クレネリアスの連中に両親と恋人を殺されてるんだ。」
 そのファーランにライディーズの代わりにジェイズが応える。かといって彼に二人を止める意志は見えなかった。
「そ、そんな・・・。」
 ファーランは困ったような表情で二人の顔を見比べる。
「やめて下さい!」
 やがて意を決したファーランが一触即発の二人の間へと両手を広げて飛び込んだ。互いに斬りかからんとした二人の動きが止まる。二人が剣闘士と剣士という剣の扱いに長けた者たちでなければ、逆に彼女の体が引き裂かれていたであろう無謀な行為だった。
「そこを・・・退け!」
 血を吐くような口調でライディーズはファーランへと言った。
「いいえ、退きません!二人とも武器を納めて下さい!」
「クッ・・・。」
 ファーランに真っ向から睨まれて身動きできないライディーズと、彼女の背の向こうで呆然としているスラッシュ。回りの野次馬も静まり返り、しばらく重い空気が流れる。
「・・・ライ、そいつはこの国の生まれだ。奴等とは違う。」
 やがてジェイズが口を開いた。
「・・・チッ・・・クソッ!」
 剣を床にたたきつけ、ライディーズは足音荒く去っていく。それに併せて集まっていた野次馬も散っていく。後にはスラッシュ、ファーラン、ジェイズの3人が残された。
「・・・この戦争がなけりゃ、あいつは今でも田舎の農村で幸せに暮らしているはずだったのさ・・・。」
 ライディーズの剣を拾い上げながらジェイズがつぶやく。また、ファーランがスラッシュに近付く。
「・・・スラッシュさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ・・・。それよりジェイズ、どうして俺の生まれがエルベランだと・・・?」
「あんたの出身などしらんよ。ただ、そう言わなきゃどちらかが死んでいた。」
 そう答えてジェイズは歩み去ろうとするが、ふと二人の方を振り返る。
「あんた、ファーランとか言ったな。」
 ファーランは少し首を傾げて、ジェイスを見る。
「ライには俺から適当に言っておこう。あんたはそいつについててやりな。」
「ジェイズさん・・・ライディーズさんの方、よろしくお願いします」
そう答え、ファーランはスラッシュに向き直り、にこっと微笑んだ。
「スラッシュさん、とりあえず、一息つきましょう。そのあとに、ライディーズさんとジェイズさんのところに改めていきましょう。 その頃には彼も落ち着いてるでしょうし」
 結局彼らはスラッシュとファーラン、ジェイズとライディーズの組に分かれて食事をとった。ファーランはスラッシュに積極的に話しかけているが、一方ジェイズとライディーズは黙々と出されたものをたいらげている。やがて食事を終えると、ジェイズはライディーズのカップになみなみと酒をついで、自分のカップにも注ぎ、それを一気に空ける。
しかしライディーズは黙って酒に映る明かりを見つめている。
「さっきは悪かったな・・・。つい、我を忘れた。」
 ライディーズが重い口を開いた。
「謝罪なら、俺よりもあっちの二人に言うんだな。特にファーランとか言うエルフの嬢ちゃんに。」
「ああ、そうだな・・・。」
 ライディーズはゆっくりと酒に口をつける。
「別に気にすることじゃねえよ。さっき、あの二人にもざっと話しておいた。同情こそすれ、根に持ったりはすまいよ。」
 黙々と酒を飲むライディーズのカップが空になり、ジェイズは酒壺から酒を彼のカップにつぎ足した。
「同情、か・・・。お前も俺に同情しているのか?」
「いーや、全然。お前の家族は今は亡く、そして今お前はここにいる。ただそれだけだ。」
「そうか・・・。」
 一気にカップを空け、ライディーズは席を立つ。黙って見送るジェイズ。ライディーズはそのままスラッシュに近付く。
「・・・さっきは悪かったな。」
 ライディーズが先に声をかける。
「いや、気にはしていない。こっちも軽率だった。」
 スラッシュはライディーズに席につくよう勧める。それを見てファーランがそっと溜息をつく。
「ファーランだったか、あんたにも悪かった。」
 ライディーズは席についた。
「いえ、もういいんです。何事もありませんでしたし。」
 ファーランはそう言って微笑んだ。
やがてライディーズとスラッシュの二人は剣についての話を始める。
自分とは縁のない話を始めた二人を、ファーランはほほえみながら見ていた。ふと、一人向こうで残ったジェイズを見やって手招きする。ジェイズはじっとこちらの様子を眺めていたが、ファーランと目があうと右手を挙げて応え、そのまま立ち上がって出口へと歩いて行った。
 その後、彼ら四人は馬屋に馬車の準備や小舟の手配をレムスンという備蓄担当の男の事務的な手伝いを借りて行っていたが、突然砦の警備を担当している詰め所へと出頭命令を受けたのだ。
何事かと思ったが彼らであったが、先の乱闘騒ぎについて詳しく聞かれた後、激しく注意を受けたのだ。
詰め所を預かる老齢の騎士から嫌みたっぷりにこれだから冒険者風情などは・・・から始まり、ルシニアの町の手前もあり今回は大目に見てやるが、今度問題を起こしたら砦から叩き出す、という言葉でしめられて詰め所から解放されたのだ。
彼らは威圧的な騎士らの態度に内心憤りを感じながらも、準備の再開を行うのであった。

シルバー・ダガー、レイ・ブラックウイング、アビス・ダークの三人が、武運を祈るチャック・アイギンに見送られて斥候へと旅だって一夜が明けていた。
3人は昨日のうちに混乱気味のカラの村を抜け、名も無き街道を北-クレネリアス領-へと馬を進めていた。
少し先をアビスが行き、その後でシルバーダガーとレイが馬を並べて進んでいた。
もとよりシルバーダガーに会話をする気はなく、またレイの方も話しかけるきっかけをつかめずにいた。
と、不意に黒いカラスが上空に姿を見せ、二度三度彼らの頭上を旋回したあとで魔術師の肩に止まった。
ある一定レベル以上の魔術師はみな使い魔といわれる動物を飼っている。いや連れていると言った方がより正確だろう。
彼らは本来は動物であるはずの使い魔に知性を与え、感覚を共有することが出来るのだ。
「ここから半日ほど行った森の中に家が一軒あるらしい。どちらの国の人間かは分からないが一つ見に行ってみるか?」
 そう言うとレイは再びカラスを上空に放った。
「そうだな。それにそろそろ街道から外れた方がいい時期だ。」  そう言うとシルバー・ダガーは先を行くアビスに追いつくべく馬の腹を蹴った。
3つの馬影が森の中に消えたのはそれほど後のことではなかった。 森は鬱蒼と木々が生い茂っていた。木漏れ日も薄く、太陽の動きすらも感じられぬほどの薄明かりであった。そろそろ昼にかかろうかという頃であった。不意に馬を止め、レイが叫んだ。
「敵だ、敵の斥侯隊だ。」
「どこだい?」
 そう言いながらアビス・ダークは指をならした。
「慌てるな、まだ先だ。この先の森の中の家を襲っている。」
「何の騒ぎだ?」
 レイの叫び声を聞いてシルバー・ダガーも馬首を返してやって来た。
「敵の斥候だそうで。」
 アビスが肩をすくめてそう言った。
「近くなのか?」
「この先の家を襲っている。」
 レイは興奮気味にそう答えた。
「非常の場合以外は大きな声を出すな。お前が思っているよりずっと人が発する音はとおるのだからな。」
 シルバーダガーは静かにしかし反論を許さぬ口調でそう言った。彼の声は非常に統制されており、おそらくレイの位置から数歩下がったら声とは分からぬ音となっているだろう。
「どうする、殺るのか?」
 アビスはそうシルバーダガーへと聞いた。
「・・・・・相手は何人だ?」
 シルバーダガーはそうレイへと尋ねる。自らの実力を過信し、死地へと赴くのは愚か者のする事なのだから。
「いいとこ4,5人だな。」
「見張りは?」
「いない、みんな”殺し”に夢中だ。」
「・・・いくぞ。」
 そう言うとシルバー・ダガーは馬を下りた。二人も馬を下り、彼の後に続いていく。
森の中を通る間道から外れて さらに森に踏み込んでいくとやがて樹木の間に丸太を組んだ家が見えて来た。シルバーダガーは手を挙げて二人を制し、自らは枯れ葉を踏む音すらさせず森の中の家へと近づいていく。 木陰から覗く彼の目におそらく家の者であろう老夫婦と息子であろう男達の屍が折り重なって倒れており、それを一人のクレネリアス兵が漁っていた。
その男以外あたりに人影がないのを確かめると、シルバーダガーは二人の所へと戻ってきた。
「レイ、あいつを黙らせろ。とどめはアビス、お前が。」
「わかった、中の連中はどうする?」
「あまり時間をかけるとまずい。近くに別の斥候隊がいるかもしれない。」
「不意をつけば家の中の奴らぐらいは二人でやれる。」
 シルバーダガーは彼のその名の由来となった古ぼけた、しかし手入れは十分にされている銀のダガーを抜いた。刃光りしないように薄く炭が塗られていた。
「しかし・・・・。」
「まずあいつからだ。それから見張りと、外の死体を始末しておいてくれ。」
 そのレイの言葉をシルバーダガーが遮る。相変わらず静かな、しかし威圧的な声だ。
「分かった。」
「雑魚ばっかか・・・やれやれだぜ・・・。」
 アビスは舌打ちこそしなかったものの、かったるそうにそうつぶやいた。
 レイが手を掲げて何やら呟くと外にいたクレネリアス兵はうっと低くうめくとそのまま前のめりに倒れた。
そこにアビスが素早く音も無く近寄ると止めを刺した。大きく息をつきレイが森を出た頃にはシルバー・ダガーもアビスも影のように家の中へと消えていた。
 家の中には3人の男達がいた。破壊と略奪の限りを尽くしたのだろうか、床一面に陶器の破片や木製の食器などが散乱していた。
そんな中で家中から探し出した少ない金目の物を誰がもらうかで酒を飲みながら言い争っていたのだ。
「な、何だ?おま・・・・・」
 シルバーダガーとアビスの姿に気づいた1人がそう声を上げたが、言い切ることは出来なかった。脇を駆け抜けたシルバーダガーが喉笛を切り裂いてのだ。
激しく血を吹き上げ、幼子が吹く笛のような耳障りな音を喉から漏らしながら男はどっと床と倒れ込んだ。
残った三人は慌てて武器を取るが、早々に1人が糸の切れた操り人形のように床へとだらしなく崩れ落ちた。
いつの間にか背後に回っていたアビスの短剣が正確に心臓を貫いたのだ。
仲間が次々と倒されたことで、残った1人は慌てて武器を捨てた。そして床に這い蹲って命乞いを始める。弱きには威圧的に強きには下手に出る、これがクレネリアス軍の下級兵士の実際の所だろう。彼らを戦場へと縛り付けているのは将の命令に従わなければ殺されると言う恐怖と黙認される敵に対する略奪と暴行への欲望だけなのだから。
「・・・・知っていることを全部話してもらおう。」
 シルバーダガーは静かにそう言った。
男は激しく首を振って頷き、彼の知りうる限りの全てを話し始めた。
先遣隊のカラの村襲撃の話を聞いたとき、アビスは眉をひそめてシルバーダガーを見たが、彼は眉一つ動かしてはいなかった。
そして話すことが無くなったのか、男は口を閉じ、不安と恐怖の混じった目でシルバーダガーを見た。
「5つ数えるうちに失せろ・・・・。1・・・・」
シルバーダガーはそう言って家の玄関の方を示した。 男は慌てて立ち上がり一目散に逃げようとするが、恐怖のために周りが見えなくなっていたのか仲間の死体に蹴躓いて転んでしまった。
「2・・・3・・・」
 無情にも数えるのを辞めないシルバーダガーに対し、ますます狂乱に陥った男は必死に立ち上がろうとするが、血糊で滑ってうまく立ち上がれなかった。ようやく立ち上がったものの、彼に残された時間はもう無かった。
「4・・・5!」
 シルバーダガーは手にしていた短剣をようやく立ち上がった男の背へと投げた。それは正確に心臓を貫き、男は再び血の海に倒れ絶命した。
シルバーダガーは静かに立ち上がると死した男へと近づき、短剣を抜いて血を払った。
「レイの様子を見てこい。」
 彼はアビスにそう言うとそのまま外へと向かう。
− 助ける気は毛頭なかったみたいだな。
 アビスはおもしろそうな視線で彼を見送った。そして彼自身も家を出るべく玄関へと向かう。もちろんクレネリアス兵の懐と床に散乱していた物を拾うのは忘れなかったが。
レイが何とか死体を馬小屋へと移動し終えたのとアビスが家から出てくるのがほぼ同時だった。
「こっちは片づいた。”銀の嵐”の話は嘘じゃないな。闇夜に襲っても逆に返り討ちだぜ、あれは・・・。」
 アビスは物騒なたとえを持ってシルバーダガーの腕を説明した。
「しかしまずいぞ、シルバー・ダガーがはかせたヤツの話によると敵は別動隊をカラの村に向けて準備中だ。 皆殺しにするつもりらしい。」
「そうか、じつはこっちもやばい話があるんだが・・・・。」
「なんだい?」
 アビスは全然深刻そうに聞こえない口調でそう尋ねた。
「実はもう一つクレネリアス斥候隊らしき一団がこちらに向かっている。」
 烏の目を通じて見たのだろう、レイはそう答えた。
「おいおい、まじかよ。やれやれだぜ。」
 また息を一つついてアビスはそう言った。
「いつここに現れる?」
 その二人の背後からいつの間に戻ってきたのかシルバーダガーがそう声をかける。
「あ、ああ、ここに通ずる森の間道を進んできているから30分ほどでつくだろう。」
 驚いて振り返ったレイだが、シルバーダガーの姿を確認するとそう言って家の前から続く道を示した。
「逃げるのか?やるのか?」
 先ほどの彼を見ているせいか、おもしろ半分と言った声でアビスはシルバーダガーへと尋ねた。
「先の奴が命を賭するほどクレネリアスに忠誠を誓っているとは思えないが、情報は確かな方がいい。」
 幾分嘲笑気味にシルバーダガーはそう言った。
   「アビスはこちら側の木陰に潜め。俺は反対側に潜む。レイは適当に隠れて敵が見えたら魔法・・・そうだな、”眠りの雲”あたりか、そのあたりをかけてくれ。」
「ああ、わかった。」
「魔法ねぇ・・・俺達を巻き込むなよ。」
 アビスのその軽口を合図に3人は、それぞれの持ち場へと散った。  クレネリアスの斥候の一団は1人の騎士と、4人の兵士の一団だった。だが闘いは一瞬だった。 レイの”眠りの雲”の魔法により兵士の半分が眠りに落ち馬もまた騎乗中の騎士を投げ出して眠りに落ちたのだ。突然のことに混乱した残りの半分の兵士を二人の盗賊の短剣によって絶命させられ、それで終わりだった。
眠りに落ちた兵士もとどめを刺され、騎士の方も落馬の際激しく地面に叩き付けられ意識が朦朧としてる間に武器を取り上げられ、縛り上げられたのだ。
 この騎士もどうやら忠誠心は母親の胎内に忘れてきたようであった。自らが敵の手に落ちたことを知ると、情報と生命との交換を申し出たのだ。シルバーダガーはしばらく考えていたようだが、やがて敵騎士の申し出を了承することにした。 とりあえずカラの村への先遣隊の話は本当らしいということを確認すると、シルバーダガーは敵騎士に猿ぐつわを交わせ、後頭部を殴って気を失わせた。
「これから斥候の方はどうするので?」
アビスは文字通りお荷物になった敵の騎士を見ながらシルバーダガーへと聞いた。
「ここで終わりだ。こうも敵の斥候と遭遇ばかりしていてはどのみち本隊近くまでたどり着けまい。」
 シルバーダガーはそう言った。まだ敵の本隊とは数日の距離があるはずである。それなのに短期間で二度までも敵の斥候と戦闘を行う羽目になるとはさすがに思っていなかったようだ。事実アギウスは常時200人の斥候を前方へと送り出しているのだ。
どうやらシルバーダガーも”血塗れの将軍”の事を見くびっていたのかもしれなかった。
「本隊の構成ぐらいは見ておきたかったがな。」
 しかしシルバーダガーの方もまた未練が無いと言えば嘘になるだろう。思わず漏らした言葉にそれがにじみ出ていた。
「・・・・見るだけなら何とかなる。私にはもう一対の目があるのだから。」
 そのシルバーダガーにレイがそう答えた。
「そうだな。お前の使い魔のことを忘れていた。早速向かわせてくれ。」
 心の中で苦笑しつつシルバーダガーはそう言った。
「もう向かわせている。」
 レイのその答えに対し、シルバーダガーが軽く頷く。
「とりあえず、ここを離れようぜ。いつまた敵と鉢合わせるかも分からないからな。」
 不意にそう思い立ったのかアビスがあたりをきょろきょろと伺いながらそう言った。
「そうだな。」
 気絶した敵騎士を彼の馬へと乗せ、シルバーダガーらは自分らの馬のいる場所へと戻るのであった。
 結局レイの使い魔である烏が敵の本陣らしき場所までたどり着いたのはそろそろ日も暮れようかと言うところであった。だが何とか敵の姿が判別できるほど太陽神の残滓が残っていたのは幸いであった。
敵の本隊の大体の構成を確認すると、シルバーダガーらは、一路進んできた道を戻り始めた。ルクスの砦を目指して・・・・

 ルクスの砦のランケストの執務室にほど近い一室で、流れ参謀リューン・リュネイルは机の上に広げられたこの辺りの地図を穴があかんばかりににらみつけていた。
彼の頭の中では、戦場での敵味方の動きがいくつもの可能性という分岐点を経て、シミュレートされていた。時折あーでもないこーでもないと漏れる言葉と羽ペンで紙に書き殴るほかはじっと思考の海の中に浸っていた。
「敵味方の戦力比が10倍あるとはいってもこちらは砦にこもるわけだからな、一週間やそこらは持ちこたえられるだろう。もっとも糧食の持つ限りだが・・・・。」
 今日もランケストとの打ち合わせを終えて執務室を辞した後、自室に戻ったリューンは退却・防衛の両方の可能性を考えていた。
クレネリアス軍は10倍の兵力とはいえ、その全軍をもって攻撃できるわけではない。また、数の上での優位から生まれる隙や油断も考慮にいれると、コロムの町からの援軍到着まで持ちこたえることも不可能ではないという気がしていた。
「あるいは、予定通り退却するとして、敵が砦を攻略するのにかかる時間・・・おとりとして砦を使うには・・・・・・!?・・・待てよ、こっちが砦にこもったからといって、敵が相手になってくれるとは限らないぞ。無視することはないにしても、1割の兵力を民間人の追撃にまわしたら・・・まずいな。」
 こつこつと神経質に机を叩きながらそう呟いた。敵がこちらに集中してくるのならまだいい。しかしこちらの脱出の可能性を見越していた場合、やっかいなことになる。
敵は兵力の1/10だけを割いて別行動をさせればいいのだ。それだけで十分な兵力になるからである。
− アギウスがこの事に気づいているかどうか・・・
 血塗れの将軍がこのことに気づいているかどうか、リューンは相当危険な賭に手を出さざるを得なくなったのかもしれなかった。

 ユウというハーフリングの少年がルクスの砦にいついて3日目を迎えていた。好奇心の固まり・騒動の源・無責任をもって代名詞とされるハーフリングに取ってこの砦の一室に押し込められるのはあまりに刺激がなさすぎた。いや、一般人にとっては戦争前の砦など刺激がありすぎて困るというものだが、彼はハーフリングである。故に常人が満足するような刺激ではすぐに物足りなくなってしまうのだ。
「暇だ。暇だ。暇だ〜。暇すぎて死んじゃうよぉ。」
 部屋中をそう言って転げ回ったユウはついにディナとの約束を破ることにした。つまりこの僕が帰ってくるまでこの扉からでないでねというハーフリングには実に守るのが難しい約束だった。
結局ユウは窓から部屋を抜けだしひょこっと砦の厨房に顔を出してディナに砦内を案内してくれるように頼みはじめた。
「ディナ〜、今暇?暇?暇?」
 うろちょろとディナにまとわりつきながらそう言いつづける・・・のはいいが、ここは戦のように忙しい厨房である。特に四六時中砦の補修等で人間が起きている今はまさしく修羅場であった。しかしユウにとってまったく場所・時間・状況などまったく関係ないようであるが、当然厨房長のラオに怒られてしまった。
「ユウっ!そんなに遊びてえんなら一人で行ってこいっ!ディナは忙しいのがわかんねぇか?」
 ぬっと顔を突きつけられて唾をとばしながら怒鳴るラオには一種逆らいがたい迫力がある。もちろん砦の兵士達の胃袋を担っている自負が厨房にいる誰に対しても妥協を許さない結果となって跳ね返っている結果なのだろうが・・・。
「おっちゃん、ディナが忙しいのは・・・」
 しかしラオのそんな自負などユウの前では全く無価値だった。なぜなら彼はハーフリングであるからだ。自らの心のままに行動するハーフリングに”責任”などという言葉を教えようと言うのが間違いなのだ。
「俺は"おっちゃん"ではなく"ラオ"だ。ら・お。」
 こつんとユウの頭をこずいてラオが言う。彼は根本的に悪人ではない。その証拠にこの忙しい中ユウを無理矢理外に叩き出そうとはしないのだから。
「じゃ、ラオ〜。ディナが忙しいのはおいらが手伝えば忙しくなくなるのか?」
 相手がそう名乗ったばかりなのにまるで10年来の知己のように、はたまた親戚のおじさんに話しかけるような口調でユウはそうラオへと尋ねた。
「まぁそうだけど・・・お前手伝えるのか?」
 ぐっとぶっとい腕を組み、ラオはそうユウへと尋ねた。
「おいら昨日手伝ったのをもう忘れたんかい?おっちゃんも歳だね〜♪」
 まるで歌うようにユウはそう言った。ころころという笑顔が愛くるしい。
「昨日・・・」
 ラオはそう言ってうなった。確かに昨日ユウは厨房を手伝った。だが、それ以上にエールをしこたま飲んだ事をラオは思い出した。もちろん初めは一杯だけの約束だったのだが、ハーフリングにその手の約束をする無意味さをラオは学んだと言うことを付け加えておかねばなるまい。
「そぉいや、ユウ。宿酔いはしないの?昨日あんだけ飲んでおいて・・・」
 脇からディナがそう口を挟んだ。昨日のその場には彼もいたのだ。そして酒樽と言われるドワーフとはまた違った意味でいったいこの体のどこにあれだけのエールが入るのだろうと不思議そうに見ていたのだ。
「宿酔い?そんなのするわけにゃいだらう〜♪おいらはハーフリングだぜぃ♪遊びに関係する事は、滅法強いに決まってるじゃん☆」
 どこからともなく取り出したハープをぽろろんと弾きながら、ユウは明るくおどけてその場でくるくる回りながらそう答えた。
「なんか・・・説得力あるような無いような答えだね。」
 笑いながらディナが言う。と、言いながらもしっかりと仕事をしているあたりは、彼の真面目さが伺える。ところだろう。
「あーゆー報酬があるのなら〜♪おいらはいつでも手伝うよん♪」
 最後ポロロンと弦を弾く。
「いや、お前の手伝いはよーっくわかった。まぁ・・・ディナ。今日はもう休んでいいからユウの案内でもしてやれや」
 ただでさえ残り少ないのにこれ以上エールを飲まれてはたまらないと言った感じでラオはそう言った。
「ラオさん。一応僕の分の皿洗いとか材料切りは終りましたから・・・今日はちょっと休ませてもらいますね。じゃ、ユウ。案内してあげるから行こ☆」
 エプロンで手を拭きながらディナが言う。待ってましたとばかりにユウはディナの手をとって厨房から出て行く。
騒々しい嵐が過ぎ去るのを見届けて、ラオは大きく息をついた。まったくハーフリングと付き合うと調子狂うな、と言わんばかりであった。
 ディナはいつも自分が行くような所をいろいろとユウに紹介してまわった。もちろん砦の補修をする兵士達や見回りの傭兵達、果ては砦に避難してきている人たちの邪魔にならないようにであるが。
最後に訪れた食堂で、暇そうな若い兵士達は見たことのない亜種族に対し興味を持ったのか、ユウの不躾な質問にも嫌な顔一つせずに、むしろ楽しげに答えてくれた。
「じゃあ、この砦はある程度の兵力に耐える事は出来るんだね♪」
 テーブルに半分のっかかる様にしてユウは好奇心一杯の視線を反対側の兵士達へと向けていた。
「もちろんだとも!砦自体の造りはもちろんだけど、なんてったって守備体長はランケスト様だぞ!あの方が指揮されるんだから全然大丈夫に決まっているじゃないか」
 兵士達の方はさも当然だと言わんばかりであった。確かに城責めの場合、責めての方が圧倒的に不利である。この堅牢な砦ならば数倍の敵の攻勢にもかなりの時間持ちこたえることは出来るだろう。
「でも、敵はかなりの数って聞いたけど・・・」
 逆に厨房でさんざん噂話を聞かされているディナは不安の色を隠せない用にそう問うた。
「うーん。ま、大丈夫じゃないのか?なんてったって無敵のランケスト様だしぃ〜♪」
 ユウはそうおどけた調子でディナへ答えた。本来ならば血気盛んな兵士達に怒鳴られてもしょうがないような態度なのだが、やはりハーフリングという種族の成せる技か、笑いを得たのみで済んだ。
「じゃ、兄さん達頑張ってね♪もし、なんかあったら呼んどくれよ♪ハープを弾くか踊る事ぐらいしかできないけどさ〜♪もちろんおひねりはもらうけどね♪
と、相変わらずおどけた調子でユウが言う。
「今日はどうもありがとう御座いました」
 その隣でディナがペコリと頭を下げた。そして二人の少年は兵士達の食堂を後にする。
そんな二人を兵士達は暖かい目で見送ってくれた。

 傭兵達の食堂の片隅でアッシュはじっと宙を見つめていた。何かを見ているわけではない。じっと自らの思考に沈んでいるのだ。
− どうやら、砦の傭兵の古株が斥候を募集していたようだが、まあ俺にはは関係無い話だったな。さて奴らも旅だって二日目、どうなっている事やら。
 アッシュは口の端に薄い笑みを見せた。有名な冒険者であり盗賊であったシルバーダガーのお手並み拝見と言ったところだろうか。
だが彼自身エルベランの傭兵となっているが、それはエルベラン側についたと言うことではなかった。彼に敵味方も無いのだから。
− さて、そろそろアギウス将軍の技量を見物といこうか。
 アッシュはそう言うと立ち上がった。すでに見張りの方は3日ほど代わりを頼んでいた。 時々ある点呼も何とかごまかしてくれるだろう。
彼はそのまま食堂を抜け、そして何事もないように砦から抜け出ると、密かに連れ出していた馬にまたがり一路東を目指して駆っていった。

 カラの村の雑貨屋“ラティの店”ではおかみさんが荷造りに余念が無かった。この家にあるもの全てを持っては行けない。必要最小限なものを選んで、そこからさらに本当にいるものを選び抜いていった。思い出を捨てていく辛い作業であった。
一方ルーリエの方も家中の最後の掃除を行っていた。物心ついたころから、この村でこの家で暮らしてきたのだ。沢山、本当に沢山お世話になった家をこれっきりで出ていくのは忍びなかったが、家ごと持っていくわけにもいかない。だから最後にと掃除をしたのだ。感謝の意を込めて。そしてきっとまた帰ってくるからと、自分に言い聞かせながら。
「ルーリ、そろそろ行くよ?」
 ようやく荷造りが終わった母は娘へとそう声をかけた。
「はーいっ」
 おかみさんとルーリエはそろって家を出た。
 ドアに鍵をかけなかった。家の裏にある雑貨屋の在庫の入った倉庫にもである。ひょっとして、鍵が掛かっていなければ、クレネリアス兵に家を壊されたり腹いせに火を付けられたりすることもないかも知れない。そんな淡い本当に淡い期待から、出ていく村の者は皆もそうしているようだ。きっと無駄なことは誰もが承知。それでも、戻ってきたい思いは誰しもが持っていたから。
また村人達の貴重な財産である家畜達は野に放たれた。砦へは連れては行けない。そして家畜は野生では生きていけないかもしれない。しかし小屋に繋がれたまま敵兵達の殺戮に任せるのも忍びなかったのだ。
 ドアを閉め、休業の張り紙をして、2人は顔を見あわせると、家に向かって「今までありがとう」とお礼を言った。そして待ち合わせ場所である村の広場へと足を向ける。何度も、何度も家の方を振り返りながら・・・・
広場には砦に向かう住民達が続々と集まってきていた。ルーリエとおかみさんの二人はそこに小さな荷車をロバに引かせながら合流する。
その場には昨日この村へとランケストの書を持ってきたギアというハーフエルフの姿もあった。本来なら昨日のうちに砦に戻ってしかるべきだが、道中村人が危険にさらされでもしたら申し訳ない、というので一晩宿屋で明かしたのだ。
だがどういった訳か彼は子供達になつかれたらしく、自分の回りを走り回る子供達に対し目を白黒させながら、それでも一生懸命相手を努めていた。
 しばらく村人達は雑談をしたりしていたが、これ以上人が集まらないのを見ると砦へと向けて出発をした。数十名の大集団であるがさすがに皆、表情が重くそして堅い。鉛の足かせがはまっているような重い足取りで、一行はゆっくりと村を後にした。
 近所のおばさんおじさんや、友達に挨拶しながら、荷馬車と同じ速度でゆっくり歩くおかみさんにルーリエは話しかけた。
「ところでおかあさん、何を積んできたの?」
 荷馬車の荷物を示してルーリエはそう尋ねた。
「なあに、これから砦が必要とするだろう非常食類や薬草、毛布にロープ、色々だねぇ。兵士さんが大好きなエールも積んだよ」
「装飾品とかの在庫は?」
「あんなもの、食べれないだけじゃなく、たくさんあったら逃げるときに邪魔よ。まあ、少しは持ってるけど、残った村の人とか、血だらけの将軍閣下に差し上げよう。大したもんじゃないけど、先のとがったものも多いから、少しは将軍閣下も自分の血を見るかも知れないしねぇ」
 おっとりとそう言ったおかみさんの周りから、かすかに笑い声が起こる。堅かった皆の表情が少しずつ溶けていった。

 あたりに砦を補修する鎚の音が響く中、チャック・アイギンはルクスの砦の東の門で東へと旅立とうという一団を見送っていた。
− 昨日シルバーダガー達を見送ったというのに今日もまた旅立つ者がいるとは・・・
 チャックは悪との闘いを真実とする自らの神に問いたくなった。彼らの闘いは果たして真実なのかと。無論神は答えてはくれないだろうが。
 1人悩むチャックの前で、カラの村人の避難を擁護すべく向かう5人の冒険者達がまさに出発しようとしていた。なぜ5人なのかというと今朝からジェイスの娘であるセミットというハーフエルフの女性が強引にこの救出作戦に合流していたのだ。
この依頼の主である、ルシニアの冒険者ギルド長であるハンクは勿論やって来て冒険者達に期待しているぞと声をかけて回った。その他にも、おそらくこの辺り出身だろう兵士達も何人かも集まってきて荷物を荷馬車へと積み込んでいるスラッシュ達をじっと見ていた。
やがて準備を終えた彼らは、ハンクの前へと集まる。
「それでは、行ってきます」
「うむ、頑張ってくれ。」
 荷馬車の後ろにセミットと並んでちょこっと座ったファーランの歌にあわせ、スラッシュ達はカラの村に向かっていった。
一台の荷馬車と2頭の馬は5人を乗せ、名も無き街道を一路東、カラの村へと進んでいく。
炎の季節はもう終わりと言っても、照りつける日差しは未だ暑く、しかし草原を吹き抜ける風は、実りの季節を感じさせる涼しさを含んでいた。
途中、女性や子供を含む数十人の一団とすれ違った。馬の足を止めて話を聞くと驚いたことになんとカラの村から避難してきたのだという。そしてさらに驚いたのは異種族には滅多に姿を見せない有翼人の少女がいたことであろう。
 カラの村のことや、有翼人の少女の事の詳しい話を聞こうとしたのだが、態度があからさまだったためか、逆にクレネリアスか人狩りの一味ではないかと、勘ぐられる始末であった。彼ら以降にはもう避難する者は来ていないことと、30人程度がまだ村に残っているという話を聞くのがやっとだった。
スラッシュら一行は、村人達の姿が小さくなるまで見送った後、再び東へと馬を進めた。
 いつの間に寝入っていたんだろうか、御者台に座って風景を眺めていたはずのそのエルフの少女は、うっすらとその目を開け、一つ伸びをし、隣りに座っている男の方を見た。
「う・・ん。私、どのくらい寝てました?」
 スラッシュは、顔を向けるのは少し気恥ずかしいのか、自分が扱っている馬の方を向いたまま、エルフの少女に話しかけた。
「起きたのか。ファーランさん。半時か一時か・・・カラの村まではまだある。もう少し寝てたらどうだ」
 ファーランは少し考えているようだったが、遠くを、少し寂しげに見つめながらこう答えた。
「そうですね・・・・でも本当に奇麗ですね。私、こんなふうに草が風に揺れながらきらきら輝いているって、本当に好きなんです。・・・こんな素敵な場所がもうすぐ戦場になるなんて信じられません・・・」
 自然を愛する妖精の一族であれば当然の言葉かもしれないが、ファーランの口から出ると、それが本当に切なく感じられるから不思議だ、とスラッシュは思った。
「そうだな、だが、そうやって流されるであろう血を少しでも少なくするのが、俺達の役目だ」
「そうね。頑張らなくては・・・」
 ファーランはそう呟いた。果たしてそれは自分に対していったのか、スラッシュに向けていったのか・・・。
2つの馬影と1つの荷馬車は5人をのせ一路東、カラの村へと向かって進んでいった。

 ルクスの砦の城壁の上に傭兵になり立てのミナイ・ラキアの姿があった。つまらなそうに西の地平を眺める彼も気持ちも分からなくはない。
もともと見張りは傭兵達の仕事ではないのだ。だが正規兵達は砦の補強及び補修に追われているいまはしょうがない事なのであろう。
そんな思いが自然と愚痴となってこぼれていく。
「くぅ、こんな砦に10倍なんてつれてくんなよ、アギウスのおっさんはよぅ。しかし、なんやてむかつくなぁ。人を威嚇するようにトロトロしくさって。いっちょ、あいつの鼻毛ひん抜いたろか。」
 その機会が実際にあったとしてもおそらく出来そうにもないことをラキアはそんな事を呟いた。
まだ暑い日差しが彼の忍耐力をも溶かしていくようであった。
「こんなとき、砦に備えるもんいうたら、油と火か。そばに湿地あるから、そんなには燃えんとは思うが沼に油が浮かんでるいうのも楽しそうやな。」
 くくく、とアギウスが火だるまになっている所を想像してラキアは忍び笑いを漏らした。
「それにしてもなにが、血塗れの将軍やねん。単なるサドやんけ。」
 日が強くなるに連れ、だんだんと愚痴はエスカレートしていく。
「絶対に、つかまらんようにせなあかんなぁ。捕虜になるぐらいやったら死んだ方がましちゃう?おっさんに死ぬまでいたぶられる思うだけでムシズが走るわ」
 自分がそうなった状況を想像して身震いをひとつすると、ぶるぶると首を振った。彼はマゾでもなければ、忍耐強い方でもないのだから。それに基本的に拷問などという陰湿なことは嫌いなのだ。
「そうそう、この間のカワイイエルフのねぇちゃん。絶対に守ったらなあかんやん。男が拷問されんのも虫がすかんけど、可愛い娘やったらよけいひどい目にあわされるに決まってるからなぁ。なんせ、皇帝からしてエロおやじやねんからな。」
 この国の美姫を手にいれんとしてクレネリアス皇帝が戦を起こしたのは有名な話であった。特に当事国であるエルベランでは嘲笑を持って語られる笑い話であった。
「カラの村に村人助けにいったそうやけど、そのまま一緒に安全なとこおってくれよ。俺もぜってぇ生き延びて再会するんを楽しみにしているで。」
 ラキアが森妖精の少女の顔を思い出してそう固く決心した瞬間、ぱこーんという軽快な音が彼の後頭部から発せられた。
「おつ〜〜。なにすんねん?」
 後頭部を抱え涙を浮かべた目で彼は突然自らをしばいた奴を見た。彼と組んでいる年輩の傭兵であった。
「さっきからやかましい!もう少し静かに見張りくらいできねぇのか?」
 日焼けしたごつい顔をラキアへと近づけてそう怒鳴った。そう彼は1人で見張りをしていたわけではなかったのだ。
「え、えろうすんまへん。」
 ラキアは慌てて立ち上がり、直立不動で西の地平を見やった。年輩の男もむすっとした顔のまま少し離れた自分の位置へと戻っていった。
その背中にラキアが舌を出したりしていたのは言うまでもなかった。

 今日の朝にカラの村を旅立った一行がルクスの砦にたどり着いたのは、そろそろ夕刻も近づこうかという頃であった。
ランケストの命を受けていたので、すぐさま十人程度が砦から飛び出してきて、村人達を手際よく砦へと導いていった。
だがむろんこのまますぐに砦内への自由を許されるわけではなかった。クレネリアスの密偵が居るかもしれないからだ。
彼らは簡単な身分照会をされた後、何人かずつのグループ、なるべく村人達の意見に沿うように分けられ、彼らの仮の住居となる大部屋へと連れて行かれた。
親類や知己など頼る者がある幾人かは明日砦を経っていくことになった。その他の者はここでランケストの命があるまで過ごすことになるはずであった。
 部屋へと荷物を運び込む前に、ラティの店のおかみさんはさっそくエールを砦に献上した。
「まあ、そんなにいいエールじゃないからねぇ。お偉いさんに言うほどのことじゃないよ。皆さんで飲んだらお終いだねぇ」
 もっともこんな事を言いながら調理場に持ち込んだので、“兵隊さん”よりも“下働きの皆さん”に飲まれてしまったようであったが。
 ルーリエは、初めは傭兵や旅人達など、普段見慣れない人が大勢いたので戸惑ってしまい、しばらくは不安そうな表情でおかみさんの後ろから離れなかった。
 だが、やがて村から来た老人や小さい子の世話などをする手が足りず、彼女は必死に砦を文字通り飛び回ることになるだろう。
ここは辺境であり、そして戦場にならんとしているのだ。働ける者は働かねばならなかった。
 こうしてルーリエ達、避難してきたカラの村人の運命は砦に、ランケストの手に託されたのだった。

 失われた魔法を探し求める市井の魔術師、ビア・エターナがルクスの砦についてからいったい何日が過ぎたのだろうか。クレネリアス領へは行けない、かといってエルベランへと戻るのもどうかと思っていた。
もちろん戦を前にした砦の状況を観察するということに知的好奇心を刺激されたのも事実であるが。もちろん部外者だからこそこんな事も考えたり出来るのであるが。
彼は今日もまた傭兵用の大食堂で杯を傾けながら、あたりの人間の話を何気なく聞いていた。シルバーダガーらが斥候に出ていることや、カラの村人の避難を手伝うために5人の人間が旅立っていったことなどが人々の口の端にのぼっていた
− 戦とは愚かですね。あんまり深く関わりたくはないけどこのままここでじっとしていても退屈だしどうしようかな。
 ビアはそんなことを考えながらさらに杯を傾けていく。この数日になじみになった傭兵達が彼に挨拶したり、一言二言言葉をかけて行く。
− さすがにそろそろ、酒を飲みながら経過を観察しているのにも飽きてきたし何か自分の魔法が役に立つ仕事はないかなぁ。出来れば安全な奴・・・
 ビアは空になった酒壺をそのままにして立ち上がりそんなことを考えながら、傭兵部隊の元へ何か自分で出来ることはないかと聞きに行くために食堂を後にした。
 魔術師と言うこともあってか傭兵隊の人間もかなり丁寧に接してくれた。いかなる者にせよルーンマスターは貴重な戦力にあるのだから。
彼は望むのならば傭兵隊の一員となってくれないか、という誘いを受けた。この砦に必要なのは戦える人間なのだから、という言葉と共に。
 ビアは明日、返答することにして今日は部屋を辞することにした。

 街道から離れたところを行く一つの影が会った。彼の名は”ハイエナ”ジギー。ルクスの砦の傭兵であった。彼はルクスの砦の長、ランケストの命を受け、今は1人カラの村を目指して進んでいた。
 近い将来無人となるはずのカラの村に潜み、来るべくクレネリアス軍の後方を攪乱する命を受けているのだ。
彼の目指すカラの村はもうすぐそこであった。彼は日が暮れるまでしばらく近くの丘の影に身を潜めることにした。
 太陽が西の地平へと沈むまで、ジギーは時折カラの村を見張っていた。彼の目から見ても村人はほとんど外に出ず、異様なほどに静まり返ってみえた。
− 死を間際にした村か・・・・
 ジギーは鼻をこすりつつ、そんなことを考えた。そして日が完全に落ちたのを確認すると目星をつけて置いた村の一番はずれにある納屋へと足早に消えていった。

 昨夜の精神を害されるようなアギウスとの会談で、条件とこぶつきとはいえ、先遣隊の命を受けたクリムゾンは昨夜のうちに準備を整え、今朝早くからの出立となった。
クリムゾンはまだ朝靄の残るうちから起き出し、行軍のための最終のチェックを行っていた。20名の部下は自分の子飼いの連中で固めたし、食料その他も巧く備蓄部隊から持ってこれたし、出立の準備は万全であった。
ただ一点を除いては・・・
 アギウスがクリムゾンに与えた3つの約定のうち、もっともうざったいものがお目付役の同伴であった。
その男が約束の時間からだいぶ遅れて、クリムゾンの待つ野営地の西の見張り所前へと姿を見せた。もちろん20名の部下を引き連れて、である。
もちろん約束の時間に遅れた事など意にも介さずに来るなりクリムゾンへと口を開く。
「栄光あるアギウス様のお顔に泥を塗るような事無く、しっかり励めよ。ちゃんと見ていてやるからな。」
 虎の威を借る狐、とでも言うのだろうか、ヴェルギウスはアギウスから与えられた初めての指名での命令にすっかり有頂天になっているようであった。
「分かっているよ、アギウス様のお役に立ちたいからわざわざ志願したんだからな。」
 感情を押し殺し、結果としてぶっきらぼうな口調でクリムゾンはそう応えた。その口調にクリムゾンを格下とみているヴェルギウスはかちんときたらしい。
「貴様ぁ・・・その口の効き方はなんだ?私は栄光あるアギウス様から直接命を受けて貴様の働きを見てやっているのだぞ?」
 もっともらしいことを嫌みったらしくヴェルギウスは半音高い声で言った。
− はぁ?・・・こいつ後ろから斬り殺してやろうか?
 クリムゾンは内心物騒なことを考えながらも表情は神妙なものを作る。
「傭兵なぞ、金で命を売る下賤な輩ではないか?私は”東の盟主”クレネリアス帝国の男爵を父に持ち、また栄えある帝国騎士なのだぞ?もっと口のきき方をわきまえんか!」
 クリムゾンが黙ったのを見て得意満面の表情でさらに続ける。クリムゾンはうつむいたままでじっとそれを聞いていた。
アギウスの彼を人間として認めていない視線と比べればこれくらいの戯れ言は言うに任せておけばいいのだ。
ヴェルギウスは自らの家名の高貴さと傭兵の下賤さとを延々と講釈するのを有様であった。
− でもやっぱいつか殺す・・・
 しかしくだらぬ事だと分かっていてもやっぱりむかついてしまうのはしょうがないことだろう。
「もうしわけございませんねぇ、ヴェルギウスどの俺達は下賤な輩なもんでこれで精一杯なんですよ。」
 クリムゾンは隙を見て全然敬っていなさそうな口調でヴェルギウスへと言った。
「きっ貴様・・・まあいい、下衆に何を言っても仕方あるまい。」
 大声を張り上げようとしたヴェルギウスだったが、ふと思い直し逆に気色悪い笑みを浮かべながらそう言った。
「まあ、地位が高くても実力がからっきしの奴らよりは実力のある下賤のほうがましですがね。」
 クリムゾンの方もかちんときたのか逆に意地の悪い言い方でそう呟いた。
「・・・・おい、赤毛!私を愚弄するつもりか!!」
 まるで視線だけでクリムゾンを殺さんばかりに睨み付けた。彼は人を卑下することには慣れていても人に馬鹿にされることには慣れていなかった。しかもその手合いに限って馬鹿にされることには敏感なのである。
「は?副官殿は実力がからっきしなのですか?俺はそういうやつもいる・・・と一般論を言っただけなんですがねぇ。」
 心外だといわんばかりの表情と口調でクリムゾンはそうすっとぼけた。
「ぐっ・・・馬鹿を言うな!くだらん事を言っている暇があったらさっさと出発しろ!」
 のれんに腕押しと見たのか、ヴェルギウスはそう言うとさっさと自分の部下の待つ場所へと戻っていってしまった。
「了解です、ヴェルギウスどの。」
 クリムゾンは形だけの騎士の礼をすると、自らの部下達にカラの村への出発を命じた。
先遣隊の行軍速度は初めの頃こそ急いでいたが、いつしか本隊同様遅々としたものとなっていた。
初めの方は追いついていくのがやっとだったヴェルギウスらは行軍が早すぎると文句を言っていたが、逆に遅くなればなったで今度は遅すぎる、と不満をもらしはじめる有様だった。
クリムゾンとヴェルギウスは、先遣隊の中央でずっと不毛な嫌みの応酬を繰り返しながらも行軍自体は止まることなく続いていた。
「もっといそがんか。アギウス様は首を長くしてお待ちかねなんだぞ。ちんたらちんたらと行軍しおって。これだから傭兵など軍紀の無いならず者どもはこまる」
 何度目であろうか、ヴェルギウスはまたそんなことを口にした。無論となりを行軍中のクリムゾンに対して言っているのである。
「しかたねぇだろ、あの荷車がとろいんだからよ。」
 クリムゾンはそう言って行軍の最後尾近くを行く数台の荷車を示した。
「あんな空の荷馬車などそこらに捨てていけばよいであろうが!」
 ヴェルギウスはいらだたしげにそう叫んだ。彼の頭の中はアギウスに認めてもらいたいことで頭がいっぱいなのだ。
「・・・馬鹿かあんた、あれがないとどうやってカラの村から作物を奪って帰るんだよ?」
クリムゾンはおもわずそう口にしてしまう。本来なら糧食の大切さも分からないのか?このうすのろが、と怒鳴りつけてやりたい所だった。
「貴様!傭兵の分際でアギウス様より命を受けた私に意見などしようと言うのか?」
 ヴェルギウスの方はまた声をあらげはじめた。男爵とはいえ貴族の家に育ってきた男である。そしてクレネリアスで貴族の位は絶対であるのだ。自分より高位の者には媚びへつらい、低位の者には強く出る、と言うのが当たり前であるのだ。
「とんでもない、俺はアギウス様のためを思って言ってるんだよ。今カラの村はちょうど収穫期だ、大量の穀物があそこに眠ってるんだぜ?お宝をみすみす灰にするよりは、アギウス様のためにも丁重にいただいてきた方が喜んでいただけるだろ?」
 クリムゾンは馬上でおどけた風にそう言った。
「む・・・私も今ちょうどそのことを考えておったのだ、貴様に言われるまでもない!わかったか、赤毛!」
 クリムゾンに言われて少し考えた後、ヴェルギウスは逆にそう言い放つ有様であった。自分の都合の悪いことは忘れる。そして相手の言ったことをさも自分の考えの様に言う。特権階級の悪しき癖であろう。
− はぁ〜っ、ほんの2、3分前と言ってることが違うじゃねぇか・・・・。
 心の中で大きくため息をついた後、そうそうにこの不毛な会話を理由を付けて切り上げ、今彼らのゆく”名も無き街道”ののびる先をじっと見つめた。この先に彼らの目指すカラの村があるはずであった。
 結局この日は少し早めに宿営地を設立した。さすがに本隊のように立派な宿営地は作れないので、街道から少し離れた場所に簡単な柵とこれまた簡単な壕をつくりその中心に天幕をいくつか張っただけのものであった。
これまた簡単な食事を傭兵達が作り、それを不満たらたらでヴェルギウスら一行は平らげた後、見張りを傭兵らに命じて自分たちはとっとと自らの天幕へと引っ込んでしまった。
クリムゾンは不満そうな傭兵達に肩をすくめて首を振って見せた。何をいってもしょうがないと態度で示し、彼は傭兵らを3班に分けての見張りを命じた。もちろん彼もそのうちの一般に入っているのは言うまでもないことであったが。
夜も更け、篝火代わりのたき火の明かりと月明かりのみが、クレネリアス帝国軍の先遣隊を照らしていた。今宵の月の女神ルテミアは気分がよろしいようだ。大地一杯にその神々しき姿を見せつけているのだから。
夜警の傭兵の見守る中、時は緩やかに流れていった・・・

スラッシュ達の一団がカラの村に着いたのは、もう日が完全に落ちてからだった。
草原の西、ルクスの砦の方角に沈んでいくオレンジ色をした太陽を見て、ファーランが、歌を口ずさんだり、思いついた詩を紙に書き留めたりしていたこと、そしてスラッシュが、馬車の手綱を握りながらその姿を包み込むように見つめていたこと、セミットが荷馬車の後ろに座って居眠りをしていて、馬車が揺れた拍子に落ちたことを除けば、まあ、何もなかったと言えるだろう。そして今、荷馬車と二頭の馬は、カラの村に入って行った。
「何でこんなに静かなんだ。クレネリアスの奴等がもうそこまで迫っていると言うのに・・・」
ライディーズが不思議そうに思うのが当然なほど、村は平穏な静けさを保っていた。その姿は、今まさに死を目のあたりにして、それでも治療を拒否する頑固な病人の姿と重なる部分があるかもしれない。
「奇妙な雰囲気だな」
 ジェイズも言う。
「いかに小さな村とは言え、宿屋くらいあるだろう。飯でも食って、力をつけてから村長に面会することにしよう」
 スラッシュは不安そうに辺りを見回すファーランを元気づけるかのように、と言った。
宿屋、本当に小さな宿屋、の場所はファーランが知っていた。村人の3分の2の避難したと聞いていたが、幸運にもと言うべきか、その宿屋の主はまだこの村に残っていた。
「ミルデンさん、お久しぶりです」
 宿へと入りそう声をかけたのは、勿論以前にここに立ち寄ったことのある面識のあるファーランである。
「ああ、この前のエルフのお嬢ちゃんかい?まだこの村のじじばば様に用でもあるのかい?」
 古い伝承を聞きに来たと言っていた彼女の言葉を思い出し、そう言って笑みを見せようとするが、すぐに苦虫を噛みつぶした様な表情になる。
「お嬢ちゃんはしらんだろうが、この村に帝国軍が攻めてくるんだ。だから早くこの村から出ていった方がいい。」
一瞬こんなときに客かと驚いたミルデンだが、ファーランの話を聞くと、そう言って彼女を扉の外に追いやろうとする。
「待ってください。それはわかってます。私達は、この村に残った人たちの避難のお手伝いに来たんです」
「避難の手伝い?!」
 ミルデンはまさしく天地がひっくり返らんばかりの表情と声をファーランへと向けた。
「余計なことを!皆残りたくて残ってんだ。余所者にとやかく言われるこっちゃねぇ。ほら帰った帰った」
「なんだとお!?殺されてもいいっていうのか・・・」
自ら悲しい過去を持つライディーズが居ても立ってもいられなくなって話し出そうとするのを制しながら、スラッシュは言った。 「親父さん。親父さんの話はわかった。しかし、もう日も暮れちまっている。これから砦に戻るというのも無理な話しだ。とにかく、一晩泊めて貰えないか?」 セミットも付け加えた。 「そうよ。私なんか転んであざを作っちゃったんだから。もう歩けと言われたって歩けないわよ。」
「おいおい。そりゃあお前が悪いんだろう」
 苦笑しながらそう言ったジェイズであったが巧くこの場の雰囲気を和ませた。
「しょうがない。ここは宿だからな。だが一晩だけだ。明日帰れよ」
 宿の主人も、そう言われて断りきれなくなったのか、仕方無さそうに扉を開けた。
宿屋の夕食は、突然の、そして歓迎されない者たちの来訪であるにもかかわらず、なかなか手の込んだものだった。
「それで、これからどうするつもりなんだ。傷痕の兄ちゃん。」
 誰よりも早く出された食べ終わったジェイズはそうスラッシュに尋ねた。
「そうだな。まず村長がいるのなら村長に、そうでなければ村人の代表格を探してこちらの意図を伝えるしかないだろうな。」
 食事の最後のひとかけらを口に運んだ後で、スラッシュはそう答えた。
「村長とやらが残ってるかどうかは聞いた方が早いな。おい、親父。村長はまだ残っているのか?」
 奥の方にいるはずの店の主人にそう聞いたのはライディーズであった。
「ああ、残ってるさ。村長はこの村を愛してるし、何より責任感の強い人だ。村人全てがいなくならないのに自分だけとっとと逃げる様な人ではないからな。」
 宿の主人の声だけで、まるで自慢するかのような答えが返ってきた。
「だとさ。」
 ライディーズはそう言ってスラッシュの方を見た。
「そうか。村長はいるのか・・・・だがもう夜も遅い。今からでは失礼だな。明日会いに行こう。今日はとりあえずぐっすり眠って、旅の疲れを癒やそう。」
 しばし考え込んだスラッシュだが、皆の食事が終わった事に気づいてそう言って席を立った。ジェイズ、ファーランらもそれに続いた。
ファーランは、一旦ベッドに入って眠りについたものの、何故だかわからないがすぐに目が覚め、それから眠れなくなった。このような大事な任務を目の前にして、ぐっすりと眠るというのは、駆け出しの冒険者には無理な相談だろう。
彼女は、足音を立てないように静かに階下に降り、宿屋の入り口の扉を開けて、水飲み場へと向かった。ファーランが、夜の空気に心地よく冷やされた水で喉を潤しながら星を眺めていると、村の反対側の方から人影が近づいてくる。ファーランは、一瞬、びくっとして隠れるそぶりを見せたが、すぐ微笑みを浮かべて声をかけた。
「スラッシュさんも眠れないんですか?」
 彼女に近づいてきたのはスラッシュであったのだ。
「いや、そういうわけじゃないが。少し村の様子を見てきたんだ」
「何か変わったところありました・・・?」
「特に・・・普段とあまり変わらないんじゃないかな。」
「村の人達、私たちの呼びかけに答えてくれるかしら。」
 彼女は不安げにそう呟いた。
「やってみるしかないな。そう言えば、ファーランさんは、この村は二度とか言ってたよね」
「ファーランと呼び捨てにするか、ファーとでも呼んでください。そうでないと返事はいたしません」
 涼やかな表情でファーランはそう言った。
「そっちだって、”ください”とか”いたしません”はないだろう。じゃあ、俺はスラッシュでいいぜ。そういや、ファーランさん、いやファーラン、早く眠った方がいい」
 スラッシュはそう言った。内心ファーランと二人っきりでいることにどことなく焦りを感じながら。ファーランは頷くとそのまま宿の中へと戻っていった。しばらくしてスラッシュも後に続いた。
こうして辺境の夜は更けていった・・・

カラの村へと急ぐキチェルが街道から少し離れたところにちらちらと見える炎を見つけたのはほんの偶然のことだった。
旅人かとも思ったが、これから戦場となるはずのこの辺りに野宿の者もおかしいと思い慎重に近づいていった。
近づいてみるとそれはクレネリアス方式の宿営であることが見て取れた。もっとも天幕が二つだけなのでかなり簡易な作りであったが。
まだ夜も更けていないせいか、天幕の一つでは盛大に酒盛りが行われているらしく、時々風乙女達がその断片をキチェルの元へと運んで来てくれた。
どうやら村人の虐殺がどうのとか、村中を焼き払うとか、美しい娘は残しておけなどだいぶ物騒な話を肴に盛り上がっているようであった。
− カラの村の・・・事?
 キチェルは話を聞いてそう思った。この先には村は一つしかないはずである。後はルクスの砦まで村は無いはずだから。
− 止めさせなければ!
 キチェルはそう思い立つとまるで魅入られたように天幕を目指して歩いていった。
 一方宿営で夜景に立つクリムゾンは後ろで繰り広げられている馬鹿騒ぎに半ば呆れ返っていた。戦場に、少なくとも敵地に入っているというのに奴らの脳天気さはなんなのだろう。
− 絶対にいつか殺す!
 物騒な、しかし不毛な空想をしていた彼の目に信じられぬものが飛び込んできた。
なんと若い女性−キチェルがつかつかと彼に向かって、正確には宿営に向かって歩いて来るではないか。
− な?なんだ?
 とりあえずはやりそうな部下の傭兵達を押さえながら、とりあえずクリムゾンは相手の出方を見計らっていた。相手が仕掛けてきても逆に返り討ちに出来る、その絶対の自信が彼にはあった・・・はずなのだが。
その女性は彼の近くに立つときっと彼を睨んで口を開いた。
「これ以上進むのをやめなさい!むやみやたらに人々を殺すのがあなたの力ですか!!」
 いきなりのこの口上にクリムゾンらは呆気にとられた。
− な、なんだこいつ、得体が知れねぇ・・・・。なんか関わっちゃいけねぇ奴なんじゃ・・・。
 クリムゾンの方は思わず一歩後ずさりそうになった。
「カラの村へと立ち寄らずにこの場からさるのです!」
 引いたクリムゾンなどお構いなしにキチェルはなおもそう詰め寄った。
− カラの村?
「ちょ、ちょっと待てよ姉ちゃん。俺は・・・いやとりあえず詳しい話は後だ。」
 その言葉を聞いてこの女性の意図を理解したクリムゾンはすぐさま傭兵達に合図すると自らはキチェルの腕を取って強引に天幕へと引きずっていく。
キチェルの方もそれには逆らわずに、クリムゾンに連れられるままに天幕へと入っていった。傭兵達の方も良くできたもので、1人が甲高い声を上げながらもう1人の傭兵に突っかかる。不自然ではあるが、酒に酔ったヴェルギウスらにはわかりっこないだろう。
外の喧噪を聞きながら、クリムゾンは天幕の中の自分用に区切られた場所へと向かう。
その場所は他とは違い厚めの布で仕切られているため声が外に漏れにくいのだ。
「さあここなら良いだろう。なあお嬢ちゃん、俺はカラの村をどうのこうのしようというわけじゃねぇんだ。いやむしろ助けに行くと行った方が近いかもしれん。」
「えっ?」
 突然のクリムゾンの言葉に今度はキチェルの方が戸惑う番であった。
「まあ、どうしてもいやだって言うなら苦しまずに殺してやるけど・・・・。」
 彼としては冗談のつもりだったが、あいにく彼女の方はそうは取らなかった。
「やっぱり人を殺しに・・・。」
 それを聞いてすさまじい目でキチェルはクリムゾンをにらみつけた。
「最後まで聞け!いいか・・・・もし俺以外の人間が先遣隊をやってたら間違いなくガキもじじいも関係なく皆殺し・・・・女はみんな兵隊らの慰み者にされるだけなんだぜ?しかしこの村はクレネリアスにとっては進行上にあるし、またルクスの砦の生命線という点からも、必ず落とさなくては行けない場所だ。だから俺は被害を最小限にするためにあの単細胞を言いくるめてまで気の進まない仕事しに来たんだ・・・・。分かってくれよ・・・・あんた村まで行くんだろ?だったら・・・さっさと逃げろ!と伝えてくれないか?」
クリムゾンは堰が切れた川の水のように一気にそこまでしゃべった。さすがに息を荒くしていた。
「・・・・・村を捨てて逃げる・・・しかないのですか?」
「俺の考えられる限りではな。選別にこれをやるよ!」
 クリムゾンはそういうと地図となにかが書かれている紙をキチェルへと投げてよこした。彼女はきょとんとした目でそれを受け取った。
「いつか必ず役に立つと思うぜ。」
 クリムゾンはそう言って不敵な笑みを見せた。
 数刻後、クリムゾンは隙を見てキチェルを街道まで連れ出して、そして別れの挨拶を告げるとそのまま宿営へと戻っていった。
その彼を見送った後、ふと手にしている地図を見てみてキチェルは思わず呟いた。
「これは・・・。そう・・・あなたも戦っているのですね・・・・・・クレネリアスと・・・・・あなたにしかできない方法で・・・。」
 キチェルは地図と手紙を大切そうにしまうと街道を一路カラの村目指して歩き始めた。
その彼女をいつまでもルテミアの化身が照らしていた。

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