テストシナリオ01 第一章第五節

第一章第四節「新暦208年8番目の月24日」

○24/alfrea(8th month)/208

 月と満天の星のみが辺りを照らす未明、名も無き街道沿いを疾駆する2頭の馬とそれを追う6,7頭程度の騎乗の集団があった。
追われる2頭の馬にはジェイズとセミットのふたりが乗っていた。彼らを追う集団は巡回中のクレネリアス軍の兵たちであった。
クリムゾンとの会談の後、急ぎスラッシュらの待つカラの村へと戻るために街道を下った時、たまたまクレネリアス軍の勤勉な巡回兵がいたのが彼らの不運だった。
クレネリアス軍は歩兵中心の軍隊なので、騎兵の数はそう多くない。まして全力疾走する馬上から弓を放てる者などさして多くはなかった。
それらは逆にエルベランの騎兵のお家芸であるのだから、クレネリアスにその技術が漏れぬよう細心の注意が払われていたのだ。
しかし不運は重なるものである。めくらめっぽうに放たれた矢がたまたまセミットの馬の後ろ足を射ぬいたのである。
「きゃあ?」
 足を射ぬかれた馬はその激痛に、自らの体重と速度に耐え切れずものの見事に転倒した。それにあわせてセミットの体も放り出され、道脇の草原へとたたきつけられる。そして気を失ったのかぴくりとも動かなくなる。
「ちっ!」
 ジェイズは慌てて馬首を巡らせるとセミットに肉薄しつつある敵の眼前で馬から飛び降り、娘の脇へと駆け寄った。
どうやら気を失っているだけのようであった。ジェイズは安堵の息を漏らしたが、状況は最悪の方向へと向かっていることに変わりはなかった。
はじめに止められたとき、思わず逃げてしまったのでよもや話し合いは通じないだろう。今思えば旅の者や傭兵志願者に成り済まして、金品なり弁舌なりで切り抜けてしまえば良かったのだ。
しかし後悔は先に立つ事はなかった。
すでに獲物を追い込んだということを確信したのかゆっくりとジェイズ親子の方へ近づいてきた。
そして道の脇でセミットをかばうように立つジェイズを半円上に取り囲んだ。
「貴様ら、エルベランの傭兵だな。」
 馬上からそう問う男にしてもすでにそのことを確信しているはずだった。何よりもそう問うた時の男の表情がそれを物語っていた。
「さあな。少なくともエルベランのには雇われていないはずだがな。」
 ジェイズは嘘は言っていなかった。あくまでも彼は冒険者として冒険者ギルドの仕事を引き受けたに過ぎない。
もっとも相手がそれを信じなどとはそういったジェイズですら信じてなかった。少なくともクレネリアスの見方でないことは事実だし、それどころかカラの村を救うために斥候まがいの事をしていたのは事実なのだから。
「ふっ、ざれ言を。まあよい、退屈してたところなんでな。暇つぶしになってもらうか。死ねば傭兵であろうとなかろうと関係ない。地獄で己の運の無さを嘆くんだな。」
 そういって男はにやりと笑みを浮かべると剣を抜いた。
「そっちの娘には地獄に行く前に天国に行かせてやるがな」
 クレネリアス兵は下卑た笑いを浮かべた。
− ・・・・・ぞっとしねぇな。
 ジェイズは心の中でそうあくづいて肩をすくめる。娘が陵辱される前に、自らがいたぶられる前に命を断つという発想は彼にはなかった。
どうにかしてこの場を切り抜けようと考えているのだが、よしんば剣を抜いて切り込んでも2,3人を倒すのがせいぜいだろう。
相手が抵抗しないと踏んだのか、クレネリアス兵はじりじりと円を狭めていった。
− さてどうするか・・・。
ジェイズの思考はこの死地を脱する起死回生の策を探し求めていた。この状況で手を差し伸べてくれるのならば神でも悪魔でも彼は利用しようとしただろう。
 その時、おそらくその場でジェイズだけが何かが風を切るするどい音を聞いた。
次の瞬間にはそれは矢の形をなして目の前の男の首を貫いていた。矢を首に差した男は数瞬自らを襲った死に抗うかのように矢に手をかけようとしたがかなわず、そのまま地面へと落ちて絶命した。
「なっ?」
 兵士達の間に狼狽が走り、馬達もそれを敏感に感じ取って落ち着きをなくす。
「て、敵?ど、どこだ。」
 クレネリアスの兵達は躍起になってあたりを見回すが、いくら月明かりの下とはいえ、その射手の姿を確認することはできなかった。
また一つ風切り音とともに兵士の一人の眉間に矢が突き刺さり、目を見開いたままその男も地面へと落ちていった。
そこで彼らの士気は崩壊した。
「に、にげろー。」
 クレネリアスの兵士らが蜘蛛の子を散らすように逃げる間、もう矢の形をした死の使いは彼らを襲うことはなかった。
− どういうこった?
 彼らを救ったのは味方、と言うわけではないだろう。彼の仲間はカラの村で彼の帰りを待っているはずであった。
となるとクレネリアスの敵、ということだろう。ルクスの砦の傭兵か、クリムゾンの手の者だろうか・・・・
と、ジェイズの耳に口笛の音が飛び込んできた。 その音に魅入られたのか一頭の馬が道を外れ小高くなった丘を駆け上がっていく。
果たしてジェイズの目には音もなく馬の背に乗った男−アッシュ・グレーの姿が見えたであろうか・・・・
だが今の彼には結果的な命の恩人の事に思考を巡らすよりももっと大切な事があった。落馬した娘の安否を気遣う事であった。
幸いセミットには目立つ外傷は見つからなかった。だが落馬の際に激しく体を打ち付けたため、油断は禁物であろう。
ジェイズはセミットを抱えつつ器用に乗馬すると再びカラの村目指して進み始めた。

 今朝のユウの寝起きはおそらく人生で二番目くらいには最悪な目覚めであったろう。
さすがに昨日ミナイと騒いだのがきいているのか、ちょっとばかり二日酔いぎみであったのだ。ハーフリングが二日酔い?などと思うなかれ。調子に乗ってがぶ飲みしたミナイのさらに倍は杯を重ねているので当然といえば当然であろう。それにしてもあの小さい身体のどにあれだけ多量のエールが入るのだろうか。
そんな宿酔いでズキズキする頭を抱えてユウはのそのそと起き出し、そのまま厨房へとふらふらと顔を出した。
「ディナ〜水ちょぉ〜だいぃぃ〜」
 そしてディナを見つけると情けない声でそう水をねだった。
「ユウ。昨日のはさすがにきいているみたいだね」
 ディナは苦笑を浮かべながらもそういって一杯の水をユウへと渡す。彼は昨日ちょっと付き合っただけで仕事に戻ったのであった。
「うー・・・ハーフリング一生の不覚ぅー・・・」
 彼は水を一口飲むと、まるで太った猫のようにぐでーっとテーブルに上半身を預けた。
「おう、ユウ。今日はおとなしいな。いったいどうした?」
 後ろから大きな声でラオが言う。どうやら多少皮肉が入っているらしい。
「うー・・・水を飲みに来ただけだい・・.」
 閉じていた目をちょっとだけ開けてラオの姿を確認すると、今日は皮肉を返す元気もないのか、ユウは素直に答えてまた目を閉じてしまった。
「水なんかより、この薬草茶でも飲めや。宿酔いにはこっちのほうがきくぞ」
 ラオはそう言ってユウの目の前にカップを差し出した。
「むー。ありがとぉ・・・」
 ユウはむくっと起き上がりラオからカップを受け取る。そして中身も見ぬ間にぐっと一気に開けてしまった。
その薬草茶はとても身体には良いらしく、それに比例するのかのようにとてつもない味の代物であった。
「○△□□○!!△っ!!!な・・・なんだよコレっ!」
 これ以上無いというくらいに顔をしかめてユウはそうラオへと叫んだ。カップを落とさなかった彼を誉めた方がいいかもしれなかった。そのユウの顔が面白かったのかディナは口元を手で押さえ、肩を震わせていた。
「ラオ様お手製の宿酔い薬に決まっているじゃないか。ただし味は保証外だがな。ま、はよ元気になれよ」
 豪快に笑いながらラオはまた自分の持ち場へと戻っていった。その後ろ姿にユウは悪態をつこうとしたが、ふと宿酔いがすっかり直ったのに気がついた。
「さんきぅ〜☆」
 ユウはそうとしか言わなかったが、宿酔いをなおしてもらった恩返しのつもりか、今日一日は素直に手伝うみたいであった。

 一方のミナイ・ラキアの方もユウに負けじと朝から二日酔いであった。相棒のおっさんにたたき起こされ、無理矢理見回りへと連れていかれたがその間終始ため息をつきつづけていた。
やがて見回りも終わったが彼にはとても部屋まで帰るような気力も残っていなかったので、砦内の風通しの良い場所にぺたんと座り込んで世の儚さを嘆いていた。
「はぁーーーー。しもたわー。ついつい調子に乗ってしもたわー。」
 ミナイは今日何度目かのため息とともにこれまた何度目かの自戒の言葉をもらした。
「そないなこといってもしゃーないか・・・・水でももらってくるか。」
 そういって立ち上がった彼であったが気分の悪さのため、辺りに注意を払うのを怠ってしまっていた。そして1人の少女がたまたまそこを通りかかってしまった事は双方にとって不運であった。
二人は物の見事にぶつかってしまったのである。
「うわっ?」
「きゃっ?!」
 ラキアの方は不意の衝撃に何とかこらえたものの、少女の方は派手に転んでしまった。
「か、かんにんな。大丈夫かいな?お嬢ちゃん」
 ラキアは慌てて少女へと駆け寄り手を差し出した。
「う、うん」
 差し出されたミナイの手にちょっと戸惑ったルーリエであったが、おっかなびっくり手を差し出す。ミナイは彼女を立ち上がらせながらふと彼女の背からはえているものに目を止めた。
「なんや?この子。翼がはえとるやん。それにしても、可愛い顔してるなぁ。あと5,6年した、成長したらえらいべっぴんさんになるわ。いまでも、天使みたいやけど。」
 どうやら彼は有翼人というものの存在を知らなかったようだ。もっともこの地の上にいる人間の大部分がドワーフ以外の亜人はめったに見かけることはないのだ。険しい山の奥深くに外界との接触を拒絶するように生活している有翼人を知らないのも無理はないだろう。
それにしてもそう思ってもそれを声に出してしまう所が彼らしい所であろう。
突然そう言われたルーリエの方もびっくりしたようであった。
ぴょこんと頭を下げると気恥ずかしさのためか、見知らぬ人間に対する警戒心のためか、逃げるようにその場を後にした。
「あないな可愛い娘をサド将軍にも、すけべ皇帝にも絶対に渡せんわな。この戦、不様な負け方はできへんで」
 そそくさと立ち去るルーリエを見ながらラキアは一瞬真剣な表情を見せるが、またすぐに情けない顔になって座り込んでしまった。

 絶望だけが支配するエルベラン辺境の名も無きか移動沿いの村、カラに1人の女性が姿を見せたのは昼前のことであった。
クレネリアス領の方から来た事は確かなのだが、不思議なことに村人の誰もが彼女に声をかけることすら出来なかった。
彼女は少し不思議な表情のまま、わずかの休息を求めてこの村に一つしかない宿へと足を向けた。
 突然の来訪者に宿の主人はおろか、食堂に居たスラッシュらも驚愕の表情を隠せなかった。
だが女性は彼らの驚きにはあまり関心を見せず席へと着くと主人に何か飲み物をと注文した。慌てて主人は調理場へと引っ込んでいった。
「ねぇ・・・・なぜ・・・この村にはこんなに人が残っているの?」
 主人が戻ってくるまでのつなぎだったのだろうか、彼女はそうスラッシュへと話しかけた。
もちろん彼女にそのことを話すいわれはもちろんないのだが、スラッシュはどういった訳か簡単にまとめてこの村の事情を話した。
彼女自身に知的好奇心を惹かれたのであろうか?
「・・・そう・・・死にたがりばかりなのね・・・あの赤い人の軍がもうそこまで迫っているのに・・・。」
 大きなため息をつくと運ばれてきたカップに口を付けた。
「・・・・それよりもあんたは?街道は封鎖されてエルベランからもクレネリアスからも誰も来れないはずなのだが・・・。」
 スラッシュはいぶかしげな表情でその女性を見た。だが何故か彼女に対し敵意を持つことは出来なかった。
どういうわけだか彼女にそういった感情を持とうとすると体が萎縮してしまうのだ。
「私はキチェル・・・・キチェル・シュラ。この地で大きな戦争があると聞いて・・・・私の医療知識が少しでも役に立つならと思い、クレネリアス領よりやってきた者・・・」
 クレネリアス領から来た、という言葉に彼らの心中は穏やかではなかったが、何故か帝国人である者すら憎悪しているはずのライディーズですら彼女を問いつめようとは、ましてや危害を加えようとは思えなかった。
「と、ところでその赤い人というのは帝国軍のやつなのか?」
 沈黙してしまった場を何とか取り繕おうとスラッシュはそう彼女へと問うた。
「ええそう・・・とても悲しい人でした・・・。」
 そういう彼女の瞳には嘘偽り無く悲しそうな色が浮かんでいた。
だが彼女の言う赤い人が果たして誰のことを言っているのかスラッシュらには分からなかった。
「私は急いでルクスの砦に行かなければ・・・リューンという方に会わねば行けない。」
 彼女は不意に思い出したようにそう呟くと、飲み干したカップの脇に銅貨を数枚置くと、スラッシュらに会釈して宿を後にした。
後には何故か冷や汗をかいているスラッシュらと宿の主人が残されるだけであった。
   宿を出た彼女は村の中を通る街道を歩いていたが、そこで目にする村人達が生きる希望を持ってないことを見て取って、ため息をついた。だが彼女にはどうすることも出来ないのだ。
「私は一人でも多くの生きたいと思う人々を救いたい・・・でも、生きようと思わない人々を助けることは・・・・出来ない・・・」
 村を発つときに彼女はそう呟いて名も無き街道をルクスの砦へと向かっていった。

カラの村唯一の宿でスラッシュ達はこの村での二度目の朝を迎えていた。
昨日の夜、再び宿泊を願い出たスラッシュ達をミルデンは追い返そうとはしたものの、彼らの熱意に負けたのか、村長の口添えがあったからか、ともかくも部屋を貸すことについては何も言わなくなっていた。
となると本来の性格というか、宿の主人としての顔が出てファーランに笑顔で絞り立ての牛乳の話をしたり、朝食から気持ちのいいほどに平らげるスラッシュやライディーズらに食事のお代わりを持ってきたりするのだ。
ここにはいつもと変わらぬ村の風景があった。しかし、こんな平和な風景もクレネリアス軍来襲という一陣の風によって跡形もなく消し飛んでしまうものなのだ。
キチェルというクレネリアス領から来たという女性を見送りったあと彼らが少し早めの昼食を取っていたところ、不意に宿の扉が荒々しく開かれ、二人の人間−斥候に出ていたはずのジェイズとセミットが転がり込んできた。
セミットの方はジェイズに抱えられるまま、意識がないのがすぐに見て取れた。
「・・・くつろいでるところ悪いが・・・・呑気に飯を食ってる場合じゃないぜ。」
 荒い息を整える間も惜しんでか、体の底から絞り出すような声をジェイズは仲間達へ発した。
「ジェイズ、セミット!」
 ライディーズは思わず椅子を蹴り、二人へと駆け寄り今にも倒れそうなジェイズの体を支える。
「ジェイズ、それはどういう・・いやその前にセミットの方が先だな。ともかくベッドまで運ぼう。」
 スラッシュはそう言うと、もはや娘を抱えるだけの体力しか残っていないジェイズの代わりにセミットを抱え、彼らの部屋まで運んでいった。その後をライディーズの肩を借りたジェイズ、そして心配げな表情のファーランが続いていく。
ベッドに寝かせ付けてもセミットは相変わらず昏睡状態のままだった。どうやら落馬の際に肋骨を折ったようであった。幸い折れた骨が内蔵を傷つけるような事態には陥っていないものの、なるべく早い時期に医師なり治癒者なりに見せねばならぬ傷であることには変わりないだろう。
彼女の看護をファーランに任せ、スラッシュら3人は再度宿の食堂に腰を下ろし事のあらましをジェイズから聞くこととなった。
一杯のエールでのどを潤して疲れを振り払ったジェイズはクレネリアス軍の別働隊の事、クリムゾンの事、そしてセミットの落馬の辺りの話を順序よく簡潔に話していった。
「後半日でクレネリアスの先遣隊がこの村に来るのか・・・。」
 スラッシュは腕を組み、憮然とした表情でそう鸚鵡返しにそう呟いた。
彼らの予想より早い帝国軍の到着になってしまったのだ。しかも残された時間はわずか半日、今日の日没あたりにはこのままではこの村に殺戮と略奪の嵐が起こるのだ。
「さて、どうする?」
 こう問うたのはジェイズであった。幾分面白がってる風に感じられるのは彼の生来のものであろう。
ライディーズの方も神妙な表情をスラッシュへと向けていた。
「・・・・・ともかく村長の所へと行って、今後の事について話し合うしかあるまい。すまんがもう少し付き合ってくれ、ジェイズ。」
 スラッシュはしばし目を閉じて考えた後そう言って席を立った。
「ああ、構わないさ。事情を知ってるのは俺だけだからな。」
 そういって席を立つジェイズであったが、ほんの一瞬だけ娘のいるであろう方に視線を泳がし父としての表情を閃かせた。が、同席していた二人にすら気づかれることなくすぐにかき消えた。
いったんセミットの様子を伺った後、スラッシュ、ライディーズ、ジェイズら3人は宿を後にし、村長宅へと向かった。

 冒険者達を迎えたカラの村の村長、ドロッセンマイヤーも、遅くとも今日の日没にはクレネリアスの先遣隊が到着するというこの凶報には驚きを隠せないようだった。
無理もないだろう。村長を初めとするこの村人全ての心の中にある小さな、そして唯一の希望は、帝国軍がこの村には目もくれず、通り過ぎて行ってしまうことだったのだから。
しかし、たんたんと進められたジェイズのクレネリアス軍先遣隊到着報告は、疑いようもない「事実」であった。
そしてもしこのままクレネリアス軍を迎えたなら、おそらくその後に行われるであろう事もまた容易に想像できるであろう。 ジェイズの報告に聞き入っていたドロッセンマイヤーは、しばらくの沈黙の後、一つ大きく息を吐いた。
「そうか・・・。クレネリアスがやはり来るのか・・・・。」
 そう呟いた彼の眉間には深いしわが刻まれていた。いや、彼の表情は悲痛を極めていた。自らの責任と思いと非力さ、村人に遅い来るであろう結末、それらの考えが混じり合っていた。
「村長。残っている村人を全員集めて、再度避難するよう説得してもらえないだろうか。もちろん砦ないし近くの町までの援護は俺達がやるから。」
 スラッシュはそうドロッセンマイヤーへと提案した。
クレネリアスの進軍が確実のものとなった今ならあるいは村人を説得できるのではと、考えてのことであろうか。
「わかっている、そうしよう。・・・最後の望みをかけてな。」
 村長はスラッシュに頷いた後、ぼそっとそう呟いた。
「すまぬが村人達を集めるのを手伝ってくれ。今は時も人手も惜しいのでな。」
 村長の要請に従い、スラッシュとライディーズは村中を奔走する事となった。一方のジェイズの方はファーランを迎えに行きがてらセミットの様子を見舞ったのは言うまでもないだろう。

 ルクスの砦での備蓄を担当する者の1人、レムスンは朝からランケストに呼び出されていた。
どうやら避難した村人の中で砦内で商売を始めたしたたかな者たちが居て、自前の食料を高値で売ったり、避難者達の家財道具を買いたたいたりしている者がいるとのことであった。
早速数名の部下と共に告発された者たちの所へと行き、事実の真偽を確認すると命令の通り食料は適正価格で買い上げ、買いたたいたものは没収という事になった。
− まったくこの忙しいときに・・・
 部下に食料などの運搬を命じ、それを監督しながらレムスンは醒めた目を人の弱みにつけ込んでいた者たちを見つめた。火事場泥棒的なこの手の者に対して生ぬるい処罰と言えば処罰であろう。だがともかくも早くにこの件を片づけてリューンが監督を行っている砦の補強に参加したかった。
 一方のリューンの指揮する砦補強の方も順調に進んでいた。砦への避難者が増えた事により彼らの労働力を用いることが出来たからだ。
もっともそれなりの苦労はなくもない。防御柵を作るという馴れぬ仕事のせいか、不注意によるけが人が続出してしまったのだ。
大半は取るに足らないかすり傷や切り傷であったが、一件だけ柵用の木製の槍を太股を突き刺してしまうと言うものがあったが、リューンの素早い対応と戦の神の神官という砦の兵士、チャック・アイギンの神の奇跡”治癒”によって何とか事なきを得たのであったが・・・・。
リューンは人々によりいっそうの慎重さを求めたが、それだけで事足りないと見た彼はこの手の工作に長けた兵士をリーダーとして班を作り彼の目の届かないところでの事故を防ごうとした。
それらが功を奏したのか、それとも懸賞金をかけたのが効いたのだろうか、ともかくもその日の日没までにはほぼ砦の東側全面に渡っての防御柵を完成させることが出来たのであった。

村長の呼びかけによって村人達が広場に全員集まるまで大して時間はかからなかった。さすがに農作業や放牧に出ている者は無く、皆家に閉じこもったり隣人を訪ねたりして不安を紛らわせていたようであった。
突然の召集に皆直感的に何かを感じているのであろう、不安げな様子でいる村人達の前に村長は立った。
そして彼らを確かめるように大きく見回してから、クレネリアスの別働隊があと半日ほどでこの村に到着すること、彼らの目的が殺戮と略奪と破壊であること、そして村長として国王からこの村を預かっている以上緊急にルクス砦或いはルシニアまで避難するつもりであることを説明した。村長の言葉は彼を知るものからすれば驚くほど淡々としたものであったが、そこにいる誰もが、その後ろにある強固なる意思を感じていた。
村人達は、しばらく静まり返っていた。彼らの心中はクレネリアスに対する恐れと、未知の場所に飛び込む事への不安とが複雑に入り交じった状態であることは手に取るようにわかった。
しかしながらその状態からは諦めと自暴自棄に容易につながりうるものでもあった。
「どうせもう長くはない命じゃ・・・。死に場所くらいは自分で決めてもいいじゃろうに・・・・。」
 ある老人が首を横に振りつつそう呟いた。
そしてこの独白に触発されたかのように、口々に村人は村長へと反論を始めていった。 初めは聞き取れぬ様な大きさであった声はやがて確固たる言葉となり、それらは村人全員の意志となった。それらの全てが村からの避難を拒否するものであった。
しかし恐怖と不安に負けた人間がいかに郷土愛を口にして諦めた己を取り繕おうとも結局は言い訳であるだけなのだが。
村長もまた悲しげな瞳のまま、ただじっと村人達を見ているだけであった。
限りなく続いて発せられる言葉に最初に爆発したのは、家族を帝国軍に殺されたライディーズであった。
「まだ分からんのか、村長だって死にたくって残ったんじゃないんだ。お前らを一人も死なせたくないから最後まで残ると言ってるんだ。お前ら、死にたいからって人を巻き込むな!そんなに死にたいんなら今この場で俺が殺してやる!!」
 そう叫んだライディーズの目から、知らず知らずの内に涙が溢れていた。
その彼の激しい気迫に押されたのか、それとも赤の他人のはずの彼の突然の激昂に驚いてか、村長に向けられていた村人達の声も小さくなっていた。 それに続くようにファーランも、自らの持てる勇気を全て振り絞った様子で口を開いた。 「自らの生まれ育った土地を捨てなければ成らないことのつらさは良くわかります。でも、今の貴方達のように、自分の運命に絶望し、ましてや、自ら望んで命を縮めるだなんて・・・。考えてみてください。そのあと、この地はどうなるのですか? 誰がこの地を耕し、花を咲かせ、動物を飼うのですか?貴方達は、自らのみならず愛する土地をさえ殺そうというのですよ。未来を見つめ、今は、ここから避難してください。そしてまた、いつになっても必ず、かならず戻って来ればいいのです!」
 森妖精の少女の言葉もまた最後には激しい感情を伴った言葉となった。まるで自分の力を使い尽くしたように、ファーランは膝をついて、手で自らの顔を多い、涙を一所懸命押さえようとしていた。その森妖精の少女の背を力づけるように数回叩いてから、スラッシュは村長の横へと歩み寄り、口を開いた。
「俺からも一つだけ言わせてくれ。確かに俺達はよそ者だ。だから、あんた達のこの村に対する気持ちを分かることは不可能だ。だけど、”絶望”からは何も生まれないことは知っている。人は、いつも希望を持って、前を見つめて生きていかなければならないんだ。」
 いま彼の語ったそれは自らの意志とは関係なく剣闘士となった彼自身の思いかもしれなかった。
ここでスラッシュはいったん話を切り、大きく息をつく。そして村長とそしてフェリシアの顔を見た後、再度口を開いた。
「実は村長とフェリシアさんは、今度結婚する約束をしていたんだ。しかしあんた達が避難しないのなら、二人もここに残り、そして間違いなく命を落とすこととなるだろう。でも、もしあんた達全員が生き残る決意をすれば、何年か後に二人の子供も生まれるかもしれない。いやこの二人だけじゃない。今、ここにいるあんた達だって、皆、何かの形で将来に繋がっているんだ。 頼むよ。希望を持ってくれ。そして生きてくれ。頑張って、この二人の結婚を皆で祝おう。そう、それは他でも ない、あんた達の将来を祝うことなんだ・・・・」
スラッシュの頬は紅潮していたが、その声には落ち着きがあった。息を呑むのも忘れたのように村人達は静まり返っていた。そして、その沈黙の中から、ざわざわ、先ほどまでとは少し異なる声が生まれ始めていた。多少の戸惑いはあるものの明らかに先ほど村長へと向けられた罵声とは違う、いわば彼らに対する共感の声であった。
それらの声は村人の絶望が希望へと変わったことを証明するものであった。 そして一端生に執着させてしまえばもう死のうなどとは思わなくなるものである。だが念には念を入れるようにスラッシュは村長を促した。その意を察してか村長は声の限りを尽くして叫んだ。
「さあ、皆のもの、クレネリアスの別働隊がこの村に到着するまでもう時間があまりない。急いで逃げねばならん。日が落ちる前に発つから、それまでに全員必要最小限の荷物を持って、この広場に集合するんじゃ。さあ、急げ!」
 村長の掛け声と伴にその場にいた全ての村人達は動き始めた。生への希望を手に入れた村人達の目に迷いはなく、村長の指揮の元皆が一所懸命に荷馬車や馬の用意をし、逃げるための準備を進めていく。その中でライディーズとファーランも村人に混じって準備の手伝いに奔走していた。一方のスラッシュは、ジェイズを呼び止めて今後の善後策を練るために村長の家に入っていった。
「ジェイズ。疲れているところを悪いな。だが、無事村人達を避難させる計画を練るにはお前が必要なんだ。」
 村長宅の一室に入り込んだ二人はテーブルを挟んで向かい合うように座ると、まずそうスラッシュから切り出した。
「今の俺達にそんな暇ないからな。ま、後でゆっくり休ませてもらえりゃそれでいいさ。」
 ジェイズは2,3度首を横に振るとそう言った。彼は本気でそう思っているらしい事は見て取れた。
  「それで・・と、その忙しい最中俺を呼び止めて何のようだ?」
 皮肉っぽそうな笑みを浮かべてジェイズはそう尋ねた。
「今後のことだ。正直な話、避難が間に合うと思うか?」
 テーブルの上に身を乗り出してスラッシュはそう尋ねた。心なしか声も小さくなっている。
それも当然だろう。村人に聞かれればせっかくの希望を打ち砕きかねないことなのだから。
「まあ、きわどいところだな。だが幸いというべきか、その時には日も暮れているから幾分逃げる方には有利か。」
 ジェイズは肩をすくめたあとでそう言った。
クリムゾンがおそらくぎりぎりまで到着を遅くしてくれるだろうし、なんやかんやと理由を付けて追っ手を出すということも押さえてくれるだろう。
「それで、奴等の狙いは村人達の皆殺しなんだな。」
 スラッシュはジェイズに確かめた。戦略的にも戦術的にもおそらくこの村で行う虐殺には意味がない。
なのに何故そのような蛮行をクレネリアスは行おうというのか、彼には理解できなかった。
「そうらしいな。奴等はどうやらこの村を勝利のための生け贄にでもしたいらしくてな。・・・こっちが逃げだしても、もし見つけられでもしたら追ってくるだろうな。」
「草原には身を隠す様な場所はないか・・・いくら日が暮れていてもな。やはり街道沿いを行くしかないか・・・。となると俺達の役目は・・・最悪の場合の時間かせぎだな。」
 スラッシュの言葉の最後は決意に満ちたものだった。村人に生への希望を説きながら自らは死地へと赴かざるを得ない。
皮肉なその言葉にジェイズはしばらくの沈黙をもって答えた。
「で、それには俺の他に誰が残るんだ?」
 しばらく沈黙していたジェイズであったが、ふっとそう尋ねた。
「セミットは村人に託するのは異論ないな。後はライディーズに村人の護衛を頼もうかと思ってるのだが・・・・。」
 スラッシュの答えは何となく事務的なものだった。死の可能性を前にして自らの心に芽生えたエゴをなるべく感じさせないように。
「いや、駄目だな。村人達とはエルフの嬢ちゃんに行かせろ。」
 やれやれという風にため息をついてジェイズはそう言い放った。口調に棘を感じたのはスラッシュの気のせいであろうか。
「何故だ?」
「簡単だよ。あの嬢ちゃんは足手まといだからだ!自分だけならまだしも足枷がついちまったらまず助からねえからな。それとも何か、お前は迫り来る敵から守りきれるのか?いいか?これは戦争でここは戦場になるんだ。敵を殺せる奴だけがこの場には必要なんだよ。」
 ジェイズの言葉は正論でスラッシュに反論を許さなかった。
「それにセミットの寝顔をライディーズなんかに見せるわけにはいくまい。」
 そう言ってジェイズは人の良さそうな笑みを見せた。
しかし最後にそう付け足すのが彼らしいと言えば彼らしいのかもしれなかった。
「わかった。いい親父ぶりだな。」
そう聞いたスラッシュはにやっと笑ってこう言った。
「けっ、何言ってやがる。」
ジェイズはそっぽを向きながらこう切り返したが、心の中では別のことを呟いていた。
− 死ぬのは地獄行きが決まってる奴だけでいい・・・。

 村のはずれの家畜小屋の屋根裏に仮の居を定めていた”ハイエナ”ジギーであったが、村人達の避難の動きはもちろん察していた。 村人達の広場への集合がかかったときに何事かと近くまで見つからないように気を使いつつ見に行ったりもしていたのだ。
この時にクレネリアスの軍隊がこの村の近くに来ていることも知った。そして彼らの目的がこの村の占拠ではなく焼き討ちであることも。
− となるとこの村に残っての後方攪乱は無理か・・・・しかしただ黙って帰るのも無駄足になるな・・・・
 もちろんこの報告をすればランケストからの受けた命令は遂行不可能になったとして扱われ、ちゃんと褒賞も貰えるだろう。しかしそれでは”ハイエナ”とまで呼ばれた1傭兵としての曲がりなりにも持っているプライドが許さなかった。
それにまだこの村は焼失してはいない。それに村毎焼き払うにしてもクレネリアスの人間が少しの間でもこの村に姿を見せるのだろう。
− その時か・・・。
 おそらく勝負は夜更けになると見たジギーは寝床へといったん戻るとそのために体を休めることとした。

運命の時を大空に標すアルフェリアの化身はもうかなり西にかかっていた。今日はやけに夕焼けが血の色っぽくみえると思うのは彼らの気のせいであろうか?
来るべき出発の時を前にして、広場に早めに集まった人々に口から大地母神ガイアへの祈りの言葉が聞こえてくる。この世界の創造神を讃える言葉が紡ぎ出され、その声に呼び寄せられるかのように残りの村人達も広場へと集まってきた。
やがて全ての村人が集まったとき、村長が出立の声を上げると、村人達−正確にはこの瞬間にカラの村人ではなくなったが、はゆるやかに動き出した。ある者は馬に乗り、ある者は荷馬車に乗っていた。
ドロッセンマイヤーが手綱を取り、その横にフェリシアの乗る荷馬車の後ろには未だ目を覚まさぬセミットが寝かされ、彼女を看るようにファーランがその脇に座っていた。
ファーランは自分達だけが村人達と避難することについて始めは大いに反対した。
私も戦います、とまで言い切ったが逆に相手を殺せるのかとジェイズに問われると沈黙するほか無かった。
さらにはスラッシュにセミットの看護や武器すら握ったことのない村人達の護衛の必要性を説かれ、最後にはしぶしぶながら護衛役を引き受けたのであった。
しかし、いざ出発となった時、ファーランは、涙を浮かべながら、背中を向けたスラッシュに後ろから抱きついた。
「また、会えますよね?」
そう彼女はいつものように丁寧な言葉で尋ねた。
「ああ、今日の夜か明日の朝には合流できるさ」
 スラッシュはなだめるように言い、ジェイズとライディーズは首を竦めて目をそらしたのだった。
街道を進む村人達の最後尾が見えなくなるまで見送った後、スラッシュは改めて彼と共に残った二人の顔を見た。
「さて、むざむざこの村をクレネリアスにくれてやるわけにも行かないな。」
 スラッシュはそう言った。
「もちろん。ライ、村中に出来る限りの罠を頼むぜ。」
 ジェイズはそう言って彼の肩を叩いた。
「ああ、分かった。あんたらはどうする?」
 ライディーズは頷くと、逆にそう問うた。
「俺は、ちょっとしときたいことがあるんでね。ちゃ−んと娘の傷のお礼はさせて貰わないとな。」
 そう言ってジェイズは不敵な笑みを浮かべた。いや、不敵と言うよりは悪戯をする前の子供の笑みと行ったところか。
「俺は・・・そうだな。その罠とやらを手伝うか。」
 スラッシュはしばし考えた後そう言ってライディーズを見た。
そして3人はスラッシュ,ライディーズとジェイズという二組に分かれて村の中へと戻っていった。
 ライディーズらは村中の至る所に罠を仕掛けたが、ジェイズの方はというと井戸に染料をぶち込んだり、民家の壁にアギウスの名を赤い染料で描いてダガーをその名の中央に突き刺したり、誹謗中傷の文句を描いたりと嫌がらせの限りを行っていたようだ。

 クレネリアス軍の先遣隊がカラの村にたどりついたのはその日の日没後すぐであった。
先頭を行くクリムゾンの眼前にちいさな村が目前まで近づいてきていた。
− これがカラの村か。ほんとに小さな村だ。・・・あいつ、間にあったんだろうな。
 眼前の村をじっと見やった彼であったが、彼の瞳には村には人影も、炊事の煙もランプの明かりすらも写らなかった。 そう、生活感がまるで感じられないのだ。
「おい、そこの赤毛、村への一番乗りは私がもらうぞ。」
何時の間に彼に近づいてきていたのか、ヴェルギウスは喜々とした表情でそうクリムゾンへと高圧的に言い放った。
− ・・・・こんなつまらん仕事に一番乗りも2番乗りもあるかよ・・・馬鹿が・・・。
 心の中でそう悪態をついたクリムゾンであったが、もちろんそんな雰囲気は表にはおくびにもださなかった。
「ああ、最初からそのつもりだよ。所詮俺達は引き立て役、正規軍の方達に手柄はお譲りしますよ。」
「わっはっはっはっは、少しは立場の差という物をわきまえてきたようだな。最初からそういう態度をとっていればいいのだよ、はっはっはっはっは。」
 ヴェルギウスはそう言うとだく足で進むクリムゾンの馬を抜き去っていった。その後ろを慌てた風もなく数名のクレネリアス騎士がついてゆく。
− ふん、人生最後の笑いにならないことを祈っておくんだな・・・。
 クリムゾンはまたしても心の中でそうつぶやくが、さすがにそうは出来ない事を知っていた。
待ち伏せがあるやも知れぬので、部下の数名を促して騎士達の後ろへとつかせる。
− やれやれ、まったく世話の焼ける奴だ。
   そして・・・傭兵20人、正規軍20人からなる先遣部隊はカラの村に到着したのだった。

 村の入り口へと到着したクレネリアス軍はまず先見部隊を2分し、1隊は刈り入れ間近だった小麦や家畜等食料の確保を行い、もう1隊をもってカラの村の調査とその後の村の焼き払いを行うこととなった。
 刈り入れ部隊になったのは大半が傭兵で、彼らは尊大で無能なクレネリアス兵士の指揮で月明かりの元黙々と小麦の刈り入れ作業を行ったり、野に放たれていた家畜を追ったりしていた。もっとも高々20人程度の人数でしかも誰もが馴れぬ手つきとあっては食料集めもなかなかはかどらなかった。
 そんな中おそらく小用のためだろうか、クレネリアスの兵士の1人が仲間の元を離れていった。 几帳面な正確だったのだろうか、それともこれから刈り入れる小麦を汚すのをためらったのか、かれは村近くの方まで戻ってきて用をたそうとしていた。だが用をたしおわった彼はそのすぐ後に世を去らねばならなかった。
いつの間に背後に回ったのかジギーが用をたし終わった彼の首を細ひもで締め上げたのだ。兵士は必死になって抵抗するが無駄だった。やがて彼の両腕はだらんと垂れ下がり事切れた。
ジギーは手早く彼の服を脱がすとそれに着替え、死体を家の中に隠すと何食わぬ顔で小麦畑へと向かった。途中、村の空き家で見つけた油をそこかしこにまきながら・・・・・。
 一方村の調査に向かった1隊では、ヴェルギウスが村の家一軒一軒の調査の度に高まる憤懣をクリムゾンへ向けることで憂さ晴らしをしていた。
 何せのどが渇いたと水を飲もうとすれば、井戸には月明かりでも分かるほどの染料が投げ込まれていたり、子飼いの騎士をおそらく村人が仕掛けたであろう罠で1人失うし、村の目立つ所にダガーが突き立てられたアギウス様の名前は描かれているし、口にも出来ないような言葉がそこかしこに描かれているし・・・・
 それもこれもお前の行軍が遅かったとか、先に傭兵を立たせなかったから尊い騎士の命が失われたとか、ここ2日ほどの行軍でクリムゾンの忍耐力が鍛えられてなければとても耐えきれるほどの者では無かっただろう。
− しかしやっぱりいつか殺す!
 ねちねちとしたヴェルギウスの嫌みを聞き流しながら、彼は近未来に起こって欲しい光景を思い浮かべてけなげに耐えていた。
水自体は今彼らが居る村の広場の馬の所へと戻れば残っているはずだし、騎士が死んだのも勝手な行動はしないと言う命令の中で無人の家を略奪しようと不用意にも進入しようとためであったのだ。
それにこちらの行軍が知られている以上、これくらいの徴発行為に頭に血を上らせているようでは先が思いやられるというものだ。
しかし自らを絶対と信じ、アギウスを神の如く崇めるヴェルギウスにとって全てが許容できないことらしかった。
と、クリムゾンの反応が無いのに業を煮やしたヴェルギウスがヒステリックに叫ぼうとした矢先、不意に先遣していた傭兵の1人がクリムゾンの元へと戻ってきていた。
「どうした?」
 ようやく息が付けるとばかりにクリムゾンはそう傭兵へと声をかけた。
「街道沿いの方でちらっと人影が見えたような気がしたんが・・・。」
 男は自信なさげにそう呟いた。彼は夜目の効く方だったがそれでも月明かりしか状況で見たそれに自信がもてなかったのだ。
「何?捕らえろ!捕らえてその卑しき命を持って貴きクレネリアス騎士の償いをさせるのだ!」
 しかしそれを聞いて憂さ晴らしを見つけたと思ったのか、ヴェルギウスは1人興奮し始めた。民間人ですら殺すというアギウスの悪しき部分をここで真似ようとでもいうのだろうか?
「確かか?」
 クリムゾンは確認するようにそう問うた。傭兵は自信なさげだったもののやはり自らの目を信用することにしたのか首を縦に振った。
「よし、俺が行く。4,5名ばかりついてきてくれ。罠かもしれないので残りの者は万が一のことも考えてヴェルギウス様の近くで待機。これでよろしいですかね?」
 クリムゾンはそう万が一、と言う言葉を強調してヴェルギウスへと尋ねた。
「あ、ああ。必ず生かしたまま連れてこい。命令だぞ!」
 その脅しが効いたのか。ヴェルギウスはそう言うにとどまった。
クリムゾンと傭兵らは馬に乗り、人影が見えたという場所へと場首を巡らした。

 村人達を送り出した冒険者達は丘陵の影に身を伏せて交代で村の様子を伺っていた。
ジェイズとスラッシュが交代してしばらく立ったとき、村のクレネリアス軍に多少の変化が起き、分かれた一団がこちらへと向かって馬を進め始めたのだ。
「どうやら見つかったみてぇだな・・・・どうする?」
 様子を伺っていたジェイズは後ろを振り返ってそう呟いた。
「数は?」
 スラッシュはそう尋ねた。一対一なら自分が負ける訳はない、そう確信しての問いであった。
「6人てとこか。ありゃ傭兵だな。まずいなしかもあいつか・・・いや、今ならまだ間に合うか・・・逃げた方が無難だな。」
 ジェイズは月明かりの下で目を凝らし、彼らのいる場所辺りへと一直線に向かってくる一団を見据えながらそう呟いた。
「ならそうしよう。」
 スラッシュはすぐさまそう決断した。彼自身戦って勝てない人数ではないと思うが相手の実力も分からないし、何より必ず帰るとの約束があった。無用な闘いをしないですむならそれに越したことはなかった。
 3人は馬にまたがると一直線に街道へと抜けてそのまま砦方面へと走り出した。
あたりが草原で遮蔽物がない以上、砦までもっとも走りやすい所を走った方が無難であると判断したからだ。
こうして追う者と追われる者に分かれてのレースが始まった。
 だが命を賭したレースの終わりは思いの外早くに訪れた。馬が何かに足を取られたのかバランスを崩し、ジェイズを放り投げつつ地に倒れこんだのだ。
− ちっ、こんな時に!
 親子そろって馬が鬼門なのか、あっさり落馬したジェイズであったが何とか体を丸め受け身を取ったため、それほどのダメージは無いようだ。すぐに起きあがるが足でも捻ったらしく、いやそれ以前に馬の足から逃げられるはずもなかった。
「ジェイズ!」
 彼が落馬したのを見てスラッシュとライディーズは馬首を巡らした。
神の悪意ある悪戯からか、それともこうなる運命だったのか、少なくとも彼ら二人は仲間を助けるために死を覚悟した。
ライディーズはまだ倒れているジェイズの脇へと馬を付け、スラッシュは剣を抜き仲間と迫り来るクレネリアス軍の間に立ちふさがった。
「早くしろ!」
 ライディーズはそう言ってジェイズへと手を伸ばした。
ジェイズは一瞬何故来た?馬鹿が・・・というような表情を見せたがそれだけですぐにライディーズの手を掴んだ。
だが、クリムゾン率いる傭兵らはもう目と鼻の先まで迫っていた。とても今から逃げ切れるとは思えなかった。
  − ここで死ぬのか・・・
 剣を構えつつも冷たい汗が吹き出てくるのをスラッシュは感じていた。
「伏せて!」
 と、突然何処からともなく鋭い声が冒険者達とそして傭兵に注がれた。反射的にスラッシュらとクリムゾンらが目を伏せるのとそれは同時だった。
「”炎の矢”」
 突然の魔法語とともに計算ずくであったかクリムゾン達の正面を炎が突き抜けていった。
「ちっ、魔術師か?!」
 クリムゾンら傭兵達に当たりはしなかったが、突然炎が走ったことで驚いた馬は暴れ、二人ほど落馬してしまった。
「ちっ!」
 何とか馬を鎮め体勢を立て直した傭兵が舌打ちをして件を抜き、ジェイスを助けようと駆け寄ったライディーズ目がけて斬りかかった。
「いかん!」
 思わずそう口走ったクリムゾンであった。子飼いとはいえ先に斬りかかるなと言っておかなかった自らの失態を呪った。
「”炎の矢”」
 しかしまたしてもどこからか魔法語が唱えられ、魔力を元に作られた炎の固まりがその傭兵の馬の尻に直撃した。
「うわっ?!」
 暴れだした馬を押さえきれずにその傭兵も落馬した。
その間にライディーズはジェイズを自分の馬へと引き上げ、スラッシュと共に逃走にうつっていた。
「追うな!深追いは無用だ。」
 クリムゾンはさらに追いかけようとする傭兵達を押しとどめた。こちらに魔術師がいない以上不利な闘いになるのは目に見えていたからであった。
− なんとか逃げたか・・・・。
 クリムゾンはちらりと冒険者達が消え去った街道の向こうを見やったがすぐに残りの者たちに負傷者の手当を命じ、それがすむとカラの村へと馬首を向けた。
この後のヴェルギウスのお小言を思うと気が重かったが、幸か不幸かそれどころではない騒ぎが起こったのだ。
彼らの目の前−小麦畑の方で突然火の手が上がりそれどころでは無くなったからであった。
「何事だ?」
 村へと駆けつける途中クリムゾンは目の端に暗闇の草原を疾駆するクレネリアス兵らしき影を見たような気もしたが、すぐに忘れることにした。今は糧食となるはずだった小麦畑の延焼をくい止めるのが先だからだ。
だがその努力も徒労に終わった。おそらく油が巻かれて居たらしくたかだか数十人では火を消し止めるどころか、押しとどめることもできなかったのだ。
結局炎は兵士が2人と傭兵が1人、命を奪って小麦畑を焼きつくしてから消え去った。
延焼を免れたカラの村も結局はヴェルギウスの命により火を放たれ、闇夜を焦がした炎は遠くルクスの砦からも薄らあかりとして確認することが出来たという。
クレネリアス軍のカラの村先遣隊は疲労の色を隠せず、近くの丘陵に陣をはり、本隊の到着を待つこととなった。
 一方なんとか死地を脱したスラッシュらは、街道をしばらく行ったところで自らの救世主と対面していた。
男は草原を突き抜けてきたらしく、街道の脇に馬から下りてたたずんでいた。
「危ないところだったな。」
 警戒して立ち止まったスラッシュらに対し見るからに魔術師然とした男はそう声をかけてきた。この瞬間スラッシュ達は自らを助けてくれたのが彼であることを理解した。
「助けてくれたのは君か。ありがとう礼を言う。俺の名はスラッシュ、そしてライディーズにジェイズだ。」
 スラッシュはそう言って順繰りに仲間達を紹介していく。
「俺の名はレイ、レイ・ブラックウィング。」
「でもなぜあの場へ?」
 そう切り出したのはライディーズであった。すぐさま彼らに味方してくれたことといい、単なる通りがかりにしては不自然過ぎた。
「ルクスの砦で君たちの話を聞いてね。手伝いにきたところだった。」
「そうだったのか。と、まあいろいろ話したいことはあるがその前に砦まで戻ろう。ここはまだ危険だ。」
 こうして冒険者達は仲間を1人増やしてルクスの砦を目指して進んでいった。

 雲一つ、霞一つない夜空の下で、シルバーダガーは城壁に座り一人たそがれていた。彼は両の手で命よりも大切にしているといわれる銀製の古ぼけたダガーをもてあそんでいた。
− あと数日のうちには2000からの大軍がこの砦に押し寄せる・・・・
 彼はそう考えて苦笑した。どこでどう間違えて生まれ故郷ですらない国の辺境の砦で傭兵なぞしているのだろうか。本来ならば盗賊ギルドの幹部として退屈な、しかし派手な暮らしが出来ていたというのに。
− そう・・・すべてはあのときあの酒場で間抜けな冒険者たちに会ってからだな・・・・。
 エルムールのとある町のとある酒場でふとしたことから騒動を巻き起こした冒険者達が酒場からたたき出されるのを救ったのが彼だったのだ。その時のことを思い出す彼の口の端には知らず知らずのうちに笑みが刻まれていた。
ふと、シルバーダガーは顔を上げた。どこかで誰かが弾いているのか、ハープの音が聞こえてきたのだ。しばし瞳を閉じ、その音に身を委ねていたが、やがて自らの部屋の方へと姿を消していった。
 ハープを弾いていたのは、この砦に身を寄せているただ一人のハーフリングの少年であった。
彼は一日の仕事が終り、皆が寝静まった頃に部屋を抜け出して、砦の裏門の上に座り、ハープを奏でていたのだ。まるで降って来そうな星空に誘われたかのように、普段のおちゃらけた弾き方ではなく、静かな、そして寂しげな曲であった。
静かに、そう静かにつまはじくハープの弦の音は誰の耳に届いても心地よさを与えたであろう。しばらく彼は心の赴くまま、手の向くままにハープを奏でていた。
それはしばらくしてカラの村からの避難民が到着し、再び喧噪が砦を支配するまでのほんのつかの間、砦自身が休息を望んだかのようでもあった。

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