The Fantasy Story

オリジナル小説 幻想物語

The Fantasy Story

第一章 アルベス(albes)

 商業都市国家アルベスでは、デュイス(9)の月17日は国王デモス=ミケランゲ=アルベスIV世の誕生日のため、大規模な市が毎年開催されていた。 俗に「アルベス王の市」と呼ばれるこの日は、アルベスの一年の中でもっとも活気のある日である。 この日ばかりは148年前までアルベスが属していた王国、ヴィクリクスのみならず遠くは遥かセナ・ルーン王国の商人など大勢の人々がアルベス王の市へと訪れて町の人口は一気に倍となるのだ。
 路地に広場に人々の溢れる中、銀髪紫眼の1人の少年がアルベスの中央通り−アルベス王の居城から港まで伸びる道−を歩いていた。 彼の名はレイ=ウェンディス=ロードヴィック=シュヴァルツハルト。 八王国の一つである東方の島国、セナ=ルーン王国の第一皇子であった。
 彼は王国の皇子としてアルベス王の市を訪れるためにこの町を訪れたのではない。 たまたま宿を取ろうとよった町でたまたま市がやっていた、ただそれだけの事なのであった。 それ故に多くの店の売り子の声を無視して、一夜の宿を求めて宿通りへと向かっていた。 しかしその彼の耳に、恐らく売り子であろう威勢の良い男の声が入ってきた。
「さあさあ、ここにいるピクシーはいかがかな?ペットによし観賞によし。今日はこの一匹で最後だよ!」
− ピクシー?
 レイは耳に届いたその単語に惹かれるかのように無意識に視線を男の声の方へと向けていた。 彼の目に数メートル先にいる男と、そして鳥篭の様な物に入れられた若き女性のピクシーの姿が入ってきた。 ピクシーがレイの視線に気付いたかの様に俯いていた顔を上げ目があった瞬間、彼の身体になぜか電撃にも似た衝撃が走った。
 レイは進路を少し変え、ピクシー売りの男へと近づいていった。
「そのピクシーはいくらなんだい?」
 レイは男へとそう尋ねた。 レイの姿を見てその男は少しがっかりしたような表情を見せるが、すぐに口を開いた。
「10000クィルだ。買うかい?」
 どうやら売れれば儲け物といったような感じで、男はレイへとそう尋ねた。 レイは肯いて腰に下げていた革袋を外してしばらく中を眺めていたが、やがてがっかりした表情で男へと尋ねた。
「9500クィルに負けてくれないか?」
 男はレイの言葉にちょっと困ったような表情を見せるが、恐らく根がそうなのであろうすぐに陽気な笑顔を見せた。
「今日はこれで最後だ。9500にまけるよ。」
「ありがとう。」
 レイはそう言って、今自分が持っている革袋を男へと差しだした。 男は袋を受け取ると、ピクシーの篭が置いてある台の上に中身を開けた。
貨幣の大半は銀貨や金貨であったが、たまに入っている高価な、そう若いレイが持つには不釣り合いな貨幣や遠き異国の貨幣にその男は少し驚いたようだ。 だが男はすぐさま額面を調べはじめた。やがてピクシー売りの男はコインを数え終わると、いくらかの貨幣を袋に戻しレイへと返した。
「確かに9500クィル受け取った。」
 レイは袋を受け取ると、また先程と同じ様にベルトの内側にしっかりと結び付けた。 レイが袋を縛り終えるのを待って、男はピクシーの入った篭を差しだした。
「ほらよ。」
「篭はいらないよ、彼女だけでいい。」
 レイは突きだされた篭に困惑しながらそう言った。
「ピクシーだけ?!逃げちまうと思うがな。」
 男は小さい声でそうつぶやきながらも、荒々しく篭の中からピクシーを掴み出しレイへと差しだした。 そのピクシーはレイをきっとした表情で終始にらんでいたが、彼は気にも止めずに彼女を受け取った。 
「篭はどうする、持っていくかい?」
 男は空になった篭を見せつつ、そうレイへと尋ねた。
「いや、いい。ありがとう。」
 レイは上着の中にそのピクシーを入れると、宿通りの方へと歩きだした。 彼の襟首からどうにか顔をちょこんとのぞかせながら、そのピクシーは不思議そうな視線をレイへと向けていた。

 街の人の多さに辟易したレイは、宿の多く並んでいる宿通りから一歩裏路地へと足を踏み入れ、ようやく探し出した1軒の前で経ち止まった。 名前は”淡い思い出”の宿。さして見栄えのしないごく普通のありふれた宿だが、彼はここにしようと決めた。
ドアを押し、中へと入っていく。外側から想像できることをすこしも裏切らない内装の中で、唯一宿帳のところの女性が彼の予想外であった。  宿の手伝いなのだろうか、それとも女将なのだろうかその人の良さそうな女性は、レイの方へと視線を向けた。
「いらっしゃいませ、お泊まりですか?」
 彼女はそう声をかけた後微笑みを見せた。
「一晩お願いしたいんだけど。」
 レイは彼女の方へ歩きつつそう言った。
「こちらの方へ名前をお書きになってもらえますか?」
 目の前に立ったレイに羽根ペンと宿帳を示しつつ、彼女はそう言った。
 レイは頷いてペンを走らせ、白いページに自分の名前−もちろん本名そのままではない、を書いた。 よほど流行っていないのだろうか、レイが今日初めての客らしい。
名を書き終えたレイはペンをインク壺の中へと戻した。
「宿代は夕朝食付きで30クィルになりますけどよろしいですか?」
 頃合を見計らって彼女はそうレイへと言った。 彼は肯いて先ほどの革袋の中を探って、金貨三枚を彼女へと渡した。
− めずらしいな、祭りの日も標準価格だなんて‥‥。
 レイは金貨を渡しつつそう思って彼女の方を見た。 3年以上の間旅をし続けている彼は、かなりの回数宿のお世話になっているが、こういった市や祭りの日などは安くても2倍、ひどければ4倍5倍などの宿代を請求されるものであった。
 じっと見つめているレイの視線に気付いた彼女は、少し頬を赤らめてうつむいた。 レイはとび抜けて美男子、といったわけではないが、まあその部類には入るであろう容姿をしている。 だが、当人はそれほど自覚も自負もしていないのであるが。そして物怖じしないというか、その育ちからか相手の目を見つめるその彼の癖は、今までにいくつかの誤解を生みだしてきた。 セナ=ルーンの王宮でも幾多の宿場町の酒場でもである。
 だが、いっこうに改まらないのは誤解するのは相手の勝手、自分には何等非はないという考えを彼が持っているからである。
「あの‥何か‥?」
 レイの視線に心臓を激しく動かしながら彼女がそれだけの言葉を発した瞬間、レイは何事もなかったかのように笑顔を見せた。
「部屋はどこ?」
「あっ、はい。こちらです。」
 彼女は足元に引っ掻けてあった鍵束をひっつかむと、レイの前に立って案内し始めた。
 少し奥にある急めの階段を登りきり、目の前のドアの前で立ち止まると、彼女は鍵束の中から一つの鍵を取りだして鍵穴へと差し込んだ。 彼女が鍵を左へ回すと、かちゃと音がして鍵が開いた。
「この部屋をお使い下さい、少し狭いですけれど‥‥。」
 彼女はそう言った後に、しまったというような顔を見せた。レイはそれを見て心の中で微笑む。
「で‥でも、眺めは最高ですから。」
 彼女は耳まで真っ赤にしながら、鍵の開いたドアを押し開いた。そしてすぐに窓を開けに向かった。
その間にレイは荷物をベッドの上に置き、腰の長剣を外した。彼女が押し開いた窓から、ひんやりとした秋の風が入りこんでくる。
 彼女は一時気持ちよさそうに風に髪をなびかせたが、やがてレイの方を向いた。
「すぐに食事の用意をいたします。お疲れでしょうからゆっくりくつろいでくださいね。」
「ありがとう。」
 レイは笑顔でそう返事を返した。彼女は一度軽く頭を下げると部屋から出ていった。
 彼女が階段を降りていく音を確認すると、彼はマントを外し服の中からピクシーを外へと出した。 よく他の人間がいるときに騒ぎださなかったものだ。だがアルベスではピクシーを持っていてもそれほど変な顔はされないのであるが。
 レイはそのピクシーをそっとベッドの上へと座らせ、自分はそれと向かいあうように椅子を引っ張ってきて座る。
「君の名前を聞かせてくれないか?と、人に名を聞くときは自分から名乗るのが礼儀だね。僕の名はレイだ。」
 レイはなるべく優しげな声でそう聞いた。 そのピクシーは自分を買った人間の意外な優しさに戸惑っているようであるが、警戒をといているわけではないようだ。
一文字に口を閉じ、しゃべろうという素振りすらみせないのである。
しばらく待ってピクシーが答えないのを確認したレイは、小妖精へと向かって再度口を開く。
「答えない‥か、まあそれはそれでいいよ。それが君の意志ならね。」
 レイはすっと立ち上り、ベッドの脇に立てかけてあった長剣を取る。そしてドアの方へと向かい右手を取っ手にかけたとき、再びピクシーの方を見た。
「窓は開いているし、食料も置いておくよ。行きたければ僕が戻ってくるまでに君の好きなところに行くがいいさ。」
 彼はそう言うと部屋の外へと出ていった。そして先程の女性と同じ様に、階段を降りる音が聞こえてきた。 部屋の中にはきょとんとした表情のピクシーだけが残った。
− 何なのかしら、あの人。私が逃げないと思っているのかしら?
 そのピクシーはベッドより立ち上がると羽を広げ、窓の縁へと飛んだ。まだ完全に太陽は沈みきっておらず、夜の女神に抵抗するようにかすかに西の空の彼方を照らしていた。
眼下には無数の人間がまるで川の流れのようにうごめいていた。 彼女は大きく息を付き、虹色に輝く美しい羽を広げ、そして大空へと飛び立とうとして、ふとその動きを止めた。
− だめだわ‥‥。魔法を封じ込められているのよ、とても”泉”へはたどり着けないわ‥‥。だいたい今、何処に居るのかも分からないし‥‥。
 彼女は窓から入り込む冷たい初秋の風に小さく身震いをすると、すぐさまベッドへと戻り布団の中にもぐりこんだ。
− 少し待ってみよう。悪い人でもなさ‥そう‥‥だし‥‥。
 彼女はそれきり考えることはなかった。久々の開放感からか、深い眠りへと落ちていったのである。

 薄暗い階段を一人降りたレイは、明かりのついている食堂へと入っていった。
中では先程の女性がせかせかと食事の支度をしていた。宿帳の通りレイの他に宿泊客は居ないらしく、テーブルには1人分の食事しか用意されていなかった。
 白い大きめのエプロンをした彼女は、テーブルの向こう側に立つレイに気付き、手を止めて近づいてきた。
「すみません、お客さんが貴方しか居ないものですから、あまり豪華なものは出来なかったのです。」
 料理の前に立ったレイが食事の質にクレームを付けようとしたと思ったのだろうか、彼女はすまなさそうに言った。
「もし良かったら一緒に食べてもらえませんか?一人で旅をしているので、たまには話しながら食事をしたいのですよ。」
 レイは少し照れ臭そうに言った。この年頃、少年から青年へと変わるころの男性にとって女性をそう誘うのにはまだ恥ずかしさがあるのだろう。
その言葉に彼女の表情は笑顔へと変わった。
「私でよろしければ。」
 そう言った彼女の笑顔はとても愛らしく、レイは一瞬はっと息を飲む。
「お願いします。」
 レイが数瞬の間をおいてそう言うと、彼女はキッチンの方へと走っていった。レイは長剣を脇へと置くと、食事の用意された椅子へと座る。彼女はレイのための料理を全て運ぶと、彼の席の前へ控え目な料理を運んできた。
 そして、彼女はエプロンをはずすと会釈をして、レイの前の席へと座る。
「いただきます。」
 2人同時に同じことを言ったことに対し照れたように微笑むと、2人は食事を始めた。ランプの明かりの中、二人は軽い世間話をしながら食事を進めていった。
「そうだ、まだ貴方の名前を聞いてなかったですね。僕の名前はレイ=ミューゼル、ってさっき宿帳に書いたね。」
 少し経ってからレイは気付いたようにそう尋ねた。
「私の名前はカレン、カレン=ジェファーソン。皆はカレンって呼ぶの。」
 彼女はそう友人に語りかけるように言った。 これもレイの持つ魅力の一つである。初めて会った者にでも安心感を与えてしまう力。
「カレンってあまり聞かない名前だね。カリンとかなら聞いたことがあるけれど。」
 レイはそう言って彼女の方を見た。彼女はふと手を止めて俯いてしまった。
「今は失われた古代の言葉でいじらしい、愛くるしいって意味だって昔、母から聞いたことがあるわ。もうそんな年じゃないけれど。」
 レイは彼女の言葉、発音の微妙な変化を捉えた。そして彼は、すぐにそれが死者に向けられたものと理解した。 少し間を置いてレイはカレンへと言葉を返した。
「そんなことはないさ。昔の君は知らないけれど、少なくとも今の君は名前の通りに見えるよ。」
 レイの言葉に彼女はうつむいていた顔をあげ、笑顔を見せる。
「ありがとう、男の人にそんなこと言われたの初めてなの。宿屋なんか経営しているから、年よりも生活じみてしまって‥‥。昔はいやだったわ、でも今は違う。父と母が私に残してくれたものだもの‥‥。いつまでも守っていきたいの。」
 カレンはその紫の瞳に、うっすらと涙を浮かべた。レイは彼女を見ている自分が、奇妙な感情を持ち始めていることに気がついた。
 この地を統べる八つの王国の一つ、セナ=ルーン王国の皇子であるレイには、国内の実力者や貴族は言うに及ばず、国外の名家、王室の女性にも事ある毎に会ってきた。だが、誰一人として彼の心を捉える女性はいなかった。
 何故か。それは彼が持つ特殊な感受性のせいである。 彼に近づいてきた女性は、レイが皇子だから、次期国王だからとそういう考えを持つものがほとんどであった。 そしてレイは、笑顔の下にある醜い欲望を感じる感覚を持ち合わせていたのである。 その多くの女性の中で、レイ自身を愛していた者がいなかったとは言わない。 だがそれはごく少数であり、彼女等も次第に朱に染まっていった。
 彼は後に結婚をするが、それは貴族の令嬢などではなく、彼と共に旅をした女性とである。  晩年、彼はごく親しい友人に自分は多くの恋をしたが、本当の恋といえるのは恐らく4つか5つだろうと語った。これを多く見るか少なく見るかは人それぞれであるが‥‥。
 彼はいまその数少ない本物の恋の予感を感じているのであった。
 レイは4年前、感じた感覚が今再び感じ始めていることに、軽い驚きをおぼえた。
− レンナ、ようやく君と同じほどに、愛せる女性を見つけられそうだよ。
 彼は今は遠き所にいる女性に、そう心の中で語った。4年前彼を助けようとして死んだ女性の顔が、自分の目の前にいるカレンに重なりあい、やがて消えた。
「どうかしましたか?」
 自分を見つめている若き客の視線に気付いたカレンは、そうレイへと尋ねた。
「いや‥何でもないんだ‥‥。ごめん。」
 はっと我に返ったレイはそう素直に謝った。
「え‥いえ、別に謝ってもらわなくても‥‥。」
 彼女はレイの意外な言葉に多少戸惑いながらもそうつぶやいた。
 それ以後もありきたりな世間話が続き、やがて食事も終わった。 食器を片付けようと立ち上がり、皿を重ねあわせ始めたカレンにレイは思い切ったように声を掛けた。
「あの‥カレンさん‥‥。迷惑でなければ‥その‥後で‥君の部屋に‥伺いたいのだけど‥‥。」
 カレンはそのレイの予期せぬ言葉に、手に持っていた食器を床へと落とした。 派手な音を立てて陶器製の食器は粉々に砕け散った。その音に我に返り、カレンは慌ててその破片を拾い集める。
レイもかがみ込んで、幾つかの破片を拾った。 破片のすべてを拾い終わった後、二人は同時に立ち上がり沈黙したままでいる。
− それ‥どう意味ですか?私と貴方は宿の主人とお客‥でも‥‥。
 彼女はぐっとレイの方を見る。レイは手に破片を持ったままじっと彼女の顔を見ていた。
「え‥え‥‥。かまいません。」
 彼女はそう言って素早くレイの手から破片を受け取ると、早足で食堂から出ていった。
 レイは大きな仕事を終えたかのようにふっと息をつくと、壁に立てかけてあった長剣を取り自分の部屋へと向かって足を向けた。

 彼は自分の泊まっている部屋へと入り、ドアを閉めた。当然灯りが点いているわけもなく、辺りは夜の女神に抱擁されていた。暗さになれぬ目で部屋を見回したレイは、先ほどのピクシーの姿が無いことに軽い失望を抱いた。
− 行ったか‥‥。
レイは暗い部屋の中を歩きベッドに寝っ転がろうとして、そこにうずくまるようにして眠るピクシーの姿を見つけた。喜びと落胆が合わさった不思議な感情を心に感じながら、レイは部屋の隅にあるランプに火をつけ、その灯を強めた。
 その明かりに気付いてピクシーがもぞもぞと起きだす。 レイの姿を視野に確認した彼女は、はっとして毛布で体を隠した。レイは椅子に座りじっとそのピクシーの方を見る。
「どうして出ていかなかったのかっていう目をしているわ、あなた。」
 初めてピクシーが口を開いた。それ程あからさまな表情をレイがしていたのだろう。
「半分わね。さあ、名前を教えてもらおうかな。君は僕の名を知っているのに、僕が君の名を知らないのは不公平だからね。」
 そのピクシーが口を開いたことにさして驚きもせず、レイはそう彼女へと尋ねた。
「レティシア、レティシア=フェルナ=シルフィード。これでいい?」
 レティシアと名乗ったそのピクシーはそうレイへと尋ねた。すこし小馬鹿にしたような口調も感じられなくはないが、レイはそのことを無視してうなずいた。
「なぜ、行かなかった?」
 レイは次の質問を彼女に尋ねた。彼は起こりうる未来の最悪の場面を想像してしまったので、少し口調がきつくなった。
「あなたといるほうが安全だと考えたから。私は魔法を封じられているし、ここが何処なのかも知らないわ。だから一人で旅立つよりはあなたといたほうが少なくとも安全だと考えたの。」
 レティシアもまた自分の考えに苛立たしげであった。例えそれが賢明で正しい考えだとしても、よもや人間をあてにしなければならないとは‥‥。
「何処に住んでいた?」
 レイはそのレティシアの苛立ちを無視し、質問を続けた。
「妖精の泉‥。」
 レティシアの声が少し重くなる。
「いつ狩られた。」
それに気付いていたであろうがレイはなおも続けた。
「4ヶ月ほど‥‥前。もういいでしょう?なぜそんなことまで聞くの?」
 レティシアは耐え兼ねたようにレイへと叫んだ。瞳にはうっすらと涙がにじんでいる。自分が狩られたときのことを思い出したのか、それとも望郷の念に駆られたのであろうか。
「そうだね‥すまなかった。君がこれからどうするのか聞こうと思ったが、それは明日の朝にしよう。今日はゆっくりお休み。」
 レイはそう言ってランプの灯を絞ると、部屋の外へと出ていった。薄暗い部屋の中でレティシアはしばらくすすり泣いていた。



 レイは階下へと降りると、カレンの姿を探した。彼女は調理場と言うには少し狭すぎる部屋にいた。先ほどの夕食の後片付けは終わっているようだが、どうやら明日の朝食の準備をしているようであった。
レイは入り口の所からカレンへと声をかける。
「あの‥‥少し出て街を見てきます。」,br>  先ほどのことが照れくさくてレイの言葉は少し堅苦しいものになった。突然声をかけられたことに少々驚きつつも、彼女は振り返った。
「分かりました‥‥気を付けてください。あまり遅くならないでくださいね。」
 彼女の方もなにやら恥ずかしそうであった。視線をレイと合わせないようにしているのがそれを物語っていた。
「ありがとう・・・・では。」
「気をつけて。」
 レイは彼女に軽く手を振ると宿の外へと出ていった。
商業の町アルベスと言えど夜遅くまでやっている店はそう多くはなかった。昼間の大市の賑わいが嘘の様である。
それでも幾つかの場所を挙げることができよう。まずはここに限ったことでは無いが酒場や妓館、賭博場などである。だが地より湧き出る温泉を利用した公衆浴場は他の町にはあまり類を見ない物であろう。
もちろん彼が目指しているのはその公衆浴場であるが、ここアルベスのものは大きな湯船になみなみとお湯を張った湯船型の物であった。
この公衆浴場はアルベス王直轄ものであって、料金が安く、一日中やっているので客の途切れる時はなかった。
大体一般の家には風呂など無いのであるから、その盛況ぶりも当然と言えた。
 王室直営の公衆浴場はカレンの宿よりしばらく歩いたところにあった。
レイはその建物の前の階段で立ち止まり、その大きさに感嘆の息をもらす。
地方の領主の邸宅もかくやと言わんばかりの大きさで、作りもまた古代の名高き名君達が民のために建てさせたというものを真似ていて豪華であった。
その浴場の入り口へと階段の脇には一つの石造の小屋が建っていた。
どうやら受け付けらしかったが、大抵の人間は素通りしているようだ。アルベス市民にはあまり厳しいチェックをしていないのだろうか、こんなところにもアルベス王の寛大さが見て取れた。 しかし旅の者にはそうは行かないだろうと思い、レイは受け付け小屋の窓口へと近付いていった。
窓口の向こうには若い女性が1人座っていて、ぼんやりと人の通りを眺めていた。レイが窓口に立つと彼女はにっこりと微笑んで声をかけてきた。
「アルベス王営浴場へようこそ。お入りになりますか?」
「ええ、いくらでしょうか?」
 レイは頷いた後そう言った。
「はい、ハーフクィルとなっております。」
 レイは彼女に革袋より取り出した銅貨を5枚手渡した。彼女はコインを数え終えると、彼へと紅い色をした太い紐を渡した。
「これは?」
 レイは紐を受け取ると、そう女性へと尋ねた。
「手首の所にまいて置いてください。それが証明書の代わりになります。‥‥ところで失礼ですがアルベスは初めてでしょうか?」
「はい。そうですけれど。」
 レイは少し訝しげな表情でそう言った。その女性の方はなにやら1人納得したようだが訝しげなレイの表情に気付いてか、彼女は慌てて口を開いた。
「あ、いえ、あまりチェックを厳しくしてないものですからたいていの人は私の前を素通りしてしまうのです。お金をお払いになる人なんて日に2,3人しかいないものですから、それで。」
「へぇー。珍しいね。」
 疑問の解消されたレイは心底感心したように呟いた。
「大抵の方はそうお言いになります。」
 女性の方もレイが大多数の人間と同じ事を言ったので満足しているようであった。



 一見ずさんなこの公衆浴場も穏和な性格で近隣に知られるアルベス王の性格ゆえだろうか。
もっとも公衆浴場自体が公共性が高いので、そのまま市民への福祉の一環となっているのかもしれなかった。
その女性に軽く会釈をし、そのまま奥へと進んだレイは、服を脱ぎ、蒸気に煙るアーチ状の入り口を抜けた。
浴場自体は中庭とおぼしき回廊で囲われた場所にそれこそ広大なプールほどの大きさのものであった。
 レイは近くに人がいないことを確認すると、湯の中へと飛び込む。
そのまま湯の中を泳ぎ、浴場の中央付近で顔を出したレイは、改めて周りを見回して、一瞬驚愕の表情を見せた。
なぜならば湯船の中には男性も女性も、老いも若きも問わず一緒くたに入っていたからだ。
レイが顔を出したすぐその近くにも若い女性が数人にて、突然顔を出したレイのことなど微塵にも気にせず、話に興じていた。
彼は顔を半分湯の中に埋め、目のやり場に困りつつも、この先、近未来の事に思いを馳せていた。
− 今日始めて会った人に愛を語るにはなんて言えば良いんだろう?・・・・想いを伝える・・・・ただそれだけでいいのかな?

 レイが丁度公衆浴場の広さを満喫していた頃、カレンの方は明日の食事の下ごしらえを済ませ、一人ランプの灯に揺られながら食卓のテーブルに座っていた。
つい先ほどのレイと自分との会話が彼女の頭の中に甦ってきていた。
− どうしよう・・・私・・・・。今日初めてあった人なのに、何故自分の部屋へと入れようだなんて思ったのかしら?
 何か自分がとてつもない間違いを犯したのではないかという不安が、一瞬胸を過ぎり、彼女は慌てて頭を振った。
− ・・・彼に惹かれているのかな?
 ふとそう思った彼女の頬は少し紅に染まっていた。
− 旅の冒険者と宿の女将・・・・そんなに変じゃないわよね・・・・・
 カレンにしても、そしてレイにしても物事に真剣に取り組む性格のようなので、あらゆる事についてついつい自分に良い方向へと考える様である。無論今はそれが2人にとってプラスになっているのだが。
 今のレイとカレンのように冒険者と街の娘との恋物語は、吟遊詩人が1000日詠っても同じ歌が二つないと言うほどに数しれない。今この時点でも、どこかの国の、どこかの街で恋に落ちつつある者たちがいるかも知れないのだ。
しかし多くは残酷な悲劇で終わり、そのため吟遊詩人達は冒険者と街娘の恋の歌を進んで歌おうとはしないものだ。
彼らが好んで人に聞かせるために詠うのはハッピーエンドに終わる純粋な恋の物語である「美しき少女」や「我が天使」の様な物語であろう。
後世、レイ自身も吟遊詩人に好んで詠われる様になるが、それはハッピーエンドに終わる恋物語というよりも後にも先にも彼らだけだったので、いつまでも人々に親しまれることになる。だが残念ながらその物語のヒロインはカレンではない。
 思いに耽る彼女の目の前に公衆浴場から戻ったレイが姿を見せたのだが、顔をあわせた2人は何を言えばいいのか分からず、ただただはにかんだようにしているだけであった。
しばし後、年の功からか先に口に開いたのはカレンであった。
「お帰りなさい。」
 笑顔と共に送られた彼女の一言をレイはしっかりと受け止め、そして彼もまた笑顔で彼女へと返す。
「ただいま。」
 カレンは椅子から立ち上がり、レイへと手を差し出した。レイはその手を握り、そして2人は導かれるように彼女の部屋へと足を向けた。



 カレンの部屋は宿の一番奥まったところにあった。部屋には大きめのベッドとタンス、年期の入っていそうな古びた机、そしてその上に小さな鏡がのっかっていた。
「素敵な部屋だね。」
レイは飾りっけなしに思ったことをそう口にした。
「ありがとう。・・・元は両親の部屋だったんだけど、今は私が使っているの。」
 カレンは思い出を確かめるかのように、机の過度に手を置き、そしてそう言うと表情に少し影を落とした。
レイはそのカレンを思わずぐっと抱き寄せる。
一瞬からだを強ばらせたカレンであったが、逆らおうとはせず、頬をレイの胸に押し当てた。
− 広くて暖かい・・・・。まるで、そう父の胸のよう・・・・。
 カレンは目を瞑り、そう思った。
− レンナとは違う。けれど同じ様な人。
 レイもまた彼女を抱きしめていてそう感じていた。女性を抱きしめながら別の女性のことを考えているなど、まして比べているなど不謹慎もいいところであろうが、彼にとってはそれが自然であるのだ。
レイは幼い頃、母を病で亡くしていた。そして彼の父はその後妻を娶らず、だからレイは母の温もりを知らずに育ってきたのだ。
彼の身の回りを世話をしてくれた侍女も多かったが、彼女らの思いは母親のそれとは異なるだろうから。
本当に彼を愛し本当に彼を想ってくれたのは彼が13の時に出会ったレンナ・クラヴィアという女性だけであった。
出会った当時16歳であった彼女は、母の温もりを知らぬレイに、それに近いものを与えてくれた。もっとも彼女にとってはそれは母親の愛ではなく、恋人としての愛であったのだが。
ともかくもレイのことを第一に考えてくれて、他のことを省みなかった彼女にレイは母親の愛情に似通ったものを感じていたのは確かであろう。
だが、その愛ゆえに彼女は17年で生涯を終えることになってしまったのだが・・・・。
それ故、レンナという女性は、レイが女性を考える事において、計り知れない影響を持っていたのであった。
だからこそ、彼女と同じ、ないしそれ以上という風に思うのは、本当に愛しているということに他ならないことになるのだろう。
レイはそっとカレンに唇を重ねた。そしてランプの火は消され、夜の闇だけが2人を包み込んだ。

 朝日が窓辺のベッドで眠るレイとカレン、2人の上に降りかかった。
小鳥達が囀り、その声でレイは目を覚ました。そして彼の腕の中で眠っているカレンを起こさぬようにベッドから抜け出すと、そのままそっとドアを抜け、階段を上り、自分がとった部屋へと戻った。
レイはまだ小妖精の少女が寝ているのではないかと思い、そっとドアを開けて中の様子をうかがってみると、彼女は既に起き出していて警戒心も露わにのぞき込んだレイをにらみつけていた。
レイはそのまま部屋の中へと入り、どっと椅子へと座ってその少女の方を向いた。だが、どちらも視線を向けあうだけで一言も発せず、沈黙が2人の間に停滞していた。
レイは彼女を買った者として生じてしまったある責任の元、一つの問いを口にしようかどうか迷っていた。そしてレティシアの方も自分を買った人間がこれから発する言葉を待っていた。
少なからぬ緊張した時間が流れ、ようやく意を決したレイが口を開く。
「君は・・・・これからどうしたい?やはり”泉”へと帰ることを望むのか?」
「帰りたくないと言えば、それは嘘になるわ。でも貴方は私がそう言うことを望んでいるのでしょう?」
 レティシアは意地の悪そうな笑みを浮かべてそう言った。
「そうだね。でも僕の考えを聞いてもしょうがないだろう?僕が聞きたいのは・・・・」
「私の考えでしょう?」
 彼女はレイの言葉を先に行った。レイは頷き、彼女の返事を待つ。 「帰りたいわ、出来るなら。・・・・でも何故そんなことを聞くの?人間にとって玩具の意志など関係ないでしょ?」
 彼女はきっぱりとそう言い、逆にそう問うレイの真意を問うた。もっとも後半の口調はさすがにきつかったが。
「僕には君を買った者として責任が生じているからね。セナ=ルーンの皇子として、その責任を放棄することは出来ない。」
 レイは軽くおどけるように両手を広げて見せた。
一方のレティシアの方も驚いているようだ。彼女も真実と嘘を見抜く目くらいは持っているつもりだった。
「皇子自らが国の法を破るわけには行かないからね。君は”泉”へと帰ることを望んだ。なら僕には君を”泉”へと連れていく義務は生じた。」
「今貴方は私を買った事を後悔しているでしょう?」
 レティシアの問いにレイは答えなかった。真実を語る気にはなれず、嘘を付く気にはなれなかったからだ。
もっとも沈黙は肯定と同じ意味であることも十分承知しているのだが。
しばし後、レイはおもむろに立ち上がり、ベッドの上の荷物と長剣を手に取るとレティシアへと口を開いた。
「行こう。」
「なぜそんなに急ぐの?まだ日は昇ったばかりなのに。」
 そう言われて一瞬レイの顔が歪む。
「今・・・・僕はある人を愛し始めている。・・・・けど旅立つことを彼女に告げる勇気を持ち合わせてはいない。なら彼女の知らぬ間にいなくなるしかあるまい?」
 レイはそう辛そうにレティシアへと答えた。彼の言うある人がこの宿の女将を指すだろう事は、レティシアでも分かった。
「そう。でももう手遅れね。」
 レティシアは無表情でそう言ってドアの方を見た。レティシアのその動きにレイもまた慌てて扉を振り返る。
そして扉を開けたレイは、その向こうにカレンが立っているのを見て愕然とした。
「カ・・・・レン。いつからそこに・・・・・。」
 頭を鈍器で殴られたようなショックの中でレイはそれだけの言葉をようやく身体の奥底から絞り出した。
だがカレンは俯いたままレイのその言葉には応えなかった。
「私が馬鹿だったわ。旅の男の言葉を真に受けていたなんて・・・・。汚らわしい。出ていって!この宿から出ていって!」
 不意に彼女はキッとレイを睨むとそう一気にまくし立てた。そして叫び終わるとくるりときびすを返し、階段を駆け下りていった。
レイは彼女の突然の感情の爆発を理解できず、ただ呆然とした表情で彼女の後ろ姿を見送っていた。
「追わないの?」
そのレティシアの言葉にハッと我に返ったレイは、慌ててカレンを追って階段を駆け下りた。
後にはそのレイを何故か複雑な表情で見送ったレティシアのみが残った。



レイがカレンの後を追ってようやく部屋の前までたどり着いたとき、既に彼女の姿は部屋の中へと消えていた。 ドアノブに手を掛け鍵がかかっていることに気づくと、レイは激しく扉を叩いた。
「カレン!信じてくれ!!僕は本当に君のことを・・・・。」
 当のカレンは部屋の中、扉に背を当てて立っていた。
「出ていってと言ったでしょ!」
 レイの必死の言葉をまさしく体で感じながら、だが彼女の返答は辛辣で冷たかった。
「カレン!お願いだ、話を聞いてくれ。」
 そう言われてなお扉を叩き彼女へと叫び続ける。
「もう・・・・信じられないよ。」
 悲痛に満ちた声でカレンはそう呟いた。
  「・・・・・カレン。」
 新橋沈黙したあと、再度レイは今度は語りかけるように彼女の名を呼んだ。
「お願い・・・出ていって。私が酷いことを口にしないうちに。」
 だが、彼女はレイが何かを言う前に、そうレイへと言った。無感情な、だけれども彼女の感情の圧縮された言葉だった。 レイはそこで説得の困難さを悟った。
「分かったよ、カレン。僕は・・・行くよ。でも僕は本当に君を愛している。これだけは・・・・いや、もはや意味のないことだね。」
 レイもまた悲しみのこもった声でそう呟くと、そっと扉から離れ、一歩二歩名残惜しそうに後ずさると、やがて意を決したように彼女の部屋に背を向けた。
レイはレンナを失ったときの次に大きな絶望を胸に抱きしめていた。顔は蒼白で苦痛に歪み、今にも死にそうな重病人の用であった。
部屋へと戻ったレイは剣と荷物を取り、ベッドに座ったままのレティシアを服の中へと押し入れた。
レティシアの方もレイのあまりに鬼気迫る雰囲気に押されて、抵抗はしなかった。
そしてレイはゆっくりと階段を下り、今一度未だ閉ざされたままのカレンの部屋の方を振り返った。
「さよなら・・・カレン、」
 レイはぽつりとそう呟くと、玄関の扉を押しやり、そして出ていった。
戸の閉まる音を聞いて、張りつめたものが途切れてしまったのか、カレンはどっと床に崩れ落ちるように座った。いつの間にか涙が止めどなく流れ落ちていた。
− 嫌な女だと思うでしょうね・・・・レイ。でも、これで良いの・・・・。八王国の皇子様と街の宿の娘なんて不釣り合いすぎる・・・。  そう思うカレンの脳裏には、たった一晩を共にしただけの若き旅人の仕草や言葉、そして温もりがまとわりついて離れなかった。
カレンは自分でもよく体の中にこれだけ涙があるものだと思うほどに涙はあふれていた。拭っても拭っても、涙は止まることを知らないようであった。
どれくらいの時間が過ぎたのだろうか、不意に宿の玄関を叩く音がカレンの部屋まで届いた。
一瞬体をふるわせ、次いでレイがもどってきたのかと思ったカレンであったが、すぐにその考えを打ち消し、慌てて涙を何とか止めると、急いで玄関へと足を向けた。
「はい・・・どちら様でしょう?」
 執拗に扉を叩く主に、カレンはそう扉ごしにそう問うた。しかしカレンの声は扉を叩く音にかき消されて相手に届かなかったのだろう、なおも扉は叩かれ続けた。カレンは仕方なしに扉を少しだけ開けた。
細く開いた扉の向こうには一見してどこかの騎士であることがわかる出で立ちの若い男性が一人と、兵士が何人かいた。
「すみません、今日は休みですので・・・・。」
 カレンは見慣れぬ紋章を身につける騎士にそう消え入りそうな声でそう言った。
「あ、いえ、そうではありません。申し訳ありませんが少しお話をお聞きしたいのですが・・・・。」
 騎士は姿を見せたカレンへと軽く会釈をすると、そう切り出した。
「何でしょうか?」
「こちらにレイと言う名を名乗る髪は銀、目は紫の青年は泊まってはいないでしょうか?」
 騎士の口から出たレイの名を聞いてカレンは少し怪訝そうな顔をする。
「申し訳ありませんが、お答えできません。」
 少し事務的な口調でカレンは騎士へとそう言った。声は小さかったが、迷いはなかった。
「あ、ちゃんとアルベス王の許可は得ております。」
 騎士はそう言って、懐から取り出した羊皮紙をカレンへと見せた。羊皮紙には確かにアルベス王の署名がしてあるようだが、カレンはさしも興味もなさそうに一瞥しただけで、再び視線を騎士の方へと戻した。
「お答え願えますか?」
 促す騎士の言葉に、カレンは軽く頷いた。
「ええ、その方なら泊まっていましたわ。でも何か追われる様なことをされるような人には見えませんでしたけど・・・・。」  カレンは首を傾げてそう呟いた。
「あ、いえそう言うわけではありません。え〜と・・・実はそのお方はセナ・ルーンの皇子なのですよ。我々はお忍びの好きな皇子に振り回されるセナ・ルーンの者でして。」
 そうさも大変だと言わんばかりにその騎士はそう呟いた。だがその騎士の言葉にもさして関心がないようにカレンは表情を変えなかった。
あまりの無関心さに逆にカレンに対して僅かではあるが不信感を募らせる。
「あまり驚かれないようですな。大抵の方は少なくとも目を丸くするものなんですが。」
 騎士はそう言いつつ思い出したように笑みを漏らす。が、カレンの視線に気づくと慌ててまじめな顔に戻る。
「して、いまレイ様はどちらに?」
 軽く咳払いした後、騎士はそうカレンへと問うた。
「残念ですが、今朝発たれました。」
 カレンは投げやりな、それでいてたまらなく悲しそうなという複雑な表情を無意識に見せつつ、そう答えた。
「どちらの方に行かれたか分かりますか?」
 そのカレンの表情に興味を引かれつつ、騎士はそう尋ねた。だがカレンは首を横に振るだけであった。
騎士はそのカレンへと礼を述べ、兵士達に関に向かうよう命令を下すと自らも走りだそうと背を向けて、ふと足を止めた。
「レイ皇子は貴方を愛されましたか?」
 カレンはその問いには答えず、扉を閉めた。騎士の方はなぜ自分はそのようなことを聞いてしまったのかと後悔の念を抱きながら、走り出した。
 カレンは玄関の鍵を閉めると、そのまま自分の部屋へと戻り、そこの鍵も閉めた。そして昨夜レイと永遠の愛を誓い合ったはずのベッドの脇にしゃがみ込み、両腕をベッドの上で組んでそこに顔を埋めた。
再び彼女の目に涙が浮かんでくる。それはもはや永遠に会うことはないだろうレイへの想いと、そして自分がレイへと発した言葉への自責の念からのものに他ならなかった。

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