The Fantasy Story

オリジナル小説 幻想物語

The Fantasy Story

第二章 クロラドへ(To Crolad)



 セナ=ルーンの騎士達がカレンの宿へと着いた頃、レイはアルベスの東の関を抜け『妖精の泉』を目指し東へと進んでいた。
母国の追っ手を避けるため大街道を使わず寂れた古道を歩いていたため、道の上に彼の他に人影はなかった。
レティシアは彼の襟首からちょこんと上半身だけを出して、少し見上げるようにしてレイへと話しかけてくる。
「あの人、本当に貴方を愛していたみたいよ。それなのに何故置いてきたの?一緒に行けば良かったのに。」
 言葉とは裏腹に口調にレイを非難している様子はなかった。 「彼女は町の人だ。きっと数ヶ月もの旅に耐えられるはずがない。それにヴィクリクスヤアスグントは女性と2人で旅を出来るほど治安が良いわけではない。」
 そう憮然とした表情で小妖精へと言ったレイであったが、内心では自分自身を情けなく思っていた。
彼の語った言葉は言い訳に過ぎないことは自分自身でもよく分かっていたからだ
意志のない自分を責めるしかなかった。
「何よりも・・・・私のせい?」
 レティシアは瞳に無邪気さを浮かばせてそう尋ねた。
レティシアというこの小妖精は、わざとなのかどうなのかは分からないがなぜかレイの心の影の部分を突くような言葉を投げかけてくるようだ。
レイはそれには答えず、自らが進むべき道の彼方を見つめた。
 二年前、王であり父であるフォスター・ウェンディス・ロードヴィック・シュバルツハルトが決めた隣国の姫との婚約に反対して、国を飛び出した日のことを思い出していた。
今も、そしてあのときも思っていたが相手のカリスの姫君、ソフィア姫は絶世のという形容詞がつけられるほどの美姫であった。
彼自身もかなり好意を持っていた。しかし、レンナという女性が心の大半を占めているレイにとって、あるいは皇子としては許されないことなのかも知れないが彼女を恋愛の対象には出来なかった。
レンナの死はそれほどまでにレイの心に影響を与えていたのである。
彼女の死後、一週間の間レイは自室にこもり、食事もとらずに泣き伏していた。そして自殺を許さぬ教えから自室を出たものの、それからの2ヶ月は以前の明るさも消え、まるで魂を奪われたかのように過ごしたのだ。
その間、たとえば笑みを見せなかったわけではない。ただ感情の籠もらない作り物のような笑みだった。
古代のある詩人が有名な一節を残している。『死者への想いは何人にも破ることは出来ない。何故なら想う者にとって神への想いと等しいものだからだ。』
レンナにしても一点の非もない完璧な理想の女性では無かっただろう。だが死者からそれを気づくことは出来ない。
レイの中では思い出だけが増幅していき、理想化され、やがてその想いは神への想いと同質のものとなったとき、ようやくレイは彼女の死という現実から解き放たれた。
少年から青年へと変わるこの時期に最愛の者の死はレイの精神に大きな影響を与えていた。一歩大人になったと言えばそれまでだが、彼自身そう思うまで実に多くの時間を必要としたのだ。
そして一年が過ぎ、父が持ち出した婚約をレイは受け入れなかった。
しかし奸計により、話は結婚へと姿を変えて一人走りしていき、レイの手では引き返せないほど進んでいってしまった。
溜まりかねたレイは自分に出来る起こされた拒絶の手段として、剣といくばかの荷物を持ち、王宮から出奔したのであった。
今のように自分の不甲斐なさ、力の無さ、意志の弱さに少し苛立ちを覚えながら。
「ねえ、黙りこくっちゃって何を考えてるの?」
 レティシアがそうレイへと話しかけた。黙りこくってしまったレイを不審に思ったのだろう。
「君には分からないことだよ。」
 レイは首を振り、そうぶっきらぼうに答えた。
「そう・・・・分かりたくないような事を考えていたのね。」
 だがレティシアも済ました顔でそう言った。
− 遠慮のない娘だな・・・・。
 レイはそう思ったが、実際には人間より長命なピクシーであるレティシアのが年上であろう。
彼らの最初の目的地はアスグント王国の中央に位置する城塞都市クロラド、アルベスからはおよそ40日の旅である。



 レイとレティシアがアルベスと経ってから二週間が過ぎようとしていた。
寂れた古道には宿はおろか村すらもそうそうあるものではなく、ほとんどが野宿という生活であったが。2年間旅を続けているレイにとってそれは苦となるものではなかった。
道から少し外れ、寝心地の良さそうな草原で火を起こし、保存食で軽く食事をすましてからいくばかの睡眠をとる。
宿で多くの見知らぬ人間と触れあうときもそうだが、このように野宿をするときもまた旅をしているという実感があるとレイは思っていた。
今日も日が沈みかけているにも関わらず、町はおろか家の一軒も視界に入ってこなかった。
「今日も野宿のようだね・・・。」
 レイは自分の肩へと座る小妖精へと声を掛けた。
「ええ・・・・。」
 彼女は疲れた表情のままそう呟いた。旅の疲れがかなり溜まっているようだ。
− 無理もない・・・・。
レイはレティシアの方をちらっと見るとそう思った。狩られてからレイに買われるまでは、否、今でさえ心の安まる時はないに違いないのだ。
そう言う状況下での旅なのだ。それでも初めの2,3日はそうでもなかったのだが、今は端で見ているレイにすら疲れているのが分かったほどであった。
− しょうがない、南へと出て大陸公路をゆくか。1日2日宿で休めば疲れもとれるだろう。
 レイは立ち止まり、南の方を見やる。眼前に広がる森に入ることになるが、それでも半日歩けば抜けられるだろう。
彼は背負い袋の中から少し大きめの布をとりだし、それを器用に肩から脇へとかける。
そしてレティシアをそっと掴むと、その中へと寝かせるように入れる。丁度ハンモックのような感じになってきれいに洗われた布がレティシアの体を優しく包み込んだ。
即席のハンモックに身を任せながら、それでも何事かというような目でレイを見るレティシアに対し、レイは優しい視線を向ける。
「少し寝るんだ。君はとても疲れている。」
 何か言おうとした彼女であったが思い直したように小さく頷き、そっと目を閉じる。よほど疲れていたのかすぐに彼女は深い眠りについたようだ。
レイはそれを確認すると、歩みを南へと変え森の中へと足を踏みいれ。日は既に西の山の向こうに沈み、変わって月が顔を出し始めていた。
彼はゆっくりを足下を確かめながら森の中を進んでいった。レティシアを起こさぬように気を使いながら。



森の地は起伏に富み、所々に泥濘や木の根などが顔を覗かせていたが、レイの足を緩めさせるには足りなかったようだ。
風にそよぐ木々のざわめきの中、ふとレイの脳裏にカレンの顔が浮かんだ。
彼はカレンを失ったことに気づいていた。だが、たった一晩だけといえども彼女を愛した事実は消えぬし、また消すつもりもなかった。何故なら彼女への愛はいまだ彼の胸の内にあったからだ。
しかしそれはやがては思い出へとかわり、彼の心の中で過去の女性となっていくのだろう。
だがそうなるためには何よりも時間が必要であろう。彼はまだカレンを愛している。4年前、初めて愛した人と同じほどの気持ちで。
それとは別に彼の心の一部ではカレンとの出会い、そして別れは自らの預かりしらぬところで神が決めた運命なんだと自分に言い聞かせようとしていた。
言い聞かせる、つまりそれが偽りの理由でしかないこともまた彼は知っているのだ。それでいてなおそう思いこまねばならないこの理不尽さ。
レイは愚かな思考に填った自分に苛立ちを隠せなかった。
 1時間半ほど森の中を歩いた頃であろうか、不意にレイは自らの回りに蠢く殺気に気が付いた。
だがそれは意志ある者どもが持つ悪意ある殺気ではなく、純粋に彼を殺すことのみを考えたそんな殺気だった。
− まいったな。野犬か?
 レイは腰に吊した剣を抜きやすい場所へと移動させる。そしてふと立ち止まり辺りへと目をやるが、木々に阻まれ当然何が見えるわけでもなかった。
再び歩き出そうとして、レイは囲まれていることを悟った。レイの動きに気が付いたのか、とたんに回りの殺気が強烈なものになった。
レイは早足で歩き、自分を囲う殺気の出方をうかがう。レイの動きに併せるかのように殺気の輪は動き、そしてじりじりとその輪を縮めてきたのを彼は感じ取った。
− まずい・・・野犬じゃない。”白狼”か?!
 レイは剣の柄に手を掛け、更に歩く速度を速める。めざとく小高くなった丘にたつ杉の木を見つけ、そこへと駆け寄る。
そして幹に背をつけ、荷物を地に下ろし剣を抜いた。鋼の刀身が月明かりに反射し、青白い軌跡を描く。
それは今は失われた技術を持って作られた魔力を付与された剣であることを示していた。
レイのただならぬ動きに気づいたのか、もぞもぞとレティシアが起き出した。
ぼぅっとした表情をしていたが、レイが剣を抜いているのに気が付くととたんに表情が険しくなる。
「どうしたの?」
「どうやら”狼”に囲まれたらしくてね。」
 レイが何気ない口調でそう言った矢先、白銀の毛を持つ巨大な狼が何匹か森の木々の合間から姿を見せる。それを見たレティシアの表情が凍り付いた。
「”白狼”・・・・。」
 ”白狼”は北キャロル大陸にしかいない固有種の狼だが、この地に住むものならその名前ぐらいは知っているだろう。”魔王の番犬”とも”人喰いの白狼”とも呼ばれる彼らの悪名は、それこそ全キャロルの人々の畏怖の対象となっているからだ。
「飛んで逃げろ・・・・。」
 レイが一瞬視線をレティシアへと向けたその瞬間を一匹の白狼が見逃さなかった。
その巨大な巨体のバネを存分に生かして10数メートルを一瞬にして詰め、レイへとその牙を向けたのだ。
「ひっ。」
 思わずレティシアは目をつぶり、身を固くする。避けることも剣で防ぐことも間に合わないと判断したレイは、自らの左手でその鋭い牙を防ぐ。
白狼の牙がレイの腕の肉に突き立った次の瞬間、彼の剣が白狼の喉元を突き破っていた。
レイの腕を咥えたまま白狼はその巨体を力無く地へと落とす。すでに絶命していた。レイは何とか白狼の牙をふりほどく。
左手はレイの意志とは無関係に力無くたれていたが、彼自身はそれほど痛みを感じていなかった。
− くっ・・・・・。相当深いな。
 そう考えたレイに、ようやく目を開けたレティシアが目を開け、そして声無き叫びをあげる。
「!!・・・・・だ、大・・・・丈夫?」
「さあな。」
 レイは同じ過ちを繰り返さぬよう、今度は視線を動かさずにそう答えた。
狼どもはいらだたしげにレイの回りを動くが、襲いかかってこようとはしなかった。おそらくレイが今殺した白狼が群でもかなりの実力を持ったものだったのだろう。
レイは再び木の幹に背をつけ、慎重に辺りを伺いつつ右手の小指で左手の流れる血をすくい、心配そうに見つめるレティシアの額へと塗った。
「な、何をするつもり?それよりも止血を・・・・。」
 鉄にも似た血の匂いに眉をしかめつつ、レティシアはそう言った。
「いいか良く聞くんだ。・・・ここからは一人で”泉”へと行け。封印をいま解いてやるから。」
万能なるマナよ。かの者を捕らえし魔術の鎖を解き放ちたまえ!解呪
 レイがそう古代魔法語で呟くと。レティシアの額に塗られた血が光る。その光に一瞬狼達がたじろいだ。
レティシアはその光によって、体の中の、つっかえていた何か嫌なものがすっと消えていくのを感じた。そして、塗られた血と共にその光が消えたとき、レイは彼女へと呟く。
「東だ、東へと行け。そうすれば”泉”が見えてくる。君の羽ならばそう遠くないだろう?」
「で、でも・・・貴方は?」
 レティシアは泣きそうになりながらそう聞き返す。
「気にするな、行け!邪魔なんだ!!」
 苛立ちを隠さないレイに何か言おうとしたレティシアであったが、訴えるような彼の瞳に気が付くと、頷いてその羽を広げ空高く舞い上がった。
それを見、ほっと息を吐いたレイであったが、再び強烈な殺気が彼を襲う。はっとその方向を見るレイの目に他の白狼より二回りも巨大な白狼が姿を見せていた。
− 奴がこの群のボスか・・・・・。さすがにでかいな。
 レイは心の中で苦笑した。彼はこの辺りが白狼の生息地だったことを知っていたはずだった。そして獲物の少なくなってくる今の時期、ふもと近くまで降りてきて哀れな旅人や狩人などを襲うことも。
レイは右手に力を込め、剣の感触を確かめた。魔力付与された剣は軽く、片腕でも十分扱える。だが、力無くたれる左手の指先からは流れ出た血がぽたぽたと地面に落ちて、血の泉を作っていた。
このまま待っていればいずれレイの命の灯も消えるだろう。だが、生来のハンターである白狼はその気高き性格故か死肉を嫌う。自らの手で狩った獲物を喰らう事により初めて彼らの空腹は満たされるのだ。
白狼のボスが一つ小さく唸る。とたんに数匹がレイへと目がけて飛びかかってきた。レイは必要最小限の動きでそれを交わし、一匹の白狼の首をはねる。そして続けざまにもう一匹の胴体を両断した。
辺りに以前にもまして血の匂いが漂う。
しかし白狼達は今度はひるむことなく波状攻撃をレイへと仕掛けてくる。だが、そのたびに白狼達の数は減り、レイの足下に横たわる死体と化した。
白狼の攻撃で一番恐ろしいのはこの波状攻撃だ。特に後ろからの攻撃は、腕の立つ者でも避けきることは難しい。
レイは敢えて巨大な木の幹を背にすることによって、後ろからの攻撃を塞いだのだ。
その巨体故、すこし心得のある者ならば白狼の動き自体を見切ることは決して難しいことではない。
『ギャウンッ。』  白狼達の十数度目の攻撃も失敗に終わり、レイの足下には10数個の白狼の死体が横たわっていた。
白狼の攻撃は最初の一匹以外レイの体にかすり傷一つ追わせることは出来なかったのだ。だが、レイの動きは、出血のためかなり鈍くなってきていた。
− やばい・・・な。体が重くなってきやがった・・・・。
 レイは荒い息の中、それでも白狼達をにらみつけていた。彼の額にはじっとりと脂汗がにじんでいた。しかし、それでも彼の闘志は衰えなかった。
白狼達は自らより弱いはずの獲物の思わぬ手強さにたじろいでいた。しかし血の匂いに酔った白狼達が引くことはけしてない。
だがそれでも仲間の大半を殺され、波状攻撃が効かないことを悟ったようだ。不意にボスが鋭い叫びを発する。
それにあわせてボスを除く残りの白狼3匹が3方向から同時にレイへと襲いかかる。
だが、それは逆に残り少ない体力のレイにとって好都合だった。白狼達が自らに襲いかかる瞬間、身をかわしたのだ。
白狼の決死の攻撃はそれぞれの仲間を傷つける結果となった。3匹の自滅を誘ったのだ。
その隙を逃さずレイは3匹を瞬時に葬る。
− あと・・・一匹!
 レイは鉛の様に重くなった体を動かして、たった一匹残った白狼の前に対峙した。
群の仲間を全て殺された白狼はいらだたしげにレイの前を少しうろつくが、それでも自らに絶対に自信があるのだろう、すぐにレイへと飛びかかってきた。
その直線的な攻撃を体を捻って交わそうとしたレイであったが、感覚のない左手がそこに残ってしまった。
そして白狼の鋭い爪に引っかけられ、バランスを崩したレイはそのまま地へと倒れ込んだ。
そのレイに対し、白狼は覆い被さるように襲いかかる。慌ててレイは体を反転させ、その牙と爪から逃れる。
白狼は一跳躍で少し離れたところまで跳び、レイの方へと振り返る。レイもすぐさま立ち上がり、再び白狼へと対峙する。
レイの左手はもはや肩より垂れ下がる肉塊と化していた。だがもう痛みは感じなかった。
− どちらにしろ・・・・あと一回か・・・。
 レイは意を決し、剣を脇に抱えるように構えると重い体を叱咤して白狼へと走り出した。白狼は一瞬体を沈めたかと思うと、大きく飛び上がりレイへと襲いかかった。
レイは走る勢いそのままに右手の剣を白狼へと突き出す。僅かにレイのリーチのが長かった。剣は白狼の眉間へと突き刺さり、中空で絶命した白狼はそのままレイの脇を抜け地へとくっぷした。
レイは何とかその白狼から剣を引き抜き、重い体を引きずるように大杉の根本まで歩くと、幹を背にどっと座り込んだ。そして一度星空を仰ぐように見ると、そのまま目をつぶった。彼の意識は急激に遠退いていく。
 それは夢なのだろうか?暗闇の中に佇むレイの目の前に2人の女性の姿が浮かぶ。
一人は彼の母シルディア、そしてもう一人は懐かしき愛しき人レンナ・クラヴィアであった。
2人は優しく彼の体を抱えようとする。
− レンナ・・・・、母上・・・・。
 レイは抵抗せず、2人の抱擁を受け入れようとする。だが、ふとレイは彼の耳元で執拗に彼の名を呼ぶ者に気が付いた。
煩わしそうにふっと目を開けると2人の女性の姿は消え、変わってレティシアの姿が目に映った。
「”泉”へと・・・行ったんじゃないのか?」
 荒い息の中、とぎれとぎれにレイはそう言った。弱々しい声だと自分でも感じるほどの声で。
「行ける分けないでしょう?!怪我した貴方を置いて・・・・。待ってて、今薬を・・・。」
「いいんだ・・・・このまま逝かせてくれ。」
 レイは小さく首を振り、そう呟いた。
「そんなこと言わないで!私との約束はどうなるの?!私を”泉”まで連れていってくれると言ったじゃない!!」
 レイの言葉に驚いてレティシアはそう叫んだ。いつの間に目に涙が溢れていた。
しかしレティシア自身本心からその言葉が出たことに、涙が止まらないことに驚きと共に衝撃を覚えていた。
「すまないが・・・一人で行ってくれないか?僕はその約束は守れそうにないから・・・。」
 レイ自身、たとえ止血して薬を飲んだとしても、それが気休めにもならないことを悟っていた。 そしてレティシア自身もそのことには気が付いていた。
「私が治してあげる!”治癒”ぐらい扱えるわ!!」
 レティシアはそう言って彼の左手の上に両手を重ねて置いた。
「やめておけ・・・・。一体どれくらい魔法を封じられていたんだ?今、”治癒”など使えば、精神が壊れるぞ・・・・・。」
「・・・・・・なら私の血をあげるわ!ピクシーの血は強力な治癒薬になるの!!」
 レティシアは必死になっていた。この人を死なせてはいけない、本気でそう思っていたのだ。
「無駄だよ・・・・。もうどんな薬でも・・・・無意味だ。」
 だがレイは首を横に振る。そうこうしているうちにもレイの命の源は、森の地へと吸い込まれていた。それに比例してレイの息は荒く、弱くなり、顔色も青ざめていく。
レティシアは涙を拭うと、意を決してレイの腕に両手を置き、精神を集中させていく。
「やめるんだ・・・・。本当に・・・心が砕ける。」
 それに気づいたレイは、そう呟く。
「静かにしなさい!!気が散って集中できないわ!!」
 − 私がここまで心配しているのに何故この人は死のうとするの?
 レティシアは半ば怒ったような眼差しでレイを見てそう叫んだ。レイは何か言いかけたが諦め、そっと目をつぶる。
『この地を創りたまいし太陽の神よ、汝の僕たる我に傷を癒やす力を与えたまえ・・・・・』
 そうレティシアが神聖語で呟いたあと、レイは自分の腕の傷がゆっくりと治っていくのを感じていた。
今、ここまでして自分を助けようとしてくれるレティシアに感謝の気持ちはあった。
だがここで命を拾ってどうしようというのだ?二度目の大きな絶望に、今のレイは生きる目的を失っていたのだ。
今はレティシアを”泉”へと連れてゆく約束がある。しかし、それは”泉”へは長くても2ヶ月でたどり着けるだろう。
その後はどうするのだろうか?また旅をはじめるのか?レンナほどに愛せる女性を捜す宛のない旅に。
それともうまれた誤解を解くために再びカレンの元へともどるのだろうか?いずれにせよ今は決められぬ事だった。
 レイはふっと目を開けた。左腕の傷はほとんど治癒していた。だが、魔法を掛けているレティシアの額には汗が浮かび、険しい表情をしていた。
レイは何か声を掛けようとしたが、それは彼女の精神集中を乱すことになるかと思い、再び目を閉じた。
彼は昔レンナにも傷の手当をして貰ったことを思い出した。
− あれは・・・・いつだったろう・・・・。
 彼は4年と少し前の初夏の日を思い出していた。少年の頃の自分と、そしてレンナがいた日々のことを。
− 良く晴れた日だった・・・・。
 その日レイとレンナは、小さなバスケットにお昼ご飯を詰めて、セナ=ルーン王国の王都ディテス・セナを見渡せる丘へと来ていた。まだその頃はレンナはレイの本当の名前を知らず、レイは王宮内に住む庭係の息子だと言っていた。
それはレイが、自らが王子だと知ったらレンナを失うことになるのではないかと恐れていたからであった。
2人は自然の花畑を見つけると、その近くの木陰に腰を下ろした。レンナはレイをその場所に置いて素早く花を摘みに行った。
− 今でも覚えている。レンナは白い花で編んだ首飾りをくれたんだっけ。
 そしてその時、いつの間に姿を見せていたのか、レイより年上の男達が姿を見せた。そして花の首飾りをしているレイを見ると嘲るように笑いながら言った。
『女々しいやつめ。そんなものをもらって嬉しいか?』
− その後のことは良く覚えていないな・・・・。ただ首飾りのことを笑われてカッとなったことだけは覚えている。
 レンナの叫び声に我に返ったとき、そいつらはもういなかった。ただ、彼らの持っていたものであろう血の付いたナイフが草原に落ちていただけだった。
レイは左腕に鋭い痛みを覚え見てみると、切り傷があり、血が流れていた。
− 怪我に気づいたレンナがスカートを裂いて止血してくれたんだっけ・・・。そしてお説教と・・・初めてのキスを貰ったんだったな。
 レイは瞳をつぶったままで微笑んだ。そして、その時治癒が終わった事に気が付いた。
瞳を開けると、目の前には息も荒くぐったりとしているレティシアと、そして完璧に治癒した左腕とがあった。
「ありがとう・・・・傷を治してくれて・・・・。」
「い・・・いえ・・・・。」
 レティシアは無理に微笑もうとして、そのまま支えを失ったかのように倒れ込んだ。レイは慌ててレティシアを支える。
− 自分のためにここまで・・・・。
「ありがとう。」
 レイはほっとした表情のまま気を失っているレティシアにもういちどそう礼を言った。
そして再び肩から布を掛けると、そっとレティシアをそこへと寝かせ、そして立ち上がる。
剣を鞘へと納め、南の方を向いた。レイの足ならばこれから後1,2時間ほどで、街道へと出れるだろう。縄張り意識の強い白狼はもうこの辺りにはいないだろうから。
レイは自分の回りに転がる十数頭の白狼の死体を見やった。それは先ほどの闘いの壮絶さを物語っていた。
森の風がレイの横切って流れていく。今目の前にある敗者と、そして立つ勝者、そこにいくばかの違いがあるというのだろうか?
だがレイは迷ってはいられなかった。今は命を賭して彼を救ってくれたといっても過言ではないレティシアのために。
彼は一度だけ白狼達のために目をつぶると、再び森を南へと歩き始めた。

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