SW6-5

SWリプレイ小説Vol.6-5

遙か南の島の冒険譚・第五章 見果てぬ夢の終わりに……


             ソード・ワールドシナリオ集
               「虹の水晶宮第五章『よみがえる虹』」より

 クリスタルドゥームは自らが色を喰らい尽くし水晶とした迷宮の中でゆっくりと蠢いていた。
彼の食欲は未だ満たされず、今もそれを満たすために色を喰らい続けていた。
もしこの世界のすべての色を喰らい尽くしたとき、彼はどうするのであろうか。
食物が無くなった事も知らずただ蠢き続けるのか、それとも愚かにも自分自身でさえ水晶に変えてしまうのであろうか……。
 一方、世界を救わんとする者達はようやくにして、その鍵を見つけた。
あとは魔法によって呪われし者の呪縛を解放するだけである。
 冒険の組曲はついに最終楽章を奏ではじめようとしていた。

 サバス島の隠されし大迷宮、”空虚な瞳の迷宮”で偉大なる魔術師サイロスの遺した魔法の砥石を手にいれたジル、ザン、エルフィーネ、ロッキッキー、ソアラ、ルーズの6人は、すぐさまマフォロ島へと向かった。
 そこで”黒きたてがみ”族より疾風の剣を譲り受け、砥石の力によって剣の真の力を引き出す事に成功した。
疾風の剣の刃に塗られた青い塗装ははげ落ち、そして創られてから数百年も経ったとは思えぬ程の光沢を持つ剣に生まれ変わったのだ。
たとえ剣の事など分からぬ者でも、その剣に秘められた壮大なる力を見抜けぬ者はいないであろう。
それ程までに雄々しく、素晴らしい剣であった。
 そして疾風の剣はソアラが持つ事になった。
もちろん彼が積極的に選ばれたのではなく、仲間内での消去法の上での選択であった。
6人の中で戦士と自負しているのはジル、ソアラ、ルーズ、そしてエルフィーネの4人である。
もちろんエルフィーネに扱えるような代物ではないし、ルーズも本業は魔法使いであるのでまず省かれた。
そしてジルはドワーフの悲しい身体的特徴が邪魔をして、剣など持つ事も扱う事も出来ないのである。
よってソアラが持てば一番まし、と言う結論になったのである。
 6人はケンタウロス達に礼を言い、一路ベノールを目指すのであった。

 マフォロからベノールまでの10日間の船旅は、いつものように6人に束の間の休息を与えてくれた。
ただしエルフィーネだけは例外であった。
蘇生仕立てで本調子ではなく、また連続しての船旅なので、再び重度の船酔に苦しむ羽目になったのであった。
 彼女の船酔以外はさしたる事件もなく、彼らは無事ベノールへとたどり着いた。
彼らがサバス島での冒険をしている間にベノールの町の様子は一変していた。
前に訪れた時は騒然としていても活気があり王都という感じはしたが、今のベノールはいたる所に険しい表情をした兵士達が市民を威圧するように立っていて、まるでクーデターの後のような緊迫間が漂っていた。
市民も兵士達を恐れてか表情が暗く、町全体の活気も嘘のように失われていた。
 6人も港の検問所でしつこく調べられたが、彼らの冒険者であるという主張を役人は崩す事が出来ず、しぶしぶながら上陸を認めてくれた。
逆にジルがこの警備の厳重さの訳を聞くと、役人はそっけなくベノール国王代理を務めているランタニア公と、ようやく病を克服なされたリシュア王女が結婚するためであると教えてくれた。
だが何時の世でも反対派という者はいるもので、そのために警備は厳重になっているというのだ。
6人は結婚という事に驚いたが表情には出さず、役人に礼を述べると街へと入っていった。
「あのさ、ランタニア公ってさ、リシュア王女をターゴンに送った張本人でしょう?」
 エルフィーネは眉をひそめながらそう言った。
「確か……そうだったと思いますけど……。」
 頷いたザンであるがその返答は頼りなげであった。
だが彼女にはその程度の肯定でも十分であった。
「変だよね、自分を殺そうとした人物と結婚しようなんてさ。」
 エルフィーネはそれこそ解せぬといったように首を傾げた。
ただこの事を町中で大声張り上げて言う気は無かったようである。
彼女にしては珍しく統制された声量であったので、仲間以外の耳には届かなかったことであろう。
「さあな、王侯貴族なんてのは俺達と少し違ってるからな。別に良いんじゃねぇのか?」
 ロッキッキーが投げやりにそう答えた。
もしこの場にフォウリーがいたらはり倒されそうな言葉である。
もっとも彼自身は皮肉を言ったつもりであるが他の者にはそうは聞こえなかった。
「振られた男の僻みだな。」
 エルフィーネよりも早くそうソアラが口を開いた。
自分の言おうとした事を取られたエルフィーネであるが、ソアラには何も言わずただ黙った頷いているだけであった。
「うるせぇ!」
 図星であったのかロッキッキーはそう言い放つとそっぽを向いてしまった。
ソアラやエルフィーネらは意地悪げな微笑をロッキッキーへと向けた。
そんなおり不意にジルが呟いた。
「誰かにつけられておるようじゃのう。」
 ジルは少しだけ瞳を動かし、追跡者が後ろにいる事を告げた。
つられたようにエルフィーネが後ろを向こうとするが、鋭いジルの叱責がそれを阻む。
「振りむくでない!」
 エルフィーネはまるで子猫のように体を震わせて前を向いた。
そしてドワーフに向かって一度舌を見せると、ついとそっぽを向いてしまった。
「まっ、基本だね。」
 その彼女の後ろでルーズが玄人のような事を呟き一人頷いていた。
 ロッキッキーやルーズ、それにザンらが悟られぬように盗み見た結果、どうやら追跡者は女性らしいという事がわかった。
正体を隠すためか、厚手のフード付きのローブを纏っていたので、果たして何者であるかは分からなかった。
だが、そのローブを持ってしてもふくよかな胸のふくらみを隠すまではいたらなかったようだ。
「これからどうするの?」
 興味津々と言った表情でエルフィーネはそう仲間へと訪ねた。
もう先ほどの事など気にしていないようであった。
「そこの路地に入るべぇよ。大通りで何かやらかすのはやべぇからな。」
 ロッキッキーはそう言って、少し前の路地を顎でしゃくった。
「そうじゃのう。」
 ジル達は相手に悟られぬようにゆっくりと進路を変え、あたかもそこが目的であったかのように路地へと入っていった。
当然少し遅れて追跡者もその路地へと入っていった。
だが一歩路地に踏み込んだところで、彼女は自分が尾行の対象にはめられた事を知った。
彼女の尾行の相手は路地先でそれぞれに武器を構えながら彼女を待ち受けていたのだ。
どうやら相手は彼女に気づいていたようであった。
「お主、何故儂らをつける?事の次第によってはお主の命がその代償になるぞ。」
 8割以上の脅しを込めてジルはそう言った。
もっともそれが脅しのままで終わるか、それとも近未来の予言になるのかは相手の出方次第であった。
しかしその脅しを聞いても、相手は少しの狼狽も驚愕も感じていないようであった。
ジル達もそれを感じ、相手の得体の知れ無さに不快感を感じた。
「答えんかい!」
 少しむきになってジルはそう叫んだ。
相手はようやく覚悟を決めたのか、答える代わりにローブをすっと後ろに引いた。
押さえつけられていた髪が、まるで堰をきった川のように流れ出た。
「申し訳ありません、ジルさん。不快がらせてしまいまして。」
 まるでおてんば娘のような笑顔を見せるその女性を彼らは知っていた。
「リシュア王女?」
 彼らはそれぞれに同じ事を口走った。
彼らは驚きのあまりしばらく口が聞けなかった。
「しかしなぜ貴方が我々の後をつけるのですか?」
 いちばん初めに正気に戻ったザンがまずそう訪ねた。
「いえ、港で貴方がたを見かけまして、初めは別人かと思ったのですけれど、もしやと思って、それでついてきたのです。」
 リシュアはそうザンへと答えた。
「しかしいくら顔を隠しているとはいえ、昼日中から一人歩きとは感心せんのう。」
 まるでジルは帰りの遅い娘に小言を言う父親のような口調でそう呟いた。
「あら、これくらいはいつもの事ですよ。いつもこうして情報を集めているのですもの。」
 リシュアはまるで自慢するかのように言ったが、むしろ彼女の言葉はレジスタンスの現状が厳しい事を伝えていた。
まず抵抗運動の象徴でもあるリシュア王女自らが情報を集めなければ行けない事、そしてそれが一度や二度ではない事、そして彼女に共の一人もつけられぬ事などである。
「そういえばさ、ランタニア公と結婚するって聞いたんだけれど本当?」
 エルフィーネは先ほどから持っていた疑問を率直に訪ねた。
そのことを聞いたとたんにリシュアの表情は沈んだ。
「ランタニア公は私の偽物をたて、その女性と結婚する事によってベノールの王となろうとしているようです。私たちはその婚約パーティーに乗り込み、即位を宣言しようとしているのですが……。」
 彼女の表情からかなり状況が厳しい事が読み取れた。
「けっ、これじゃあ前回の報酬もまだまだ貰えねぇようだな。」
 ロッキッキーはまるで責めるかのような口調でそう呟いた。
「すみません、もう少しかかりそうです。
私が王となれればお支払いできるのですが。」
 リシュアは本当にすまなそうな瞳をロッキッキーへと向けた。
彼は返答につまり、何か王女を責めた事への罪悪感を覚えた。
他の者にも沈黙が襲った。
突然まるで良い事を思いついたと言わんばかりにエルフィーネが口を開いた。
「ねえみんな、王女を助けてあげましょうよ。」
 エルフィーネはそう言って仲間達を見回した。
リシュアは一瞬うれしそうな顔をしたが何も言わず、ただ彼らの返答を待った。
言った方はかなりの名案だと思っているが、言われた方はそうではなかった。
彼らにはまだダゼックを探すという使命があるからだ。
「王女、その婚約パーティーとやらは何時なんだ?」
 ソアラは少し考えた後、そう王女へと尋ねた。
「5日後です。」
 リシュアは即座、ではないけれどもそう答えた。
「5日か……まあ迷宮探索が少し延びたと思えばいいかな。」
 ソアラは5日を短いと判断したのだろう、エルフィーネの案に賛成票を投じた。
「そうだな、それにこの王女様を女王にしねぇと報酬が貰えねぇからな。」
 ロッキッキーもそう言って頷いた。
彼は内心の想いを悟らせないために、わざと”報酬報酬”と言っているようにエルフィーネは感じた。
「そうだね。別にいいんじゃない。」
 ルーズも王女ともう少し親しくなれるという目算からそう頷いた。
これで6人のうち4人までが王女を助けるのに賛成という事になった。
こうなれば後の2人も賛成しない訳には行かなくなった。
「分かりました。リシュア王女、私たちをその作戦に参加させてください。」
 ザンは内心でこの女性を見捨てる事にならなくて良かったと思いながら、押し黙って物言わぬドワーフの代わりにそう言った。
「ありがとうございます。そしてすみませんみなさん。再び私事に巻き込んでしまって。」
 リシュアは歓喜の表情を見せた後、深々と頭を下げた。
 こうしてジル、ザン、エルフィーネ、ソアラ、ルーズ、ロッキッキーの6人は短期間ながらもベノールのレジスタンスに身を投じる事になったのである。

 エルフィーネの半ば唐突な思い付きによってレジスタンスの一員となったジル達であったが、一度やると決まった以上はむしろ精力的に仕事をこなしていった。
 まず今までにレジスタンスが集めた情報を元に、現在のベノールの貴族を王女派、ランタニア公派、中立派の三つに分類した。
きわめて慎重にではあるがごく少ない王女派の貴族達に接触し、レジスタンスでは知りえない情報を提供して貰った。
さらにランタニア公派、中立派には多くの虚報とひとにぎりの真実を流布し、精神的な揺さぶりをかけた。
 さらに彼らはいくつかの海賊たちの拠点の襲撃にも参加した。
このようにして4日間は瞬く間に過ぎ、彼らが”強襲”と呼ぶ作戦の実行日となった。
 レパース子爵やダノン将軍らは作戦の成功度をより高めるために、今もて得る限りの力を使って大々的な陽動作戦を展開する事になっていた。
これは打てるだけの手を打つというレジスタンス幹部の意見の為である。
ジルらも参加した襲撃はこの作戦を感づかせないための、いささか迂遠な陽動でもあったのだ。
もちろんフォウリーもそちらに加わるので、王女を護衛し、ランタニア公の屋敷に乗り込むのは、ジル達6人と王女の計7人だけであった。
 しかしここまで来ても彼らには成功の確信がもてなかった。
もし彼らが強襲に失敗したら、王女派と分類された貴族達でさえ”新たなるベノールの王、デセイル国王陛下万歳!”と叫ぶであろう。
所詮貴族などその程度の物でしかないのだ。
「好運を……。」
 レパースらに見守られて7人は次々に地下下水道の中へと消えていった。
あらかじめ調べた通りに薄暗い下水道を抜け、彼らがランタニア公の邸宅の敷地内に現れたのはそれほど後の事ではなかった。
彼らが選んだ出口はランタニア公の広大な邸宅の一画にある、周囲にあまり人気の無い小屋であった。
ここは何年かに一回、下水道の清掃時に使用されるだけの小屋である。
また敷地内のどの屋敷とも離れているので、なるべく隠密に事を運びたい彼らに取ってはまさにうってつけの場所であった。
 しかし今宵はこの近辺は無人ではなかった。
どこからか情報が漏れたのか、彼らは月明かりの中にたたずむ4つの影に出迎えられたのである。
 始めに小屋より出たのは当然ジルであるが、彼は目の前に何者かがいる事に驚き、その人物が誰であるかを知ってなお驚いた。
「ダゼック……。」
 ジルは呻くように、他に3人を率いて立つ人物の名を呟いた。
だがその名の主がどういう表情をしたかはどくろを模した仮面に阻まれ、見る事が出来なかった。
ただ口元にあからさまに嘲笑と分かる笑みを浮かべた。
一方7人の方はその場に留まる訳にも行かず、相手の様子を伺いながらゆっくりと小屋の外へと移動した。
最後尾のリシュアが外に出たところで、ようやくダゼック、スカルロードは口を開いた。
「お主ら、地下からの訪問とは少し礼を失しているのではないか?」
 語尾の最後に彼の後ろの3人の嘲笑が重なった。
「あんたの方こそ王女の前で変な仮面をつけてるなんて失礼よ!」
 その嘲笑に刺激されたのかエルフィーネがそう叫んだ。
しかしソアラの後ろからであるところがいかにも彼女らしい。
「この仮面は訳あってはずせぬのでな、このままで失礼する。」
 スカルロードは視線をエルフィーネへと向けそう言った。
”なんなら私が外してあげましょうか?”とは、もちろん彼女は言わなかった。
「さて、ここで提案がある。
お主らは愚者ではあるまい。王女をこちらに渡し、その穴から姿を消せば命だけは助けてやろう。」
 スカルロードは高圧的にそう言って、ジル達の後ろの小屋を示した。
暴力的な事を言っているにも関わらず、口調には恩着せがましいところがあった。
「否……というたら?」
 ロッキッキーやルーズがその提案を受けようと言うよりも早く、ジルはそう答えた。
「何簡単な事よ。この場所がお前らの墓所となるだけだ。」
 どうやら彼の敵に対する寛容さは、一度きりで埋め尽くされるほどの物でしかないらしかった。
スカルロードはマントをはね上げ、ファルシオンを抜いた。
後ろのダークエルフと青いドワーフもそれぞれに武器を構えた。
6人もそれに合わせるように武器を構えた。
そして戦いが始まった。
 まずジルとロッキッキーがダークエルフとドワーフを抑えるために突っ込んでいった。
その間にソアラがダゼックを解放する手はずになったのだ。
ソアラが魔力の解放された疾風の剣を構えると、不意にスカルロードが苦しみ始めた。
よくは分からないがどうやら剣と仮面が反応しているらしく、スカルロードはやり切れぬように頭を抑え始めた。
− これならば仮面を砕ける!
 ソアラは雄叫びとともにスカルロードに切りかかっていった。
だが確かにスカルロードは苦しんでいたものの、それはソアラとの技量の差を考えればあまりにも些細な物であった。
ソアラは仮面に一度も当てる事無く、スカルロードの剣の前に倒れたのであった。
 数的には圧倒的に優位にいたにも関わらず、ジル達は苦戦を強いられていた。
相手の黒魔導師の魔法が荒れ狂い、ルーズもまた地に倒れていた。
残った者も傷つき、自らの死を身近な物として感ぜずにはいられなかった。
だが彼らは、またしても一人の女性の出現によってその死地から救われるのであった。
 ベノール市街のあちこちで大規模な陽動作戦を展開していたレパースは、襲撃した海賊の拠点から、王女の襲撃が相手に知られている事、そして王女を捕らえんがために首領であるスカルロードが大幹部を引き連れてランタニア公の邸宅内で待ち伏せている事などを知った。
だがただでさえ手持ちの兵力が少ない彼らに取って王女救出に兵力を回せば、王女を助ける前にレジスタンスの方が壊滅してしまう恐れがあった。
それ故に彼に出来たのはフォウリーに救援に行くように命ずる事だけであった。
フォウリーはそれを受け近くの入り口から下水道におり、王女達の一行を追ったのである。
 小屋から飛び出だしたフォウリーは、目の前に倒れているソアラとルーズを見ても動じなかった。
ただ黙ってスカルロードの方へと走りだした。
途中ソアラの脇に落ちていた疾風の剣を拾ってである。
「でぃやーーーーーー。」
 すさまじい雄叫びを発しつつ、フォウリーはスカルロードへと切りかかった。
フォウリーの突然の出現に驚いていたスカルロードは一瞬だけ剣を避けるのが遅れた。
そして彼女にはそれで十分であった。
 剣は確実に仮面を砕いた。
スカルロードは砕けた仮面の間から一瞬信じられぬといったような瞳をフォウリーに向けた後、そのまま地面に倒れ込んだ。
フォウリーは疾風の剣を捨て自分の剣を抜くと、すぐさまジルとロッキッキーの援護に入った。
 戦いはそれからもしばらく続いた。
首領が倒れたにも関わらず、他の者は降伏を拒否したからであった。
ようやく青い肌をしたドワーフがその生涯を終えたとき、そこに立っていた者の中でなお戦えるという者は一人もいなかった。
「ようやく終わったわね……。」
 肩で息をしながらフォウリーはそう呟いた。
「そのようじゃのう……。」
 ジルは目の前のドワーフの死体を見ながらそう答えた。
「ソアラとルーズは大丈夫か?」
 ようやく人の心配をできる余裕が出来て、ロッキッキーは倒れた2人の仲間の事を思い出した。
彼らはばらばらとソアラとルーズの回りへと集まった。
だがそれは一つの事実を確認するだけでしかなかった。
すでにソアラとルーズはこの世界の住人ではなかったのである。
「……ダゼックの方はどう?」
 ある種の感情を抑えつつ、フォウリーはそう言ってダゼックの方を見た。
エルフィーネはじっと倒れているダゼックを見た。
「生きてるみたい……。」
 名も知れぬ生命の精霊の動きを感じてエルフィーネはそう呟いた。
「そう……。」
 複雑な声と表情でフォウリーはそう答えた。
「どうするんですか?これから……。」
 ザンは物言わぬ物体となったソアラとルーズを見つつそう呟いた。
「決まってるでしょ、まだ作戦は終わった訳ではないのよ。ソアラとルーズ、それにダゼックには悪いけどしばらく小屋の中にいて貰うわ。」
 フォウリーはそう言って彼らが出てきた小屋を示した。
彼らはソアラら3人を小屋の中に寝かせた後、すぐにランタニア公の婚約パーティーが行われる本邸をめざした。
予期せぬダゼックの襲撃のため、彼らには僅かな余裕も無かった。

 ある昼下がりの午後、エルフィーネはベノールの王宮のテラスで穏やかな風に髪をなびかせていた。
穏やかな表情で彼女は2週間前の事をぼんやりを思い浮かべていた。
 死闘の果てに”赤き血の兄弟団”の幹部と、首領であるスカルロードを倒した彼らは、本邸へと向かって月明かりの邸内を黙々と進んでいった。
途中何度か海賊らしき者達と小競り合いをしたが、ソアラ、ルーズを欠くとはいえことごとく撃退してのけた。
逆に見回りらしきベノール近衛兵はリシュアを見ると驚きを隠せず、ただ呆然と彼らを見送るだけであった。
 本邸の扉の前を守っていた海賊を打ち倒し彼らがロビーへと入ったとき、まさにランタニア公は王女との婚約を宣言しようとしていたところであった。
 そこにいた者達の大半は突然の来訪者に視線を投げかけた。
そしてその視界にリシュアをおさめると、不可思議な表情でランタニア公のとなりの女性と見比べた。
真相を知っていた僅かな者も含み、そこにいた者の大半は驚きの表情を隠せなかった。
そしていちばん驚いているのは、やはりランタニア公その人であろう。
 リシュアと臨時の近衛騎士団は人々の奇異の視線に見送られ、ゆっくりとランタニア公の方へと歩いていった。
あまりにリシュアが堂々としていたので、貴族達の何人かはこれが仕組まれた芝居かなにかであると思ったかもしれなかった。
 ランタニア公は凍り付いた表情のまま、黙ってリシュアを見つめていた。
今なお裏手には10人程の海賊が待機していたが、彼らを呼ぼうとも思わなかった。
リシュアがここにいるという事は、すなわちスカルロードらが倒されたという事であった。
彼女に付き添っているのは5人しかいないが、その者達を僅か10人の手勢で倒せるとは彼には思えなかった。
 やがて王女はランタニア公と同じ横線上に並び、まるで射殺すかのような視線を彼へと向けた。
「ランタニア公デセイル。貴方は王家の血を引き、王家と祖国ベノールに忠誠を尽くす身でありながら、海賊と手を組んで、我が父と母を暗殺し、王位を簒奪せんとしました。また多くの貴族、多くの民を虐殺し、ベノール王国を疲弊させました。この罪は万死に値します。よってランタニア公デセイル、私はベノールの王女として貴方に死を宣告します。」
 なるべく感情を外に出さないように淡々と語っていたが、やはり最後の方になって抑えきれなくなったようだ。
声が僅かに高まり、またランタニア公を糾弾すべく突き指した指も小刻みに震えていた。
しかしランタニア公に死を宣告したとき、彼女は大きな仕事をやり終えたかのように大きく息をついた。
 一方的に糾弾される側に立ったランタニア公は僅かに顔を強ばらせてリシュアの言葉をじっと聞いていたが、死が宣告されるとまるで雷に打たれたかのように体を震わせた。
「簒奪者だと?違う、違う!!簒奪者はお前の父ではないか!王位欲しさに実の兄を事故に見せかけて殺したのはお前の父、レストルだ!」
 ランタニア公は声を張り上げてそうリシュアへと叫んだ。
リシュアの方が今度は顔を強ばらせる番であった。
「それに……私はお前を愛していた。それなのにお前は私を愛そうとはしなかった。なぜだ?なぜレパースのような下賎の輩に身も心も許したのだ?」
 もはやランタニア公には理性という物は存在しなかった。
彼の内にあるのは、ただ父の死を暗殺であるに違いないと思う感情と、自分を愛さなかった従姉妹への憎しみだけであった。
 一方リシュアの方は父と自分、そしてレパースの事を不当に糾弾されたのである。
怒りを感じてしかるべきであったが、ランタニア公の巨大な負の感情に押されてリシュアは押し黙るだけであった。
「終わらぬ……このままでは終わらぬぞ……。ベノールは、そしてお前は私の物だ!」
 ランタニア公は突然そう叫ぶと、腰に吊るしていた儀礼用の剣を抜き、リシュアへと襲いかかってきた。
「?!」
 突然の事に戸惑い動けぬリシュアをザンとエルフィーネが後ろへと引っ張り、代わってフォウリーとジルが武器を構え前へと出た。
それでもかまわずにランタニア公は奇妙な声を上げ走り寄ってきた。
 戦いと呼ぶにはあまりにお粗末な戦いは一瞬にして終わりを告げた。
ランタニア公は一太刀も交えずに冬疾風に胸を貫かれたのであった。
剣が引き抜かれた後もランタニア公はしばらく立っていたが、やがて崩れるように床へと倒れ込んだ。
だがそれでも彼の視線はリシュアへと向けられていた。
「お前は……私の物だ……。私の……。」
 ランタニア公は自らの血の池の中でしばらくそう呻いていたが、やがて目から光りも消え、息絶えた。
リシュアはしばらく変わり果てた姿となった自分の従兄弟を見ていたが、やがてすべてを振り切るように大きく首を振った。
そして事の成りゆきをじっと見守っていた貴族達の方を向いた。
「ここに集まりし者達よ、私、リシュア=ベニアスIIはここに宣言します。この国の王になる事を。」
 リシュアはそう宣言した。
それほど大きな声ではなかったが、不思議と彼女の声はよく通った。
一瞬静寂が辺りを包んだが、すぐにそれは大きな祝福の声に取ってかわられた。
彼女は次々に祝いの言葉を述べる貴族に対し穏やかな表情で答えたが、胸中はその表情ほど穏やかではなかった。
これから多くの問題が彼女の身に降り懸かるであろうから。
しかしともかくもベノールは、長きに渡った海賊の支配というくびきから解放される事になったのだ‥‥。
 テラスでまどろみ始めたエルフィーネに、不意に声を掛けた者がいた。
「エルフィーネ、ダゼックの意識が戻ったって。」
 エルフィーネは眠たげな視線を声の主の方へと向けた。
何時の間に入ってきたのか、そこにはフォウリーが立っていた。
「ん……分かった。」
 彼女はそう言って立ち上がり、大きく伸びをして眠りの精霊をどこかへ押しやった。
そして2人はテラスを後にし、その部屋を後にした。

 彼女らが王宮の一室に入っていったとき、そこにはすでに幾人かの人間がいた。
この国の王女であるリシュア、その婚約者のレパース、そしてベノールの最高軍指令官ダノン、そしてジル、ロッキッキー、ザンの3人とルーゼ、そして現在のこの部屋の住人であるダゼックの8人であった。
 部屋に入ってきた2人に最初に声を掛けたのは、壁ぎわの柱に寄りかかっていたロッキッキーである。
「遅せぇよ2人とも。」
 待たされて気分が悪いのか、彼の口調には少しきつめのスパイスが振りかけられていた。
「知ってた?主役は一番最後に登場するものよ。」
 エルフィーネはロッキッキーの悪態を軽く受け流した。
いつもなら一仕切の喜劇が行われる所であるが、さすがに2人とも今がそんなときではない事を知っていたので、それきりで終わってしまった。
 エルフィーネはそのまま王女とザンの間に、フォウリーはダノンの隣にダゼックの寝るベッドを囲むようにして立った。
「王女、彼、今までの事覚えているの?」
 エルフィーネは小声で隣のリシュアへと話しかけた。
リシュアはいまだ正式に即位しておらず、敬称は王女のままであった。
これは海賊を撲滅するまで即位はしないという彼女の意志の現れでもあった。
 しかしエルフィーネの声は少し大きかったようだ。
問いかけられたリシュアが分からないと答えるよりも早く、ベッドのダゼックが口を開いたのである。
「すまない、すべてが朧気ではっきりとは何も覚えていないんだ。」
 ダゼックはエルフィーネの方を向きそう言った。
当のエルフィーネは予期せぬダゼックからの答に戸惑ったような表情を見せ、ついで歯切れの悪い笑みを見せた。
しかし今回のエルフィーネの応答は極めて特殊な方であって、もしダゼックに問うてこの答であったらきっと彼女は”無責任だ”と彼を非難したであろう。
「そんな……何でもいいのです。何か覚えていないのですか?」
 リシュアは一瞬絶句した後、そうダゼックへと詰め寄った。
彼女に取って海賊とは両親の仇である。
感情を抑えようにも抑えきれるはずがなかった。
だが彼女にもダゼックは困惑した表情のまま首を横に振った。
「すまない……。すべて夢の中の事のようなのだ。ラディアン号が遭難した事がもう5年も前の事なんて……。まるで悪い夢を見ているようだ。」
 ダゼックの方も相当混乱しているようであった。
スカルロードとしての記憶が曖昧なのなら、彼は5年の歳月を失ったという事になる。
一口に5年と言っても、人間に取ってそれはかなりの時間であろう。
「何でもよいのじゃ、何かあろう。たとえばどの辺の島を根城にしていたとか、首領はどんな奴だったとか、そんなもんでよいのじゃ。」
 ジルは遅々として進まない状況にかなり苛立っているようであった。
いやもしかしたらこのダゼックが、長年追い求めた虹の谷という夢の、一つの答えだという事を無意識に感じとっているのかも知れなかった。
そのジルの表情を見ておののいたのか、それとも知らぬ存ぜぬではさすがに悪いと思ったのかダゼックは頭に手を当てて必死に夢を思い出す作業を始めた。
 まず彼の記憶ははっきりしているラディアン号での生活へと飛んだ。
遭難、脱出、島への漂着を経て、彼は自分が仮面をかぶせられたときまで記憶をたどった。
そして明確な記憶はそこで途切れた。
だが彼は何かしらを掴もうとさらに記憶と思考との世界へと入り込んでいった。
他の者は固唾を飲んで考え込んだダゼックを見守った。
 いくばかの時間が流れようやく何らかの答えが出たのか、ダゼックは意識を思考と記憶の渦から引き上げた。
「船……そうだ、私は船に乗っていた……。この船はどこに向かっている?……そうだ、パナンスの東の”島”だ……。」
 ダゼックの頭の中ではどうやら記憶が映し出されるように流れているのであろう。
その証拠に彼の言葉では過去形と現在形が混じりあっていた。
「……私は誰にひざまづいているのだ?……やめろ、近づいてくるな!私は裏切らない!分かっている……。裏切り者には死を……!」
 ダゼックはそこまで言うと頭を抱えてベッドにうずくまってしまった。
慌ててルーゼがなだめに入る。
彼が思い出したのはおそらく海賊の本拠地と、そして海賊の首領の事であろう。
その首領はかなり厳格で残虐な性格なのであろう。
ダゼックの取り乱し様はそのことを告げているのではないのか。
 ここでエルフィーネはふと気がついた。
海賊の真の首領とはダゼックよりも強いのではないかという事である。
彼を支配していたのだから当然と言えば当然なのだが。
ダゼックの強さを身をもって実感した彼女に取って、それに気づいた事は背中に冷たい物が走る事であった。
 沈黙した雰囲気のなかで不意にダノンが口を開いた。
「パナンスの東の島か……、おそらくワシリオ島の事じゃな。」
 位置的なヒントによって脳細胞の奥深くにしまわれていた一つの情報が、ダノンの脳裏に浮かび上がってきた。
「ダノン、ワシリオ島とは?」
 聞きなれぬ島の名にリシュアはそうダノンへと尋ねた。
「ベノールの南東に浮かぶ小さな島の事ですぞ、王女。しかしあの辺りは潮流の流れが激しいため、無人島であると聞いたのですが。」
 ダノンは立派な顎髭を撫でるようにしながらそう呟いた。
「そうですか、ではそこが海賊の本拠地ですか?」
 リシュアは確認するようにそうダノンへと尋ねた。
「おそらくそうでしょう。」
 ダノンはそう呟いたが、彼自身はまだ7割ほどしかそう信じていなかった。
あまりにも情報が少なすぎるためである。
 そのころダゼックはようやく落ちついたようであった。
「すまなかった。記憶の幻影に惑わされたようだ。」
 先ほどとは違う口調でダゼックはそう呟いた。
「先ほどのは誰の事なの?」
 とりあえずフォウリーがそう尋ねた。
「おそらく海賊の首領の事だと思うが……。」
 ダゼックはいまだ体内に残る恐怖の残照を必死に消しながらそう答えた。
だがそれ以上は分からないと言うような表情を見せていた。
「どんな人物かぐらいは覚えているじゃろう?」
 ジルが話に割り込んできた。
「……残虐な奴ぐらいしか思い出せない。」
 ダゼックはジルの言葉に苦々しい表情を浮かべ、ぽつりとそう呟いた。
その言葉にその場にいた全員が顔を見合わせた。
もしダゼックの言葉が事実なら、彼の命は危ないという事になる。
「どうやらその首領とやらを倒さねばいかんようじゃのう。」
 ジルはぽつりとそう呟いた。
ジルの呟きはいつものようにそれほど大きくはなかったが、それでもダノンは聞きのがさなかった。
「そうかお主ら、海賊退治に参加すると申すか。なら後で儂の部屋にくるのじゃ。」
 ダノンはそうジル達に言うと豪快に笑いながら部屋から出ていった。
残された者達はしばらく開いた口がふさがらなかったが、やがて気づいたようにエルフィーネがジルへと騒ぎ立てた。
「何で私たちが海賊退治をしなくてはならなくなるような事を言うのよ?」
 彼女は眉間にしわをよせ、彼女にしてはこれ以上怒っている顔はないと言う表情でそう叫んだ。
ジルを抜かした他の者は毎度のエルフィーネの主張に苦笑を浮かべた。
「お主、ここまで乗りかかった船から降りるのか?」
 ジルはじろりとエルフィーネの方を見てそういった。
「何で私たちが乗った船が海賊退治に向かわなくては行けないのって言っているのよ!」
 珍しくエルフィーネは引く気配を見せなかった。
彼女にしてみれば当然であろう。
なんで自分達が、捜し求めていた人物に降り懸かるやも知れぬ危険を事前に取り除かねばならぬのであろうか。
「成りゆきじゃよ。お主が得意とする事であろうが。」
 ジルにそう言われてエルフィーネは押し黙ったが、それは納得したからではなく言う言葉を考えていたからであった。
苦笑しながらジルとエルフィーネの問答を聞いていたフォウリーであるが、なにかしらを思い付いたようだ。
何を言おうかと思案にくれているエルフィーネに話しかけた。
「別に行かなくてもいいんじゃない?ただしここまで派手にやった貴方達を海賊の首領さんが見逃してくれると思うならね。」
 フォウリーのその意地悪げな言葉は、エルフィーネのそれに対する認識を他人事から自分の事へと変化させた。
つまり首領を倒しにいく事は彼ら自身のためでもある、とフォウリーは言ったのである。
「分かったわよ!行けば良いんでしょ行けば!海賊退治でも何でも付き合ってあげようじゃないの!」
 フォウリーにそう脅されて半ば自棄になったのか、エルフィーネはそう大声で叫んだ。
しかしあくまで付き合うと言っているところに、まだ彼女が我を忘れていない事が現れていた。
もし”行ってあげようじゃないの”などと彼女が口走ったら、一人で行ってこいとドワーフが言う事をちゃんと分かっているのだ。
「そうと決まったからにはすぐにダノン将軍の所に行くかのう。こういう事は早い方がいいからのう。」
 まるで根拠の無い事をジルは呟いた。
もう決まったような事を彼は言っているが、実際彼に賛同したのはフォウリーに諭され自棄気味に承諾したエルフィーネだけなのだ。
もっとも最強硬反対派のエルフィーネが積極的ではないにしろ賛成したので、今更ザンやロッキッキーが行かないなどと言っても無視されるのだけであろう。
「その前にソアラ達を迎えに行きませんか?医師の話だともうそろそろ全快するらしいですから。」
 ザンは苦笑を隠しながらジルへとそう言った。
「そうじゃな。では王女、儂らも先に失礼させてもらうぞ。」
 ジルはそう王女へと言うと部屋を出て行った。
ザン、ロッキッキー、エルフィーネもそれぞれに挨拶をしながら部屋を出て行った。
「私たちもそろそろ戻りましょう。」
 ジル達の退室を見送ったリシュアはレパースとフォウリーを促して、部屋を出て行った。
部屋にはダゼックとルーゼの2人が残るのみであった。

 途中でソアラとルーズを加え人数を5割増したジル達は、その足で王宮内のダノンの執務室へと向かった。
あまり広くはないベノールの王宮とは言え、それでもダノンのもとへとたどり着くのにかなりの時間を要した。
 部屋へと通された彼らは、挨拶もそこそこになぜ彼らを呼んだのかを尋ねる事にした。
「ところで、なぜ儂らが海賊退治に行くのにお主の所へと来ねばならぬのじゃ?」
 行こうと言い出した本人は、実はなぜダノンが彼らを呼んだのかまったく見当がついていなかった。
「うむ……実は近日中に海賊を壊滅するための作戦があるのじゃよ。」
 ダノンは古いが丈夫そうな机に腕を置き、そう言った。
「ベノールだけでか?」
 ロッキッキーは意外そうな表情とともにそうダノンへと聞いた。
確かにベノールに取って海賊は国敵であり、なんとしても壊滅させたい相手ではあるが、今のこの国の状況を考えるとそれよりも大切な事が多々あるように思えた。
それに今のこの国の力ではたとえ海賊と言えど侮れない敵となるであろう。
「いや……この作戦は公式にはザラスタの傭兵艦隊、ベノール海軍の連合艦隊で行われる。そして非公式ではあるがアザニアも参加するので、実質的にはアザーン諸王国連合による作戦となる。」
 ダノンはまるでロッキッキーの質問を待っていたかのようにそう言った。
「ずいぶんと手際がよいのですね。」
 ザンは感心したようにそう呟いた。
もしそのことが事実なら彼らは”強襲”の遥か前からザラスタ、アザニアと接触をもっていた事になる。
「まあ儂らの手際と言うよりも、各国の利害が一致したと言う方が賢明であろうな。ベノールにしても海賊は仇であるし、ザラスタにしても今で多くの人命と船、それに積み荷を失っておるしな。たしかダーヴィスとか言う評議会議員がえらく積極的でな、彼がいなければもしかしたらこの作戦は儂らだけになっていたかもしれん。」
 ダノンはまるで遠きザラスタを見やるかのように目を細めた。
ジル達はすでに懐かしいという感のあるザラスタの商人のことを思い浮かべていた。
「それに儂らが動けばアザニアも動かざるをえないのじゃよ。アザーンの盟主としての自負があるからのう。まあ国是と誇りの間に、非公式参加という妥協が生まれたのであろうがな。」
 ダノンはまるですべてを見すかしたかのような口調でそう呟いた。
 アザーンの3王国のなかでもっとも強大な軍事力を所有するのがアザニアである。
国是として鎖国主義を貫いているので、出来るならば他国の事には干渉したくはないが、今回はどうやらそれを貫く事は不可能であろう。
ダノンらは知るよしもないが、アザニアにも確実に海賊勢力が浸透し始めていた。
そのために内に対しては現王権の維持のために、そして外に対してはアザーンの盟主として何らかの行動を起こさねばならない立場に追い込まれたのであった。
もっともこれは現国王ハールダーU世の意見ではなく、王位継承者であるマシュナー王子の働きかけによるものであった。
 これでそれぞれの家事情はともかく、戦略的には今考えられるうちで最良の状況が出来つつあったのである。
「ところで出発はいつなんだ?」
 すでに待ちきれなくなったのかソアラは大きな声でダノンへと尋ねた。
スカルロードとの戦いでは良い所がなかったので、汚名挽回とばかりに張り切っているのであろう。
「気の早い奴じゃのう。3週間後にベノールを出港する予定になっておる。」
 ダノンはソアラの覇気を若さゆえの物と見たのであろう。
だがそれは彼に取って若き日の自分を思いださせ、決して不快な物ではなかった。
「3週間か、結構後だな。」
 後ろ手に手を組みながらロッキッキーはそう呟いた。
「何をいっとる。これが精一杯なのじゃよ。本来なら準備にあと2週間は欲しい所じゃ。」
 ダノンは何を言うかというような表情でロッキッキーを見た。
「そうなのか。」
 彼は無感動にそう呟いただけであった。
「ザラスタの艦隊とはいつ合流するのじゃ?」
 ジルは顎髭を撫でながら、いつものぶすっとした表情のままそう尋ねた。
「ベノールを出てから5日後、パナンスの沖合いで合流する手はずになっておる。」
 ダノンは机の上で手を組みそうジルへと言った。
彼の顎にもジルに負けないほどの髭が蓄えられていた。
だがジルと違い、そのほとんどは白くなってしまっていた。
「ところでさあ報酬はでないの?」
 ジルの後ろからルーズがそう言った。
彼の肩には眠たげな目をしたふくろうが留まっていた。
「かなり危険なのでな、それなりの報酬は出すつもりでおる。もちろん前回の報酬も足してな。」
 ダノンはおもしろげな表情を浮かべ、ちらりとロッキッキーを盗み見た。
どうやらこの老齢の将軍は、ロッキッキーのほのかな恋心という物に気づいているようであった。
「ねえフォウリーも参加するの?」
 今まで黙っていたエルフィーネが突然そんな事を口にした。
「ああ、彼女ほどの勇者は我が軍の中にもそうはおらぬからな。」
 ダノンはレパースから聞いた彼女の武勇を思い出しながらそう言った。
まったく人は見かけによらぬものだと思いながら。
「そう。」
 エルフィーネはそれを聞いて簡単に答えたが、心中はそれほど簡単ではなかった。
なぜなら彼女の身を守る鉄壁が一つ増えた事を喜んでいたからであった。
「さてこれで質問は終わりかな?」
 ダノンは一息ついた後、そういって6人を見渡した。
「そうじゃの、終わりのようじゃな。」
 ダノンの視線が最後にジルに止まった時点で彼はそう呟いた。
「なら3週間じっくりと休んで体調を整えてくれ。前日に使いを出すからそのつもりでいてくれ。」
 ダノンはそう言って6人を見据えた。
「分かりました。では失礼します。」
 ザンがそう言うと他の者も次々に立ち上がり、ダノンの執務室を後にした。

 その日より3週間後、彼らは船上の住人となった。
これに先立ってダゼックとルーゼはベノールの城を後にしていた。
なんでもザラスタの近くのサルームの谷で瞑想にはいるという事であった。
およそ一ヶ月の間修行を続けなくては、人並みはずれた精霊使いである彼の力でも、虹の橋を復活させるのは難しいとのことであった。
ご武運を、といってダゼックとルーゼはダーヴィス所有の船の中に消えていった。
彼らはその19日後にワシリオに向けて出発したのである。
 ベノールを立ってより4日後、ジル達を乗せたベノール海軍の艦隊はザラスタの傭兵艦隊と合流した。
大陸でもなかなか見る事は出来ぬであろうほどの規模をもった連合艦隊は、船首を一斉に東へと向け、一路ワシリオ島を目指した。
ワシリオ島沖でアザニアの海上騎士団と合流すれば、おそらく世界最大規模の艦隊となって海賊の本拠地を攻撃できるであろう。
連合艦隊の兵士達はそう思い、冷静でなければならないはずの指揮官達でさえもこの強大な軍事力に酔った。
そしてそこに油断が生じた。
 ワシリオ島まで後一日という海上で錨を下ろし、眠りの神の抱擁にほとんどすべての者が抱かれた連合艦隊の各船に悲鳴に近い見張りの声が走ったのは、うっすらと太陽がその力の断片をこの世界に与え始めた頃であった。
「敵襲!!!!!」
 警鐘がけたたましく鳴り、多くの者は飛び起きて武器を片手に甲板へと出た。
そして6隻ほどの船団がこちらへと向かってきているのを見て唖然とした。
まさかこんな所にまで武装した商船が交易をしには来ないであろう。
となれば答は一つであった。
 こうして世界でも稀にみる大海戦は幕をあけた。
艦数にすれば連合艦隊の方が遥かに勝っているが、虚をつかれた事は否めずなかなかその数を生かす事が出来なかった。
海賊の方もよくそれが分かっているようで衝角を突き刺すそうな事をせず、機動力を生かして海上を縦横無尽に走り回っていた。
連合艦隊はしたたかな損害を被った後、ようやく海賊船に接舷する事に成功し、戦いは弓と魔法の打ち合いから一気に白兵戦へと移っていた。
 ジル達も他の者に混じって船上で殺し合いを続けていた。
だが彼らの乗り込んだ船に乗っていたのは、雑魚だけであったようだ。
ものの1時間もしない内に半数が倒され、残った者の半数は降伏し、それ以外の者は海にその身を投げた。
 だが他の艦の戦況は思わしくないようであった。
彼らは船を駆って他艦の応援をする羽目になった。
海賊の艦隊の将は無能ではなかった。
そして首領に対する忠誠心においても申し分無い物を持っていた。
そのため劣勢になっても戦闘を止めず、多くの死傷者を出す羽目になった。
 海賊の将は最後の1人になっても戦う覚悟であり、その証として船長室に飛び込んできた連合艦隊の騎士を2人ほど切り倒したが、その5倍する人数が部屋になだれ込んできたとき彼は自らの身を窓から海へと投げた。
虜囚となって首領に不利な情報を敵に流すのを恐れてのことであった。
将が死んだことを知った海賊達の戦意は急速に衰え、幾隻かは脱出を試み東へと消えていった。
そして戦いは急速に収束の方向へと向かった。
 連合艦隊は一時その場に留まり、けが人の治療と生存者の救出を行った。
艦隊の旗艦ベニアス号の一室で今回の戦闘の報告を受けたダノンは驚きを隠せなかった。
旗艦を含め、無傷な船はわずか3隻にすぎず、連合艦隊は海戦能力からみればほぼ壊滅と言ってよかった。
海賊の本拠地にはまだ戦力が温存されているかもしれず、このままでの力攻めは多大な出血を伴うと彼は考えた。
それよりも少人数で島に忍び込み、まず敵を混乱させた方が得策であると考え始めた。
そして忍び込んだ者に島の様子を探らせればなお良いし、彼らが首領を倒してくれればこれ以上血を流すこともなくなる。
そう考えたダノンはすぐに潜入部隊の志願者を募った。
 けが人の治療に走り回るジル達6人にも志願してくれないかという声がかかった。
始めは難色を示した彼らであったが、報酬の良さに釣られ志願することになった。
6人はすぐに小舟でベニアス号へと移った。
 潜入部隊志願者達は舟底の方のかなり大きい部屋へと集められた。
彼らのほかにもかなりの数がいて、総勢40名ほどと言ったところであった。
 人数が集まるとダノンは即座に説明を始めた。
型どおりの賞賛の言葉を言った後、まず潜入の目的から始まった。
ついで明後日になれば連合艦隊はアザニアの海上騎士団と合流し、その翌朝に総攻撃をかけるので、時間制限は3日目の日の出のおよそ2時間前となった。
ついで狼煙、火矢の説明と供与が行われた。
次に万が一の時に備えて君らが進入した後に、救援及び支援部隊として一部隊を町の裏側の丘付近に配置しておくことを説明した。
そして最後に報酬の事が話され、型どおりの激励の言葉で締めくくられた。
 その後幾つかの質問とその応答が行われ、解散となった。
再びこのメンバーが集まるのは夜中、ワシリオ島の南岸に上陸する時である。

 ワシリオ島への潜入は次の日の夜に行われた。
ダノン将軍が昼間行動するのは無謀だとして、日没後の上陸を決定したからである。
これにはあまりにも時間が少なすぎると何人かが抗議したが、彼らにもダノンを論理的に納得させるだけの意見があるわけでもなく、潜入の時間は変更されなかった。
同時に上陸する場所も決定された。
島の南岸の砂浜である。
上陸に関してはほぼ問題なく海賊に見つかる心配もないのだが、ただ島の中央部に行くまでにかなり時間がかかるので、彼らに残された時間はあまりないと言えよう。
 ジル達を含めた潜入部隊44名はグループ別に7つのボートにのり、ダノンら残留組に見送られながら次々に漆黒の海の上に漕ぎ出していった。
彼らのボートはエルフィーネを抜かした男性陣が一生懸命櫓を漕いでいた。
もちろんエルフィーネは”ひ弱な女性に櫓を漕がせようと言うの?”と言ってロッキッキーの非難も受け付けなかった。
 島南部の砂浜へと漕ぎついた彼らはまずボートを見付からぬように陸地のかなり奥の方まで引きずらねばならなかった。
辺りはかなり平坦な草原で、昼間ならかなり遠くまで見渡せるであろう。
砂浜には2隻の船が座礁していたが、とりあえず彼らには注意を払う時間はなかった。
 7グループはそれぞれに他の者達の幸運を祈りつつ、それぞれに散っていった。
 とりあえずジル達は近くの岬に見える建物に行くことにした。
建物はどうやら暗黒神の神殿らしかった。
神殿の外壁にいたる所にレリーフが彫られていたので比較的容易に分かったのだ。
もっともたとえレリーフなど知らなくても、その模様が放つまがまがしい邪気に気がつかぬ者など居らぬであろう。
彼らは神殿の中に入り一通り調べてみたが、司教はおろか信者の一人もいなかった。
「何も無いようじゃな。」
 ジルは礼拝堂であろうか邪神の像のある部屋でそうつぶやいた。
さすがのロッキッキーもこの神殿でお宝を探そうなどとは思わなかったようであった。
「なら行きましょう。もう用はないですから。」
 ザンはそう提案した。
他の者も頷き、彼らは神殿を後にして一路北をめざした。
 神殿より海岸沿いにおよそ2時間程行くと今度は塔が彼らの視界に入ってきた。
もちろん踏み込んだ彼らであったが、ここももぬけの空であった。
だが一階のロビーに飾ってあった肖像画から、この塔がスカルロードと共に彼らと戦った女ダークエルフのものであることが分かった。
ここではエルフィーネが何やら積極的に漁っていたが、どうやらお目当ての物は見付からなかったようであった。
彼女の憮然とした表情がそれを語ってる。
 彼女は無駄骨を折ったことをまるで肖像画のせいにせんばかりに睨み付けたが、もちろんそれは八つ当たりにすぎなかった。
彼女の視線はふと絵の最下段付近で止まった。
そこにはおそらく肖像画の主の名前であろうか名前が書いてあった。
それはエルフ語でザシェイアと読めた。
 ここでも時間を浪費した彼らは塔から町明かりの見えた方向、北西へと足を向けた。

 ようやく彼らが街へと着いたのは、東の空が明るくなり始めた頃であった。
朝方からだからか町にはあまり人影がなかった。
この大きさの町ならば海賊達も仲間のすべてを知っているわけではないだろうから、前に剣を交えた者に出会わなければ怪しまれる心配はないだろう。
ただしさすがにエルフではそうもいかないだろうから、エルフィーネはしょうがなくその髪を後ろで縛り鎧の中にいれ、さらに太めの布を巻いてその耳を隠した。
これでぱっと見には少し華奢な人間の小娘にしか見えないであろう。
ザンとルーズは使い魔とスタッフを目立たぬようにそれぞれにしまった。
 しばらく町中を歩いていて分かったことは、やはり海賊たちが集まっているのは酒場であるらしかった。
このような閉鎖された島では、娯楽と言えば酒を飲むことと女を抱くこと、そして賭事ぐらいしか無いであろう。
彼らは酒場の中で比較的大きな所に入り、何事もないように隅のテーブルに座って海賊たちのうわさ話にしばらく耳を傾けた。
 しかしここの海賊たちを見ている限りでは、あまり緊張しているようには見受けられなかった。
酒の勢いか、それとも自らの力を今持って信じているのか、それとも海賊の真の首領とやらがカリスマ性を持っているのか。
ともかくも彼らにすぐ判断できるようなことではなかった。
 しばらく海賊達の話を聞いていた彼らであったが、ジルが前屈みにテーブルにつき直したのを機にそれぞれに視線を仲間達へと戻した。
「具合はどうじゃ。」
 ジルは一通り仲間の顔を見回した後、そう呟いた。
「何かね、幹部を倒した冒険者達がもうすぐこの島に上陸する様なことを聞いたわ‥‥ぜ。奴等にはたとえ赤き血の王と言えどかなわないかもね‥な。」
 慣れぬ言葉に四苦八苦しながらエルフィーネはごく自然な感じで話そうと努力していた。
本来彼女の言葉の悪さは精神年齢の低さにその起源があるので、海賊のように内側から悪意がにじみでてくるようなそれとは次元が少し違うのだ。
「そういやスカルロードはその冒険者に殺られたって話だが、実際の所は赤き血の王に逆らって呪い殺されたらしいぜ。」
 ロッキッキーはうまくエルフィーネの後を継ぐようにそういった。
こちらの口の悪さは生まれつきである。
「その赤き血の王だけどね、どうやら正体は魔界からきたデーモンで、何か占いの儀式をやってると言う話だね。」
 ルーズはまるで場違いな口調でそう言った。
だが幸いにも彼の口調を気にとめた者はいなかった。
夜通し飲んでいるような輩ばかりであるから当然と言えば当然であるのだが。
「王はどうやら裏山に住んでるらしいな。幹部が何人か登っていくのを見たぞ。」
 ソアラの方は少しふざけが入っているようだ。
「所でよ、先の海戦ではこっちもこっぴどくやられたが、向こうはそれ以上にやっつけたそうだ。まずこの島まで攻めてくる気遣いは無いな。」
 ザンの外見から言えばこちらの言葉づかいのほうがあっていそうだ。
ただしいつもの彼を知っている者達には笑いを誘う結果となるが。
「現にメゼルト船長も今頃宴会を開いておるはずじゃ。」
 ジルがその後に続けた。
どうやらザンとジルは同じ人物の話を聞いていたようであった。
他に何かあるかと言うようにジルは仲間を見回すが、仲間達の反応は無かった。
「さてねぐらにでも帰って一眠りするかの。」
 ジルはそう言って立ち上がった。
他の者も立ち上がり自分の酒代をテーブルの上に置いた。
そしてカウンターの向こうの眠たげな主人に挨拶しながら酒場を後にした。

 酒場から出たジル達は路地裏の方を歩きながら情報の分析をしていた。
まず彼らのことは何処から漏れているのか、漠然とした形でであるが海賊達にも伝わっているようであった。
もっとも彼らの方も海賊を皆殺しにするのが無理なように、海賊の幹部達も部下の口を完全に押さえ込む事も無理であろう。
後は赤き血の王とやらが海賊の首領であるらしいこと、そして裏山の方に住んでいるらしい事である。
これはその裏山に登ってみればはっきりするであろう。
あとは連合艦隊が負けたようなことになっているらしいが、これは彼らも知っているようにデマである。
たぶん先の海戦で逃げた船長が懲罰を恐れて虚偽の報告をした、と言うところであろう。
こちらの方は彼らには都合のいいデマであるので、わざわざ真実を教えてやる必要もなかった。
「さてこれからどうしますかね?」
 ザンはもとの口調に戻ってそう仲間に尋ねた。
エムも窮屈なマントの陰から出、ザンの腕の中で大きくのびをしていた。
「そうじゃのう、その赤き血の王とやらの住む山にも行ってみたいが、いかんせん情報が少ないのう。どうじゃ、そのメゼルクとか言う幹部の屋敷に行ってみんか?」
 ジルは髭を弄びつつそう言った。
しかし酒場の連中もドワーフがこんな島にいて何とも思わなかったのであろうか。
「でもよ、そのメゼルクとやらの屋敷にはどうやって行くんだ?」
 ロッキッキーはジルへとすかさずそう言った。
この島の海賊達なら誰でも知っているであろうが、彼には知るすべはなかった。
「うーむ‥‥。」
 考えこんだってどうにかなるものではないのだが、とりあえずジルは両腕を組んで押し黙ってしまった。
「誰かに聞けばいいでしょ?」
 エルフィーネは何事もないような口調でそう提案したが、誰もそれを名案だとは思わなかったようだ。
「自ら”自分は忍び込んできた敵です”と言うようなもんだよ。」
 ルーズは何にも分かっていないと言うような表情でエルフィーネを見た。
「あんたならそうでしょうね。見るからに怪しいし。」
 エルフィーネは涼しい顔でそう言い返した。
「要するに案としては悪くないんですが‥‥。」
 ザンも反対のようだが口調はあくまで消極的である。
「いいから!ちょっとここで待ってて!」
 エルフィーネはそう言うと子兎のように身を翻し、今きた道を戻っていった。
あわてて止めようとしたのはソアラであるが、そのときにはすでに彼女は彼の視界から消えていた。
「こういう時だけ積極的なんだよな。いつもは人を使うことを生き甲斐にしてるくせによ。」
 ロッキッキーは憮然として答えたが、彼がそう言うと冗談ではなくなる。
何せ彼が一番彼女から被害を被っているのだから。
「ともかくエルフィーネが帰ってくるまで少し待ちましょう。」
 ザンはやれやれと言うように呟いた。
他の4人もそれには頷くしかなかった。
 しかしそれほど待つことなしにエルフィーネは彼らの所へと戻ってきた。
満面に浮かぶ笑みからどうやらメゼルクの屋敷が分かったようであった。
「どこだか分かったのか?」
 とりあえずロッキッキーはそう彼女へと尋ねた。
「当然でしょ。けっこう近くらしいよ。」
 エルフィーネはそういってだいたいの方角を指し示した。
「それにしてもよくこんな短時間で分かりましたね。」
 ザンはその所有時間の少なさに感心しているようであった。
「うん少し戻ったところに酒場があったんだ。そこで聞いてきたからね。」
 エルフィーネは今度は自分が今来た方向を指し示した。
「変な顔されなかったか?」
 ソアラは少し心配そうにそう尋ねた。
彼女の身を案じたのではなく仲間達の、しいては自分の身を案じているのだ。
「されたのはいやらしい顔よ!やめてよせっかく忘れようとしてるのに」
 エルフィーネはその海賊の顔を思い出してか眉をひそめた。
「じゃあ、行くかの。」
 ジルは一言そう呟くとエルフィーネが示した方向へと歩き出した。
仲間達もそれに続いた。
しかしもちろん彼が正確な位置を知っているわけではないので、後ろからエルフィーネが道案内をしたのであるが。

 メゼルトの屋敷は町のはずれの方にあった。
さすがに幹部の屋敷らしくそれなりの構えをしているが、それは町の下っ端達の家と比べてのことである。
ダーヴィス邸やベノール王城を見慣れた彼らにとっては見窄らしい家でしかなかった。
もっとも一国の王城などと比べられたらこの世界のほとんどの家は見窄らしい部類に入るであろうが。
 この辺りはどうやら幹部の屋敷が集まっているらしくかなり大きな屋敷が並んでいた。
その中で1、2を争う見窄らしい屋敷がメゼルトの物なのだ。
「ここがそうですか?」
 屋敷の裏手でザンがそうエルフィーネへと聞いた。
「そうだと思うけど‥‥。」
 聞いてきた当時とは裏腹にかなり頼りなげな返事をエルフィーネは返した。
残念ながらこの辺りは町中よりもさらに人気が無く、誰かに聞いて確認すると言うことは出来そうになかった。
「入ってみればそうかどうか分かるじゃろ。」
 ジルは素気なくそう言った。
もちろん彼なりにそういうだけの根拠はあるのだが、仲間達にはたんに鈍いとしか思えなかった。
「何か根拠でもあるのかよ。」
 あからさまに不審そうな顔でロッキッキーがそう尋ねた。
「ほとんどの大幹部は倒しておるでの。それによしんば間違えて他の幹部の屋敷に入ってもスカルロードほど強くないじゃろうから安心せい。」
 ジルはロッキッキーをじろりと見た後そう言った。
確かにそれも物事の一端をとらえているようであった。
「分かりました。では入りましょうか。」
 ザンはどうやらこのパーティーは力任せの所があると諦めているのであろう、ジルに対してそう言った。
「よし、入るぞ。」
 彼らはジルとソアラを先頭に慎重に裏口と思われる門を抜けていった。
 彼らが入り込んだのはどうやら台所らしかった。
調理台らしきテーブルとかまど、それに流し場があるだけで特に目を引く物はなかった。
「何もなさそうじゃのう。」
 ジルは慎重に辺りを伺ったあとそう呟いた。
「みたいだな。」
 ソアラも適当に相づちを打った。
「緊張して損しちゃったね。」
 エルフィーネは小声でそんなことを言った。
もとから緊張とは無縁であろう彼女の口からそんな言葉が出ようとは驚きである。
「難しい言葉を知ってるじゃねぇか。」
 ロッキッキーがすかさず悪態をつく。
「うん、育ちが違うからね。」
 彼女は”長く生きてるからね”とは言わなかった。
「左右に扉‥‥ですね。」
 ザンは見たとおりのことをそのまま口にした。
さらに詳しく述べるなら、右の扉は壁の奥はじの方にあり左の扉は手前の方にあった。
「どっちに行くんだ?」
 ルーズは両手でそれぞれの扉を示しながらそう仲間へと尋ねた。
「そうじゃのう、ロッキッキー、聞き耳を立ててくれんか?」
 ジルは少し考えた後、ロッキッキーへとそう言った。
「O.K.」
 彼は親指を立ててそう言うとまず右側の扉に、ついで左側の扉に耳を押しつけた。
そして扉の前で立ち上がり仲間の方を向いた。
「こちらから人の気配がするぜ。」
 そう言ってロッキッキーは扉を指し示した。
「なら覗いてみてくれんかの。」
 ジルはそうロッキッキーへと呟いた。
「分かった。」
 彼は今一度扉の前にしゃがみ込み、音を立てないように慎重に扉を開いた。
わずかな隙間から中を覗いたロッキッキーは隣には誰もいないと言うことを知った。
今度はそのままの姿勢で仲間へと呟いた。
「誰もいないようだな。」
「ならそちらに行くかの。」
 ジルは今一度武器の感触を確かめるとそう呟いた。
「分かった、じゃあ開けるぜ。」
 ロッキッキーは細心の注意を払って扉を開けた。
開け放たれた扉を抜け彼らは隣の部屋へと入っていった。
彼らが歩く度に床がみしみしと音を立てるが、彼らが感じるほど大きな音ではないようであった。
 その部屋は台所の一方の長さを2倍半ほど伸ばしたような部屋であった。
中央の大きなテーブルといい、多くの椅子といい、どうやら食堂らしかった。
彼らが抜けた扉の右手の壁に同じ様な扉があった。
そして彼らの中でその扉より感じられる人間の気配に気づかぬ者はいなかった。
「とりあえず部屋の中を調べてみらぁ。」
 ロッキッキーは必要最小限の声量でそう呟くと部屋の中を物色し始めた。
物音一つ立てずにそれを行ったロッキッキーの技術は称賛に値するが、あいにくと収穫は無かった。
おどけたように肩をすくめるとロッキッキーは仲間の所へと戻ってきた。
「聞き耳を立ててくれ。」
 いつもの呟きよりさらに小さな声でジルはそう右手の扉を示した。
ロッキッキーは頷き、扉の前へと移動した。
そして扉の向こうに何人かの人間がいることを確信した。
つまり話し声が聞こえたのである。
残念ながら何を話しているのかまでは分からなかったが。
 ロッキッキーは神妙な顔で自分を見ている仲間に首を振って向こうに誰かいることを知らせた。
ジルは少し悩んだがとりあえず台所へ戻るように示すと、自分はすぐに戻っていってしまった。
用心のため扉をしめ、彼らは一様に顔を見合わせた。
なるべくなら騒ぎを起こしたくないものである。
連合艦隊の襲撃までまだだいぶ時間があるからだ。
「とりあえずこっちの部屋を調べてみんか?」
 ジルは先ほど入らなかった右手の扉を示した。
「そうだね、何かあるかもしんないしね。」
 ルーズは何かを期待して積極的であった。
もちろんロッキッキーも同様であった。
「なら入るかの。」
 さっきのロッキッキーの聞き耳を信用してか、ジルは無造作に扉を開け中へと入っていった。
 扉の先はどうやら召使い用の大部屋らしかった。
台所と同じ大きさの部屋に粗末なベッドが3つと小さな棚が2つあるだけの質素な部屋であった。
一見しただけで何もないということがわかる、そんな部屋であった。
「これでも探すの?」
 エルフィーネは唖然とした表情のままそうロッキッキーへと言った。
「当然だろ。どこに何があるかわからねぇからな。」
 ロッキッキーはそう力説した。
「ならとっとと始めてよ。」
 エルフィーネは投げやりにそう答えた。
私は何も見つからない方に賭けるわと彼女は口の中で付け足した。
「言われなくてもわかってら。」
 ロッキッキーはそう言っていつもより念入りに部屋の中を調べ始めた。
だが結果はエルフィーネの予想通りであった。
何もなかったのである。
「何にもねえわ。」
 ロッキッキーは仲間の所へと戻ってくるなりそう言って見せた。
「まあそんなもんじゃろ。」
 ジルは納得したようにそう呟いた。
ロッキッキー以外はこの部屋に何かあるなど期待してはいなかったのだ。
「結局さっきの扉を抜けなければならないのですね。」
 ザンはそう呟いた。
「何、さっきジルも言ってたけど絶対にスカルロードよりは強くないさ。だからきっと勝てる。」
 ザンを励ますように、または説得するようにソアラはそう言った。
もっともその戦いで一度死んだ者が言っても説得力は無いが。
「そうですね。」
 ザンは頷いて見せたが、それはソアラに対する配慮からだ。
「なら行くかのう。」
 ジルはそう言って入ってきた扉より抜けていった。
他の者もそれに続いた。

 食堂へと戻った6人はそのまま隣の部屋へとなだれ込んだ。
そこは食堂よりもさらに広い大広間になっていて、9人の男たちが中央のテーブルの回りで何やら深刻そうな顔で話をしていた。
だが突然の襲撃に一瞬驚き、次の瞬間には攻撃態勢に入っているところはさすがである。
そして戦闘は始まった。
 ジルたちにはどうやら幸運の女神という奴が微笑みかけているらしかった。
仮にも海賊の本拠地で騒動を起こすなど以ての外であるが、あいにくこの館の回りには人がいなかったこと、そして集まっていた海賊たちが彼らを倒すことに固執したことがジル達にとっては幸運なことであった。
 ジルが言っていたように海賊の幹部達は強敵ではなかった。
あくまでスカルロードに比べればであるが。
どうにかジル達は仲間を一人も失うこと無しにメゼルトら海賊の幹部を打ち倒すことに成功した。
大広間の床は海賊達の流した血で赤くコーティングされた。
「どうやら終わったようじゃの。」
 ジルはもはや動かぬ肉片と化した海賊達を見ながら無感動にそう呟いた。
「そうだな。」
 ソアラも疾風の剣に付いた血を払いながらそう言った。
「さあ奥に進もうぜ。ボスを倒した後には宝物ってのが常識だからね。」
 ルーズは満面の笑みを浮かべながらそう呟いた。
「それはともかくとして、”赤き血の王”に関する手がかりぐらいはあるかもしれませんよ。」
 ザンがルーズの横からそう言った。
はたして他人にこの二人がソーサラーだといって信じてもらえるのだろうか。
「なら屋敷の探索をするべよ。」
 ロッキッキーのその提案に少なくとも反対の者はいなかった。
 海賊達の死地となった大広間には彼らが入ってきた扉の正面の壁に三つの扉があった。
「何処からはいるの?」
 エルフィーネはとりあえず何の変哲のない扉を見ながらそう呟いた。
「そうじゃのう、とりあえず左の扉へと入って見るかの。」
 ジルは未だに左に固執しているようであった。
「左ね。で、ロッキッキー、扉調べてよ。」
 エルフィーネは頷いたそのままの表情でロッキッキーの方を向いた。
「へぇへぇ、わかりましたよ。」
 ロッキッキーはぶつぶつと呟きながら扉へと近づいていった。
あれこれ調べるが別段変わったところはないようであった。
「何もねえな。」
 扉の所で振り向いて彼はそう言った。
「そう。」
 エルフィーネは無感動に呟いた。
「めんどくせえから全部調べてやらぁ。」
 彼はそう言うと残りの二つも調べてしまった。
どうやらどうせ調べることになるのなら、と考えたようである。
そして彼のつつましい努力によってこの三つの扉には何の罠も鍵も掛かっていないことがわかった。
「なら扉を開けるぞ。」
 ジルは無造作にそう言って一番左の扉を開けた。
彼なりに扉の向こうにだれも居ないことを確信していた。
なぜならもし誰かいればきっと先の戦闘中に出てきてるはずだからである。
ジルの読み通り扉の向こうには誰も居なかった。
ただ召使い用の部屋と同じように見窄らしいベッドが四つ並んでいるだけであった。
「何もないようじゃな。」
 ジルは部屋の中を一通り見回した後そう言った。
「そうだな。」
 ソアラは反論のしようもなくそう呟いた。
ロッキッキーにしてみてもここで骨を折る必要を感じなかった。
「次は一番右じゃ。」
 今度はそう言ってジルはさっさと扉を開けてしまった。
そこはどうやら玄関らしく外へと通じているであろう扉と、あと二階へと通ずる階段とがあった。
ふつうの冒険者ならそのまま二階に行くところであるが、このパーティーの仮のリーダーであるドワーフは一階一階きちんと調べなければ気の済まない性格であった。
かくして彼らは真ん中の部屋も調べることとなったが、あいにくそこも子分用の部屋らしくベッドが四つ並んでいるだけの部屋であった。
「それでは二階へと行くかの。」
 そこまでしてようやく彼らは二階へと上っていったのであった。

 階段を上りきったところで通路は右と左、二手に分かれていた。
ちょうどT字の縦線を上って付け根に当たったような感じである。
「どっちに行くんだ?」
 先頭のソアラがジルへと訪ねた。
「当然左じゃよ。」
 ジルは考えることも無くそう言った。
「はいはい左ね。」
 ソアラは聞いたことを少し後悔しながら道なり左へと進んでいった。
廊下は何とか二人並んで歩けるほどの広さであった。
建てられてから古いのか、それとも安普請なのか、彼らが歩く度に床がぎしぎしと情けない音を立てた。
もっとも完全装備のドワーフが歩けばそんじょそこらの床は悲鳴をあげると思われるが。
「でもさあ何か右の方があたりだったような気がしない?」
 ソアラとロッキッキーに挟まれた所を歩くエルフィーネは不意にそんなことを呟いた。
「それならお主一人で戻ってもよいぞ。」
 かなり小さな声であったがもちろんジルの耳まで届くうちに減衰するようなものでもなかった。
「いやよ。本当に当たりだったらどうするのよ?!」
 エルフィーネは応じた。
「だったら文句を言うでない。」
 ジルは不機嫌そうな表情でそう呟いた。
「うるさいわね。ただそう思っただけでしょ。」
 エルフィーネの方もいらつき始めたようだ。
エルフとドワーフといえばいがみ合いはもう種族の性である。
口論ぐらいですんでいるのだから他の仲間はあまり気にすることもないであろう。
それにしても彼らには緊張感というものがないのであろうか。
 廊下を道なりに進んだ彼らは2度ほど左に折れたところでまたしてもT字にぶつかった。
「ここは当然左‥‥だろ?」
 ソアラがそう言うとずんずんと左の廊下へと入っていった。
ジルは分かっておるじゃないかという顔で頷くとソアラの後を追った。
他の者もそれに続く。
 彼らの入り込んだ通路のは左右に2つづつ、計4個の扉があった。
正面は壁である。
どうやら壁の向こうは彼らの上ってきた階段のようである。
「さてどの扉から入るんだい。」
 ロッキッキーは自分の出番とばかりにそう仲間達に尋ねた。
「そうじゃのう、やはりここからじゃな。」
 そう言ってジルが指さしたのはやはり左手前の扉であった。
「O.K.ちょっと待ってな。」
 ロッキッキーはそう言うと扉の前に座り込み、仲間達の見守る中扉を調べ始めた。
「どうやら罠はねぇみてえだな。鍵も掛かってねぇ‥‥。と、ここからは俺の仕事じゃねぇからな。」
 ロッキッキーはそう言ってするりと後ろの方へと下がっていった。
「何もないなら開けてもいいじゃないですか。」
 半ばあきれたようにそう言って近くにいたザンが扉を開けた。
ロッキッキーの調べたとおり扉には何もなかった。
ドアは情けない声を上げながらゆっくりと開いていった。
ソアラとジルが不測の事態に備えて武器を構えていたが、幸運にもそのようなことにはならなかった。
 ソアラ、ジルを先頭に彼らは部屋へと入っていった。
何もない正方形の部屋で右手の壁にまた扉があった。
ロッキッキーが調べるまもなくジルが扉へと手をかけた。
幸いにも罠もなく鍵も掛かっていなかったようだ。
彼らは次の部屋へと移動した。
 その部屋はかなり豪華な部屋であった。
どうやらメゼルトとやらの部屋らしい。
壁には年代物の武具や盾が飾ってあり、また豪奢な机やベッドが絨毯の上に置かれていた。
もっとも部屋を構成する品のほぼすべてが略奪品であろうが。
また右側の壁には扉があり、おそらく廊下へとつながっているのであろう。
そして枕元にまるでとってくださいと言わんばかりに宝箱があった。
が、ロッキッキーは他のものを探して部屋の探索を始めた。
「海賊って結構儲かるんだね。」
 部屋を見渡しながら感心したようにルーズがそう呟いた。
「なら”赤き血の王”とやらに頼んでみれば?”私を雇ってください”ってね。」
 エルフィーネはルーズにそう言った。
「そして俺達がおまえを倒して懸賞金を貰うってのはどうだ?」
 脇からソアラが意地悪げな笑みを浮かべてそう割り込んできた。
「あんまり貰えそうにないけどね。」
 駄目だという様にエルフィーネが首を振った。
「うるさい!」
 ルーズはそう言い残すと部屋を漁るロッキッキーの手伝いをしに行ってしまった。
「あまりいじめては可哀想ですよ。」
 後ろから苦笑したままでザンがそう二人へと言った。
「いじめてないよ。事実を言っただけ。」
 平然とした表情でエルフィーネは呟いた。
”それではよけい悪いのですが”とザンは思ったが口には出さなかった。
 どうやらめぼしいものは無かったようだ。
彼らは自然に宝箱の回りに集まった。
「さてこいつしかねぇからな。調べるしかねぇか。」
 ロッキッキーはそう言って先ほどとはうって変わって慎重に宝箱を調べ始めた。
宝箱が隠されていないこと自体が不自然なのである。
それに海賊の船長のものでもあるので当然罠がかかっていることであろう。
「あぶねぇあぶねぇ。きっちり罠が仕掛けてあるぜ。」
 ロッキッキーはツールを器用に使いながらそう呟いた。
「解除できたの?」
 少し遠巻きの方で眺めながらエルフィーネはそう尋ねた。
「これからだよ。」
 ロッキッキーはそう叫んだ。
「ふーん、そう。」
 エルフィーネは無感動に頷いただけであった。
「ちっ。」
 ロッキッキーはなかなか外れない罠に対してかなり苛立ってきていた。
そして彼らしからぬミスを犯すのである。
宝箱にさわってしまい、それによってわずかに箱が動いてしまったのだ。
とたんに壁に掛かっていた武器が4つほどロッキッキーへと打ち出されたのだ。
他の者は即座に横に飛びかすり傷一つ負わなかったが、それは結局すべての武器がロッキッキーに集中することを意味した。
「うわっ。」
 十分でない体勢から身をよじってかわそうとしたロッキッキーであるがかわしきれず、短剣に左腕をかすられてしまった。
「ちっ。」
 ロッキッキーの左腕から鮮血があふれでたがどうやら大事にはいたらなかったようだ。
仲間達は彼の回りに集まり傷が浅いことを知るとほっと胸をなで下ろした。
「どじねー、まったく。」
 神の力を借りて治すほどのでもなく、エルフィーネがロッキッキーの傷口に布をあてがっただけですぐに血は止まった。
「悪かったな。さて、今度は鍵だな。」
 血が止まったのを確認するとロッキッキーは意欲的に宝箱へと挑戦した。
だがここでも彼は幸運の女神に見放されていたようだ。
彼の読み通りもう罠はなかったもののかなり難解な鍵のようで彼の手には負えなかった。
「くそ、ついてねぇぜ。」
 ロッキッキーはそう言って軽く宝箱を蹴飛ばした。
「仕方ありませんね。」
 ザンはそう言って鍵を開けようとするがもとより彼に開けられるはずもなかった。
頼みの綱の呪文を二人とも失敗したので、どうやら彼らにはこの宝箱を開けることはできないようであった。
「諦めるしかないか。」
 ソアラは開かぬ宝箱を見つつそう呟いた。
実際はそれしか方法がないのであるが。
「いんや、絶対に諦めねぇぞ。」
 それに対しロッキッキーは首を振った。
「どうするのじゃ、どうせ開きはせぬぞ。」
 諭すようにジルはそう呟いた。
「持って帰んだよ。」
 ロッキッキーはそう言って宝箱に手をかけた。
だが彼一人で運べるような代物ではない。
どうにか引きずれるという感じであった。
「‥‥勝手にせい。」
 ジルは一言そう呟くとさっさと部屋を出ていった。
その後をあきれた表情のままエルフィーネ達が続いた。
「手伝おうって奴はいねぇのかよ!」
 かなり遅れてロッキッキーが宝箱とともに部屋を後にした。

 宝箱を引きずってようやく外へと出たロッキッキーに右側の扉を調べさせた彼らはすぐに扉を抜けた。
どうやら廊下を挟んで左右対称になっているらしく、扉の向こうは何もない正方形の部屋であった。
そして左側の壁に扉があった。
「ロッキッキー、調べてくれ。」
 ソアラはそう言って扉を示した。
「あいよ。」
 宝箱をいったんその部屋の隅においてロッキッキーは扉へと向かった。
彼はすぐに扉を調べ始めるが、何もないことを確認するのにそれほどの時間を必要としなかった。
「何もねぇな。大丈夫だぜ、開けても。」
 ロッキッキーはそう言って後ろへと下がった。
それを受けてソアラが扉を開ける。
 扉の向こうはメゼルトの部屋とほぼ同じ大きさの部屋になっていた。
だがベッドと壁に掛かるファラリスのホーリーシンボルの他は何もないがらんとした部屋であった。
「どうやらさっきのダークプリーストの部屋の様じゃな。」
 ジルは壁に掛かるファラリスの紋章を見ながらそう呟いた。
「何もなさそうね。」
 ソアラの後ろから中を覗きながらエルフィーネはそう呟いた。
「いんや、絶対に何かある。」
 そう言ってロッキッキーは部屋を調べ始めた。
そしてすぐに成果は上がった。
もっとも調べられそうなところがベッドの下ぐらいしかないので、たとえ素人が探してもすぐに見つけられると思うが。
今度の宝箱はどうやら動かしても平気なようである。
ロッキッキーは宝箱をベッドの下から引きずり出した。
メゼルトの物よりは小柄な箱で、また重さもそれほどではないように思えた。
「罠は‥‥ねぇ様だな?」
 しばらく調べていたロッキッキーであるが自信なげに呟いてザンの方を見た。
それを受けてザンも宝箱を調べる。
「たぶん‥‥無いと思いますよ。」
 しばらく調べた後ザンを自信なげに呟いた。
「なら開けてみるか。」
 ロッキッキーは覚悟を決めたように呟いて宝箱の鍵をはずした。
そしてふたを開けた瞬間自らの判断が間違っていたことを悟った。
宝箱から白い粉が吹き出されたのである。
 粉は部屋中にまき散らばり、彼らはしたたかに吸い込んでしまった。
「きゃ?!何?」
 あわてて口を押さえたエルフィーネであるが当然吸い込んだ後である。
やがて粉は落ち、床を白くコーティングした。
「何だったんじゃ今のは?」
 ジルは慎重に服についた粉を払いつつそう呟いた。
「さあ?」
 ザンはそう答えた。
が、すぐに粉の正体に気づいた。
自らの知識ではなく目の前で起こったことによって。
エルフィーネ、ルーズ、ロッキッキーの3人が突然うなり声をあげたり、四つん這いになったり、両手を羽ばたかせたりし始めたのだ。
「どうしたんだ?」
 ソアラの声に耳も貸さず3人はただ動き回るだけであった。
「薬か?やっかいじゃのう。」
 ジルは3人を忌まわしげに見つめながらそう呟いた。
「これではどうしようもありませんね。一度集合地点に戻りましょう、彼らの毒を解除して貰わなければいけませんから。」
 ザンもエルフィーネ達を見ながらそう呟いた。
「そうじゃのう、その前に宝箱の中身をみんか?」
 ジルがそう言うとザンとソアラも頷き、宝箱をのぞき込んだ。
中には金目の物はなく、後でそうとロッキッキーが知れば悔しがるであろう。
中身はただの紙切れが入っているのみなのだから。
「なんだ?これは。」
 ソアラはそう言ってその紙束をとって目を通してみたが何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。
首を振ってそのままザンへと渡す。
が、もちろん彼でも同様であった。
「どうやら暗号で書かれているようですね。」
 ザンは紙束を見せながらそう言った。
「ということは重要なことが書いてあるということじゃな。」
 ジルはその理由をそう結論した。
「おそらく。」
 ザンはそう言うにとどまった。
「まあよいわい。さて一旦戻るかの。」
 じろりといまだに正気に戻っていない3人を見た後で、彼らは町の裏手の丘をめざして進んでいった。

 どうにか海賊たちにも不審に思われず町を抜けた彼らは、なんとか支援の部隊と合流することができた。
彼らはまるでとち狂ったようにしか見えない3人を見て唖然としたものの、すぐに薬の影響からエルフィーネ達を解放してくれた。
もちろん我に返ったエルフィーネは話を聞いた後、ロッキッキーとそしてザンを非難することを忘れなかったが。
またメゼルトの屋敷で手に入れた暗号を渡し、彼らは再度情報を求めてメゼルトの屋敷をめざすのである。
 いまだ海賊たちの死体が残る屋敷の広間で彼らは広げられた地図を見つけた。
そして赤き血の王が居るらしい場所を見つけた。
地図に大きく×印がつけてあったのだ。
どうやら町からさらに東に行った所の岩山に居るようであった。
「どうする、行くかの?」
 地図を見つめている仲間に対しジルはそう言った。
「当然行くんだろ?」
 真っ先にそう言ったのはソアラであった。
「あたぼうよ、そいつを倒しゃたっぷり謝礼も貰えそうだしな。」
 ロッキッキーはそう答えた。
すでに彼の頭の中には先ほどの宝箱のことなど無かった。
「そうだね。」
 ロッキッキーに対してルーズが相づちを打った。
「私たちだけで倒せると思うの?」
 しかしやはりエルフィーネが異議を唱えた。
もちろん仲間の身を案じているのではなく自分の身を案じているのだ。
「なんとかなるべよ。」
 ロッキッキーは楽天的にそう言った。
「ならいいけどね。」
 それ以上はエルフィーネは何も言わなかった。
「なら行くかの。」
 こうして彼らは赤き血の王めざして町を後にしたのであった。

 赤き血の王が住むと思われる洞窟は海賊の町から東に進んだ岩山の上にあった。
それほど見つけにくいわけではないが、もしメゼルトの屋敷で地図を見ていなかったらうっかり見落とすかもしれないほどの物でもあった。
「本当にここか?」
 一見自然な洞窟なのでソアラは思わずそう呟いた。
「さあ?メゼルトに聞いてよ。」
 エルフィーネはもはやこの世の住人ではない者の名を出した。
「聞けるわけないだろ!」
 ソアラは少し強い口調でそう言った。
「私に怒らないでよ。殺したのは私じゃないのに。」
 エルフィーネは逆に非難するような目をソアラへと向けた。
メゼルトを殺した張本人は話をすり替えられたことに気づかず押し黙った。
「何をもめとる、ここに間違いないわい。ご丁寧に入り口をカモフラージュしておるのじゃからな。」
 ジルはそう言って洞窟の壁を示した。
他の者にはよく分からないが、ドワーフがそう言うのであるからその通りなのであろう。
「では入りましょう。」
 ザンがそう言うと仲間達は頷きあって洞窟の中へと入り込んでいった。
 一見自然の物に見える洞窟は10メートルほどで終わりを告げた。
その先は少し開け、床には絨毯が敷かれており、また壁は美しく塗装されていた。
魔法であろうか明かりも灯っているようであった。
また奥には木製の扉があり、見たこともない紋章が美しく彫刻されていた。
そして扉の前にどうやら案内人らしき人物が一人立っていた。
右手にも扉があるがそちらはやや粗末な作りである。
「場違いね‥‥。」
 エルフィーネはその場所の印象をその一言ですましてしまった。
「まったくのう。」
 彼女の前に立つジルがそう頷いた。
 彼らが部屋に入ってきたのをみた案内人が話かけてきた。
「この屋敷に何かご用ですか?」
 かなり昔に流行った高級貴族の使用人風の格好をしているが、その服装に負けず劣らずかなり慇懃な態度であった。
だが服装同様かなりの年寄りでひからびた印象を彼らは受けた。
「いやなにこの屋敷の主である”赤き血の王”とやらに用があるだけじゃよ。」
 ジルは老人を見ながらそういった。
「”王”にどのようなご用件でしょうか?」
 老人はまだ慇懃な態度を崩してはいなかった。
「なにそれほどの用があるわけじゃないがの、ただ倒しに行くだけじゃよ。」
 ジルはそう言い終えた後薄い笑いを浮かべて老人を見た。
老人は少しショックを受けたように見えるが、それは演技なのであろうかそれとも本心からなのであろうか。
「それではあなた様方をお屋敷にお入れになるわけには参りません。」
 そう言い終わるのとほぼ同時に老人は彼らへと襲いかかってきた。
だが彼らのほうとて油断していたわけではないので、攻撃を受けるようなことはなかった。
 戦いは思いの外時間を食ってしまった。
どうやらその老人はレッサー・ヴァンパイアであるらしかった。
まずソアラが傷を受けてしまい麻痺させられてしまった。
老人は善戦をしたもののやはり多勢に無勢、次第に追いつめられてしまった。
しかし形勢不利と見るや右手の粗末な扉から馬を4頭ほど呼び出したのである。
「気を付けい!ヴァンパイア・ホースじゃ。」
 ジルは4頭の馬を見るなりそう叫んだ。
戦いは乱戦となっていった。
だが勝敗自体は動かしようがなく、戦いはジル達の勝利で終わったが。
「アンデットがこうもおるとは‥‥。」
 麻痺したソアラを見ながらジルはそう呟いた。
「どうするのこれ?」
 まるで物を扱うような口調でソアラをしめしながらエルフィーネはそう呟いた。
「しょうがないですから私が運んでいきますよ。」
 ザンが苦笑しながらそう呟いた。
「それはいいけどな。所でよ今の奴等は門番だろ?と言うことは中にはさぞかし強い奴等がいるんだろうな。」
 ロッキッキーは薄ら笑いを浮かべてそう呟いた。
馬鹿げている、彼の瞳はそう呟いていた。
「でも進むしかないのですよ。」
 そのロッキッキーを諭すようにザンはそう言った。
だがロッキッキーは何も言わず、ただ黙って首をすくめただけであった。
「所でさ、まだ中にいるかもよ。」
 ルーズがそう言って馬が出てきた方の扉を示した。
扉は先に老人が開けたままになっていた。
「そう?私はいないと思うわ。」
 エルフィーネはルーズに対しそう言った。
たとえアンデットでももとは馬である。
隠れて不意打ちなどという芸当ができるとは彼女には思えなかった。
「見てみるだけ見てみるかのう。」
 ジルがそう言うと他の者も反対せず開け放たれたままの扉を覗いてみた。
もちろん結果はエルフィーネの言ったとおりで、その部屋が馬小屋だったって事を確認したのみであった。
「さ、ぐずぐずしてないではやく奥へと行きましょうよ。」
 エルフィーネはそう言って仲間達を促した。
「そうじゃのう。ロッキッキー、扉を調べてみてくれんか?」
 ジルは髭をいじりながらロッキッキーの方を見た。
「あいよ!」
 彼はそう言ってもう一方の扉へと向かったが、先ほどのことを態度に微塵も出さなかったのはさすがであろう。
「罠はねぇな。」
 しばらく調べていたロッキッキーはやがてそれだけを言うと脇へと退いた。
「では開けますよ。」
 そう言って一番近くにいたザンが豪華な扉を引きやった。
もちろん罠などは掛かっていなかった。
扉の向こうですぐ道は左右に分かれていた。
通路はそれほど狭くもなく2人並んでもまだ余裕があるほどだ。
「どっちに行くの?」
 通路をのぞき込んでいだエルフィーネがそう尋ねた。
「当然左じゃよ。」
 ジルは一度笑むとそう言った。
「分かった‥‥。東ね。」
 白紙に書き込みつつエルフィーネはそう呟いた。
そして彼らは麻痺したままのソアラを担ぎつつゆっくりと通路を進んでいった。

 玄関らしきところからしばらく通路を進むと通路は右にも折れていたが、とりあえず彼らはまっすぐ進むことにした。
通路はすぐに扉によって遮られた。
「調べてくれんか。」
 ジルに促されたロッキッキーは黙って扉の前へと移動した。
器用に扉を調べ始めるが結果は先ほどと同じ様だ。
「何もねぇな。」
 彼はジルの顔を見るとそう呟いた。
「よし開けてくれ。」
 アクスを構えるジルに言われてロッキッキーは慎重に扉を開けた。
が、何も起きずジルの準備は徒労に終わった。
「入るぜ。」
 仲間に言ったのかそれとも姿の見えぬ部屋の主人に言ったのか、ロッキッキーはそう呟くとさっさと部屋の中へと入っていった。
部屋自体はそれほどの広さもなく大きめのテーブルと椅子が幾つかあるだけであった。
 用心深く部屋へと入った彼であるがどうやら上方にはあまり注意を払っていなかったようだ。
彼が天井にぶら下がっている豪華なシャンデリアの真下付近に来たとき、突然鈍い音とともにシャンデリアを釣っていたワイヤーが切れたのだ。
「うわ!」
 ロッキッキーの体は脳が判断するよりも早く対応していた。
落下地点から逃れるためにもてうる限りの瞬発力を使って部屋の隅に飛んだのだ。
まさに間一髪であった。
シャンデリアは甲高い音とともにロッキッキーの脇へと落ちた。
一瞬でも判断が遅れていたらおそらく彼は重さ数百キロはあろうシャンデリアの下敷きになっていたであろう。
一瞬惚けたエルフィーネらであったがすぐにロッキッキーの脇へと駆け寄った。
その音に蹲まっていた彼は体を起こした。
「大丈夫?ロッキッキー?」
 彼の脇にしゃがみ込むとエルフィーネは心配そうな表情でそう尋ねた。
「へっ、これくらいじゃ何ともねぇよ。」
 ロッキッキーは内心の動揺を押し殺してそう悪態をついた。
「なんだ、心配して損しちゃったじゃないの。」
 損得で片づけられるような事ではないのだがエルフィーネはそう言った。
「それにしても危なかったね。避けるのが一瞬遅ければロッキッキーの押し花ができていたよ。」
 ルーズがシャンデリアを示しながらそう言った。
「まだ死ぬ気はねぇよ。」
 ロッキッキーはそうルーズへと返した。
「こんな目にあってもこの部屋を調べるのかの?」
 ジルはそんなことを言った。
「当然だろ?!これくらいの事にめげてちゃ盗人は勤まらねぇぜ。」
 ロッキッキーはそう言って飛び起きると部屋の中をまず目で漁り始めた。
そして部屋の隅の机に目を付け調べてみるが何もなかったようだ。
他に調べるような所もないので結局無駄骨になったわけであるが。
「なら戻るかの。」
 彼らは床のシャンデリアを見ながら部屋を後にした。
「けっ、死にそうになっただけ損かよ。」
 ロッキッキーは部屋を出るときそう呟いていた。

 一旦分岐点にまで戻った彼らはそのまま横の通路へと入っていった。
通路はしばらく進むとまたしても扉によって遮断された。
ここでも例によってロッキッキーが調べ罠がないのを確認するとザンが扉を開け、6人は次々に部屋に入っていった。
部屋は入ってすぐの所をカーテンで仕切られていた。
かなり厚手の生地であったがそれでも向こう側に誰かいるのが感じられた。
そして部屋にジル達5人と麻痺した者1人、そして2匹の使い魔が入り終えたとき、カーテンが開き黒いケープをまとった男が椅子に座っているのが見えた。
男はこちらよりも早く話しかけてきた。
「おまえ達の腕前、見事なものだ。私が、長年かけて探しても見つからなかった魔法の砥石を見つけだし、これと見込んだ部下たちも次々に打ち破られてしまった。その腕をつまらぬ事で腐らせるのは惜しい。どうだ、私の仲間にならんか。ともに世界をこの手に握ろうではないか。」
 高圧に語るのでもなく、媚びを売るのでもなく、彼はただ淡々と語った。
これに始めに応じたのはやはりジルである。
「その答えはスカルロードにも言ったがな‥‥、否じゃよ。」
 ジルのその言葉を聞いて男は今までとがらりと口調を変えて彼らを嘲った。
「馬鹿なやつらだ。では生ける死者となる栄光を与えてやる。卑しき者となって我がご主人様に仕えるがいい。」
 男はそう言うと椅子より立ち上がりケープを脱いだ。
姿を現したのは御者風の衣装を着た男であった。
そして見る見るうちに奇怪な半獣半人に変身した。
「さあ誰から生ける死者にしてやろうか。それとも我が僕の餌となるか。」
 嫌らしい笑みを浮かべながら男はそう言った。
何時の間に出てきたのか奴の背後には4匹の狼がいて、ジル達に対して威嚇の声を上げていた。
「ライカンスロープ!‥‥ワー・ウルフか!」
 ジルはアクスを構えつつそう叫んだ。
しかしジルのつぶやきは男に刺激を与えたようだ。
「私をそんな下賎な者と一緒にするなーーーーー!」
 男はそう叫びながら襲いかかってきた。
狼達もそれに続いた。
男は咆哮を発し彼らの心を恐怖に縛り付けようとしたが、その目論見はどうやら失敗したようである。
男とそして4匹の狼をロッキッキー、ジルの二人が迎えた。
だが戦力的にはソアラを欠くこちらの方が弱いことを彼らは感じていた。
戦いはすべての者を巻き込んでのものになった。
 ようやく5匹のアンデットが負の命を失ったとき、彼らの方ももう少しで冥府の門をくぐろうかという有り様であった。
神の力と精霊の力を借りて傷を治癒した彼らはそのまま床へと座り込んでしまった。
「赤き血の王とやらにまだこれだけの部下がいたなんてな。」
 荒い息を静めながらロッキッキーはそう呟いた。
「もういてほしくないわ。」
 近くの壁にもたれかかりながらエルフィーネはそう言った。
「なるべくそうであってもらいたいですね。」
 ザンがエルフィーネに対して相づちを打った。
「でははじめの所に戻りましょうか。」
 ザンはそう言って立ち上がり服のほこりを払った。
そしてソアラを抱える。
「さあいくかの。」
 ジルも腰を上げた。
そして彼らは部屋を出ていくのであった。

 最初の分岐点に戻った彼らは玄関に戻らずそのまままっすぐ進んでいった。
道は今度は一つの部屋へとつながっていた。
見たところ居間のようであった。
丸テーブルと幾つかの椅子、ベッドや戸棚まであった。
しかもかなりの高級品であった。
「どうやら居間の様じゃな。」
 見たとおりのことをジルは呟いた。
「そうですね‥‥。」
 ソアラを抱えたままでザンはそう呟いた。
「しょうがねぇな、ちょっくら調べてやらあ。」
 ロッキッキーはそう言って家具類を調べ始めた。
だが何も見つけることはできなかった。
「何もねぇな‥‥。それよりもこの部屋使われてんのか?」
 戻ってきたロッキッキーはそう口を開いた。
「ぬう‥‥言われてみれば生活の跡というのが見えんのう。」
 ジルは改めて部屋中を見回した。
いくらきれいに部屋を使ってもまた念入りに掃除しても、使っていれば家具の傷とか床のシミとかができるはずである。
だがこの部屋はそれらしいものは一切無かった。
「ダミーかな。」
 ルーズはそんなことを口にした。
「おそらくそうじゃのう。」
 ジルは頷いて見せた。
「なら気にしないでいこうよ。」
 エルフィーネはそう言って通路の反対側の壁にある扉を示した。
「そうじゃな、ロッキッキー調べてみてくれ。」
 ジルはそう言って今ではほとんど唯一のシーフを見た。
「はいよ。」
 ロッキッキーはそう言って扉へと向かった。
以前の彼ならばシーフは俺だけじゃないといってザンに押しつけようとしているところであるが、もう諦めているのであろうか。
それともただ単に忘れているだけかもしれなかった。
「何もねえぜ。」
 彼は扉を調べた後そう言って横へと移動した。
「では開けますよ。」
 扉の向こうは短い通路となっておりすぐ先にまた扉があった。
ロッキッキーに調べて貰い何もないことが分かると、再びザンは扉を開けて中へと入ろうとしたが思わず立ち止まってしまった。
扉の向こうには何人もの血色の悪い人間がいたのであった。
そしてザンに気づくなり襲いかからんとうなり声をあげ近づいてきたのだ。
「うわ!」
 ザンはあわてて扉を閉め、必要最小限の動きで短くハイ・エンシェントを唱えた。
『ロック!』
 外見上はなんともないが扉には魔法の鍵が掛けられたのだ。
「どうしたんじゃ?」
 どうにかザンにぶつからずにすんだジルが、いぶかしげな表情と口調で背中越しに彼へと尋ねてきた。
「ジル、あなた20体のレッサー・バンパイアと戦って勝てる自信はありますか?」
 いつもなら何が起きたか即座に答えるであろうが、今回はそうではなく逆にジルに対してそう尋ねた。
「たぶん無理じゃな。」
 ジルは特に考えるわけでもなくそう呟いた。
無理なものは考えたところでどうにもならないということを知ってるのである。
「ではこの扉より先に進むのは諦めた方がいいと思いますよ。」
 ここでようやくにして彼らはザンの言いたいことを理解した。
つまりこの扉の向こうには20体のレッサーバンパイアがいるのである。
それを証明するかのようにどんどんと扉が打ちならされていた。
「でもさ、ここを抜けないともう行く先ないんだよ。」
 エルフィーネは描きかけの地図を見せながらそう呟いた。
ソアラがいまだ麻痺状態なので彼女が代理で描いているのだ。
「いや1ヶ所だけ可能性のある部屋がある。」
 ロッキッキーは地図を見ながらそう呟いた。
「何処よ。」
 エルフィーネはまるで自分の地図が不備であると言われたように感じて強い口調でそう言った。
「さっきのカーテンのある部屋だよ。あそこだけ調べてねぇだろうが。」
 エルフィーネの不満を解消するようにそうロッキッキーは言った。
「あ、そっか。」
 まじまじと自分の描いた地図を見ながらエルフィーネはそう呟いた。
「そうじゃのう、ああいう所には何かしらあるのがセオリーじゃからな。」
 ジルの方も納得したように呟いた。
「じゃあさ、その扉が壊されないうちに行こうよ。」
 ルーズがそう言ってけなげに彼らと敵を隔離しようとがんばっている扉を示した。
「そうじゃな、ではいくかの。」
 ジルはそう言った。
そして彼らは今来た道を戻り始めたのであった。

 カーテンの引いてある部屋には、ロッキッキーの読み通り隠し通路があった。
見つけたのはザンであるが安全を確認したのはロッキッキーであり、扉を開けたのはジルであった。
通路の幅は今まで彼らが歩いてきたものと同じものであった。
通路は2度右に曲がり、1度左に曲がった所で終わりを告げた。
扉が彼らの前に立ちふさがったのである。
 どうすべきか迷った彼らであるが、扉の向こうには人の気配はなさそうなので入ることにしたようだ。
ロッキッキーが扉を開けてジルが踏み込んだ。
そして彼らの読み通り扉の向こうには誰もいなかった。
 部屋には誰もいないと分かってほっと胸をなで下ろしたジル達は、とりあえず中を見回した。
「何じゃここは?」
 ジルの呟きはもっともなものであった。
部屋の大きさとしては玄関と居間のちょうど中間ほどの大きさの部屋であるが、所狭しと色々なものが並んでいた。
透明な正体不明の素材でできたかめの中には、奇怪な生き物の胎児が浮かんでいたり、かめと同じ様な素材の瓶の中に薄気味悪い液体が入っていたり、隅のテーブルにはおそらく人間の者であろう内蔵が液体に漬けてあったり、使用意図不明のおそらく魔法の品がそれこそ無数に並んでいた。
それらが魔法の明かりの下に映し出されているのだ。
「何なのよ、ここは?」
 気味悪そうに胎児を見ながらエルフィーネが先のジルと同じ事をもう一度呟いた。
「わからねぇな。ここにあるもんはいったい何に使うんだ?いや、その前に価値がある物なのかどうかでさえ分からねぇ。」
 エルフィーネと一緒になって胎児を見ながらロッキッキーはそう呟いた。
使用目的より価値のあるか否かを問題にするところは彼らしいが。
生きているのだろうか、それともうごめく大気によって揺れる水面のせいなのか、胎児は液中で蠢いているようにも見えた。
「何かの実験をしている様ですね。」
 ザンはテーブルの上に置かれている品々を見ながらそう呟いた。
「あれがか?」
 ジルはエルフィーネとロッキッキーの見入る”物”をにらみつけてそう言った。
ろくな実験ではないなと彼の目は言っていた。
「おそらく‥‥。」
 ザンはそうとしか答えようもがなかった。
もっともジルの方も答えを期待していなかったようで押し黙ってしまった。
 何気なく部屋の中を歩いていたルーズは隅の方にあるテーブルに紙束がのっているのを見つけた  「みんな、なんかメモみたいのがあるよ。」
 ルーズのその声にジル達は彼のもとへと集まった。
「どれです、ルーズ?」
 実験の内容に知的好奇心でも刺激されたのか、最初に声を発したのはザンであった。
「これだよ。」
 ルーズはそう言って液体やら何かの血やらで汚れた紙束を見せた。
ザンが受け取ってそれに目を通す。
殴り書きのメモというか日記というような物だったが何とか読めそうである。
それが分かるとザンは声に出してそれの内容を読み始めた。
「偉大なる暗黒神ファラリスは我を見捨てなかった。大陸で神の大義を理解せぬ者どもに敗れ、海上に追放されたがそのお陰で古代王国の遺跡を見つけることができた。この遺跡の持ち主もファラリスの信者であったようだ。神は敬虔なる僕の我を幾百年のいにしえから待っておられたのだ。我はここで不死の王たるバンパイヤになる術と、そして支配の仮面なる物をはじめとする多くの秘宝を神より承った。我は幾年もの間秘宝を研究して過ごしようやくバンパイアとなったころ、嵐で遭難した一隻の船がこの島に流れ着いたのだ。我は神より授かった力によってひ弱なる人間どもを殺してやった。だがその中に一人だけ強い力を持っている者がいた。我はその男に支配の仮面をかぶせ部下とし、かねてから計画していた世界支配に乗り出したのだ。男の名はダゼックというらしいが、我はこれからはスカルロードと名乗れと言った。こやつは我の良き手足となりて、この地の上に暗黒神の王国を創るために動くだろう。だがまずはこの近辺、たしかアザーンと言ったな、を制圧せねばならぬ。この地にも光の神に見放された者、信じぬ者は多々いよう。それらを糾合することから始めねばならぬな。我を追放せし者たちよ、待っておれ。必ずや我はそなた達に復讐するであろう。高貴なるベイスター公爵の名にかけて誓おう‥‥。」
 メモの話はそれからしばらく続いた。
後の事は海賊たちをいかにして服従させたかとか、ベノールの政変の事など色々なことが書かれていた。
「‥‥狂っとるわい。」
 ザンの朗読がようやく終わりを告げた時、ジルはそう一言感想を述べた。
「かもな。狂人じゃなきゃこんな事考えねぇよ。」
 ロッキッキーは妙に悟ったような口調でそう言った。
「愚かね。」
 エルフィーネの感想も短いものであった。
信じぬ者を許容できない大義とはいったいどんなものなのであろうか。
神を信じたことのない彼女にとって、その”神の大義”とかいう奴は銀貨一枚の価値も無いように思えた。
「そうですね‥‥。」
 ザンも短くそれに応じた。
「後は何もないようだね。」
 いつのまにかルーズは家捜ししていたらしい。
したり顔でそう呟いた。
「なら行くかのう。」
 ジルはそう言っていま一方の通路を示した。
「分かりました。」
 ザンは紙束を革袋にしまうとまたソアラを担いだ。
彼らはベイスターの研究室を後にした。

 通路はすぐに終わりを告げ、かわって大きな部屋となった。
部屋自体は広いだけが取り柄の何もない部屋であった。
ただ一つ部屋の中央にある豪華な棺桶を除いて。
6人と2匹が全員部屋に入り終わると、それを待っていたかのように棺桶の陰から、ゆらりとケーブをまとった長身の男が立ち上がった。
その肌の奇妙なまでの青白さからその男が人間でないことはすぐに推測できた。
男は彼らは一瞥した後で口を開いた。
「貴様達か、ことごとく私の邪魔をしてくれた連中は。永遠の命を得た私にとって、この程度の遅れは何ほどのものではないが。」
 男の不自然なまでに赤い唇から時折牙が覗いていた。
この男こそがベイスター公爵であると理解するまで幾ばかの時間もかからなかった。
だが伝説の魔物を見て、ジル達は恐怖を感じていた。
ただ武器の柄に手を掛けじっとベイスター公爵を睨み付けるのみであった。
ベイスターの口元に浮かんでいた薄い笑みが突然はじけた。
彼らへと向かって大声で叫ぶ。
「目障りだ虫けら。吹き飛んでもらおう。私の意志が世界の掟だ。掟に従わぬ者は、消え去ってもらおうか。」
 公爵はそう言うと一歩一歩彼らへと近づいてきた。
彼らの力を見くびっているのか、それとも自らの力を信じ切っているのか、警戒することもなくただゆっくりと歩いてきているのだ。
「うおおおおおおーー!」
 近づいてくるベイスターに対しルーンマスターの近くで戦っては不利と判断したジルがアクスを片手に突っ込んでいった。
ロッキッキーも短剣を抜いてジルに続いた。
ベイスターは嘲笑を浮かべて二人を迎え討った。
 戦いははじめこそ白兵戦であったもののすぐに主力を魔法戦に移した。
ジルにわずかであるが傷を負わされ逆上したベイスターが、暗黒神の力を借りて魔法を放ちまくったのである。
なんとかジルが神の力を借りベイスター公爵を消滅させなければ、彼らは全滅していたかもしれなかった。
 すさまじい絶叫とともにベイスター公爵が消滅した後、エルフィーネは思わず座り込んでしまった。
そして右手を頬にあて、自らの生を実感すると不思議に涙がこぼれてきた。
そのエルフィーネの頭をなでるかのようにロッキッキーが手を置いた。
「終わったね‥‥。」
 まだすべてが終わったわけではないのだが、とりあえずエルフィーネはそう口にした。
「ああ‥‥。」
 ロッキッキーは短くそう言って頷いただけであった。
一方他の者たちの方は棺桶の回りへと集まっていた。
「何が入っているんだろう。」
 満身創痍にも関わらずルーズは欲望にたぎった目を棺桶へと向けていた。
「さあのう、開けてみるかのう。」
 ジルは顎髭をもてあそびつつそう呟いた。
「そうですね。」
 それにザンも同意した。
彼らは邪魔になる荷物を床に置いた後、棺桶のふたをずらした。
ふたは思いの外重そうであったが、3人がかりでならどうにか動かせそうであった。
ふたは開けている途中で勢いあまって石畳の上へと落ちてしまったが。
その衝撃たるやすさまじく大音響とともに伝わった振動でエルフィーネの体が2センチほど浮いたほどであった。
「馬鹿ー、何やってるのよ。」
 エルフィーネは立ち上がってジル達の方を向いた。
「すみません、つい勢いあまって。」
 ザンがそう弁明した。
しかしそれよりもエルフィーネは棺桶の中身に興味が走ったようだ。
「ねぇ。何が入ってるの、その中?」
 小走りに近寄りながらエルフィーネはザンへとそう尋ねた。
ロッキッキーもその後に続く。
「土‥‥ですかね?」
 ザンは見たとおりにそう彼女へと言った。
「土?」
 彼女の方は半信半疑だったが、棺桶の中を覗いてそれが事実であることを知った。
「なんで土なんか後生大事に棺桶の中にいれてあんだ?」
 ロッキッキーもまた棺桶をのぞき込みながらそう呟いた。
「さあのう、儂には分からぬわ。」
 ぶすっとした表情でジルはそう呟いた。
とそのとき南側にある通路から幾人かの足音と金属鎧の音が聞こえてきた。
5人に緊張が走り、彼らは武器を構えて来訪者の到来を待った。
だが部屋に現れたのは彼らのよく知っている人物であった。
「フォウリー!」
 部屋にはじめに飛び込んできた彼女を見て思わずエルフィーネはそう叫んだ。
「ハァイ、無事だった?」
 真っ黒な鎧に身を固めフォウリーは彼らを見るなり笑みを漏らした。
彼女の後ろには何度か見たことのある顔が並んでいた。
どうやら来訪者はフォウリーとその仲間達であるらしかった。
「遅かったのう、赤き血の王ならたった今儂らが倒したところじゃよ。」
 ジルはそう言った後で豪快に笑った。
「仕様がないでしょ、そこの部屋でレッサー・バンパイアにとおせんぼされたんだから。」
フォウリーはそう言って自分が入ってきた方を示した。
「それはそうとこの棺桶に入っている土、何だか分かりませんか?」
 彼女の愚痴が始まる前にザンが話題を転換した。
「土?」
 フォウリーらは怪訝顔になりながらも棺桶の回りへと集まった。
「本当‥‥、何かしらね。」
 フォウリーにも何だか分からなかったようだ。
だが後ろにいる者は違ったようだ。
「それは”邪な土”です。それある限りバンパイアは何度でも復活しますよ。」
 モンクであろうか、そんな格好をした男がそう言った。
「それ本当?」
 フォウリーは振り返ってそう聞いた。
「本当です。」
 彼は自信ありげに頷いた。
「ならどうしたらいいの?」
 横からエルフィーネがそう口を出した。
「土を取り除くのです。ただ取り除いた後でバンパイアを倒さねばならないのですが。」
 彼は申し訳なさそうにそう言った。
「でも、さ要するにこの土がなければいいんでしょ。ならさ聖水に混ぜるとか、日光に当てるとかじゃ駄目なの?」
 エルフィーネは土を示しながらそう尋ねた。
「そうですね、やってみましょう。」
 彼はそう言って荷物から幾本かの聖水を取り出した。
エルフィーネ達は水袋を空にして土をその中に詰める。
土は水袋3つ分ほどしかなかった。
 彼は土に満遍なく染み渡るように聖水を注いだ。
3つ目の水袋に満遍なく聖水が染み渡ったとき、部屋中に断末魔のような絶叫が響いた。
「我が神ファラリスよ!我がものにならぬ世界など必要ない。世界のすべてのものに破壊と死と不幸がもたらされんことを!滅びを!すべてに滅びを‥‥。」
 声は最後にはかすれ、やがて消えゆくように消滅した。
姿が見えたわけではないが、赤き血の王が消滅したことは肌で感じとれた。
「さ、戻りましょう。まだすべてが終わったわけではないわ。」
 フォウリーは半ば感傷に浸りそうになる自分に向けてそう言った。
確かに彼らにはまだやるべき事が多くあった。
その第一がワシリオ島攻略の手伝いであろう。
「そうじゃな、とりあえず町まで戻るか。」
 ジルはそう言ってアクスを担いだ。
「そうですね‥‥。と、その前にすみませんが彼を治していただけませんか?」
 ザンはフォウリーのパーティーの神官風の男にそう言った。
 こうしてようやく麻痺から回復したソアラを含む12人と3匹は、後に”赤き血の王の洞窟”と呼ばれることになる古代王国の遺跡を後にした。

 アザーン諸王国連合艦隊の攻撃が始まると、指揮者を失っている”赤き血の兄弟団”は、瞬く間に総崩れになってしまい、ほぼ完全に壊滅した。
ダノンが推測したとおり海賊にはまだいくらかの余力があったが、幹部が一人もいないのでは話にならなかった。
海賊は個々の判断で攻撃、降伏、逃走のいずれかを選ばねばならなかった。
ダノンが予想していた最悪の結果にはどうやらならなかったようだ。
 2日間ほど生存者の救出と残存狩りを行ったあと、彼らは引き上げることになった。
アザニア、ベノールの対立問題など色々と政治的な問題もあり、長期間艦隊を組んでいることは不可能なのだ。
ジル達はフォウリーのパーティーと一緒に一路ザラスタを目指した。
ダノンは彼らにもリシュア王女の即位式に出席して貰いたいと言ったが、それを辞退せざるを得なかった。
何よりもダゼックのことが心配になったからだ。
そのことをダノンに話すと、彼は頷き逆に彼らに提案をした。
ダノンやリシュア王女も虹の谷の復活に立ち会って良いかと言うことであった。
もちろん彼らはその提案を快く受けた。
 パナンス沖でベノールの艦隊とも別れザラスタ港へとたどり着いたのは、ワシリオを発ってより8日後のことであった。
  彼らはその足ですぐダーヴィス邸へと戻った。
瞑想が終わったらここに連絡をくれるよう言ってあったからであった。
ダーヴィスはもちろん彼らを快く迎えてくれた。
 彼らがザラスタのダーヴィス邸へと戻ってから9日後、ダーヴィス邸にリシュア王女、レパース子爵、それにダノン将軍が到着した。
王女は今回と前回の分の報酬を持ってきてくれた。
彼らはそれをありがたく頂戴し、そして王女の了解を得て今までの迷惑料としてダーヴィスにすべて渡してしまった。
はじめは受け取らなかったダーヴィスであるが、最後には折れて受け取ることを納得した。
 それから数日後、ようやくダゼックとルーゼが姿を現した。
彼はようやくにして瞑想を終え、これから虹の谷に向かう所なのだと言った。
そしてダゼックはともに来てくれるように彼らへと頼んだ。
彼らとしてももちろんそのつもりであった。
 こうしてダーヴィス邸に集まっていたすべての者が虹の谷へと向かうことになった。

5日後、ジル達にとって久しぶりに見る虹の谷の様子は一変していた。
虹の谷はそのすべてが水晶化していて、それ以上の場所も水晶と化していた。
谷は日の光を反射してきらきらと輝き、とても美しい光景であった。
「綺麗‥‥。」
 リシュアの口から思わず溜息が漏れる。
「確かに‥‥。だがここは完全に死に絶えた世界なんだ。水晶と化した草はもう2度と風には揺れず、今にも動き出しそうな水晶と化した子猫は決して動くことはない。」
 ダゼックはリシュアへと対しそう言った。
「ごめんなさい、その様なつもりではなかったの。」
 リシュアはあわててそう謝った。
自分の非を認められる彼女が王となれば、きっとベノールは今まで以上に繁栄することであろう。
 ダゼックは彼女に対し軽く首を振ると、水晶となった部分と水晶化していない部分の境界まで歩いていった。
そして声の限りに色彩の精霊に呼びかけ始めた。
もちろん精霊語を使っているので意味が分かるのはエルフィーネだけであったが。
ダゼックによる虹の召還は長きにわたって続いた。
しかし、いつまでたっても終わる気配を見せず、虹が現れる気配も全くなかった。
ダゼックを除いたそこにいるすべての者が不安にかられはじめた頃、唐突にダゼックが彼らの方を振り向いた。
そして疲労しきった声でこう言った。
「私は間違っていた。」
 一旦言葉を区切り、大きく息を吸った後再度口を開いた。
「私ひとりの力で彼らを呼ぶことはできない。ビフロストの友は、私ひとりだけではないはずなのだ。君たちの力を貸してくれ。君たちだけではない。この世のすべてがビフロストの友でなければならない。しかし、いまは君たちが力を貸してくれ。」
 ダゼックはそう言ってそこにいるすべての者を見渡した。
だが全員が戸惑っているようであった。
精霊語を扱えるエルフィーネならともかく、全員の力が必要とは果たしてどうすればよいのであろうか。
「どうすればよいのかのう。」
 一番はじめにダゼックに尋ねたのはジルであった。
「互いに手を取り一心に呼びかけるのだ。私がそれをビフロストの所に送り届ける。」
 ダゼックはその方法を説明した。
彼らは顔を見合わせたものの拒絶するようなことはできないようであった。
彼らは手を取り一つの輪ができた。
ジルが、ザンが、エルフィーネが、ロッキッキーが、ソアラが、ルーズが、フォウリーが、ダーヴィスが、リシュアが、ダノンが、レパースが、ルーゼが一心にビフロストに対して呼びかけた。
 しばらくすると空中に虹のまず赤い部分が現れ始めた。
次いで黄色が、青が、オレンジが、紫が、そして最後に 藍色が現れた。
そして虹の7色がすべてそろったとき、一気にすべての色が爆発した。
そしてその場にいる者全員が、不思議な7つの声を聞いた。
『帰ってきた』
『友達が』
『いいものだ』
『友達の近くにいるのは』
『友達になろうとする人はみな友達だから』
『争いは終わらないが』
『もうしばらく友と一緒にすごそう』
 声は耳に届いているようであり、頭の中に届いているようであり、心に届いているようであった。
彼らが気がつくと、虹が谷全体に満ちあふれていた。
「前より‥‥綺麗だね。」
 誰に言う訳ともなしにエルフィーネはそう呟いた。
「そうですね。」
 ザンはそう頷いた。
否、ここにいるすべての者が同じ事を感じているだろう。
すべての者が心という大きな世界を飛び越えて同じ思いを抱いているのだ。
『我が友に平和と幸せと、互いに慈しむ心があらんことを』
 7つの声はそろってそう言った。
そして7色のビフロストが彼らの周囲にゆっくりと舞い降りてきた。
こうして一つの冒険の幕が下ろされたのであった‥‥。

 この地に半ば強制的に立ってより、2つ目の季節が彼らの脇を足早に通り過ぎていこうとしていた。
7カ月余に及ぶ冒険が終わりを告げたとき、そこには幾つかの別れが待っていた。
ダゼック達との別れ、リシュア達との別れ、ここにはいないがケンタウロス達との別れ、ダーヴィスとの別れである。
 ダゼックはルーゼと共にボーレ、守護者の村に住み守護者となるようだ。
彼らはルゼリアの死を知って悲しんだが、ディリアという娘がいることを聞くとその子を引き取りたいと言った。
だが彼女はいぜん行方不明のままである。
それを聞いて彼らは再び落ち込んだ。
この件についてはリシュア王女は最善を尽くすという事を2人に約束した。
 リシュアは間もなくベノールの女王となるであろう。
ベノールの正当な王家の最後の直系なのだから。
レパースも近いうちにリシュアと結婚し、ベノールの王となることであろう。
またダノンは筆頭大臣になると言うことであった。
本人はがらではないと笑っていたが。
彼らならばきっとベノールの国を豊かな国とするであろう。
 ダーヴィスは彼らとの別れがすこしつらそうであった。
それでも彼らの旅立ちを聞いたとき引き留めはしなかった。
ただ”元気で”と一言言っただけであった。
 そして最大の別れも訪れようとしていた。
 ザラスタの港に7人の男女の姿があった。
6人の男女が一人のドワーフと対面するようにたっているのだ。
いまやアザーンでは有名になった冒険者達である。
彼らはただずっとお互いを見つめるだけで、何も話そうとはしなかった。
「どうしてもここに残るのですか?」
 長い沈黙の果てザンは悲痛な表情で目の前のドワーフを見た。
「ああ、お主らのお陰で、儂は長い間の夢であった虹の谷を見ることができた。礼を言うぞ。」
 ジルはそう言って笑みを見せた。
「なぜここに残るんだ。」
 ソアラもまた沈痛な面もちでそう尋ねた。
「長いこと暮らしているうちにこの町が好きになってしまったのじゃよ。‥‥これでは理由にならんかの?」
 ジルはそう言って6人を見た。
誰もそれには反論できなかった。
「そうだね‥‥、それじゃあしょうがないね。なかなか楽しかったよ、ジルといると。」
 エルフィーネはうっすらと瞳に涙をにじませながらそう言った。
「ほう、珍しい事もあるもんじゃ。エルフがドワーフとの別れを悲しんで涙を見せるとわ。」
 ジルは心底驚いているようであるがどこか片隅で納得していた。
これが仲間というものなのだと。
「まあね。
たまにはいいでしょ、私みたいなのがいても。」
 エルフィーネの方はかなり感情が素直になっているようであった。
「ま、がんばりぃな。」
 ロッキッキーはそう言って手を差し出した。
「うむ。お主もいつまでもエルフィーネの尻に敷かれとるんじゃないぞ。」
 ジルはそう呟いてがっちり彼の手をつかんだ。
「へぇへぇ気を付けますよ。」
 ロッキッキーはせいぜい努力しますよと言うような表情で手を離した。
「ありがとうジル。私の代わりに彼らの面倒を見てくれて。」
 フォウリーはそんなことを言った。
「何の何の。なかなかおもしろかったぞ。」
 ジルは口元に笑みを浮かべてそう言った。
「まあ元気でな。」
 ロッキッキーの隣からルーズが偉そうな口調でそう言った。
「安心せい、お主より長生きするわ。」
 ジルはそう言って豪快に笑った。
たしかに寿命を考えれば人間よりドワーフの方が長いのであるから当然であろう。
「さて、そろそろ行きましょうか。」
 フォウリーはそう言って仲間を促した。
船はいつでも出航できる状態にあり、あまり船員達を待たすのも悪いと思ったからだ。
「達者でな。」
 ジルはいつもの表情に戻ってそう彼らへと言った。
「あなたも。」
 彼らはもう一度ジルに別れを告げると次々に船へと乗り込んでいった。
 フォウリー達をその体内に飲み込んだ船は埠頭から離れ、やがて水平線の向こうに消えてしまった。
ザラスタの港で一人のドワーフが何時までも、何時までも仲間を乗せた船を見送っていた。

              STORY WRITTEN BY
                     Gimlet 1993

                PRESENTED BY
                   group WERE BUNNY

Fin......

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