SW9-1

SWリプレイ小説Vol.9−1

英雄組曲・冒険という夢 第一楽章 精霊達の狂宴


             ソード・ワールドシナリオ集
               「四大魔術師の塔『四大魔術師の塔』」より

序曲

 ロマールは旅人の街。
 アレクラスト大陸を東西に走る”自由人たちの街道”と、ラムリアース、オーファンといった大国が栄える中原地方へと向かう”光と闇の街道”が交わる地。
 東から西、北から南へと向かう旅人たちが、ひとときの安らぎと一夜の夢を買い求めるところ。
 十字路亭は、そんなロマールの街はずれにある小さな酒場。
しかし薫製肉の味のよさとドワーフ仕込みの強い酒とで名を知られ、つねに人があふれている。
 ロマールの街を済み家としている常連もいれば、店の噂を聞きつけてやってきた旅人たちもいる。
 そのなかに混じって、銀細工で装飾されたリュートを抱えた吟遊詩人がひとり。
きらびやかな革製の衣服に飾り羽のついた帽子。
端正な顔には薄化粧をほどこし、神々より与えられた美麗なる声で、人々のあいだを優雅に歩きながら、勇壮なる英雄譚を唄っている。
 名手の手によるリュートの音が、酒場の喧噪とみごと和音を作るとき、十字路亭の夜が始まる。
 吟遊詩人の今日の客は、旅の冒険者。
勇猛なる戦士に、頭脳明晰なる魔術師、そして敬虔な司祭と、腕利きの盗賊。
 彼らは問う。
もっとも栄光ある冒険とは何ぞ、と。
 吟遊詩人は、答える。
幾万もの伝説を知るゆえに、選ぶことはかないません。
 彼らは重ねて問う。
 もっとも勇敢なる冒険者は誰ぞ、と。
 吟遊詩人は、ふたたび答える。
勇気の重さは、人の器によりませぬ。
 彼らは笑い、吟遊詩人を囃したてる。
それでは、汝を買った意味がない。
 吟遊詩人は、やむなく答える。
 それでは、三つを語りましょう。
それは誰にも知られざる伝説、無口な勇者により秘められしもの。
 それではしばし御静聴あれ。
 しばし、しばし‥‥。


 アレクラスト大陸を南北に走るある山脈の麓に広がる森の奥深くに、正六角形をした塔が建っていた。
古代王国時代に建てられたこの塔は、王国の滅亡により近くの村の者すらも知らぬ、無人の廃虚であるはずであった。
しかし10数年前より1人の老齢の男性がこの塔に住み着いていた。
この塔を見て、その人物が魔術師であると思いつかない者はいないであろう。
 その老齢の魔術師は20年近くに及ぶこの塔に据え付けられた魔法装置についての自らの研究の成果を試すため、塔の最上階である実験を行おうとしていた。
自らの死期が近い事を悟ってのことだ。
多くの弟子達に自らの研究の成果を受けつがすために何通もの手紙を送ったが、まだ誰からも何の連絡もなかった。
彼は自らの研究が誰にも受け継がれず、誰にも知られず、そして自分の目で確かめられなくなることを恐れた。
それ故に老齢を押してまで、実験を始めようとしているのだ。
− さて、始めるかの‥‥。
 老魔術師はそう心の中で呟いて、その部屋の中央にある8つのクリスタルを見つめた。

 オランという都市で開かれたミスリル・コンテストも終わり、フォウリー、ザン、エルフィーネ、ルーズ、ロッキッキー、そしてソアラの6人は、残された少ない時間の中でオラン見物を楽しむことにした。
もっとも見物に出かけるのはエルフィーネ、ルーズ、ソアラ、ロッキッキーの4人で、後の2人は別行動であった。
 まずザンは久しぶりに家に顔を見せに行くらしい。
そうこの魔術師はこのアレクラスト最大の都市で、魔法を始めとする学問の中心地であるオランの出身なのだ。
当初エルフィーネは彼について行こうとしたが、彼にフォウリーの家より面白くないですよ、と言われるとすぐに見物の方に切り換えてしまった。
 一方フォウリーの方はいつものごとく酒場で飲んでいる、との事であった。
彼女に言わせれば都市見物なんかより飲んでた方がましよ、と言うことになるのだが。
こうして6人のパーティーは4人、1人、1人の3組に分かれてそれぞれの時間を費やすことになった。
 ザンの家はオランの魔術師ギルドから北西に少し行ったところに位置していた。
もしかしたら彼はギルドの近くに生まれたからこそ、魔術師への道を歩み始めたのかも知れなかった。
彼の両親はごく平凡な人たちであった。
ただオランという町の風潮からか、魔法への偏見がそれほど強くなかった。
それ故に彼が魔法使いになりたいと言ったとき、驚きはしたものの反対はしなかった。
見習いとして魔術師ギルドに入ることも承諾してくれたのである。
− あれからもう20年ですか‥‥。
 ザンは家へと向かう途中魔術師ギルドの象徴である3つの塔を見て、ふとそう感傷気味に思った。
彼の肩で紫色の猫が小さな声で一度鳴き、彼にすりよった。
エムの方はもちろんギルドの塔を見るのは初めてである。
ただザンの懐かしさが伝わったようである。
彼は一度使い魔を見て笑むと、懐かしいわが家へと足を早めた。
 懐かしきわが家で彼を待っていたものは、数年以上顔を会わせていない家族だけではなかった。
見習いの頃に師事していた事のある、大恩ある魔術師からの手紙もまた彼の帰りを待っていたのだ。
ザンの母は1カ月半ばかり前に届いたのよ、と手紙を渡すときにそう口添えた。
その後で一生帰ってこなかったらどうするつもりだったのかねぇと笑った。
母のあまりできの良いとは言えぬ冗談にザンは苦笑しただけであった。
ただもちろん相手方は、最後の弟子がよもや冒険者になっているとは思うまい。
きっとギルドで何らかの研究をしていると思っているのだろう。
 ザンは早速封を開けてみた。
そして手紙を読み進むごとに彼の表情は少しずつ険しくなっていった。
「すみません、お母さん。急用が出来ました、また来ます。」
 ザンはそう奥に引っ込んでいた母にそう声をかけると、手紙をもったままエムと荷物をひっつかみ、あわただしく家を後にした。
後には僅かな時間しかいなかった息子を不思議そうな、そして寂しそうな顔で見送った母の姿があるだけであった。

 宿の近くへと戻ってきたザンは、弾んだ息もそのままに手頃な酒場へと入っていった。
残念ながらのどの渇きを癒すのではない。
この近辺で飲んでいるはずの酒豪のリーダーを捜すためである。
酒場の主人に簡潔に彼女の特徴を話すが、どうやらここにはいないようだ。
彼は礼を言ってその酒場を後にした。
その様なことを4度ほど繰り返して、彼はようやくフォウリーを見つけることが出来た。
「あら、ザン。もう戻ってきたの?」
 丸テーブルの前に立ったザンを意外そうな表情で見てから、彼女は手にもったカップを口に運んだ。
「はあ、‥‥それよりもこれを見ていただけますか?」
 一瞬テーブルに置かれた空カップの数に唖然としたザンであるが、すぐに彼女へと師からの手紙を見せる。
「何それ?」
 彼女は空になったカップをテーブルへと置き、つまみであろう木の実を2,3個頬張ってからそれを受け取った。
そしてぽりぽりと木の実を食べながら手紙に書かれた文章を目で追った。
ただ手紙を読み進むにつれて、その内容のためか口の動きはゆっくりになっていった。
読み終わった後で、木の実を飲み込むのに一苦労だったようだ。
彼女は自分とザンの分のエールを酒場の娘に注文した後で、真剣な表情で彼へと手紙を返した。
「‥‥行くの?」
 フォウリーはただそう尋ねただけである。
手紙の内容について、あれこれと詳しく聞こうとしないところが彼女らしかった。
もっともザンの方も聞かれたところで、文面以上のことは答えようがなかったが。
 ザンは少しの間返答に躊躇した。
この事は私事であるように思えてならないのだ。
その間に注文したエール酒が運ばれてきた。
返答を待つつなぎにフォウリーは受け取ったカップをそのまま口に運んだ。
「私としては行きたいのですが‥‥。」
 ザンはぽつりとそう言った。
フォウリーはそれを聞いてカップをテーブルに置いた。
「なら決まりね。」
 彼女はそう言ってにこりと笑みを漏らした。
だがそう言われてもまだザンはしこりを残していた。
「でも‥‥。」
「あいつらなら平気よ。たとえ文句を言っても絶対に着いてくるわ。」
 フォウリーはザンの問いかけの答えを先に言った。
「そうですね‥‥。」
 ザンの方は苦笑するしかなかった。
「それに戻ってきてちょうど良かったわ。1人で飲んでるのも飽きてきた所なの。」
 彼女はそう言ってまたカップのエールを飲み干した。
「私は貴方に付き合えるほどお酒には強くありませんよ。」
 ザンはそう言って首を横に振った。
「いいのよ別に。虫避けだから。」
 フォウリーはそう言ったが、ザンは果たしてそんな命知らずが何人いるのだろうかと思った。
もっともそれは口に出せない言葉ではあったが。
結局ザンはエルフィーネ達が戻ってくるまでの間、フォウリーの酒の相手を務めることになるのであった。

 太陽がだいぶ西に傾いた頃になって、ようやくエルフィーネ達が宿へと戻ってきた。
その頃にはフォウリーとザン、それにエムは宿の酒場へと梯子をしていたので何事もなく合流することが出来た。
だが戻ってきた4人を見たとき、フォウリーとザンは軽い違和感を彼らに覚えた。
どことなくエルフィーネらが別れたときと違うような気がしたのである。
その原因はすぐに判明した。
ルーズが長剣を買ってきていたからである。
「ルーズ、剣を買ったの?」
 フォウリーはそう言って彼がもっている剣を示した。
エルフィーネらが聞いては駄目だと言うような表情をしたが後の祭りである。
「まあね。一目見て気にいっちゃたんだ。」
 彼はそう言って自慢げに見せた。
だがフォウリーにはかなり趣味の悪い剣にしか見えなかった。何かまがまがしいような感じも受けられる。
「そ‥‥そう、似合ってるわよ。」
 フォウリーはそう言って少しひきつった笑いを見せた。純粋に誉められたと思ったのか、ルーズはにやりと笑みを浮かべた。
「まあ、座ってください。」
 ザンは彼の方を見ぬ振りをしてそう椅子を示した。エルフィーネ達もどやどやとテーブルについてエールや食事を注文した。
「話があるのですが聞いて貰えますか?」
 席に着いたエルフィーネ達にザンがそう改まって声をかけた。その雰囲気に雑談を始めていた彼女らはぴたりとそれを止め、視線をザンの方へと向けた。
「何よ、改まっちゃって。」
 いつもとは少し違う雰囲気にエルフィーネは訝しげな表情を見せた。いや彼女だけではなく、フォウリーを除いた他の者達も同様であった。
「これを見ていただけますか?」
 ザンはそう言って師からの手紙をエルフィーネに渡した。彼女がそれを広げるとロッキッキー、ソアラ、ルーズも後ろから覗き込む。
その手紙には共通語で次のような事が書かれていた。
『 親愛なるザンへ
 長年の研究のすえ、わたしはある古代王国の遺跡に残されていた魔法装置の扱いを、ほぼ満足できるぐらいに修得するにいたった。
しかしながら、わたしはもはや余命いくばくもない老齢のみである。ついては、私の長年の研究の成果を貴兄にも譲りたく、この手紙をしたためたしだいである。
この手紙を受け取り、貴兄にその意思あらば、別紙の地図に記された場所まで至急、来られたし。
                          ”四大を究めし者”バナール 』
 その手紙を読み終えた4人は興味に満たされた視線をザンへと向けた。誰しもが古代王国の魔法装置という単語にひかれていた。
「もちろん行くんだべ。」
 フォウリーのクエストのせいか、それとも生来の性分からかロッキッキーはそう小声でザンに尋ねた。
小声になったのは悪党としての習慣で、おいしい話を人に聞かれないようにするためだ。
「私としては行きたいのです。」
 ザンはフォウリーに言ったことをもう一度口にした。
「なら決まりだね。行かないっていっても僕は行くよ。」
 ルーズの方はすでに行く気であった。
「行っても良いけどさ、場所は何処なの?」
 エルフィーネは手紙を折ってザンに返しつつそう尋ねた。
「ここからそれほど離れてはいないと思います。そうですね‥‥、歩いて4日ぐらいのところですかね。」
 ザンはそう言って同封されていた地図を彼女らに見せた。
その地図には今彼女らのいるオラン近辺が簡単に描かれていた。それにオランから西に伸びる自由人達の街道と、北東の”墜ちた都市”へと伸びる道が書き込まれていた。
そして”墜ちた都市”のちょうど西側に少し行ったところくらいに村の記号が描かれていて、そしてその近くに森を示す領域が斜線で描かれていた。
そしてその森の中に×印がひとつ打たれていた。
「へー、”墜ちた都市”の近くなんだ。」
 その地図を覗き込んでエルフィーネはそう言った。かねてから一度見てみたいと思っていたのだ。
「実際には歩いて1日2日くらいの距離はあると思いますけど。」
 ザンはそう彼女に言った。
「少しそのバナールって人の事を聞きたいんだけど。」
 地図を覗き込んでいたソアラが不意にそう呟いた。
「‥‥分かりました。」
 ザンはソアラに向かって頷いた。
「バナール導師は私がこの町のギルドでまだ見習いだった頃に師事した事のあります魔術師です。ですが、私が一人前になる前にギルドを退官してしまいました。 噂によると、その理由はバナール師が古代王国の遺跡を発見し、その遺跡に残されていた古代王国の遺産を研究するためだと言われていました。ですが事の真偽は分かりません。 最後の弟子であった私には何も言われずに退官されてしまいましたから‥‥。」
 ザンは少し寂しげに言った。
「その噂は本当だったって訳だ。」
 ロッキッキーはそこでそう呟いた。
「その様ですね。」
 ザンもそれには頷くほか無かった。
「所でそのバナールって人には他に弟子はいなかったのかい?」
 ルーズがふと思いついたようにそう尋ねた。
「はあ、何人かはおられるとは思うのですけれど、昔の事についてはあまり話さない方でしたので‥‥。」
 ザンの返答は歯切れが悪かった。
「と言うことはその手紙が他の人間にも送られている可能性があるって事だな。」
 ザンが手に持つ手紙を示してそうロッキッキーは言った。
「もしそうなら、早く行かなきゃ誰かに取られてしまうかも知れないじゃんか。」
 ルーズは今すぐにも旅立ちたいと言わんばかりだ。
「そうね‥‥。なるべく早い方がいいわね。」
 ザンとエルフィーネらのやりとりを黙って聞いていたフォウリーがそこで口を挟んだ。
「でも夜歩くのは嫌だし、明日にしようよ。」
 エルフィーネはそう言った。
彼女は朝起きるのが遅いくせに、夜更かしに弱いのである。
「そうだな、ネッドさんらにここで別れると言っとかなければいけないしな。」
 ソアラは頷きながらそう言った。
「そうね、まあ宿代が浮くって喜ぶでしょうけどね。」
 フォウリーはその情景を想像したのか笑みを漏らした。
「ちげぇねぇな。」
 そう言ったロッキッキーの方は笑いであった。
「じゃあ、今晩は明日の旅立ちを祝って飲みましょう。」
 フォウリーはそう言ってカップを掲げた。
昼過ぎから付き合わされているザンは、まだ飲むのですか、と言う表情で彼女を見た。だが誰も異議を唱えないので、ザンとしてはそれ以上の事は出来なかった。
エールや葡萄酒が注文され、店の喧噪に負けないほどに彼女らも騒ぎだした。
− 一体あの細い身体の何処に入るのでしょうか?
 そんな中、次々に盃を空けるフォウリーを見てザンはそう疑問に思った。だがその疑問は解かれることなく、宴は夜遅くまで続くのであった。

 翌日、フォウリーらはネッドとミンに簡潔に昨日のことを伝えた。ここで別れると言われてミンは少し寂しげな表情をした。
ネッドももちろんそうであったが、何処と無くほっとしたように見受けられたのは彼らの気のせいであろうか。
ともかくも彼らと別れたフォウリー達一行は、オランから北西に伸びる道を急ぎ足で進んでいった。
もちろん”墜ちた都市”に寄っていこう、とのエルフィーネの提案は却下された。
彼女としてもバナールの魔法装置が気になったので、遠くに見える”墜ちた都市”の影だけで我慢するしかなかった。
もっともフォウリーに、バンシーやアンデットモンスターに見つかったらどうするのよ、と言われたせいもあるが。
 オランを発ってより3日後、彼らはバナールの地図に描かれた村へとたどり着いた。だがその村で彼らは驚くべき事に遭遇した。
今は残暑の厳しい季節である。
それにも関わらず、その村の付近では薄曇りの空から雪が舞っているのだ。
「何で雪なんか‥‥。」
 ソアラがそう呟いたが、それは他の者達も同様の心情であった。
ルーズがためしに舞う雪をひとつ、手のひらで捕らえてみた。それは手の上で見る見るうちに溶け、正真正銘の雪であると自己主張した。
「今は‥‥雪の降る季節じゃないよね?」
 目の前の現実に不安げにそうエルフィーネが呟いた。寒さのためにマントをひっつかんで縮こまっていた。
「ああ‥‥いくらエストン山脈の麓だからって、まだ雪が降る季節じゃねぇはずだ。」
 あまりの寒さに荷物の中から上着を引っぱり出しながら、そうロッキッキーは答えた。
「そうだよね‥‥。あれ、少し精霊達がおかしい‥‥かな?」
 舞う雪を見ながら不意にエルフィーネがそう呟いた。
生粋のエルフである彼女は、人間には見えない精霊達の姿を見ることが、そして感じることが出来るのである。
「おかしいってどう言う事?」
 それを聞き付けたフォウリーがその意味を問いただした。
「どう言う事って言われても‥‥。ただほんの少し精霊力に乱れがあるの。多分、その乱れのせいで雪が降ってるんだと思うの。」
 エルフィーネは困ったような表情でそう答えた。
彼女にしても僅かに感じられるほどの乱れでしかないのだ。それの意味を問いただされても、答えようがなかった。
「そう‥‥。とりあえず村の中に入ってみましょう。」
 マントを胸元に引き寄せてフォウリーはそう言った。
彼女に限らず、一行は残暑に対応できるように薄着であったので、それぞれに上着を着たり、マントを羽織ったりしていた。
彼女らは薄曇りで小雪のちらつく中、村の中央の広場へと足を進めた。

 その村は、名をベレーヌと言うらしい、それほど大きな村ではなかったにも関わらず、幸運にも酒場が一軒だけあった。
しかも宿も兼ねているというこの世界では標準的な店であった。扉をきしませて中へと入った冒険者を出迎えたのは、やや太り気味の中年の男であった。
「いらっしゃい。」
 久しぶりの客だからであろうか、親父は機嫌良さそうな表情でそう言った。
もっとも酒場の中に誰も居ないとあっては、客に対して愛想も良くなろうと言うものだ。
「泊まりたいんだけど、部屋空いてる?」
 パーティーを代表してそうフォウリーが親父に話しかけた。右手の指を2本立てて、部屋数も一緒に告げていた。
「ああ、空いてるよ。」
 親父はそう言って数の少ない鍵の束の中から2つ取り出した。
「2階が部屋になってる。一番奥の部屋とその隣だ。この宿で一番と二番に広くて豪華な部屋だ。」
 親父はそう言って酒場の隅の方にある階段を示した。
「ありがとう。」
 フォウリーらは鍵を受け取って、階段を昇っていった。
 部屋に荷物を置いて酒場へと降りてきたフォウリー達は、早速情報収集を始めることにした。
彼らが部屋にいる間も誰も酒場を訪れていず、本来の酒場の喧噪というものは微塵も感じられなかった。
彼らは何か一抹の不安を感じながらも、丸テーブルの一つへと着いた。
「おじさん!エール6個と何かおつまみ頂戴!!」
 カウンターに一番近いエルフィーネがそう声を上げた。
「あいよ。」
 主人もそう答え、3度に分けてエールとつまみの2皿を持って来た。
「はい、お待ちどうさん。」
 全てを運び終えて、親父はそう言った。
彼らはそれぞれに代金を渡した。
「あの、少しお話を聞きたいのですけれど‥‥。」
 代金を勘定している主人にそうザンが控えめに話しかけた。
「ああ、いいとも。どうせ客はお前さんたちだけだろうだからな。」
 親父はそう言って笑ったが、それは諦めに似た笑いであった。
「じゃあさ、聞きたいんだけどさ、外の雪は何なのよ、一体。」
 主人の言葉を聞いてそうエルフィーネが割り込んできた。
口調は少し憤っている感じだ。恐らく雪を見た頃からずっとそう思っていたのであろう。
「その事か‥‥。」
 主人の顔は傍目に見ても分かるほどに曇っていた。
「原因は分かってるんだ。」
 酒場の主人は一瞬その後の言葉をいおうかどうか考えたようだが、結局続ける事にしたようだ。
「この村の近くの森にバナールという名の魔術師が住んでいる。そのバナールがすべての元凶なのだ。」
 主人は眉をひそめてそうそう言った。
「どう言う事?」
 そう問いただしたのはもちろんエルフィーネである。
「どうやら、バナールはこの辺りを支配しようと企んでいるらしい。領主のもとに脅迫状を送りつけ、脅しのためにこの異常気象をもたらしたらしいのだ。」
 主人はそのバナールの弟子であるザンにとっては聞き捨てならないことを口にした。
だが、彼は少なくとも表面上は平静さを保っていた。ただ手に持っているカップは小刻みに揺れていた。
「親父さんよ、そのバナールってのはどんな人物なんだ?」
 あたかもバナールとは無関係であるかのような口調でロッキッキーはそう尋ねた。
はったり、かまし、その他の類は彼の得意とするところである。
「そうさなぁ‥‥、バナールは確か8年ぐらい前からこの村の近くの遺跡に住むようになったんだ。」
 親父は顎の辺りを撫でながらそう呟いた。
「始めっからそうだったのか?」
 そうソアラが尋ねた。彼の方も努めて平静を装っていた。
「いや、そんなに悪い人物のようには見えなかったんだがなぁ‥‥。」
 人は見かけに寄らないものだとそういいたげであった。
「でも、よく村には来ていたでしょう?」
 フォウリーはそう尋ねた。
生きていくためには食料その他を調達せねばならない。その場所としてはこの村以外には考えられないからである。
「ああ、1週間に一度くらいはこの村にやってきていたのだが、ここ2週間ばかりは姿を見てねぇなぁ。」
 親父は寂しくなってきた頭に手をやりながらそう答えた。
「脅迫状が届いたのは何時のことですか?」
 ようやく動揺から立ち直ったのか、そうザンが口にした。
「10日ほど前って話だ。領主の所にな。」
 親父の方も現物を見たわけでもないので、人づてに聞いた話という形でしか答えようがなかった。
「ふーん‥‥。所でさ、僕たちがこの異常気象を何とかしてあげるって言ったら、お礼ぐらいは出るかな?」
 ルーズはふと思いついたようにそう言った。
「どうだかな、この村は貧乏だからな‥‥。でも古代王国の遺跡らしいからな、けっこうなお宝ぐらいはあるかもしれんぞ。」
 どうやらルーズより親父の方が一枚上手であったようだ。このような輩の扱い方もよく分かっているようであった。
「ふーん、そうなのか。」
 極めて平静を装った彼であるが、笑みがにじんできてしまった。
古代王国の宝物に比べれば、こんなしけた村のお礼なぞ微々たるものでしかないだろう。
「そうそう、あんたら、バナールの塔に行くのなら忠告しとくがな、奴さんは暗黒神の信者だって話だ。そこの勇ましいお嬢さんとエルフのお嬢ちゃん、暗黒神への生け贄にされないようにな。」
 主人はもう彼らが行くものといった感じでそう言った。
本来なら勝手に決めないでよ、と、エルフィーネが言うところであったが、親父の言葉の内容はその言葉を彼女に飲み込ませた。
エルフィーネははっとした表情でザンを見た。いや、仲間の視線が全てザンに集中した。
だが当のザンの方も信じられぬといった表情である。そんなことありません、と叫ばないのが不思議であった。
「‥‥気を付けるわ。」
 フォウリーの言葉は何処か重苦しかった。
主人の方は彼女らが驚いたことに満足し、何度か頷くとその場を後にした。今日は来ないと思っていた客が訪れたからである。
「‥‥戻りましょう。」
 恐らく村人であろう客と入れ代わるように、彼女らは階段を上がった。

 翌日、宿代を払って外に出た彼らはしばし呆然としてしまった。
季節外れの雪は昨日よりさらに激しくなっていた。エルフィーネによれば、昨日よりさらに強く精霊力が乱れている、とのことであった。
「何故?」
 フォウリーのその問いかけには、彼女は首を横に振るだけであった。
「ともかく村人達の話しも聞いてみようよ。」
 ふくろうのライスを懐炉代わりに腹に入れて、ルーズはそう言った。
もう一匹の使い魔エムは、主人が求めもしないのにすでにザンの懐へと潜り込んでいた。
だがザンの方は気が付いていないと言うような表情であった。昨日酒場の主人の話を聞いて以来ずっとこうであった。
「そうね、そうしましょう。」
 フォウリーらは人影を求めて、宿の前を後にした。
だがあいにくと村人はなかなか見つからなかった。それもそうであろう、この悪天候の中、誰が好き好んで外に出ようというのだ。
それでも畑の作物を見に行くために外に出た村人の幾人かに話を聞くことが出来た。
だがその話しも昨日酒場で聞いた事とさして違いはなかった。
有益なことと言えば、バナールの住んでいる遺跡の詳しい場所が聞けた事ぐらいであった。
「ともかくバナールの住むっていう塔に行ってみんべぇ。」
 寒さのために手を擦りあわせてロッキッキーはそう提案した。
もうこれ以上の情報は無いと見越してのことである。
「そうだな‥‥。」
 ソアラの方もロッキッキーほどではないにしても寒そうである。
「それにしてもやんなっちゃうな、この雪。」
 エルフィーネは寒さのために頬を真っ赤にして、恨めしげに灰色の空を睨んだ。
「ぼやいててもしょうがないわ。行きましょうか。」
 そう言ったフォウリーは鎧の上からさらにマントを羽織っていた。彼らは新しく積もった雪を踏みしめながら、森の方へと歩き始めた。
 降りしきる雪の中、彼女らは一歩一歩雪の上を進んでいた。
一歩進む度に足下で鳴る雪の軋む音だけが、銀色の世界で唯一の音であった。
バナールの住む塔は村から半日ほど森の中の細い道を進んだ所にある、という話であった。だがこの雪のせいで確実にそれ以上の時間はかかるであろう。
黙々と進む中、不意にロッキッキーがエルフィーネに話しかけた。
「よお、この雪は精霊の力が歪んだから降ったんだべ?」
 エルフの血を半分ひいていると言っても、彼は人間界の育ちである。
エルフとしては当たり前の事である、精霊を見る力が無いのだ。
「多分ね。」
 エルフィーネはそう答えただけであった。
「どんな事するとその精霊力ってのは歪むんだ?」
 どうやら彼は少し精霊に興味を持ったようだ。もっともこの雪と寒さを何とかしてもらいたいだけなのかもしれないが。
「そうね‥‥。ごく希に自然に歪むときもあるけど、そんなのは弱くてすぐに消えてしまうようなものよ。だから今回は多分人為的な事で歪んでると思うの。」
 彼女はそう真剣な顔でそう言った。
精霊力の歪みと言うのは、精霊を友とするエルフにとっては一大事なのである。
「人為的ってどう言うことだ?」
「分かるわけないじゃない、そんなの。」
 エルフィーネは少し怒ったようにそう言った。
彼女の方も寒さのせいで幾分気が立っているようであった。ロッキッキーの方もそれ以上口を開こうとはしなかった。
 小道はいつしか森の中へと入っていった。森の中は村以上に静かな世界であった。
時折木より落ちる雪塊の音が聞こえてくるくらいのものであった。
そして僅かに、ほんの僅かに狼であろうか、寂しげな咆哮が聞こえてきた。
そんな世界の中を6人は自らの呼吸音だけを友として、新雪の上を進んでいた。
 森の中に入ってから1時間ほど歩いた頃であろうか、フォウリーの視界に人影が飛び込んできた。
何かを見間違えたのかと思って目を凝らしてよく見ると、確かに椎の木であろうか古木の脇に1人の女性がたたずんでいた。
エルフのようにも見えるが、緑色の髪や肌からどうも違うようであった。
ただその美しさは形容しがたいほどで、同性であるはずの彼女ですら惹き付けられそうであった。
彼女は右手を挙げて、仲間達を制した。
そしてその女性をフォウリーは示した。
フォウリーに促されて何気なく見たエルフィーネは、瞬時にその女性の正体を見抜いた。
「ドライアード!!」
 彼女は小声で鋭くそう言った。
ドライアードとは精霊使いなら誰しもが知っている樹木の精霊、または安らぎと魅惑を司る精神の精霊である。
 彼女の声が聞こえたのか、その女性の方もこちらに気が付いたようだ。
彼女はにっこりと微笑んだ後、精霊語で何か唱えた。どうやら精霊魔法のようだが不発のようであった。
それを悟っ樹木の精霊は、隣の椎の木に溶けるように消えてしまった。
「一体何だったのよ、あれ。」
 フォウリーは不思議そうな表情で椎の木を示した。
「ドライアードよ、今の。私達にチャームをかけたんだけど、誰にも効かなかったから逃げたのよ、きっと。」
 エルフィーネは素気なくそう言った。
「もしかして狂ってたか、今の?」
 ソアラがそう尋ねた。
「さあ?」
 実物がいなくなった後なので、エルフィーネはそう答えるしかなかった。
「雪が強くなってきたわね。遺跡まで急ぎましょう。」
 フォウリーらはさらに森の小道を進み始めた。

 小道を進むにつれ、森はいよいよ鬱蒼としてきた。
通常でさえ太陽の恩恵は弱々しいと思えるほど木々が生い茂っているのに、この天候ではその弱々しい恩恵すらか細くなっていた。
 ドライアードと出会ってから2時間ほど歩いたことであろうか、森の小道は不意に小川にさしかかった。
道はその川を渡るための粗末な丸太橋を越えてさらに奥へと続いていた。
川は小さなものであったが、流れは急で、歩いて横切ろうとしたら水に流される危険は十分にあった。
橋から十メートルほど下流で川は彼らの視界から消えていた。
その風景と音から察するに、滝でもあるのだろう。
だが音の質量感がその滝の小ささを物語っていた。
景色の変化にいったんは立ち止まった彼らであるが、一通り辺りの様子をうかがうとまた再び歩き出そうとした。
だがその彼らをエルフィーネが制した。
「待って!あの川の中に狂ったウンディーネがいる!!」
 彼女は鋭い視線を橋のすぐ下流付近の川に向けながらそう言った。
「何だって?」
 ロッキッキーも険しい視線を彼女に向けた。
彼らは噂という形で狂える精霊の事を知っていた。
そしてその多くが激しい戦いの様子も共に伝えていた。
「何とかならないの、支配し直して解放するとか?」
 エルフの精霊使いと長年付き合っているだけあって、フォウリーも精霊と精霊使いに関する知識を幾らか持っていた。だが彼女は首を横に振った。
「確かに出来るけど‥‥、今一緒にいるシルフを解放しなきゃいけないし、そもそも一回につき3日かかるのよ、精霊を支配するには。」
 無用な戦いもしなくて済むし、エルフィーネの方も狂った精霊を元の世界に返してやることが出来る。
だが果たして3日後にはこの辺りがどうなっているのか見当も付かなかった。
「何か魔法無かったっけ?」
 すでに魔法使いとしての道を諦めているルーズがそうザンへと尋ねた。確か精霊がどうとか言う魔法があったような気がするのだ。
「さあ‥‥。」
 しかし師の事で心ここにあらずの状態のザンは、ルーズの言うような魔法に思い当たらなかった。
「精霊は貴方の分野でしょ。何とかしてよ。」
 フォウリーはすでにエルフィーネに押しつけるような雰囲気である。
「どうにかって‥‥。腰に縄付けて渡れっていうの?!」
 エルフィーネの方もあまり面倒な事はしたくないのでそう応酬した。だがその言葉が彼女の勇み足になった。
「そうね、それが良いわ。ロッキッキー、縄頂戴。」
 フォウリーはエルフィーネの方を見ながら、手だけをロッキッキーの方に差し出した。
「あいよっ。」
 ロッキッキーの方にも、もちろん依存はなかった。すぐに荷物から縄を取り出してフォウリーに渡した。
「ちょっ、ちょっと、冗談は止めてよ。」
 エルフィーネは思わず一歩後ずさってしまった。
「冗談じゃないわよ!!」
 フォウリーはそう言うが早いか彼女に飛びかかった。捕まえられたエルフィーネの方は騒ぐだけ騒いだが、どうなるものではなかった。
10分後には腰に縄を結びつけられてしまった。
「ひゃっひゃっひゃ、まるで猿回しの猿だなぁ、おいよぉ。」
 その姿を見てロッキッキーは腹を抱えんばかりに大笑った。
「うるさい!!後で覚えてなさいよ!!」
 彼女は彼を睨み付けてそう言った。
「ほら、いいから早く渡っちゃってよ。」
 もう一方の縄の端を持ったフォウリーがそうエルフィーネを急かした。
「‥‥信用してるからね。」
 先ほどの威勢も何処へやら彼女はしおらしくそう言うと、そろそろと丸太橋を渡り始めた。
橋自体は水面からおよそ50センチくらいの所にあり、絶えず水しぶきがかかっていて、滑りやすくなっていた。
おまけにというか、やはりというか、エルフィーネが橋の中央付近まで来た頃に、狂えるウンディーネが彼女を川の中に引きずりこまんとその不定形の身体を伸ばしてきた。
「あぶねぇ!!」
 それを見てロッキッキーはそう叫んだ。
だが当のエルフィーネは何とかそれをかわすと、そのまま向こう岸まで渡っていってしまった。
そして向こう側で一息付くと、腰の縄を解いて近くの木にしっかりと結びつけた。
「早く渡っておいでよ。」
 2、3度縄を引っ張って外れないことを確かめた後で、エルフィーネはそう対岸の仲間達に叫んだ。
「分かったわ。次は誰が行く?」
 フォウリーも縄を近くの木に結びつけた後、そういって仲間を見回した。
誰も行かなければ自分が行こうと思っていた。
「あの、先に行かせて貰いますよ。」
 だがザンが控えめにそう言った。
「いいわよ。」
 フォウリーは、当然彼は橋を渡っていくものと思っていた。だが違ったのだ。
彼は仲間より少し離れると、懐にエムを入れたまま複雑な手振りで呪文を唱え始めた。
『全能なるマナよ、我が身体を我の示す地まで運びたまえ。』
 詠唱が終わると同時に彼の姿はその場からかき消え、次の瞬間にはエルフィーネの斜め後ろの辺りに出現した。
何事かと驚いたエルフィーネであったが、すぐにザンへと向かって詰め寄った。
「そんな便利な魔法があったのなら、なぜもっと早く言わないのよ!!」
 自分はいい道化者になったと言いたげである。
「はあ、結構疲れるんですよ。この魔法は。」
 それほどでもないのだがザンはそう言うことにした。
思い当たらなかった自分も自分だが、その事で彼女の愚痴を聞かされてはたまったものではないからである。
「魔晶石があるでしょ、魔晶石が!一体何のための石なのよ!!」
 滅多に使わない自分を棚に上げて、なおも彼女はそう言った。
「‥‥貴方の魔晶石を貸していただければ、運んだんですけど。」
 ザンはそう苦笑しつつそう言った。
「貸すって使うって事でしょ!‥‥もういいわよ、まったく。」
 なおも何かいいたげな彼女であったが、もうそれ以上その事については言わなかった。
今更何を言っても済んだことは済んだことなのである。その間に残っていた4人も次々と渡ってきた。
フォウリーが落ちかけたほか、後の者は余裕で渡りきってしまった。
「全員そろったわね。じゃあ行きましょうか。」
 しばらく座って呼吸を整えていた彼女であったが、最後のロッキッキーが渡り終えたのを見て立ち上がった。
「ロープどうするの?」
 そう言うことには目端が利くルーズが、ロープを示してそう言った。
「帰りにも使うでしょ。それに、こんな状態じゃ誰もこんな所までこないわよ。」
 自分のロープではないので、フォウリーはかなりいい加減であった。だが言うことには一理あった。
 6人はウンディーネのいる丸太橋を後にして、さらに奥へと続く小道を進んでいった。

 丸太橋から2時間ほど歩いたところであろうか、不意にエルフィーネが立ち止まった。
後ろを歩いていたルーズは、ぶつかる寸での所でどうにか立ち止まることが出来た。
ぶつかったらたとえエルフィーネの方が悪くても、何を言われるか分かったものではない。
だが止まってしまえば、彼の方が有利であった。
「何だよ、危ないじゃないか!」
 勝ち誇ったような表情でルーズはそうエルフィーネを非難した。
その声に前を歩いていたフォウリーとソアラの2人と、彼女らを抜きかけていたザンとロッキッキーは立ち止まって彼女らの方を見た。
だが彼らが予想した、当然あるべきのエルフィーネの反論がなかった。
ただ険しい顔でじっと前方を見つめた。
「どうしたの?」
 そう怪訝げな顔で尋ねたフォウリーの言葉が終わるか終わらないかの内に、エルフィーネが鋭く叫んだ。
「伏せて!!」
 叫んだ彼女自身もそれとほぼ同時にしゃがみ込んだ。
フォウリーらも訳が分からなかったが、身体の方が反応してしまった。
そのすぐ後にしゃがんだ彼らの頭の上を、すさまじい突風が吹き抜けていった。
「何?」
 風で乱れた髪を抑え、しゃがんだままでそうフォウリーは尋ねた。
「シルフよ、狂ったね。」
 彼女はそう言うが早いか立ち上がった。そして短く召還のための精霊語を唱えた。
『光の精霊達よ、我が召還に応じよ。』
 とたんに七つの光の玉が彼女を中心にして浮かび上がり、辺りは一時的に真昼のような明るさになった。
フォウリー達は眩しくて目も開けられないような状況であったが、エルフィーネはその中で風が過ぎ去った方をじっと睨んでいた。
目を凝らしてよく見れば薄くではあるが、普通の人間にもシルフ達の姿を見ることが出来るであろう。
それが”狂った”精霊の特徴でもあるのだ。
エルフィーネの目には7体の悪鬼のような表情をした風乙女達が見えていた。
その姿を見て、哀れみの思いが彼女の心を満たした。
− 今、元の世界に帰してあげるからね!
 心の中で彼女はそう叫んだ。
『行きなさい。光の精霊達!』
 彼女が精霊語でそう叫ぶと、7つの光の玉はまるで弾かれたように、次々に飛んでいって、そして砕けていった。
シルフの身体に当たったのである。
「やったのか?」
 その様子をじっと見守っていたソアラが立ち上がってそう呟いた。
だがその問の答えは向こうからやってきた。
光の精霊は狂えるシルフ達を全滅させていなかったのである。
「うわっ?!」
 再びかまいたちを伴った突風にフォウリーらは巻き込まれた。
だが数が減ったせいか、先ほどよりも幾分風の流れは弱かった。
「やったわね!!」
 風が収まった後でフォウリーは頬の血を拭って立ち上がった。
かまいたちのせいで誰しもが小さな切り傷を負っているのだ。
「ソアラ、アシストして。”飛ぶ”わよ。」
 フォウリーはそう言うが早いかシルフ達の方へと走り出した。すぐにソアラも彼女の後を追った。
「無茶よ!とどきっこないわ。」
 エルフィーネはそう言いつつ、再び精霊を召還する準備を始めた。
フォウリー、ソアラは共に相手を踏み台として空へと舞ってシルフを斬ろうとしたが、その試みはことごとく失敗した。
シルフから受けた傷よりも着地に失敗して受けた傷の方が多いくらいである。
結局シルフはザンとエルフィーネの魔法で精霊界へと帰された。
「羽もねぇのに飛ぼうとするからだよ。」
 傷だらけになった2人を見てロッキッキーはそう毒づいた。
「うるさいわね。名誉の負傷と言ってよ。」
 身体に付いた埃を払いながらフォウリーはそう言った。どちらにしてもそれほどの怪我ではないようであった。
「先を急ぎましょう。バナール師の住む遺跡へはもうすぐのはずです。」
 ザンは小道の向こうを見やりながらそう言った。
彼らは一息付く間もなく道を進んでいくのであった。

 降りしきる雪の中を進むフォウリーら一行の視界に、木々と雪に隠れてではあるが巨大な塔がかいま見えるようになってきた。
村人の話ではこの森にはバナールの住む遺跡しか無いと言うことであったから、多分その塔が目的のものであろう。
初めてその塔が視界に入ったとき、ザンは複雑な表情でそれを見たが、仲間達はそれには気付かなかった。
エルフィーネもその塔が見え始めたとき、しばし塔の先端を睨んでいた。
誰にも言わなかったが、彼女はその部分において精霊力の歪みが最大であることが見て取れたのだ。
− やっぱり人為的なものだったのね。あの歪みは。
 彼女はその歪みを作った人物に激しい嫌悪感を抱き、会ったらひっぱたくぐらいじゃ済まさないと心に決めていた。
 塔が見え始めてから30分ほど歩いたところで、ようやく彼らは目指していた遺跡へとたどり着いた。
その遺跡は、塔とそれを取り囲む城壁のようなものから成り立っていた。
その城壁のような建物は高さが3メートルぐらいであるが、外壁の表面は驚くほど滑らかで、ロッキッキーは道具無しじゃあ俺はともかくお前らは無理だと言ってのけた。
彼にしてもこの寒さで手がかじかんだ中では、この外壁を登るのはきついであろう。
「とりあえずぐるりと回って見ましょう。どこかに扉があるはずよ。」
 フォウリーはしばらく外壁を見上げていたが、首を振った後でそう言った。
ここは無人の遺跡ではなく、少なくともバナールは住んでいるのである。当然どこかに入り口、または出口があってしかるべきである。彼らは右回りに城壁を調べ始めた。
 扉は程なく見つかった。
場所的に言うと城壁の北東の辺りにあり、木製で金属の補強が施された極めて頑強そうな両開きの扉であった。作られてから長い年月を経ているであろうにも関わらず頑丈そうで、彼らの行く手を遮らんとしているかのようであった。
「どうするんだ?」
 その頑丈そうな扉を示しながらロッキッキーはそうフォウリーに尋ねた。調べろと言えば調べるが、まだその段階ではなかった。
「‥‥とりあえず叩いてみましょう。仮にも招かれた人物がいるしね。」
 フォウリーはそう言ってザンを見た。
「分かった。」
 横で聞いていたソアラが何度かその頑強そうな扉を力一杯叩いた。
その音は少なくとも塔の一階ぐらいまでは聞こえたであろうはずなのに、誰も出てくる気配がなかった。
ソアラは同じ事を3度繰り返してみたが結果は同じであった。途方に暮れたような表情でフォウリーの方を見た。
「‥‥留守なのかな?」
 それはないだろうと言うような表情でそうルーズが呟いた。もし本当にそうであったら彼らはいい道化である。
「開いてないのかしら?」
 フォウリーはそう呟きながら金属製の取っ手に手をかけて思いっきり引っ張ってみた。だが扉は微塵にも動かず、鍵の存在を彼らに思い起こさせた。
「‥‥ロッキッキー、開けちゃって。」
 フォウリーはどうしたものかとザンを見たが彼が頷いたので、ロッキッキーにそう命令した。
「あいよっと。」
 いつもの調子で扉の前へと進み出た彼であったが、ものの数分調べただけでフォウリーらに首を振って見せた。
「鍵穴がねぇよ。
これじゃあどんな大盗賊でも開けられねぇな。」
 ロッキッキーは”耳かき”と呼ばれる盗賊の道具をもてあそびながらそう言った。
「そう‥‥。
ならザン、よろしく。」
 フォウリーはそう言ってザンの方を見た。
この扉は内側からしか開けられないのか、それとも魔法での施錠かのどちらかであろう。そしてロッキッキーで無理となると、どちらにしてもザンの出番となるのである。
ザンは頷いて前へと進み出、もはやお馴染みとなった手振りと、そして古代語を唱えた。
『アンロック。』
 彼の詠唱が終わると同時に扉の向こうでがちりと言う音がした。
フォウリーがもう一度取っ手を引っ張ると、今度は扉は軋んだ音を立てながらゆっくりと開いていった。
 扉の向こうはホールになっていた。
そして部屋の中央には門番であろうか、一匹のスケルトン・ウォリアーが立っていた。不釣り合いと言えば不釣り合いだが、この塔の持ち主が魔術師であると考えるとそれほど意外でもなかった。
ただ主人の趣味であるのか、そのスケルトン・ウォリアーは通常は盾を持っているはずの左手に巨大な金属製の鈴を持っていた。
「‥‥趣味悪い。」
 それをエルフィーネは一言そう言ってのけた。
そのスケルトン・ウォリアーはくぼんだ瞳で彼らを認めたのか、ゆっくりとこちらへと近付いてきた。その動きに会わせて左手の鈴が巨大な音を立てた。
「あの鈴、警報の代わりだわ。」
 その音の巨大さにフォウリーは鈴の意味を理解した。
慌ててスケルトン・ウォリアーから鈴を取り上げたが、もう後の祭りである。ただその誰かに聞こえていないことを祈るのみであった。
鈴を取り上げられたスケルトン・ウォリアーはフォウリーらを敵と判断したのか、右手の剣を振り上げて猛然と襲いかかってきた。
が、ものの数分でその簡易ゴーレムは偽りの生命を終焉することになった。
「ねえ、その鈴貸して。」
 戦闘が終わった後、エルフィーネはそう言って右手をフォウリーの方へ差し出した。
「いいけど‥‥、こんなの欲しいの?」
 フォウリーはそう尋ねつつ、エルフィーネに鈴を渡した。
「まあね。」
 エルフィーネは鈴を大事そうに両手で受け取った。
フォウリーは変な物に興味があるのね、とでもいいたげな表情であったが、いつまでも彼女に拘ってもいられなかった。
「さあ、部屋の探索をしましょう。」
 フォウリーがそう言ってエルフィーネに背を向けた瞬間、彼女は素早くフォウリーの首に鈴をとりつけた。
両手で持ったのは、音を立てさせないためであったのだ。
ロッキッキーとエルフィーネを中心として笑いが起こったのは言うまでもなかった。
そしてエルフィーネが後頭部を彼女に殴られたことも。
 フォウリーの一喝の後、彼らはただの骨と化したウォリアーの残骸を蹴飛ばしながら、そのホールの探索を始めた。
スケルトン・ウォリアー以外はさしたるもののないホールであったが、奥の壁に掛けられている絵は彼らの興味を惹き付けた。
「何をモチーフにしてるんでしょうね。」
 その絵をまじまじと見つめながらザンはそう呟いた。
その絵はドワーフの職人製らしく、絵、というよりは、描かれている物そのものがそこにあると言うような感じであった。
「精霊だと思うよ。」
 同じように見つめていたエルフィーネがそう答えた。確かにそれしか見ようがないであろう。
「しかし高く売れそうだなぁ。」
 ロッキッキーはそう言ったものの、その絵を取り外そうとはしなかった。
前にフォウリーに掛けられたクエストはオランの町で解除して貰っていた。
「おい、こっちの床、なにか削ったような後があるぞ。」
 スケルトン・ウォリアーのいた辺りを調べていたソアラがそう言って、絵に見入っていた仲間達を呼んだ。
その声にエルフィーネらは、ばらばらとソアラの所へと集まった。
「‥‥恐らく移送の扉を撤去したんだと思いますね。」
 削られた床を見て、ザンは即座にそう言った。
削られている床の周りに魔法陣が描かれ、上位古代語の魔法文字が彫り込まれているので、魔術師が見ればすぐになんであったか分かるのである。
「誰が撤去したんだろう。」
 もったいないと言うような表情でルーズがそう言った。
彼も魔術師であった男である。その移送の扉というものの価値は知っていた。
「さあ?バナールじゃないの?」
 エルフィーネの方はさして関心無さそうである。それよりもフォウリーに殴られた後頭部の方がまだ気になっていた。
「どちらにしろ使えないんでしょ、これ。」
 フォウリーは床を示しながらそう言った。
「はあ、まあ。」
 ザンは頷いた。
「なら、この部屋にはもう用はないわね。先に行きましょう。」
 フォウリーはそう言って両奥隅にある二つの扉を見比べた。その後、彼女らは玄関より見て右奥の方の扉を抜けていくのであった。

 扉の向こうはどうやら居間であるらしかった。その証拠に椅子やテーブルなどの家具が収められていた。
だがあまり綺麗に片づいているとは言えず、あちこちに得体の知れないがらくたが転がっていた。
「汚い部屋ね。掃除ぐらいしたらいいのに。」
 率直な感想と意見をエルフィーネはそう呟いた。
もっともエルフィーネの日常生活を知っている者がその言葉を聞けば、そういう事を言う資格が彼女にはないと指摘であろう。
「何かあると思う?」
 フォウリーはそうロッキッキーに尋ねた。
「さあな。探してもいいぜ、別によ。」
 ロッキッキーはがらくたの山を示してそう言った。だがそうなると時間がかかりそうである。
フォウリーはロッキッキーへと首を振り、ザンの方を向いた。
「ザン、”センス・マジック”で調べちゃってよ。」
 フォウリーはそう言ってザンを促した。
「はあ、ですが魔力を持たない物は感知できませんよ。」
 ザンはごそごそと荷物を置きながらそう断りをいれた。
「魔術師の家だから高価な物は多分マジックアイテムだから大丈夫よ。」
 フォウリーはそう言って彼を急かした。
『センス・マジック』
 急かされたザンは複雑な手振りの後、そう古代語で呟いた。これで魔力を放つ物は、彼の目には明かりを放って見えるはずである。
だが、仲間達の持つマジックアイテム以外にはこの部屋には何もなかった。ザンは首を振ってその事をフォウリーらに伝えた。
「そう、じゃあ先に行きましょう。」
 フォウリーはそう言って奥の扉を示した。
 扉の向こうは左側に折れる通路であった。幅は3メートルほどで、どうにか2人並んで歩けると言ったところであった。
通路を折れてすぐの所に、先ほどと同じ様な扉があった。罠の類はないと思っていたのか、フォウリーは無造作に扉を開けた。
罠は確かになかったが、扉の向こうは無人ではなかった。そこには4体のスケルトン・ウォリアーと魔術師が1人いた。
「お前達は何者だ。命惜しくば去るがよい。」
 彼女らの姿を見るなり魔術師は高圧的な口調でそう言った。
どうやら彼女らに気付いていたようであった。フォウリーは一度ザンを見た後で、その魔術師に答えた。
「私達はバナールに呼ばれてここに来たの。貴方がバナール導師?」
 フォウリーは男を示して逆にそう尋ねた。
「私はバナール導師の高弟であるシアルド。師からの手紙を受け取ってこの地に来た。」
 男はフォウリーを見据えながらそう言った。
「バナール師は?」
 そう言ったのはフォウリーではなくザンであった。男はザンを一瞥した後で首を振った。
「私は知らない。が、恐らく塔の中で絶命しているに違いない。」
 シアルドはそう言って右手のほうを見た。
「何故、塔の中に入っていかないのよ?」
 相手の雰囲気が気に入らないのか、エルフィーネの口調は少しきつかった。
皮肉の意味が込められていたかもしれなかった。
「塔の入り口をアイアン・ゴーレムが守っているのだよ。」
 もっとも居なくても入らないと言うような表情でそう答えた。そしてさらに言葉を続けた。
「この辺りは数日の内に破滅してしまう。命惜しくばこの地より去るのだ。」
 シアルドは再度脅迫めいた口調でそう言った。
「そうは行かないよ。バナールさんから研究の成果って奴を貰うまではね。」
 冗談じゃないと言うような口調でルーズがそう呟いた。
それを聞いたシアルドはかっと目を開けてフォウリーらを睨んだ。
「この遺跡の財産は全て私が引き継ぐ資格を持っているのだ。貴様等、これが最後の警告だ。命惜しくば去れ。さもなくば‥‥。」
 そう叫んでシアルドはフードの中からスタッフを取り出した。
「さもなくばどうするの?」
 フォウリーは体内に格納している鎧と剣を出現させてそう尋ねた。
「死ぬが良い!!」
 シアルドはそう叫んで、スケルトンウォリアー達をフォウリーらにけしかけた。
フォウリーとソアラの2人がそれらを迎え撃つが、一歩遅く部屋の中には入れなかった。
こうして極めて不利な状況で戦闘は始まった。
シアルドはバナールの高弟と名乗ったが、その通りの実力を持っていた。地形的に不利なフォウリーらに貫通力のあるライトニングを連発してきたのだ。
さらにスケルトンウォリアー達も、魔法の武器などで武装され、手強い敵となっていた。だがエルフィーネのミュートが何度かの失敗の後、シアルドにかかると戦局は一変した。
スケルトンウォリアーは一匹、また一匹と倒され、その屍を床上に散乱させた。
最後のウォリアーが倒された後、未だミュートから回復できていなかったシアルドは、ソアラの手によって縄で縛られてしまった。
そこでようやくミュートから解放されたシアルドは早速命請いを始めた。
「こ、殺さないでくれ。私の知っていることは何でも話すから、な?な?」
 先ほどの高圧的な態度からうって変わっての取り乱しように、フォウリーらの気持ちも急速に沈静化に向かった。
「そうね、態度次第によってはね。」
 フォウリーはすごみをきかせてそう言った。
「バナール師が亡くなったって言うのは本当ですか?」
 早速ザンがそう尋ねた。
一時期とは言え師事していた人なので、先ほどのシアルドの言葉が心にずっと刺さっていたのだ。
「あ、ああ、恐らく。先ほども言ったがバナール師は恐らくあの塔の中で実験中に命を落としたに違いないと思う。」
「そうですか‥‥。」
 ザンは何処か落胆したように見えた。
「実験って何の実験?」
 エルフィーネがそう尋ねた。
「その事については、バナール師の私室に手がかりとなる物が残されているとおもう。」
 シアルドはそう言って自分の後ろの扉を示した。
「そうだ、バナールさんが死んでるなら誰があの村に脅迫状を送ったんだ?」
 ソアラが思い出したようにそう言った。
「わ、私だ。警告文のつもりだったんだ。」
 この男にも良心のかけらぐらいは残っていたのであろうか。しかしもし残っていたとしても、それを事件の解決に回すべきであった。
「塔に入るにはどうしたらいいのです?」
 しばらく沈黙していたザンがそう口を開いた。
師の屍を見ていないので、微かな希望を持っているようである。
「アイアン・ゴーレムの守る扉から入るしかない。だが、合い言葉を知らねばゴーレムとの戦闘は避けられない。」
 シアルドはそう答えた。
「その合い言葉は?」
 フォウリーがそう尋ねたが、シアルドは首を横に振るだけであった。
そしてその事は嘘ではないだろう。もし知っていれば塔の中に入っているだろうから。
もちろん師を案じてのことではなく、宝のために。
「所でこの塔は誰が作ったんだい?」
 部屋を見回していたルーズが不意にそう尋ねた。
「この塔か?この塔は古代王国時代の四大魔術師が作った塔だ。」
「四大魔術って何だ?」
 聞いたことのない魔法の系統にそうソアラが尋ねた。
「四大魔術とは地水火風の自然の四大エレメントの力を利用した古代語魔法の一系統だ。”ファイアボール”や”ライトニング・ボルト”などがこの系統に属している。」
 相手の知らぬ知識を持っていたことに、シアルドは少し優越感を抱いた。がすぐに自分の立場を思い出して、起きかけた笑みを慌てて消した。
「精霊魔法に近いね。」
 エルフィーネはそう呟いた。
「違いは幾つかあるが、その中で大きいのは精霊の力を借りるのではなく、利用することにある。偉大なるマナの力によってな。」
 シアルドはそう言った。だがそれはエルフィーネの気を悪くした。
精霊使いを小馬鹿にしていると感じたからだ。
「もう行きましょうよ、こんな奴ほっといてさ。」
 エルフィーネはそう言って視線をフォウリーに向けた。
「そうね、そうしましょうか。」
 フォウリーももう情報が聞けないと見て、頷いた。
「でもどうするんだ、こいつよ。」
 ロッキッキーはシアルドを示してそう言った。
「眠らしとこうか、精霊の力を借りてね。」
 意地の悪そうな笑みを浮かべてエルフィーネがそう言った。
「そ、それは勘弁してくれ。」
 その魔法を知っていたのか、シアルドはそう懇願した。
「‥‥このままほっときましょう。帰りに連れてけばいいわ。」
 フォウリーはやれやれと言った風にそう呟いた。
 フォウリーらはスケルトンウォリアーの残骸やシアルドから魔法の武器やアイテムを奪うと、先ほどシアルドが示した扉へを抜けていった。
シアルドの罵声を後にしながら。

 扉の向こうはまた通路となっていた。
幅は先ほどと同じ3メートル程で、ぐるりと左回りに半円形になっていた。通路を慎重に進む彼らの前に4つの扉が現れた。
通路の右手に二つ、左手に一つ、そして通路の奥に一つの計四つである。
「どれから調べるの?」
 エルフィーネは前方の扉達を示してそう言った。
「そうねぇ‥‥。」
 エルフィーネに尋ねられたフォウリーはそう言ってしばらく黙り込んだ。 ソアラの描いた地図を見ると、奥の扉はどうやら一番始めのホールへとつながっているようであった。
左手の扉は恐らく塔へと続いているのであろう。
となるとシアルドの言っていたバナールの私室は右側のどちらかになる。
「とりあえず右側の近い方から調べましょう。」
 フォウリーはそう言ってロッキッキーにその扉を示した。
「あいよ。」
 ロッキッキーはそう言って扉の前へと移動した。彼は手早く扉を調べると、フォウリーの方を向いた。
「罠はねぇな。鍵もかかってねぇよ。」
 彼はそう報告するとさっと扉の前から移動した。その後でフォウリーが扉を開けた。
扉の向こうは、どうやら魔法の実験室のようであった。
部屋の中のいたる所に、いろんな薬草や、動物の死骸、そして鉱物などが転がっていた。
動物の腐乱臭であろうか、それとも意味不明の薬品の物であろうか、むっとくる臭いが扉を開けた彼らを襲った。
「ロッキッキー、調べてくれる?」
 鼻を押さえて扉の前からさっさと移動したフォウリーは、そうはじの方に避けていた彼へと言った。
「こんな中をかよ?!」
 ロッキッキーはそう言ったが、もちろん彼の意見は取り入れられなかった。
彼は鼻を押さえ、ぶつぶつと文句を言いながら、部屋の中へと入っていった。仲間達が扉の向こうで見守っての探索は10分ほどで終わりを告げた。
部屋の中から戻ってきたロッキッキーは水晶を5つばかり見つけてきた。5つの内の2つは水色っぽく、残りの3つは白っぽかった。
「こんなもんぐれえしか高価そうな奴はなかったぜ。」
 彼はそう言ったが、自分の見つけてきた物が何なのかは分からなかった。
盗賊として長年培ってきた鑑定眼が、一見すれば何でもない水晶の価値を見抜いたのだ。
「珍しいですね。水晶石と氷晶石ですよ。」
 覗き込んでいたザンがそう呟いた。
「何それ?」
 聞いたことのない名詞にエルフィーネは好奇心を刺激されたようだ。
「簡単に言うとですね、精霊の力を水晶に封じ込めた物ですよ。水晶石なら炎の攻撃から身を守ってくれて、氷晶石はブリザードの魔法と同様の効果を持ちます。」
 ザンは2種類の水晶をそれぞれ示してそう説明した。
「ふーん‥‥。水晶石もーらいっと。」
 彼女はそう言ってロッキッキーの手の中から水晶を一個奪った。
「あっ、俺が見つけたんだぞ。」
 ロッキッキーはすかさず取り戻そうとするが、寸での所で届かなかった。
「だからって貴方の物じゃなくてよ。」
 彼女はそういいながら、しっかりと革袋の中にしまい込んでしまった。だからといって彼女の物でもないと思うのだが。
「ちっ‥‥。しゃーねぇな、みんなで分けるか。」
 ロッキッキーはいつものように諦めて、自らも一つ水晶を取ると、残りの三つを仲間達に差し出した。
一個足りないのだが、フォウリーがいらないと言ったのでもめるようなことはなかった。
「後は何もないわね。じゃあ隣の部屋に行きましょうか。」
 仲間達が水晶を分け終わったのを見て、フォウリーはそう言った。
彼らは実験室の扉を閉め、隣の部屋へと向かった。

 隣の部屋の扉もまた、ロッキッキーが調べる前にフォウリーが無造作に開けてしまった。今までの雰囲気から見て、罠などがないと踏んでのことだ。
結果彼女のその感は正しかった。扉は鍵すらもかかっていなかったのだ。
 その部屋がどうやら先にシアルドの言っていたバナール導師の私室らしかった。
ベッドと椅子、机やその他の生活に必要な家具が一通りそろっていた。ただシアルドがまとめたのか、書物などの荷物は部屋の片隅にひとまとめに置かれていた。
特に書物はあらかたどこかに運んだらしく、荷物の中には何冊もなかった。
「さあ、手がかりを探しましょうか。」
 フォウリーはこの部屋には入る気になったようだ。彼女はそう言って部屋の中へと入っていった。
エルフィーネ達も彼女に続いて部屋の中へと入っていった。
部屋の中を調べると言っても実際は片隅の荷物を調べるぐらいしかなかった。
ロッキッキーとルーズは部屋中の探索をしていたがもちろんエルフィーネと言い出した本人のフォウリーはロッキッキーらの探索を高みの見物していた。
 5冊ほど残っていた本をぱらぱらとめくっていたザンが、やがてその内の2冊を持ってフォウリーとエルフィーネの前へと歩いてきた。
「何か見つかったの?」
 ザンの手に持つ本に惹かれながらエルフィーネはそう言った。
「まあ、とりあえずこちらの方を見てください。」
 ザンはそう言ってまず小さめの方をフォウリーへと渡した。
フォウリーはその本の一ページ目を開いた。エルフィーネも横から本を覗き込んだ。
「‥‥これ、バナールの日記?」
 フォウリーは本を開いたまま、ザンの方を向いた。
「はい、そうだと思います。」
 ザンの口調はすこし罪悪感を伴っていた。
どんな理由があれ、人の、しかも師の日記を勝手に見ようと言うのだから、当然と言えば当然かも知れなかった。
フォウリーは頷きながら始めの方をばっととばして最後のページを開いた。
そこに書かれている日付は今日より10数日ほど前のものであった。端的に言えば、バナールの死んだ日とも考えられた。
だがその事には触れず、フォウリーはそのページに書かれていることを口にした。
「いよいよ実験を開始する。この寒冷な山脈が常春の地に変わるのだ。ときどき胸が刺すように痛むのは、実験の準備のために働きすぎたのだろう。」
 それでそのページは終わっていた。
「実験て何の実験だろう?」
 エルフィーネはそう疑問を口にした。
それに答えるかのようにフォウリーはぱらぱらと日記の日付を遡り、ざっと目を通していった。
「あんまり詳しいことは書いてないみたいだけど、この日記に書かれていることから推測すると、この遺跡の最大の遺産である天候支配の魔法装置の制御方法を解明して、その操作実験をしようとしていたみたいね。」
 フォウリーはばんと日記を閉じてからそう言った。
「‥‥じゃあ失敗したんじゃないの、その実験。」
 エルフィーネは眉をひそめてそう言った。
今のこの一帯の様子を見ればそれは一目瞭然であった。彼女の言葉にザンは少し苦笑気味であった。
「もう一冊の方は?」
 日記をザンに帰しつつ、フォウリーはもう一冊の本を示した。
「こっちは多分その魔法装置の制御の方法が書かれていると思うのですが、何分中身が複雑すぎて‥‥。」
 ザンは日記の代わりにもう一冊の方をフォウリーへと渡した。フォウリーは1ページ目を見ただけでそれをザンへと帰してしまった。
「読みこなせないのか?」
 ソアラがそうザンへと言った。
「そんなことはありませんが、この本に書かれたことを理解するには最低でも一週間は必要だと思います。」
 ザンはソアラへとそう答えた。
「一週間待ったらどうなってるか分からないよ。」
 エルフィーネは遅すぎると言わんばかりの口調であった。
「ええ、そうですね。」
 ザンは自嘲気味に笑った。
その頃になってようやくロッキッキーとルーズが彼女らの所へと戻ってきた。
「駄目だな、めぼしいもんはあらかた持っていかれてらあ。」
 ロッキッキーはそう言って肩をすくめて見せた。
「まったく、これが高弟のする事かな。」
 何も見つからなくてルーズはかなり憤慨している様子であった。
− 貴方のやってることも大差なくてよ。
 エルフィーネはそう思ったが口には出さなかった。
「そう、でもこれで城壁の中は一応調べ終わった訳ね。」
 フォウリーはそう言ってソアラを見た。ソアラは地図を覗き込み、やがて頷いた。
「じゃあ、いよいよ塔の中に行く訳ね。」
 フォウリーはそう言って扉の向こうの方を見た。
「‥‥バナール師が生きておられると良いのですが。」
 塔に行くと聞いて思い出したようにザンがそう呟いた。
「‥‥生きてるといいな。」
 その可能性は無いと思いつつもソアラはそう言った。
仲間達はザンに対する思いやりから、バナール師の生存を願っていた。
「さあ、行きましょう。」
 フォウリーらはバナールの私室を後にして、中庭を目指すのであった。

 中庭には雪が降り積もっていた。
城壁の中にいる間にさらに雪が強くなっていることに驚いたフォウリー達であったが、それ以上に中庭一帯に異常繁殖している草に驚かされた。これも精霊力の歪みのためなのであろうか。
 バナール師がいると思われる塔は中庭の中央よりやや西側にあった。扉を開けた正面にシアルドの言ったとおりゴーレムがおり、その向こうに塔がある感じであった。
フォウリーらが扉を開け顔を見せるのに会わせて、ゴーレムの顔の辺りから重々しい声が辺りに響いた。
「我が名を讃えよ。」
 ゴーレムは警戒する彼女らを気にもせず、同じ言葉を二度ほど繰り返して再び沈黙した。辺りはまた雪の降りしきる音だけが聞こえる世界となった。
「我が名って?」
 先頭のフォウリーはそうザンへと尋ねた。唯一バナール本人を知っている彼なら何か知っているのではと思ってのことだ。
だがザンは首を横に振った。
「何かあったか?」
 ロッキッキーはそう独白して腕組みをしながら考えたが、何も思い浮かばなかった。
「‥‥そういえばさ、手紙でバナールの名前の前に何か書いてなかったっけ?」
 しばらく後にそう言ったのはエルフィーネであった。そう言われると何かその様な気がしてきた。
「ザン、手紙は?」
 フォウリーは確認するのが手っ取り早いと考えたようだ。
「済みません、宿です。」
 ザンは申し訳なさそうにそう言った。
「まじかよ?!取り帰ってる時間はねぇぞ。」
 ロッキッキーは顔をしかめてそう言った。
「‥‥なら解決策は一つね。」
 フォウリーはそう言って剣を出現させた。ソアラはそれに合わせ、無言で剣を抜いていた。
「どっちにしろそうなるんだな。」
 ルーズも買ったばかりの剣を構えてそう言った。
「あんまりやりたくないんだけどなあ。」
 エルフィーネもレイピアを構えながらそう呟いた。
「行くわよ!!」
 フォウリーの号令一下、彼女とソアラ、ルーズそれにロッキッキーがアイアン・ゴーレムへと切りかかっていった。 ザンとエルフィーネはいつでも魔法を唱えられる体勢に入った。
アイアン・ゴーレムの方も相手の敵対行動を察知するが早いか、すぐに戦闘態勢に入っていった。
この辺りの迷いや躊躇がない辺りが、感情をもたぬ魔法生物らしい無機質さがにじみでていた。  こうして戦いの幕は切って落とされた。
さすがに体自体が強固な鋼鉄で出来ているだけあり、その防御力の高さは並大抵ではなかった。 魔法の剣でなかったらとっくに彼女らの剣は刃こぼれを生じていたか、折れていただろう。
だがロッキッキーが昏睡させられつつも、何とか戦いには勝つことが出来た。
 ロッキッキーの治癒も終わり、6人はゴーレムの残骸の向こうの扉の前に立った。
扉は頑丈そうな両開きのもので、破壊しようにも手間のかかりそうな物であった。 「ロッキッキー、扉お願い。」
 まだ戦闘のせいで息の荒いフォウリーは、いつものようにそう言った。
「あいよ‥‥。」
 そう答えたロッキッキーも疲れのためか、いつもの精彩を欠いていた。 だが扉はロッキッキーでは開けられない力によって施錠されていた。
「また俺じゃあ駄目だな。ザン、”アンロック”をたのまぁ。」
 ロッキッキーはそう言って、場所をもう1人のソーサラー兼シーフに譲った。
ザンはそれに答えてアンロックを唱えたが、1度目は開けることが出来なかった。 長時間に及んだ詠唱の末の2回目で、何とか扉を開けることが出来た。
6人は施錠の外れた扉を次々にくぐっていった。
 扉を抜けて塔へ入ると、中は吹き抜けになっており、そして塔の内壁をとりまくように螺旋階段が上がっていた。 6人は顔を見合わせると、フォウリーを先頭に螺旋階段を登り始めた。
階段を昇り終え、最上階の部屋へと入った彼らの目に最初に飛び込んできたのは、部屋の中央に据え付けてある巨大な装置であった。
「あれが‥‥古代王国の魔法装置?」
 フォウリーはそう言って部屋中央のその装置を示した。その装置は、部屋の天井から巨大な水晶を中心としていた。
その水晶の先端が示す場所に、巨大な大理石の円卓が置かれていた。
円卓には上位古代語の魔法文字が全面に彫り込まれ、その様子からおそらくミスリル銀が流し込まれて平らに磨かれているだろうと推測できた。
円卓の中央にやや大きめの無色透明の水晶棒があり、7本の水晶棒がそれをとりまくように配列されていた。
この7本の水晶棒は、それぞれに色が異なっていた。また中央の水晶は少し強めの光を放っていた。
 呆然と装置を見つめる彼らの内で、ロッキッキーが不意に口を開いた。
「誰かいやがる!」
 ロッキッキーはそう言って円卓の向こう側を示した。
仲間達が視線をそこに向けると、確かに誰かが円卓にのしかかるような形で、倒れ込んでいた。 やけにそこだけ水晶の間隔が広かった。おそらくその人物が体で水晶棒を押し下げているのだろう。
 6人はまるで弾かれたように倒れている人物の所へと集まった。
倒れている男はその風貌から魔術師であることが見て取れた。そしておそらく死んでいることも。
 フォウリーらに促されたザンがおそるおそるその男の顔を覗き込んだ。
彼はその人物の顔に見覚えがあった。否、師事した人物の顔を忘れようものか。
ザンは沈痛な表情で仲間達の顔を見た。
「‥‥バナール導師です。」
 そしてそれだけを口にした。
「‥‥そう。」
 仲間達はそう答えるしかなかった。慰めることさえ出来ないように思えた。
「‥‥じゃあこれが古代王国の魔法装置か?」
 ロッキッキーが話題の転換のために、円卓をこつこつと叩いてそう言った。
「そうみたいだね。」
 ルーズがそう答えた。
「ザン、この装置の使い方の本を持ってきていたわよね。さっさとこの天候を戻して戻りましょう。」
 フォウリーは悲壮な表情の魔術師にそう言った。
「‥‥分かりました。」
 ザンはそう言って荷物を床へと降ろすと、師の遺業となった魔法装置の制御方について書かれた本を開いた。
仲間達は固唾をのんでザンを見守った。
「なるほど‥‥。その水晶棒はそれぞれ精霊力を表していますね。色が違うのはそのためですね。」
 ザンは本の始めの方を開いてそう納得したように呟いた。
「そんな事じゃなくて!」
 フォウリーは思わずそう叫んだ。慌てて彼は機械の制御に付いて書いてあるページを探して、丹念に呼んだ。
いかに魔法の知識に長けていても、古代王国の魔法装置の複雑な制御ともなれば、彼は読みこなす自信がなかった。
「‥‥師はどうやら取り返しの付かないことをしてしまったようですね。自らの意思ではなくても。」
 ザンは視線を仲間達に向けてそう言った。
「どう言うこと?」
 エルフィーネは一度バナールの死体を見た後で、そう聞き返した。
「最大限に押しやられた水晶棒は、引っ張りあげることは出来ないと書いてあります。」
 ザンはそう言って本の一部分を示した。
魔術師が好んで使う古代語で書かれていたので、エルフィーネは読むことが出来なかった。
「じゃあ、俺達にはどうすることもできねぇのか?」
 ロッキッキーがそう聞いた。
「ええ‥‥。ただ、この本の最後のページに少し気になることが書かれていました。」
 ザンはぱらぱらと本をめくりながらそう言った。
「気になる事って?」
 フォウリーはそうおうむがえした。
「この本の最後には『全ての水晶を最大の力にて作動させるべからず。水晶が砕け、装置は再生不能なまでに破壊される』と書き足されているのです。」
 ザンはそのページを開いて見せた。確かにその様なことが余白に書き足されていた。
「なるほど、元通りにならないのなら、装置その物を壊せばいいのか。」
 ソアラは頷きながらそう呟いた。
「えー、壊すのー?もったいないよ。」
 それを聞きとめたルーズはそう不満を口にした。
「確かにね‥‥。でも、やるしかないようね。」
 フォウリーはそう言って頷いた。ザンも無言で頷いた。
彼の心中は察してあまりあるものであった。
魔法装置その物への魔術師としての興味はもちろんあるし、何よりも師が生涯をかけて、そして命を懸けてまで解明しようとしたものを破壊しようと言うのだから。
「とりあえず、バナールさんの遺体を動かしましょう。」
 フォウリーはそう言ってバナールの亡骸を見た。
だが仲間の中でそれを手伝おうという者はいなかった。ザンですら師の亡骸をむやみに動かすことに躊躇したようだ。
しょうがなくフォウリー1人でバナールの遺体を抱え、円卓より少し離れた床に静かに降ろした。
ザンだけが師の亡骸の側に付き添った。
「ねぇ、とりあえず一つだけ押して様子を見ようよ。」
 まだ魔法装置に未練があるのかそうルーズが提案した。
「そうね、出来るなら壊したくないし。」
 エルフィーネもそれに同意したが、2人とも水晶に触る気はないようだ。
ここでもしょうがなくフォウリーが水晶を押すことになった。内心では自分でやらないのなら提案するな、と思っているだろう。
「どれを押せばいいの?」
 円卓の脇に立ってフォウリーはそうエルフィーネに尋ねた。一応精霊に関係があることなので、彼女の意見を聞いておきたいのだ。
「そうね、”火”がいいんじゃない?もしかしたら”氷”と中和するかも知れないし。」
 彼女はそう言ったがもちろん確信など持っていなかった。ただ何となくそう思っただけである。
「”火”ね。」
 フォウリーはそう呟きながら、火の水晶とおぼしき物を最後まで押し込んだ。
僅かに中央の水晶の光は和らいだが、後は特に何も起こらなかった。塔のこの部屋まで忍び寄っている寒さも和らいだ気配は見えなかった。
「駄目みたいね。やっぱり全部押さないと。」
 フォウリーは首を振ってそう言った。
「よお、ザン。そのバナールさんよ、水晶の戻し方をかいたメモとか持ってねぇのか?」
 ロッキッキーは師の脇に座り込んでいるザンへとそう言った。
今ザンが持っている本を書いてからだいぶ時間が経っているので、もしかしたら、という期待を込めてのことだ。
「分かりました、調べてみます。」
 ザンはそう言って師の体を調べ始めた。その前に小さな声で非礼を詫びて。
だが結局何も見つからなかった。ザンはロッキッキーに対して首を横に振った。
「さあ、みんなもういいわね。
水晶を全部押すわよ。」
 フォウリーはそう言って仲間達を見回した。
「待って。水晶棒を全部押すとその装置壊れるんでしょ?」
 エルフィーネは確認するようにそう言った。
「ええ、そうよ。」
「じゃあさ、私達下で待ってるから、フォウリーも押したら降りてきてよ。」
 エルフィーネは扉の方を示しながらそう言った。
何が起きるが分からないが、何かが起こることは確かなので、彼女としては極力危険を避けたいのだ。
「分かったわ、好きにしていいわよ。」
 彼女と無駄な押し問答をしたくないフォウリーは、内心苦笑しながら頷いた。
「じゃあ、下でね。」
 エルフィーネはそう言うと部屋から出ていった。他の者もフォウリーの方を見ながら螺旋階段へと向かった。
特にザンは師の遺体を担いで、である。
 部屋に誰も居なくなったのを確認したフォウリーは、くるりと円卓の方を向いた。
「まったく‥‥、あれでよく冒険者なんか務まるわね。」
 小声でエルフィーネへの文句を言いながら、彼女は残っていた6本の水晶棒を次々に押し込んでいった。
「はい、おしまい、と。」
 フォウリーが最後の水晶棒を押し込んだとき、その部屋に異変が起こった。突然幾匹もの精霊達が姿を現したのである。
− 何?
 頭が答えを出すよりも早く、体の方が反応していた。すでに剣と鎧は出現していた。
− ‥‥!狂った精霊!!
 そして彼女は目に見えるそれの正体に思い当たった。
エルフィーネからよく聞かされた精霊にそっくりで、しかも精霊使いでない彼女に見えるのなら、答えはそれしかないだろう。どうやら精霊達は水晶に対応しているようで、精霊のいない雷を抜かした、土、風、光、闇、火、水、そして氷の7種が現れていた。
「どじったわね。」
 彼女はそう独語した。
いかに剣の達人であっても、これだけの精霊を相手にすることは不可能であった。
『ぎゃーーー!!』
 狂える精霊達は部屋に1人しかいない敵に対して一斉に攻撃してきた。
いかに彼女といえども防げるものではなかった。しかも何処からか彼女の嫌いな『ライトニング』までが飛んできたのだから。
彼女は2匹のノームを切った時点で力つき、倒れ込んだ。自らに近付く死の足音を薄れる意識の中で聞いた。

 螺旋階段を下りていくエルフィーネらの耳に、フォウリーの怒声と聞き慣れた戦闘音が聞こえてきたのは、最後尾のザンがそろそろ下にたどり着くかという頃であった。
彼女は何事かと言うように大きな耳を動かし、そしてすぐにフォウリーが誰かと戦っている事に思い立った。
そしてそれは他の者達も同様であった。慌ててエルフィーネらは螺旋階段を駆け昇り始めた。
 先頭のエルフィーネが装置のある部屋に飛び込んだとき目に映ったのは、地に倒れているフォウリーの姿と、そして狂える精霊達であった。
『あんた達!精霊界に叩き帰してあげる!!』
 倒れているフォウリーを見て逆上したエルフィーネはそう精霊語で叫んだ。
彼女に気付いた精霊達は邪気に富んだ目を一斉に彼女に向けた。だが、彼女は憶さなかった。
『光の精霊達よ、我が召還に応じよ!!』
 彼女がそう叫ぶと同時に数十の光の玉が、彼女の周りに出現した。彼女の腰の辺りで小さな破裂音が2度続いたが、彼女は気にもとめなかった。
『行きなさい、光の精霊達よ!』
 彼女がそう狂える精霊達の方を示すと、光の玉は一斉に飛び立っていった。多くの精霊が次々とこの世での仮初めの体を失って自分の属する精霊界へと戻っていった。
だが始めから狂える精霊がいたのではなく、精霊達が狂わされたという事に彼女は気付いていなかった。
彼女の召還した光の精霊もまた歪みの影響を受けてしまった。敵に向けて放ったはずの精霊が、彼女へとめがけて飛んできたのである。
「きゃあ?!」
 彼女も幾つかの光の球を受け、がくりと膝を落とした。無理をすれば立っていられたが、彼女は後は仲間達に任せることにした。
エルフィーネはゆっくりと床に倒れ込んだ。
 その後に飛び込んできた仲間達が残った精霊らの相手をするが、やがて円卓の中央にあった水晶棒が激しい閃光を放ちながら砕け散った。そしてそれによって魔法装置はその機能を停止した。
狂った精霊達も彼らを現世に縛り付けていた力が消滅したので、その姿を消していった。
しばらく唖然としたものの、彼らは慌てて倒れている2人の元に駆け寄った。無理をしなかったエルフィーネはともかく、フォウリーの方も何とか無事のようであった。
ロッキッキーの神の奇跡を受け、2人はかなり元気になった。しばらくその部屋で休んだ後、彼らは螺旋階段を下りて行くのであった。

 中庭の一画にバナール師を葬った後、彼らはシアルドを解放した。
ロッキッキーとルーズはシアルドが持っていったバナールの財宝が欲しかったようだが、ザンは別にその様なものは欲しくなかった。シアルドは彼らを口汚く罵った後、その場からかき消えるように姿を消した。
テレポートですよ、とザンはそう呟いた。
魔法の発動体としてリングをどこかに隠し持っていたらしかった。縄で縛られて転がされていたのだから休息もとれたであろう。
 その後フォウリーらはその塔を後にした。
四大を極めんとした魔術師の塔を。森の小道はいまだ雪が積もっていたが、背を焼く日差しは残暑のものであった。
ベレーヌの村に戻る頃には、厳しい残暑が彼らを待っていることだろう‥‥。

              STORY WRITTEN BY
                     Gimlet 1993,1994
                                 1994 加筆修正

                PRESENTED BY
                   group WERE BUNNY

To be continued.....
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