The Story Of Tima

時の女神の物語

 世界の果てには何があるのだろう?
ある者は天までそびえる巨大な壁があるといい、ある者は海が滝となり虚無の世界に落ちているという。
ある者は東西南北に四つの門があり、神に命じられた四匹の聖獣が守っているといい、ある者は辿り着いたものを食らう漆黒の魔獣が住んでいるという。
果てを目指し帰ってきたものはいないという者もいれば、果てには辿り着かずいつのまにか元の港へと辿り着くという者もいる。
しかしそのいずれもが伝聞であり伝説であり噂話であり、夜に子らにせがまれて語る夢物語の域を出なかった。

 だが幼き頃聞かされたこの昔語りに魅了された一人の子供がいた。
やがてその子は夢を秘めたまま大人となり、もともと商才があったのだろうか商人として身を立て、25年の後にはその国でも屈指の商会を営むまでになった。 王室御用達の商人となった男は王との間にも信頼関係を築き、やがて彼の夢を王へと語ったとき、王はたいそう興味を引かれ、船と熟練の船乗りを用意してくれた。 そして男は商会を若き息子に預け、一隻の船に50人の船乗りと、食料と水を満載して港を旅立った。
 航海は順調であった。最後の港を出港したあと、島影一つ見えないことを除いては。何日も何十日も船は東を、世界の果てを求めて大海原の上を疾駆していった。
だがいつまでもいつまでも海と空の他は何も見えず、そろそろ船乗り達に不穏な空気が流れはじめたある日の事。
珍しく朝もやが船の周りを覆っていた。
何度目の味気ない保存食の食事になるのか数えるのも嫌になる朝食を終え、それぞれがそれぞれの持ち場に着こうとしたときのこと。 不意に船の中に絶叫が響き渡った。そう、船乗り達が自らの体に起きつつあった異変に気がついたのだ。
彼らはその世界の主たる創造神の力の及ばなくなる果て−虚無と現実との狭間にあまりに近づきすぎたため、確固たる存在たりえなくなってしまったのだ。
徐々に透き通っていく体を見つめながら気を狂わし呆けた笑みを浮かべて船上をさ迷う者。死の恐怖におびえ海へと身を投げ、荒波に揉まれつつも逃げようともがく者。運命から逃れられぬと悟り、いっそのことと自らの胸に短剣を突き立てる者。
恐怖から逃れる術はさまざまだったが、それでも男はマストにしがみつき、かっと前方を睨み付けていた。 この船の中で彼だけが、まだ前へと進もうとしていた。
だが虚無にだんだんと侵食され、意識が朦朧としていく彼を強烈な睡魔が襲いはじめた。 はじめ男は頬を叩いて睡魔を追い出そうとし、次いでナイフで太股を傷つけ睡魔に抗おうとした。
だが、ついに男は睡魔に抗いきれなくなった。 がっくりと膝を突き、そしてそのまま甲板へと倒れ伏した。
何故かこのまま眠ってしまえば二度と起きることはないと確信しつつ、自らの存在が希薄になっていくような感覚の中で男は夢の世界へと旅立っていった。

 男が目を醒ましたとき、そこは眠りに就いたはずの甲板の上ではなかった。いや、彼が乗っていた船の中ですらなかった。
誰の家だか分からないが、だが彼の屋敷のベッドよりも豪華なベッドに寝かされていて、窓からは春の木漏れ日のような優しい光が部屋の中に射し込んでいた。
そしてなにより船の上でない証拠に見知らぬ一人の少女が自分の顔を覗き込んでいた。
『気がついた?』
 男が目を開けたのを見て、少女はそう尋ねた。
− ここは・・・・?
 男は二度三度首を振り、意識をはっきりさせてから少女へとそう聞いた・・・・つもりだった。
だが果たして彼は気がついただろうか?自分が声を出していないことに。
『ここ?ここは・・・・そうね、あなた達には時の館と呼ばれているわ。』
 少女は少し考えた後、そう答えた。
− あなた達?・・・・・君は・・・・?
 男は少女の尊大な言いように違和感を覚え、戸惑いつつも少女に名を尋ねた。
『私はティマ。この館の主よ。』
 少女は少女らしい悪戯っぽい、しかしそれでいて妙に艶やかな笑み浮かべてそう言った。人はこのような笑みを持つ少女を小悪魔的な、と評するのかもしれない。
− 時の館・・・ティマ・・・・・?
 そう少女の名を呟く男の脳裏に突然ある神話が蘇った。
現在、過去、未来というなの三つ子の娘が織り成す時の糸を用い、歴史という果てしなきタペストリーを織る女神の名を。
− ・・・・ティマ!まさか時の女神?!
 男は思わず半身を起こし、じっと少女のほうを見る。
『そうも呼ばれているわね。』
 少女はあっさりと肯く。  男はここではじめて自分が声を発していないことに気がついた。不思議そうに少女のほうを見やる。
『声に出していないのに、貴方の言いたいことがわかるのが不思議?でも女神たる私にとって、神の創造物たる人間の思考を読むことなど造作も無いことよ。』
 その視線に気がついて、少女は澄ました表情でさらりとそんな事を言ってのける。
男はそれに息を飲み、慌てて考えることを止めようとしたようだ。その仕種があまりに滑稽だったと見え、少女は思わず吹き出した。
『嘘よ。さすがにそんなことしてたらこっちの身が持たないわ。特に人間の男というのはたとえ神だと知っても相手が女性というだけで欲望の対象にしようとするでしょう?そんなのいちいち分かってたら・・・・思わず息の根を止めたくなるし。』
 彼女はそう言って首を絞める仕種をした。だが実際はそんなことをしなくても、念じるだけでそのような不遜な輩など芥と化すことが出来るだろう。
『でもそんなに不思議?もともと言葉だって自分の意志を伝えようとする一つの手段よ。それがここでは声ではないだけ。』
 少女はちょっと小首を傾げてそう呟いた。おそらく今までも何度となくその問いに答えているのだろう。
男は納得したようなしないような曖昧な表情で少女を見るだけであった。
『それにしてもこの館に人間が訪れるのは何十年・・いえ何百年ぶりなのかしら・・・・。』
 これ以上話していても無駄と思ったのかどうなのか、少女は話題を変えるため、少し視線を外し、右の人差し指を口元に当ててそう言った。
− ・・・・・いったい君はいくつなんだ?
 男は至極当然の疑問を口にした。どうしても目に見える少女の姿と口調とのギャップに戸惑いを覚えたからだ。
『ふふ、女性に歳のことを聞くものじゃなくてよ。』
 少女ははぐらかすように笑みを湛え、妙に大人ぶった口調でそう言った。
− あ、ああ済まない。
『でも歳なんて私には無意味なもの。だって私は時を司る女神なんですから。』
 彼女はそう言いつつ多少おどけた仕種で両手を広げ、ついで手を胸の前で重ねあわせた。
『ところで貴方には私はどんな風に見えているのかしらね。』
 少女はまるで宮廷舞踊のようにくるりと一回転し、ぴたと正面を向いて止まった。
 しばしの沈黙の後、男が何か言うのを躊躇しているのを見てとった少女は少し落胆したようだ。
『あ、別にいわなくても良いわ。大体分かるし、それにその姿は貴方にしかそう見えないから無意味だしね。』
 だが強制するようなことはせず、ひらひらと片手を振って少女は首を横に振った。
しかしそれ以降どちらも話し掛けられず、気まずい沈黙のヴェールが2人を包み込んだ。
− 少女・・・・・。何処か妖艶な雰囲気を持つ少女・・・・。
 やがて男は意を決し、沈黙を振り払うかのようにそう彼女へと伝えた。
『・・・・そう』
 少女は片眉だけをぴくりと動かし、ちょっと意外そうな表情で何やら一人肯いた。
『少女、に見えた人は貴方が初めてかしら?あなたそういう倒錯した性癖があるのかしらね?』
 次いでからかい半分の口調で少女はそう口にした。
− そんなことっ!
 男は少し怒気を含んだ感じでそう言った。
『冗談よ』
 男の怒気を少女はあっさりと受け流す。
『私の姿は見るものが感じている残された時。だからここに迷い込んだ人間の目に映る私の姿は、未来への絶望からかたいていは老婆なんだけど・・・・。』
 少女は右手を顎に当て、左手を右腕に載せててそう呟いた。
『でもその勢いならもう起き出しても大丈夫ね。お茶でもいかが?』
 そういうと少女は男の返事もまたずさっさと部屋から出ていってしまった。
− あ、ああ・・・
 男は毒気を抜かれたように肯くと、ベッドから起き出し、慌てて少女の後を追った。
ふと男は思い出したように太股をみると、自ら傷つけたはずの太股も何故か治っていた。

 男が案内されたのは、テラスと思しき場所だった。
テーブルには誰が置いたのかカップが二つとティーポットが一つ、それと手焼きのクッキーが小さなバスケットに山盛り入れられていた。
少女は男に椅子の一つを勧めると、自分も男と対面するように椅子に座った。
『どうぞ。お口にあうといいけど。』
 少女はそう言ってポットの中身を二つのカップへと注ぐ。
カップに満たされた中身を一口飲んだ男はいつも好んで飲んでいた銘柄の紅茶であることに気がついた。湯の温度も彼の好みにあっていて、立ち上る湯気が心地よかった。
だが少女にとっては少し熱かったと見えて、息を吹いて冷ましつつ口をつけていた。
『ところで貴方、どうしてこの館に招かれるような真似をしたの?』
 冷ますのを諦めたのか、カップをテーブルにおいてから少女はそう尋ねた。
− 別に・・・。ただ世界の果てに辿り着きたかった・・・ただそれだけで特に理由があるわけではない。
 男は小さく首を振ってそう言った。
『愚かね。”かつては閉じられた世界”に果てなんて無いわ。あるのはただ虚無の世界との曖昧な境目だけ。』
 少女はそう冷たく言い放つ。
− それならそれでもよかった。ただそれを自分の目で確かめたかった。
 だが男は特に落胆した様子は見せなかった。
果てがどうあっているのか知りたかっただけで、それ以上のものは求めていなかったからだ。 むしろ答えを教えてくれた女神には感謝したいくらいであった。
『それであなた達の船が虚無の世界に紛れ込もうとしたとき、貴方だけがそれでも前に進もうとしたのね。だから母は貴方を私の館に導いた・・・・。』
 少女は何故か納得したようにそう言った。男は果たして気づいただろうか。少女の表情に、好意的な色が混じりはじめたのを。
− 母?
 カップをテーブルへと戻し、男は意外そうな視線を少女へと向けた。まさか女神の口から母などという言葉が出てこようとは。
『あら?それは知らない?』
 両手を組み、その上に顎を乗せじっと男を見て少女は逆にそう尋ねた。
− ・・・貴方はディメスの娘達、と呼ばれている女神の一人。では、母と呼べるのは時空の女神ディメス・・・・?
 男はしばし記憶の海を漂った後、ようやく答えらしき神話に辿り着いた。
宙をさ迷っていた視線を、今度は少女のほうへと移し、そう答えた。
『御明察。』
 少女は何故だか嬉しそうに笑みを見せ、そう答えた。
 お茶とクッキーを潤滑油に2人の話−主に男が自分のことを話したのだが−は弾み、やがてバスケットも空になった頃、不意に少女は男へと尋ねた。
『さて・・・貴方はこれからどうする?』
− えっ?どうするって?
 男は少女の問いの意図をはかりかねた。
『だから、これからよ。望むなら一生をこの館で過ごしてもいいし、帰りたいのなら貴方の世界に帰ってもいいわ。』
− 帰・・・れるのか?
 男は意外そうな表情で、改めてそう問い直した。
『人をどっかの悪魔みたいに言わないでくれる?』
 少女はちょっと怒ったような表情と口調でそう言った。
『・・・もっとも貴方の世界でどれくらいのときが過ぎたのかまでは保証できないけどね。』
 だが男が謝るより早く少女はそう言ってまた小悪魔的な笑みを浮かべた。
− 出来うるならば・・・戻りたい。家族が待っているから。
 しばし考えた後、男はそう言った。
『そう・・・・・残念、貴方となら楽しい日々が送れそうだと思ったのだけど。』
 少女は少し落胆したように息をつき、そう言った。
− えっ?
 男は耳を疑った。
『鈍い人間ね。貴方のことを気に入った、って言ってるのよ。』
 少女らしいはにかみなのか視線を男から外して、そうぶっきらぼうに言いきった。
− 女神が・・・私を?
 それこそ信じられぬといった表情で男はうつむいた少女を見つめた。
『変かしら?女神だって恋もするし、望めば子だって授かることも出来るわ。光の神々でも闇の神々でもそれは同じ。』
 男の言葉と表情に少女は少し気分を害してしまった。少し険しい表情でそう言った後ついと外のほうを向いてしまった。
−申し訳ない・・・・。
 男はそう少女へと伝えたが、少女からの返事はなかった。
しばしの沈黙の後、不意に少女はテーブルに手をつき、椅子から立ちあがった。
『さて・・・・では行きましょうか?』
−えっ?何処に?
 沈黙に耐え切れずに口元に運ぶ途中だったカップを止めて、男は少女へとそう問い直した。
『貴方を元の世界に送るのにここでは無理だから外へ行くの。』
 そういうと少女はすたすたとテラスの端に見える扉のほうへと歩いていく。
『帰るつもりがあるのなら早いほうが良いわ。貴方の世界とこことでは時の流れが1000倍も違うかも知れないし。』
 途中顔だけを男のほうに向け、そういうとまた歩きはじめた。
呆然として少女を目で追っていた男もそれを聞いて慌てて立ちあがり、少女の後を追った。
 少女は男を館の外−中庭らしきところにある祭壇へと連れ出した。
石造りの祭壇はちょっとした舞台程度の広さがあり、床には男には分からなかったが幾何学模様−魔法陣が描かれていた。
少女は男にその中央に立つように、みずからは模様の外へと出た。
− さっきは申し訳なかった。
 男は少女のほうを向くとそう呟いた。
『気にしなくてもいいわ、別に怒ってないから。』
 少女は小さく首を振り、少し思考を整理するかのように地に視線を落とし、やがて小さく肯いて男のほうを見た。
『さて、それじゃあね。もう会うことはないと思うけど。』
 少女はそう言ってすこし寂しそうな表情を見せた。
「さようなら、美しき時の女神殿。貴方にお会いできたことを貴方の母に感謝します。」
 男は真っ直ぐ少女を見ながら、はじめて言葉を声にした。
そう言われて少女は飛び切り嬉しそうな笑顔を見せた。
そして少女が男には聞き取れぬ発音の言葉を発すると、男の体は光に包まれ、やがて時の女神の館から掻き消えた・・・・・。

 世界の果てには何があるのだろう?
ある者は天までそびえる巨大な壁があるといい、ある者は海が滝となり虚無の世界に落ちているという。
ある者は東西南北に四つの門があり、神に命じられた四匹の聖獣が守っているといい、ある者は辿り着いたものを食らう漆黒の魔獣が住んでいるという。
果てを目指し帰ってきたものはいないという者もいれば、果てには辿り着かずいつのまにか元の港へと辿り着くという者もいる。
そしてある者は美しき時の女神の住まう館があるという。
しかしそのいずれもが伝聞であり伝説であり噂話であり、夜に子らにせがまれて語る夢物語の域を出なかった。
だが真実がそこにないとは限らない・・・・。

Fin・・・・

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