没後(安永5年6月2日)の芦東山の著作、書を求める人たちが多かったことは岡千仭(鹿門)の「在臆話記」によっても知られているとおりであるが、義兄である柴桑の子孫の人々によっても収集保存がはかられた。
幕末当時の当主であり、現館長芦文八郎氏の先祖にも当たる柴桑六代目の芦文十郎は、仙台藩における高炉製鉄の嚆矢である文久山の創設者であるが、彼もまた「無刑録」の筆写をしたことで知られている。
東山の著作をまとめた「玩易齋遺稿」は文十郎の孫に当たる芦祥平(伊勢堂初代。渋民村村長も務めた。)が仙台の岡台輔、鈴木省三らに依頼して編纂したものである。そして現在の記念館の基を築いたのがこの祥平である。祥平の後をついだのは釜石田(文十郎の弟、幸三郎に始る。)から養子に入った育平である。東山の顕彰活動と著作物の収集保存、研究者・見学者への応接案内などにこの二人が尽くしたことは諸氏の著されたものにあるとおりである。さらにその後をついだのが現館長の芦文八郎氏であるが、育平没後、当時東京在住であった文八郎氏に代わって、所蔵物の保存に意を計ったのは芦文八郎氏の姉である芦敦子氏である。
芦東山先生記念館は昭和57年(1982)8月1日、芦文八郎氏によって自宅を開放して開設された。祥平から三代の芦家の人々によって収集保存されてきた、「玩易齋遺稿」、「東山自筆日記」をはじめとする著作物、書、著作原稿、書簡、来訪した諸氏の著作などが展示されている。 砂鉄川を見下ろす丘の中腹にある記念館の庭内には文久山跡から発掘された鉄滓、煉瓦などもあり、また明治初年に廃寺から移された石碑などもある。敷地内には渋民在住当時の師であった桃井素忠の墓、祖父岩淵作左衛門(浄岩白栄)の墓碑(廃寺となった観音寺にあったもの。昭和7年に芦育平によって移された)、白栄の隠居所であった鞠水庵跡などもある。なお記念館の建物は、幕末時の仙台藩主、伊達慶邦の領内視察用に建てられたもの。近在の農民の寄進によったものであり、仙台一本杉にあった伊達家別邸を模したものという。建築史上にも興味深いものがあるように見えるが、まったく調査がなされていないという。
芦東山記念館館長芦文八郎さん(左)と
「芦東山日記」編者の神奈川大学橘川俊忠教授
芦東山先生記念館庭園の一部
芦東山先生記念館庭園の一部
芦東山先生記念館外観
【所在地】029-0521
岩手県東磐井郡大東町渋民字伊勢堂71
電話&FAX 0191-75-4303
【設置者】芦文八郎
【設置年月日】1982年8月1日
【施設の代表者】館長 芦文八郎
【沿 革】主著「無刑録」は東洋唯一の刑事宝典と呼ばれ、
またその思想は東北が誇る世界的文化と賞賛され
ながら、芦東山の名を知る人は必ずしも多くはな
い。この隠れた東山の学問と思想を世に顕彰すべ
く、父祖年来の遺志を継ぎ、記念館の開設を行っ
たもので、いわば手作りの記念館である。
【施設の概要】敷地面積 3、000F。
建築面積 150F。
記念館は仙台藩主伊達慶邦楽山公の宿泊所として
建てられた由緒ある建造物である。館の近くには
東山生家、幼少時の学問所などゆかりの地も多
い。庭園の熊谷草、冬の花わらびなど山草の群落
も珍しい。
【収蔵資料】東山関係資料(県指定原本「無刑録」、自筆日
記、玩易斎遺稿等)。
桃井素忠遺品遺著。芦家大肝入等資料。
幕末来訪者諸儒資料。文久山(仙台藩高炉の嚆
矢)の資料・遺物。
【事 業】東山関係資料の収集・保存・展示等の活動。
文久山資料の収集と展示。
研究活動(研究出版物刊行・講演等)
東山遺著の出版刊行。
【利用案内】開館時間 9時〜16時
(できるだけ事前の電話を)
休館日 1月〜3月閉館
団体・研究者の方には期間(時間)外でも可。
入館料 無料
【交通案内】JR大船渡線 摺沢駅下車
タクシー(約10分)摺沢駅北方約5.5キロ。
(「岩手の博物館漫歩」より抜粋)
記念館内部
芦東山日記原本
記念館入り口にあるさいかちの木
文久山高炉遺物
1998.3.8.
2000.9.6.
2001.2.4.
2001.2.14.
2001.2.27.更新。