新世紀エヴァンゲリオン

まずはなんといってもこれ(笑)
一大ブームを巻き起こし、25、26話で思い切り物議を醸したアニメ。放映後半年も経てば忘れ去られてしまう作品群が多いなかで (特にTV東京系、この前エヴァと同時期にやっていたアニメ作品を思い出すのにえらく時間かかった。いやほんと、それくらい印象が薄い) 未だにアニメ誌に特集され続けている。
まあ特集すれば売れるってのもあるんだろうけどね。まともに作品として終わったらここまで騒がれなかったんだろーか。
とするとすげー悪い前例作った事になるけど、ことエヴァに関してはアニメ制作サイドやアニメ雑誌は多大な迷惑を被ったようだからマネするヤツはいないだろうね。
PDは左遷されるし、エヴァに関わった人たちはどんどん病気になってるって話も聞くし。
エヴァ終了直後のアニメ誌の反応って面白かったよね。
ニュータイプなんか思いっきり擁護体制にはいってた。スポンサーだったもんね。
記事読むとどうもああいう最終回になるってことを知っていたフシがあって予防線張ってる。
アニメ誌どころかエヴァ現象に関してはアニメ誌以外でも特集されるという騒がれよう。
エヴァは始めは確かに面白かった、次々と提示される謎、かっこいい映像、ある種の胡散臭さを感じさせながらも毎週水曜日が楽しみだったのは間違いない。
しかしその面白さは、きっと最後にはこれらの謎や伏線が収束し、どのように解明されるのか、という期待の上にあったんである。
物語終盤、いっこうに解明されず、さらに謎がばらまかれ、ついに19話の初号機の覚醒以降もストーリーは進展を見せず、再生・復活という経験を経てなお変革を見せないシンジくんにこれはダメだと感じ始めた。
エヴァには物語も作品性もなく、ただ見せ方の巧さという庵野監督の「技術」があるだけ。
でもこれは評価出来ると思うよ。実際スゴイと思うもの、庵野さんの演出技術は。エヴァの後、そのマネをよく見かけるけど稚拙だもんね。
はっきり言えば、「どこかで見た映像」のオンパレードなんだよね。そういう意味では「トップをねらえ」となんら変わるところはない。
元アニメファンを引き戻したってのはその「どこかで見た映像」ってのいうのが、見てる側の記憶を呼び起こし琴線に触れた、って事なんだろうと思う。
「トップをねらえ」の方がちゃんとまとめただけいいんじゃないかな。ただあれはビデオ作品だったから元アニメファンの目には触れにくかったんだね。
そういうことを考えるとやはりTVの影響力ってのはスゴイ。
この春、新作「シト新生」が映画公開されるエヴァンゲリオン、見切り発車して発注したCGが総ボツになりそうだとか、
まだ脚本もできてないとかウワサされているが、私としては、作品そのものより、それを見る人の反応の方に興味があったりする。
それを見るだけでも劇場に足運ぼうかと思ってる位である(笑)
公開初日ってやっぱ徹夜組でるんだろうな。
エヴァ現象っていうか、1枚目のLDが即日完売状態で、テレカ付の前売り券に徹夜組が出たっていうのは、現象としてはヤマトの時に似ている気がするけど、 内容は全然違うよね。
ちなみに前売り券付CDももう売り切れてた。
ヤマトのときは商売が後からついてきてたと思う。アニメがおもちゃやスポンサーの商品以外のもので儲かるなんて思ってなかった時代だと思うから。
今は商売の方が先導しちゃってる。みんな踊らされてるんだよね。
いま、アニメ業界ってバブルだと思う。アニメ業界って言うよりはアニメ周辺業界かな。いまアニメで一番儲けてるって のはレコード会社とか、キャラクター商品関係だよね。
このバブル、もうすぐ弾けちゃうんじゃないかと密かに危惧してる。
で、このバブルが弾けた時はきっと一番被害を被るのはこのバブルの恩恵を受けていない制作現場なんだろうね。

エヴァでの私のお気に入りキャラクターは冬月コウゾウ副司令だったりする。
ところで、業界ではエヴァとは言わずにエヴァンと言ってるのかな?
1/1綾波レイを買った人の話
去年の冬コミ(コミケ51)での話。1日目にお邪魔していたサークルの友人の上司がなんとあの1/1綾波を買ったというのだ。
聞くとその上司、特にアニメファンというわけでもエヴァファンという訳でもない。エヴァも全話見ていない。
ただ単なるモデラーなのだそうだ。ガレージキットという存在もよく知らなかったらしい。
それがある日、ワンフェスに出かけ(それも開場少し前に行けばすぐ入れるものだと思っていたところが結構並んでいて
ショックを受けたらしい)、で会場では、オタクという人種を初めて見てかなりのカルチャーショックを受けたのだそーだ。
で、1/1綾波である。それが限定品という事を聞いた彼は「これは買わねばなるまい!」と即その場で買ってしまったのだそーだ。
会場の雰囲気に呑まれたってのもあるだろうけど、どうやら限定品という言葉にコレクター魂を揺さぶられたらしい。
しかし30万(だっけ?)もする商品を良くその場で買ったよなあという疑問に、カープラモのヴィンテージものならそれくらいする のであまり高いとは思わなかったとのこと。
まあ、1/1綾波を買った人の中にはこういう人もいましたってことで。

やっぱり間に合わなかった! 「シト新生」  1997.2.15
2/14、エヴァ劇場版の製作状況と公開方式についての記者会見があり、3/15公開は変わらないものの、 新作となる『Rebirth』は、「第1部・完」という形で公開、夏に完結編として『Rebirth2』が公開されるという形となった。
やっぱり、というかなんというか製作が間に合わなかったようである。
しかも、夏公開の『Rebirth2』は、『Rebirth』に40分以上の新しい映像を加えて70分くらいの作品ってことだから 単純に計算して30分くらいしか完成していなかったことになる(笑)。
内容としては、セカンドインパクトの真実、使徒の正体、ボロボロになったアスカが復活するかどうか?というものらしいが ウワサ聞いてるとどーも暗鬱なものになりそうな感じである。
なにしろ初っ端からアスカのヌードみてオナニーするシンちゃんという絵らしーし(--;) イイノカ?
庵野監督も精神的に追いつめられているという状況らしい。
とりあえず、夏公開の分は春公開の未使用券で見れるということなのだけど、なんだかなぁ。
TVの25、26話の時、作り直すんなら無償で配布すべきなんじゃぁないのと思ったけど、それと同じで、 未完成品公開してそのあと完成品作って公開するなら、未完成品見に行ったひとには無償で見せるべきだよね〜 と思うんだけどどうだろうか。
まあアイテム目当てで前売券買った人には無駄にならなくていいかも。
さてさて、気になるのはこのことを知ったエヴァファンの動向である。おとなしく静観してくれればいいが、 暴動でも起こさなきゃいいけど、と少しばかり心配である。

そんなことが起こった場合にはアニメ界全般の存亡を賭けた問題になるのでは、という気もしないではない。 ま、杞憂に終わればそれにこしたことはないけどね。

エヴァンゲリオン劇場版・シト新生  1997.3.16

行って来ました、DEATH&REBIRTH。場所は大阪・梅田のピカデリー1(10F)、エレベータに乗ったら5Fで降ろされ、おおこれはひょっとして並んでいるのか〜と思ったら一時的な列ですんなり劇場に入れてしまいました。
劇場の入りとしては、最初空席が結構あったものの徐々に埋まってほぼ満席状態に。
他の人がこの映画にどういうものを期待しているのか耳をそばだててみたがあまり聞こえてこず。
ということで上映開始。
あははははは〜 このスピード感、ギャグの応酬、贅沢な声優陣、メンフィス様サイコー、さすが大地丙太郎さん(^^)ってこりゃ魔法学園LUNARでした(笑)。
ちなみに私のお友だちリンクのニンジャマスターこと増谷康紀さんも出演してます(^^)、校長で。
それでは本題、まずは「DEATH」
いやぁ、噂に違わず、ゴイスなキチガイ映画でしたね〜。いっちゃってますよ、完全に。
あたしなんか頭カラッポになっちゃってなんも印象に残ってないですよ、この映画(笑)
総集編としての位置づけだと思ったら、全然そういうことは意識してない構成だった。
エヴァ全話(少なくとも24話まで)見てないとわかりません。
ストーリーも脈絡もへったくれもなくて、本当に適当にシーン抜き出してシャッフルしてつないでるって感じ。
まあ一応はキャラごとの見せ場を再構成してるんだけど、その編集の仕方がもう「キ○ガイ」である。
なんかしつこいぐらい文字が溢れるのも、いっちゃってるってカンジ。
初めて見る人のこと全然考えてない。私の前に座っていた人(子供に連れてこられた親だと思うが)なんか寝てたぞ。
謎の解明という点でも、冒頭、セカンドインパクトの描写があるのだが、そこでの真実はセリフのみで、しかもわざと聞き取りにくくしてある。万事その調子で、セリフのなかに紛れ込ませてあるだけなのだ。
でもって妙にアスカに比重が偏ってる。そか、これって庵野監督のアスカちゃんスキスキ、好きだから汚したい映画、だったのかぁ!
庵野監督のキ○ガイぶりを楽しむのならいいかもしれない(笑)
そして「REBIRTH」
DEATHのエンドロールに引き続いて始まるREBIRTH、こちらもフィーチャーされているのはシンジではなくアスカである。
アスカの裸をみて思わず自慰しちゃうシンジ。モニター(監視)されてるんだぜ、この病室。
「オレって最低だ。」 本当に。しかもシンジ君の見せ場ってここだけなんだもんね。
アスカの復活も唐突ならリツコが裏切られたはずのゲンドウにあっさり協力するのもよくわからない。
心理描写が浅いんだよね。もっともらしいセリフの羅列だけで、中身が無いんだよね。
で、MAGIのオリジナルとエヴァ、アダムの接収をするためにNERVに攻撃を仕掛ける軍隊、このNERV vs 軍隊(戦自)の描写が凄まじい。もう大虐殺である。
殺すわ、殺すわ、抵抗しようが、逃げようが、投降しようが、恋人?の遺体を引きずってようが、無抵抗だろうがお構いなしである。
しかし、「何故」、戦自の連中がそこまでするのか?という理由や状況や感情描写が欠落しているため臨場感が薄い。
軍隊や戦闘(白兵戦の)シーンの緊張感という点に関してはパトレイバーの映画版や攻殻機動隊の押井演出のほうが上である。
一般民間人の射殺許可まで出る理由がどこにあるのか?というのを明確にしてくれないと観てる側としては納得できないし、
緊迫感の薄さとか非常に凄惨なシーンなのに嫌悪感がわいてこないというのはそれが一因だろうと思う。
そしてアスカの復活だが、「死にたくない」ってつぶやくだけで復活できるんだよね〜(^^:)。
やはり何故死にたくないのかという理由付けが欠落してしまっているのだ。
でも弐号機vsUNの戦闘シーンはカッコイイ。弐号機のかかと落としとか回し蹴りとか、振り上げた腕に発生させたATフィールドで爆撃機(戦闘ヘリだったかな?)を薙払うシーンとかはヨイ。
しかし、だ。ゼーレの送り込んだ量産型エヴァに一斉にエントリープラグが挿入され次々に投下、そして翼を広げた量産型エヴァがむき出しになったNERV本部の上空を旋回、唖然と見上げるアスカ、と盛り上がってきたところで「」なのだ!
「完」だよ、「完」。おいおい、「予告編」とか「つづく」にしとけよ、と思ったのはきっと私だけではあるまい。
 
ところで、観客の反応だが、おおむね静かだった。尻切れトンボに終わった「REBIRTH」で、怒りの声があがったりとか、「金返せ」コールが起きたりとか、暴れ出したりとかスクリーンに火つけたりするやつとか出るんじゃないかとか期待してたのだけどなぁ(笑)
ま、劇場を出ていく人たちの顔に一様に不満の表情があったよーな気はするのだが(笑)
「並んで観た価値なし!」といってた女の子もいたね。
それでもエヴァグッズを買う列はできてたりする。最近のアニメファン気質ってよくわからない。
 
というわけで観客ウォッチングとしてはあんまり面白いネタを拾ってこれなかったのが残念なのだが、ひとつ忠告しておく。
エヴァを観ていない友達を連れてきてはいけない。友達なくすか、自分の評価おとすよ。
決して一般人に奨められる映画ではないことは断言できる。
しかし、こんな映画でも「良かった」「面白かった」って人がいるんだから、やっぱ世の中広いものである(笑)。


ハーメルンのバイオリン弾き

これは、今一番面白いと思っている作品。そういう人少ないだろうけど。
とりあえずスフォルツェンド編が終わったところで一区切りして、今はスラー編に入ったところです。
動画枚数は少ないわ、放映時間は悪いわ、おまけに打ち切りが決まってしまうという不遇なアニメ(:_;)なんだけど
なんていうか、SMJやナデシコやサミーのようなワタシ的にどーしよーもないアニメ(まあそれにはそれなりの楽しみ方があることは否定しないけど)に比べてきっちり真正面からドラマとして作ってるって姿勢が好感もてます。
止め絵が多いため、絵のクオリティは無茶苦茶高いです。室井ふみえさんの描くハーメルなんてすごくイロっぽくて困っちゃいます(^^;)
でも口パクはちゃんとやって欲しいなぁ。だってしゃべってんだかモノローグなんだかわかんなくなっちゃうことあるもの。
原作のギャグの部分をすっぱりと見事なくらい取り払ってシリアス一辺倒、時々息抜きにギャグが欲しい〜っと思うこともままありますが(最初の方はあったのにね。金集めるのに魔曲使っちゃうハーメルとか、ペットお断りのレストランに入れないで 嘆くオーボウとか、フルートの水浴び見て鼻血出しちゃうライエルとか)、ヘタにギャグ入れると今まで築き上げてきた世界が壊れるかもなぁ、と思うし、いつギャグが入るのか!?つー緊張感を楽しむべきなのかな、とか思ったりして(笑)
まあ、今川泰宏さん(今回は脚本、演出はやってない、一回ぐらいやって欲しいですねえ)といえば、原作や、元になった世界観をぶち破り、粉砕して再構成し(それでも原作のエッセンスはちゃんと残しているとこはサスガ)今川ワールドを作り上げて 魅せてくれるという点ではピカイチな人です。あのガンダムですら今川ワールドに変貌させてしまうんですから。
そしてオヤジキャラと男同士の熱い闘いを描かせたらもうスゴイのなんのって。でも男女の関係描くのは上手くないけど(^^;)
ってことで、いい味だしてるのはパーカスですねえ。お気に入りかな?
シターン王なんかも得意キャラだと思う。
それにしても飯塚雅弓さんはヘタだぞ(^^;) 最初はそう思わなかったんだけど、回が進むにつれ、ヘタだというのがわかってきた(笑)。小島朋子さんもあんまり上手くないぞ(笑) ギータの松山鷹志さんは腹に一物ありそうなしゃべり方がイイですね〜。
サイザーの緒方恵美もいいですねえ。蔵馬とはるかをやってたころは演技がおんなじとか文句言ってた記憶がありますが、うまくなってます。え、はるかとサイザーも似てるって? そーかもしれない(笑) まあ相変わらず似たような役多いですけど。
あとは音楽が素晴らしい、音楽に金かけすぎて動画に回せる予算が無いんじゃないかとか言われてますが、この作品はやっぱ音楽をおろそかにしては成り立たない作品、しかもマンガ(原作)では表現できない部分であるだけにそこに力を入れるのは 当然でしょうね。CDドラマの方は聞いてないんで「音楽」の位置づけがどうなっているのかよくわかんないですが。
あれだけ原作と違うと反発ってのはあると思うけどどうなのかな、実際のところ。って私は原作4巻までしか読んでないんだけどね。
まあ、評価は全話終わってからまた再度しましょう。


ER(緊急救命室)   1997.2.4

BS2で4月から放映されていた海外ドラマ。去年の暮れにぶっ続けで第一シーズンの25話放送もしていました。
「ER」とは emergency room の略。シカゴのとある病院の救急外来を舞台にした医師たちの生命に取り組む姿を描いたドラマです。
企画・原案 マイケル・クライトン、スピルバーグのアンブリン・プロ制作という豪華スタッフ。
あの「シャベリタランティーノ」のタランティーノも監督やってたりします。
第一シーズンは一言でいうと「がんばれカーター君」なんですけどね(笑)。
医療現場のリアルさは言うに及ばす、あのスピード感(慣れないとついてくのが大変かも)、ちりばめられた人間模様、 社会問題等を、ある時はユーモア混じりで、あるときはシビアに描いています。
5話の「心臓提供者を探せ」なんて辛かったです。救急外来に運び込まれたり、訪れる人々全てにそれぞれの人生が、 ドラマがあるというのをその一部分だけを見せることで感じさせてくれます。
チーフ・レジデントのマーク・グリーン、外科医レジデントのピーター・ベントン、同じくレジテントのスーザン・ルイス、 小児科のダグ・ロス、婦長のキャロル・ハサウェイ、メディカル・スチューデントのジョン・カーター、を中心に医師と患者、 医療スタッフあるいは家族との関わりを通してストーリーが展開されていきます。
彼ら医師や看護婦だって完璧な(理想的な)人間じゃなくて、グリーン先生は離婚の危機を抱えているし、スーザンは 無責任で我儘な未婚の母の姉クローイを抱えているし、ベントンは痴呆症の母親を在宅で姉に介護させているため家族との 軋轢が絶えないし、ロスは女性関係にはだらしがなく、キャロルはロスとの関係が上手く行かず自殺未遂を図ったり、など 様々な苦悩を抱えつつ、ERで日々「生命」を救うために頑張っています。
Dr.ロスなんか私生活だらしないくせに、転落事故の子供が実は父親に2階の窓から蹴り落とされたという事実を 知ったとたんに父親ぶん殴っちゃう、そのへんのギャップっていうのが、「生命」に対する思いの真摯さを際だたせていますね。
「生命」に対する考え方っていうか、根底にあるものは手塚治虫の「ブラックジャック」とも共通してるのではないかと思います。
ですから「ブラックジャック」読んでなんか感じた事のある人は、必見して欲しいと思います。
スゴイです。面白いです。アメリカの質の高いドラマってほんと凄いですよねえ。日本の医療ドラマなんてヘナチョコです。 足元にも及ばないです。
スタトレなんか見てても思うけど、ああいうのは絶対日本では作れないだろうなぁ、と。
2/7からビデオがリリースされるので機会があれば是非一見してください。
4月からBS2で第2シーズンの放映も始まります。
BSでやらずに地上波でゴールデンタイムに放映してくれれば、もっと沢山の人に見て貰えるのに・・・・。
ってな事を言っていたら、なんと、4月からNHK総合で土曜PM9時から1stシーズンの放映が決定! したそうだ。これはもうみるっきゃないぞ(^^)

コミックストリートの終幕  1997.3.3


勇者王ガオガイガー  1997.4.6

今年一押しのアニメはこれだ!と思ってガイくんのファンページまで作っちゃったけど、ガイくん中心に見ていくといろいろ気になる点も出てきたのでちょっと書きます。
前評判も結構高かったし、1話のビジュアルもエスカフローネで培ったCG表現を使いなかなか凄い絵を見せてくれました。
ただやはりというかなんというかエヴァに似ているという意見も多いようです。確かにエヴァを参考にしてはいるでしょう。
でも、そのエヴァもホントのこと言えばパクリの寄せ集めです。庵野監督の作り方というのが徹底した「模倣」だからです。
庵野さんの手法というのは、あるシーンを作るとき資料としてたくさんのビデオを見、必要なシーンのタイミングを頭に叩き込んでから描き始めるという手法なのですね。だから絵としては凄いものができるけれども、内容としては・・・ということになってしまうわけです。別にパクリが全て悪いことだというわけでは無いですけど。
 話を元に戻して、私はガオガイガーを見ていてダ・ガーンと同じ時のような「もどかしさ」を感じました。
「見ていてなにかすっきりしない」、「振っておいて、おとさない」という感じです。
ダ・ガーンの場合は終わりに近づくにつれ全ての事柄が見事に収束していき、カタルシスを感じることができたので、これは良い兆候なのかなという気もしますけど。
ストーリーの都合上、興味を引くために明かさない謎(伏線)と言うのもあるでしょうから。
ひとつ気になるのは、視点がどこかということです。護くんと、ガイが普段は分断されているため、視点が一定していないのです。
ガイと護のつながりはゾンダーとの戦いの時にしか無いのですね(いままでは)
そのため護くんを取り巻くクラスメートの役回りが不明瞭で何のためにいるのかわからないのです。
キャラクターの「薄さ」というのは一人一人にスポットを当てると見えてきます。
GGGの描写や謎の設定で手一杯て感じです。もしかしたらキャラクターの掘り下げはこれからやってくれるのかもしれませんが。
(まだ10話だし・・・(笑))
今のままだとガイくん、単なるガオガイガーのパーツだもんね(;_;)
「勇者」の定義もちゃんとやって欲しいなぁ。大河長官の「勇者だからだ」というセリフも、ガイがあらゆる困難を自らの知恵と勇気で乗り越えてこそ生きてくると思うんだけど。「勇者」といわれる限り、その「勇者」であることをきちっと具現しなきゃなんないんだよ。今までのガイくんてほとんど力押しか、GGGで立てられたプラン通りにしか動いてないんだもんねぇ。
その点で平野靖士さんが書いた2本、「逃亡者ゾンダー」と、「太陽が消える日」は前者がガイが元宇宙飛行士だったという点を
生かし、その知識と行動でゾンダーに立ち向かい、後者では連絡不能になった後、自分で考え的確な指示と行動をとり捕らわれた気球を救出したガイくんなら「それでこそ勇者だ」というセリフにふさわしいでしょう。
でも平野さん、この2本しか書いた後書いてないんですよね〜(;_;) 
 
勇者シリーズ初期3作のスピリッツは受けつないでいないものの、今では数少ない正統派ロボットアニメとして期待しています。

ウルトラマンティガ 「ゼルダポイントの攻防」  1997.4.22
 
4/12に放映された「ゼルダポイントの攻防」、思いっきり私のツボを押されてしまった!話でした。
ストーリーとしては割とよくあるパターンの話だし、アラも多いのですが、もうシーラが健気で健気で。
こういう自分のことなど省みずただ純粋に誰かのために、誰かの想いを成し遂げるために一途に頑張る健気な存在っていうのに無苦茶弱いのよね。
も一つのポイントはシーラが白オカメインコの怪獣だということ(笑)。いやうちにも白オカメがいるものだから・・・(^^;)
ちゃんと頬が赤いんだよ、この怪獣(^^)
ストーリーを簡単に説明すると、凄まじい破壊力を持つゼルダガスの保管庫・セルダポイントに事故がおきゼルダガス漏洩の危険が発生し、そして怪鳥がゼルダポイントに向かったという報告にGUTSは怪鳥を迎え撃ち何とかこれを撃退する。
ゼルダガスは10年前根津博士が偶然に生み出してしまった物質でそのあまりの危険性から学会で拒絶され、根津博士は学会から追放されてしまったのだ。
さらに根津博士が自宅へ持ち帰っていたゼルダガスのサンプルがアクシデントで洩れ爆発し、一人娘のあさみを失ってしまう。
シーラはあさみが可愛がっていた青い目のオカメインコだった。怪鳥がシーラであることを知った根津はGUTSにシーラを止めてくれと言い残す。根津も不治の病に冒されながらこの10年間ゼルダガスの無害化の研究を細々と続けていたのだった。
シーラは再びゼルダポイントを目指す。迎え撃つGUTSとティガ、ゼルダガスを持ち出そうとした根津の前にシーラが立ち塞がる。しかしシーラはゼルダガスを飲み込んでしまう。シーラも根津と同じようにゼルダガスをこの世から無くし、根津の過ちを償おうとしていたのだった。
力尽き絶命した根津の前でシーラは悲しげな声を上げ飛び立とうとするが、もうそんな力は残ってはいなかった。
GUTSはそんなシーラの最後の望みを叶え宇宙へと運ぶ。シーラに根津の魂が同化したそのときシーラの姿は美しい鳳凰となり宇宙の深淵へと消えて行った。その背にあさみを乗せて。根津とあさみとシーラはやっと一緒になれたのだった・・・。
で、シーラがどれくらい健気かっていうと、ゼルダガスの保管庫に異変が起きたことを知って北海道から飛んでくるところが健気、迎撃するGUTSに目もくれようともせず目的地に向かおうとする姿が健気、撃墜され浅間山の火口で(しかし怪鳥というと何故みんな火山なのだろう)あさみとの楽しい日々、そしてあの悲惨な爆発事故を思い出して涙を流す姿が健気、根津博士の命の火がもう後僅かで燃え尽きようというのを知って傷ついた体で再びゼルダポイントに向かう姿が健気、ティガと戦いつつも(このときティガは依代のダイゴが負傷しているため力を出し切れない)血を吐きながらあくまでゼルダポイントを目指す姿が健気、そして剥き出しになったゼルダポイントから根津博士がゼルダガスを安全なところへ持ち出そうとする前に立ちはだかり口を開けて促す姿が健気(ここでやっとシーラの真意を全員が知ることになる)、絶命した根津博士を前に悲しげに鳴く姿が健気、そして瀕死の体で飛び立とうとする姿が健気なのぉ。
うーん泣けるなぁ。
しかし、描写不足な点があちこちに見受けられ、何故シーラが怪獣化したのか、10年も経ってから出現したのか(まあこれは余命幾ばくもない根津博士とシンクロした、あるいは願望が具現化したとも考えられるけど)、なんであんな危険なゼルダガスのサンプルを持ち帰って無造作に置いていたのか、ゼルダポイントのゼルダガスの保管がぞんざい過ぎるぞとか、オカメインコはあんな風には鳴かないぞとか、目は青くないぞとか、何しに出てきたティガ(^^;)とかいろいろありますが、ゼルダガスを飲み込むシーラあたりからもううるうるものです(;_;)。
でも「生きていればきっとなにかできることがあります」ってメッセージもあんましストーリーと脈絡ないような。
シーラが醜い怪獣から美しい鳳凰へとメタモルフォーゼする映像は綺麗です。この鳳凰もちゃんとホッペが赤いの〜(^^)。

で、何が言いたいかつーと、ドンぴしゃとツボにはまってしまった部分さえあれば、他の不備な点なんて霞んでしまう(いや、気にならないってことではないけどね・・)という、人間ていい加減なものじゃのう、ということだったりして。てなんか違う(笑)

激走戦隊カーレンジャーVS超力戦隊オーレンジャー


ER 「クリスマスの贈り物」

日本でも脳死を前提とした臓器移植法案が通った直後にタイミング良く脳死の患者からの臓器提供という話でした。
と言ってもERというドラマの特徴上、たくさん散りばめられたエピソードの中の一つなのですが。
ERに運び込まれた一人の男性、スノーモ−ビルで転倒、右脳に出血、脳ヘルニアを起こしてすでに脳死状態、免許証には臓器提供を承諾するドナーカードがあったものの、家族が見つからず、家族の承諾が得られない。
ベントンは先走りして、移植チームを呼び出すが、駆けつけた夫人は、臓器提供を拒否する。
当然のことながら強要はできず、窮地に立たされるベントン。このままでは呼び寄せた移植チームはもちろん、移植を祈るような気持ちで待っている人たちを裏切り失望させてしまう。
グリーンの説得に、彼女はもう彼とは別居して一年、5ヶ月も口をきいていなかった、それが昨日電話をかけてきてクリスマスに会おうと言ったのに、断ってしまった、もう一度話したい、愛していると伝えたいと話すのだった。
結局彼女は夫の遺志に従い承諾書にサインする。
摘出されシンシナティへ向かう心臓に看護婦がつけたクリスマスのリボン。
そう、それは向こうで移植を待っている患者にはまたとない命のクリスマスプレゼント……。
そういえば、第5話「心臓提供者を探せ!」では、心臓移植しか助かる道が無い患者に、グリーンやベントンが心臓を探し回り、脳死患者の青年がいたものの、やはり家族が見つからず承諾を得られず、結局心臓は見つからないままその患者は死んでいく、という話がありましたね。
しかしやはり脳死が確認されればすでに「死」なのだという概念は定着しているようで、脳死が確認されれば、治療を臓器提供の為の維持に切り替える、心室細動をカウンターショックで洞調律に戻したときの「死人を蘇らせたぞ!」の発言に現れています。
ベントンが臓器が摘出された遺体をステープルではなく絹糸で縫合するところ、提供者やその奥さんに対する敬意が感じられて良かったです。
脳死は私は認めてるので(脳死患者って何人か見てきたし)、非常に納得のいく話ではあったのですが、他の人がこのエピソードを見てどういう感想を持ったのか知りたいところです。
どーでもいいけど、番組内のクリスマスムードにのまれて、クリスマス気分になり思わずクリスマスソングのCDをかけたくなりました。
アメリカのクリスマスってホント特別なイベントなんですね。
国立腎臓基金はこの脚本を書いたニール・ベアーに1995年度社会奉仕賞を与えています。
ちょっと話は変わりますが「ERガイドブック」に時にはドラマを盛り上げるために、医学面でのリアリティが曲げられる場合がある。
脚本家がドラマチックに書きたがる話の中には本気で怒りたくなる代物もあるが、それでも脚本家はドラマチックに書きたがる、しかし『こんな場面はあり得ない、実に馬鹿げている』『ああ、でもこれはインパクトのあるすごい場面だという。こいつを使わない手はないぞ。』というジレンマがあるという意味の文を読んで、リアリティ(作品世界における)ってことを少し考えて見たいので次回に。

エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを君に 1997.7.21
 
春見たときはもうどうでもいいとか思っていた完結編ですが、とりあえず話のネタに見に行きました。
本題に入る前に、以前書いたDEATH、監督は庵野さんではなく摩砂雪さんでした。そして、DEATHはあれで良かったのではないかと考えています。あの時期、一般のマスコミがエヴァ現象やエヴァを取り上げたため、一般へのアピールという視点から見たのですが、最初っからそんなことは考えていなかったのですね。あくまでもエヴァを見ていた人たちに対して作られていたようです。そういう作り方の是非はさておいてですが。エヴァをしゃぶりつくした人たちに対してはああいう作り方で良かったのではないかと思い直したのです。
さて本題、今回も梅田ピカデリー1(10F)で見てきました。列は3Fまで伸びていました。年齢層はその前日見に行った「もののけ姫」よりは確実に高い。今回エヴァは春ほど騒がれていなかったので、沈静化したのかと思ってたらエヴァ熱は相変わらずだったようです。
でも座って見れたけど。
今回の劇場版はTVの24話に続く25話「Air」と26話「まごころを君に」という構成でこれまた、エヴァを知らない人間は排除した作品になっていますがこれは仕方のないことでしょう。映画として作った訳じゃないんですから。
しかし、タイトル始まるまでの協賛の映像がくどい。執念か(^^;)? 挙げ句の果てにくるくる回る映倫(笑)。
見終わった正直な感想は「スゴイよー、こんなの作って、人に見せてもいいのかー」「気持ち悪い」「ああ、終わった」と言うところです。カタルシスもなく納得も感動も怒りもしていないけど、終息感だけはある。それなりの決着と説明はされていたという気はするから。その整合性はともかくね。
まあエヴァ自体に対してもう醒めていたってのはあると思うんですけど。でも庵野監督の自慰を見せられたという気もしてるけどね。
「Air」は春のREBIRTHを少し手直ししたもの。エンドロールが綺麗でしたね。DNA螺旋を模している(さすがに二重螺旋じゃないけど)ものでした。
最終話「まごころを君に」は、「Air」の流れで行くとシンちゃんも復活してゼーレと戦自やっつけて大活劇になるのかと思ったら展開は意外な(?)方向へとばく進していったという感じですね。でもやってることはTVの26話と同じですねえ。しかしアスカの扱いは惨いというか、これってみやむ〜、トラウマになるんじゃないかとか思っちゃう程の描かれ方である。シンちゃんは相変わらず最後までぐにょぐにょの軟体生物だったし。ミサトだけか、死に際が格好良かったの。
予定調和な展開や結末を無視しているという点では「もののけ姫」も似たようなものだったのだけれど、エヴァの場合はシンジは19話の時点で停止してしまっている。彼が初号機とシンクロし溶けてしまったのは、人類が全てL.C.Lと化した補完計画の前哨だったのだけどね。結局シンジは変われなかった。あるいはそのときすでに答は出ていたのか? 一つになって気持ちいいところへ留まるよりも傷つけあって尚、他人のいる世界へ戻ってきたことで。
発動した人類補完計画は結局、ゼーレの望むものだったのか?、それともゲンドウの望むものだったのか? 溶けていく人たちの描写は諸星大二郎の「生物都市(これは溶けていくわけじゃないけど、イメージとしてね)」よりグレック・ベアの「ブラッド・ミュージック」を連想したけど。青葉シゲルだけ不幸じゃないか。他のみんなは好きな人に抱かれて幸せそうに溶けて行ったのに。しかし「死と再生」と「救済」の思いついた映像を脈絡無くありったけ見せられたという感じだね。
吐き出すもの全部吐き出しちゃったから、「終わった」という感じがするのだろう。これで庵野カントクはスッテンテンになったね。
巨大アヤナミは、TVの本来やるつもりだった最終話で出てくるはずだったというのを聞いていたので特に驚きもせず。巨大カヲルは驚いたけど。
それよか、アヤナミのちぎれた腕からのぞいている骨がなんかミスマッチというかコミカルというか・・・。
初号機に噛み殺されるゲンドウは、いわゆる「父親殺し」なのかと思ったけど、どうもエヴァ(というかユイ)の意志という感じで、ゲンドウが望んだユイ(初号機)との融合、と言ったところなんだろう。
そして終劇近くになって挿入される実写映像、それはエヴァの物語が虚構(所詮、絵空事あるいはアニメ)であるということを否応なく認識させる。エヴァという世界を作り、物語を作ってきたにも関わらずそれを否定しそこに生きているキャラクターの存在までも否定してしまうのだ。そうやって否定されて尚、存在する(戻ってきた?)自分に「気持ち悪い」と言ったのかも知れない、アスカは。まあカントクの自嘲とも思えたんだけどネ。このアスカ、包帯がアヤナミだよね。
感想としての「気持ちの悪さ」は、自慰を見せられたというのと話のおさまりの悪さが体感的にも心情的にも受け入れ難いという感覚的なものですね、たぶん。
 
観客の反応は、終わった瞬間みんな沈黙してるんだね、虚脱してるのかも。「難しくてわからない」という声も聞こえたけど。でも上映終了直後から入れ替えが始まっちゃうんで余韻に浸っているヒマもないってのもあったけど。
結論としては人には勧められないし、自己欺瞞で塗り固められたものではあるけどあらゆるイミでスゴイものであるには違いないといったところである。すいません、そういうアタマ悪い結論しか出せないです。今はまだ評価なんてできないよ、正直なところ。まあ評価する程のこともないっていや無いけど。今回の26話で過剰なほど語られた要素に対して意味付けをしていってもそれこそ無意味だとおもうから(だってもともと意味など無いのだから)。そのまんま受け取る以外にないんだろう。マジで飲まれちゃったからね、この映画に。

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