ポケモン「でんのうせんしポリゴン」事件から1ヶ月
- ポケモンの無い火曜日が4週間続いている。おかげで他のアニメもあまし見なくなってしまった。ゲームにはまってたってこともあるけど(笑)
- 昨年12/16放映のポケットモンスター38話「でんのうせんしポリゴン」を見ていた子供達が痙攣をおこしたり気分不良になったりするという「事故」が起きた。なんで「事故」なのかっていうと、起こそうとして起こした訳じゃあないから「事件」というよりは「事故」だと思うのね。
- 詳しい原因は調査中ということなので憶測を述べることはやめておいて、他の面から見てみよう。
- 同時多発的に起きたこの事故、図らずもTVメディアの影響力の大きさというのを示したと思う。TV東京系はネットが少ないにも関わらずこれだけの被害者を出してしまったということはそれだけポケモンの視聴率が高かったということで、12才以下の視聴率は50%を越えていたという調査がある。
- また昨年3月に放映されたNHK教育の「YAT安心宇宙旅行」でも同様の症状が出たという報告があり、このときにしっかり対処してくれれば今回の事故は起きなかったのではないかと思うと残念である。何かが起きないと動かないという事なかれ主義が今回の事故を引き起こしたのかと思うとやるせない。
- しかしまあポケモングッズは相変わらず出ているし、人気もある。いま低迷している日本経済のなかで一番元気な市場だと言ってもいいんじゃないかな。
- ポケモングッズを引き上げるっつー自粛なんかも無かったようだし。今一番おいしい市場から撤退するやつなんていないよ。
- 「パカパカ」といわれるこの技法、アニメの演出法としては割とポピュラーなものである。ただ昨今のアニメの常として派手な演出やより刺激の強い演出が多くなっているのは事実だ。実際10年くらい前の作品をみるとそのタルさや冗長さにちょっと驚いたりする。放映当時はそれで十分盛り上がれたし面白かったんだけどね。人間の感覚ってほんと変わっていくのね。
- これはポケモンのアニメだけの問題ではなく映像メディア全てに当てはまる問題である。実際ゲームの画面にはかなり効果として光の明滅が使われている、しかしまあゲームに関しては全員が一斉にプレイして同じ画面で進んでいくなんてことは無いから実際「光感受性」が出たところで今回のポケモンのような同時多発的に起こるはずはなく注意書きに留まり画面処理や演出においては具体的な対策が為されていなかったのではないだろうか。でなかったら今更調査班など作られるはずないものね。
- この事故以降、透過光使ったシーンがやたら気になるようになった(笑) まあ放送自体も透過光のあるシーンは画面を暗くして対応しているよーである。
- ポケモンバッシングに関してはあまりそう感じる報道にはぶちあたらなかったんだけど、フジテレビと日テレは凄かったらしいね。ポケモン騒動に関してはフジテレビの陰謀なんじゃあないかとかウワサが飛んだくらいである。橋本総理なんかおもいっきしピントの外れたコメントしてるし(笑)
- お国のやることはトロいからこのままではいつになったらポケモンが再開されるか全く不明である。うう、私情的にはいまやってるつまらないアニメ群やめてくれたほうがずーっといいぞ(ヤマザキのことではない)。
- 「でんのうせんしポリゴン」以外のポケモンのアニメが全く問題が無かったか?といわれるとそれは断言できないけどさ。表面に出ていないだけで実際は同じようなことが起きていたかもしれないし。
- じゃあどうすればいいんだと言われるとこれはもう演出の方々にしっかり勉強して貰う以外にないのではないか。最近のアニメの演出家にしろシナリオライターにしろ監督にしろ、なにか過去の資産を食い潰しているだけって気がする。最近のアニメが「知識」ばかりで「知恵」がないてのは、過去の知識ばかり流用しててオリジナリティを生み出せないということなのではないか。何故そういう演出法を使うのか、どういう効果があるのかということの根本を理解せずに上っ面だけマネして取り入れてしまっているというか。
- 同人的っていうか小手先のパロディばかり上手くなってしまってる。そしてさらにそれが「面白い」ことなのだと思い込んでいるんではなかろうか。まあしかしそういう作風が受けているという実態も一方にはあるわけで、TVアニメが商品として扱われている今、その場で受けて売ってしまえばいいという状況には合致した作り方なんだろうな。ふう(-_-;;
- ポケモンのTV放映再開に関しての署名を募っているページを見つけたので興味のあるかたはセーブ!ポケモンリンクへどうぞ。
ガオガイガー最終回「いつか星の海で」
- いやあ、ワタシ的にはエヴァの最終回と並ぶダメ最終回と言ったけど、ホント最終2話を含め機界原種編というのはストーリー構成という点からもまとまりも収まりも悪かったです。大体この2話(ついでに言うと機界原種編も)見逃したところであまり大勢に影響ないんじゃないか。エヴァが物語の締めを放棄したならガガガはとりあえず(形だけは)収めようとぎゅうぎゅう詰め込んだって感じかな。
- 最終回は物語の〆として考えると何もかも唐突という感じは否めなかった。ガガガの伏線の収め方って、ジグソーパズルのピース見せられたあとに組み立てる作業なしにいきなし完成品見せられたって感じかな。いや、ジグソーで各要素(人物とか物とか)だけ組み立てて全体としては完成してない状態ていうか。とにかくジグソーのピースがはまっていくという感覚は皆無に近かった。
- もひとつダメだった理由として感情移入出来るキーキャラクターがワタシ的に存在しなかったのね。ガイにーちゃんも護くんも主役や主人公であるはずなのにその描写が希薄で、何考えてるんだかよくわからなかった。
- ザ・パワーとか機界新種は出すべき要素だったのだろうか? ザ・パワーというなんだかよくわからない物を出したおかげで話の焦点がぼけてしまったと言う気はする。超竜神の過去からの帰還も意外性こそあれ必然性はない。ザ・パワー争奪戦の解決が最終回の展開には繋がっていないし。
- ガガガのネタの落とし方って一つの事柄に対して一つの解決(落ち)を示してそれで終わりというポイントフォローだったから一度上がったテンションが下がってしまってから次の事件なり事象が始まるという形になり、テンションを維持したまま畳みかけるような展開にはなっていなかったと思える。各要素が独立したまま終わってしまい絡み合って次に行くっていう流れがないのね。
- 絵的には確かにノレそうな画面だったり感動できるだろうシチュエーションがあるのだが、そのシーンに至るまでの流れに必然性も説得力も全くない。感情面でノレないからいくら格好いいシーンとか持ってこられても唐突なばかりで全然カタルシスが感じられないってことね。
- 「王道」とか「お約束」とか言われるパターンはただ持ってくるだけじゃあダメなんだよ。そこに至るまでのお膳立てが大事なのよ。
- 細部にこだわって本筋で大嘘をつく、ってよか枝葉末節にこだわりすぎて根幹をないがしろにしてるとしか思えなかったんだけどねえ。細部にこだわるってことは末節で起きた出来事に対して理屈をつけるってことだけではなかろう。それが本筋の大嘘を補強し説得力を持たせるようにするってことなんだと思うのだけどそれがガガガではうまくいっていたとは思えない。だって私なんか全然納得できてないぞ(笑)
- 最終回に関する感想をあちこちで読んだけど、最終回オールオッケーな人たちってのは「ストーリー(画面)に描かれていないこと」を勝手に自分なりに理由づけして補完してるような感じがする。これもエヴァと同じだね。まあそれはそれで個人の感想なのだから構わないのだが、一部、否定派に対してその自分の解釈を押しつけるものだからすれ違いになってしまうのだ。ま、押しつけるって点ではお互い様ってとこもあるかもしれんけど。
- まあ納得できないことは沢山あるんだけど、そのうちいくつかについて。
- ミコトに寄生していた機界新種
- 伏線の張り方がお粗末。2年前のパスダーの東京落下にミコトが巻き込まれたってのはCDドラマで初出したネタなのだけど本編での扱いがおざなりだったんじゃないか。伏線ってのは見え隠れしつつ繰り返し関連性を示してやらないと見てる方は忘れてしまうぞ。それにパスダーに種子を植え付けられた、というのは最終回近くにならないと出てこない。これじゃあ機界新種出すためにあわてて出したと思われても仕方ないんじゃないか。
- 護の「物を大切にしないから滅ぼすの?」というのもあまりにもとってつけたセリフにしか聞こえない。どうしてそんなセリフ(考え)が出てくるのか根拠が描かれて来ていないからである。1年間の戦いを通して得られた結論ではなく第1話に対してのポイントフォローでしかないからなのだ。そもそもそう言った観点は全編通しても描かれてきてなぞいない。ゾンダー化の原因となる人間の持つ「マイナス思念」ですら中途で曖昧になってくる。だからその是非を問う機界原種とソルダートJのやりとりも説得力を持たないんだね。
- 神頼み奇跡頼みの無能なGGG
- 最後まで無能だったよなGGG。大河長官には熱血だけでなく指揮官としての有能さもきちんと描いて欲しかった。熱血だけではなにも解決出来ないつーのはガイにーちゃんが示してるじゃん。最後のAIによるマニュアルフュージョンも、もっとドライに時間との戦いで、合体できるまで保てばいい!って感じで描写すると燃えたであろう。合体直後に各AIは沈黙してしまうのね。ほら「さらヤマ」でコスモゼロで帰投した古代が加藤に話しかけると既に加藤は息絶えていたってみたいな。あの後の次々やられていく勇者ズてのは、雷龍の「GGG万歳!」というダサいセリフ以前にほんと蛇足。自分を犠牲にして(犠牲にしてなかったよーな気もするが)主人公を先に進めるってのは木星決戦でもうやってるからね。
- プライヤーズで復興させる前に、瓦礫に埋もれた人たちの人命救助をせんかい!!
- ガイが人間?に戻ってしまうこと 〜「奇跡」の功罪〜
- 「奇跡」の大安売りはガガガの一つの悪癖なのだが、必然性のない奇跡が多すぎる。それくらい自分でなんとかしろよ、って段階で奇跡が起きたり助けがきたりって食傷気味なところへ極めつけのこれである。正確にはガイは生身に戻ったわけではなくGストーンなどと融合した生機融合体になったらしいのだがそれは本編では示されていない。そもそもガイにーちゃん、サイボーグの身体は神様にもらったものとか言ってなかったか?
- 「奇跡」ってそうそう簡単に出されるとありがたみがなくなるぞ。使う方は理由つけなくて楽かもしれんが(笑)
- とにかくガガガの世界の神様は非常に気前がいいようだ(笑)。
- 護が1人で旅立ってしまうこと 〜旅立ちの必然性〜
- 護は最終回で旅立つだろうというのはあらかじめEDで示されていたことであるし、その時がきたならどのような「別れ」を描いてくれるのかと思ったら、その理由の薄弱さと1人で送り出してしまう周囲の薄情さに口あんぐり状態である。機界新種が宇宙のどこかで生まれているかもしれないから?という不確実な予想だけであてどもなく広大な宇宙を彷徨うつもりなのか。そしてあれだけ機界新種の強さを目の当たりにしながら護を1人で行かせてしまう精神が全く理解できない。これがまだ宇宙に散った同胞を見つけだし母星を復興するってのならわかる(ありがちだが、それだけ自然ってことでもある)。護は戦いに行くんだよ?
- それなのにガイなんかヘラヘラしててさ。もう自分の役目は終わったみたいな。違うだろうそれって。そもそも宇宙へ行くというのはガイの夢であったはず。
- 木星へ行ったことで満足しちまったのか? 「この力を役立てる」というのならなぜ護と一緒に行ってやらないんだろう。華ちゃんだけにウェディングドレス着せて護を見送らせるのはあまりに自分勝手じゃないか、ガイにーちゃん。ミコトにも同じようにして、「帰ってくるから」って護と一緒に行くべきなんじゃないかなぁ。
「ポケモン検証」 アニメ等映像手法に関するガイドライン
- TVアニメを見る度「TVアニメを見るときは…」というテロップが毎回出てうっとーしい思いをしている人もいると思うけど、その発端となったTV東京のポケモン検証番組を見ました。実際問題として被害者が出て、TV映像との因果関係がはっきりしているという点で規制が出来るのは当然だと思うしやむを得ないでしょう。
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- NHK・民放連のガイドラインは
- 原則として1秒間に3回を超す映像や光の点滅は避ける。特に「鮮やかな赤色」の点滅はやめる。
- 鮮やかな赤でない場合も
- 1秒5回を超える点滅は禁止
- 明るさ(輝度)の変化の幅は20%以下
- 点滅時間は連続して2秒以内
- コントラストの強い画面の反転や急激な場面転換は原則として1秒間に3回を超えない
- しま、渦巻き、同心円などの規則的なパターン模様が画面の大部分を占めることを避ける。
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- に加えTV東京ではさらにアニメ制作について独自のガイドラインを設けた。
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- アニメ番組の映像効果に関する製作ガイドライン
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- 1/3秒(フィルムでは8コマ・テレビフレームでは10フレーム)以内で1回を超える光の点滅は避けるべきである。
- 急激なカットチェンジや急速に変化する映像も、光の点滅と同様の影響を与えるので、1/3秒に1回を超える使用は避けるべき
である。
- 赤色を単色で使用した点滅やカットチェンジも危険である。ただし、単色の赤色を除く色の組み合わせで、それが同じ輝度
(明るさ)であれば問題はない。
- 輝度差のある規則的なパターン(縞模様・渦巻き等)は、原則として避けるべきである。
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- ということである。専門的な事は判らないのだけどこれは過去のアニメの殆どが再放送できないくらいの厳しさらしい。カウボーイビパップもこの規制に引っかかって全話放映出来ないし、放映するものもカットの差し替えを余儀なくされているそうだ(これは裸はダメとか水着もダメとか、人がばんばん死ぬのもダメというTV東京の別の規制もある)。しかし検証番組でも言っていたがココまでの規制をかけても「光感受性」の発生を0にする事は出来ないとのこと。つまりは安全ラインをどの点に持ってくるかという事になるんだろう。
- しかしそうなると再放送分ってどうなるんでしょうね。CS放送とBSのアニメチャンネルはばんばん昔の作品放送してるけど。まあディレクTVやパーフェクTVのようなデジタル放送はMPEG2なんでそういう透過光やカット割りの早いシーンはブロックノイズが出たり表示が追い付かなかったりで規制に合わせて修正しなくても修正したような状態になってるという話だけど(笑)。WOWOWはあの差別用語満載の「どろろ」をセリフカットせずに流してるみたいだしあまし規制なんて深く考えていないのかもしれない。
- この間のポケモン「たいけつ!ポケモンジム」見てても、ピカチュウの電撃はトロトロしてるわ、ストライクがYASジムオーナーを襲うシーンは動きを落としてるわ、でリズム感狂わされて結構見づらい。うーん、ちょっと厳しすぎじゃあないのかなあ。まあポケモンの場合はあの「事故」を起こしてしまった作品でもあるし必要(規制)以上に制限しているような感じがする。これはやばいんじゃない?とかいう表現はフレーム数とか計算する前にやめちゃってるっていう感じ。
- それにしてもテレビを見るときは離れてみるだとか部屋を明るくするだとか長時間見ないってのは私が子供んとき親から散々言われたことだぞ(笑)
- それをわざわざテロップにして放送局からのお願いとして表示しなきゃあならないのはなんか変な気がする。
- しかしなぜ富野監督にインタビューしに行ったのだろう。おまけにいきなし「規制や法律なんか意味がない」とかゆーてるし(笑) まあ映像の視覚効果のなんたるかを学び直す時が来たとかまともなこと言っていたけど(その点だけは私もそう思う)きっと他にはとんでもないこと言ってたんじゃあないかなあと言う気がする。
- 未だに(TV)アニメ監督で有名というと「トミノ」なんでしょーか。宮崎監督は…別格なのかな。
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- 話は飛ぶが、日本のアニメが世界で受けているというのは規制のない自由な演出が斬新だったのが一因だと思うのだけど(アメリカとかなんか妙な規制あったよな)こういう映像表現上の規制がかかってしまうと世界に誇る日本のアニメも凋落の道を…という気もしないでもない。
- それでなくても最近のアニメって質の低下が目立つのに。粗製濫造の果てにあるのは自滅しかないのだけど。アニメファンってどこか寛容なとこあるからなぁ。ヘボい出来のものでもビデオ買うし。
トマソン 〜街中の幽霊達を探そう〜
- 幽霊といっても夏向けの怪談じゃあないです。超芸術トマソンと呼ばれる物件のことです。ではトマソンとはなにか?「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」(超芸術トマソン/赤瀬川原平)というものです。
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- たとえば、まずはこれ。近所で採取してきた「庇タイプ」と呼ばれるオーソドックスなトマソン。
- 多分窓があったんだろうけど(それらしい形跡はあるし)それが何らかの事情でなくなって庇だけが残ってるってタイプ。
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- 次はこれ。確か和歌山の太地で見つけてきたもの。10円だか100円入れて乗る乗り物(昔薬屋さんの前なんかによくあったよな、うちの近所だけか?)なのだと思うけど
駐車場のベンチの横にちょこんと置いてある。ゴミとして置いてるにしてはなんかちゃんと並べてあるし一種のモニュメントかって思わせるあたりがトマソンかな〜と。おまけに左側のがダイアモンドアイってのが泣かすよね(笑)
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- 阪神大震災からこっち町並みも随分変わってしまって以前そこがどんな風景だったのか何があったのかすらおぼろげになってきていて、トマソンってそういう「記憶」みたいなものを保存しているよな〜、だからこそ幽霊なのだけど、を思い出したてわけ。
- そもそも私がトマソンと言うものを知ったのは実は「劇場版パトレイバー」だったんですよ。正確に言うと劇場版を扱った同人誌で。帆場の足跡を辿って松井刑事達が歩き回るシーンに出てきたものが看板建築とか同潤会のアパートとかトマソンの原爆タイプとか言われるものであることを知ったわけ。で興味を引かれて路上観察学とか建築探偵とかトマソンの本を読んだんだけど、看板建築はどうも東京限定のよーだし、トマソンならどこにでも探せば見つかるものなのでもっぱらこっちに興味がいったのね。
- まあこういうものを探しながら歩くと知らない街もまた自分の周りも新しい発見があって歩く楽しみが増えます。
- ちうわけでまずトマソンの入門編として最初に挙げた「超芸術トマソン」赤瀬川原平(ちくま文庫)をオススメ。
「ミュウツーの逆襲」と「ピカチュウのなつやすみ」 98.8.02
- 7/20にポケモンジェットを見に行った帰り、ポケモン映画を見れるなら見ようと梅田劇場に偵察に行くと思ったほど並んでいなくて、これならいけるかもってことで見ることにする。その時点では立ち見だったのでとりあえず最終で見ようという事にして、確実に座れるようにと指定券を買う。でもまあ初めて指定席で見る映画が「ポケモン」とは(笑) しかしホント思ったより人少なかったですね。前日見に行ったディープインパクトの方が並んでたな。
- ということころで大人な目で見た感想です。
- 「ミュウツーの逆襲」
- TVではおそらくやらないようなシリアスでハードな内容でした。でも話運びがなんかおかしい。最初と終わりで話がずれているっていうか。とにかく消化不良なストーリーだった。子供向けにしては難しいテーマを選びすぎたのではないか?
- シチュエーション的には泣かせるシーン、石化したサトシに(死んだ?ことが信じられなくて)電気ショック浴びせるピカチュウとか、ピカチュウ対コピーピカチュウとかあるんだけどそれらに必然性があるか?というとちょっと首を傾げてしまう。
- なんか「泣かせ」のシーンを無理矢理入れているって感じでむしろ不自然さを感じてしまったんですね。
- ミュウツーの問いの答えは?
- ミュウツーが造られたとき「わたしは誰だ?」と繰り返し投げかけていた問いに対する答えが「生きていこう」と言うことなのか。ミュウツーのアイデンティティや生きる目的がサトシ達との関わりの中で見つけられたとは思えない。なにしろキャラクターが殆ど行動していないのだ。タケシもカスミも単なる傍観者と化しているし、ソラオもウミオもスイートも単なるやられ役だし、ムサシとコジロウ、ニャースは何しに出てきたんだおまえ達?という状況である。まああの3人組のやりとりには笑ったけど、ストーリー内容にはあまし関係ないしね。
- つまるところオリジナルとコピーの優劣とポケモンと人間の関係としてサトシとピカチュウを見せる(他のトレーナー達はなにしてんだ?)ことに話が行ってしまい「自分という存在は何なのか」という事からずれていってしまっているのだ。
- オリジナルとコピーと
- よくあるパターンですよね。オリジナルを凌駕することでコピーはそのアイデンティティを確立できるのだという。でもそれは本当は間違いなのだということをミュウツーに納得させるということがお話のキモのひとつであるはずなのだけど、そのあたりがうやむやになってしまっている。
- 燃えないバトル
- コピーVSオリジナルの不毛で辛いバトル。コピーがオリジナルより優れていると言うことをはっきりさせる為にミュウツーが仕掛けたバトルなのだが、まあ見てて燃えないつーか辛いというか。ポケモンバトルってのはやっぱし相性とか技の駆け引きとかあってこそ面白いのにね。同種ポケモンバトルってのは絵的にもいまいちだった。特にテーマ上オリジナルが優れているということを示してはいけない分さらに描写的にはつらいものが。そしてこの不毛なバトルが本来のポケモンバトルとどう違うのかを示すべきだったのではないか。なんだかよくわからないうちに和解するなよ(^^;。
- サトシの死と復活
- ミュウとミュウツーの戦いの間に飛び込んで石化(死んで)しまうサトシ。そのサトシに泣きながら電気ショックを浴びせるピカチュウ、観客としてはピカチュウのいじらしさに泣けるけどね。サトシの復活も、ミュウツーがそれを見て何を納得したのかいうとこれまた「?」である。「オリジナルもコピーも生きている、出自がどうあれ命に優劣はない」というテーマには噛み合わない。このシーン自体はストーリー的には無意味なんじゃないのかなぁ?
- 消された記憶
- 夢オチにしてどうすんねん!!
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- ミュウツーってTVCMの時から思っていたけどどう見てもフリーザ様を連想する。色のせいかもしれないけど。でも戦い方もなんかドラゴンボールしてたよな。
- トゲピーに振り回されるピカチュウはかわいかったね。船首の女神像していたニャースに大笑いしました。
- ミュウのCVが山寺宏一ってのには正直ヤラレタ!って感じでした。
- ボイジャーの小林幸子は粘っこいしゃべりだったけどまあそれほど気にならなかったし。
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- 「ピカチュウのなつやすみ」
- かわいいっす〜〜(^^)
- 土管にはまって泣いてるリザードンがみょーに可愛くて。TVではくそ生意気(笑)であまし好きになれないリザードンだけど、このリザードンは可愛いぞ。でもブルーもマリルも可愛くなくていまいち(^^;
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- 2回目みた感想も書いておこう。
- 「ミュウツーの逆襲」はやはりダメ。2回目で余裕があったせいかさらにストーリーの組み立て方のまずさやキャラ立ての薄さが目に付く。なんか見ててこれってミュウツーの一人相撲だなぁと言う感じで、ミュウツーの行動の動機づけが弱い。勝手に思いこんで自爆したみたいな。
- というかミュウツーが人間に逆襲しようと思うに至った流れ--怒り--がいまいち理解出来ないのだ。ポケモンが人間に使われるために存在する、ということと自分が造られた存在であるということと、相当頭の中で補完しないとつながりがよくわからないのだ。
- これはミュウツーに限らず他のキャラも同様。行動に至るまでの思考・感情描写が殆ど描かれていなかった。
- 言いたいテーマとかは何となくわかるのだけどね。ニャース対コピーニャースのやりとりなんか、昨今の風潮を鑑みて、「相手の痛みをわかるようになれ」って事なんだろうなっていうのとか。
- でもねやっぱりセリフだけ持ってこられてもね、納得出来ないのよ、ワタシとしては。それがキャラクター自身の言葉にはなっていなくてお仕着せのセリフにしか聞こえなかったから。