誰やねんお前【社会人編】(Ver.1.07)

(最終更新日:12/11/12)

社会人もどき(またはエンジニアもどき)としての略歴です。本編隔離棟を眺めて頂ければ大体同じこと書いてあるのですが。どこに何を書いているのか私自身が判別不能の為(をい)、簡単にダイジェストってことで書き直しておきます。Webで公開できる範囲内での職務経歴書みたいなもんだと思ってくださればオッケ。

てめぇの働き方なんてどうでもいいわいボケ、という方はこちらにお戻り下さい。


ひとつめの会社(1997-2003)

学校終わってそれなりに就職活動あしらって、結果入ることになった某社。入社3日で常駐先に飛ばされました(笑)。まぁいわゆる偽装派遣っつーヤツですわな。ただ当時はまだ全然オコチャマで世間知らなかったってのと、最初に飛ばされた派遣先の人間関係(師匠)に恵まれたというのがありまして。基礎はここで一通り叩き込まれました。そうゆう意味ではラッキーと言えるかもしれないです。今となってはお勧めはしませんが。

#多分私の世代って、OJT=現場放り込んで叩き込め的スタイルが、通用した最後の世代だと思います。今の現場って、もうそんなことできる体力も能力も余裕も残ってません。

当時はちょうどこれまでのホスト主導からオープンへの移行が推進化されていた頃で、いわゆるH-S-C型の三層システムに関わることが多かったです。主担当は中間層であるところのサーバ側(時々嫌々ながらにVBとか)。ホストからデータもらってDBに一旦格納して。クライアントから要求があった時にはまたそっから拾って投げて。そんな処理をよく書いてましたなぁ。

はじめは先輩さんや同僚さんの見よう見まねでCで書いてたんですけど、だんだんまどろっこしくなってきて勝手にshellスクリプトやPerlに逃げて(笑)。そっから次第に「スクリプター」「サーババッチャー」といった立場に追いやられた(自ら突き進んだ)気がします。

まぁそんなこんなでなんとか基礎終えてそろそろ一人立ちできるように・・・ってあたりで偽装派遣特有現場飛ばされまくりの憂き目にあった挙句、最後はぶっ倒れてリタイア。命の危険を感じた為そのまま退社(事実上の出入り禁止)っつーことになりました。

ちなみに。私がデマルコ信者となり、XP等のアジャイルに傾倒するようになったのも、このあたりのゴタゴタあるいは地獄絵図な経験がベースになっています。

案件数:7案件
経験言語:C,VB,Excel VBA,Perl,Shellスクリプト,PL/SQL,Java等
経験環境:Windows(95,98,2000,NT),AIX,Solaris等
経験規模:3名から40名(システム全体としては200人超)

ふたつめの会社(2003-2007)

約半年の療養と就職活動を経て入ったのがふたつめの会社。いわゆるWeb/CGIプログラマとしての入社でしたが。会社規模や文化の違いもあってか、働き方作り方は大きく変わりました。

自分で全部やらないかんと。それこそ基本設計から保守まで。案件自体の規模が小さいからできる芸当ではありますが、良くも悪くも自分次第ではありました。無論技術的なフォローはしたり受けたり、それでも手が回らない時には協力会社さんにお願いしたりなんてこともしましたけど、それでも最終的な製造責任は一人の肩にのしかかってましたからねぇ。

そんなやり方だったからなのか(それとも厄介者扱いされたのか)、ラスト半年は個室あてがわれて作業してました。会社員でしかも役職無しの一エンジニアでありながら個室勤務。特に日本のオフィス事情を考えると、おそらく最初で最後の経験でしょう。

私自身はぶつくさ言いつつも、それでもまだしばらくはここで勤務続けるかなぁと考えていたのですが、とあることから会社そのものがコケまして。事業整理、全従業員解雇となりました。ま、世の中こんなもんだ。

案件数:19案件
経験言語:ほとんど全てPerl、ごく一部で実験的にRuby
経験環境:Linux(RedHat)、FreeBSD、MacOSX(開発環境として)
経験規模:1名から5名

空白期間(2007)

そのまんま。2007年4月から7月にかけてハローワーク経由での職業訓練(ビジネス英語)を受講したり、「Make: Technology On Your Time Volume 3」の翻訳(共訳、4ページのみ)をお手伝いさせて頂いたりしつつ無職生活を続けること約1年間を経まして。

みっつめの会社(2007-2009)

に入社。ただし、これまでと違ったのは、同時期に父が倒れた為、介護しながらの就労、いわゆる時短勤務でした(週30時間が限界)。休出残業なんざもっての他。入社後には修復不可能なまでにミスマッチが表面化したりもしたのですが、何せ状況が状況なので強くは言えず。雇ってくれるだけありがたいと仕事と介護に忙殺してましたね。

うん、この2年、何をやっていたかの記憶がマジで無いです。

それ以降(2009-現在)

それ以降は、貧乏生活に慣れたりしながら、時には自室に閉じこもり、あるいはオフィスに出向いて黙々とプログラムを書いたり、などで糊口を凌いでおります・・・・・・って凌げてるのかな・・・・・・貯金減る一方だしな・・・・・・むしろ今のままじゃ、生活保護一直線・・・・・・。

うん、考えるのやめよう。

ここいらヘンから私もトシをとったんでしょうかね。以前自分がやっていたアジャイルのゴリ押しにも「ん?」と思うようなところとかもでてきまして。付かず離れずの距離感で、なんとなぁく界隈を眺めるに留めることが増えてきました。隔離棟をクローズしたのには、このあたりの理由もあったり。

実務的な面では、ロジックそのものをガリガリと、ということは少なくなり、データをどう回すか、という点に注視する局面の方が増えてきた感覚があります。一方で予算納期は削られる、また一方ではアホみたく品質管理が厳しくなる・・・・と逆風逆風一本槍な風潮もあり。なかなかに難しいもんですな。

だったらいっそさ、専用のシステムなんざ組むより、直接既存のアプリの中で回したほうが、安く早く精度高いモンできるんじゃねぇ?そんな思いもあって、FileMakerに手を出してみたり、といったところです。

案件数:曖昧ですが6+α件程
経験言語:PHP、一部Ruby、一部FileMaker
経験環境:Linux、MacOSX(開発環境として)
経験規模:1名から4名

あと直接のおしごととは離れるのですが、こんなこともやってたり。↓のそれぞれ数ページずつの翻訳をお手伝いをさせて頂きました。

すべて共訳、自力での翻訳は不可能なんですけどね(^^;;;。それでも名刺がわりになっている面はありますので、ここでも載せておきます。


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