06:30 ヒルトンに迎えに来てもらいました。
楽しく話をしながら30分後にパールハーバーに到着!
カバンを持ち込むことが出来ません。持ち込めるものは財布とカメラだけです。
と、事前に言われていて、この時は、本当の意味が分かりませんでした。
ドライバーさんがそのことを再度教えてくれて、5年前の9.11 ニューヨークのツインタータワーで国際ビルの破壊があり、それ以降テロに対して厳重チェックをするようになり、いっさいの手荷物が禁止となったそうです。
まわりを見渡すと、パールハーバーに朝早く着いたのにも関わらず入館者の人で
すっごい長蛇の列でした。
私たちもこれからこの長蛇の列に並ぶの?とビックリしました。
人数は300人ほどいたと思います。
しばらくすると、記念館に入ってアリゾナ号に行くためのチケットを取り、英語の映画だったのでちゃんと内容は分かりませんが映像を見ているだけでも衝撃を受けました。
映画館を出るとシャトルボートに乗り変え戦艦アリゾナ号のメモリアルに向かいました。
未だ日本に沈められた戦艦アリゾナ号が一部見え、燃料が染み出ているのが分かりました。
9:30 ボートで戻ってくるとトロリーに乗り、いざ戦艦ミズーリへ!
トロリーを降りるとライセンスを持った日本人のガイドの方に声を掛けられ
、とても丁寧に案内してくれました。
最初にペンダントの申し込みをし、戦艦ミズーリ号に向かいました。
船の中は通常の見学では立ち入り禁止区域も見学することが出来、とても狭かったり
する場所等もある為ヘルメット着用なんです。1時間位船を見学したのですが、時間が足りない位のツアー内容で、一般公開されていないボイラー室、理髪室、館内投獄を見てきました。
船から下りるとペンダントが出来ており、「アメリカ軍人が本当につけているペンダントを今日の日付・自分の名前が彫られていて、とっても感動しました」
12:30 ホテル着
そこからまた楽しく話をしながらヒルトンまで送ってもらいました。
今度ハワイに行ってもまた見学に行きたいです。
とても楽しく良い経験をする事が出来ました。

NEWS
★ 真珠湾にてハワイ最新博物館が登場!
太平洋航空ミュージアム
1941年 12月7日の朝、6機の航空母艦の飛行甲板から発信された353機が戦闘機は、オアフ島の北200マイルの地点から米国に気づかれないよう、真珠湾を目指して猛攻をかけました。そのなかで、有名な零戦は78機で時速390マイル(400km)飛ぶことが出来、日本の有名な戦闘機操縦士の佐々木三郎はつぎのように言っています。
「もし、零戦がなかったら日本海軍は戦争を始めなかったであろう」当時最速で、通常の飛行機は時速80マイル(120km)でした。
それほどにこの零戦が、この真珠湾攻撃に歴史的に影響力を与えたか物語っているか分かります。この博物館では、零戦並びに映画の撮影されたパールハーバーの映画撮影された場所・後に使われた第二次世界大戦に使われた戦車・飛行機など、なぜ大日本帝国が戦争をしなければならなかったか理由など、ご案内いたします。
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