文章=音楽=ヌード?(98.5.1)

 

 CD発売を期に、このHPを開設してから、早くも4か月が過ぎました。
 最近気がついたのですが、このHPを週に1回とか、定期的に訪ねて下さっている方が結構いらっしゃるようなのです。たびたび訪ねていただいているのに、ライブスケジュールが少しずつ更新されているだけでは、あまりにも申し訳ない。それがこのコーナーを作った理由です。なるべく時々更新するように心がけますのでどうぞよろしく。
 でも、文章って、一般の会話などと比べても、その人の人格とか、本音とか、全部バレちゃうから、なかなか“書く”って、勇気がいります。自分が裸になる覚悟がないと。
 

 裸になるといえば、音楽は、もっとその人の全てがさらけ出されるものです。よく、普段はおとなしくて穏やかなのに、楽器を持つと突然、饒舌になったり、狂暴になったり、豹変するミュージシャンがいます。たとえば、ピアノだと、肘打ちするわ、頭打ちするわ、鍵盤のみならずペダルまでへし折ってしまうとか。こういう場合、その人の本質的な性格は、絶対楽器をプレイしている時の方なんですよー。普段の人間関係では、有る程度ごまかせても、楽器は絶対にごまかせないものなのです。作曲なんて、演奏以上に内面が暴露されて、更に恥かしーい世界です。
 私もよく“演奏に性格が出ている”と言われる方ですが、どこがどう出ているのかはこわくて聞き返せません。
 

 だから、私は、素晴しい演奏や作曲をするためには、自分を磨いてより素晴しい人間になることが第一だと考えています。味のある演奏や楽曲は、味のある人間からしか産み出されないものです。私の知っている一流のミュージシャンたちは、人間としても大変優れた方ばかりです。これはきっと音楽に限らず、あらゆる分野で言えることなのでしょう。
 まあ、でも何事にも例外はあって、“是非一緒に演奏してみたい素晴しいプレイヤーだが、友達としては付き合いたくない”っていう人もごくごくたまにはいますが。たとえば、(以下カット)

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マルサリスといえば(98.5.4)

 

 4月30日、青山の“ブルーノート”でブランフォード・マルサリスを聴いてきました!
 彼の来日は7年振りとか。しかも、サイドはジェフ・ワッツとケニー・カークランドというレギュラー・メンバー。私は、数年前、NYの“ヴィレッジ・バンガード”で彼のサックストリオを聴いたことがありますが、NYでさえ、ブランフォードのクラブ・ギグは滅多にないので、ヴァンガードも机を取り払って、より多くのお客さんが入れるようにしていました。その時、NYの錚々たるミュージシャンたちが詰めかけて彼の演奏をチェックしていましたが、今回の“ブルーノート”にも、1週間の間にプロのミュージシャンがかなり来ていたようです。
 

 オリジナル4曲と、“SOLAR”が演奏されましたが、とにかく、素晴しいの一言。
 余計な力の入っていない、リラックスしたムードが特に印象に残りました。未熟なうちは、自分に10の力があったら、目一杯出しきろう、できれば12位の力を発揮したい、とつい頑張ってしまいがちですよね。スポ根ものによくあるような“限界に挑戦”って感じで。
 ブランフォードの演奏は10の力(もちろんこの部分の容量がけた外れに大きい)のうち8位のところで抑えて、あとの2はコントロール(楽器とか状況判断とかの)に振り向けているといった感じ。だからあんなに音色にもリズムにも余裕があって、力みの一切ない、クールな演奏になるんでしょうね。ジェフ・ワッツなんて、叩きまくっているのに、ドラムの音色がきれいだから、少しもうるさくないのです。
 しゃかりきになって目一杯の演奏って、端から聴いていると、あまりスマートじゃないかも。“力を抜け”とか“リラックス”ってよく言われるし、とても重要なことだけど、実際とても難しいことですよね。
 

 ところで、最近ブランフォードとウィントンの共演がほとんど見られないのは寂しいですね。
 マルサリス兄弟といえば、連想されるのが若貴兄弟。(私だけか?)この二組、色々共通点があります。一族全員がその道の一流のプロであること。父親も超一流だが、既に息子たちはそれを超えていること。弟の方が先に出世しているので、世間一般では“兄は努力型、弟は天才型”だと思われていること。でも、実際はその逆なんではないかと思わせるところまで。このことはブレッカー・ブラザーズにもあてはまる!?

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アル・パ・チーノにナメられた?(98.5.7)

 

 毎月第一水曜日に映画が1000円で見られる、ってご存じでしたか?この制度を利用して、先日は久し振りに映画を見に行きました。
 “タイタニック”って今だにあちこちでロングランを続けているんですね。アカデミー賞をたくさんとってヒットするような映画って、意外につまらないことも多いものです。わたしも、封切り直後に“タイタニック”を見に行く前は、“どうせL・ディカプリオのアイドル映画だろう”くらいの気持ちで期待していなかったのですが、見終わってその素晴しさにビックリ。本当に良く出来た作品で、近ごろ珍しく、年齢・性別問わずに楽しめる映画といえるのではないでしょうか。
 

 ところで、今日見てきたのは、前宣伝がかなり派手だった“ディアボロス”。
 これは“ザ・ファーム”と“エンジェル・ハート”を足して2で割ったような、一言でいうと、“法廷オカルトもの”。これって邦画では絶対あり得ない組み合わせですが、欧米映画には結構あるジャンルですよね。
 現在上映中の映画で、詳しいストーリーを言ってしまうのはマズいと思いますので、これから書くことはあくまでたとえというか、比喩的なものだと思って下さい。
 たとえば、常識ではあり得ないような現象が次々に起こり、登場人物が次々と謎の死をとげ、思わせ振りな伏線がいくつも提示され、“一体どんな凄い結末が待っているんだろう”とドキドキワクワクスクリーンを見つめていたとします。そして、物語が最高潮に達した時に、“今までのは全部夢でした。ハっと目覚めてみたら、死んだはずの人も(当然)ピンピンしていて、ああ夢で良かったね、めでたし、めでたし、はいおしまい、チャンチャン。”と言われたら・・・・・・どう思います?しかも、こんな“火曜サスペンス劇場”でもあり得ないオチを、キアヌ・リーブスとアル・パ・チーノという新旧大スターに演じられてしまったら。
 

 あれれ、あんまりたとえ話になってなかったかしらん。
 

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インスピレーションは夢から得る(98.5.9)

 

 先日NHKのインタビュー番組を見ました。この番組には、毎回色々なゲストを呼んで、視聴者のファックスや電話による質問に答えてもらう、というコーナーがあります。この日のゲストは、脱出マジックで有名な引田天巧さんでした。
 この中で、“大がかりなマジックの仕掛けはいつ思いつくのですか?”という質問が出ました。彼女の答えは、“マジックの仕掛けのアイディアは、必ず夢の中に出てくるんですよ。それを、目が覚めたときに忘れないようにすぐ書き留めてファイルにしておくんです。‘テンコー・ファイル’って言って、こんなに(彼女は両手を一杯に広げて見せました)溜まっています。そのうち、実際に使ったトリックはごくごく一部分だから、一生かかっても実現できないくらいの量です。”というものでした。
 

 うーん、天才というのはこういう人のことをいうのでしょうか。
 作家にとってプロット、ダンサーにとって振りつけ、画家にとって構図・・・等の基本的アイディアは最も悩む、時間のかかる部分です。こういった基本的アイディアさえあれば、それを肉付けし、実体化させるのはテクニック的な問題で、何もないところから、アイディアをひねり出すほど、困難なことではないですから。
 当然、作曲なども最も核となるフレーズやリズムを決定するまでが、一番大変な部分なわけです。私の場合、夢に出てきてくれたことも、お風呂の中で鼻歌まじりに、1曲出来ちゃったってことも経験有りません。
 アイディアが常に夢に出てきて、既に一生分のストックがあるなんて、本当に羨ましい。
 

 “マジシャンになりたいのですが、どうしたら良いですか?”という子供の質問には、“マジック自体は技術的な訓練によるもので、実際はそれほど難しいものではないのです。それより、色々な人生経験をすること、多くのことを勉強することの方が、マジシャンになるのに、ずっと重要です。”と答えていらっしゃいました。実際彼女は、脳の働きに興味を持ち、現在アメリカの大学の医学部に通っているそうです。成功する人は、天賦の才能に加えて、人一倍努力しているのですね・・・。
 

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FO考(98.5.16)

 

 FOって何?音楽用語では、フェイド・アウトのことです。
 

 私のCDを聴いて下さったある方(お会いしたことはないのですが、このHPを通じてメイルを下さった方)から次のようなメイルをいただきました。(このメイルはこれが主題ではなく、その他の色々な話題の一部分として出てきた話ですが。)
 “守屋さんのCDは気に入って愛聴しているのですが、一箇所だけ、どうしても気になるところがあります。<All The Things You Are>の最後のところで、クリス・ポッターと守屋さんのソロが絡みながらだんだん盛り上がっていきながら、フェイド・アウトしていってしまいますよね。あの先をもっと聴きたい、せっかく盛り上がっているのだから途中で消えていかないでくれ!という気になってしまうのです。5分でも10分でも続けて聴かせて欲しかったのですが・・・・・。”
 実は、これ、私は他の方(とあるジャズ喫茶のマスター)にも指摘されたのです。彼いわく、“だんだん減衰してきて、もう終わっていくのが見えているようなエンディングならともかく、ソロが絡みながらどんどん盛り上がってきているのに、録音の方でフェイドアウトしていくほど、不自然なことはない。こういう状況ってアコースティックなジャズのライブでは有りえないわけだから。”とのこと。
 うーん、今まで思ってもみなかったことでしたが、言われてみれば確かにそうかも。わたしとしては、フェイドアウトってCDでしかできないから、録音に際して1曲はFOを取り入れたい、と思ってこの曲でやったことなのですが、ちょっと考えが安易だった??
 

 自分のことは自分が一番よく考えているとか、自分のことは自分が一番知っているとか、思いがちですが、案外、他人の客観的な目や耳の方が冷静なことってありますよね。
 それにしても、こういうことって、指摘されなければそのまま気が付かないで過ぎていってしまうわけですから、常に“周りから注意してもらえる”存在でありたいものです。敢えて指摘して下さったおふたりには感謝してます!
 

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健ちゃん、デビューする(98.6.2)

 

 6、7月の2か月間JALの国際便全線の“機内音楽放送”のジャズチャンネルで私のCDの中の曲がかかっています。5曲目の“SONG FOR K”という曲が選曲されたのですが、これには、自分でも少しビックリ。何故かといえば、この曲は自分では当初はCDにいれないつもりの曲だったからです。
 

 CDの為に13曲を録音しましたが、時間的な制約もあって8、9曲しかCDにいれることは出来ません。他の8曲は割合すんなり決まったのですが、あと1曲では悩みました。特に“SONG FOR K”は、曲の出来うんぬんよりも、ジャズというよりポピュラーっぽいイメージもあり、この曲だけ他とカラーが違いすぎるのではないか、と自分では感じていました。今回のCDの流れの中ではちょっと入れる場所が見当たらないのでは、と思っていたのです。
 

 CDでは1曲ごとの出来同様に、選曲と曲順が大変重要ですから、わたしは、元スイングジャーナル編集長でもある、児山紀芳先生のお宅に伺って、じっくり全曲をとおして聴いていただき、色々アドバイスを戴きました。
 そこで、先生が意外な事をおっしゃたのです。“あと1曲いれるなら、‘SONG FOR K’が良いのじゃあないか。結構決めがいっぱい有るハードな曲が多いので(確かに)、こういう軽快なタッチのボサノバをCDの真ん中あたりに入れると、リラックスできて、リスナーもホッと一息つけるのでは。<チェンジ・オブ・ペース>も大切なことです。”と。
 

 私は、自分では納得しきれていなかったのですが、ジャズ界の大御所、トップのジャズ評論家の方が、まだまだ経験不足のわたしよりずっと広い見地からおっしゃていることですし、思いきってその通りにしてみることにしました。
 CDの中から1曲機内放送用に、というとき使われたこともそうですが、私の予想に反して、結構この曲の評判が良いようなのです。前回も書きましたが、‘自分のことは自分が一番ちゃんと見えている’とは限らないことを実感しました。やはり、外から冷静に見た客観的なアドバイスを戴けるというのは、大変ありがたいことです。
 

 CDの解説にも書きましたが、この曲は、私の妹の子供“健人(けんと)”に捧げた曲です。<K>は彼の頭文字なのですが、それにしても、これってなんだかタバコの名前みたいですよね。
 この名前には、妹夫婦の“国際人として外国で活躍するようになった時、外国でも呼ばれ易いように”という願いがこもっています。確かに日本人の名前の中には、外国人にとっては発音しづらいものもけっこうありますが、Kentだったら、違和感はないですものね。
 今回JALの国際線で、彼のテーマソングがかかることにより、彼も2才にして既に国際人への順調な第一歩を踏み出した、と言えるのではないでしょうか。
 

   この際、私がついでにネットデビューもさせてあげよう。健人君、ものごころついた頃に感謝するように。(健ちゃんが“国際人のボクも、やっぱりビールはキリンだね”と言っているところです。ウソ。)
 

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もうすぐワールドカップ(98.6.6)

 

 もうすぐ、W杯ですが、先日の例の“カズはずし”で、世間では相当色々な議論がなされているようです。
 

 わたしはサッカーファンではないので、監督の決断が正しかったのかどうか、ということは判断できませんが、ただ、とにかくプロのスポーツの世界の厳しさを改めて知った、という感じです。
 人生80年時代なのに、30そこそこで、“力が落ちた”とか言われてしまう世界って大変ですね。豊富な経験と、カリスマ性も、今回はあまり評価されていなかったようです。カズは、今まで、日本をW杯に出場させるために誰よりも頑張ってきたのに、いざ実現したら“今後は若手で戦うから帰って”というのではあまりにつらい。でも、オリンピックもW杯も4年に1回しかないのだから、そこに自分の実力のピークを持っていけるかどうかという、運と巡りあわせが、スポーツでは一番大事なのでしょうね。
 

 本当に、わたしはサッカーじゃなくてジャズをやっていてラッキーだったかな、と思います。(サッカーとジャズでは並列関係になりませんが。)音楽ならば、年齢を区切ることなく、一生追及出来るわけです。そして努力すれば、年齢とともにだんだん進歩していくことも可能です。私たちの周りには、70歳を過ぎてもなおすばらしいミュージシャンのお手本はたくさんいます。
 カズもあと10年もしたら素晴しい監督か解説者になっていることと思うけれど、それって、自分がプレイするのとは、多分またちょっと違う感覚のものですよね。
 

 ところで、今回の選考に関しては、実に賛否両論が渦巻いているようで、テレビのニュースでは、一般のサポーターから、スポーツジャーナリストのような専門家まで、実に色々な人の色々な声を紹介していました。その中で、私が最も印象に残ったのは、ラモス選手へのインタビューでした。
 “(カズのプライドをめちゃくちゃにして、岡田監督は)何様のつもりなんだ”というような内容だったのですが、この“何様のつもり”というのは、ややこしい日本語の中でも、特に使い方が難しい表現だと思うのです。しかも、この表現は、今回のことに対して一般の人が(理屈はともかく、感情面で)感じていることを、最も適切かつ端的に言いあてているような気がしてならないのです。
 きっとラモスやカズがW杯出場に賭けていた執念というのは、わたしたちの想像をはるかに超える大きさだったのでしょう。淋しいことです。

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ジャズで盛り上がってから応援に突入!(98.6.10)

 

 先日、新宿のピットインで守屋オーケストラのライブを行いましたが、このHPを見ていらして下さった方も結構いらっしゃたようなのです。月曜日にもかかわらず、多数ご来場いただき、大変感謝しております。
 

 “月曜日にもかかわらず”というのは、月曜というのは、ジャズクラブでは、特にお客様の入りが悪い日とされているからです。
 ジャズクラブでは、誰が何を演奏するかが一番重要なのは当然として、月-水は集客しにくいとか、金曜日が一番入りやすいとかいうのは、やはり、一般の飲食店と一緒です。土日に関しては、立地条件によって大きく違います。2月8月が良くないなんていう一般論もある程度当たっているようです。
 曜日などは、最初からわかっていることですが、予測出来ない条件にも、左右されます。天気は大いに関係あって、やはり特別寒い日、暑い日はお客様も入らないようです。戸外のスポーツとかと違い、必ずしも雨が降るのが良くない、とは限らないようです。却って天気が良すぎると、暗いライブハウスより、外に出たくなることだってありますよね。
 

 ところで、実は最も予測出来ない割に、影響が大きいのは国民的なイベント。たとえば例年日本シリーズの時期はどのジャズクラブも暇ですよー。
 今週の日曜日にあるハママツジャズフェスティバルのコンサートの日はなんとW杯の日本ーアルゼンチン戦と重なっています。日程を決めた時点(1年以上前から決まっていた)では日本がワールドカップに出場することすら決まっていなかったわけですから、主催者側は大いに慌てたそうです。
 結局時差の関係で試合は夜遅くからとわかってほっと胸をなでおろしたそうですが。(フェスティバルは1.00pm-4.30pmなので)
 

 浜松といえば、楽器の街、音楽の街として有名ですが、ジュビロ磐田の前身がヤマハ発動機だったこともあり、サッカー熱の方も凄いらしいのです。今回の22人の日本メンバーのうち9人が静岡県の出身者。世界的に見ても、一つの地方からこれだけの割合の代表選手を輩出する例はほとんどないそうです。
 でも、アルゼンチン戦が14日というのは、周知の事実だとして、時間はそれほど徹底して告知されていないみたいだけど、大丈夫?これも主催者側のお話しでは“静岡県人で、試合開始時間を知らない人なんていませんよ”とのことです。“14日はジャズを聴いて盛り上がって景気づけをしてから、日本チーム応援に臨もう!”と逆に宣伝にとりいれているそうです。
 

 もちろん、静岡県以外からこのコンサートにいらしていただいていても、十分試合には間に合います。お近くの方はどうぞいらしてくださいね。

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