モンク・コンペ授賞式報告その1(05.9.25)

 

 2005年度モンク・コンペティション作曲部門で日本人初、女性初ということで、優勝の栄誉をいただくことができました。9/19のワシントンでの授賞式の様子について、HPでも詳しくご報告したいと思います。

 9/17に成田を出発したのですが、この日は日本の長期連休の初日にあたり、ものすごーく空港が混んでいました。ユナイテッド(セロニアス・モンク・コンペティションのオフィシャル・エアラインなのです)のカウンターにはずらっと長蛇の列が。2時間以上前に到着していたにもかかわらず、搭乗が本当にギリギリの時間になってしまいました。
 飛行機の中では、ちょうど、スチュワーデスさんが腰掛ける席の目の前になり、“ワシントンには何故いらっしゃるのですか”と聞かれたので、今回の賞の話をしたところ、“それは素晴らしい!あとでシャンパンでお祝いしましょう”と言われました。まあ、とりあえず礼儀として言ってくれているんだろうと思って、飛行機の中では食事も無視して熟睡していたんですが...。飛行機がシカゴに着く頃になって、足もとに、純白のナプキンに包まれたシャンパンのボトルがあることに気づきました。“お客様よくお休みになっていたので、お荷物になるかとは思うんですが、わたくしどもからのお祝いです”と言われて、ちょっと恥ずかしい思いをしました。

 こんな素敵な乗務員さんがいるユナイテッドですが、何と、乗り換えのシカゴで、わたしのスーツケースが出てこなかったのです。搭乗がぎりぎりだったことが原因かとは思いますが、成田発でスーツケースが出てこないのはかなり珍しいことのようです。
 ワシントンへの乗り換えのことを考えて、スーツケースはあきらめ、ワシントン行きの国内線に乗り換えたのですが、ここでも空港が大混雑で、どこも長蛇の列。後で聞いたところによると、ハリケーン被害でニュ−オリンズの空港が使えなくなり、現在、アメリカではどこの空港も代替便の運行などで大混乱しているのだそうです。その上、アメリカの飛行機はセキュリティーが厳しく、荷物検査の時、靴まで脱がされるのですから、時間がかかります。ここでも乗り換え時間は2時間もあったにも関わらず、ギリギリでやっと搭乗できた感じでした。
 

 ワシントンに到着して、荷物について調べてみたところ、わたしのスーツケースはなぜかサンフランシスコに行ってしまっていたことが判明。仕方なく、そのまま迎えの人の車に乗って、Watergate Hotelに行きました。
 ここは、ニクソン大統領のあのWatergate事件の舞台になったという、由緒あるホテル。部屋は広くて、家具や内装も素晴らしく、贅沢な作りです。きっと宿泊代も相当高いのだと思いますが、こういう重みのある高級ホテルの部屋に、日本のどんな安いビジネスホテルにでもある歯磨きセットとか寝間着セットとかスリッパとかがないのがアメリカホテルの不思議なところ。特に、スーツケースなしで来ざるを得なかったわたしのような者には。
 

 それより何より、スーツケースの中には、明日のリハーサルに使う楽譜が入ってるんですけど。それをコンペのスタッフに言うと、“ミュージシャンは、楽器と楽譜は常に自分で持って歩かなければいけないんですよ”と言われました。“だって日本ではスーツケースがなくなることなんてないから。”と言うと、“アメリカではよくあることですから。”とあっさり言われてしまいました。
 “まあ、ここにあなたが応募した時のスコアだけはあるから、間に合わなかったら、写譜すれば大丈夫!”とまで言われましたが、最近、パソコンでしか譜面を書いていないわたしにとって、今から手書きで全パートの写譜なんてできないですよ!!早速ピンチになって、この続きはまた。
 

(写真は9/19の舞台裏での一こまで、当日出演の大物ミュージシャンとのショット。左からTerri Lyne Carrington(DRS)、Herbie Hancock(P)、わたし、Bob James(P)。Terri Lyneは多分わたしと同世代だと思いますが、10歳からプロとして活動しているとのことで、貫禄が全く違いました。下の写真は、大好きなボーカリストDee Dee Bridgewaterと。写真は全てChip Somodevilla氏による。)
 

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モンク・コンペ授賞式報告その2(05.9.28)

 

 お陰様で、スーツケースは、次の日の午前中に、ホテルに届きました。9/18はわたしのリハーサル自体は夕方だったのですが、その前にスミソニアンセンターで午後1時からギター・コンペティションのセミ・ファイナルがあり、どうしてもそれを見たかったわたしとしては、午前中のうちにスーツケースの問題が解決したのは、本当に嬉しいことでした。

 モンク・コンペティションには、わたしが優勝した作曲部門とは別に、“楽器部門”があり、これは、1年ごとにフィーチャーされる楽器が変わって、8年で一回りするようになっています。ピアノ、ベース、ドラム、サックス、トロンボーン、トランペット、ボーカル、そしてギターで一巡するわけで、すなわち、今年は8年ぶりにギターのコンペティションの年だったわけです。
 この賞をとった人は例外なく大活躍しているので、これは本当に重要な賞で、今年も全世界から200人以上の応募があったそうです。セミ・ファイナルというのは、その中からデモ・テープで絞った10人のギタリストを更に3人にするための公開選考会。日本で、審査員の仕事をする機会が多いわたしとしては、自分の勉強のためにもぜひこういう本格的な審査会を見ておきたいと思っていました。

 選考過程は本当に興味深いものでした。Terri Lyne Carrington(DRS)、James Genus(B),Bob James(P)、Chris Potter(TS)というカルテットを使い、必ず1曲はモンクの曲を含め、3曲を15分の中で演奏すること、というのが10人ギタリストたちへの課題です。
 さすがに大勢の中から選ばれただけあって、みんなテクニックは抜群でしたが、正直なところ、このうち半数くらいのギタリストは、“とても上手なStudent”という印象でした。彼らはギターの腕は凄いのでしょうが、バックの超一流のリズムセクションをうまく利用するというか、うまく乗る、ということができていないなのです。ギターソロだけ聴くとそれなりに凄いなと思うのですが、直後にChrisがソロをとると、ソロの内容の濃さ、集中力、スピードの違いが目立ちました。
 まあ、今回わたしもこのリズムセクションと一緒に演奏したので、生半可な経験値では、彼らと対等にわたりあうのは難しいというのはよく理解できます。運営上、無理があるとは思いますが、本当は、彼らがそれぞれ普段一緒にやっている若手のリズムセクションと演奏した方が逆に彼ららしい演奏ができたのかもしれないです。

 最近このコンテストの出場資格に“30歳以下”という年齢制限を設けてから、明らかに出場者の平均レベルが落ちたと言っていた審査員がいました。また、これも裏話になりますが、8年前の優勝者のJesse Van Ruller(G)は、明らかにひとりだけずば抜けていたそうで、今回は、そのクラスのギタリストがいなかった分、逆に3人に絞る選考は難しかったのではないかと思いました。実際、選ばれた3人の中には、わたしにとっては意外に思える人もいましたが・・・。

 この理由は、審査員が全員ギタリスト(Russel Malone, Pat Martino,Bill Frisell,John Pizzarelli,Earl Klugh, Stanley Jordan・・・しかし、豪華かつ渋いラインナップですね。)ということが関係あると思います。やはりギタリストはギターをやっている人にしかわからない微妙な楽器テクニックを気にしますからね。たとえば、David Mooney氏が3人の中に選考された理由の中に、“7弦ギターを自由自在に弾きこなし・・・”みたいなコメントがありましたが、わたしは、それを聞くまで、彼のギターの弦が他の人より1本多いことにすら気づいていませんでしたから。

 わたしは自分も演奏する立場ですから、あまりミュージシャンを否定するような言い方はしたくありません。21日のNew York Timesの記事が、とてもわたしの感想と似ていたので、その一部を要約してご紹介したいと思います。
 “・・・・一部のギタリストたちは、このベテランの素晴らしいミュージシャンたち、特にあまりにも反応が鋭く素早いテリーリンのドラムに、逆に怖じ気づいてしまっているようだった。また、ある者たちは、表向きメインストリームに見える審査員たちの歓心を買うことに精一杯で、アンサンブルがうまく噛み合っていなかった。もちろん、全員とても上手だし、彼らが職人的・保守的な演奏を超越する瞬間も結構あったのだが。”
 

(今回はギターコンペということで、とにかく多くの大物ギタリストと出会いました。写真は左からEarl Klugh(G)、Bob James(P)わたし、Miles Okazaki(今コンペで2位になったG)、Pat Martino(G)。下の写真は、19日のステージから、Bill Frisell(G)、Pat Martino(G)、Wayne Shorter(SS)、Herbie Hancock(P)というこのコンペならではのメンバーで“Footprints”を演奏しているところ。音をお聴かせできないのが残念!)
 

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