難解とは?(06.3.1)

 

 モンク・コンペティションで優勝して何か変わりましたか?とよく聞かれますが、仕事の内容などには別に変化はありません。でも、たとえば、"Points Of Departure”が、ミュージックペンクラブ賞をいただき、また、スイングジャーナルの日本ジャズ賞の第2位に選出されたことなどは、その効果の現れでしょうか。
 この日本ジャズ賞には、各選考委員の投票結果と、投票理由が詳細に出るのですが、多くの有名な評論家の方々がわたしの作品を素晴らしい言葉で推薦して下さっていてびっくり。本当に嬉しく思いました。

 ところで、この発表が出ているスイングジャーナル2月号の、寺島靖国さんの日記コーナーにわたしのことに触れた部分がある、とある方に指摘されました。
 その内容について、そのまま引用すると、“朝日の夕刊に今年のジャズ・ベスト・3コンサートというのが出ていた。推薦者は悠雅彦氏だ。1位上原ひろみ、2位守屋純子、3位ブラッド・メルドー・ソロ。ああなんということだ。どうしてもっと普通のジャズが出て来ないのか。一般のジャズファンが喜んで聴くジャズが発表されないのか。上原ひろみはジャズもやるが、心はロックのほうの人だろう。守屋純子は必要以上に難解だ。ブラッド・メルドー・ソロにいたっては一部の人が愛好する際物というほかはない。まったくいやになるなあ。なぜもっと当たり前が出て来ないのか。ジャズのプライドと誇りはどうなっているのか。(以下、この話題はかなり長く続くが、略)”

 うーん。わたしは寺島さんの書かれた文章には賛同する時もしない時もありますが、実は寺島さんご本人に対してはとても良い印象を持っています。それは、数年前始めてお会いした時の第一声が、“お、写真で見るよりイイ女だね”だったから。
 普段から“美人ピアニスト”ともてはやされているような方々(誰のこと?)なら、“セクハラでは?”と思われる発言かもしれません。しかし、わたしは断然褒め言葉と受け取ってしっかり記憶しています。(同種の記憶がほとんどないので、いつまでたっても忘れない)
 

 今回のこの文章についても、苦言とはいえ、日米で今最も評価されている上原さんと、ブラメ様と同じ文脈で語られるとは、これぞモンク賞効果。まあ、上原さんやブラメと同じところで評価して下さったのは、実は、朝日に書いてくださった悠先生なのですが。
 この評について、きちんと全部のライブを聴いた上で選評している悠先生に対しては失礼だと思いますし、上原さんやブラメについてはあまり賛同できないように思う(わたしはふたりとも本当に素晴らしいと尊敬しています)のですが、自分に関しては・・・・。“難解”というのは、見方によってはそう思われても仕方ない部分はたくさんあると思います。
 

 でも、“難解”というのは実はすごく一般的でわかりやすい概念で、割と誰にでも指摘できること。わたしは“必要以上に”という部分がなるほどと思いました。確かに、わたしは、自分の演奏に対して、作曲に対して、更に音楽だけでなく、日常生活の色々な場面で“何もそこまでしなくても”“いくらなんでもやりすぎでは”という命名しがたい“過剰感”を感じる瞬間というのがあるのです。
 もし、寺島さんが、多分数回程度しか聴いていないわたしの演奏の中からそれを感じ取って“必要以上に”という5文字で表現されたのだとしたら、さすがだなあ、と思います。
 

(写真はモンク・コンペティションの舞台裏で、ジョージ・ベンソン氏と。)
 

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身長130cmのヒノテル(06.3.14)

 

 3/5、“アビコ・スイング・ジュニア”のコンサートが盛況のうちに終わりました。
これは、我孫子市教育委員会の主催で、主に学校で吹奏楽をやっているこどもたちから希望者を募り、ビッグバンドを結成し、3ヶ月間10回の合同練習で数曲を仕上げ、最後にコンサートとして成果を発表するというもの。わたしにとっては、以前に柏市でやっていた時から含めて、今年でこどもたちへのビッグバンド指導は5年目となります。

 募集するこどもというのは、具体的に小学校高学年から中高生にかけてなのですが、例年は中高生が中心となるのに、今年に限ってはなぜか応募者の7割程度が小学生。まだ、みんな楽器を始めたばかりで、身体も小さいのです。チューバの子など、楽器を持つと完全に隠れてしまい、彼がチューバを抱えているのか、チューバが彼を抱えているのかわからない状態。ジャズのノリがどうのこうのという以前に、ほとんど音が出ない子もいて、さすがに今回に限っては一体どうなることかと、始めは頭を抱えました。
 それでも、毎回感心するのですが、こどもたちの吸収力というのは驚異的で、コンサート直前には、それなりにどの曲も形になってきました。

 そしていよいよコンサート当日。今回は特にトランペットセクションの平均年齢が低く、7人中6人が小学生だったのですが、トロンボーンやサックスには中高生のお兄さんお姉さんたちもいるため、最後のクライマックスで全員が立ち上がって吹くと、最後列にいるトランペットのおチビさんたちは、姿が隠れてしまうのです。
 そこで、おチビさんたちは、“せんせー。最後に全員が立つと、前の人たちで先生の指揮が見えないの。全員が立つ時は、椅子の上に立ってもいい?”と言い出しました。
 “楽器をもって椅子に立ったりすると、椅子が倒れたりして危ないからダメ。”
 “じゃあ後ろの列に一段上がっても良い?”(後ろの列はドラマーやベーシストのために更に一段高くなっている)
 “それもドラマーの邪魔になるからダメ。わたしの指揮は前の人たちの間から見えるでしょ。”
 彼女たちが言うことは最もなのですが、何しろ、今回はこどもたちの数に比べて物理的にステージの幅が狭く、そう言うしか仕方がなかったのです。しかし、彼女たちは明らかに不満そうでした。
 

 そして本番。“イン・ザ・ムード”の最後、全員が一斉に立ち上がった瞬間、結局、彼女たちはわたしの注意は無視、勝手に自ら後列の一段高いところに上がって吹いていたのでありました。
 しかも、“オマエはヒノテルか?!”というような鬼気迫る表情で、“ツカッカー”という裏打ち込みをビシビシ決めているではありませんか。最初に会った時は、“プシュプシュ”というような、蚊の鳴くような、頼りなく情けない音しか出なかったというのに・・・・・。
 

 そこではわたしは気づいたのであります。
 “せんせーの指揮が見えないの”というのは、こどもなりのタテマエ。彼女たちの本音は、“高いところに立たないと、アタシが前から見えなくなっちゃう。”“アタシの音が前に届かなくなっちゃう”だったのです。
 ジャズにとって、一番重要なことは、ジャズ独特のリズムでもテンションでもフレーズでもありません。自己主張すること、即ち“わたしは今ここにいる”と訴求する精神こそが最も大切なのです。
 そして、日本の義務教育にはそれを教えるカリキュラムが著しく欠けていると、わたしは思います。
 

 今回のアビコのこどもたちは、たった3ヶ月、10回程度のジャズ練習で、このジャズの最も根幹となる精神を習得してしまったのです。 
 

(写真はモンク・コンペティションの舞台裏で、伝説のトランペッタ−、クラーク・テリー氏と。)
 

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お金より大切なもの(06.3.31)

 

 3/12浅草ジャズコンテストの審査員をさせていただきました。今年も大変レベルが高く、大いに盛り上がりました。

 さて、このコンテストには、わたしが昨年参加したモンク・コンペティションより明らかに優れているところがあります。
 それは表彰式。このコンテストには部門が3つあり、それぞれの部門の3位までの受賞者に、一位20万円、2位10万、3位5万円の賞金、大中小のトロフィーと表彰状が授与されます。“浅草ビューホテル2名様宿泊券”みたいな、地域性を生かした副賞も用意されています。  

 昨年、モンクコンペティションでのわたしの賞金は1万ドルでしたが、それはモンク・インスティテュートのペラペラのビジネス封筒に小切手が1枚入っているだけ。2-3万円程度のお祝い金でも、きれいな祝儀袋に包む習慣のある国から来た者としては大変味気ない気がしました。 
 仕方なく、わたしは司会のハービー・ハンコックにその封筒にサインをしてもらい、個人的に封筒の価値を高める工夫をしました。ハービーも心得たもので、通常の英語サインだけでなく、“これは珍しいんだ”と言い乍ら、カタカナでもサインしてくれましたよ。(上記はその現場写真です。右にいるのは、米国著作権協会BMIの社長で、今回の賞金のスポンサー。)
 しかもその小切手の額面はなぜか9000ドル代で、それはギタリストのギャラがここから天引きされていたからです。
 演奏時のギタリストのギャラだけはわたしがもつ、というのは最初から決まっていたことで、そのことには全く文句はないんです。渡航費もホテル代も全部出していただいていましたし、自分のお財布から払うのだったら何の問題もないのですが、賞金から引かれるのは嬉しくないかも・・・。あの時のギタリスト(アンソニー・ウイルソン)は絶対彼のギャラはわたしではなくモンク・インスティテュートから出たと思っているはずです。

 それに引き換え、浅草コンテストの賞金は、3位5万円でも立派な祝儀袋に恭しく包まれて渡されます。トロフィーも浅草に縁のある何かをかたどって作られたものらしい。そして、表彰状は、プロの書道家さんが、筆で一枚一枚書いたもの。
 いわゆる審査員控え室には、審査員と運営スタッフの他に、書道専門家がいて、受賞者の名前が決まる度にその方の名前をあらかじめ彼が書いておいた賞状に入れていくのです。最後のバンド部門など、受賞者が決定してから表彰式まで、ほとんど時間がないので、早く乾くように、書道家の方が、名前の部分だけにドライヤーをあてているのを見たりすると、しみじみ“日本ってイイなあー”と思います。

 わたしがいただいた小切手はその後、日本の銀行で、“これは日本では換金に手間取るものなので、小切手でなく口座振込に変えるように御相手に言ってもらえませんかねえ”などと言われ、それも無理なので、色々な名目の手数料と時間をとられて、やっとのことで換金できました。でも既に使ってしまって手許にはないのですが。
 

 賞金を何に使ったのかは、また別の機会に書くとして、わたしは思うのですが、やはり、お金というのは、いくらいただいてもいつかは使ってしまうもの。残らないものだし、使うことに意義があるのだから、残らないところが良いところだとも言えると思うのです。
 でも、トロフィーや賞状は、いつまでもその日の思い出と共に残るもの。こういう“お金では手に入らないもの”にこそ独特の価値があるような気がするのです。

 と思っていたら、“Points Of Departure"が、今年度の“ミュージック・ペンクラブ音楽賞”をいただくことになりました。これは日本の音楽評論家の団体がその年の最も優れたアルバムを1枚選出するという賞。
 事務局側は“賞金が出なくて、賞状と盾だけなんですが・・・”といかにも申し訳なさそうにおっしゃるのですが、わたしが欲しいのは、まさに、その賞状と盾。ということで4/7の表彰式が楽しみです。
 

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