ウイントンと共演しちゃった(98.7.27)

 

 前回、川崎市がビッグバンド・ジャズフェスを主催していてエラい!という話を書きましたが、横浜市は更に上を行っています。何と、ウイントン・マルサリス監督のあの“リンカーンセンター・ジャズ・オーケストラ(LCJO)”を7/16-21の6日間にわたって丸ごと呼んでしまったのです。この期間、“みなとみらいホール”において、コンサートを中心に、セミナーやクリニックなど、実に多彩なプログラムが展開されました。
 今回、わたしは初日のコンサートと最終日のバンド・クリニックを聴いてきました。
 

 最近、わたし自身もビッグバンドで演奏したり、譜面を提供する機会が増えてきたので、こういった一流のオケを聴くとき、自然に“自分たちと違う点はどこだろう”という聴き方をしてしまいます。
 日本のビッグバンドも最近はどんどんレベルが上がってきているので、一般的にはアメリカのバンドの方が技術が高いとはいえ、差異は相当縮まってきているのではないかと思います。
 それでも、初日のコンサートを聴いて、2点ほど“本質にかかわる”ところでの違いを感じたような気がしました。
 

 第一は“繊細さ”ということです。迫力で押せるフォルテやフォルテシモというのは、それなりに表現しやすいものです。しかしダイナミクスは振幅の幅ですから、小さい音量を繊細に表現できないと、せっかくのフォルテシモも生きてきません。そして、小さい音を、スイング感を損なうことなく美しく響かせるのはとても難しい。
 LCJOでは、ごくごく小さい音にも芯があって、遠くまでよく通っていました。このあたりは見習わなくてはいけないな、と思いました。
 第二は“ユーモア”ということです。彼等の演奏には、何気ない中に思わずニヤっとさせられる、ユーモアあふれる箇所がたくさんありました。アンサンブルにも、ソロにも、そしてソロをとっていない時のメンバーの態度にも。
 わたしは、個人的に、優れた音楽というのは、“哀愁”と“ユーモア”とのバランスがとれたものだと考えています。一般的に、日本人は“哀愁”の表現は得意な反面、“ユーモア”の表出は苦手なのではないか、と思います。(音楽に限らず、あらゆる分野において。)
 ユーモアというのは、心の余裕、客観性、冷静さなど、精神面と深くつながるものです。もうほんのちょっとだけ、肩の力を抜いて、遊び心をもった演奏できるようになりたいものだと思いました。
 

 これらのプログラムとは関係なく、19日の深夜、関内のライブハウスでお忍びのジャムサッションがありました。今回のメンバーは若手中心なので、ビッグバンドと講義だけでは、さすがに欲求不満なのか、ここでは、各人納得するまでソロを吹きまくっていました。なぜかピアノのエリック・リードが不在だったので、わたしも、彼等と共演させていただきました。セッションとはいえ、ウイントンと共演できる機会というのは、そう滅多にないものです。ラッキーで貴重な体験でした。
 

 最終日のバンド・クリニックは、中学・高校・大学・社会人の4つのビッグバンドに対して、LCJOが公開指導を行うというもの。ジャズの教育に並々ならぬ情熱を注ぐウイントンだけあって、4時間にわたるクリニックは本当に充実したもので、学ぶところはたくさんありました。
 この日の内容に関しては、“ジャズライフ”9月号(8/11発売)に詳しくレポートしました。ジャズに限らず、音楽教育一般に関心のある方に、是非読んでいただきたいと思います。

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“青酸カレー”で思い出す(98.8.5)

 

 現在、ニュースで一番の話題になっていることといえば、やはり例の“和歌山青酸カレー事件”ではないでしょうか。
 こういう事件があると、日本ももはや安全な国ではないのだな、と思ってしまいます。まあ、地下鉄サリン事件以来、日本の安全神話は完全に崩れているのですけど。
 被害に遭われた方は本当にお気の毒ですし、とにかく早く犯人が捕まってほしいものです。
 

 ところで、わたしは、お祭り等の屋台のものというのは、衛生上絶対食べない方が良いと常々思っています。
 わたしの家のすぐ近くに、“屋台専用仕込み屋”みたいな作業所があるのですが、今ごろのような、夏祭り、花火大会の季節になると、特に忙しそうで、焼そば、お好み焼、綿菓子、等の材料の下ごしらえに余念がないようです。常時、数人の若者が働いていて、夕方になるとトラックでお祭り会場に材料を運びに行くのです。
 

 そこでは、たとえばタコ焼きを例にとると、卵をポリバケツに数十個単位で割り入れ、業務用の大きな小麦粉の袋を数袋、無造作に入れ、切り刻んだ大量のキャベツやタコを突っ込んで、それを大きな棒でかき回す、なんていうことをやっているわけです。ポリバケツですよ!ポリバケツ。もちろん、ポリバケツもかきまぜ棒もちゃんと洗ってから使っているのでしょうけど、あの様子をしょっちゅう見ていたら絶対野外で売っている食べ物は口にしたくなくなると思います。
 働いている男性はみんな上半身裸なんですよね。それが、暑いからか、全身に彫られた立派な入れ墨を見せびらかすためかは(ここで働いている方たちは、皆さんそのスジの若い衆、といった雰囲気)よくわかりませんが、とにかく、あのタコ焼きの中に、彼等の汗がブレンドされていることは確かです。
 

 もちろん、彼等が一生懸命働いて流す汗を“毒物”と一緒にして語っては失礼ですが・・・。

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山野観戦記(98.8.15)

 

 8/8、9の二日間、日本青年館において毎年恒例の“山野ビッグバンドコンテスト”が行われました。今年も40数校の大学ビッグバンドが参加したそうです。
 私はゲストバンドの一員として、1日目の方に出演させていただいたのですが、そのついでに10数校の演奏を聴いてきました。
 10年ほど前までわたしもこのコンテストに、参加する側だったわけですが、久しぶりに学生の演奏を聴いて、“随分レベルが上がったなあ”と感心しました。
 

 1番感じたのは、各学校がそれぞれじぶんたちの得意・不得意をよく知っていて、それをうまく生かして個性あふれる演奏をするようになってきたこと。一昔前までは、40校のうち、15校くらいは、“ビッグバンド”という形にするのが精一杯で、個性がどうの、というレベルまで全く達していなかったように思うのですが、今回は出演バンドごとにカラーが感じられ、ずっと聴いていても全く飽きませんでした。
 学生ビッグバンドというと、一般に、“若気の至り”というか、ちょっと荒削りだけど、若者らしく勢いがあってヨロシイ、という演奏が中心だったと思うのですが、今回の山野では、非常にソフトで繊細な表現を見事にこなすバンドも見受けられ、バンドごとの個性の幅も広がってきているのがよくわかりました。
 さらに、ソロの腕も全体に上がってきているような気がします。学生の場合、アンサンブルは相当な線まで仕上がっていて、“これはすごい!”と思って聴いていても、ソロパートに入った途端、“やっぱりまだまだだなあ。”と思わせてしまうことが多いのですが、今回は聴き応えのあるソロが結構ありました。
 

 1日目は京大、阪大、名古屋大、金沢大等、東京以外の大学のビッグバンドが比較的多く出演していました。わたしは、アレンジャーU氏の奥様と一緒に聴いていたのですが、彼女は“特に地方の大学の演奏は、それぞれの地方の風景が演奏から見えてくるようだ”とおっしゃていました。うーん、残念ながらわたしにはそこまでは見えませんでしたが、それだけ演奏にバンドごとのカラーと特色が感じられたことは確かです。
 

 優勝は2日目に演奏した早大ハイソと慶大ライトだったそうですが、わたしが聴いた1日目のバンドより更に良い演奏として評価されたということは、きっと相当な出来映えだったのでしょう。
 

 今回、私は中央大学のビッグバンドに譜面を書きました。他バンドがベイシー、エリントン、サドメル等を始めとした、お手本演奏のある“定番もの”中心なのに、わたしのオリジナルなどで、良いんでしょうか?とても心配でしたが、当日は大変素晴しい出来映えで、お陰で、審査員(前田憲男さん)のコメントの中では、私の譜面についても、随分褒めていただきました。
 残念ながら入賞は逃してしまったそうですが、私の作品をとりあげて素晴しい演奏に仕上げてくれた彼等に感謝しています。

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高校野球の思い出(98.9.4)

 

 今年の全国高校野球は例年になく盛り上がりましたね。
 野球のように、投球、打球、守備、監督の采配等、複雑な要因が絡まりあう団体スポーツで勝ち続けるのは、本当に難しい事だと思います。プロ野球でも、ひとつのチームが勝ち続けることは滅多にないのですから、全国に何千とある高校野球チームの頂点に立つというのは、奇蹟のようなことでしょう。
 実際今年優勝した横浜高校の戦いぶりは、奇蹟という言葉でも足りないほどの、ドラマチックな展開でした。
 

 ところで、今大会のヒーローとなった松坂大輔の名前は、彼が生まれた年に甲子園で大活躍した“荒木大輔”にちなんでつけられたのだとか。彼に限らず、今年の甲子園に出場した全国の選手の中には、10人以上も“大輔”がいたのだそうですね。荒木といえば、思い出すことがあります。
 

 わたしは、都立青山高校の出身なのですが、わたしが高校生の時に、この都立青山が都の予選の1回戦でいきなり、荒木を擁する早稲田実業とあったったのです。
 わたしたちは、当時から“高校生投手N0.1”の呼び声が高かった荒木を一目見ようと、みんなで応援に行きました。
 当然ですが、あちらは、都立高校相手にレギュラーを使ってくるはずもなく、試合に出てきたのは控えのメンバーだったようです。それでも試合は一方的で、簡単に10点以上の差をつけられてしまいました。
 ところが、あちらも相当気を抜いてやっていたのか、6回に何かの拍子で青山が1点を返したのです。
 そのとたん、青山高校側の応援席から巻き起こる“荒木を出せ!”コール。(ベンチの中には一応荒木がいたのです。)もちろん、荒木が出てくるはずもなく、試合は7回でコールド負けとなりました。
 

 あのとき、たまたま1点とったくらいで、“荒木を出せ!”とか騒いでいた私たちと、ベンチのなかで遠く甲子園に思いを馳せていた(多分)彼と・・・。わたしたちはお互いまだ15、6年しか生きていないのに、随分差がついてしまったなあ、同じ高校生といっても平等ではないのだなあ、とその時鮮烈に感じた記憶があります。
 結局この年の早実は、甲子園の決勝戦まで進んで横浜高校に破れ、荒木大輔は一大フィーバーを起こすことになったわけです。
 

 今年の松坂君ブームで、彼の名前の由来ともなった荒木氏が、新聞やテレビに出演してコメントを出しているのを見ました。選手を引退して、プレイから離れた荒木は、わたしたち一般人の側に戻ってきたように見えました。
 

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