“セッション98”の収録(98.9.21)

 

 9/12の“セッション98”公開録音は、お陰様で立ち見も出る盛況ぶりでした。大勢の方にいらしていただき、どうもありがとうございました。
 この番組は、現在、ジャズプレイヤー自身がやりたいように演奏できる、ほとんど唯一の番組ですが、独特の難しさがありますね。というのも、この番組はライブでありながら、録音されるからです。
 

 わたしは、基本的に“録音”と“ライブ”は別物だと思っています。CD等に代表される“録音”は、不特定多数に向けて発表され、後で繰り返し再生されることを目的としています。技術的・時間的な制約はあるにせよ、部分的な録り直しも十分可能です。
 それに対して、“ライブ”はその場にいるオーディエンスと自分たちが、最も楽しくなれるような演奏が目的なわけです。多少荒くても、オーバーでも、ミスがあっても、勢いがあって場が盛り上がる演奏が大切になってくるわけです。
 ところで、“セッション98”は、ライブ録音です。その場にいる200人近いオーディエンスに楽しんでいただき、かつ、後日のFM放送にも耐えられる内容を保たなくてはいけないわけです。この番組を毎回録音しているファンもいるという噂ですから、繰り返し再生される可能性もあります。また、この番組は収録であるにもかかわらず、録り直しはきかない“ぶっつけ本番”です。その理由は知りませんが、昔からそうなのです。間違えようがどうしようが、途中でテープを止めてやり直すことはできないので、緊張感は生放送と同じです。
 

 こういった番組では、普段以上の緊張から思わぬ失敗があったりするので、普段どおりの力がだせれば大成功です。実は、わたしは既に収録DATを戴いており、内容は聴いたのですが、今回はそういった意味では、全体的にまあまあうまくいったのではないかと思っています。
 わたしが、今回一番心配していたのは、ソロの長さのこと。普段のライブでは、1時間に5曲を演奏しますが、今回は7曲演奏したので、当然1曲の中でのそれぞれのソロは短いわけです。普段ソロを7コーラス演奏しているところが3コーラスだったりするわけで、その分言いたいことが言いきれず、消化不良になってしまうのではないか、という不安がありました。
 しかし、これに関しては全くの杞憂でした。みんな、短いなら短いなりに、その中で起承転結というか、ストーリーのあるソロをとっていて、また、ベースやドラムもその場面展開をよく助けていました。(ピアノもその仲間に入れて良いか、自分のことは判断できない・・・。)今さらこんなことを言うのはとてもおかしいのですが、“さすが、みんなプロだな。”とメンバーに対して、改めてとても感心してしまいました。
 

 もし欲を言うのならば、やはり少し慎重でお行儀の良い演奏になっていたかな、ということです。慎重というのは、いつも以上に気を遣っていたということで、悪いことばかりではなく、間違いが少なく、丁寧な演奏だったとは思います。ただ、“多少のミスはあっても、そんなことは構わないくらいの勢いのある大胆なプレイ”といった意気込みが加われば、更に良い演奏になったのではないかとも思うのです。そういえば、CDを録音した時も同じような感想を持ったんですよね。
 こればかりは、理屈ではなく、“緊張”を強いられる場面を何度も経験していかないとうまくいかないことのようです。
 

 ところで、今回はハイビジョンでの放送もあるのです。音は確認したものの、“毛穴のひとつひとつまで鮮明に写る”と脅されているハイビジョンの方はどんな風に写っているのやら。

   目次へ

  

噂の女(98.10.16)

 

 最近“噂の女”といえば、あの“保険金疑惑の夫人”ですよね。
 彼女は、逮捕される1か月以上も前から、“疑惑のX夫人”として有名だったわけですが、逮捕されて実際に本人を見てびっくりしました。“いかにも悪そうな”といったイメージは全くなく、典型的な“肝っ玉母さん”タイプの庶民的女性だったからです。保険金で儲けたお金で、外車だの宝石だの毛皮だの買いまくっていたそうですが、そういう物が一番似合わないタイプと言えそうです。周囲の人が、彼女にあまり警戒心をもたず、そのために騙されてしまったことにも納得がゆきます。
 ご主人の方は確かに“人相が悪い”方かもしれませんが、この人は共犯者に過ぎなかったどころか、被害者のひとりだったのかもしれないのですから、彼のことは問題ではないでしょう。
 

 今回、彼女は色々な意味で、わたしたちの“犯罪者”に関するイメージや思い込みをくつがえしたと思います。第一に人殺しがからむような凶悪犯に女性はまずいないだろうという思い込み。特に(彼女には子供が4人いたそうですが)“母親”という立場の人は、子供の事を考えたら凶悪犯罪は起こせないはず、と思うのが普通でしょう。それと、これはわたしだけの偏見かもしれませんが、“太っている人に悪い人はいない”という思い込みも。
 

 実はわたしたちが“常識”と思っていることのかなりの部分は日本国内でしか通用しないものです。外国に行くと“日本の常識は世界の非常識だな”と感じることがよくあります。でも、国内でさえ、今までの常識は通用しなくなってきているようなのです。
 やはり大きなきっかけは“地下鉄サリン事件”だったような気がします。あの時、まさか日本で宗教テロは起きないだろう、という思い込みが見事に崩されてしまいました。そのあとは、“まさか関西に地震は来ないだろう”“最近の子供が悪くなってきたとはいえ、殺人まではしないだろう”“不景気とはいえ都市銀行がつぶれることはないだろう”・・・・・こういった自分の国に対する安心感というか信頼感は次々と裏切られている気がします。
 

 最近は、わたしたちの中に、ちょっとやそっとのことでは驚かないメンタリティーが作り上げられてきているように思います。ニュースを見るたび、新聞を開くたびに、“さあ、次は何?”と構えてしまうような心境です。

    目次へ