“おぼろ月夜”で“シンガーズ・アンリミテッド”?!(98.2.15)

 

 最近“ブリーズ”という4人組コーラスグループのCD作りに参加させていただきました。
 これは、“ブリーズ”が“空よ”“少年時代”“ヤシの実”“ふるさと”などの日本の名曲をジャズにアレンジして歌うというもの。ジャズ系のアレンジャー5人に2曲ずづアレンジを依頼する、という企画で、わたしも2曲を担当させていただくことになったのです。
 ブリーズはジャズのグループなので、レパートリーは英語の、しかもジャズナンバーが殆どですが、それが全曲日本語のCDを作ることになったのには、色々と事情もあったようです。それはともかく、わたしが依頼されたのは、名曲中の名曲ともいえる“浜辺の歌”と“おぼろ月夜”でした。
 プロデューサーは始めのうちこそ、「守屋さんのお好きなようにアレンジしてください」などとおっしゃっていたのですが、話が進むにつれ、「こちらとしては、“浜辺の歌”は、コルトレーンの“マイ・フェイバリット・シングス”風に、“おぼろ月夜”は“シンガーズ・アンリミテッド”風アカペラに、なーんて考えているんですが。いえ、まあ、あくまで希望なんで、気にしていただかなくて結構なんですがね・・・。(それなら言うなー)」なんて本音が出てきたのです。
 

 “マイ・フェイバリット・シングス”は超有名なので、説明の必要はないとして、“シンガーズ・アンリミテッド”はどのくらいポピュラーな存在なのでしょうか。それは、70-80年代に多くのアルバムを発表した女声1、男声3の4人編成のスタジオ系コーラスグループで、最大の特徴は多重録音による緻密で完璧なハーモニー。多重録音を駆使しまくっていたためか、ライブは全く行わなかったそうです。特にアカペラものは素晴しく、テクニック的にはマンハッタン・トランスファーもNYヴォイセズも凌駕するグループです。
 

 でも、まあ、3、4日もあれば完成するか、なんて思っていたのが、大きな間違い。
 とにかく、日本語の曲をコーラス・アレンジした経験がないので、今回は苦労しました。日本語って本当にジャズ的なビートにのらない。どこをどういじっても、歌詞がジャズ・ビートに合わないのです。
 “浜辺の歌”では、途中に原曲とはまったく異なるモード風の進行を付け足して、コルトレーン派(たぶん)の黒葛野敦司氏にソプラノサックスで、ソロをとってもらいました。それでも、あまり“マイ・フェイバリット・シングス”風とはいきませんでしたが・・・。
 

 “おぼろ月夜”の方は7声のアカペラにアレンジしました。基本となる4声の部分はそれなりにまともなラインなのですが、5-7声目になってくると、テンションを担当するラインなので、それぞれのラインは相当不気味なラインになってきます。そこだけ単独で歌うとオバケが出てきそうなヘンテコなメロディー・ラインで、書きながら、こんなの、書いちゃって良いのかな、という感じでした。でもまあ良いか、わたしが歌うわけじゃないんだし。
 アレンジャー側のこんな態度にも拘わらず、ブリーズのメンバーは非常によく練習して仕上げてきてくれたのですが、それでも、この曲の録音には5時間半もかかってしまいました。プロデューサーによれば、“1曲のヴォーカル録音にかかった時間の最長不倒記録”を達成したそうです。
 

 そこまで苦労した結果は・・・。わたしは、トラックダウンの途中までしか付き合えなかったので、、あくまで感触からいうと、ですが、この“おぼろ月夜”、どうもちょっとばかり“シンガーズ・アンリミテッド”な気分というか雰囲気というか、が漂ってきそうな気配なのです。完成品を聴かない限り何とも言えないですが・・・。
 CDのでき上がりが楽しみです。
 

  プライバシーって?(98.3.10)

 

 最近日本初の臓器移植が大きなニュースになりました。臓器移植で命が助かる方が出たのは本当に素晴しいことだと思います。でも、これを機会にドナーカードをもつ人が増えるのでしょうか?
 

 今回、病院の前で脳死判定が出るかどうか、待ち続けている大量のマスコミ関係者を見て、わたしがまず思い浮かべたのは“若の花の離婚騒動”でした。ご家族が“そっとしておいてほしい”と切望しているにもかかわらず情報を公開しろ、とたむろしている報道陣に、若の花が離婚するのかしないのか(しかも離婚した方が記事になって面白いと思っている本音がありあり)、二子山部屋前で待ち構えている報道陣と共通するものを感じてしまったのです。
 確かに脳死判定のような大事なことを密室で決めてしまうのはそれはそれでよくないことですし、取材する必要はあると思います。でも、こういうことは、誘拐報道の場合のように、とりあえず取材だけはして、報道は規制し、全てが終わった段階で発表する、というので十分なのではないでしょうか。
 

 今回、ピクニックにビールやジュースを入れて持っていくるようなクーラーボックス状のものに、人の臓器を入れて運ぶ映像は衝撃的でした。でも、もっとびっくりしたのは、臓器を運ぶ車を後ろからはオートバイが、上からはヘリコプターが追いかける、というマスコミの姿勢です。
 自分や自分の家族が亡くなった時に、ああいう目にあいたい人はまずいないんじゃないんでしょうか。あの報道を見て、ドナーカードを持つことに二の足を踏んでしまう気持ちになった人はたくさんいると思います。
 プライバシーって何なのでしょう。もしかして日本ってプライバシーに関しては物凄く後進国なのでは?と改めて考えさせられる報道でした。
 

わたしたちのスタンダード(99.3.24)

 

 前々回のこの欄で書いたコーラスグループ、Breezeの日本のうたのCD“風吹くころ”が出来上がり、わたしのところに送られて来ました。通して聴いたてみましたが、ジャズファンにもそうでない方にも広く勧められる、大変クオリティーの高い素晴しい内容です。
 

 このCDは5人のアレンジャー(ブリーズはゴレンジャーといっているらしい)による競作となっています。今回わたしが一番興味があったのは、他の4人のアレンジャーが日本語の有名曲をいかにアレンジしているか、ということでした。この点では、皆さん、美しいメロディーに対するイメージの強さや、ジャズ的リズムに乗らない日本語など、全く同じところで悩んでいたりようです。
 結局、どの曲もバックの楽器構成やアレンジには凝っていても、曲のメロディーそのものには大きな変更がなく、原曲を生かした素直でシンプルなアレンジになっていました。とはいってもそれぞれのアレンジャーの個性や特徴はしっかり出ているところが面白い聴き所なのですが。
 

 さて、このCDを早速わたしの両親に聴かせてみました。
 反応は思ったとおりというか、最初のうちこそ黙って聴いていましたが、とにかく知っている曲ばかりなので、そのうち、それぞれがCDに合わせて鼻歌という感じで歌い出してしまったのです。(もちろんわたしも含めて)
 特にわたしの母は趣味でコーラスに通っているくらいなので鼻歌というよりは、独唱という雰囲気に近い。お陰で、CDの微妙なアレンジや繊細なコーラスワークはかき消され、わたしの母による“少年時代”や“赤いサラファン”を聴くことになってしまいました。
 

 これが、“You'd Be So Nice To Come Home To”や“バードランドの子守歌”、“Sunny Side Of The Street”あたりだったらどうでしょう。これらはジャズヴォーカルの定番中の定番で、わたしも伴奏した回数は100回や200回ではきかないと思うのですが。それでも思わずこれらに合わせて歌いだしちゃう、という人はほとんどいないのでは。
 このCDに入っている“空よ”“やしの実”“浜辺の歌”“ふるさと”・・・などは、日本人なら世代を問わず誰でも知っている美しいメロディーと歌詞をもっています。思わず一緒に口ずさみたくなってしまうのはごく自然な反応でしょう。もしかしてこういった唱歌や童謡が“わたしたちのスタンダード”なのでは・・・?
 

 (このCDは4月より全国の主要CD店で販売が開始されるそうです。より確実に入手できる通信販売の方法もあります。“Shopping”のコーナーをご覧下さい。)
 

ハービー&カーラ(99.4.28)

 

 先々週は、月曜日に“青山ブルーノート”へ、火曜日に“六本木スイートベイジル”に行ってきました。というと、まるでこういった高級店にしょっちゅう出入りしているかのようですが、両方とも初めて行ったのです。
 

 新装開店した“ブルーノート”はとにかく広くて贅沢な作りで、以前の2.5倍の広さはあるでしょうか。この週の出演はハービー・ハンコック・カルテットだったのですが、さすがはハンコック、入れ替え制で1万円のチャージにもかかわらず、場内は満席で、ここだけは不況もどこへやら、といった雰囲気でした。
 演奏内容は相変わらず素晴しかったのですが、アンコールを含めて4曲、1時間しか演奏しなかったのは、“カンタロープアイランド”“ドルフィン・ダンス”といった大ヒット曲が聴けたとはいえ、ちょっと物足りなく感じました。4曲で1万円ってことは、1曲につき2500円・・・。(なんて、とてもミュージシャンとは思えない超ケチケチ発言。)
 

 “六本木スイートベイジル”もとても贅沢でバブリーな造りで、客席数約300という広さでしたが、やはり満席でした。この週はカーラ・ブレイ・オクテットの出演で、カーラの自分のバンドでの来日は久しぶりなためか、客席には、ミュージシャンの姿も多く見受けられました。
 このオクテットでの演奏は今回の日本が初演で、しかも火曜日は初日だったため、全員必死で初見の譜面と格闘している様子がありありでした。(とはいっても演奏は素晴しい。)この日はほとんどリハーサル代わりのつもりだったのか、“とにかく用意した曲は全部やってみよう”という感じで、アンコールを含めて約9曲、通しで2時間以上の演奏で、聴衆としては大満足でした。
 (ハービーの話とも関連してですが、もちろん、単純に演奏時間が長ければ長いほど嬉しい、と思っているわけではないんです。10分でも“早くヤメてよ”と感じるようなつまらない演奏というのもあるとは思います。ただ、良い演奏はたくさん聴きたいな、ということなんです。特に海外ミュージシャンは聴けるチャンスが限られていますから。)
 カーラの曲というのは、CDで聴くととてもシンプルで、技術的にはあまり難しくなさそうだし、決めごとも少なそうに聞えるのですが、ステージ上の譜面台を見ると、オクテットでもビッグバンドの譜面のような勧進帳状態。ルー・ソロフ、ゲイリー・バレンテといった超絶技巧派のベテラン・ミュージシャンが必死になって譜面を追いかけている姿は、普段の余裕たっぷりの演奏ぶりとは様子が違って、なかなか興味深いものがありました。
 

 カーラには同じ週にインタビューをする機会もありました。音楽はなかなかにエキセントリックな彼女ですが、とても穏やかでやさしくて、気さくな方でした。わたしが彼女に対して常々感じていたのは、“どうしてあんなに次々色々な種類の作品を生みだせるのか、創作の源はどこにあるのか”というとても本質的な疑問。今回はこの謎にじっくり迫り、なかなか良いインタビューがとれたのではないか、と自分では思っています。
 

 (ハービーのライブレポートは“Jazz Life”6月号に、カーラへのインタビューは同誌7月号に掲載される予定です。)
 

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