10000ヒット記念(99.8.1)

 

 7月17日、このHPは10000ヒットを超えました。いつもお立ち寄りいただきありがとうございます。
 いつもこのコーナーでわたしのひとりよがりな話を書いているわけですが、ご愛読御礼ということで、今回は趣向を変えて、わたしが最近聞いた“気になる話”のおすそ分けをしたいと思います。
 

 わたしは“Jazz Life”という専門誌から来日ミュージシャンのインタビューの仕事をいただくことがあります。
 今までわたしが担当してきたミュージシャンを思い返してみると・・・ヨーロピアン・ジャズ・トリオ、故ケニー・ドリュー、アーマッド・ジャマル、マーカス・ロバーツ、フィリップ・セス、ハービー・ハンコック・・・などなどこの雑誌のオタクな性格上、インタビュー相手の顔ぶれも相当ユニークです。
 有名ミュージシャンとじっくりお話しできる機会というのはそうそうあるものではなく、わたし自身にとってそれは大変良い勉強になっています。素晴しい音楽を創造する人は、やはり、インタビューでも面白く、素晴しいお話しをなさるものです。
 今回は最近担当した二人のインタビューからわたしが特に感銘を受けた会話をご紹介したいと思います。音楽という枠を超えて、人間としての生き方の本質に触れる、と感じた部分ですが、どうでしょうか。(なお、両インタビューの全文は“Jazz Life”8月号に掲載されています。)
 

(カーラ・ブレイ・インタビューより/カーラは色々なタイプの音楽を書いているにも関わらず、どの曲にも常に独特の“カーラ・サウンド”が共通して感じられるのは、なぜだろうかという質問に対して)
“その秘密はたぶん、わたしが正式な音楽教育を受けていないことから来ていると思うの。わたしは、誰かに作曲や編曲を習ったことはないし、音楽学校に行ったことがないどころか、普通の学校でさえ15才でドロップアウトしているんですもの。
 だからわたしは何も知らないのだけど、知識がないって素晴しいことよ。それは自分の中にビッグ・スペースがあるということで、自分がやりたいように出来る、ってことなのよ。‘これは正しくて、これは間違っている’なんて余計な知識に脅かされることなくね。”
 

---ひとつでも多くの情報や知識を持っている方が良い、というのが現代の普通の思考法でしょう。知識を得るためにあくせくする、というのが、わたしたち現代人の一般的な姿。“知識がないって素晴しいことよ。”とは大変なアイロニーな訳ですが、よほどの自信がなくてはこういうことをサラッと言えるはずもなく、大いにハッとさせられました。
 

(ブラッド・メルドー・インタビューより/ブラッドのソロCDを通して聴いていて、まるで、約1時間の‘記憶のツアー’に出ているような気分になった、というこちらの感想に対して)
“僕にとって音楽が特別だと思うのは、それが‘記憶(memory)’に働きかける、という点なんだ。音楽は時間軸に沿って流れるから、僕たちが音楽を経験する時、同時に時計は進み、人生は過ぎていく。絵画を見るように、一瞬のうちに経験することは不可能なわけだ。
 だから音楽を体験することは、僕たちが‘死にゆく運命にある(mortality)’ことに気付くことなんだ。僕らは生き、死んでいく運命である・・・音楽を聴きながら、刻々と時は過ぎ、それがメモリーになっていくことを感じるわけだから。そしてそれは心地良い体験でもあるんだ。自分はいずれ滅びることを知り、そしてそれを当然のこととして受け入れることができる過程なのだから。
 これは僕が音楽に対してずっと考え続けていることなんだよ。”
 

---1時間のCDなりコンサートなりを聴けば、わたしたちは1時間齢をとり、それは1時間分確実に死に近づいたことになるわけです。その事実は子供でもわかります。だからといって、まだ29才の青年がこんな風に考えるのでしょうか・・・。
 

 (写真はカーラの最高傑作のひとつとされている“Live!”(81年)。印象的なジャケットも含めて、名盤です。)
 

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買っちゃった、G3(99.9.3)

 

 Macを使い始めて10年近くがたちます。
 だから最近iMacがヒットしたお陰で、Windows機に押されっぱなしだったMacの認知度がやや上がってきたのは嬉しい限り。わたしの周りでもiMacの出現を機にパソコンを始めた、という知り合いが結構いるのです。でも、今頃始めた人がわたしよりずっと安く、速く、使いやすく、快適なMacを使っているというのはなかなか悔しいものです。(こんなことを言っているから、気が強いとか負けず嫌いとか言われてしまうのだが)
 

 そこでついに買っちゃいました、G3。
 わたしにとっては4台目のMacですが、トランスルーセントでカラフルな洗練されたデザイン、タワー型のボディーは今までとは全く違うユニークさで、十分にわたしの所有欲を満たしてくれるものでした。機能の割には値段も相当安くなっていましたし。
 しかし、しかし。G3が今までのMacと違うのは外見だけではありませんでした。MacはこのG3から周辺機器との接続方式をUSBという全く新しい方式に変更してしまっていたのです。事前にそのことは知識としては知っていましたが、新機種ほしさにあまり深く考えず、買えばまあどうにかなるだろうと思っていたら、全然どうにかならないのです。
 SCSI接続だったプリンターやモデムや記憶装置はつながらない。シリアル接続のMIDIもつながらない。これらを変換するカードは1-3万円とパソコン本体よりは安いのですが、重なるとバカにならない額。カードを差してもうまく認識しない機器もあるし、ソフト的にも最新OSでは動かないものが結構たくさんあるようなのです。
 

 しかもG3にはフロッピーディスクドライヴがついていない。パソコン店の店員さんによれば“結局みなさんフロッピーディスクドライブを別にお買い求めになります。”とのことですが、みんな買うなら最初からつけておいてくれーい。そのくせこのG3、DVDドライブが付いていたりする。わたしはフロッピーはたくさん持っているがDVDなんて1枚も持ってないんですが。
 

 でも、技術的な時代の変わり目というのは何かと不便なものなのかも。
 そこで思い出すのが最近、ラジカセを買いに行って驚いたこと。最近のラジカセはCDとMDしかないものが主流になっているんですね。やっぱりまだ少なくともあと数年はカセットテープを使わなければいけない状況も結構あると思うのですが。
 

 今まで持っていたソフトもハードもうまくつながらず、せっかくの最新機種を前に悪戦苦闘していると、“わたしってそこまでして最新のパソコンを使わなくてはいけないほど高度な使い方をしていたっけ??”というやたら本質的な疑問に突き当たります。持っていく場所もないのに何十万円もするブランドもののハンドバッグの最新型を手に入れなければ気がすまない女性というのは結構いるそうですが、なんか似たところがあるかも。
 

G4登場!(99.9.13)

 

 先回G3を買ったことを書きましたが、この文章、何か最新の機械を持っていることを自慢しているようで見苦しいと思われた方もいらっしゃるかもしれません。
 決してそんなつもりでは…というのはウソで確かに自慢してました。昔より安くなったとはいえ、わたしにとっては大金を払って買ったもの。一人でも多くの方に自慢してモトをとらなくては。
 

 しかしおごれる者は久しからず、というべきかわたしのこういった心掛けの卑しさはすぐしっぺ返しにあうことになりました。
 つい先日のこと、アップル社のHPをチェックしたところ、何と突然!今月には新機種“G4”の発売を開始するという発表が載っているではないですか!色々な雑誌にもG4は来年までは絶対出ないと書いてあったような気がするのですが、在庫一掃のための情報操作に引っ掛かったか?
 

 パソコンに新機種が登場するのは毎度のことですし、“前機種の恩恵に十分与ったから”と思えれば何でもないことなんです。でも今回は購入後まだ数週間、しかも先回も書いたとおりG3は慣れるのに時間がかかり、未だにわたしがちょっと目を離したスキにフリーズしてみせる困ったヤツなのです。フリーズしないのがウリの筈なんですが。
 その上今までは、新機種は高いということで、納得できたのですが、今回は性能だけ上がって価格据え置きなんですねえ。そのかわりわたしが買った機種などが数万円単位で下がるんだろうな。
 

 G4にはスーパーコンピューター並みに速い画期的なチップが入ってるらしい。とはいうものの、冷静に考えれば、わたしの場合速さが50や100ヘルツ速くなったからといって、うんと違いが出るような高級な使い方をしているわけでもないので、そのことはまあ良いんです。
 問題は外見。HPを見る限りG4はG3と全く同じデザインなんですが、表面のカラーがグレーなんです。これがシックで高級感があって、画面をとおして“iMacあたりとはちょっと格が違うよー。大人の雰囲気だよーん。”と全身で語りかけてくるのです(少なくともわたしに対しては語っていた)。
 それに比べるとG3のブルーってちょっとおもちゃっぽいというか、庶民的というか、お子様向けというか。それまでこの色が可愛らしくて斬新かつ個性的で良い!と思っていたのに、G4のグレーを画面で見た瞬間に、急に全然違う感想がわいてきたぞ。
 

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エリントン特集(99.10.16)

 

 先日NHKFMの特別番組“エリントン特集”に出演しました。
 30分の“エリントン講座”(ピアノを使ってのエリントン曲の解説)、そしてその後わたしのノネットによるエリントン曲を集めた1時間のライブ、という構成でした。
 

 “エリントン講座”の聞き手はNHKの濱中アナウンサーと女優の斉藤陽子さん。斉藤さんはテレビで見るより本物の方が更にきれいな方でした。
 それで、番組上での紹介のためか、わたしと斉藤さんのプロフィールが並べて置かれていたのですが、わたしは自分で打ったワープロ打ちの紙きれ1枚。対して斉藤さんの方は、それぞれ洋服もメイクも変えた4パターンの全身カラー写真や、各界有名人からの推薦コメント付きの、4ページはある豪華なパンフレット状態のもの。身長やスリーサイズまで書いてあるんです。
 “やっぱりあのくらいスタイルが良いとスリーサイズも自慢せずにはいられないんでしょうねー”と(もちろん彼女のいない時に)スタッフの方に聞いたら、“女優さんはね、ドラマ等の衣装合わせがあるから、スリーサイズを書かなくちゃいけないの。”と軽蔑の目で見られてしまいました。
 

 ライブの方はスタジオに観客の方に入っていただいての生放送。せっかくの機会ということでわたしの母も会場に来てくれました。そして次の日、母に電話して感想を聞いたのですが・・・。
 彼女いわく、“あなたの話し方は余計な接続詞が多すぎる”“出てきた時のお辞儀の仕方がなってない” “あなたの着ていた洋服だけど・・・、靴は・・・”etc.etc.・・・
 確かに言われてみればみんな当たっていることだし、こういうのって身内にしか言えないありがたいご指摘。以後気をつけまーす。で?それで?
 “ところで、演奏の方の出来はどうだったの?うまくいったの?”どうだったの、って全部最前列で聴いてたじゃない!わたしとしてはそこのところが一番聞きたかったのですが。
 

 でも、考えてみれば、細かい演奏の出来不出来は、一般のリスナーにはわからないという面は確かにあるのです。ここは“ピットイン”じゃないんですから。それに比べて、MCや服装、演奏態度っていうのは、誰にでもすぐに判断できてしまいます。“ミュージシャンなんだから、演奏さえ良ければあとは何でも良し”ってわけにはいかないんですよね。
 

 そういえば、エリントンが昔出演したラジオ放送を聴くと、彼はとてもお話が上手だったことがわかります。ビデオや写真で見ても、とってもオシャレでシック、ファッション的にも時代の最先端を行っていたようです。彼は超一流の音楽家であったと同時に、超一流のエンタテイナーだったのですね。
 

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