イタリア旅行記その1---ローマでジャズクラブに行く(99.12.6)

 

 11月20日から10日間、イタリア4都市巡りをしてきました。
 11月後半というかなり寒いオフシーズンのこの時期に行ったのには、それなりの理由もあったのですが、まあそれは個人的なことなので、おいておくとして、とにかくイタリアは予想以上に素晴らしいところで、帰ってきたばかりなのに、もうまた行きたくなっています。
 

 最初の3日間はローマに滞在しました。もちろん有名な美術館や教会にも行きましたが、街並みそのものが美術館といった感じで、歩いているだけで歴史の重みがひしひしと伝わってくるところです。特にコロッセオを中心としたロ−マ時代の遺跡には本当に圧倒されました。
 

 見どころは尽きないローマですが、わたしはしっかりジャズクラブも発見しました。“アレキサンダー・プラッツ”というお店で、8時半くらいに行ったら、受け付けのお姉さんに“開店は9時だから”と言われてしまいました。ちょっと寂しい場所にありましたし、狭い入り口でチケット(日本円にして700円くらいと安い)を買って入る、という仕組みからいっても“ピットイン”式のライブハウスを想像していました。
 

 1時間ほどして行き直してみると、店の中は広くてオシャレな雰囲気で、お客さんも結構たくさん入っていました。音楽に加えてシェフの料理も売りらしく、みんなフルコ−ス料理を楽しんでいるのです。実際に演奏が始まったのは、皆が食べ終わる10時半頃、セカンドセットは12時過ぎてから、という、日本では全く考えられない時間設定でした。強いていえば今はなきNYの“ファットチューズデイ”に一番近い感じでしょうか。こんな大人のためのクラブが日本にも欲しい気がします。
 

 この日のメンバーはテナーサックスがリーダーのカルテット編成。ベースとドラムの方は全く英語ができないようでしたが、(基本的にイタリアでは英語は通じにくい)ピアニストはNYで勉強していたことがあるそうで、色々とイタリアジャズ事情について聞いてきました。
 彼によれば、イタリアはオペラなどに比べて、ジャズは盛んとはいえず、ジャズを演奏できるところも限られていて、ギャラも少ないんだそうです。ヨーロッパのミュージシャンといえば、自国だけでなく、ヨーロッパ中を旅して回っているのでは、というイメージもあるのですが、それはたとえばスティーブ・グロスマンのような(彼は最近イタリアに定住しているらしい)一部の有名ミュージシャンだけの話で、基本的にイタリア人ミュージシャンはイタリアの中で仕事をしているんだとか。
 ジャズだけで食べていく、というのはなかなかできないそうです。その割には、当日この店にいたお客さんはとても楽しそうに熱心に聴いていたんですが、それはここはローマでも一番良いジャズクラブだからなんだそうです。
 

 肝心の演奏ですが、スタンダード中心のごくオーソドックスな演奏でした。このカルテットだけを聴いてイタリアのジャズのレベルを云々することはできませんが、まあそこそこといったところでしょうか。クラシックの基本ができているためか、4人とも楽器のテクニックは素晴らしいのですが、スイングの感じがちょっと違うような・・・なんて間違っても日本人にだけは言われたくないだろうな。
 

 (写真は映画“ローマの休日”の舞台として有名なスペイン広場。夏に行くと、この階段にズラっと観光客が並んでオードリー・ヘップバーンの真似をしてソフトクリームをなめているらしい。でもこの日は雨だったこともあり、ここがローマ一の観光スポットとは信じられないくらい閑散としていました。)
 

イタリア旅行記その2---フィレンツェで手長エビの逆襲にあう(99.12.13)

 

 よく言われることですが、イタリアは本当に食べ物がおいしい国です。
 アメリカはお金を出せば美味しいものが食べられますが、安いファーストフードなどは食べられたものではありません。その点、イタリアは庶民的な安食堂のパスタやピザなども日本人の口によく合い、今回の旅行でも食事には大してお金をかけなかったものの、豊富な魚介類を中心においしいものばかりでした。
 

 とはいうものの、せっかくイタリアまで来たのだから、たまには贅沢な食事もしてみたい。それでフィレンツェではあの“ミシュラン”に出ているレストラン、“ドン・シノッテ”を訪ねてみました。“ミシュラン”は3ツ星が最高なんですが、ここは1ツ星。とはいっても天下のミシュランガイドに出ているレストラン、どんなところかと緊張して行きましたが、店はアットホームでカジュアルな作り。オフシーズンのせいか、客数は少なく、4組程度でした。
 

 イタリアの観光地のレストランには必ず英語のメニューがあります。それどころか、大抵のところには日本語メニューがあるのです。今回訪ねたレストランでイタリア語メニューしか置いていなかったのは後にも先にもここだけでした。
 店の主人は“メニューはイタリア語だけだが、自分が英語で説明するから”と言います。彼のお勧めをサジェストする、といえば聞こえが良いんですが、実際は彼がメニューを決めて、客には有無を言わさない、といった雰囲気です。高級なレストランでは、主人が客を見て、メニューを決めるものなんでしょうか。
 

 さて、イタリアの食事は前菜、第一の皿(パスタなど)、第二の皿(肉や魚などのメインディッシュ)、デザートとコーヒー、という流れでフルコースになっています。わたしたち日本人の胃では第一か第二の皿のどちらかを抜いて丁度良いくらいで、それでも結局デザートはお腹一杯で食べられないと思います。
 大抵の本には“ある程度高級なお店ではフルコースを頼むのがマナー”と書いてありますが、実際現地の人もフルコースで頼んでいるとは限らず、無理はしなくても良いようです。
 

 とにかく、主人は前菜から2品、第一の皿から2品、主菜の順で説明しています。2品といっても"just a biting size","only for tasting"ということなので、つまりはひとつの大皿に、4品が一口サイズずつ少しずつ載っていて、“色んなものを少しずつ味見してみたい”という日本人にありがちな要求を満たしてくれるものなんだろう、と勝手に解釈しました。
 “スカンピ”(イタリア語で“手長エビ”のこと)を連発しているのが少し気になりましたが、日本人の常としてエビは好きだし、細かい内容はよくわからないけど、まあいいか。
 

 最初に出てきたのは、レバーペーストを中心とした前菜。つけ合わせは早速立派なスカンピが2尾。大きなお皿に鮮やかに盛り付けられています。量はイタリアの前菜にしてはやや少なめ、でも日本人にしては十分な量です。とてもとてもおいしかった。さすがはミシュラン掲載店。
 

 2品目は魚介類のサラダ、これまたとても日本では食べられないような贅沢な素材をふんだんに使った逸品。これも量は結構しっかりあり、スカンピも大健在。これが第一の皿か?
 

 次に出てきたのはなんと平打ちパスタ、あまり魚介とは関係ない味付けだったが、ここでもなぜかスカンピがこんにちは。このあたりでちょっと焦り出す。もしかしてこの一皿一皿が彼等のいう“ちょっとお味見サイズ”?この上もなくおいしいことには変わりなかったのですが、用心のため半分残す。
 

 次に出てきたのは魚介のスープ、日本でいう一人前分出てくる。スカンピここでもまたまた主役を張っている。とてもおいしいものの、4分の1くらいしか食べられない。“次に何が出てくるのか楽しみ”というのが普通のフルコースですが、“次に何が出てくるのか恐怖”という珍しい体験をしました。
 

 そしてやっとメインディッシュ。あひる肉をローストしてオレンジソースで味付けしたもので、それはそれは美味でしたが、残念ながら量的には半分しか食べられませんでした。
 

 隣の英国人夫婦も大体似た様なものを食べていたようですが、お勘定を見て何か文句を言っている。どうやら“前菜と第一の皿は少量ずつ、と言ったのにちゃんと一皿分の値段がついている”ということらしい。日本ではお勘定に文句をつけるなんて、はしたないことのようですが、この店に限らず、イタリアでは確かにみんなお勘定は仔細に検討していました。おかしい、と思ったら文句をつけるのは当然のことらしい。
 

 わたしも、彼等にならって文句をつけてみようか、と食事後にきたお勘定を良く見てみると、確かに、前菜類はテイスティンクサイズ、と言っていた割には一皿分の値段で計算されていました。が、わたしは途端に注文をつける気を失いました。極上の料理5皿分にパンとコーヒーとシャンパンとワインボトル1本でひとり7000円程度、日本だったらこの内容と雰囲気では確実に倍以上はするはずです。3倍してもおかしくない。
 

 それにしても不思議なのは、いくら御当地名物とはいえ、なぜどの皿もあんなにスカンピだらけだったのかということ。まさかミシュランに載るような店が“今日はスカンピを大量に仕入れたのに客入りも悪かったから、あのわけわかってなさそうな日本人客にまとめて押し付けちゃおう。”なんてことするはずないとは思うんですが...。
 

   (写真はフォロ・ロマーノ。2000年近く前の古代ローマの遺跡群がちゃんと残されていることにただただびっくり。)
 

  目次へ

  

イタリア旅行記その3---ヴェネツィアでタダ酒にありつく(99.12.19)

 

 ヴェネツィアは独特な雰囲気のある街です。
 運河沿いにあって車が全く通れないので、交通手段はゴンドラとか水上タクシーとかボートとか、とにかく船しかないのです。それらはとても速度が遅くゆっくり走るので、この街だけは時間がとてもゆったり流れている様な錯角に陥ります。
 

 治安も良いということなので、夕食を食べ終わった後も街中をフラフラしていたところ、どこからか4ビートを刻むシンバルレガートの音が。音につられて行ってみると、とあるバーに辿り着きました。
 そこは縦に長い作りになっていて、手前にカウンターバーがあり、奥の部屋でサックスカルテットが演奏中でした。演奏を聴きたい人は奥に、おしゃべりしたい人はカウンターの方にいるのですが、とにかく若い人を中心に人が溢れかえっています。いかにも地元の若者の溜まり場といった良い雰囲気なのです。
 

 ライブはフリーチャージと書いてあったので、しばらく見ていると、店の店長らしき人に肩をたたかれました。すっかり“何か注文しろ”、と文句を言われるのか、と思っていたら、“日本人か”と聞くので、“そうです”と答えると、“つい先週近くのホールで日本人のジャズのグループを聴いたんだけど、とても良くて感動した。特にサックスプレイヤーは素晴らしかった。”と言うのです。
 

 確かに、わたしがヴェネツィアを訪れた1週間ほど前にターンテーブルの大友良英さんのグループがヴェネツィアで公演した、というのは、街角のあちこちに貼ってあるポスターで見かけていました。ポスターにはメンバーも書いてあったので、わたしは“そのサックスプレイヤーは津上研太という人で、わたしもミュージシャンなので、彼とは知り合いなんだよ。”と自慢したところ、彼は“それは凄い。ぜひ何か飲んでくれ。”ということになり、わたしは彼を知っているというだけで、ワインをごちそうになってしまいました。
 

 イタリアのレストランで飲むワインというのは、ソムリエが出てきて蘊蓄を語ったのち(しかしたとえ日本語で言われたとしても少しもわからない内容)、それぞれのワインに合った形の繊細なワイングラスに恭しく注ぐというものです。そういうのもなかなか贅沢な気分で良いのだけれど、ここでは一升瓶のような巨大なビンから普通のコップになみなみついでくれる。値段も1杯200円といったところで、これも気取りがなくて良いですね。
 

 この日の演奏はスタンダードばかりでしたが、店長の本当の趣味は“実験的なジャズ”だという。大友さんのグループだってきっと結構前衛的ですよね。
 そういえば、ローマで出会ったピアニストも日本人のジャズプレイヤーで知っている人として“ヨースケ・ヤマシタとアキ・タカセ”を挙げていたなあ。アメリカだったら絶対秋吉敏子と渡辺貞夫なんですけどねえ。
 イタリアは結構前衛的・先進的なジャズに理解があるところなのかもしれません。
 

 ここは週に2回ジャズライブを入れているらしい。ローマで聴いたグループと比べても、この日聴いたカルテットの演奏は、相当いまひとつで、まあ、ヴェネツィアは大学の街なので、地元の大学のジャズ研の学生だろう、くらいに思っていました。
 ところが意外なことに店長は“もちろん彼等はプロだ”と言うのです。うーん、日常こういうグループを聴いていたら、それは津上氏のプレイには感動せざるを得ないだろうなあ。
 

 (写真はヴェネツィアの中心サン・マルコ広場。シーズン中は旅行者で一杯に埋まる場所らしいが、この時期は静かでした。)
 

  目次へ

  

わたしの年越し(00.1.8)

 

 99年から2000年にかけて、今年の大晦日は仕事が2本ありました。
 

 ひとつは銀座のカウントダウン。銀座の商店街が中心になって行ったもので、夜10時から銀座を歩行者天国にして、4丁目交差点に特設ステージと大きなスクリーンを設け、イベントをおこないつつ、カウントダウンをするというもの。イベントは歌舞伎、合唱、など盛り沢山で、小渕首相の御挨拶まであったのですが、わたしたちは午後11時半から年明けのファンファーレまでステージにいて演奏しました。約3万人の人出だったそうで、わたしもこんなに大勢の方の前で演奏できて、気分は大変良かったのですが、野外ステージは本当に寒かった。服装はフォーマルで、という指定があったのですが、フォーマルというのは肩だのえりだのが開いていて特に寒いものなのです。(その1)
 そのあと午前1時から新宿の“J”にて早春セッションの仕事があったので、急いで新宿に行きました。終了は 5時近くなり、そのあと皆で近くの花園神社へ初詣でに行くのが、恒例なのですが、さすがに断って帰宅し、2、3時間ほど睡眠をとって実家へ。(その2)
 実家では、皆でおせちを食べてから、初詣でへ。帰宅してから夕食の支度の前までの約1時間半、こたつでうたた寝。(その3)
 夜、疲れきって家に帰ってきてからも、すぐには寝られず、深夜まで年賀状を書く。今年は例年とは異なり、クリスマスを過ぎてからも仕事が続いたので、まだ全然書き終わってなかったのです。(その4)
 

 以上のその1からその4までの複合が原因か、2日よりひどいインフルエンザにかかり、6日まで寝込むことになってしまいました。熱が続いたので、食欲は出ず、脱水症状でやたらとのどが乾く。2000年対策で買ったミネラルウォーターとレトルト粥が早速大いに役立ってしまいました。
 

 “1年の計は元旦にあり”といいますが、今年に限っては、この諺はないことにしたいです。
 とにかく今年も宜しくお願いいたします。
 

  目次へ