イタリア旅行記完結編---ミラノで最後の晩餐にありつき損なう(00.1.11)

 

 今回のようにオフシーズンで旅をする最大のメリットはどこの観光スポットも空いているということです。
 夏に行くと、入場制限があるといわれる美術館なども、今回はすいすいまわることができました。
 

 そこでミラノといえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの“最後の晩餐”ですが、これは日本から旅行代理店をとおして予約しないと見れないと言われていました。
 でも、それまでの調子だと、今の時期だったら簡単に見れそうでした。今回かの有名なローマのシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロの“最後の審判”も、フィレンツェのウフィツイ美術館にあるボッティツェリの“ヴィーナスの誕生”も、並ぶこともなく、じっくりと真近で鑑賞することができたのです。
 大体、ミラノに行ったら何が何でも“最後の晩餐”なんて、いかにもお決まりのコースしか知らない観光客、って感じでダサダサ(ってじゃああんたは一体何様なんだ)、ちょっと立ち寄ったらあら偶然ダ・ヴィンチの絵があったわ、なんていうのがオシャレなんじゃないでしょうか。
 

 そこでさり気なく(?)この絵があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィェ教会に足を運びました。早速チケット売り場に行ってみると、もう今日の分は夜まで全部完売とのことでした。入場は30分に1回ずつ、一定の人数しか入れないので、チケットがない人は入れない仕組みだったのです。
 見れないとなると先程の尊大な態度はどこへやら、急にどうしても見たくなってきたぞ。
 

 教会の前には2種類の人がいます。わたしのようにチケットが買えなかった人たちと、賢くチケットを事前に入手してあって、既に中を見て来た人たちです。この2種類の人は顔を見ればすぐ見分けがつきます。後者の人たちは素晴らしい絵を見た感動で顔が満足そうに輝いています。逆に前者の人はせめて行った印だけでも、と教会の前で未練がましく記念撮影なんかしていますから。(わたしのことだ)
 

 普通だったらここで、“ふーん、いいもんね。有名な絵なんてどうせ日本に巡回してくるもんね。その時見ちゃうもんね。(その時はもっと大変な混雑になるという事実はとりあえずおいておく)”という慰め方をするところなんですが・・・。“最後の晩餐”はここで見るしかないんですよね。壁画なんだから。
 

(写真はミラノの中心にある“ドゥオーモ”。外見も素晴らしいが、内部のつくりは更に想像を絶する。“人間ってこんなに凄いんだ。”というのがイタリア旅行全体を通してのわたしの一番の感想でした。)
 

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現実はフィクションの先を行く(00.2.9)

 

 最近“事実は小説より奇なり”を地でいくおかしな事件がたくさん起きています。
 

 特にこのところ話題になっている“京都小学生殺人事件”は、例のサカキバラ事件を彷佛とさせる残忍な犯罪そのものにも戦慄を覚えましたが、その幕切れには更に驚かされました。プロの警官が6人がかりでついていながら、犯人を逃して自殺させてしまうとは!小説でもここまでのプロットはなかなか思い付かないものでしょう。
 

 その上、警察が“お役人答弁とはこうあるべき”というお手本のような記者会見をしていたのには、本当に呆れてしまいました。“犯人を逃した責任は感じていないのか?”と聞かれて、“われわれは御遺族の無念を晴らすために、正月休みも返上して犯人検挙に全力を尽くして参りました。”なんて言ってましたけど、全然質問に対する答えになってないし、正月休みを返上して、って受験生じゃないんだから。
 “彼は足が速かった”とか“学生時代陸上部だった”とかいう情報が必要以上に強調されて流されているような気もしますが、そんなことが何らかの言い訳になるんでしょうか・・・。
 

 それにしても、例のストーカー殺人の時もそうでしたが、犯人が簡単に自殺してしまうのには驚きます。 ここまで自分の命を粗末にできるならば、他人の命もどうでも良い軽いものに思えるでしょう。自分がやられてゲームオーバーになってしまっても、ボタンひとつでまた命がリセットされるような、テレビゲーム感覚なのかもしれません。
 来月には新しいプレステが発売になるように、ゲームの世界の方は、技術の進歩でどんどん現実に近付いてきます。ますます、バーチャルワールドと現実の境が曖昧になってくるわけで、若い世代のこういう犯罪はなくなるどころか、今後更に増えていくのかもしれないですね。
 そう考えると、何だか憂鬱な気持ちになってきます。
 

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新音源がやってきた(00.3.7)

 

 最近、どうもアレンジがはかどらない。
 私の場合、こういう時、その責任を他人や物に押し付けるの大好き。とはいってもパソコンは買い替えたばかりだから、パソコンが遅いせいにはできないしなあ。もしかして、使っている音源が古い(6年前に買ったシンセ,KorgX3)せい?そこで、早速今話題のUSB対応の音源、RolandSC-8820を買っちゃいました。
 

 パソコンの歩みでいえば、6年前なんて化石時代の更に前、って感じなので、音源もさぞかし進歩しただろう、と期待していたのですが、SC-8820は確かにすごく音が良いけど、X3とは格段の差、その音質に大感激、というほどじゃないんだなあ。X3とはかなり違う雰囲気の音だけど、もともとローランドとコルグは音の癖が相当違うんですよね。
 だから昔から両社の音源を組み合わせて使うのは良い事だと言われてますが。
 

 わたしは最初RolandD-70というシンセを持っていましたが、そのあとX3も買って、両方一緒に使っていたところ、しばらくしてある日突然D-70がウンともスンとも言わなくなってしまったことがあります。どこかが具合悪いというより、電源を入れても鳴らなくなっちゃったんです。
 それで知り合いのローランドの社員の方に聞いてみたところ・・・。(ローランド社の名誉のために言っておくと、決して正式なお客様相談室に問い合わせたわけではない)
 

“最近何か新しいシンセを買いませんでしたか?”
“X3買いましたけど。”
“あ、コルグが一番まずいんだよねー。しかも、そちらの方をメインで使ったりしていない?”
“X3中心に使ってます。はっきりいってD-70より扱い易いですから。(ローランドの社員に向かって言うセリフか!)”
“シンセってああ見えても結構繊細だからねー。他社の新しいモデルばかりかわいがっていると、スネちゃってストライキを起こすことがあるんだよねー。”
“・・・・・。”
 

 この会話の後、わたしがD-70を修理に出すのをあきらめ、我が家の物置きの奥深くにお蔵入りさせてしまったことは言うまでもありません。でも久しぶりに出してみようかなあ。SC-8820をつないだらすぐ鳴ったりして。
 

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小渕首相といえば(00.4.13)

 

 最近大きな話題になったことといえば、小渕前首相倒れる、の報でしょう。
 わたしは一度だけ生ブッチーを見たことがあります。1月の項にも書いたとおり、昨年の大晦日に銀座で大掛かりなカウントダウンイベントがあり、わたしは演奏で参加したのですが、そこで小渕首相がゲストとして挨拶をなさったのです。
 

 銀座がいくら有名な場所で全国に“XX銀座”があるといっても、所詮は東京のいちお買い物スポット(わたしのイシハラ系偏見によれば)、そこがカウントダウンをやるからといって、ゲストは地元選出議員か、区長あたりが妥当といったところでしょうし、実際そういう方もいらしていました。
 それがいきなり、首相の登場で、現場はかなりピリピリとした緊張が走っていて、スタッフの方々は“お祭り”という呑気な雰囲気ではありませんでした。
 特に昨年の小渕氏は、2000年対策の最高責任者です。0時ちょうどに全国にどんな事態が起こるかわからないのに、23時半に銀座祭りでスピーチなどしている場合なのでしょうか。
 

 小渕氏のスピーチは面白かったのですが、わたしは“この人って銀座の料亭とか大好きなお祭り好きオジサンなのね”と思いました。案の条、次の日の新聞にも“2000年問題が何も起こらなかったから良い様なもの、こういう大事な時に官邸で待機するでもなく、銀座のイベントに参加している首相の感覚はいかがなものか。”といった批判的な記事が出ていました。
 

 倒れてみてわかったことは、実は、小渕氏は首相としての分刻みの激務に加えて、全てのおつき合いも全部断らずにこなしていたのだとか。あの銀座祭りだって、頼まれてNOとは言えなかったのですね。わたしが見たのはたった一例に過ぎないけれど、あの“銀座カウントダウン”的なものの積み重ねひとつひとつが、病気の引き金だったのでしょうね。
 あの時、“小渕首相って単なるお祭り好き”なんて軽く考えたのは、物事の表面だけを見て、新聞のいうことをそのまま鵜のみにする自分の浅はかさからだったわけです。一日も早い回復をお祈りしたいです。
 

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