レコーディング裏話その5---録音方法あれこれ(01.8.14)

 

 16人分の音を録音するって大変なことです。最近のスタジオ仕事の場合、今回のような編成では、まずリズム楽器を録音して、次にそれにブラス楽器を重ねて、最後にサックスを重ねる、という多重録音をしていくのが普通です。時には、たとえば、ひとりのトロンボーンプレイヤーが4パート分ひとりで、重ねていくこともあるそうです。
 

 このパート別の録音方式には様々な利点があります。まず、ミュージシャンを一度に十何人も集めなくても分けて録音できますし、間違えても、パートごとに簡単にやり直しが効きます。
 でも、この方式だと、録音を重ねるごとに、音質は微妙に鮮度を失っていきますし、ミュージシャンが一斉に音を出している空気感やスピード感は望めません。いくら最近の録音技術が進んできているからといえ、別々に録音したものを、同時録音のようにミックスさせることはできないのです。
 

 ジャズのビッグバンドの場合は、基本的には一発録音が原則です。とはいっても、今回は“サックスはブラスと分けてブースに入る”、“ソリストは後で録音し直しがきくように、後録りする”等のリスクヘッジ案も考慮に入れ、いざとなったらそういうことができるスタジオをとってありました。
 しかし、結局はリズムセクション以外、ライブと同様に全員同じ空間で録音することに決めました。それが一番、“全員が一斉に空気を振動させている”ライブ感や、自然な立体感が出せるからです。
 

 ただし、この方法では、それぞれの音が分離していませんから、誰かが間違えたら全員がやり直さなければいけません。ひとりが飛び出たら、即刻他のプレイヤーに迷惑をかけるわけです。各自のソロもやり直しはききません。これはリスクも大きく、メンバーには大変な緊張感を強いることになります。
 “完璧にできるまで、気長に何回でもトライすれば良いのでは?”と思われるかもしれませんが、各自が録音の極度な緊張感と、新鮮な気持ちを持続できるのは、1曲につき、せいぜい2、3テイクまでが限度なのです。
 テイクを重ねるごとに、まとまってはきますが、全員が守りに入ってしまい、ジャズに最も肝腎なフレッシュさやスピード感が失われていくのです。また、特にブラス楽器には、長時間良い口の状態を持続して吹き続けるのは困難、という楽器的特性からくる限界もあります。
 

 録音順ですが、ドンは、まずは、易し目の曲から初めて、皆が慣れてきた頃に、やや難解な曲に挑戦する、という風に工夫していました。特に、1日の最後の方にミディアムスロウくらいのややルーズな雰囲気な曲を持ってきて、“こういう曲は適度に疲れているくらいの方が、オーバーブロウにならなくて、良い雰囲気が出せることがあるんだ”と言っていたのは、本当にそのとおりになって、感心しました。
 

 ドンは、とにかく1曲を2、3テイクまでしか録音しない。先程あげたような理由で、それ以上録音しても、泥沼に入り込んでしまう可能性が高く、良い結果は得られないからです。
 そのため、録音は効率的に進み、最初の2日間で10曲のうち、9曲を録音してしまいました。そして、最終日である3日目に改めて、やり直したいと思う曲に再挑戦しました。同じ曲でも、ひにちが変わると、また、全く違う新たな気分で臨めるからです。また、前日までに、とりあえず最低限許容範囲の録音は確保されているという安心感から、リラックスして録音に臨めます。これは、“1曲が仕上がるまで何度でもやり直す”というよくある方法よりうまい録音方法だといえるでしょう。
 

 とはいえ、1テイクで“再録音の必要なし”というOKテイクが録音できれば、それにこしたことはありません。今回1テイクしか録音しなかった曲は、2曲。2テイクで済んだ曲が3曲。あとの5曲は2日目までに2-3テイク録音して、3日目に再挑戦した曲ということになりました。
 

(写真は真剣にプレイバックに聴きいっているメンバーの様子。飯島立士氏撮影。)
 

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山野観戦記その1---伝統校はなぜ強い(01.8.19)

 

 今年もビッグバンドの甲子園、“山野ビッグバンドコンテスト”に行ってきました!しかも今回は、審査員という立場で最初から最後まで全部聴く、という大変貴重な体験をさせていただきました。。
 “2日間で48校分もビッグバンドばかり聴く、というのはさぞ疲れるでしょう。”と色々な方が気づかって下さいましたが、どの学校にもそれぞれ特徴があり、演奏のレベルも高かったので、まったく退屈することなく、大変楽しんで聴かせていただきました。
 

 結局はいわゆる伝統校が上位を占める、という結果になりましたが、全体的なレベルが高い年はどうしてもそうなってしまう傾向があると思います。
 あれだけどこのバンドもうまいと、“自分の学校が入賞できる”という気にはなかなかなりにくいと思います。
 その点、しょっちゅう入賞している学校というのは、具体的に以前に入賞した記憶や経験があり、OBからのプレッシャーもあるので、“どうしても賞をとらなければ”という気持ちがあるようで、そのあたりの気合いが、こちらにも微妙な差となって伝わってくる気はします。
 実際今回上位5校までに入った学校は、最初から最優秀賞を狙っていたと思いますし、これだけどこの学校もうまくなってくると、そのくらいのつもりでいないと、入賞は難しいと思います。
 ただし、入賞校とそうでない学校との実際の技術や音楽性の差というのは、本当に小さなところだと思いますし、こういうコンテストの場合、自分たちのベストを尽くすことが一番大切で、賞にこだわる必要は全くないと思います。
 

 48校全てのバンドに対して、それぞれ色々な感想を持ちましたが、全部は書ききれないので、とりあえず上位校について、簡単にコメントを書いてみたいと思います。以下に書く事は、審査員の間で出た話題とかいうこととは一切関係なく、あくまで一鑑賞者としてのわたし個人の感想です。
 

 優勝した明治大学ビッグサウンズですが、1曲目のベイシーものでのスピード感はもちろんのこと、2曲目の“Sing A Song Of Song”には特に感心しました。わたしは作曲者のケニー・ギャレットをよく知っているのですが、個人的には、この曲がタイトルとなったアルバムはケニーが、ただの“凄いサックスプレイヤー”から、もっと広い意味の音楽家として飛躍した、彼の転換点となるアルバムだったと思っています。
 明治も“ベイシーをやらせれば、どこよりもうまい”バンドから今年は更に飛躍していたと思います。もちろん、自分たちのアレンジですから、ネスティコのようには完成されていないことや、ベイシーものをやる時のように完璧に演奏できないのは当たり前。また、個人的にはこの曲がそれほどクラリネットに向いているとも思いませんが、そういう面を補って有り余る、チャレンジ精神というか、やる気というか、情熱というか、とにかくプレイヤーとしてとても大事なものがビシビシ伝わってきました。また、ソリスト賞のクラリネットの方はもちろん、テナーやバリトンのソロも大変素晴らしく、1位も納得の結果だと思います。
 

 2位の早稲田大学ハイソサエティー・オーケストラですが、昨年重要なメンバーがほとんど卒業してしまったこと、また練習場所が閉鎖されたことなど、トラブル続きの実態を知っていただけに、素晴らしい演奏を聴いて嬉しくなりました。
 リズムセクションも昨年よりかなりレベルアップしていましたし、ここまで半年でまとめあげたコンマスには頭が下がります。最優秀ソリスト賞をとったテナーソロはもちろん、アルトのソロも大変印象に残りました。
 

 3位の慶応大学ライト・ミュージックですが、ケニー・ホイーラーとマリア・シュナイダーという、現在最も先進的なアレンジャーの曲を音楽的にも技術的にも見事にこなしていたのは、やはりライトならではで、さすがでした。いかにもライトらしい洗練されたサウンドでした。
 ただ、わたしは個人的にこのあたりのアレンジはかなり聴き込んでいるので、それほど大きな驚きはなかった、というのもまた正直なところです。この手のアレンジは、ベイシーやサド・ジョーンズもののような普遍性がないので、元の作品を知っている人には、原作のかなり特殊なイメージと比較して聴かれてしまうのは、仕方がないところでしょう。
 

 4位の同志社大学サードハードですが、今年も出ました、使ってはいけないはずの2度や9度を多用した、気持ちわるーいオバケサウンド。今年はアレンジまで自分たちでやってしまったというのが、更にすごい。まさに確信犯で、神聖なビッグバンドサウンドを何だと思っているんだ!山野をなめるんじゃない!!・・・と言いたいところです。
 多分、彼等の方もそう言ってもらいたくてやっていることだと思いますが、残念でした。わたしはこの学校のサウンドが本当に大好き。今年も思いっきり楽しませていただきました。
 

 大阪芸術大学フューズ・ボックスは初出場で、6位という成績を納めました。学校名からここは音大なのかと思っていたら、バンドの中で音楽専攻者は4人くらいで、デザインなど美術系の学生さんがほどんどだそうです。そう聞くと、抜群にセンスの良いサウンドの理由もわかる気がします。
 

 山野の話は更に続きます。
 

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最近ちょっとおかしいのでは?(01.9.14)

 

 山野の続きを書くと言いながら、忙しさに紛れて、後々になってしまいました。続きは必ず書きますが、今回は全く違う事について書きたいと思います。
 

 わたしは演奏の仕事から帰ってくると、深夜12時頃になってしまうことが多いのですが、それにしても、最近帰ってきてテレビをつけると、必ず何かとんでもない事件が起きていて、怖い感じです。
 つい最近は、帰宅したら“歌舞伎町火災”で44人の方が亡くなった、とう事件を全チャンネルが一斉に、臨時に番組を変更して中継していました。
 その後2、3日は、全チャンネルが台風情報。で、やっと台風も上がった頃に、友人と出かけ、帰ってきたら、今度は、全チャンネルであの、ワールドトレードセンターとペンタゴンの襲撃を放送しているではないですか。
 わたしの知人など、映画“パールハーバー”を見てきた帰りに、そのニュースを見たとか。パールハーバーの戦闘シーンも最新CGを駆使していて、なかなかリアルだったらしいですが、現実のビル爆破の凄さと比べたら、問題にもならないほど、TV中継の方が凄まじかったとか。
 

 NYにはわたしも在住していましたし、ワールドトレードセンターにも何度か足を運んだことがあります。あんな立派なビルが一瞬にして崩壊してしまうとは、まるで信じられません。まさに現実が小説も映画も超えた、想像を絶する事件です。
 どういう理由があるのか知りませんが、自爆したい人は、ハイジャックなどせずに、自分ひとりで飛行機を操縦して砂漠にでも突っ込んで勝手に死んでほしい。一般の何の落ち度も無い人を巻き込むなんて許せません。巻き込まれた方が本当にお気の毒です。
 

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採点は難しい(02.2.22)

 

 エトセトラのコ−ナ−を随分さぼっていて、色々お問い合わせをいただくんですが・・・。まあ、さぼっていた一番の原因はCDを出してからかなり忙しかったということなんですが、もうひとつ。あのテロがあってから何か、自由に意見を書くのがこわくなったというか、おおげさに聞こえるかもしれないですけど、ちょっと誰かが気に入らないことを書くと、何か文句をつけられそうな気がして。実際そういうこともあったので・・・。
 

 とはいうものの、かなり色々な方から“エトセトラを再開して”というメイルもいただいているので、今後は少しずつ気付いた事を書いていきたいと思います。
 さて、オリンピック真っ盛りなんですが、(日本にとっては参加することに意義のあるオリンピックになってしまっていますが)、競技そのものより審判制度が注目されているのは興味深いことです。
 

 わたし自身もここ2年ほど、審査する側にまわる機会が多くなりました。大学の期末試験や入学試験の実技審査、昨年からは山野ビッグバンドコンテストの審査員などもやっています。
 それで、わたしが一番同情するのは、オリンピックでは競技者がひとり試技を終えるごとに点数を出していかなければいけない点。わたしの経験から言っても、最初の数人っていうのはとても点数をつけにくいんです。数十人程度の試技者がいる場合、少なくとも5、6人は様子を見てからでないと、全体のレベルはわからない。
 現在わたしがかかわっている審査関係のものは、全員が終わった段階で点数を提出すれば良い(つまり、何人か聴いたあとで、最初の方の点数を訂正することが可能)というものばかり。審査は大抵絶対評価ですが、それでも、相対的なレベルをある程度頭に入れてからの方が、公平に採点できるような気がします。
 

 フィギアスケートのように選手が終わるごとにどんどん点数を出していかなければならないのは審査員側にとっても相当なプレッシャーのはず。また、視聴者側にはあらゆる角度からによるスローモーションビデオなどがすぐ提供されるのに、審査側はビデオ判定一切なし、というのも大変なことでしょう。
 あれだけの国際レベルの大会だと、事前にかかる圧力もすごい、ということも今回露呈してしまいましたね。わたしの知っている例では、知り合いのさる大きな音楽イベントの審査員の方が、“毎年関係者から高級酒などのつけ届けが送られてきて困る”と言っていました。公正な審査って、当然なことのはずなんだけど、意外に難しいようです。
 

 それにしても、冬季オリンピックは特殊な競技が多い。スケルトンとかカーリングとかって長野で初めて見たけれど、今回久しぶりに見て、次に見るのはまた4年後だろうなあ...。
 

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