ヒートアイランド(02.8.7)

 

 今年も毎日暑いですねー。わたしは暑さには結構強い方なんですが、寒いのも結構平気。まわりの環境に左右されない強い意志をもった人間っていうのかな。(そういうことを平気で言う神経も含めて、鈍感な人間っていうのかな。)
 

 とはいうものの、クーラーには年々弱くなっています。どこに行っても冷やし過ぎなくらいクーラーがかかっていて、こんなに暑いのに、常に長袖のカーディガンが手放せません。考えてみれば、真夏もネクタイにスーツのビジネスマンに合わせて温度を設定しているのですから、当然ですよね。
 “水着で外を歩くのはやめようね。”と言いたくなるような、肩や腕や足を露出しまくったギャルたちも、日ざしの強い街中で見る限りは、夏らしい風情がある、とは言い過ぎにしても、それなりの説得力があるものです。しかし、冷やし過ぎの電車内などでその格好で震えている姿にはちょっとおマヌケなものが・・・。
 

 そこで思い出すのが、80年代中ごろ、“省エネルック”なるものが突如出現したこと。ひもネックレス風のネクタイと、薄い色の半袖スーツで、当時、海部首相が率先して着用していたのを覚えています。
 確かにファッショナブルとは言い難いものでしたが、男性はネクタイを辞めただけでも体感温度が2、3度は下がるそうですし、方向性としてはとても正しかったのでは。どうしてあのひと夏だけで消えてしまったのでしょう。
 

 でも、冷やし過ぎは日本だけの問題ではありません。以前住んでいたニューヨークなどは、冬は室内はTシャツ1枚でないと汗ばむほどのヒーターを、夏は北極状態にクーラーを効かせてていました。
 昨年の夏、久しぶりにNYに行ったのですが、その時住んでいたところの目の前に、スーパーマーケットがあり、そこなどは、入った途端、自分が大型冷蔵庫に入ったのか、と思う程の寒さでした。で、そこのレジのギャルは夏らしくタンクトップに短パンでキメているのですが(そんな格好で物を売ること自体、アメリカーンな雰囲気なわけですが)、よくよく見ると、彼女の足元には電気ストーブが...。
 思わず、こう言いたくなる光景です。“あなたって、あした地球が破滅しても構わないと思ってるでしょう?”
 

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山野ビッグバンドコンテスト(02.8.22)

 

 今年も山野の季節がやって参りました。審査員として47校全てを聴いたわけですが、いやー、今年もレベルが高かったですね。そして結局1位から3位までは昨年と全く同じになってしまい、昨年に引き続き伝統校が強い大会となりました。(結果については、山野楽器HPをご覧下さい。)
 

 1位から10位までは、客観的に見て、非常に妥当な線だと思います。私の個人的好みで言うならば、関西学院大KGスイング・チャリオティアーズ、立教大ニュー・スウィンギンハード、青山学院ロイヤル・サウンズなども入賞の価値は十分あったと思いますが...。ただ、あまりにどの学校もうまいので、10位前後は本当に0.1点の差を争う大接戦なんですよ。だから、順位にはあまりこだわらないで欲しいと思います。
 

 ソリストはなぜか今年は全体に低調だったという印象があります。あまりソロをフィーチャーしない選曲が多かったためでしょうか。その中で、今回受賞した4人(社長賞の専修大伏見さんを含めて)は、非常に光っていて、当然の結果だったといえます。しかし、個人的に一番良かったと思った早大ハイソの横田君にソリスト賞がいかなかったのは、残念でした。
 

 今回は各校の演奏について、“Swing Journal 10月号”(9月中旬発売)に詳しい講評を発表しますので、これ以上の細かいコメントは避けたいと思います。
 そこに、今回演奏面で特に気になった3要素を挙げました。<アレンジの完成度・ソリストの完成度・リズムセクションの完成度>ですが、これも詳しくは“Swing Journal”を御覧ください。
   それにしても、どの学校の学生も、思いきり良く、いきいきと演奏していて、“青春っていいな”などと、相変わらず羨ましくなってしまうコンテストなのでありました。
 

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あれからもう1年(02.9.14)

 

 NY同時多発テロから早いものでもう1年。あの事件に衝撃を受けなかった人はいないと思いますが、わたしにとっても、以前住んでいた街で起きた事件だけに、とても“対岸の火事”とは思えないショックでした。
 

 ところで、特別に衝撃的な事があった時って、なぜかその前後の自分の細かい行動や心の動きをやたら鮮明に覚えている、っていう経験はありませんか?わたしの場合、昨年の9.11がそうなのです。
 

 その日、わたしは仕事が休みで、久しぶりに大学時代の友人2人と青山で飲んでいました。
 友人と別れ、最寄りの駅に着いたのが、午後11時半頃。駅前には遅くまで営業している立ち食いそば屋があって、そこにある大型テレビでは、いつも道路側に向けてテレビの映像を流しています。
 その日は、超高層ビルが爆破されてもうもうと噴煙をあげるシーンが流れていました。普段は画面を横目で見て通り過ぎるのですが、その日は、画面のあまりのリアルさに思わず立ち止まってしまいました。
 

 その時、最初に考えたことは、“今日はテレビでハリウッドの大作パニック映画をやっているな。”ということでした。
 でも、普通“テレビ洋画劇場”は9時から11時代前半までだし、たとえプロ野球中継が長引いて繰り下げ放送しているにしても(そこまで考えたことをはっきり覚えている)、これだけの迫真の爆発場面は、最後のクライマックス・シーンに決まっているから、もう少しでこの映画は終わってしまうに違いない。せめて結末の部分だけでも見たいから、なんて考えるのは邪道映画ファンの典型かもしれないけど、とにかく、さっさと家に帰ってチェックしなければ。ところで、あれって何チャンネルだったんだろう?などと考えながら家路を急ぎました。
 

 そして、家に帰るなり、慌ててテレビをつけたわけですが・・・。チャンネルを調べる必要はなく(全チャンネルがその映像を流していた)、番組が終わってしまう心配をする必要もありませんでした。結局その映像の結末は今だに出ていないんですから・・・。
 

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最近最大の話題といえば(02.10.18)

 

 最近最大の話題といえば、やはり北朝鮮拉致被害者に関する一連の問題でしょう。まさに“事実は小説より奇なり”といった衝撃的な展開で、人間の本質について、本当に色々なことを考えさせられます。
 

 今日は、5人の帰国された方々が、故郷に帰り、昔の友人たちに会う様子が報道されていました。24年ぶりに会うというのに、一気にそのブランクが埋まるような、自然な再会風景で感動的でした。
 わたしの年になると、既に20才より前に出会った人たちより、20才以後に知り合った人の方が数が多いかもしれません。でも、やはり、20才より前にできた友人って、それ以後にできた友人とはちょっと種類が違いますよね。うんと久しぶりに会っても、すぐ元に戻れるところって、まだ大人になる前からお互いを知っている者同志だからこそかもしれませんね。
 

 それにしても、一連の報道を見て、誰もが一番強く感じるのは、肉親の有り難さについてではないでしょうか。
 先頭に立って運動している、横田めぐみさんの御両親の御様子には本当に感動しますが、びっくりするのは、横田夫妻だけが特別に立派な方々という風には見えないことです。13人もいる拉致被害者の全ての家族の方々が、一様に、とてつもなく困難で絶望的な状況にもかかわらず、決してあきらめずに戦い続けている御 姿勢に本当に頭が下がります。
 

 拉致された方々は特殊な場所に行って被害に会ったわけではなく、日常的な場面で拉致されたことが判明しています。被害に会う可能性は誰にもあったわけです。横田めぐみさんが生きていらっしゃれば、わたしと同世代ですし、“もし自分が拉致されていたら”という想定をせずにはいられません。
 もしわたしが拉致されていたとしたら、わたしの両親や兄弟はあの家族会の方たちのように、全てを投げ打って必死で探してくれるでしょうか。きっと探してくれるに違いないと、家族会記者会見の様子を見るたびに確信できる気がします。
 

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わたしの年末(03.1.8)

 

 あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。
 

 昨年末は28日で仕事が終わりました。良くない傾向です。毎年12月の29、30、31あたりはどうしても仕事をしていたいんですけどね。やはりピアニストとして1年の終わりぎりぎりまで演奏していたいから・・・なんて殊勝な理由では全然なく、その辺が仕事だったら、大掃除ができない言い訳ができるからです。
 わたしは掃除が大の苦手で、それに、“大”がついてしまう大掃除は世の中で最も嫌いなイベント(なのか?)のひとつです。よく部屋の中で物が散らかりまくっていても“自分だけはどこに何があるかわかっているからいいの”という人もいますが、わたしは自分でもどこに何があるかよくわかっていない。
 とにかく常に物を探している状態で、物を探す過程でまた物が散らかるという悪循環です。わたしの人生、物を探している時間がなかったらその分随分有効に使えただろうなあ・・・。自分の部屋は自分の心理状態の縮図だとすると、何か恐ろしい気がします。
 

 特に一番始末に困るのが、どんどん増え続ける楽譜のしまい場所です。たとえば私の"Dancing Puppet”という曲を例にとると、この曲だけで、トリオとカルテットとクインテットとセプテットとオクテットとノネットとビッグバンドの7種類の譜面があるわけです。整理しようにも量と種類が多すぎて、呆然としてしまうのみです。
 それでも譜面書きをコンピューターで管理するようになってから、少しだけ系統だった整理が可能にはなりましたが、わたしのパソコンのハードディスクの中も何か物凄く雑然としていて、自分の部屋のミニチュア状態.....。でもパソコンには検索機能がついていてめでたしめでたし。うーん、実際の部屋にも検索機能がほしい。
 

 さてわたしの部屋はとりあえず床と机の表面がちゃんと見える状態になりました。本来の大掃除というのは、机の下とかたんすの裏まで全部ちりひとつない状態にするくらい気合いの入ったのものなんでしょうが、ものすごく時間をかけてやっと一般的な人の通常状態という自分が情けない。
 ところで、部屋がきれいになると、必ず、“もう絶対物は出したらしまうぞ!この状態をキープするぞお”と誓うのですが、数週間くらいかけて少しずつ少しずつ、元の状態に戻ってしまうのはなぜなんでしょう。毎回一大決心をして掃除をするたびに心に誓うのに、一度として守れた試しがないんですが。それがはっきり見えているので、年とともにますます掃除が嫌になるわけです。
 

 整理能力って、かなり生まれつきの能力だと思うんですよね。思えば、わたしは小学生の頃から、“今年の目標を書き初めで書きましょう!”みたいな課題で“整理整頓”とか書いてましたし。もし2003年の今、同じ課題を出されてもそう書くと思うし。
 よく“部屋がきれいじゃないと落ち着かなくって”“散らかっていると気分が悪い”なんてフレーズを実にサラッと口にする人がいますが、これらはわたしが子供の頃から、一度は言ってみたい憧れの言葉なんです。わたしの部屋は(もうあれから1週間たつのに)掃除後状態をキープしているし、今年はこういうセリフが似合う女になれる!?(超楽観的な性格も一生直らない?)
 

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OSを入れ替えたら(03.2.19)

 

 最近、遅ればせながらわがMACのOSを最新のOSXに入れ替えようとしました。わたしはソフトをこまめにアップデイトする方ではないので、最新のOSXで動くソフトなんてひとつも持ってないんですが、それはまあ良いの。(良いのか?)
 

 前にも書きましたが、わたしのMAC歴は長く、9インチ一体型のClassicという機種から、Mac一筋はや13年。今でこそパソコンもソフトも安いですが、その間の投資額たるや相当なものでした。
 それなのに、ここ1、2年で、20万円以下で最新のiMacだのG4だのを買って、あの美しいOSXの画面を当たり前の様に最初から享受している人たちが周囲にたくさんいるのは許せない!わたしだって最新のシステムでMACを動かしてやる!言われるまでもなく、わたしは心の狭い女なのであります。
 ところが、このOSXのインストールソフトを立ち上げようとるすと、何度試しても、その前に画面がフリーズしてしまうのです。アップルのサポートに電話をかけ、HPの質問コーナーも熟読し、周辺機器を外す、ハードディスクを初期化する、カード類を外す、などありとあらゆる手を尽くしましたが、うまくいかない。もうあといじっていないのは、メモリだけ。
 わたしは昔、メモリを足す時に、パソコンから発煙させた経験があるので、メモリにだけには手を出したくなかったのですが、この際、仕方ない。試しに、3枚あるメモリの順番を入れ替えてみると...。なんと!やはりフリーズはしてしまうのですが、そのフリーズする時の画面の模様が違うのです!
 

 ということはメモリが原因なんですよね。わたしのMacでは4つのスロットに3種類のメモリが刺さっているんですが、このスロットとメモリの順列組み合わせを色々入れ替えてみると、その度にフリーズはするんですが、毎回フリーズの仕方が違うんです。こんなところで芸を出すなよ、MAC。
 

 3種類のメモリに3つの差し込みスロットなら割と簡単ですが、差し込み口が4つあるところがミソ。これで、組み合わせの種類がかなり増えてしまうわけです。
 マニュアルには“コンピューターの内部をあける時は、コンピューターが冷めるまで、少なくとも、電源を抜いてから5分は待ちましょう”なんて書いてあるし、最初のうちこそ、それを守ってましたが、最後の方では待つのも面倒で、フリーズする、電源切る、即、コンピューターをあけて、メモリの順番を差し換え、すぐスイッチオン、さあ、これでどうだ!っていう相当危険な状態になっていました。
 

 そして、ついに数時間かけて、BINGO!な組み合わせを見つけだしたのです。突然、画面がOSXのインストールを始めた時の感動といったら...。
 

 それにしても、マニュアルには“メモリはどれをどのスロットにさしても一緒です”なんて書いてあるし、OSXのインストールとメモリが関係あるというのは、サポートの人すら全く指摘してなかったんですけど。
 わたしはウィンドウズって使ったことないけど、ウインドウズもこんな人を小馬鹿にした気分次第みたいな動きをするのかなあ。こういうことがあると、最近ビジネスにはウインドウズ、MACはあくまで趣味用みたいな位置付けになってきているのもわかる気がします。
 

 ところで、さっきの感動ですが、全く持続しなかったんですけど。実際OSXにしてみたら、過去のソフトはコンフリクトを起こしまくって、全くうまく動かない。あれだけ苦労して入れた最新ソフトだったんですけど、結局現在は、またもとのOS9に戻して使ってます。ちゃんちゃん。
 今回の教訓は、“人は人、わたしはわたし。見栄を張るのはやめようね”ってことで・・・。うーん、MACは人生勉強になるなあ。(と最後まで負け惜しみ。)
 

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サキコロを知っていますか(03.3.28)

 

 先日、学生時代わたしが所属していた、早大ハイソサエティーオーケストラのリサイタルに行ってきました。
 

 山野のコンテストの時も思うんですが、いやー、わたしたちの頃と比べると格段に演奏レベルが上がっていますよねー。
 何といっても、入手できる譜面の範囲が広がって、色々なタイプのアレンジの曲から自分たちのカラーに合った曲を厳選してやっているという感じがします。
 

 最近の学生バンドの間ではラーシュ・ヤンセン、ケニー・ホィーラー等のヨーロッパ系のビッグバンドの曲が流行っているようです。
 わたしが学生の頃はベイシー、ボブ・ミンツァー、ロブ・マッコネルなどのレパートリーをよく取り上げていましたが、それが絶対的に好きだったというよりも、それらは銀座ヤマハの譜面コーナーで扱っていたから、というのが大きな理由のひとつでした。最近の学生が、アレンジャーに直接メイルで掛け合って譜面を譲ってもらったなんていう話しを聞くと、羨ましい限りです。
 インターネットのない時代、ヨーロッパのバンドの譜面なんて手に入れようがなかったですし、大体ヨーロッパのビッグバンドの音源自体、ディスクユニオンの片隅に申し訳程度に2、3枚あるかないか。あの頃はLPの時代で、タワーレコードやヴァージンなどの外資大型ストアも日本上陸前。直輸入盤はまだまだ手に入りにくかったのです。
 

 ところで、このリサイタルの会場で、わたしは思いがけない人に会いました。私が柏市の依頼で指導していた、小中高生合同のビッグバンド“Junior's Jazzy Dream”に参加していた高校生です。話しを聞いてみると、彼はビッグバンドを経験するうちに、どうしてもハイソに入りたくなって、猛勉強して、今年早稲田に合格したそうなのです。
 実は別に早大生でなくてもハイソには入れるのですが、受験勉強から入るというあたりが泣かせるではありませんか。
 

 このJJDは、ヒノテルやルー・タバキンとの共演、マッコイ・タイナーの前座、などのコンサートを行いました。この生徒のように、高校生のうちにプロの指導を受け、一流のミュージシャンと共演の経験がある学生が、ハイソに入ってくるのです。演奏のレベルが上がるわけですね。
 

 思えば、わたしがハイソに入った時は、ジャズのことなんて何も知りませんでした。当時、一緒にハイソに入った1年生の中で交わした、今でも忘れられない会話があります。
 皆が“サキコロ”がどうしたこうした、という話をしているので、わたしが、“サキコロって何、何?”と聞くと、サックス担当の子が“ソニー・ロリンズの<サキソフォン・コロッサス>のことだよ”と言うので、“ソニー・ロリンズ?何する人?”その途端、そこにいた1年生たちから、“えーー、守屋さんってサキコロも知らないでハイソ入ったのおーー?”という驚きの声が・・・。
 

 今から考えてみれば、18才でサキコロ知らなくったってさして問題はないわけで、まあ、当時は彼等も相当気負っていたというか背伸びしていたわけですね。(でも当時のわたしは自分だけ知らなくて焦った!)
 サキコロも知らなかったわたしの指導で、ハイソに入る高校生が出てきたとは、わたしも偉くなったものです。(=わたしも年をとったものです。)
 

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思い込みには気をつけよう。(03.4.17)

 

 わたしは人によく、“あなたはボケている”と言われます。そして、自分でもそれを自覚しているつもりですが、わたしのボケは自分で思っている以上に深刻なところまで進行しているみたいです。改めてそう思わざるを得ないことが先日起こりました。
 

 先週の日曜日の朝、起きてみると、実家の父から“至急連絡してください”という留守電メッセージが入っていました。その日は、午後に、両親と同居している弟がわたしの家に来ることになっていたので、特に急ぐ用事でなければ、弟に伝言を頼めば済むことです。一体早朝から何事でしょう。すぐに、思い浮かんだことは、“もしや、母に何かあった・・・!?”
 病気ひとつしたことない母ですが、緊急の用事といえば、そのくらい重大なことかもしれません。とにかく速くウチに電話しなきゃ。慌てて電話しましたが、いくらかけてもお話中なのです。
 自慢じゃありませんが、わたしと妹が実家を離れてから、家に長電話をする人はいません。ますます、母が倒れて、父があちこちに慌てて電話する姿を想像してしまい、不安は募ります。
 

 あまりにいつまでもお話中なので、わたしは自分の携帯電話から弟の携帯に電話してみました。すると、こちらはすぐにつながりました。
 わたしが勢いこんで、“さっき至急連絡してくれ、っていうメッセージが入っていたんだけど、何があったの?”と聞くと、弟はのんびりと、“ああ、それね。家最近あんまり車に乗ってなくてさあ、バッテリー上がっちちゃうと大変だから、今日純子ちゃんの家に、お父さんの車で行ってもいいか、聞こうと思ってさあ。”
 さんざん心配させといて、緊急の用事ってそんな程度のことだったのーー。もう、わたしの家には車でも馬車でも好きな乗り物で来れば。
 “なんだあ。何かすごく大変なことが起こったのかと、心配しちゃったよー。家にいくら電話しても話し中だし。”すると、弟は、“でも電話なんか、誰も使ってないよ。”“・・・・・?”
 

 私はもう一度、冷静になって自分の行動を振り返ってみました。
ポイント1:慌てたわたしは、とにかく“ウチに”電話しなきゃ、と考えた。
ポイント2:何度も電話した、といっても、それは毎回リダイヤルボタンを押していただけ。
 そこで、おそるおそる、固定電話の方のリダイヤルボタンを再度押してみると・・・相手先はやはりお話し中で、電話機の液晶には<わたしの>自宅の電話番号が表示されていたのでした。
 

 ・・・なあんてまさかね。さすがにこれは、話しを面白くさせるためのフィクションでした。と日記(エトセトラ)には書いておこう。
 

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