トシをとるということ(04.3.29)

 

 毎年もうすぐ誕生日(3/31です。)という季節になると、改めて“トシをとる”ということについて考えます。
 トシをとるのは決して悪いことばかりとは思いませんが、やはり、自分の人生におけるある意味での可能性が減っていくという感じは否めないですよね。
 

 昨年11月のの衆議院選挙の時、わたしの所の選挙区は、自民党の有力新人と民主党の有力新人がほぼ互角の戦いを繰り広げ、テレビなどでもとりあげられる大激選区でした。結局、民主党候補が僅差で競り勝ち、自民党の候補も比例区で復活当選し、ふたりとも代議士となったのですが、問題なのは、1歳程度の違いとはいえ、彼等がふたりともわたしより若かった、ということ。
 わたしにとって、国会議員というのは、自分よりずっと年上のオジサンがなるもの、というイメージがあったのに、自分の選挙区の代議士がふたりとも自分より年下とは・・・。そういえば、この感覚、前にも経験したような。
 

 わたしが13才くらいの時、自分より年下の“アイドル”が出現し、こどもごころに、“自分はもうアイドルになるには遅いんだなあ”と思ったことを覚えています。また、高校野球って、“年上のお兄ちゃんたちがやる”イメージのものだったのに、いつの間にか出場選手が自分より年下の“弟たち”になっている。そんな時と同じ感覚です。
 わたしは、高校球児になれないのはもちろんのこと、アイドルにも政治家にもなりたいと思った事はありません。それでも“なる気がない”のと“本人になる気があろうがなかろうが、なれる可能性がない”というのはちょっと意味が違うような気がするのです。
 

 と、思っていたら、最近、芥川賞を19才と20才の方が受賞しましたね。あれも、“すごーくベテランの大作家”がとる賞だと思っていたので、びっくりしました。アイドルや政治家には何の興味も関心もないわたしですが、作家は、昔から一度はなってみたい憧れの職業なんですけど・・・今からでは無理なのでしょうか。(あれ?ピアニストは??)
 

 小泉さんは結構長く今の地位を保つ可能性がありそうだけど、その後は誰になるのでしょうか。総理大臣まで自分より年下の人になったらなんかあんまり嬉しくないだろうなあ。
 

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トシをとるということその2(04.4.11)

 

 男の人にとって女性の歳というのは、気になるものかもしれませんが、実は女性にとっても同性の年齢はかなり気になるもの。
 最近、わたしは知り合ったばかりの女性から、“守屋さんって、おいくつなんですか。失礼ですけど、多分わたしと同じくらいじゃないかと思って...”と言われる機会が何回かありました。それで、その方の歳を聞いてみると、大抵わたしより、4,5才上なのです。
 

 “わたしって実際より老けて見えるのかなあ。”とも思いましたが、実はそうとばかりも言えないようです。わたしだってよくテレビでやっている“素人さんファッションチェック”みたいなコーナーを見ていて、何気なく“あ、この人、わたしと同じ歳くらいだ”と思った人は、あとで年齢が出てくると、たいてい自分より、数歳年下なのです。
 やはり、自分の実年齢と精神年齢が一致している人は少ないのでしょう。
 思えば、中学校に上がった時、自分の考えていた<中学生像>は、すごく、<お姉さん>なイメージなのに、実際になってみると自分はまだまだこども。高校生や大学生になった時もそうで、成人式なんて、イメージとしては<立派な大人になった自分>のはずが、実体は単に親のスネ齧りの学生・・。30代といえば、<自立した大人のオンナ>になっているはずが、30になってみても何かまだ全くモラトリアム期間の終っていないような気がする情けない状態だったり。きっと40や50になった時もそう思うんだろうなあ。歳と共にそのギャップが大きくなっていきそうな予感がするのも恐い。
 よほど毎日をきちんと過不足なく過ごしている人(オリンピックの選手とか)以外は、なかなか実際の時の流れの早さに自分の意識の改革を一致させていくことは難しいんだと思います。
 さて、さきほどなぜ“素人さんチェック”のようなものを見て、という言葉が出て来たのかというと、わたしと同年齢くらいの有名芸能人は、大体10代や20代から活躍しているので、既にこちらが実年齢を知っているからなのです。
 

 それで、芸能人といえば、最近、どの世代で調査しても“憧れる女性”の第1位は黒木瞳さんだそうですね。30代や40代の女性の中で、ということだったらよくわかりますが、10代20代でも彼女、ということは、いかに女性が“トシをとること”を恐れているか、ということをよく表しているような気がします。
 彼女を見ていると、“40代になってもあんなに美しくいられるんだ”と確かにほっとします。みんな、彼女に自分の40代を重ね合わせて見ているのでしょう。(50代になったら吉永小百合さんとか?)
 わたしも黒木瞳さんは大好きで気にもなりますが、でもちょっとよく胸に手を当てて考えてみると。生まれつき何万人にひとりくらいの美しさで、更にプロとして自分をきれいに見せる方法を徹底的に研究し、その美しさを保つために、人の何倍も努力しているに違いない人と、そういう努力を何もしていない自分を、重ね合わせて、なんていうのはかなりおこがましいのではないでしょうか。
 大抵の40代の女性は彼女と“同世代”という以外の共通点はあまりないような気もしますが、それでも女性ファッション誌が“黒木瞳になりたい!”特集をやると飛ぶように売れるそうです。その手の雑誌には何の興味がない私でも、“そのページだけ立ち読みしちゃおうかな”とちょっと思ってしまうくらいで...。やっぱり女は図々しい?
 

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The Day After Tomorrow(04.6.30)

 

 話題の映画、“The Day After Tomorrow”を見て来ました。
 かなり派手に広告していた映画なので、御存じの方も多いかと思いますが、この映画のストーリーは、“人類が自分勝手に環境破壊をくり返し、その結果、地球は温暖化が急速に進み、それが原因で、(ここからがこの映画のすごいところだが)地球は1万年ぶりに氷河期に入ってしまう”というもの。氷河期って、少しずつやってくるものというイメージがありますが、この映画によると、氷河期はある日突然何の予告もなくやってきて、2、3日のうちに北半球全体を凍らせてしまうようです。
 

 これに、親子の愛情物語が絡みます。が、それは全ての人が一瞬にして凍り付き凍死していくような状況の中で、フィラデルフィアから歩いてマンハッタンに入り、ニューヨークにいる息子を探し当てて助け出す、というような荒唐無稽なもので、その部分には全く感情移入できません。
 また、ハリウッド映画特有の“アメリカンヒーローが全世界の危機を救う”タイプの典型で、全編に行き渡っている“地球イコールアメリカ”的な発想も鼻につきます。
 

 では、この映画がつまらなかったかというとそんなことは全くなく、十分1200円分(しっかり割引き券で見てる)の基はとった気がしました。何といってもCGが凄い。マンハッタンが一瞬にして大津浪に飲み込まれる場面、自由の女神が一瞬にして凍る場面、東京が巨大な雹にみまわれる場面、など本当にリアルで必見です。しかも、これらはビデオで見てもつまらないでしょうから、劇場で見るしかありませんし。
 

 ところで、この映画は、つまるところ“限り有る資源を大切にしようね”という啓蒙映画なのだと思いますが、非常に残念なことに、そのメッセージがいまひとつきちんと伝わってきませんでした。それは、“なぜ地球が温暖化すると、逆に気温が下がって氷河期になってしまうのか”という根本的なところが説明されていななかったからだと思うのです。いや、もしかしたら説明していたのかもしれませんが、少なくとも私にわかるように説明されてはいませんでした。
 

 この映画を見た次の日、わたしは大学に教えに行きましたが、この大学がまたまた学内を冷やしまくっているのです。セントラルヒーティングシステムで、教室ごとに温度を設定することができないため、少しでも外の暖かい陽光を取り入れようと、わたしは思わず窓のカーテンを全開にしました。
 教室のドア側からはさむーいクーラーの冷気が、窓側からはさんさんと輝く太陽の光が----部屋の中央あたりで“北風と太陽”が戦っています!それを肌で感じながら、わたしは思いました。“きのう映画の中で見た光景を現実に目のあたりにする日は案外近いのかも。”
 

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ユーミン・イン・ビッグバンド(04.12.18)

 

 12/7・8に“ユーミンの曲を10曲ビッグバンド・ジャズにする”という企画のレコーディングをしました。
 これは、あのユーミンの代表曲を120曲に絞り込んで、10曲ずつ12のスタイルにして、録音し、コンピレーション盤として10枚組で売り出すという企画もの。販売は多分春頃、“ユーキャン”という通信販売の会社が(同社の“世界遺産”とか“日本地図”なんかと同様に)通信販売の形で売るので、一般CDショップの店頭には並ばないと思います。
 

 12のスタイルというのは、必ずしもジャズではなく、クラシックの弦カルテットのスタイルにしたもの、ピアノトリオにしたもの、ボーカル入りのもの(ただし歌詞は全て英語)、などバラエティーに富んでいます。そして、わたしのビッグバンド以外は全て、NYで、NYのミュージシャンによって録音されるようです。
 10曲分のビッグバンドの譜面を全く一から、しかも素材はジャズではないもの、という経験はわたしにとっては初めてのことでしたが、いやー、はっきり言って大変でした。11月の初めはインド演奏旅行があったことなどもあり、結局帰って来て約2週間の間に(1曲17パート10曲分の写譜も含め)10曲を仕上げなければいけない状態になってしまいました。
 

 最後の1週間くらいは、本当に時間が足りなくて、睡眠をほとんどとっていない状態。寝ていないで食べると、眠くなってしまうので、食事もできず、お煎餅とかチョコレートを齧りながら、1日18時間くらいパソコンの前にいたことも。最終的にレコーディング前日には何とか仕上がりましたが、1週間前には1曲も出来上がってなかったのに(1週間前に“今何曲くらいでき上がってるの?”と聞かれても“それはヒミツです”とか答えていた)、どうやって仕上げたのか、自分でも謎なくらいです。
 今考えても、大変な2週間で、ビッグバンドアレンジは最後は体力と根性勝負だということを実感しました。
 

 それにしても、今回絶対無理のあるスケジュールでとにかく何とか締めきりまでに完成させられたのはなぜか。今考えてみると、今回のレコーディングには自分なりの様々な意地があったからだと思います。
   その1は、プロデューサーに対する恩義。今回のレコーシングは本来全部NYのミュージシャンでやる予定だったのに、プロデューサーが、ビッグバンドだけはわたしのアレンジとビッグバンドでやろう、とおしゃってくださったのです。その期待を裏切って“やっぱり全部NYでやれば良かった”と後悔させてしまってはあまりに申し訳ない。
 その2はそれに関連して日本人としての意地。今回、ビッグバンドだけが1枚のCDとしてまとめられる訳ではなく、録音した10曲は10枚組のCDの中に、1曲ずつ散りばめられることになるので、周囲の曲は全部NYのミュージシャンの演奏によるもの。“やっぱり日本人はアレンジも演奏も劣るなあ”と思われてしまっては、日本人として情けない。
 その3はメンバーに対する責任。ものすごく忙しいスケジュールを2日間無理を言ってあけてもらっているのに、“時間が足りなくてアレンジがいい加減です”では、信用を失いますよね。
 

 そして、最後に、そしてこれが多分わたしの今回の一番大きな原動力なのですが、ユーミンに対する恩義。前にも書いたかもしれませんが、わたしは中高生時代本当に、彼女の音楽が大好きで、今だに、彼女の代表曲はイントロからエンディングまで歌詞も見ずに歌えるのです。リクエストがあれば、いつでもピアノ弾き語りしちゃいますよ。(毎回、評判は悪いが。)
 エリントンより、モンクより、チックより、先にユーミンに出会い、彼女の音楽の影響を受けたわたしとしては、ユーミンの素晴らしいメロディーをつまらないアレンジでヘンな音楽にしてしまう、ということだけは避けたいのです。今回の企画はもちろんユーミン本人の耳にも入るそうなので、“あなたの音楽から受けた影響をこういう形でお返ししますよ”と堂々と言えるようなものにしたい。っていうかユーミン本人にお会いしてサインもらいたい。(本音)
 

 今回、NYではギル・ゴールドスタインアレンジの“ワールド・ミュージック版ユーミン”とか、マーク・ソスキン・アレンジの“サルサ版ユーミン”とか、色々面白そうなヴァージョンが録音されるらしいです。
 もちろん、彼等はわたしより100倍凄いアレンジャーなわけですが、ことユーミンに関しては、負けたくないもんねー。何といっても、わたしは“歌詞”がわかってるんだもんねー。10代前半から聴きこんでいるんだもんねー。“お仕事”の人たちとは思い入れが違うんだもんねー。とユーミンに関しては、意味不明に熱くなる私なのでした。
 

 さて、で、結果はどう出たか。ですが、これがなかなか良いんですよー。録音する過程はさすがに、10曲全部新曲(しかもリハーサルなしのいきなり当日初見レコーディング)ということで、大幅に時間がかかってしまいましたが、仕上がった10曲はメンバーの熱演のお陰で、どれも満足のいくものができたと思っています。スイングする“春よ”“ルージュの伝言”、エリックフィーチャーの“翳り行く部屋”、小池修フィーチャーの“朝日の中で微笑んで”・・・聴いてみたくありませんか?
 早速みんなに聴かせて自慢したいところなんですが...。今回は10枚組通信販売用の特殊な録音ということですぐに公開できないところが残念。いずれ何かの形で発表できる方法があると良いなあ、と思っています。
 

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