「原発」革命

古川和男

文春新書


 まず最初に読んでからの率直な感想を言うと,読んでてたいへん楽しい本ではありました。そう,たとえて言うなら科学技術とか未来の技術の進歩とかということが素直に信じられた時代,ちょうど1950年代から60年代の時代の息吹,みたいなものを感じさせてくれた本でした。

 著者の古川氏は京大理学部卒,日本原子力研究所主任研究員というまあ原発に関しては推進をする立場にある方であることはいうまでもありません。
 しかしこの本が面白いのは,著者が現在の原発政策を批判し,そして新しい提言を行っていることです。
 現在,世界中で主流になっている原子力発電所は軽水炉と呼ばれるものです。そしてその軽水炉を元にし,そこで発生するプルトニウムと,高速増殖炉を使用した核燃料サイクルが現在の日本の原子力エネルギー政策の根幹を成しています。しかし軽水炉には様々な欠点があります。そしてプルトニウムは言うまでもなく核兵器の原材料であり,さらには日本を除く世界中で高速増殖炉の開発が中止され,核燃料サイクルそのものの実現が危ぶまれています。
 著者はそれらの欠点を指摘し,そしてその欠点を解決する新たな原発を提言しています。その原発とは,トリウムを使用した溶融塩炉です。

 核燃料サイクルには,大きく二つの方法があると言うことは以前から知られていました。
 ひとつはウラン238からプルトニウム239を作る方法です。これが現在の核燃料サイクルです。しかしこれは核兵器の原料であるプルトニウムを発生させることが大きな欠点といえます。
 そしてもう一つは,トリウム232からウラン233を作る方法です。こちらはプルトニウムを発生させないので,安全な核燃料サイクルであると言われてきました。著者が提唱する炉はこの核燃料サイクルを実現させるものです。

 そしてこの本では,このトリウム核燃料サイクルの優位性や,著者の提唱する溶融塩炉の安全性について詳しく触れています。この炉の最大の特徴は,核燃料が固体でなく液体であるというところでしょう。また炉自身は黒鉛で作られます。そのため,従来の軽水炉の最大の欠点である放射能に対する防御や放射能による汚染をかなり減らすことができる,というのが著者の主張です。
 とまあ,こんな具合でこの溶融塩炉とそれが実現するトリウム核燃料サイクルについて語られてゆくわけです。さらに著者は,もう既にFUJIというこの炉の模型まで作成しているのですからじつにお見事という他はありません。専門的な話も分かりやすく書かれていてすんなり納得できます。

 この本を読んでいると,なるほど,昔,原子力開発に携わっていた人々は,こんなふうに未来を思い描いていたのかもしれないな,と思わせます。そのような息吹を著者はまだ持ち続けているようです。それはたいへん素晴らしいことです。

 でも,とここで私は思うのです。
 今はここで批判されている軽水炉も,その当時は夢の技術でした。原子力発電所は安全であり,そして核燃料サイクルが実現すれば人類のエネルギー問題を全て解決してくれる。そんなふうに思われていたわけです。
 しかし,それは間違いでした。原子力発電所は安全ではなく,核燃料サイクルの実現はほぼ不可能ということが分かってきました。
 ではどこが間違いだったのでしょうか。
 少なくとも,今後原子力に携わろうとする人々は,その間違いを踏まえなければなりません。いったいなにが間違いだったのか。そしてその間違いが起きたのはどうしてなのか。
 そして,同じことがこの著者の提唱する溶融塩炉に関しても言えるはずです。
 この本の中では,この溶融塩炉は,欠点のない素晴らしい技術のように思えます。 おそらく現時点ではその通りなのかもしれません。
 しかし,それでは本当に欠点はないのか。誰もが思いもつかなかったようなことが発生することはないのか。かつての軽水炉もプルトニウム核燃料サイクルもそうやって世界中が撤退していったのではなかったのでしょうか。ふと,私はそんなことを考えてしまったのではありますが。
 例えば,著者はこの炉の利点として経済性を挙げています。しかしその根拠は,構造が簡単なため基本的に部品点数が少なく済む,というものです。確かにそれは一つの根拠となり得るものですが,しかし経済性というのはそのようなことだけで決まるのではありません。部品点数が多かったり構造が複雑だったりしても経済性が高いということはあり得ます。そういう経済という面での考察は足りないように思えました。
 そのような見落としは,たぶん他にもあるのではないでしょうか。

 しかしそれにしても。原発には賛成しない立場から見てみると,著者の歯切れの良い現在の原子力政策への批判は,非常に痛快なものではありました(^_^;)。
 例えば,現在の原子力政策にはこんな具合です。

 「この程度の認識ないし意欲しかないのなら,いっそ廃止政策を鮮明にしたほうがよほど世のためである」

 また,高速増殖炉にたいしてはこんな意見を。

 「いまだにこれを「夢の発電炉」のように言う人がいるが」「それはほとんど幻想である」

 石油資源に対しても,石油がなくなるから原発という議論は「虚構」と切って捨てるなど,正しい認識をしている様子がうかがえます。著者はわりと分かっている人のようです。石油はなくならないが,だからといって浪費すべきではないというのは全くその通りです。
 そして著者は,核兵器の廃絶も視野に入れ,最後にこのような提言を行っています。

 「プルトニウム・天然ウランの全面使用禁止を目指そう!」

 いや,素晴らしいの一言ですが(^_^;)。

 しかし,一昨年のカリフォルニアの電力危機の原因を,環境保護派の影響で事業者が発電所を作らなかったせい,などとおっしゃってるところはまあ限界なのでしょうか。この問題はmsnジャーナルで田中宇氏が興味深い記事を書いていますのでとりあえずはそれを読んでいただかないと(^_^;)。

 エンロンが仕掛けた「自由化」という名の金権政治   田中 宇

 まあそんなわけで,わりと読後感の良い本ではありました。でも著者には,いくつかのアバウトさと,そしてちょっとした「山っ気」を感じてし
まったのはなぜなんでしょうか(^_^;)。一歩間違うとトンデモさんというか,あー。