南極物語(樺太犬)


○樺 太 犬

 樺太犬は樺太原産の北方系の犬で、大型で力持ち、おとなしく寒さに強いなどの優れた性質から、樺太では早くから使役犬として重宝がられていました。北海道では、日露戦争で日本が樺太の南半分を獲得した明治38年(1905)以降見られるようになりました。

○奇遇な一致・兄弟犬

 タロとジロは昭和30年の秋、「風連のクマ」(一緒に南極に行った犬)と、稚内市の山元さんが所有していたクロとの間に生まれた兄弟犬で、その名には深い意味が込められています。
 日本初の南極探検家白瀬中尉が引きつれた樺太犬の中にタロとジロという兄弟がおり、南極に向かう舶中、赤道を越えた頃にはこの兄弟犬を除き全て死に再び極地に行った時、この2匹がリーダー犬として活躍したことを知っていて名付けられたものでした。

○南極観測で活躍した犬ぞり隊

 昭和30年(1955)、国際地球観測年を機に日本が初めて南極観測に参加することが決定されました.このとき、極地での輸送手段に犬ぞりが選ばれ北海道各地から樺太犬が集められ稚内公園で約8ヶ月間、厳しい訓練が行われました。
 昭和31年11月に東京を出発した観測船「宗谷」は翌年1月、ついに南極大陸を発見、第1次越冬隊は前人未踏のオングル島へと到達し、そこを昭和基地と命名しました。マイナス30度を超える寒さとブリザードの吹き荒れる中、時には恐ろしい氷の割れ目に落ちそうになリながら、犬ぞりは1年間の任務でおよそ 1,800kmを走破したといいます。
 そして昭和33年2月、交替要員を乗せた「宗谷」は、再び南極大
陸へと近づきましたが、厚く大きな氷に阻まれ身動きがとれなくなり、上陸を断念し第1次越冬隊員だけを収容して日本へ戻ることになりました。
 このとき、1年間犬とともに過ごしてきた隊員達は、必ず交替要員が来るものと信じ、鎖につないだまま15頭の犬達を昭和基地に賎すこととなつた のです。
 そして1年後の昭和34年、第3次越冬隊が再び南極を訪れたとき、ヘリコプターから白い大陸を元気にかけまわる2頭の犬を発見。それは、タロとジロの姿でした。無人の南極大陸で1年もの間逞しく生き延びていたタロとジロの奇跡的な生存のニュースは、日本のみならず世界中を駆けめぐり感動を与えました。
 この事実は、昭和58年に『南極物語』として映画化され、空前のヒッ卜となりました。また現在稚内では、南極をテーマとした自然科学公園を造ろうという『南極昭和基地構想』を実現すべく運動が展開されています。

○その後のタロとジロ

 昭和34年(1959)、奇跡の生還を果たしたタロとジロは、その後も観測隊を助けて活躍しましたが、ジロは帰国直前の昭和35年に突然の病に倒れ、再び生きて日本の土を踏むことはありませんでした。
 一方、タロは札幌の北大植物園で余生を過ごし昭和45年、人間では80才過ぎにあたる高齢でこの世を去りました。
 現在、タロは北海道大学農学部付属博物館に、ジロは東京上野の国立科学 博物館にそれぞれはく製として保存されています。また、タロ・ジロをはじめとする樺太犬の功績を讃え、昭和35年に「南極観測樺太犬記念碑」が、翌36年には「樺太犬供養塔」が、訓練地であった稚内公園に建てられています。

○南極観測樺太犬訓練記念碑

 昭和32年、国際地球観測年を機に、日本が初めて南極観測に参加するにあたって、極地での物資輸送を目的に、20頭の犬ぞり隊≠ェ編成されました。
 この犬ぞリ隊≠フ主役が、稚内周辺から集められた樺太犬たちです。樺 太犬は、昭和30年頃まで、北国の輸送手段の一翼を担い、冬季の犬ぞりはもとより、他の季節にも、リャカーに体の何倍もする荷をのせてよく働きました。彼等は体力があり、粗食と寒気に耐え、指の間に密毛があるなど、特に雪の上での労働に適した特徴を備えた犬でした。馬車が大量輸送に適する一方、小路や悪路でその真価を発揮できず、これをカバーする輸送手段として長い間市民の生活をささえてきたのです。けれども、車の発達した現在、街なかで樺太犬を見かけることはほとんどありません。
 南極へ出発する前に、犬ぞり隊≠ヘ稚内公園で約8ケ月間、樺太引揚者で*ギリヤーク族出身の後藤直太郎の厳しい訓練を受け、その中から選び抜かれた20頭の樺太犬は、南極観測船『宗谷』で白い大陸に渡り、任務をまっとうしました。しかし、極地に対しての輸送能力や技術の未熟さが、南極の悪天候を克服できず、樺太犬15頭が現地に置き去りにされて死ぬという悲劇を被りました。
 そして、昭和34年1月、第3次越冬隊がタロ・ジロの奇跡的な生存を確認し当時世界の人々を感動させたことは今日でも良く知られています。
 稚内市は、こうした南極観測史上に燦然(さんぜん)と輝く一ページを記した樺太犬の功績を讃え、「南極観測樺太犬訓練記念碑」を制作しました。
 加藤顕清氏の記念碑はジロをモデルとしたブロンズ像で、台座には南極で採取した白石が埋め込まれています。幕式は、樺太犬を南極に置き去りにした隊員への非難と、タロ・ジロの奇跡の生還の歓喜がうずまく中で、昭和35年7月、関係者多数の出席のもと、とり行われました。
  *ギリヤーク族……樺太北部からシべリヤの黒竜江河口の地方に住む蒙古人種系統の             種族 、主に漁労や海獣狩猟に従事している