しかし我々の認識がすべて経験をもって始まるにしても、そうだからといって我々の認識が必ずしもすべて経験から生じるのではない。その訳合いは、恐らくこういうことになるだろう。

即ち−我々の経験的認識ですら、我々が感覚的印象によって受け取るところのもの[直観において与えられたもの]に、我々自身が認識能力[悟性]が(感覚的印象は単に誘因をさすにすぎない)自分自身のうちから取り出したところのもの[悟性概念]が付け加わってできた合成物だということである。

ところで我々は、長い間の修練によってこのことに気づきまたこの付加物を分離することに熟達するようにならないと、これを基本的な材料即ち感覚的印象から区別できないのである。

(I.カント 「純粋理性批判」 岩波文庫・上巻57p)