お題1回目:騙されたくない

2003-10-27

それにしても、例の「大量破壊兵器」はどこへ行っちゃったんだろう。いや実際にナジャフ砂漠のどこかに埋めてあったりするのかもしれないけど、そのうち見つかるのかもしれないけど、それよりも問題なのは「あるはずだあるに決まってるあるに違いないいや絶対ある!!」って話が、はじめはいくらか胡散臭そうに、そのうち当然の前提みたいにして認識に居すわってしまうこと。この何ともいえない気持ち悪さと向き合ってみるのによさげな本を見つけたので、お題にします。(noelle)

アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則』

「数日前のことであるが、慈善家の貴婦人がパリのある施設を訪問した。そこには、数ヶ月前から多数のベルギー難民が暮らしていた。彼女は、そのなかにいる十歳くらいの少女に気がついた。この少女は、部屋が相当暑いのに、両手をみすぼらしい、ぼろぼろのマフに突っ込んでいた。突然、その子が母親に向かって言った。
『お母さん、鼻をかんで』
『まあ!あなたのような大きな子が自分で鼻もかめないなんて』
慈善家の貴婦人は、笑いながらも、きびしく言った。その子は何も言わなかった。すると母親が沈んだ、感情を殺した語調で言う。
『マダム、この子は両手をなくしたのでございます』
貴婦人は目を見張り、震え上がり、了解した。
『ええっ、なぜですの?もしや、あのドイツ兵が?』
母親はどっと泣き伏した。答えは、それだけで十分だった」(p.136-7)

1915年5月2日、イギリスのサンデー・クロニクル紙に掲載されたこの記事は、第一次世界大戦当時の連合国側の世論を動かし、さらにそれまで中立の立場だったアメリカの国内世論を盛り上げ、連合国側へ参戦するきっかけをつくった「手を切断されたベルギー人の子供たち」のエピソードの一つである。
しかしながら、このエピソードを読んで、「戦争ってひどいですね〜」なんてワイドショーのコメンテーターのようなのんきなことを言っている場合ではない。このエピソードの怖さは、実は違うところにあるからだ。当時イタリア首相だったフランチェスコ・ニッティは、回想録の中で次のように語っている。

「ドイツ兵に手を切断されたかわいそうなベルギー人の子供がいるという。終戦後、フランスのプロパガンダに心を動かされたアメリカ人富豪が、手を切られた子供と会って話がしたいと、密使をベルギーに派遣した。ところが、誰一人として実際の被害者を見つけることができなかった。当時首相をつとめていた私も、ロイド・ジョージも、名前や場所が特定されていたいくつかのケースについて、この報道の信憑性を確かめるべく詳細に調査してみたが、いずれのケースも、作り話であることが判明した」(P.94)

『戦争プロパガンダ10の法則』には、戦争をめぐって生成し、流布し、人々の論調をつくるのに利用されるこうした物語とその典型的なパターンが次々と紹介される。第一次世界大戦からアフガン空爆まで、英仏側もドイツ側も、アメリカ側もアラブ側も、時代と立場を越えて繰り返される、驚くほど共通性の高い一般法則に囚われてしまった物語の反復の歴史を、この本を通じて確認することができる。

本書で挙げられた「10の法則」は以下の通り。

  1. 「われわれは戦争をしたくはない」
  2. 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
  3. 「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
  4. 「われわれは領土や覇権のためではなく偉大な使命のために戦う」
  5. 「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
  6. 「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
  7. 「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
  8. 「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
  9. 「われわれの大義は神聖なものである」
  10. 「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

情報の流れが自由になり、特定の意志を持つ人々にとって都合の悪い情報を隠すことができなくなったとか、多様な情報に接してきた学習を通じて人々の判断能力が成熟し、容易に情報操作をできなくなったとか言われているが、この本を読んでいると、残念ながら今日の情報環境も人間も、戦争プロパガンダというメカニズムに対しては相変わらず無力なようだ。

さて、戦争をめぐって反復される物語の生成のメカニズムを、いかにしたら止めることができるだろうか?(nao)