1. 自作1・2台目 440BXチップセット・マシン製作 (1998年8月に1台目)

  パソコンの自宅購入は1995年で価格が安くなり始めた時に購入した。
  それまで購入しなかった第一の理由はメーカー製造原価に対して高過ぎると思ったから。
  第二の理由は自宅で購入しなくても仕事で最新のパソコンに触ることが出来たので自宅になくても飢餓感が
なかったことでしょう。 それに仕事も忙しかったのでパソコンを自宅に購入して楽しむ余裕がなかったことも一因。
  1995年からは仕事も楽になり、かって大型汎用機や制御用ミニコンの仕事をした経験もありインターネット技術
の発展からパソコンで遊ぶという気になった次第です。 1995年に秋葉原でP-166、メモリ16MBのミニタワー、
17インチCRTセットが32万円余り、増設メモリ32MBが 5万円程だったが今は大量生産により格段に安くなった。
(注) 1998年頃まではオンライン接続表で世界中の相手とビデオ・音声・チャットが出来るCU-SeeMeという一種のテレビ電話システムの
    有償アプリがあったが接続表部分が攻撃されるようになり使えなくなった。(知らない海外の相手と通話できて面白いソフトだった)

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  コンピュータのハード・ソフト設計の経験からすぐにアップグレードを始めました。 Win95 PCの購入と
  同時にメモリを16MBから32MB追加して48MBから使い始め64MB、96MB と増設、HDD増設、
 ビデオカード変更、CPUをPentium-166からPentiumMMX-overdrive200Mhzに交換してアップグレードは終り。
  メーカー製パソコンでは手を入れるにも限界があることから自作マシンを作ることにしました。
 (電話回線もISDNのデジタル回線で当時としては高速接続の64Kbps接続、フレッツADSLは2002年に開通)
  
  最初はPentium2-266Mhz、その後P2-400、P3-550、P3-800へとCPUを交換、この間にHDDも4回ほど
 機種交換。(CPUだけを早くしてもシステム的には早くならないため)
  ハードディスク関係の設定などは仕事で経験があったので問題なくクリア、プラモデルを作るように簡単に
 作れることが分かった。 CPUをPentiumU(1台目)からPentiumV(2台目)へ交換したらマザーボードの
 交換が必要になり、CPU環境の違いを認識した。
  また、マザーボードとCPUが余ったので2台目のPCを自作しました。(用品をリサイクル)
  この時は古いFDD(フロッピーディスク・ドライブ)では苦労しました。 OSが起動途中で止まってしまい
 新しいFDDと交換したら動きました。(前に使っていて動いたパーツも組合せが変わると問題が起きます)
  また、2台のPC間をLANで接続する環境を構築してPC接続環境の勉強になりました。
  パソコンを作ると新しいパソコンの技術動向を知ることができ、インターネット接続することで Iの勉強に
 なっています。
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