ぼくらの新大陸


ト|ドラゴンクエスト

DRAGON QUEST

ENIX
FAMILY COMPUTER
1986

ジャンル| RPG
目的| 竜王を倒すこと



ドラゴンクエスト、「龍の冒険」を意味するシンプルなその言葉は、ある年代の人間にとっては、無数の記憶がこんこんと無限にあふれ出す魔法の言葉だ。ドラゴンクエストはどれだけの「リアルな経験」をプレイヤーの脳に刻みこんだのだろうか。

発売日までの一日一日が待ち遠しさ。発売日が来るまでは、どんなことがあっても死ねない。地球が予期せぬ隕石によって滅亡しようとも、ぼくだけは生き残ってみせる。その間だけ交通ルールをよく守る少年。今交通事故で死ぬわけにはいかない。

発売日当日、あんなに長い一日を自分は知らない。放課後になるまでの数時間が、どんなに長い時間に感じられただろう。休み時間を繰り返すたびに、プレイできるのが刻一刻と近づいてくる感覚。その時間は地球が生まれ人類が誕生するよりも長い時間にさえ思われた。

常にこちら側を見ている主人公。右も左も上も下も常に同じグラフィックでだいたい真ん中表示される主人公。その点を生かし、裏技でそのキャラクターがいるところに、好きなキャラクターのシールを貼ると、好きなキャラクターでプレイすることができるという情報がどこからか流れてきて、少し笑った。

モニターに浮かぶ、復活の呪文を書きこむドキドキ感。書き間違えたら、このプレイした数時間分が砂浜に作った城のように消えさってしまう。友達とどちらが先に進めているかのさぐり合い。ガセネタを教え相手が右往左往するのを見守る楽しさ。ほくそえむってこういうことを言うのかなぁと、一人思う。

エンディングを迎えたときの、達成感。同時にもうこの世界には戻ることはないんだな、と思うすがすがしい寂しさ。生まれ変わったら、アレフガルドの勇者になりたい!それは言い過ぎとしても、アレフガルドはプレイヤーにとっては、自由に遊べるドラえもんでの裏山のようなものだった。ドラゴンクエストにはプレイヤーをいつの時代も魅了してやまない、「未知」と「自由」があった。

ぼくたちの時代には、コロンブスが目指したような未知なる大陸も、自由に遊べる裏山も、夏は入って遊べる川も、秘密基地をつくれる大きな木もなかった。大人たちの優しさで危ない場所にはいけないようにされ、冒険できる場所はどこにもなかった。だがドラゴンクエストがあった。


bitnik.jp 2003