1984年のピンボール


ヒ|ピンボール

Pinball

任天堂
FAMILY COMPUTER
1984

ジャンル| ピンボール
目的| 高得点をあげること



村上春樹の芥川賞候補になった作品と言えば、"1973年のピンボール"であり、最近の話題作は"1Q84"である。ファミコンにおいて、"1984年のピンボール"と言えば、この任天堂によるピンボールである。

ピンボールもあの10年で、アナログからデジタルへである。ピンボールのIT革命が起こったと言ったら言い過ぎであろうか。

ファミコン世代に置いて、アーケードのピンボールゲームと言えば、メインに置かれているゲームでなく、照明もろくに届かない隅っこの方に置かれた、影の薄いゲームといった印象はぬぐえないものであった。デジタルのこのタイトルもそれに負けず劣らず、影の薄いものであり、悪くはないけど"なんか地味"な感じであった。

基本的にクリアという概念がなく、ハイスコアを取ることだけが目的である。主なフィールドは上下二画面プラスボーナスステージというシンプルな構成。シンプルと言えば聞こえがいいが、シンプルとは退屈と紙一重であると、歴史は語る。

しかもゲームが開始してしまえば、メインステージで操作できるのは、ボールをはじくフリッパーのみ。ボタンが二つあれば足りるとも言え、ボーナスステージがいい息抜きにだった。

ボーナスステージには、のちにブレークすることになるキャラクターがいた。そうそれは、帽子にひげでお子様からご老人にまで今ではおなじみのマリオ&ピーチである。ピーチは例によって囚われの身であるが、誰からかは定かではない。

ピーチにとって、たまにカートに乗ったりすることもあるものの、囚われになるのはいつものことで、彼女のメインのよくある仕事である。誰からなどは、さほど重要なことではないのかもしれないとプレイヤーは理解した。

マリオも既に"マリオブラザーズ"で弟とオリジナルタイトルデビューを飾ってはいたが、1985年の秋に"スーパーマリオブラザーズ"で大ブレイクを果たす前の間の作品である。

"ドンキーコング"のように悪役でこそないが、名もなき脇役としての出演で、彼の履歴書があるとするなら、掲載されていないタイトルである。でもマリオにもこんな時代があったのだ。だからぼくも頑張ろうと、売れないキャラの希望になっているとかいないとか。

このタイトルは大きく脚光を浴びることこそなかったものの、数年後、ディスクシステムの書き変え版で発表された。

そしてそのDNAを受け継ぐものが"1995年のピンボール"として1995年に任天堂の不遇の3Dマシン、バーチャルボーイで、"ギャラクティックピンボール"というタイトルで発売されたりと、その歴史は受け継がれていく。"なんか地味"というポジションとともに。


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