3日(火)から7日(土)までは滋賀の金剛輪寺近くで確率論若手サマーセミナー。 今年は幹事だったので大変だったが、 同僚の「幹事長」A 氏とともに二人でやっていたのでかなり助かった。 恒例では幹事は一人でやっているようだが、 相当に大変だろうと思う。 色々と不手際があったが、個人的にはセミナー自体はなかなか面白かった。 特に白井君とか京大の H 君などスタッフの方々が、 学生向けの面白い話を用意してくれていて勉強になった。 また特別講演をお願いした阪大の S さんには特にお礼を言いたい。 昼のセミナーの後は、毎夜兎に角飲んでいた。 私は買い出しに出ていたのであまり知らないが、 特に木曜の公式宴会は炸裂していたそうな。
以下は具体的な感想。 流体力学的極限一派と数理ファイナンス一派の結束が目立った。 僕が参加した限りの例年では、 結構ばらばらでグループらしいグループはなかったように思う。 通常のセミナー以外に、 東大の K 君が夜10時から夜セミナーを3時間やったり(やらされたり)、 同じく N 君が深夜1時から引退公演をしたり、ということがあったが、 これらもなかなか楽しかった。 僕は既に寝ていたが深夜3時頃からの特別講演「転換社債で儲ける」 などもあったらしい。 数学的でない感想としては、 お茶大から参加した女の子二人の個性が極立っていた ;-) とか、TeX 業界の大御所かつ流体力学的極限一派のキーパーソン(?)かつ T 研の後輩、乙部君の「乙部拡大」が健在だった、とか。
兎に角、色々と幹事の不手際はあったが、 無事に終了してほっとした。 皆さん、お疲れさまでした。
さて、今日からは本格的に夏休み。 たまに大学に行って雑務をする以外は、 ほとんど家でごろごろしているだけで、 ほとんど事件らしい事件も起こらないと思います。 日記の内容は読書日記くらいになるでしょう。
出張の移動中の読書。
「グレート・ギャツビー」(フィッツジェラルド、訳:野崎孝)。
「若い芸術家の肖像」(ジョイス、訳:丸谷才一)。
両方ものすごく面白かった。
僕はどちらも初めて読んだのだが、
もっと若い時に読んでおかなかったのが残念だ。
と、思うタイプの小説だった。
でも、「グレート・ギャツビー」という翻訳題名はどうだろうか。 原題そのままだから、まあいいといえばいいのだが… フィッツジェラルド自身も題名については悩みに悩んだそうで、 この題名に決定して出版されてからも、 「『偉大なるギャツビー』だと弱い。これだとギャツビーの 偉大さも、またその欠如も、皮肉な意味でさえ浮かんでこない」 という主旨の後悔の手紙を編集者に宛てて書いたと言う。 この作品の邦題としてよく使われていた 「華麗なるギャツビー」がなかなかいい題名のような気がするのだが如何か。
久しぶりに大学に行ってみる。 たまっていた雑務などを処理。 僕の研究室には黒板がなかったので、 頼んでいたホワイトボードが届いていた。 やはり大きな字で計算できるのはなかなかいい。 家にも一つ二つ欲しいなあ。
今日の読書。「ミネルヴァのふくろうは日暮れて飛び立つ」
(J.ラブ、文春文庫)。
ある修道士によって16世紀にメディチ家に献上されたが、
あまりの危険性に教皇によって永遠に封印されたという伝説の書
「至上権利論」が、世紀末のアメリカに甦った。
何者かが世界を混乱に導き新たな秩序を導こうと、
「至上権利論」に従って着々と進行させているらしい「過程」に、
精神に異常をきたして引退した元工作員サラと、
政治学の若き俊英ジャスパースが立ち向かうが…
というようなお話。
一言でいって、次回 007 の脚本だと言われても納得しそうな内容。 まあ暇つぶしにはなります。お盆の帰省の移動車中の暇潰しなどにお勧めか。 ただ一つ恐るべきは、小説の主題になっている、 マキャベリを越える究極の政治支配マニュアル「至上権利論」を 巻末に収録してしまっている(!)ところでしょうか。 誰かこれで世界を支配してみては。;-)
あの大騒ぎの中、可決が行なわれたらしい。 そうまでして通したい通信傍受法案って何なのだろうか? あれが採決だったのかどうか、ちゃんと手を挙げてたか、 などという議論をしているようだが、 問題はそんなことじゃないと思う。 そうまでして何故通したいんだろうか?
「スコップ」は大阪弁であると聞いて驚く。 じゃあ、標準語ではあれを何というのだろう。 「小さなシャベル」? 「押しピン」も大阪弁だそうな。標準語は「画鋲」。
朝はチェロのレッスン。二週間チェロを弾いていなかったので、 散々なありさまだった。 午後は三条で本屋を見たり、Cafe Riddle でバニラのババロアを 舐めながら本を読んだり。
今日の読書。
「臨済・荘子」(前田利鎌/岩波文庫)。
昭和初頭に「宗教的人間」というタイトルでベストセラーになった利鎌の著書から、
臨済と荘子を題材にした章を抜きだして再刊したもの。
気迫がこもっていて面白い。ただ、
臨済・荘子の言葉なのか、
利鎌の言葉なのかごっちゃになってしまっているのが不満。
臨済没入、荘子没入という気迫の裏返しなのでやむをえないのだが。