1998 Feb.中期 (Arcana 18)

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Feb. 11th (Wed.)

午前九時起床。が、どうしても起きられなくてまた正午まで寝る。 かなり疲れがたまっていたようだ。 今日は久しぶりに何も考えずゆっくりしよう。

家で昼食を作り、水まわりの掃除をして、掃除器をかけ、 洗濯をする。大変ドメスティックな一日。 ドメスティックついでに近所のスーパーに食材や食器を買いに行く。 夕方から三条に出て、電気街をぶらぶらしたり、 本屋をまわったり。

夜は読書。「リー群の話」(佐竹一郎)。 リー群とは、、、一言で言うと群の構造を持つ多様体のことである。 または多様体の構造を持つ群のことと言ってもいい。

色っぽいとはどういうことかと言うと、 つまりは官能に対する覚悟の問題である。


Feb. 12th (Thurs.)

昨日の日記の冒頭はもちろん「午前九時」でした。 午後九時起床、正午まで二度寝する、はいくら僕でも寝過ぎです。 金沢のKさん、申しわけありませんでした。

昨深夜、寝床に入ろうかという頃、東京は下北沢より入電。 向こうは酔っぱらっていて御機嫌。しばらく雑談。

午前十時起床。朝食を作り、メイルを読み、、、といつもの朝。 午後からBKCへ。 午後一で学系会議。入試の合格線を決定する会議。 この一点の線引きで何人かの受験生の人生が変わるのだろうか、 とも思わないこともないが、 こちらはあくまで学校側の思惑で決定するしかない、 当然のことながら。

その後は某所に出す申請書の作成。 面倒だが、これくらいの手間で大金が下りれば万万歳。 このお金でポスドクを一年雇う方針もあったのだが、 候補者を挙げている時間的余裕がなかったのは残念。
面倒な雑務の合い間に、連続群のルート系の勉強をしたり、 I御大にコピーしてもらったノートを読んだりして、 無聊を慰める。
忙しいせいか、凄く数学がおもしろい。


Feb. 13th (Fri.)

午前八時起床。BKCへ。 大会議室で大学入試の採点。

午前中は穴埋めがほとんどの採点をやっていたので、 楽勝と思っていたのだが、午後から数学の記述式答案の採点に回され、 夕方まで採点、疲労困憊。 採点方針に沿った回答ばかりなら問題ないのだが、 これはこういうつもりで書いたのだったとしたら、 点をもっとあげるべきだし、 しかしまったくわかっていない書き方にも見える、、、 というような悩ましい答案が続出で、 慣れていないせいもあるが気苦労が多い。 また数学者はそういう議論が好きなので、 これはこういうつもりで書いたに違いない、 いやこれは全然わかってない、とか論争を始めて採点を長引かせる原因になる。 他の学科の先生達はさっさと今日のノルマを果たして帰った後も、 数学の島だけぽつんと残り、 「これは右辺は明らかに有理数で、こちらは自明に無理数だから、 矛盾は明らかで、わざわざ断る必要はない」 「いや、この受験生はそんなにスマートではない」 などと言う議論を続ける。

そうこうしている内に、数学科の先生二人に部屋の隅の方に呼ばれ、 ごにょごにょごにょ、と来年度の秘密業務を仰せつかる。 もちろんお断わりする勇気はなかった。

入試の採点は、まあ面白いと言えないこともないが、、、 兎に角、明日もまた数学島で採点である。


Feb. 14th (Sat.)

午前八時起床。BKCへ。大学入試採点続き。

そうなのではないか、と思っていたのだが、 今日まだ採点が残っているのは数学の記述問題だけだった。 広々とした大会議室にぽつんと一つの島で、朝から夕方まで採点。 結局、全体で最後の採点は僕が0点を採点した部分に、 5点おまけをしてやるべきではという議論だった。 よくある漸化式で定義された数列の極限の問題で、 特性方程式が二次なので二つ解を持つのだが、 その一方が不等式のはさみ打ちの議論で数列の極限になる。 その答案では、はさみ打ちの議論によって答を正しく得ていたが、 特性方程式の解で極限が場合分けされると思っているフシが伺われたので、 採点基準に従って0点をつけた。 (だって、極限は最初から一つしかないのだから、 特性方程式の解に従って場合分けしているのは根本的におかしい) しかし、読み方によっては、正しい議論でもあるような微妙な答案で、 結局は5点を与えることになった。

ちなみに数学で満点を取ったものは一人もいなかったのではないだろうか。 僕が採点した中で、もう少しという答案を見たが、 上の特性方程式の場合分けに引っかかり、惜しくも満点を逃がした。 僕から見ても今年の問題は、かなり微妙なものが多く、 ちょっと難し過ぎると思う。 多分、僕でも試験時間中には満点を取れなかったかもしれない。

よたよたしながら家に帰る。 夕食は御飯、納豆、しめじの焼き饂飩、豆腐と油揚の夫婦煮。 ああ、辛い一週間だった。


Feb. 15th (Sun.)

午後になってようやく起床。12時間眠ったらしい。 卵、海苔の朝昼食を食べて、三条に出かける。 本屋をまわったり、電気街をのぞいたり。

学科、というのは本人の専門とする研究(または教育)分野によって、 区分けされているだけなのだが、 学問的なこととは全く別なことを話し合う時でも、 ちょっと意外なくらいの「壁」がある。 なぜかお互いの言っていることが相手に伝わるのに遅延があるのだ。 このインターネット時代に札幌シティスタンダードなみの遅さである (そんな例え誰もわかんないってば)。 なぜなのだろう。 違う分野を専門にしていることは、 言語の理解や伝達の本質的な差異が原因なのだろうか?


Feb. 16th (Mon.)

午前中に起床。卵、海苔の朝食を食べて、 午後からBKCへ。 csドメイン管理者ミーティングに参加。 その後は今日はデューティなしなので、 研究室で数学を考える。

最近、考えていることの一つは数え上げの問題で、 僕はこういう問題は慣れていないのだが、 あれこれと絵を書いて数えたりするのが楽しい。 多分、数え上げとか組み合わせ論の人には自明な問題なのだろうが、 そういう初等的なことを考えていると非常に楽しい。 素人芸の悦び、というやつだろうか。 また、その関係で、かなり大きい行列の固有値を計算するはめになったのだが、 試しに MapleV で計算させてみるとあっという間にできて、 「ありがたいものであるなあ」と感心した (ちなみに、on Linux with PentiumPro200MHz, mem128M)。 もちろん計算機を使うと答だけが、ぽん、と出て来てしまうので、 数学的構造を捕むという意味では役には立ち難い。 あれこれ手を動かして試行錯誤している内に、 その対象の持つ深い構造に気付く、 というのが正しい数学者の推理のあり方だと思うが、 つまらない計算はどんどん計算機に任せ、 出て来たデータをじっと睨んで「これだ!」と背景を見抜く工学的センス (と言うか、実験的センスかな)も重要かもしれない。

どっちにせよ、僕は数学者を名乗るのが恥ずかしいくらい、 かなりセンスに欠ける方なので、 ないものねだりの憧れのようなものなのだが。


Feb. 17th (Tues.)

午前中に起床。午後からBKCへ。 追試の代わりのレポートを教務課で受けとって、 研究室で採点。 今日の雑務はこれで終わったので、 あとは数学を考えたり。

ドメスティックな話題で申しわけないが、 炊飯器って本当に偉大だなあ、、、

最近、講談社ノヴェルスでメフィスト賞受賞作が次々出ている。 おもしろいのだろうか? 帯の宣伝では世紀の問題作のような絶賛ぶり。 ちょっと今余裕がなくて、そこまで手がまわらないのだが、 読んだ方よろしければ、あくまで「私向けの」感想を教えてください。


Feb. 18th (Wed.)

昨夜、ゼミの準備をしていたらそのまま寝てしまって (僕は昔から寝床で数学をする習慣なので。閨房数学と言うかどうかは知らないが)、 目が覚めたのは正午。あわてて昼食を作って、京大数理研へ。

今日は僕が Gaveau らの論文の始めのあたりを紹介して、 さらに、この二三日考えていた数え上げの問題について話す。
ゼミを終えて夕方から三条へ。 本屋を見てまわって、電気街の最果てにある「DOS/Vパ○ダイス」で、 CPU などパーツを計画的に衝動買い。

お、昨日は広島のJさんのお誕生日でしたか。おめでとうございます。


Feb. 19th (Thurs.)

午前中に起床して、朝昼食を作って、少々の雑務を片付け、 午後からBKCへ。 入試関係の学系会議の後、さらに教授会。 終わった時間は既に18時過ぎ。 午後全部をほぼ不毛な会議に終始してしまった。 仕方ないことなのだが、ちょっと心がすさむ。

何事においても、ああここで一線を越えたな、 と思うラインがあるものではないだろうか。 例えば、自炊したことのなかった人が徐々に簡単な食事を作るようになり、 スーパーで生の魚を一匹買った瞬間とか、 昔はコンピュータの中など覗いたこともなかったのに、 保証書なしのバッタ屋で 「にーちゃん、ぱりなし72ぴん60なのの32めがEDOしむ、ばか安のない?」 などと言っている自分に気付いた時とか、 いつの間にか自分のものでないものが部屋に一杯あったり、 まあそういう時だ(どれも経験ないけど)。

いや、あくまで想像ですけどね。


Feb. 20th (Fri.)

午後からBKCへ。 会議の後、会議の後、会議。

ルエールの意見だったと思うが、 数学者は子供の頃、電気回路の実験ごっこをやったタイプと 化学の実験ごっこをやったタイプの二つに分かれると言う。 卓見である。
もちろん「僕は時限爆弾つくったから両方のタイプかな」とか、 「あらあたしは生物実験だったわ」 とか言う危険な子供は数学者にはならないだろうと却下したのであろう。

僕はどちらかと言うと、電気回路のタイプだった。 エッチングで基盤から作って、パーツ屋で抵抗やらコンデンサやら、 論理回路が入ったICやらを買って、色々組み立てたものだ。 思えば、僕が子供の頃というのは、 身近にあるテクノロジがどのように動いているのかということが、 完全にトレースすることが可能であった最後の時代だったかもしれない。 つまり当時は子供が「科学者」であることが可能な時代だった。 今はそうでないと思う。 身の回りにあるものは全て魔法で動くブラックボックスだ。 現代に生きる人間は自動的に魔術的思考に慣れてしまっていて、 多分「科学の目」を持って考えることは非常に難しい。

僕の持論なのだが、人間はそもそも本質的にマジカルシンカーだと思う。 「黒猫が前を通ったから、今日はついてない」 式の思考が人間が考えるということの本質なのだ。 それが悪いと言っているのではない。 そういう素朴な帰納的推理が思考の原形であることは確かだし、 とても重要なことだと思う。 しかしそういう魔術的思考を論証、分析、実験という手段を用いて、 人類最大の文化にまで昇華した科学に、 それがあまりに複雑になり過ぎたという理由で、 再び魔術的思考の暗雲が立ちこめてきているような気がする。

なんだかつまらないこと書いてしまったな、、


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