水曜は嫌い。 午前も午後も演習。
今日の読書。「資本主義を語る」(岩井克人)。
「ヴェニスの商人の資本論」や「貨幣論」以来、ファンなのだが、
これも面白いです。
雑誌に書いたものや、柄谷行人、網野善彦らとの対談などの
柔らかめの内容で、寝っころがりながら気軽に読めます。
音楽理論のページ
、楽しみに読んでいますが、やっぱり難し過ぎなのでは、、、
僕が持っている唯一の楽典は高校生用らしい音楽之友社のものなのだが、
ずっとずっと簡単なのは古典的西洋音楽がシンプルな文法しか持っていない、
ということなのか、それとも入門書だからなのか。
なんだか、ページを作っている T 部長の方針には反するだろうが、
ギターって凄く難しい楽器らしい、
という印象が出来上がりつつある今日この頃です。
12日、午後より宝ヶ池の国際会館で京都賞基礎科学部門のワークショップに出席。 日本確率論の始祖と言ってもよい伊藤清先生の受賞記念ということで、 日本中から確率論屋が結集(と言っても100人くらいかも)。 わが師匠 T 氏が司会で、 I 御大が伊藤先生の初期の仕事と現代の確率論への流れ、 A 先生が特殊関数とガウス積分の関係、K 先生が数理ファイナンスの話題、 W 先生が伊藤先生に連なる本流、リーマン多様体上の確率解析の話題について、 それぞれ講演。 私ごとき末席を汚すものが感想を述べるのも僭越だが、少しだけ。 「伊藤清からの二十世紀の確率論」という感じの大テーマだったので、 それにふさわしい内容だったとは思うが、 それでは我々 probabilist はこれからどう「二十一世紀の確率論」 を作っていくのか、という方向性はほとんど見えなかったと思う。 なんとなく無限次元を奔放に扱う理論物理的直観を rigorous にする、というより、 それを土台に次の論理が展開できるという意味で mathematics にしていく、 という流れが一つと、 filtering の問題などの確率論がそもそも抱えていた問題を、 ランダムネスとはそもそも何なのか、といった素朴な当初の意識に戻って、 確率解析の発展の影で捨象されていったような問題に新たに目を向けていく、 再訪していくという流れが感じられたような気がするが、 あくまで個人的な妄想なので関係者各位は真面目にとらえないで下さい。
その後、四五人で連れだって四条で食事、さらに祇園の方に呑みにいく。 白井君は山科亭に一泊。 白井君に会うとやはり刺激されて、もっと数学しないといけないなあ、 と思う。 来年からは某氏が関西に移動するようで、それはちょっと楽しみ。
13日の金曜日。白井君と山科駅で別れて、
僕はチェロのレッスンに行く。
一旦自宅に戻って(現在日記を書いている)、
またBKCに行って夕方から会議、その後、夜も食事しながら会議の予定。
14日、土曜。午前中はチェロの練習をしたり、午後は仕事をしたりして、 夕方からは沖縄帰りの I さんを京都で迎える会に出席。 一人予定者が欠席で、T 部長、 I さんのお友達の日本画家(美人絵専門)志望の R さんと三条で待合わせて、 三条から四条あたりの古本屋を周る。
最初は御幸町(ごこう、と読むのを今日はじめて知る)のアスタルテ書房に行く。 京都に移住してきた時に行って以来(二年ぶりくらい)なので道に迷いまくり、 随分時間を使って本当は三条から徒歩五分くらいのアスタルテに到着。 三条通りの右に面していたような記憶だったのだが、 実は御幸に曲がってから、御幸町通りの右に面していたのだった。 故澁澤が「売るのは惜しい」と言ったとか言わなかったという (その辺り澁澤の俗物ぶりが表われているような気するが)、 故生田耕作ゆかりの店でもあり、最近では金子國義ゆかりの店でもあり、 趣味人御用達のスノッブな場所だが、 僕はそのスノッブぶりがすっかり嫌いになってしまったので、 滅多なことでは近づきたくもない場所になってしまった。 その後、寺町通りの浮世絵の大書堂を経由して、 河原町通りに出て大学堂、赤尾照文堂、博物画で有名なキクオ書店と周り、 最後は京阪書房に寄って、夕食の段取りになる。 R さんのお勧めで河原町通りに面した台湾料理屋で食事。 その後、山科に移動して一泊してもらう。
15日、目が醒めると、R さんは既に帰っており、 T 部長、I さんと一緒に山科で食事をして山科駅で午後解散。
その後、自宅で仕事など。
ちなみに金曜日にまわった店の中では現在の僕が好きな店は、 赤尾照文堂( 目録「京都古書情報」 ) ですね。現在の僕にとっては、ですが、「使える古本屋」って気がします。
午前中に東京に移動。午後、少し某A社の研究開発室に顔を出して、 夕方から東大数理科学研究所でのゼミに参加。 K 教授の「マリアヴァン解析再訪」というキャッチーな題名にひかれて、 このために上京。 最近 Malliavin の原論文を良く見るので、 その場でやっていることは良く理解できたが、 それでどういうことが本当はしたいのか、という思想が、 深すぎて僕には良くわからなかった。 まだ言葉にならない感蝕を、数学にしていきたいのだ、 という気分だけは伝わったような。 僕には直接関係ないかもしれないが、動向を注意しておきたい。
その後、白井君と下北沢で食事して、21時過ぎの新幹線で山科に帰宅。
往復の新幹線の中では「モンテ・クリスト伯」(デュマ、岩波文庫) の一巻から三巻までを読む(ちなみに全七巻)。 滅茶苦茶おもしろいです、いや本当。
午後からBKCへ。 留学生数学の後、暗号ゼミ。 拡張ユークリッドアルゴリズムとか、中国人剰余定理とか。
中国人剰余定理とは、 「3で割ると余り1で、5で割ると余り2になる数は何?」 などという質問に答えるものである。 もっと正確に言うとある整数 x について m1 で割ると余り a1 で、m2 で割ると余り a2 で、 m3 で割ると余り a3 で、、、と言うような数 x は、 m1, m2, m3,,,,が勝手なペアについて互いに素であるとき、 M = m1*m2*m3*,,, の法の下でただ一つ存在し、 その x を具体的に表示するような公式のことである。
最初「3で割ると余り1、5で割ると余り2」の例に戻って公式を説明しよう。 まず3の法の下で5の逆数になる数、すなわち5にかけて3で割ると余り1になる数を 求める。それはp=2である。実際、5*2=10 で3で割った余りは1になる。 逆に5の法の下での3の逆数qを求める。それはq=2である。 実際、3*2 は6だから5で割った余りは1になる。 そして、1*p*5 + 2*q*3 を計算する。 この答は 1*2*5 + 2*2*3 = 10 + 12 = 22 となって、 これが求める答である。実際 22 は3で割ると余り1で、 5で割ると余り2になっている。 上の公式が答になっていることはその意味をちゃんと理解すれば、ほぼ自明である。 本当は上で書いたように答は3*5の法の下で (つまり15の定数倍の差を無視すると)ただ一つに定まるので、 答は 22 の 15 で割った余り 7 と答えるべきかもしれないが、 22でもまあ答であることには変わりない。
中国人剰余定理(Chinese Remainder Theorem)とは変な名前だが、 多分、中国の物凄く古い文献に出ていて、 中国人はずっと昔から知っていたらしい(伝説かもしれないが)、 というような所から来ているのだったような記憶がある。
午前、情報処理演習。 午後も演習に並行して、ネットワーク関係の会議。 年末年始あたりを目途に大規模に立命館大学全体でネットワークを いじることになっており、OSPF のコスト設定がどうとか、色々と問題山積。 そもそもN○Tが一年程前に納めてくれたものが、 公約通りの動きをしていればこんなツケは廻ってこなかったと思うのだが… 実働部隊の方々には全く御同情申し上げたい。
自宅では、随分遅れている翻訳の仕事とか、書き物の仕事。
今朝、というか昨深夜三時ごろから四時前まで、
寝台で横になりながら、窓から流星群を見る。
10分に一回くらい、金星よりずっと明るいほどの巨大な
流星が右から左に流れていった。
願いごとをする暇は、やはりなかったが。
大学に行って、いくつか事務的な仕事を片づける。 明日からは東京にてシンポジウムに顔を出す予定。
数学、理科などの教育内容が3割ほど削られるらしい。 理系離れが問題になって久しいが、初等中等教育では 理系の科目がどんどん縮小、簡素化されているのは事実である。 一体何故なんだろう。 数学や理科が役にたたないからか、 生徒のゆとりのためか。 これから理系科目内容をさらに3割分知らない世代が育ってくるわけだが、 本当に大丈夫なんだろうか。 僕はあんまり国家による教育制度というものを信用していないし、 結局は本人の問題だと思ってはいるが、 やっぱり良いにつけ悪いにつけ、 次からの世代全部に影響を与えることは間違いないので、 何だか心配になってくるのである。 僕が心配してもしょうがないんだけど。
ところで、僕は去年から学生を教えるような羽目になっているが、 「驚くよ」と人に驚かされながら、実際本当に驚いたことが一つある。 このことはひょっとしたらR大学の名誉に関わるかもしれないので、 ここだけの話にしていただきたい。
というのは、どうもイコールの意味がわかっていない学生が目立つような 気がするのである。 イコールは等式のあのイコール、記号で書けば "=" である。 具体的に言うと、ある式 A を計算しなさいという問題があったとする。 どう考えても A = A' = A'' = ,,, と等式の変形で計算を続けて最後に答を出す、 普通はそうしたものだと思うのだが、これが出来ない人がいる。 黒板や解答用紙の一番上に A とかく。そしてその下にイコールを書かずに、 A の変形 A' を並べて書いてみたり、 または「ならば」の論理記号("=>" みたいな矢印)を書いてみたり、 またはイコールと「ならば」を適当に混ぜてみたりで、 答が出ているにしても、そこに論理的な道筋が感じられないか、 または本人だけに分かるらしい論理で計算しているのである。 もちろんこの学生が天才であるという可能性は少しだが、ある。 しかしそういう学生が目立つ所を見ると、かなり一般的症状らしい。 某先生に言わせると、予備校的な受験教育のせいで、 部分点がもらえると思って関係のありそうなことを書き散らしているのだ、という。 つまり数学の解答が、問題から解答にいたる一本道の論理を説得することだ、 とハナから思っていないというのである。 イコールの論理がわかっていないにしろ、 数学そのものを誤解しているにしろ、 僕はこのことに大変にショックを受けたが、 それは僕があまりにナイーヴだからなのだろうか。
金曜、土曜は駒場の東大数理科学でシンポジウム。
金曜の夜は大学院の先輩でS大のHさんと白井君と三人で下北沢で食事。
お二人は共著の論文二本の準備中で、僕も頑張らないとなあ、
と反省したり。
深夜、某A社の天才プログラマK氏と有閑貴族Hさんの
泥酔コンビから電話。二人ともHさん宅で御機嫌なようであった。
また東京に行った時には御連絡しますので、一緒に遊びましょう。
日曜。三日ぶりくらいにチェロの練習をする。 いつものスケールとか三連符の速弾きの練習をしたりの他、 年末らしくベートーヴェンの第九から喜びの歌を弾いてみたり。
午後は三条の十字屋で弦楽器のフェアをやっているので、 ちょっとだけ素見しに行って、その後 Cafe Riddle で計算したり。