朝まで今日締切の仕事をし、 少し仮眠してから午後は会議。
今日の読書。「仕事くれ。」(D・ケネディ、訳:中川聖、新潮文庫)
電話セールスから広告会社の地域マネージャーの地位まで、
セールスの才能だけでのし上がってきた主人公を、
会社の乗っ取り売却の破滅が襲う。
最悪の形で職を失なった彼は、失業者の辛酸を舐めつくすことになる。
そこに高校時代の同級生の縁から、最後の蜘蛛の糸が下りてきたが…
というお話。
名付けて「失業再就職サスペンス」。これは新しい(笑)
原題は "The Job" だが、「仕事くれ。」(「。」がポイント)
という邦題もいい。
セールスマンの世界って恐いですねえ。
読んでいたら、元自動車のセールスをやっていた東京の H 氏を思いだした。
「元」と書いたのは、交通事故をきっかけに会社を辞めて、
今は中古車を扱う会社を自分でやっているので、社長様なのである。
事故で怪我をした足もかなり良くなって、
この前東京でちょっとお会いした時には、
もう松葉杖を使っていなかった。
歩いているところも、ちょっと軽い捻挫をしているのかな、
くらいにしか見えない。めでたいかぎりである。
というわけで、中古車と言えば「バンザイ・オート」をよろしく。
昨日は随分早く寝たせいで、今日は早起き。 午前の数時間を余計に手に入れたようで、変に充実した錯覚を味わう。 このまま、早寝早起きな健康的な生活に切り変えようかなあ。 午後から BKC へ。 今日は大学院入試だったので、採点のため研究室で待機しながら、 数学を考えたり、雑務をしたり。
今日の京都はずいぶん涼しい。夏が嫌いな僕としては、 このまま秋になってくれればよいが。 年寄みたいな言い草ですが、もう九月とは早いものですねえ。
三日金曜。
大学院入試の面接の後、学系会議。久しぶりの会議で、ぐったりした。
面接の時に気付いたのだが、皆が皆、「〜の方(ほう)」
という言葉を使うのは何故なのだろうか。
「〜の方を考えていたのですが、〜の方を勉強しようと思いまして、
〜の方を〜の方へと、〜の方で」
といった調子で、一度気にしだすと各文節に入ってるのではないか、
と思うほどいらいらする。特に指摘する人もいなかった所をみると、
今はそれが普通なのだろうか?
そういえば、「〜の方で、よろしかったですか」
とか変な言葉遣いをする店員がいて、常々不思議に思っていたのだが、
きっと彼等は接客マニュアルに従っているはずなので、
それが正しい(しかも丁寧な)日本語だと思っている人が結構いる、
ということなのだろう。
金曜の夜九時にちょっとベッドに横になったと思ったら、 気付くと次の朝九時だった。疲れてたのかなあ。 我ながらちょっとびっくり。
土曜。 夜、テレビで映画を観る。 僕はショーン・ヤングという女優がわりと好きなのだが、 どうしてこう変な映画を選んで出演するのだろうか。 本人が選んでいるのか、エージェントが持ってくるのか、 プロデューサーとか監督が 「この役を演じきれるのはやっぱりショーンだけ」とか言ってるのか、 まったく疑問だ。 いい役を選ぶとかいう以前に、たまには普通の人間をやってもらいたい。 ちなみに今日観たその映画の題名は、 「ジキル博士はミス・ハイド」。
今日は午後から大津のびわこホールでの、 ヴァイオリンとチェロの発表会。 午前中に最後にちょっと練習をしておくか、 と思ったのはいいが、そろそろ家を出ようと思ったその瞬間に、 ばちんという激しい音とともに C 弦が切れて真っ青になる。 余分の弦は持っているが、僕は C 弦にガット弦を使っているのだ。 ガット弦は新しく張ると、一週間くらいは音が落ちつかない。 弦が延びて音が下がっていくのである。 特に張った直後はぐんぐん音が下がっていき、とても使えたものではない。 冷汗を流しながら家を探し回ると、 一番最初にチェロを買った時に張ってあったスチール弦を、 捨てずに置いてあったのを発見し、大急ぎで弦を張りかえる。 音色はダメダメだが、一応 C は C であるようなので一安心し、 慌てて家を出る。
発表会では、スメタナのモルダウなどをソロで弾いて、
合奏はモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジクなど。
とちりまくりだったが、まあよかろうよ(良くないってば)。
ソロについての先生評は
「音はよく響いてましたよ。他は…まあ、初めてにしては弾けた方でしょう」
でした。(この「方」の使い方は正しい)
僕のことはさておき。発表会とは言え、 中学生にもなると楽器を構える姿も毅然としており、 音楽科の高校生などはもうプロのような演奏である。 全てハーモニクスの超高音のパッセージを危げなく弾く女の子には、 溜息が出るほどであった。 僕から見れば、小学生でも異常なまでに上手い。 長ーい難しそうなコンチェルトをいとも易しく暗譜ですらすらと弾く姿は、 子供ながらソリストの風格である。 そこで思ったのだが、 数年も練習すればここまでヴァイオリンなり、 チェロなりが弾けるようになるということは、 それにかける練習の時間とエネルギーに対して、 非常に良いトレードではないかなあ、と。 僕も練習に励もう、と思った次第であった。
起きたら正午。 今日は休日、ということに一人決めして、さらに午睡。 今日の読書。「老子」(訳註:小川環樹、中公文庫)。
ほそみさん
の日記で、学会の講演中に受けた質問に対して、
「わからないので、○○先生に聞いてみましょう」と、
自分の指導教授に質問を振ったという大学院生の話が出ていたが、
たまに学会やシンポジウムでこう言った愛敬のある事件が起こるものである。
残念ながら、僕が直接目撃したわけではなく人から聞いた話だが、
それに勝るとも劣らぬ事件。
とある数学のシンポジウムにて。某女子大学院生が自分の講演中に、
「さて、この式にこの関係を用いるとどうなるでしょう。
はい、そこの人」
と聴衆の一人をあてたという。ただものではない。
この人は他にも色々と逸話のある人だが、
幸運にも直接の面識はない。
今日の京都は雨。 午後から大学に行く。 今日は教授会だと思っていたのだが、 僕の勘違いだったようで、何の用事もなかった。暇になったので、 図書館で借りてきた偏微分方程式論の教科書(伊藤清三先生著) を研究室で読む。
ヴァイオリン・スピーカーというものを御存知ですか。
なんでも、ヴァイオリンなりチェロなりの駒の部分に、
スピーカーのドライバーを直接取りつけて、
弦楽器を鳴らすと言う画期的スピーカーである。
僕はオーディオについてはまったく理解がないのだが、
これで弦楽器の録音を聞けばオリジナルに近い感覚が得られるかもしれない。
何せ、本当にその楽器が鳴っているのだから。
ある弦楽器作家の方が作った新品の楽器に弾き込みの効果を与えるために、
腕型のロボットのような機械で弓を動かして鳴らしていたのだが、
ある日、「直接楽器を鳴らせないか」と思い至ったと言う。
さらに言えば、 いっそのこと録音方法も変えてしまってはどうか。 いったん音という空気振動に変換するのが無駄だからである。 楽器の駒から直接振動を「録音」し、 それをヴァイオリン・スピーカーで再生するのだ。 うーむ、我ながら名案。かと思ったが、 直接に振動を電気信号に変える自然な方法がないか。 それに弦楽器にしか使えない。 カルテットの録音を聴くためには、 自宅に四台も楽器(実はスピーカー)を置かないといけない(笑)。 それはそれで壮観かもしれないが…
朝はチェロの練習をし、午後は昼寝をしてから、 数学を考えたり。
今日の読書。
「幽霊が多すぎる」(ポール・ギャリコ、山田蘭:訳、創元推理文庫)。
映画「ポセイドン・アドベンジャー」の原作者でもあり、
名作「雪のひとひら」や
「七つの人形の恋物語("Seven Dolls")」の作者でもあり、
猫好きの人には有名な「猫語の教科書」の作者でもある、
ギャリコが書いた唯一の本格推理小説。
ある男爵家を襲った怪現象、
ポルターガイスト、うろつく幽霊、密室でひとりでに奏でられるハープ、
などなどに除霊師にして心霊探偵アレクザンダー・ヒーロー氏が挑む、
というもの。本格ミステリと言って間違いないと思うが、
そこはやはりギャリコらしい優しさとユーモアが感じられる佳作。
読後、誰も死んでいないことに気付いたが、
あたりまえながら殺人が起こらなくても面白い本格は書ける。
この解説を我孫子武丸氏が書いているのだが、
我孫子氏がそんなにギャリコに惚れこんで
強い影響を受けていたとは知らなかった。
言われてみれば、ああそうか確かに、と腑に落ちた。
最近の京都。朝夕はめっきり涼しくなったものの、 まだ日中は30度を越えることもあり、昨日に白露を過ぎたとは言え、 まだ残暑が厳しい。 午後から三条に出て、街中をぶらぶらする。 十字屋でチェロの弦を買ったり、Cafe Riddle で一服したり。
外部の大学院入試を受けていた僕の学生から、 K大もO大も無事合格したとのメイル連絡をもらいほっとする。 いい学生を手放してもったいないことをしたとも思うが…
昨夜遅く、某A社の天才プログラマK氏と 中古車横流し会社バンザイ・オート社長H氏の飲んだくれコンビから電話。 酔っぱらい達なので、何を言っているのか良くわからず(笑) 少し理解できたのは、H氏の足がほぼ全快したそうで、 いまは足をひくこともなく普通に歩いているそうだ。それはめでたい。 K氏は最近の猛烈な仕事ぶりを評価されて、 随分長い休暇をもぎとったらしく、開放的な気分になっているというか、 かなりはじけているようだった。 ドリーム・○ャストがヨーロッパを席巻する日も近いのであろう。 多分、会社には休暇中の連絡先を内緒にしているはずなので、 K氏等は、スカンジナビア半島に行くとでも日記には書いておこう。 K氏は今月のどこかで京都に現れ豪遊なさる予定もあるとのことですが、 某A社関係からK氏への伝言等は受けたまわりません。
午前中はチェロを弾き、午後は掃除に洗濯。 夕方になってようやく手があいたので、 ビールを飲みながら読書など。
今日の読書。「初秋」(R.B.パーカー、ハヤカワ文庫)、再読。
ふと書棚にあるこのタイトルに目がとまったので、
なんとなく読み返してみた。
愚かな両親の間で駆け引きの材料に使われている少年と、
彼等の問題に巻きこまれた私立探偵スペンサーの交流を描く。
ハードボイルドというよりも、十五歳にして人生の「初秋」を迎えた少年に、
人生の先輩であるスペンサーが来たるべき冬の時代に向けての自立を導く、
という教育物語であり、はっきり言ってかなり甘々ではあるが、
本当にいいお話ではあると思う。
スペンサーはおしゃべり過ぎるのと、
健康的過ぎ、かつマッチョ過ぎるので、好きではないのだが、
現代にハードボイルドでいようとすると、
どうしても滑稽にならざるを得ない。
その滑稽さを上手に料理している点で、
スペンサーの人物像は珍しく成功していると思う。
スペンサーのシリーズは「レイチェル・ウォレスを探せ」以来、
後になるほどどんどんつまらなくなる傾向にあると思うが、
「初秋」は読む価値がある小説と思う。