5月1日(金)
一時期は3つの日記を同時に書いていた私だが、今はさるるるるだけだ。
「流言飛語」的なものを書きたいというのがホームページを開いた目的なのだが、更新は止まっている。今更読みたいと思う人は少ないだろうが、自分としては書きたいと思いつづけている。
「いいわけ日記」は飽きっぽい私ではなくて、他の人が書いたらもっと長く続いてもっと面白くなった気がする。
結局一番どうでも良いこの日記が残っている。狂楽といえば流言飛語だと思っているのは、今や私だけだろう。さるるるるの読了メールは流言飛語の5倍以上に達している。認知度からいけばもっと差があるだろう。
「流言飛語」こそ私の不明な情熱の正体だから仕方が無いのかもしれない。
まあ10年以内には更新できるでしょ、きっと。
5月9日(土)
ちょっと野暮用で海外へ行っていました。
そんなわけで8日ぶりの更新です。
最近机周りの模様替えをしました。
机上部の有効活用により、スペース効率を上げる事に成功しました。
机の脇にあったパソコン本体とプリンターを、新しく買って机の上部にセットしたラックに移したのです。
目線より上の空間を有効に活用することで、部屋を広く使うことが可能です。
空間の有効活用という意味で言えば、満員電車は実に無駄が多いと思います。
頭の上の空間をもっと有効に使ったら、乗車人数が同じでももっと空くのになあ。
ここで訂正です。
冒頭の「海外へ」は誤りで、正しくは「びっくりドンキーへ」でした。
ええゴールデンウィークも特別な休みは無く、普段通り働いていました。
せめて日記だけは、と思うのは人情というものでしょう。
そういうわけで日記を休んでいたのです。
なお今日の日記が支離滅裂なのは「休みボケ」によるものです。
あいかわらず。あしからず。
5月14日(木)
日記猿人とはなんぞや。
難しいですねえ。
人によって、日記猿人が何かというのは変わってしまうものですからねえ。
つまり日記猿人とどう関わっていくのかによって異なってくるものだと思うのですよ。
ただのリンク集にもなり得るし、村社会だのコミュニティだのにもなり得ると思うのですよ。
その選択は参加者である我々のほうにあって、日記猿人と自分がどう関わっていくのかという問題を主体的に決定できる、そういった自由度の高さというか、懐の深さというか、その辺が日記猿人の魅力であろうと思うわけです。
投票というシステムにしても、一行コメントというシステムにしても、そのシステムを使っても使わなくても良いという自由度の高さゆえにいろいろな人が集まり、和気藹々と集まって飲んだり、喧喧諤諤と罵り合ったりということが面白いんでしょうなあ。
ばうわう騒動始め様々な問題を乗り越えて出来上がってきたシステムがうまく稼動しているんだと思います。管理と自由とのバランスがうまく取れているということなのでしょう。
そんなわけでコミュニティがあるかないかを論じることには、たいした意義も見当たらないのですが、
なにが知りたいのかなあ、神田君は。まあ次の日記を待ってみます。
いい悪いは別にして、情熱を注ぎ込んだ奴の意見が通る世界ですから、日記猿人はコミュニティである、というのがコモンセンスということでいいんじゃないでしょうか。
「ただのリンク集だ」と熱く語る奇特な奴はいないでしょう。あ、いるのか?
以上登録番号666番の中堅の意見でした。
つーか出戻りだから実は俺って古参なのか?
知名度はまだ新人のレベルだから、もっとがんばるかなあ。
がんばれ、出戻り。行き遅れに負けるな。
(追記)最終行の文章が心の琴線に触れてしまった方、メールお持ちしております。
5月23日(土)
ハードディスクの掃除でもするかとファイルをあちこち開いていると、なんと96年8月14日の日記猿人登録日記一覧のページが出てきた。
最新の登録日記番号が139。えーと今現在では1713になってるなあ。軽く10倍かおい。
流言飛語は48番だったのか。確かに古参かもしれん。しかしまだまだ負けんぞ。なにしろ更新回数は新人みたいなもんだ。
ま、それはいいとしてなんでこんなもんとってあったんだろう。
あー、今はなきPDPDPくんの一行コメントでBOWDOがリンクされとるなあ。これか。
登録番号0番の日記はアレだしなあ。
かわちゃん、アル中日記はもう飽きたのだが。違うネタはないのか。
ま、おんこ ち しん
はこれぐらいにして、久しぶりに新規登録日記を読み漁ってみるかねえ。
とてつもなく面白い日記が見つかりそうな気がする・・・。だけかも。
5月24日(日)
太宰の人間失格は中学生から高校生ぐらいの年代の時に読む人が多いと思うが、私は大学生になってから読んだ。
私の太宰像は入水自殺した情けない男というもので、そんな人間の書いた、しかも人間失格などというこれまたなんとも情けない題名の小説などつまらないだろう、と考え大学生になるまで読まなかったのである。
一応押さえておくか、程度の気持ちで人間失格を読んだわけだが、いま思い出そうとしても話の内容が全く思い出せない。当時「読む必要はなかったな。」と感じた記憶があるので、つまらなかったのだろうと思う。
人間失格の草稿が今度公開されるという。主人公の設定などに苦心した跡が見え、研究の役に立つとその筋の人からは歓迎されている。
太宰自身は草稿の公開をどう思うのだろう。
うろ覚えだが、芥川がこんな意味のことを言っていた。
「古典の作者の幸せなところは、もうこの世にいないことだ。」
あるいはこうだったかもしれない。
「評論家の幸せなところは、古典の作者がもうこの世にいないことだ。」
そういえば芥川という作家も自殺した者の一人だった。
5月25日(月)
聖子は再婚し、くらげやは「りにぅある」の復活。
花嫁修業が実る日が来ることをお祈り申し上げます。
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