Challenging the Qur'an
神の啓示につけた疑問符
------------------------------------------------------------------------
殉教者に与えられるのは「美女」ではなく「ブドウ」
「コーランの誤り」を大胆に指摘した新著が呼ぶ波紋
------------------------------------------------------------------------
シュテファン・タイル(ベルリン)
 殉教者は大きな目の乙女たちと楽園で結ばれる――9.11テロ実行犯のリーダー、モハメド・アタはコーランの言葉を引用し、仲間のハイジャック犯を激励した。パレスチナの新聞も、自爆テロ犯の死を「黒い瞳の乙女と永遠の楽園で結婚」などと表現する。
 しかし、中東の言語を研究するドイツ人学者のクリストフ・ルクセンベルクによれば、コーランが殉教者に美女を与えると約束したというのは、とんでもない誤解だ。コーランにある「大きな胸」の「美女」とは、「みずみずしい果物」と「ブドウ」のことだという。
 ルクセンベルクは、コーランの言葉や歴史を研究する数少ない学者の一人。この秋に出版されるコーランの起源に関する新著では、こうした大胆な説が展開されることになりそうだ。
 コーランは、アラーの神が天使ガブリエルを通じ、預言者ムハンマドにアラビア語で伝えた聖なる啓示と考えられている。コーランは神の言葉そのままであり、イスラム社会ではこれを客観的に研究することはご法度だ。ルクセンベルクの試みが、激しい論争を呼ぶのは必至だろう。
原本はアラム語だった
 これまでコーランに挑んだ学者は、異教徒のレッテルを張られたり命を狙われたりした。ドイツの有名大学の教授であるルクセンベルクも、イスラム過激派の攻撃を恐れてペンネームで活動している。
 コーランの原本はアラビア語ではなく、アラム語(古代西アジアの共通語)に近い言葉で書かれていたというのが彼の仮説だ。現在のコーランは、原本を誤って書き写したものだとルクセンベルクは言う(原本は7世紀に破棄されたと伝えられる)。
 アラビア語が書き言葉として成立したのは、ムハンマドの死から約150年後。ムハンマドと同時代のアラブの知識人は、アラム語の一種を話していた。そこでルクセンベルクはコーランをアラム語で読み直し、冒頭の「美女」と「ブドウ」の読み違いを発見した。
 衝撃的な説はまだある。女性はベールを着用すべしという戒律も、同じような誤読から来ているという。第24章の「ベールを胸の上に垂れなさい」という一節は、アラム語では「ベルトを腰でしっかりとめなさい」になる。
 もっと物議をかもしそうなのが、コーランの起源がキリスト教にあるという、これまで指摘されてきた説を裏づける解釈だ。
 第33章で、ムハンマドは「預言者たちの封緘(ふうかん)」(最後の預言者の意)とされている。だが、アラム語では「預言者たちの証人」となり、ユダヤ教とキリスト教の文献の証人という意味になる。アラーの「啓示」も、アラム語では聖書の「教え」になってしまう。
 コーランはもともとキリスト教の祈祷書だったと、ルクセンベルクは主張する。ムハンマドの死後かなりたってから、勢力を拡大しつつあったイスラム帝国がその教えをもとに新しくイスラム教をつくり上げたというのだ。
「背信者」とされた学者も
 彼の主張は過激派だけでなく、多くのイスラム教徒の怒りを買うはずだ。カイロ大学の研究者だったナスル・ハミド・アブザイドのように、コーランは人間が書いたと説いてエジプト憲法裁判所から「背信者」とされたケースもある。
 それでも、ルクセンベルクは新しい時代の先駆けと言える。パリに亡命中のチュニジア人研究者、モンゼル・スファルは「説得力のある説だ。これでコーランの新しい解釈が可能になる」と話す。
 かつてキリスト教社会にも、聖書の字句にこだわらず、その象徴的な意味をとらえようとする動きがあった。それが教会の権威を弱め、近代社会を築くうえで重要な役割を果たした。保守派のイスラム教徒は、同じような事態が起きることを心配しているだろう。
 だが、ルクセンベルクの新著はまもなく出版される。心配したところで、もう手遅れかもしれない。
ニューズウィーク日本版
2003年9月17日号 P.45
このニュースはかなりやばいです!イスラム原理主義者に見つかったら間違いなく殺されますね。もう少し詳しい翻訳を見てみないと分かりませんが、基本的にキリスト教もイスラムも兄弟宗教だと言うことです。キリスト教で言う旧約聖書はもちろんイスラムでも使いますし新約聖書も一部聖典として使用しています。むかし「エホバ」と読まれていたのが語学研究の末「ヤハゥエ」と読み替えられたりもしています。言語学はたかだか数千年前の真理をも靄の中におきます。出来れば平和な世の中が一日も早く現実となりますように。
Back