常套句 vi
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曖昧な事柄は苦手で
理路整然な事に安心していた
でも
それが変わってゆく予感がする
それを受け入れてしまいそうな気がする
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長曾我部に手を取られ、我はゆっくりと足を進めた。
この衣装は軽く着心地は良いが、裾が捌き難い。
着替えた時は、それまでの締め付けから解放され一息付いたのだが。
この祝宴の席に戻るまでの間、何度裾を踏み掛けた事か。
やはり着慣れぬ物は好かぬ。この祝宴が終われば、着る事もなかろう。用済みとなる。
勿体無いと多少思うが、この後に着る機会など無い。
一度、こうして着たのだから長曾我部も満足したであろう。
「大丈夫か? 疲れたろ?」
不意に隣に座っている長曾我部が、声を掛けてきた。
別に我の事など気にする必要など無いだろうに。
何故、こうして一々声を掛けてくるのか。
他人への誇示なのか。やはり、理解が出来ぬ。
「大丈夫です」
「ん、じゃ大丈夫じゃなくなる前に云えよ? 気にせず下がっていいからよ」
「はい」
我の返事に一つ頷き、長曾我部は再び前を、宴酣へと視線を向けた。
駒――家臣達が大騒ぎするのを楽しそうに眺めておる。
全く、中国の者と大違いだ。規律を乱す者などおらぬ。
国主の婚儀と云えど、こうまで騒ぐ必要などなかろう。
煩わしいが、表になど出さぬ。感情など必要あらぬ。
だが…。
ふと、先程の事を思い出す。
とうとう裾を踏み、倒れ掛けた身体を抱き留められた時、何故我は顔を赤くなどしてしまったのか。
あの場合、正しいと判断は出来る。
あのようにした方が、心象は良い。それは周りからの一段と騒がしくなった奇声から推し量れた。
しかし、あれは我の意図したものではあらぬ。
ほんに咄嗟の出来事であった。
我に気安く触る者など居ない。当然であろう。
他人など傍に寄せる者ではない。距離を保つべきである。
不用意に近付け、何かあってからでは遅い。
第一、我が不快である。他人など。
…それが、長曾我部に身体を支えられた時は、そう思うよりも前に顔に血が昇っていた。
近付いた事で、触れられた事で、長曾我部を認識してしまった。
…潮…海の香りが、したような気がする。
そんな情報など要らぬというのに。
理解など必要ないのだ。
軽く頭を振り、思考を霧散させる。
これ以上、考えても詮のない事と判断した為にだ。
「なあ、やっぱ疲れたんだろ、無理すんなって」
「あっ、いえ…」
「おい、誰かコイツを連れて行って休ませてやってくれ」
「はい、判りました」
頭を振った事を疲労していると、判断されたらしい。
長曾我部が大声で指示を出す。
勝手に事を進められるのは勘に障るが、今は確かに疲れてはいる。
長曾我部の家臣共の喧噪にも、辟易している。
ならば、この儘退出するのも良かろう。
当主の命令ならば、従う態で。
「ほら、行け」
「判りました、ありがとうございます」
介添えの侍女の手を借り、ゆっくりと立ち上がる。
衣がさらりと揺れる。
「では、失礼致します」
「おう、後でな」
「はい」
短い受け答えをし、しずしずと祝宴の場から我は退出をした。
その儘、案内されるまま湯殿へと向かった。
そこで湯船に浸かり、漸く一息吐いたのだが思い出してしまった。
退出の際に云われた言葉の意味を。
『後で』の意味する事を。
それはつまり…。
ぐらりと視界が揺れた。信じられぬ。衝撃のような動揺がわき起こってしまった。
この我が。
判っていた筈なのだ。
その覚悟で嫁いで来ているのだ。
何を今更、動揺する必要などあるのか。
心の臓が騒ぎだす。鼓動が跳ね上がる。
一体、我に何が起きているというのだ。
何故、我が長曾我部の言葉一つで動揺せねばならぬ。
落ち着くのだ。
我は掌に湯を掬い、それで顔を擦った。
頬が熱い。
湯の所為だけではないが、湯の熱さの所為にしてしまえば良いのだ。
我は何度も両手で、顔を擦り続けた。
何としても収めねばならぬ。
このような感情を揺らすなど、冷静な判断を欠く事となる。
それは受け入れ難い。決して受け入れてはいかぬ。
そう己を律しながら、更に熱い湯で顔を擦っていたのだが…。
「おーい、大丈夫かあ」
唐突に意識が浮き上がると同時に、真上に長曾我部の顔があり、我は息を飲んだ。
状況が全く掴めない。
確か…湯殿に居た筈だ。何故、長曾我部が居るのだ。
しかも、我の身体は横になっている。夜具の布団の中に…だ。
「湯中りしちまったんだよ、覚えてないか」
「………湯中り」
「そ。チョッとした大騒動だったぞ」
「………」
記憶が無いのが救いになるのかどうか…。
我はこめかみが痛み出した。
こんな醜態を長曾我部に晒してしまうなど。
己の失態に、この儘布団を被り視界を塞いでしまいたいのだが。
長曾我部の、どことなく嬉しそうな笑い顔から。
我はどうしてか、目が離せなくなっていた。
2013.03.27 back
元親×にょ元就のお話です
ナリ様視点
感情の動きが掴めなくて途惑ってます、無自覚に