Departures  -安芸-


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確かに在ったもの
今は無くなったもの
思い出して
惜しんでみても
二度と戻らない

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ふと、目が覚める。
日はまだ昇らぬ刻に。
暗さに、目だけを天井へと凝らす。
床の中、身動けば室の外の夜番の者が声を掛けてくるであろう。
それは避けたい。
我は静かに、息を吐き出した。

静寂の闇。
微かな風の音が聞こえる。
吸い込んだ息は、冷ややかであった。
こうして夜中に目が覚めてしまうというのは、神経が高ぶっているのだろうか。
やはり。
落ち着かぬ。それが当然であろう。
もう暫くしたら、合戦が始まる。
巡らしてある策に不安は無い。
だが、実際の時を迎えれば、その場での対応をせねばならぬ。
予想の付くものだけでなく、不慮のものに対してもだ。
なので、気を引き締める。
決して、後手に回らぬように。

『そんな考え過ぎんなよ、疲れるぞ』

不意に、頭の中へと響いた言葉に心の臓が跳ねてしまった。
驚きで。

『だからさ、頭でっかちなんだよ、アンタは』

意識から離れぬ。
低い、独特の声までも思い出してしまうのが止められぬ。

『もっとよ、肩から力抜けって、なっ』

笑う声、顔の表情が浮かぶ。浮かんでしまった。
目を閉じていても無駄なのだ。
記憶が意志を反して呼び起こされていく。
些細な事だというのに、我は覚えているのだ。
長曾我部という男を。

同盟を結ぶまで、瀬戸海を挟んだ敵対した相手だった。
何度、刃を交えた事か。
命の取り合いをした事か。
憎しみではない。単なる、毛利の家を守る為の戦いだった。
長曾我部との戦は。

それが、同盟を結ぶ事となり、盟約を交わし…。
長曾我部にいきなり告げられた。

『俺は、アンタに惚れちまったようだ、毛利』

馬鹿な事をと。戯れにも程がある、と。
何度も何度も、同じ言葉を繰り返される度に一蹴していた。
だが。
いつしか、この身を長曾我部の腕の中へと置いていた。
嬉しそうに笑う男の腕に、抱き締められていた。
温かいと感じていた。心地良いと。
この儘でいたいと。いられたらと。
叶う事の無い事を考えてしまっていた。

首を振る。決して頷けぬ。
言葉で切り捨てる。感情を声に乗せぬ。
安芸の国が、毛利の家が、それだけが我に在るものだと。

『俺が居るじゃないか…』

囁く長曾我部の言葉に耳を塞いだ。
信じぬと。信じるものでは無いと。
しかし、固く閉じた胸の中を長曾我部は、こじ開けるのではなく解かそうとしてきた。
…そう、我は絆されたのだ。
痛みならば耐えられる。
歯を食い縛れば良い。
さすれば、拒み続けられる。

『…毛利』

荒れた指先。節張っている太い指。大きな掌。
その長曾我部の手が、我へと触れてきた。
温めるように。掬い上げるように。
長曾我部は我へと触れてきた。
大事なのだと、大切にすると、受け入れられぬ事を告げながら。

続かぬ。決して長く続かぬ。
判り切っていた。口に出さずとも。
先など見えていた。
それが判ってはいたが、我は長曾我部の手を取った。
…離したくない、と思ってしまったのだ。
この手を握っていられたら、と。
戯れでも。
一瞬でも。
離せなくなろう、とも。

同じ想いを抱いていた。
ただ、その想いだけで。
長曾我部の手を我は握り返した。


元に戻っただけぞ。
今は。
我は元々一人であったのだ。
長曾我部など居なかったのだ。
そう己に言い聞かせる。
心も捨てた。
我はこの国の主なのだ。

時流に乗る。
守る為に。
その為の存在なのだ、我は。
我が必要とせぬよう、長曾我部も我を必要としておらぬ。
時勢に依る同盟など脆い。
今は敵へと戻ったのだ。それだけだ。
長曾我部は我を殺しに来る。
我はそれを迎え討つ。
それだけになったのだ。


ただ…惜しむらくは。
最後に聞いた長曾我部の言葉が、聞こえなかった事だけだ。
長曾我部の唇が、我の名を呼んだ筈なのが。

『元就』

音に為らなかった、名。
もう良い。二度と呼ばれないのだから。
我も呼ばぬのだから。二度と。

―――元親………。

そして、明日の為に眠りの目を閉じた。
明日を、終わらせる為に。





2013.3.1
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一人になったナリ様の話です
寂しいです…切ないです…想いは存在し続けるものだから
BGMは『Departures 〜あなたにおくるアイの歌』です