【いろは唄】 壱
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喰ろうてくれ、我の何もかもを
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敗戦。
その一言で、負わされた責は重かった。
安芸の国主である兄の願いに、我は首を縦に頷いた。
…兄は優しい人だ。
理不尽に、優し過ぎる人、だ。
妹の我の顔色を窺う程に。
願いなどでなく、命じれば良い。
我は貴方の為なら、どんな事でも承服するのだから。
『土佐守へと嫁いでくれるか』
婚姻という、呈の良い人質だろう。
それから、大大名という毛利の血筋の取り込み。
『…済まぬ、元就』
悲愴な兄の声に、胸が痛んだ。
だからこそ、我はこの身を捨て置く事が出来る。
戦場におなごが、と言われても兄を守る駒になれるのならと付いていったのだから。
『我でお役に立つのであれば』
兄のあからさまに安堵した表情に、目を伏せ。
承諾の意を持って、我は頭を下げた。
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慌ただしく、我は迎えに来た四国の使者と共に安芸を後にした。
身一つで良いとの、申し出だったが。
流石に、言葉の額面通りに受け取れない毛利の家の矜持で。
それなりの支度を調えて貰い、我は用意された船に乗った。
口に出せない、不安で一杯だったが。
虚勢を張り、毛利の家の…兄の為になると、背筋を伸ばし。
使者の方々と対応した。毛利の人間として。
…毛利を名乗るのは、最後になるから尚更に。
それから。
数日の航海を経て、我は四国の地へと着いた。
「長旅、お疲れさん」
数日振りの地に足を下ろした時。
出迎えの家臣と共に、国主自身が来ていて我は内心で驚いた。
表情は、取り繕って。
隙は見せられない。
機嫌を損なわせられない。
「わざわざ…」
「あ〜、堅苦しい挨拶は無し無し。それより…」
えっ、と思った瞬間、国主は我の目の前まで来ており。
顎を取られ、顔を上に向かされ、覗き込まれていた。
無遠慮に。
「…な、何を」
「ん、一寸な…じっと、してろ」
背が高く、大きな身体が被さる様に、我を見下ろしてきた。
ぶるりと、身体が震えた。
片眼が布で隠されていて、残る一つ眼が真っ直ぐに我を見るのに。
…何をされるのか、不安が恐怖を呼んでしまいそうで。
「…離し」
「本物だな」
「え?」
「よし、毛利元就、本人だ」
何を言われているのかが、理解出来なかった。
偽物が送られてくると思っていたのだろうか。
しかし、それなら何故、我が本人だと断言出来るのだろうか。
「覚えてないのか? 先の戦で、まみえたじゃないか、俺達は」
「…戦で」
「吃驚したぜ。女が戦場に居て、その上、男を守ってんだからな」
敗戦の殿を担った時の事が蘇る。
あの時……そう、確か…。
「あっ…」
「思い出したか?」
「…はい」
「あん時、俺のもんだと決めた。
もっと早く掻っ攫いたかったんだが、がっつくな、手順を踏めって周りが煩くてよ。
時間が掛かっちまった」
兄を助けたい一心で、輪刀を追ってくる敵に向けていた。
疲労と焦燥で、記憶が切れ切れだが。
最後に、刀を交えた大男が…いた。
『鬼』と、自ら名乗っていた。
戦いの最中、笑っていた。
それは、愉しそうに。
獣が獲物を獲る様に。
そこから、必死になって逃げたのが思い出される。
身体が冷えていく。
動けない。
「覚悟しとけ」
呆然としていた我の耳元に、一言残して。
『鬼』は、背中を向けて歩き出して行く。
「粗相のねぇよう、おもてなししろよ」
大きく、通る声が辺りに響く。
我はどうなるのか。
『鬼』の意図が、読めない。
この場に立ち尽くしていたかったが、周りから促され。
我は歩を進めた。
湧き上がる不安を切り捨てて。
自分の身は、自分で守ろうと決心をして。
2010.06.11 back
元親×♀元就、苦手な方はUターンで
元就視点、四国へ嫁入り話