「私に唄を」 十


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これは境界線
戒めの為の
現実を知る為の
決して踏み越えてはいけない
ライン

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驚いた。とても。
真田と猿飛に連れて来られた場所は、長曾我部のバイト先であった。
まさか、こんな短時間に二度も遭遇するとはと、驚いたのだが。
その仕事の内容にも、驚いてしまった。
確かに、世情には興味があまり無い為、こういった趣向の物は良く判らぬが。
コスプレというものなのか。
猿飛が詳細を訥々と説明してきたが、あまり主旨が理解出来なかった。
接客業に長曾我部の着ている衣装は、必要なものなのか。それが理解出来ぬ。

「まあまあ、そんなに深く考えないで。遊びの一つだと思った方がいいよ」
「…遊び。仕事なのにですか?」
「そう遊びを提供する仕事、かな」
「…そう、ですか」

こういうものだと、割り切ってしまえば良いという事か。
深く考えない方が良いのだな。

「元就殿、面白くないですか」
「いえ、そんな事はないです」
「ならば良かった。無理にお連れしてしまったので」
「この様なお店が初めてなので、少々驚いただけなのです」
「某も初めてなので驚きましたが、とても面白いです」

いつの間にか、自然に真田は我を名前で呼ぶようになっていた。
別に不快ではないので、何も云わず、止める事もしていない。
ただ不用意な波風は立てる事はせぬ様にと、気を付けているのだ。
立ち居振る舞いも言葉遣いも、昔の毛利元就を連想されぬように。
記憶など無いものと、思わせる為にも。
油断はせぬ。知り合ってしまったから尚更に。
この儘、何事も無く離れる為にもな。

「で、毛利さん、どう? ご感想は?」
「感想ですか? 楽しいです」
「あ、違う違う、お店の感想じゃなくて、長曾我部の旦那の事だよ」
「長曾我部さんの事?」

意図する事が判らぬが、猿飛は油断がならぬ。
切れ端でも引っ張り出しそうな気がするので、返答も極端的なものにしておくのだが。

「あの姿を見てどう思ったかなって」
「似合っているかと思います」
「それだけ?」
「ええ」

態と困惑した表情を作る。
質問への返しに深入りはさせぬ様、慎重にしなくては。

「元親殿も政宗殿も良く似合っていておいでで、素敵ですね、元就殿」
「うん、だからね、見惚れちゃったりしないのかなあって、毛利さんは」
「佐助っ、恥ずかしい事を」
「うーん、恥ずかしいって云うより、照れちゃう事だけどさ。
 そもそも毛利さん、長曾我部の旦那とお付き合いしてる訳だからさ」
「あっあっ、そ、そうでしたね」
「そっちが照れてどうするの、ねえ、毛利さん」

どう返答したら、猿飛を納得させる迄には至らずとも、これ以上の追求を止めさせられるだろうか。
交際を否定すれば、何故と逆に聞いてくるだろう。
それを角が立たぬ様、やんわりと阻止せねば。

「で、どうなのかな?」
「そうですね…」

曖昧に、肯定も否定もしない様に、見惚れるという事を念頭に。
我は長曾我部へと視線を移した。


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疲れた。
時間制という事で、店を出て、真田と猿飛と別れた後。
我はマンションへと帰って来た。
リビングに入った所で、身体から力が抜け、その場に座り込んでしまった。
こんなに疲れるなど…。
確かに、今日は興元兄様と会い、その後に真田と猿飛に付き合った。
一日、外出だったのだから、疲れていて当然だ。
だが、それだけでは無い。
無い…、のだ。
判っておる。
見てしまったのだ。
我は。

長曾我部が客へと笑いかけている姿を。

接客の一貫だと判っておる。
その様な仕事なのだと。
理屈は判っておるのに、感情が一瞬で冷えたのを自覚してしまったのだ。
昔の長曾我部の姿と重なる。
四国の主として、大勢の者達に慕われていた。
いつも、人の中心で豪快に楽しそうに、笑っていた。
羨ましい程の眩しさを持って。

手は届かぬのだ。
我が手を伸ばそうと、決して手にいれられぬ。
判っている。
判っている。
判っている。
……………。
判っているのだ、諦める事が出来ぬだけで。
昔も今も、欲しいのだ。
我は、我だけには向かない長曾我部の存在を。

はっ…滑稽だ。
こんなにも諦めが悪い己に、気付いてしまったなどと。
誤魔化して、誤魔化していた決心など役にも立たぬ。
気付いてしまった今、誤魔化せぬ。

我は長曾我部の差し出してくる手を。
取りたいのだ。
それが、昔から変わらぬ我の醜い欲なのだ。

長曾我部…。

我はふらりと立ち上がり、新しい決心をしていた。





2012.10.15
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戦国設定の「貴方に花を」からの続きの話です
アニキの知らなかったバイト先での一面を見ちゃいました
元就視点、考え過ぎもよくはありませんよね?