『想いのカタチ』 by 夢 黎明



 暗闇のなか、見ず知らずの人間へと差し伸べられた手。
「大丈夫か?」
 みっともないところを目撃されたであろう恥ずかしさもあったけれど、差し出され
たそれがとても温かくて。
 優しくて。


 だから、一目で恋に落ちた。


 台所から流れてくる独特のスパイシーな香りに八戒は本のページを繰る手を止め、
双眸を上げる。
 そして、視線の先に調理に勤しむ男をとらえるとその翡翠の瞳がふんわりと解けた。
 しなやかな腰に廻された黒いビストロエプロンが本当によく似合う。
 こっそりと己の胸のうちだけで賛辞を呟くと先刻まで読んでいた書物を脇へと押し
やり、テーブルに頬杖をついて捲簾の動きを目で追うことにする。
 でこぼこだらけのジャガイモは瞬く間になめらかな白い肌をさらし。
 ニンジンは男が操る包丁がいとも容易くくるりと動いただけで、艶やかな色を放ち。
 瞬く間に深い鍋へと消えるたくさんの材料。
 野菜が宿していた僅かな水気が底に残っていた油とぶつかって爆ぜる小さな音が耳
に届く。

 パチパチ

 トントン

 ガチャガチャ

 料理を作る温かな物音と共に、どんなに八戒が頑張っても絶対に勝つことのできな
い捲簾特製の美味しいカレーができあがってゆく。 
 捲簾と出逢ったのはひと月ほど前だ。
 それまで自分以外の誰かがこの台所で食事を作るなんて想像すらしていなかった。
 感じるのは切ないような喜びと。
 それから、胸が痛くなるほどの幸せと。
 幼くして天涯孤独の身となった八戒にとって、ついこの間まで『食』とはただ食べ
られればいいだけのものだった。
 むろん同じお腹を満たすのならば美味しいに越したことはないし、自分で作らなけ
れば誰も作ってくれなどしなかったから必然的に料理の腕は上がった。
 けれど、他に何もなければ泥水のような食事でも別段厭うこともなかったのだ。
 それが今ではどうだろうか。
 厨房で最後の仕上げにとりかかっているであろう男の背中を見つめる双の翡翠が微
かに潤む。
 視界がじわりと滲んでゆく。
「…っ」
 こんな風に毎晩美味しい食事を供されて、なんて自分は幸せ者なのだろう。
 怪盗などというある種堅気ではないフリーな職業の自分とは違い、将来を嘱望され
るカメラマンの捲簾は毎日とても忙しい。
 帰ってくるのだって日付を変わってしまうこともあるし、運良く早く帰ってこられ
たとしてもまた現場から呼ばれて出て行くこともある。
 それでも、彼は八戒に食事を作ってくれるのだ。
 くたくたに疲れているであろう彼を慮り−自分が作る−と申し出ても捲簾は笑って
首を横に振る。
『お前に料理を作るのは楽しいからな』
 そう言って。
 毎日、作ってくれる。
 必ず、作ってくれる。
 きっとそれは捲簾から八戒へと贈られる想いの形。
 ふと青年の美しい唇がなんとも表現しがたいラインのカーブを描く。
 泣きたいような。
 祈りたいような。
 とてもとても幸せ過ぎて――。

 コトリ

「ほら、できたぞ」
「捲簾」
 我知らず祈りの形に組んでいた指を解くと八戒は目の前に立つ男を振り仰ぐ。
 先ほどまで読みかけの本しかなかった食卓の上には、美味しそうな湯気を纏った
カレーと瑞々しい緑が目にも鮮やかなサラダが乗せられていて。
「…デザートはこの前好評だったブリュレな」
 エプロンを外しながら自分の席へと着く刹那、まるで内緒の悪戯を披露するかのよ
うにこっそり耳元で囁いた恋人へ破顔するとそれはそれは嬉しそうに八戒は頷いた。
「いただきます」




☆こめんと☆

『夢色水晶宮』の黎明さまより頂きましたv

基本設定は、高屋奈月さんの『翼を持つ者』というお話からだそうです。
私もこの話は大好きで、大喜びでこの対になる話を書かせて貰いました(笑)
黎明さんに慎んで贈ります♪ 返品は不可です(笑)

素敵なお話をありがとうございましたvv
『想イノ形』  by 遙か



軍人を辞めて、カメラマンになったのは。
何かを守る為の形を変えただけで、俺のスタンスは何も変わっていなかった。
安定とか、保証とかは縁遠い生活だが。
自分で、自分の身は守れるし、寝る事も食う事も確保出来ていたから。
一つの不都合もなかった。
こうした、根無し草の生活も気に入っていた。

そんなある日。
俺は、子供を一人拾った。
本人は大人だと言い張るが、俺から見たら背伸びしている…。
いや、背伸びをしなければならないものを背負っているにしか、見えなかった。
確かに、可哀相だと同情をした。
けれど、決してそれだけじゃなかった。
抱き上げて、連れて帰った理由は。



やはり、餌付けが一番効果的だな。
飯を作っている俺の後ろで、ちゃんと椅子に座って。
テーブルを前にしている八戒の期待に満ちた視線を。
背中に感じると、ひしひしとそう思う。

出会った頃の、不信と不安の色で一杯だった眸は。
それらが、すっかりと払拭されている。
きっと、本来持っている優しい色合いに戻ったんだろうと、思う。

名前を呼ぶと、俺に向けて深い翠の色の眸で、笑顔を見せてくれる様になった。
可愛いと、思う。守ってやりたい、と。
人が人生の中で、たった一人を守り得るのだったら。
俺は迷わず、お前を選んだんだな。八戒。

俺が伸ばした手に、躊躇いつつも触れてきたお前の小さな手は。
決して離さない。
覚悟はいいな?
俺はとっくに付けているから、心配はないぞ。



俺の作る物を目をキラキラとさせて、嬉しそうにパクついていく姿を見るのが。
俺の楽しみの一つだ。
だから、どんなに忙しかろうが、疲れていようが。
台所に立って、食事を作る。八戒の為に。

―――しかし…子供だよな、好みが。

八戒の名誉の為に伏せておくが、実に………。
まあ、味覚は別として、いつまでも子供の儘にしておくつもりはないし。
大人にの部分は、俺相手の時だけというのも良いしな。

『捲簾』

俺の名前を呼んで懐いてくる八戒を。
両腕で、どこにもいかない様に大切に抱き締める。
愛しさを込めて。
蜂蜜よりも甘いキスを交わしながら。



2006.1.17 UP



モドル