sweet medicine


 宿の個室に足を踏み入れるなり、後ろから無言でついてきていた悟浄に背中をぐいぐいと押されて、窓際に備え付けられたベッドへ押しやられた。
 膝下にベッドの縁が当たり、押される勢いでがっくりとシーツの上に座り込む。
 すかさず、両手に持っていた荷物が取り去られ、ベッドの下に落とされた。
 目を見開いて悟浄を見上げれば、悟浄は八戒を睨みつけている。
 悟浄…?
 名前を呼ぶより早く、悟浄の腕が八戒の背中に回り、あっ、と思った時には抱き込まれるようにして、後ろに倒れ込んでいた。
 悟浄の髪が八戒の顔の周りを取り囲んで部屋の灯りを遮り、目の前の悟浄の表情を隠す。
 それが心許なくて、瞳を覗き込めば、噛みつかれるように唇を奪われた。
 強く吸ってすぐに離れた唇に、抗議するべく開けた口は、すかさずまた落ちてきた唇に塞がれる。
 慌てて抵抗しようにも、慣れた感覚が八戒から力も思考も奪っていく。
 いきなり仕掛けられた口付けに、抵抗も応えることもできないまま、八戒はただ悟浄の激情に流されるままになっていた。
 思う様八戒の口腔を侵した舌が抜け出たと同時に唇が唐突に離れる。
「あ…」
 思わずと言った体で、吐息交じりに小さくこぼれた声は艶めき、もっと、とねだっているように聞こえて、八戒を恥ずかしくさせた。
 羞恥に頬に血が上っていくのがわかる。
 あまりにも突然の無体に、制裁の一発をお見舞いしてやろうと拳を握ろうとしても、シーツの上に投げ出した腕も指も八戒の意志通りにはまったく動いてくれない。
 全身に血が上っていくような熱さと恥ずかしさと悔しさの中で、すべては悟浄のせいだと、すぐそこにある紅い瞳を睨みつければ、悟浄は八戒の瞳を面白そうに見返すと、耐え切れないとばかりに八戒の首筋に顔を埋めて喉を震わせ始めた。
「…悟浄!」
「ナニ」
「ナニって、貴方が何なんですか!」
「そりゃコッチのセリフだっつーの」
 恥ずかしさに強い口調で悟浄を責めれば、返って来たのはいつもより数段低い、平坦な声。
 笑いを収めた悟浄の瞳がまっすぐに八戒を射る。
「お前分かってる?自分の体調悪いって」
 悟浄の強い視線から逃げるように、八戒は瞳を伏せて逸らした。
 八戒に自覚がない訳ではなかった。
 風邪の流行る季節を過ぎ、昼夜の温度差の激しい時期を越え、とりまく空気が一定の暖かさと穏やかさを増し、春という季節の半ばを迎え、気が緩んだのかもしれない。今頃になって風邪を引いてしまった。
 それでも、少し喉が痛かったり、時折咳が出たり、いつもより体が重かったりと、そんなささいな症状しか現れておらず、気にするほどのことでもなかったのだ。
「でも…」
「でも、じゃねェ」
 八戒の言葉は、すぐさま悟浄にぴしゃりと遮られた。
「今動けねェクセに、でも、とか言うな」
「動けますよ!」
 体はシーツに貼りついたように重く、動かすのも億劫だったが、生来の負けず嫌いが発揮されて、八戒が意地で腕を持ち上げて覆いかぶさる悟浄の肩を押せば、悟浄は、す、と瞳を眇めた。
 へえ、と言うが早いか、悟浄は八戒のかっちり閉じた襟元を引き千切る勢いで開けると、首筋に強く吸い付いた。シャツの裾から滑り込ませた手のひらで、肌を撫でまわす。
「ッ!」
「動けンなら、どかしてみろよ」
 強暴さを湛えた悟浄の声が八戒の耳を打つ。首筋を吸い上げた唇は喉元へと移動し、的確に八戒の温度を上げるポイントをついてくる。
 傍若無人な唇と手のひらから逃れようと八戒は身を捻りながら、悟浄の顔と言わず胸と言わず、上げた両腕に当たるものを、めちゃくちゃに叩いて押した。
 けれど、八戒の精一杯の抵抗はすぐさま封じられた。
 身体は体重を掛けて押さえつけられ、腕は手首を取られてシーツに縫い付けられた。腕を取り戻そうと力を入れて動かしても、悟浄の手はびくとも揺るがない。
 悔しさに奥歯を噛み締めて悟浄を睨みつければ、そこに、吃驚するほど静かな気配を纏った悟浄がいた。
「動けねェだろ」
 言葉を綴る声色も静かで、先ほどまでの強暴さの欠片もみえない。
「自覚なさすぎ」
 悟浄の突然の変化に、目を見開いて見つめるばかりの八戒の額に、悟浄はゆっくりと唇を落とした。触れているやさしくて柔らかな唇のぬくもりが八戒の身体の強張りを解いてゆく。
「お前、すっげェ熱あンの」
 オワカリ?
 そう言って、手首を離すと八戒の脇に身体を退かした。八戒の方へ向きながら寝転び、八戒の乱れた前髪を指で弄ぶ。
「無理しやがって」
「無理なんて…」
「してねェってか?」
 呆れを含ませた声で言われた言葉は、疑問系であるにも関わらず、最初から思いきり否定されていることに、八戒はただ苦笑いをこぼした。
 その態度が気に入らなかったのか、悟浄は器用に片眉をつりあげる。
「なんでもかんでも自分でやって自分で悪くしてンな」
「でもしょうがな…」
「でももしょうがないもねェ!」
 またしても八戒の言葉をぴしゃりと遮ると、悟浄はつらつらと言った。


 青ざめた顔して貼り付けたような笑顔浮かべて、いつもより鈍い動作で何度も額に手ェ当ててため息ついて。
 三蔵への合いの手も、俺と悟空への小言もねェ。吹きっさらしの風をまともに受けて、前を睨みつけながら無言でずっとジープの運転。
 で、その結果がコレだ!


 悟浄は早口で言い募ると、ゴロリと転がって八戒に背を向けた。


――俺が居ンだろーが。


 そのとたん、耳に届いた不貞腐れたような声音の呟きに、八戒は瞬いた。
 頭を傾けて悟浄へと目を向ければ、広くてがっしりとした背の中ほどで、捲れあがった上着の裾が皺くちゃになっていて、それがなんだか、悟浄のお人よしで優しくて不器用なところが表れているようで、八戒はとても愛しく思った。
 シーツに仰向けに沈み込んでいた身体を悟浄へと向けて、背中に額を押し当てる。
「すみません」
「謝ンなバカ」
 悟浄が喋るとそれに合わせて背中が振動する。その振動がまた愛しくて、八戒は悟浄の上着を握り締め、背中に貼り付くように身体をすり寄せた。
 愛しくて嬉しくて、自然に笑みが浮かんでくる。
 背中で八戒の笑う気配が伝わったのだろう、悟浄は眉を寄せるとぐるりと振り向き、背中から八戒を引き剥がすと、腕の中に閉じ込めた。
「笑うトコじゃねェっつーの」
「すみません」
 今度は呆れるよりも笑みを多く乗せた悟浄の言葉に、八戒はくすくすと喉を震わせる。
「お前なぁ」
 悟浄は降参とばかりに眉を下げて、わざと大げさにため息をつくと、八戒をぎゅっと力を込めて抱きしめた。
「お前が自分の役割っつーモンに責任や使命感持ってンの知ってる。頑固なのも知ってる。けどな、目の前で大切なヤツがどんどん体調悪くしてンの見てるダケしか出来ねェ気持ちも分かっとけ」
 首筋に押し付けられるように、悟浄の大きな手のひらで包まれた八戒の頭に、悟浄のあたたかな吐息がかかる。その蕩けるようなあたたかさに包まれて、思わずついた溜息に溶けてしまうような声で八戒は囁いた。
「それでも、貴方はその時には、そう言わないんですね」
 その時はそう思いながらも、僕の好きにさせてくれる――。
「そりゃ言っても聞かねェの知ってっからな」
 だから今、八つ当たりしてンじゃん。
「八つ当たり…」
「そ。今度また同じコトすンなら、俺に八つ当たりされンの覚悟してしやがれ」
「なんですか、それ」
「それがイヤなら」


 ちったァ甘えろ。


 その言葉と次の瞬間重なった悟浄の唇があまりにも甘くて、頭の芯がくらくらする。
 こんな甘えさせ方を平気でやってしまう悟浄に敵うワケがない。
 いくら捻くれた僕でも、こんなに甘やかな命令に逆らえるワケがない。


 八戒は悟浄の腕を緩めて顔を上げると、ふんわりと微笑みかけた。
「すみません悟浄、ちゃんとベッドに寝かせてもらえませんか?」
「すみませんは余計」
 睨もうとして失敗した表情で悟浄は身体を起こすと、八戒を抱きかかえて薄い布団を捲り、そっと八戒をシーツの上に横たえた。
 布団を掛け直して、ぽんぽんとあやすように八戒の胸をやさしく叩いて離れていく悟浄の腕を、八戒は掴んで引く。
 そうして、
「ひとりにするつもりですか?」
 悟浄を見上げて紅の瞳をしっかりと捉えると、会心の笑みを送った。
 八戒に腕を取られたまま、呆然とその微笑を見ていた悟浄だったが、すぐさまニヤリと口端をあげると、鼻先が付くほど近く八戒に顔を寄せた。
「ナニ、突然嬉しいコトを」
「貴方に言われたことを、さっそく実践してるだけですが?」
「極端なヤツ」
「そうですよ、知らなかったんですか」
 己の唇と息を、相手の唇に掠めさせて、密やかに笑い合う。
「バーカ、知ってンよ」
 そう言って、悟浄は唇を小さく触れ合わせると、八戒の隣に滑り込んだ。
 待ちかねたとばかりに、すぐにしなやかな八戒の腕が悟浄の背に回る。
 その腕に応えるように、悟浄も八戒を抱き返した。
「眠っちまえ」
 力強い腕と悟浄のやさしさに満たされて、八戒はすうっと眠りに滑り落ちてゆく。
 そして、眠りに落ちきる前に、ちら、と頭を掠めたことを、うっとりと呟いた。

「風邪、貴方にうつったら笑いますね」
「笑うのかよ…」





【コメント】

 ふゆさまより頂きましたv
 相互リンクの記念に、リクエストをさせて貰ってvv
 あ〜嬉しいな〜役得役得(笑)

 ふゆさんらしい、優しく甘く…むふふな展開で
 悟浄が憎たらしい〜!
 八戒が幸せに笑ってるから許すけど(笑)

 本当に素敵なお話をありがとうございましたvv
 遠慮なく懐に入れて、大事にします〜♪
 





モドル