やっぱりそれも「コミュニケーション」? 99.03.25
何故だ?MTV?! 99.02.25
この国の感覚 98.12.21
「スポンサーのご厚意」はいらない 98.09.28
カリスマは失われたか 98.09.18
みる者を不快にするCM 98.08.31
バカの一つ覚え 98.04.20
だからなんなんだ? 97.07.01
フランス核実験強行に思う 97.05.20
タバコを吸わせろ! 97.05.17
学校出てから14年〜 96.10.26
ゴルフをしなくなったわけ 96.10.20
おみやげ 96.11.23
リーマンスタイル 96.10.26
たかがカラオケ、されど・・・ 96.10.18
道玄坂 最後の夜 96.10.18

やっぱりそれも「コミュニケーション」?

いやぁ、ちょっと怖い夢を見た。街ゆく人がみな、携帯電話で話しているのである。みんな、みんな、
みーんな携帯で話している。 ファミリーレストランへ入ってみても、客からウェイトレスまで全員が
携帯で話しているのだ。
テーブルに向き合った恋人たちはお互いの瞳を見つめながら携帯に向かって愛の言葉をささやく。
中年の会社員は仕事の相手と握手をしながら携帯に向かって「ひとつよろしく」などと言っている。
夜になると、酔っぱらった若いサラリーマンが隣のグループともめているのだろうか、胸ぐらをつかま
れて、「おもしれぇじゃないか、外へ出ろ!」などとマスコットのついた携帯に怒鳴っている。

当時、新たに携帯電話の契約をすると、十数万円の費用がかかった時代である。それでも新しもの
好きのボクは携帯を手に入れ、便利さを実感していたものであった。しかし、現在はほとんどタダみ
たいなものである。便利さを考えれば普及するのも当たり前なのだが、それにしても不気味なほど
である。 以前、パソ通信でCBというのをやっていた時期があった。インターネットでいえばチャット
であるが、2台のパソコンを並べてCB上で会話しているという不思議な夫婦を見かけることがあっ
た。まぁ、その当時のパソ通と言えば、かなり進んだ物好きかヲタクと呼ばれる変わり者(自分も含
めて敢えてこう表現する)の巣窟であったから、「変わった人たちもいるもんだな〜」くらいにしか考え
なかったが、この夢など、まさに世の中みんながそうなったような感じである。

と、思っていたら、NTTドコモが、将来は人間だけでなく、犬猫にまで携帯電話を埋め込んで現在の
位置を把握できるような世界を作り出すとのニュースである。いやはや。
とりあえず犬恐怖症(犬嫌いではない)のボクからすれば、現在位置を確かめないとならないような
犬の飼い方はご免被りたいと思うのである。
(99.03.25)

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何故だ?MTV?!

今年はじめからスカイパーフェクTV!と契約した。目的のチャンネルはいろいろあったが、まずは契約した甲斐はあった。
しかし、期待していたものの一つのMTVは思いっきりハズしてしまったようだ。
学生時代だから10年以上前、今のようなFM放送がなくFENを聴くのがお洒落とされていたのだが、そこに登場してきた
のがMTVであり、「スキー・NOW!」と共にBGV的に視るのが流行であった頃だ。 時まさにロック全盛、根っからの洋楽
ファンではなくてもブラコンやロックを聴くという時代であったこともあり、欠かさずチェックしていたものだ。
サラリーマンになってそういうこともなくなり、いつしか地上波放送では視ることができなくなっていたのだが、それが視られる
というので期待大であった。
ちょうどMTVからVIBEとタイトルを変えて内容一新という時期ではあったのだが、実際に視てみて愕然とした。世間で言う
J−POPばかりではないか! いや、J−POPが悪いというのではないが、そのためのJ−POP専門チャンネルがあるでは
ないか。 何故に洋楽チャンネルがない?!Music Air Network なるチャンネルもありこれはこれでなかなかいいのだが、
ジャズやブルースなどのライブがメインであり、いわゆるロック、ポップスのビデオクリップを延々とBGV的に流すというもの
ではない。
確かにロックの現状はオルタナティヴ全盛で、商業的にもJ−POPがメインとならざるを得ないのは分かるのだが、だからこそ
の多チャンネル有料テレビではないのか!! 残念ながら来月から、このチャンネルは契約しないことにした。

(99.02.25)

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この国の感覚

民主党党首の菅 直人氏のスキャンダル問題である。民主党がどうの、果たして菅氏は日本政界の救世主足り得るか?
なんてのは難しいサイトに任せるとしても、その報道のされ方と国民、もとい、大衆の反応に疑問を呈することにする。
いや、そんなにたいそうな話ではないのだが。

まず始めに言うと、政治家が、それも政権を左右する政党の党首が女性問題でスッタモンダするのは一応、よくない(笑)。
ついでにいうと言い訳するのはみっともない。更には、それにまつわるカネの流れが不透明なのはもっとよくない、言語道断
である。 あっさり表現すれば、下半身のだらしなさはなんとでもしようがあるというか、世の男性(に限らず)とて、お互い様
と言うこともあろう。が、カネの公私混同はマズいよ〜 菅ちゃん。 ってことだ。

さて、問題はそこではないのだ。この件に関して、二言目にでるのが「情報開示」という言葉だ。一連の薬害エイズ問題に
関して、菅氏自身が官僚に対して情報開示のなさを批判し、隠された事実を暴き出すことによって、問題が進展したとこは
事実であり、さればこそ菅 直人と民主党の現在があるのは明白である。しかし、情報開示時代のヒーローだからといって
下半身のなんやかんやまで開示しろと言うのは対立する政治家ならいざ知らず、いかがなものだろうか。
下半身のスッタモンダの顛末は菅氏と奥方の問題である。もちろん、政治家たるもの清廉潔白たれということもあろうが、
その次元で言えば情報開示なんかしなくたってスキャンダルが持ち上がっただけで十分、そんなやつは政治家として認め
ないというのなら落選させればいいだけのことだ。要は、不適切な関係があったか否かなんてことよりも、カネに関しての
不透明さを暴くことである。従って、誰であろうときちんと指摘するべきなのである。
なのに一般の反応は、ひとりの有望な政治家の不正云々ではなく、「情報開示の神様」菅 直人のセックススキャンダル
という、下世話な興味に絞られている感がするのである。はっきり言って、カネの不正があったかどうかより、葉巻を突っ込
んだかどうかがわかれば、みんな喜んで納得してしまう、そんな次元にしか見えないのだ。

(98.12.21)

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「スポンサーのご厚意」は いらない

しかし、まったくもって迷惑な話である。何がってプロ野球中継である。勝手に延長するなっつーの。野球の
試合が長引くのは仕方ないが、国民すべてがプロ野球を楽しみにしているというのか。公共のメディアを使
って、「たかが野球」のためにほかのプログラムを犠牲にするのはやめてもらいたい。何たって見たい番組
をおあずけにされることくらい腹立たしいことはないのだ。ビデオ予約などしていようものならなおさらである。
野球中継番組を流すなというのではない。確かに楽しみにしている人もいるだろう。だが、そうではない人た
ちもたくさんいるのだよ。地上波放送としては特殊な趣味の人までフォローしきれないのは事実である。そう
いう人はケーブルテレビでもなんでも見ればよいのだから。だから、どうしても「最大多数の最大幸福」という
考えを根底にしなければというのも分かるが、ならばはじめから充分な放送時間枠を設定すればよいのだ。
見たくない人は他の局をみればよいのだし、時間が余って困るくらいのリスクを負ってまで「たかが野球」
に入れ込むくらいでなければいけない。

ボク自身、野球が嫌いなわけではない。プロ野球中継をみながらビールを呑むというささやかな楽しみを他の
野球ファンと分かち合っているつもりではある。しかし、やはり不自然だよ。異常なまでのプロ野球びいき。
これは戦後日本の文化として定着してしまった感すらある。 例えば、もしほかのスポーツをやっていれば世界
に通用したかもしれない子供が、野球以外の選択肢を与えられなかったがために潰されていった事例は数え
切れないかもしれない。確かに時代は「巨人・大鵬・卵焼」だったのだ。
しかし、重厚長大産業が日本の唯一の選択肢であり、それを支えるために特別な法律を作ってまで設立され
た日本長期信用銀行が時代の流れの中でその役割を終えたにもかかわらず日本の金融界に君臨し続け、
結果、現状を招いたことを考えれば、いつまでも「プロ野球絶対」でもなかろう。
グローバリゼーションを声高に叫び、インターネットができなければ生き残れないなどと扇動し、個性の時代を
強調しつつ、メディアのやっていることは保守以外の何者でもない。

まぁ、テレビ局に言わせれば「スポンサーが・・・」ということになるのだろう。
あまのじゃくのボクとしては、そんなスポンサーの製品は買わない、というくらいしか為すすべはないのだが。

(98.09.28)

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カリスマは失われたか

自営業、それもほぼ一日家のなかにいる者としては、どうしてもいわゆるワイドショーなるものをみる機会が多い。
以前は、まぁしかし次から次へとネタが発生するもんだな〜と関心もしたが、実は「ネタに創り上げているのだ」と
いうことに今更のように気づかされる毎日ではある。 どうということもない事を、ある時は美談に、ある時は醜聞
に、そしてある時は偽善を交えてとらえる。その意味では数え切れない切り口とパワーで、まさに「社会を作り上げ
ている」とまで言えよう。

さて、TOSHIである。X−JAPANである。蛇足ながら、ちょいとばかり高い声の出るボクは10年ほど前か
らカラオケではXを十八番にしていた。まぁその当時、Xといえば "ENDLESS RAIN"と "X"くらいしかなかったの
だが、最近は古くは"紅"からX-JAPANになってからの"FOREVERLOVE""RUSTY NAIL"などを歌う。35歳を目前に
して、ちょいと辛くなってきたが(苦笑) 

でもって若者のカリスマである。過日、天に召されたhideのときなんかもそうだったが、彼らは若者たちにとっ
てのカリスマだそうである。ホントかね?いまのTOSHIに関する報道(というのも何だが)をみる限り、そうは
思えないのだ。 はじめは「若者たちのカリスマを大人たちが地上に引きずりおろしてやがる」とも思ったのだが、
よくみてみるとそうでもないようだ。
「戻ってきて〜」「どこへ行っちゃうのぉ」と彼ら、彼女らは叫ぶ。でもさ、どこに行っちゃうかわからないからこ
そ、凡人の理解を超えたところへ向かって神に近づくからこそカリスマなのにな。

「TOSHIがあんなことになって残念っすよ」って、TOSHIを君らの期待の中に閉じこめちゃいかんよ。
「芸能人くずれ主宰する自己啓発セミナーなんていいかげんなもの」という既成概念(いや、ボクもそう思うけどさ)
に縛られて、まるで「オレの子供はこんなじゃなかったのに」と嘆く、(彼らの一番煙たがる)親と一緒じゃないか。
いや、「もう、裏切られたって感じでがっかりっすよ。」なんてセリフを聞くと、最後まで親と子であることを放棄
しない(できない)世の親の方がよっぽどマシだね。
それとも自己啓発セミナーじゃだめなのか?TOSHI自身が滝にでも打たれて教祖になればいいのか?(笑)
「TOSHIが遠くに行ってしまった」だと?それは彼についていけなくなっただけじゃないのか。TOSHIのやる
ことすべてに疑いを持たない、くらいじゃないとね。カリスマってそんな簡単なモノじゃないと思う。

結局、ファンたちやメディアは軽々しく「カリスマ」なんて言ってるけれど、何のこたぁない、若者たちの求めに
たまたまジャストフィットした「ヒーロー」だったんじゃあないのかな。 自分の「こうありたい、だけど自分に
は果たし得ない何かを実現させている」ヒーロー。でもヒーローとカリスマでは違うぞ。
ヒーローと考えれば納得がいく。「あー、TOSHIも卒業か〜、んじゃオレらも卒業すっかぁ」ってな軽い気持
ちになれる。彼らにとってはそれが、一つの通過儀礼であり、次への一歩となる。だって誰も、黄色い声を上げて
泣き叫びながら燃え尽きた彼らの日々を否定はできないんだから。
いずれ、カリスマではなく、ヒーローでもなく、君たち自身の過ごした日々の「シンボル」となるだろう。

しかしながら現代のメディアは罪深いと思う。この件にしても若貴兄弟の件にしても、カリスマなりスターなりに
しておいてあげればいいものを、何でもかんでも下世話な次元に引きずりおろす。
夢を持てなんて言ってもアホくさくなるね。
こうなると自分のアイデンティティを確保するには、hideや尾崎豊みたいに、死ぬこと以外に手段はないとい
うことになるのか〜
(98.09.18)

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みる者を不快にするCM

ボクはあまりテレビをみない方である。まぁ、これでも学生時代などはいわゆるトレンディドラマというコトバが出始め
の頃でそれなりに毎週のようにみていたわけだし、いまでも気に入った番組は欠かさずチェックするわけで別にテレビ嫌
いというわけではない。ただ単に夢中になれるような番組が少ない、あるいはボクの興味がテレビの作り手とは違う方向
を向いていると言うことなのだろう。
が、妻に言わせるとそんな中、CMだけは夢中になってみているそうである。

さて、最近、不快感を与えるCMが増えてきた。具体的に言おう。一連の永谷園、そしてカゴメトマトジュースだ。どち
らも商品は大好きなのである。 自営業の家に育った子供時代も一人暮らしの学生時代も「永谷園のお茶漬け」は心強い
味方であったし、二日酔いの朝にトマトジュースはなくてはならないものである。しかし、これらのCMではそんなボク
の心を踏みにじるかのような汚らしい音が響きわたるのである。
むろん時間がないとき、極限の空腹状態であのような食べ方をすることもあろう、否、もっと激しいかもしれない。しか
し、それとこれとはやはり違うというか、暗黙の一線を越えているというか。
確かに清涼飲料水やビールのCMでは以前から「ゴクッゴクッ」という音が使われていたが、ボクの感覚で言えばそれは
「購買意欲をそそる」範囲のものであったのだ。カゴメのCMではご丁寧にズルズルという音までが静寂の中に響きわた
っているが、トマトジュースが何かとっても汚いモノに思えてくる。
よく拒食症の女性が唱える「食べることは、排泄以上に汚い行為」という論理を言うつもりはないが、お世辞にも上品と
はいえない摂食の現場中継は、やはり見苦しいものである。

たとえば日新のカップラーメンのCMでもノリピーや仲代達矢がラーメンをすすっている。しかし、このCMには良心が
見える。 ノリピーバージョンでは最後にスープをすする音が入っているがほんの一瞬でカットしてあり、仲代達矢バー
ジョンでは彼自身のナレーションがかぶせてある。

とにかく、これらのCMが始まるとボクはチャンネルを変えて逃げ出すしかない。あり得ないことだが、番組側でスポン
サーを変えないと、大事な視聴者をひとり失うことになるゾ(笑)

それと最近までやっていたミツカン酢のCMも、別な意味で問題あり、と言わせてもらう。 家族が円卓に陣取り手巻き
寿司を食べる。そして母親や子供たちが箸でとったネタを隣の人に「ハイ、これおいしいよ」的に順に勧めていくのだが、
最後に小学生と思しき娘が父親におあずけを食らわせる。しかもその父親ときたらこれ以上ないようななさけない顔をし
て、海苔だけで我慢する。
制作者に言わせれば現代の家庭の姿をそのまま表現したのだということになろうが、高度経済成長時代以来の父親不在の
家庭こそがキレる若者増殖の原因では?とまでいわれるているなかで、その論調の是非はともかく、ちょいと不用意だっ
たのではと、よけいなお世話を焼きたくもなった。
まぁ、ボクの心配が的中したのかどうかは定かではないが、ほどなく「娘にコケにされる情けない父親」の部分がカット
された修正バージョンに変わっていた。ボク以上にお節介な誰かが文句を付けたのかもしれない。

(98.08.31)

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バカの一つ覚え

最近テレビを見ていてどうも気になってしょうがないことがある。映像中の登場人物のせりふをいちいちテロップにして
表示するアレである。数年前あたりのトーク番組で流行りだしたのがそのハシリではないかと思うのだが、その時点では
パンチある爆笑モノのセリフ、それもほんの一瞬の聞き逃しそうなひとことで確実に笑いをとる手段として、実に有効な、
かつ新鮮な手法であったと記憶している。
また、お昼のワイドショーなんかの「プライヴァシー保護のため音声を変えてあります」式のヤツで、どうしても音声が
不鮮明になるため仕方がないというのは以前からもよくあった。

でも、最近のはちょっとやりすぎだ。特に「特捜ナントカ200X」という番組。その内容は、なかなか興味深いモノを
取り上げることも多く、CGを駆使した映像もあって非常にわかりやすいものである。なのに、ナレーションをそのまま
すべてと言っても過言ではないほどテロップを多用しているためとにかくみているのが辛くなるのだ。まさかあれで聴
覚に障害を持つ人のための配慮だなんて言うんじゃないだろうな。それとも最近企業で流行のプレゼンテーション手法を
用いて新しモノ好き中間管理職をターゲットにしているんだろ言うか。だとしたらNHKあたりにくらべると掘り下げ方
が薄っぺらではないか?
まぁ、佐野史郎のミスキャストや全体を包む学芸会風の演技、そして三流コントばりの構成はご愛敬としても、おどろお
どろしい効果音とBGM、笑っちゃうほどセンセーショナルなナレーション。とにかく勘弁してほしい。

お笑い芸人が仕切るトークだかドタバタだかの番組はまさに、洪水である。まぁこちらは初期の思想の延長上であるから
罪は少ないけど・・・

(98.04.20)

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だからなんなんだ?

道を走っていて思うのが、「赤ちゃんが乗ってます」といったたぐいのステッカーである。これって何なんでしょう。
「赤ちゃんが乗っているからゆっくり走りますヨ」という意味か? いくらなんでも赤ちゃんが乗っているからといって
時速10kmで走られてはたまらないぞ。
あらためてめてそんなことを宣言されると、裏を返せば赤ちゃんが乗っていないときは無茶苦茶な走りをしているのかっ
て疑いたくもなる。 赤ちゃんを車に乗せるときはチャイルドシートが鉄則であって、それさえキチンとしていれば通常
の走行でも何ら問題はないはずなのだ。それとも「赤ちゃんが乗っているから煽らないでね」だろうか。赤ちゃんが乗っ
ていようと乗ってまいと、普通に走っているクルマを煽りたがるようなヤツは何を言ってもやるんだから、そういうない
ヤツに対して「おねげぇですだ、お代官さま〜」みたいに卑屈になっても意味がないのである。

仮に普段から煽られることがしょっちゅうで困るというのであれば、それは単に交通の流れにのって走ていないだけで、
赤ちゃんを盾にして勝手気ままな走りをされても迷惑なだけである。
だいたいにして、その都度「赤ちゃんが〜」を付けたりはずしたりしているとは思えない。そもそもこの手のデモンスト
レーションはメリハリが利いていなければ効力が期待できないのであって、たとえは変だがオオカミ少年状態がバレバレ
では意味がないとは思わないのだろうか?

思うに、きっとそんなことはどうでもよいのだろう。なんつーか、これって赤ちゃんグッズのひとつであって、単なる親
バカの現れでしかないと言われても仕方がないのである。まぁ、当人たちもそれを承知の上でやっているんだろうから罪
はないけどね(笑)
 
ハイ、子供のいない独身のヒガミだってのはじゅじゅう自覚してます(爆笑)

(97.07.01)

補足 あ、現在は所帯ももって子供もできました〜 (笑)

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フランス核実験強行に思う

フランス・中国がいつまでも核実験を強行したり、インドが包括的核実験禁止条約に最後まで難色を示していたりしたわけ
ですが、考えてみればこの条約自体が過去に膨大な核実験を実行済みのアメリカに一方的に有利な内容になっているのです。
従ってこれを根拠とする一連の核実験禁止の流れは、決して「核は地球を滅ぼすものだから廃絶しよう!」ではなく、アメ
リカが恒久的な軍事的優位性を保つための宣伝文句でしかないともとれるわけで、その独断専行許すまじという気概を表し
たのが、中国でありインドであり、ニュアンスは違うけどアングロサクソンvsラテンという意味でのフランスだったので
はないかと思うのです。

確かに核軍備は人類、というより地球そのものを破滅に追いやるものですから撤廃すべきものであるわけですが、「せーの
っ!」で核放棄することが事実上不可能な現実の下では「核拡散防止」が最も現実的で唯一の選択かも知れません。
が、美辞麗句に隠れて自らの立場を優位に持っていくのはアメリカの常套手段ですからね(苦笑)

(96.08.31 97.05.20 改)    
というわけで、ついにアメリカは臨界前核実験とかいうやつを実行してしまいましたね〜 (97.07.20)

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タバコを吸わせろ!

威張るほどのことではないが、ボクはヘビースモーカーである。で、問題になってくるのが新幹線などに乗ったときだ。
隣の人が喫煙者でないと、やはりタバコを吸うのは躊躇されるものだ。

そもそも、どうしてJRは禁煙車両なんて作るんだろう? 喫煙車両を設定すればいいのに。この車両はタバコOKなのだ
と思って乗っても、周りが喫煙者でないと堂々と吸うわけには行かないのだ。
試しに新幹線の喫煙車両を1両だけにしてみよう。当然のことながらデッキ部分も禁煙スペースにする。その車両は、命知
らずのスモーカーたちで溢れ返るのだ。そこまでするなら吸わずに我慢するよという人は迷うことなく一般車両に行くよう
になり、そうしているウチにタバコの本数が減りいつしかタバコを吸わない健康な体になっていく。JRはノーベル賞モノ
である(ウソ)
 
所詮、タバコは人体には百害あって一利なしなのだそうだから、吸いたいヤツらはどこかに閉じこめちゃえばいいのだ。た
だし吸える場所だけはなくさないでくれ。だから喫煙スペースでもないのにタバコを吸いまくっているヤツら、君たちみた
いなヤツがいると全面禁煙になりかねない、とっとと消えてくれ。 
と声を大にして言いたい。

(97.05.17)     

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学校出てから14年〜

今日はロックじゃないよ。企業戦士の鏡、ハナ肇とクレイジー・キャッツだ!僕はリアルタイムでは彼らを知らない。
年代的には「シャボン玉ホリデー」くらい知っていてもいいらしいのだが、記憶がないのはどうしようもない。
以前から「そんな曲があるな〜」程度の認識はあったのだが、僕が彼らを意識したのは比較的最近のこと。大学の卒業式
の夜だね。僕ら仲間は東京は調布の友人の下宿に集まって夜通し麻雀とかファミコンとかやってたわけ。
いつもは朝になったら雑魚寝して、昼過ぎから大学に行って・・・という感じだったのだけれど、その日は近くを流れる
多摩川の土手にでも行こうと言うことになって、みんなで朝日を眺めながら、4年間の学生生活を振り返っていた。
「オレたちもいよいよサラリーマンだな」とつぶやいたのは僕。仲間のうちの誰だったかは忘れたが、それにあわせて歌
い出したヤツがいた。「サラリーマンは〜」「ドンとドンと行きましょう〜」「ゴマすれホイホイ」
僕たちは人生の節目に立って、新たな世界へ旅立つことに自信と希望を持っていたのは疑いのない事だったし

           それぞれの輝かしい未来(笑)を信じて疑わなかった

何故、希望に満ちた人生の新たな門出の場でそんな歌が出てきたのかな〜 そう、彼らの歌は一見しがないサラリーマン
の悲哀をコミカルに歌う自嘲的なもののようではあるが、実はそんな自分たちの存在こそが日本社会の原動力なのだとい
うことを声高らかに歌う、企業戦士の応援歌なのではないか、という事を本能的に感じ取っていたのだろう。
僕らのひとつ前の世代は、就職が決まってから髪を切り「もう若くないさ」と言い訳したというほど、後ろを振り返って
いた時代だったらしいが(ホントか?)、僕たちの頃は髪を切らないと就職が決まらなかったのだ(笑)
決まってしまえばこっちのもんさ。アラ、えっさっさ〜
おかげさまで、入社してから程なく僕はパンチパーマに戻ったのでした。
                               チャンチャン

(96/10/26)

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ゴルフをしなくなったわけ

僕もまがりなりにもサラリーマンでしたので一応ゴルフの経験はあります。始めた頃は週に1度は練習場にも通い、先輩の
指導を受けていました。先輩からは「ちゃんとレッスンプロに見てもらった方がいいぞ」といわれ、そろそろ習ってみよう
かと思い始めた頃、生まれて初めてコースに出ることになりました。当然、社内のウチワだけの4人。一度でもコースの経
験があった方が練習にも役立つだろうと言う上司のはからいで、僕はデビューしたわけです。
まぁ、スコアの方はともかく(苦笑)、僕のアタマから離れなかったのは

           ゴルフってスポーツなの?

という素朴な疑問でした。プレイ中のウェアに気を使うのはどんなスポーツでも当たり前ですね。激しいスポーツはウェア
やプロテクターの選択如何でケガに直結しますからね。ゴルフだってそれは然り。でも、コンペなんかでプレイが終わって
クラブハウスでパーティをやりますよね。その時の服装までうるさく言われたくないな〜 と、思ったのです。
スキーだって宿に戻ってからはジャージだったりするでしょ? はい、分かってます。

「ゴルフは貴族のスポーツなんだから、いつでも紳士たる服装、態度で」

ですよね。でも、どんなに「紳士らしい」服装していても、ハーフが終わった食事中に、酔っぱらってレストランのウエイ
トレスのお尻をさわったりしてちゃぁイケマセンよね。そんなオジサンたちを目の当たりにした僕に、上の言葉は全く説
得力がなかったのです。だいたい、僕は貴族でもなければお金持ちでもない。ただのしがないサラリーマンっす。
それと、僕はスキーに女性と行ったときにも「自分の道具を持てないヤツはそのスポーツをする資格がない」と言い放ち、
板を担いであげたりすることはありません。友人からは「だからお前はモテないんだ」と言われるけど... (笑) 
もちろん、転びそうになれば支えてもあげるし、疲れたと言えば待ってもあげますよ。だけど、やっぱり自分の道具は自分
で担いでもらうのです。その点でもゴルフは僕の性に合いませんでした。キャディフィーを払ってるんだから経済活動とし
てはまったくアタリマエのことなんだけど、リフトに乗って山を登るのとは根本的に思想が違うような気がします。
と言うわけで、僕はゴルフをスポーツとは思えないわけですが、レジャー、遊びとしては結構おもしろいものだと思ってい
ます。ある程度ハードなスポーツに耐えられなくなった幹部の方たちの社交や商談に用いられるのも、うなづけます(ゴル
フが軟弱だと言っているのではありませんよ。どんなものでもちゃんとやろうと思えばハードなことは承知しています)。
それに、客の希望でスキー接待をしても自腹になるのに、ゴルフの場合だと理由付け次第で全て経費扱いになるというのも
解せなかったというのもありました。
まぁ、そういうことで現在はゴルフから遠ざかっているのですが、いずれは「レジャーとしてのゴルフ」はするかもしれま
せん(笑) あ、それと、スキーを担いであげるだけでモテるようになるのなら、今からでもポリシーの変更は可です(爆笑)
でも、僕は貴族でもなければお金持ちでもない。ただのしがない自営業者っす。      
(96/10/20)

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おみやげ

呑んだ帰りはおみやげ、というのがお約束のお父さんもいるでしょう。僕が幼少の頃、うちの父などは滅多にない外で
の会合の帰りに、定番であるところの「寿司の折り詰め」を持って帰ったものです。そういえば最近は、折り詰めをブラ
ブラさせながら、千鳥足で電柱に挨拶してるような「頃合の良い酔っぱらい」を見かけなくなりましたね〜
呑んでも酔わないクール("Cool"じゃないところが悲しい(笑))気取りのオジサンか、そうでなけりゃデロデロになって
地面に突っ伏している若者か、という二極分化の様相を呈しており、自他共に心地よい「へべれけ族」が絶滅の危機
に瀕しているようです。やはり折り詰めブラブラは「サザエさん」だけの存在になってしまったのでしょうか・・・
さて、学生だった時分の僕が二日酔いで重くなったアタマを抱えて目を醒ますと、枕元にはいろんなものが並んでいた
ものです。薬局の店頭にあるゾウの人形、ガソリンスタンドのノボリ、同時プリント40円!の回転式看板etc.
もちろん次の日には記憶をたどりながら元に戻しましたけど(笑)
で、もちろんそんなことは次第になくなっていったのですが(アタリマエだ)、最近になって、突然、呑んだ次の日の朝
になるとセカンドバッグの中にいろんなモノが入っていることに気づきました。
・明治製菓「アポロチョコレート」デザインの電卓
  呑んだ次の朝、仕事で東京に行ったのだが、目的地近くの文具屋サンでも捜して安い電卓を買うつもりだったのに
  (普段使用しているのが大型なため)、時間的に買う時間がなくなり「マズいな〜」と思っていたところ、セカンドバッ
  グの隠しポケットの中からこれが出てきた(笑)  後でわかったのだが、前夜、酔っぱらいながら「電卓買わなきゃ」
  とつぶやいていたのを聞いたなじみのバーのスタッフが忍ばせてくれたらしい。
・プラスティック製液晶時計(の模型?)
  これは時計ではないようだ。 見たところは安っぽい時計なのだが四隅にあるストップウォッチのスタート、ストップ、
  ラップのボタンはボタンのようでボタンでないのだ。ボタンのカタチになっているだけである(爆笑)
・折り畳み式サンシェイド
  自動車のサイドウィンドウに吸盤で装着する、薄い網状のアレである。サッポロビールのロゴ入り。使わないときは
  折り畳んでおける。前項の時計のカタチをしたプラスティックの固まりと比べれば、すこぶる実用性の高いものでは
  あるが、いかんせん、これから雪の舞い踊る時期である。 来年の夏まできちんと保管しておくほど、僕は几帳面
  ではない。
・ハンカチ状の布
  これまたサッポロビールのアイテムか?「S☆PPORO」とロゴが入っており、ジョッキから溢れる泡には目や口が
  描かれている。ハンカチにしては厚手すぎるようだ。 まぁ、ちょっとしたグラス敷きには使えそうである。この夜は
  アサヒビールの直営店で呑んだのに、何でかなぁ?
・スナックのオリジナル100円ライター
  これはプリントされているのを見れば、「あぁ、ちょくちょく行っているスナック、昨日も行ったもんな〜」で済むところ
  なのだが、さすがにセカンドバッグがはち切れんばかりの、数十個もの100円ライターがぎっしり詰まっていると、
  「やられた〜(何がだ?)」という感は否めない。
と言うわけで、他にもいろいろあるんですよ。デートクラブのチラシの裏に書かれた謎の話番号とか(苦笑)  よく行く
バーのマスターが「○×クンがこの間顔を出してさ、連絡くれってよ」と、メモ帳代わりに使っていただけなんだけど。
【結論】

覚えてないほど呑むなよ〜   

(96/11/23)

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リーマンスタイル

僕は今では自営業者なんだけれど、それでも8年間のサラリーマン生活を経験しました。なにしろ悪名高きゼネコンの
事務職、お客さんの接待なんてよくありましたが、接待の場で苦労したのは、やっぱりカラオケ(ヤレヤレ)
お客さんの年齢や嗜好にあわせて歌う曲を考えるのも結構タイヘンです。

「キミは若いんだから流行のヤツをイッパツ頼むよ」

この言葉を鵜呑みにしてはおしまいで、調子に乗って歌ったが最後、場は一気にシラケます。やはり「不勉強なモノで、
最近の歌は知らないんです」ととりあえず逃げ、無難なところで全共闘時代のフォークソングあたりで様子を見ます。
なにより難しいのがその世代の有名な曲を歌ってしまうと、お客さんの持ち歌とバッティングしてしまうということです。

あくまで相手の世代を踏まえた上で、しかしB級の曲で抑えておくこと。

これは演歌然り、軍歌然りです。さらに一番怖いのはアイドル系です。オジサンたち、娘さんの影響か、若い女子社員
にアピールしたいのか分かりませんが、SMAPの項に指を挟んでいたりします(笑)
ここで「ここはね、SMAPでもどうかな?」と水を向けられたら素直に「いいですねぇ」と応えなくてはいけません。
しかしオジサンは「がんばりましょう」を歌うつもりでいますから、決して歌ってはいけません。練習に練習を重ね、今日
の日を迎えたのです。「SMAPは苦手なので、V6じゃ駄目ですか?」もしくは練習が追いついていないであろう「青い
イナズマ」が正解です。要は、相手の自尊心を傷つけることなく、かつ、調子を合わせること。
いやぁ〜 カラオケってほんっとに難しいモンですねぇ。

会社を辞めて1年ほどたった頃、若手が集まる呑み会があるから顔を出してみないかと誘われ、懐かしい面々と再会
しました。しかし、挨拶を終えみんなの呑んでいる姿を見ていたら、ビックリしてしまいました。
「おまえら他に話すことはないのか」
20代の若手ばかり、上司がいるわけでもないのに、あっちのボックス、こっちのカウンター、その全てが仕事の話だけ
なのです。いやぁ、僕もあぁだったんだなぁ、と思うと、不思議な気持ちになりましたよ。確かにシラフじゃ話せないこと
ってあるのは事実だけれど、20人もの若手社員が、それも可愛い女子社員もいるというのに(笑)、100%仕事の話っ
ていうのもなんだかな〜
その「アフター5の意志疎通」の半分でもいいからオンタイムにやっておけば、仕事にも有効だろうし、どうせやんなきゃ
なんない付き合い酒、もっと潤いのあるものにしようよと思ったのでした。
(96/10/26)

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たかがカラオケ、されど・・・

さて、ひとり静かに呑む酒、友との語らいの酒、ドンチャンの酒・・・ そしてこの10年ほどの間に酒宴と切り離せなく
なった感があるのが、カラオケです。考えてみれば僕が学生の時なんてカラオケといえば8トラックでしたからねぇ(笑) 
それでもOBに「なんかやれ!」と凄まれれば歌いましたよ、あたしゃ。 三橋美智也を・・・ ハァ〜

で、最近はどこに行ってもカラオケがありまして、ない店を探すのが一苦労。最近までカラオケがないのがウリだった店が、
ちょっと顔を出さないうちに導入されてたりで、なんだか悲しい。
と言っても、僕はカラオケが嫌いなわけじゃありませんよ。どっちかって言うとカラオケ大好き人間かもしれません(汗)

で、昨日の出来事ですが。まぁ僕も悪かったんですけどね、他のお客さんの雰囲気を見れば「今夜は前川清だな」と思い
ましたから。でもなんか気分は吉川晃司だったわけです。
「だから、もっともっと」      (このくらいなら著作権には抵触しませんよね?マズかったらご指摘ください)

歌い終わるが早いか「こんな歌を歌われちゃぁ、オレの出る幕はないよな〜」と言う声がして帰り支度を始めるオジサン。
僕も演歌は嫌いじゃないし、たとえ好きじゃなくてもそういう趣味の人がいればそれはそれでお互い認めあうもんだと思う
のだが・・・ あんたが演歌をガナッテいたのもちゃんと聴いていたよ。少なくとも、ロクに聴きもしないで騒いでいた
あんたの仲間よりはね。
自分の守備範囲を越えているというだけで拒絶し、逃げだしちゃう。あんたの仕事ぶりがわかるぜ、って感じ(笑)
僕らがちょっと前の曲を歌うと「ヤダー、それってオジサンっぽくない〜?」とか言われちまいますが、実はそいつらっ
てばちょっと前までは「銀恋を歌う高校生カップル」だったりするわけで...(苦笑)
カラオケの進歩はめざましくて、数年前まではよほどのところでないとまともには歌えなかった洋楽が、通信カラオケの登
場で一気にメジャーになりました。プレスリーやビートルズはもとより、ハードロック・ヘヴィメタル系も充実してきました。
(96/10/18)

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道玄坂 最後の夜

彼女は「抱いて」とつぶやいた。 しかし、その最後の賭けも無惨に打ち砕かれ、
男は去っていったと言う。これほどの屈辱はない、と彼女は言い切った。

ひとりヤケ酒を煽っていると、泥酔した初老の婦人が声を掛けてきた。
「一緒に呑もうよ」
心に傷を持った二人は互いに慰めあいながら杯を重ねた。

かなり酒も進んだ頃、突然、その老女は彼女の腕をつかむと強引に店を飛び出した。
彼女はワケも分からぬまま、それでも今にも暴れ出しそうな老女に引きずられるよう
にして後を追う。老女は狂ったように叫びながら傘を振り回し、通行人は驚いて逃げ
出していく。 
「あたしね、恨みのある男を毎晩捜しているのよ」 
と言ってその婦人がチラリと刃物を見せる。恐怖が彼女の心をよぎる。
  一人の男が坂を歩いてきた。すれ違いざま男は、どことなく異様な雰囲気を感じ
  改めて二人を見る。そして彼女の哀願するような目に気づき立ち止まる。
  彼女はおもわず男の腕をつかみ、本能的に駆け出す。しばらく走り、二人はガー
  ドレールに腰を下ろす。男に棄てられた惨めさ、街の狂気...
  すべてが一度に彼女の心を襲う。

   「この街が嫌いよ。何もかもみんな嫌いよ」

  そうつぶやき男の胸の中で思いきり泣いた。自分でも良くわからないが、とにか
  く涙があふれる。

  「ごめんね」
  ひとしきり泣き終わると彼女は笑顔を見せ、自分の境遇をポツリポツリ話し始めた。

  「あなた、田舎はあるの?」

  男が、会社を辞めて近いウチに故郷に戻るのだと告げると、彼女は空を見上げな
  がら一瞬無言になった。 

「この街から逃げ出したいの。でもあたしには逃げ出す場所がない」
二人は深夜喫茶に入りコーヒーを飲みながら、いつしか眠り込む。
ふと気が付くと朝である。渋谷の街の、宴の残骸を見つめながら無言で駅へ向かう。
このまま、お互い名乗りあうこともなく別れるのだ。
センター街から抜けたところで彼女は立ち止まった。
 
「もう一度だけ泣かせて」

男はどう返答して良いのかわからぬまま彼女を抱き寄せ、そのすすり泣きを聞きなが
ら、もう当分この街に来ることもないだろうな、そう思った。
94/11/07(96/10/18改)

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