松飾り、門松、しめ飾り、飾り松、立て松、など色々と言い方はありますが、しめ縄や松で作るものと思ってました。秋田でも鶴見でも年末になると商店街の出店で売っていたので、どこでもやっているものと思ってました。
しかし、小千谷では12月の市報に印刷された門松が入ってきて、ほとんどの家で、これを玄関に貼り付けます。
ちょっとしたカルチャーショックでした。
そんなわけでインターネットで調べてみたら。
由来は、門松は、今では正月の飾りもののように思われていますが、もとはといえば歳神(としがみ)の依代(よりしろ)といわれ、歳神が宿る安息所であり、また、神霊が下界に降りてくるときの目標物と考えられていました。この歳神とは、別名を「お正月さま」、「若年さま」、「歳徳神」などとも呼ばれ、正月に家々に迎えられる神をいい、昔は白髪の福相の老人だと考えられ、今でも、若者が白髪の老人に扮して、大晦日の夜、家々をまわって子供達を訪れ、お年玉として餅を与える風習の残っている地方もあるということです。歳神は、年棚(としだな)とか恵方棚(えほうだな)を新しく作って祭るのが普通です。神前には、神酒や鏡餅、白米、かち栗、干柿、昆布、するめ、海老などを供え、歳神に対する感謝の気持ちをあらわします。
印刷した門松は、戦中・戦後には、森林資源の保護や濫伐による水害防止、「新生活運動」により印刷した門松の貼り付けが始まったらしいです。ただ、あまりに味気ないのであまり豪華にならない程度で復活したらしいのですが、ここで地方によっては復活しない所もあったという事でしょうか。
商店街などの通り道で、松飾りを売っていた事については、宗教的な意味の他にも「一種の社会政策的な意義があったように思われる」との記述もありました。
この時期、山村から切り出した小松や松の枝などを都会で使うことになれば、山村の年末 年始もいくらか利潤が生まれる。「都市の金銭を山村や農村にも融通するための一方法とし て、松飾りやしめ飾りは、無用の用ともいうべき用を果たしているようにわたくしには思える」 (『定本 佐藤春夫全集』臨川書店) |
この「新生活運動」と「社会政策的意義」を織りこみながら門松の事を調べていくと結構面白い論文になるような気がします。
ところで、門松、しめ飾り、松飾りなど全て一緒に考えて書いてきましたが、調べていたら、一緒に考えてはいけないんですね。違うものでした。もう少し日本の文化、習慣を勉強しなくては。