ただし <EZV00441@nifty.com>
31 Jul 2003 17:32:40
てらだ <NQB25957@nifty.com>
17 May 2003 21:46:10
学生時代、京都に住んでいたので、いい建物だなと思って見ていました。
レプリカというか、再現建築で再建するのなら、取り壊さず、補強、または改装等したほうが、雰囲気も残るし、景観保全にもなるのでは、
と思います。所詮、レプリカはレプリカです。約90年の、汚れとか、
風格とか、そのものの放つ雰囲気は再現できないと思います。
京都というと、寺院とか、日本建築のイメージが強いですけど、
近代建築もなかなか合うように思います。老朽化してるから立て替える、というのはどうかと思います。
ただし <EZV00441@nifty.com>
1 Mar 2003 02:00:18
先月、久しぶりに京都へいったところ、
何と!レプリカ建物が完成しつつありました。
一体何のために取壊したのか??
まったく理解に苦しみます。
ただし <EZV00441@nifty.com>
26 Dec 2001 23:50:03
長い間空き地でしたが、工事が初まっているそうですね?
いよいよ建つのでしょうか、レプリカ
西田 <nnishi@apricot.ocn.ne.jp>
2 Dec 2000 18:39:59
初めまして、私は西田です。現在、滋賀県立大学の四回生です。私は都市史・保存修景計画ゼミに所属しており、卒業論文で第一勧業銀行京都支店の保存問題を中心に近代建築の保存に関する提案をしようと考えております。先日このホームページを見つけたのですが、早速研究材料に利用させていただいております。
私は研究の中で「auhtenticity(オーセンティシティ)」の考えからこの第一勧業銀行京都支店の保存問題について考察しようと思っています。オーセンティシティには、「材料」「技術」「デザイン」「環境」と4つのオーセンティシティがあると思うのですが、レプリカ保存ではこのうち「デザイン」を除く3つは確実に失われていると思います。また、「デザイン」に関しても新しい建物ができていないので何とも言えないのですが、少なくとも100%オーセンティシティが満たされることはないように思います。約90年という期間の中で培われた建物のもつ魅力や存在感というのが、できたての建物に感じられるはずがないと思います。
レプリカ保存では文化財的価値が全くなく、材料も再利用されないということなので、これでは何のための保存なのかわかりません。というよりもこの第一勧銀の問題に「レプリカ保存」として「保存」という言葉を使うこと自体に誤りがあると思います。
今後もメールしたいと思いますので、ぜひご意見の方よろしくお願いします。
今井 剛史 <gangshi@mailcity.com>
20 Nov 2000 00:39:30
来年四月、さくら銀行と住友銀行が合併しますね。現在、両行は支店閉鎖を行っているところでしょう。やはり今の内に、全店の建物を調べたほうが良いのではないでしょうか。例えば、旧三井銀行日本橋営業部(三井本館)や昔の錦糸町支店(現さくら銀行錦糸町ビル)、北海道の小樽支店とか。
前村 敏彰
<mmm@mars.dti.ne.jp>
17 Nov 2000 02:29:11
こんばんは。
11月24日のシンポジウム、ぜひうかがいたいと思います。
さて、現在小生がかかわっている、北海道札幌市にある藤学園の「キノ
ルド記念館」(大正13年竣工、M.ヒンデル設計)の保存運動につきまして、
掲示板の方でさまざまな意見が交わされています。どうも学生・生徒さ
んたちにとっては、古いオンボロ校舎は壊すべき存在なのですね。
http://www.mars.dti.ne.jp/~mmm/bbs2/kinold.html
レプリカ保存について、以前、中川先生と意見が分かれましたが、この
キノルド記念館について、学園側が80%縮小のレプリカを建てるとした
ことについて考えるなかで、少々考えが変わりました。レプリカではダ
メだと思いました。勧銀京都支店はレプリカでも良いではないかと思い、
キノルド記念館ではレプリカではダメだと思う、この違いを考えると、
どうもその建物に対する、個人的思い入れとか、愛着の違いのように思
われます。
もし、これが、他の人にとっても同じであれば、保存運動は難しいこと
になるなと、思いました。思い入れも、愛着もない人々にとっては、レ
プリカ保存ではダメだということが伝わらないのですから。何か、保存
についての共通の理論をたてないと、一部の者の意見になってしまって、
保存のための人々の共通の意識にはならないですね。
なお、森 清高さんのご質問の「北海道拓殖銀行本店」の建物は、北洋
銀行の店舗として使われています。北洋銀行の本店が大通公園を隔てた
向かいにあるため、建物の存続が危ぶまれましたが、いまのところ無事
です。また、今の建物の前の「北海道拓殖銀行本店」の建物は、半分ほ
どの規模に切って移築保存され、拓銀の研修所として使用されていまし
たが、破綻後、荒れるに任せてあります。これも、今後どうなるか心配
です。
森 清高 <ke_chingao@hotmail.com>
14 Nov 2000 15:15:30
中川「さん」の部分は、中川「先生」の誤りでした。訂正します。
森 清高 <ke_chingao@hotmail.com>
14 Nov 2000 05:06:59
中川さん、質問の回答と、ダブり発言の削除有難うございます。24日は、残念ながら参加することが出来ません。(でも参加して話を聞きたかった)それから、「旧三菱銀行横浜支店」も戦前の建物ですよね。「静岡銀行本店」もそうですね。経営破たんした「北海道拓殖銀行本店」の建物は現在、どうなっているのでしょうか?いずれにせよ、僕はこれ以上、これらの建物が取り壊されるなんて話は聞きたくありません。
僕は以前、台湾の日本統治時代に建設された建物についての意見を、この掲示板で発言しましたが、台湾の人々が保存しようとしている建物は何も、大理石や赤レンガで出来た建物ばかりでは無い事を指摘しておきます。例えば、日本母屋で出来た瓦屋根の駅舎、町・村にある郵便局がそうです。また変わった所では「神社」もあります。特に桃園縣にある「旧桃園神社」の場合は珍しく、そのままそっくり残っています。戦後、中国大陸からやってきた国民党政府が次々と日本の寺や神社が取り壊していく中、地元の人々は神社にペンキを塗ったりして「廟」(地元のお寺)にカモフラージュして、あくまでも政府に「廟」だと言い張って守ったと言うエピソードが残っています。台湾の民主化の後にペンキを剥がして、元に戻しました。(最も神社としての機能はしておりませんが・・・)他にも高雄のほうでも「旧高雄神社」がそのまま残っているそうです。
日本人一人一人に言いたい事は、昔の建物をそう簡単に取り壊すなんて考えてもらいたくないんです。これでは一体、どちらが「日本人」なのか分かりません。現在の日本人が「文化破壊者」だと言われても仕方がないでしょう。次世代にどれだけ日本の文化を伝えて行くのか、これらの問題とは例外ではありません。「文化破壊」をした国家の後に残る物は何もありません。みなさんも是非、これらの事をよく考えていただきたいと思います。(24日に参加し、発言が出来たならば、これらの事を言いたかった!)
O.Nakagawa <nakagw@mars.dti.ne.jp>
12 Nov 2000 01:47:17
しもやまさん、すいません。ご指摘ありがとうございます。
ごそごそ・・・。
直しておきました。24日(金)です。
しもやま <fwhs5634@mb.infoweb.or.jp>
11 Nov 2000 22:03:18
日時: 2000年11月24日(土)14:00−17:00
あれっ、24日は金曜日ですが....
中川理 <nakagw@mars.dti.ne.jp>
10 Nov 2000 02:12:33
森さん、建材はとっとと廃棄されたようですね。とにかく、前にも報告したように、第一勧銀は銀行再編に合わせてこの土地さえも処分したいようで、そのために邪魔な上物を廃棄したかったわけなんじゃないかと思います。その批判をかわすためのレプリカ案だったのか?。新築工事をするようすが今になってもないし・・・
えー、今月11月24日には、近代建築の保存をめぐるシンポジウムが日本建築学会で開催されます。中川も参加します。その時に、このレプリカ保存の総括もしなければ、と思っています。東京に近い方々は、よかったらのぞいてください。細かい情報は表紙のページからどうぞ。
メンテをサボっていましたが、タブリ発言を削除しておきました。一度書きこんでから再読み込みをするとまた同じ書きこみが追加されますので注意してくださいね。
森 清高 <ke_chingao@hotmail.com>
7 Nov 2000 17:27:37
またここで発言させていただきます。今、京都支店の建材はどうなっているのでしょうか。それが気がかりです。出来れば「レプリカ」なんて言わずに、元の建材をそのまま使用して、どこでもいいから移築してもらいたいです。しかし本当の気持ちとしては、解体せずそのまま支店として利用する「岩手銀行式」か又は、支店を移転させて建物を記念館にする「青森銀行式」のどちらかにしてもらいたかった。しかも、場所が京都だからなおさらです。
青森銀行は、「旧第五十九国立銀行本店(後の弘前支店)」を昭和42年にここにある支店を移転させた後、「青森銀行記念館」を設立しました。又、岩手銀行は、「旧盛岡銀行本店(後の岩手銀行本店)」を本店としてそのまま使用し続けて、のちに本店移転に伴い、中之橋支店を開設しています。両行はこれらの建物を重要視していると言う、何よりの証だと思います。実は国の重要文化財に指定されたのはこの後のことです。岩手銀行旧本店は、昭和52年にも「盛岡市保存建造物第一号」として指定されていました。
だから京都市は「第一勧銀京都支店」を盛岡市の決定のようにはいかなかったのでしょうか。解体してしまった後にこんなことを言っても、仕方ありませんね。
これからは、銀行の合併や経営統合により、数多くの支店の閉鎖は免れないでしょう。銀行の殆どは戦前から営んでいる場合が多いので、結構戦前の建物を持っていることがあります。これからはもし戦前の建物の支店を閉鎖した場合、その建物を今後どうするべきか、所有者である銀行側と地区住民が話し合う場が増加するのではないでしょうか。
関東地方では僕が見たかぎりでは「東京三菱銀行水戸支店」、「山梨中央銀行東京支店」、「常陽銀行堀留支店」があります。
常陽銀行堀留支店は既に閉鎖され、廃墟になっています。これについても京都支店の二の舞にならない為にも、地域住民はよく銀行側と話し合う必要があるではないでしょうか。
忠太 <EZV00441@nifty.ne.jp>
23 Oct 2000 21:46:34
京都から、最近では日本信託銀行やびわこ銀行もなくなり、寂しい限りです。
保存が決まった近代建築もある訳ですが...
>森さん
台湾の情報、ありがとうございます。
私も総統府を見に行きたいです
森 清高 <ke_chingao@hotmail.com>
22 Oct 2000 07:21:15
私は現在、台湾で暮らしている者です。今回このホームページを見て、第一勧銀の重役達は一体何を考えているのだろうと思いました。理由がどうであれ、京都支店の解体は企業のイメージを悪化させるだけだと思います。(特に海外で!)そう言えば日本勧銀と第一銀の合併の時、本店の建物はまだ、戦前に建設された大理石で作られた建物でしたね。本店の建物ですら解体してしまったのだから、京都支店の建物ぐらい何とも思っていないのでしょうね。
台湾では戦前の、日本統治時代の建物が数多く残されています。台北だけでも、総統府(旧台湾総督府)や台湾於酒公売局(旧台湾専売局)、台湾銀行本店等、数えたらきりがありません。ちなみに旧日本勧銀は戦前に、台北にも支店を持っていました。戦後は「国立台湾土地銀行・本店」として再出発しました。現在でも土地銀本店はそのまま使用されています。又、この建物がどういう歴史を歩み、台湾にとってどれだけ貴重なものなのか、表に設置されている木製の碑にきちんと書かれています。(大理石で出来ていて、旧日本勧銀本店の建物にそっくりです!) これらの建物は現在、重要文化財に指定されています。台湾では特に、日本統治時代の建物を必死で保存しようとしています。それに比べ日本では、何ごちゃごちゃやってるんだと言いたくなります。国宝級の建物を、簡単に壊してしまっていいんでしょうか?こんな出来事は、台湾の友人にとても話せません。保存するならすると、ここでの場合、もっと京都市民が運動を起こすべきだったと思います。台湾の人々のように・・・
山岸常人 <yamagisi@archi.kyoto-u.ac.jp>
8 Sep 2000 09:17:30
このホームページを偶然見つけました。勧銀のことについては少し発言もしたので、いまさら言うつもりはありませんが、ホームページの社会的役割について考えさせられました。
hayashik <hayashik@wcsnet.or.jp>
30 Jul 2000 01:56:34
DKB京都支店がなくなった時は、びっくりしました。
他にもなくなりそうな使用していない銀行系建物がいっぱいある中で、ここは大丈夫だと思っていたからです。
学生時代、西から東へ自転車で三条通を爆走していた中で、ほぼ毎日のように見ていました。
それにしてもレプリカとは・・・。
大坪一幸 <k.ohtsubo@lycos.ne.jp>
10 Jun 2000 09:37:53
私の文章の中で、「町家」を「町屋」と記載しておりましたので訂正します。
大坪一幸 <k.ohtsubo@lycos.ne.jp>
9 Jun 2000 17:44:56
ここに記載された文章のひとつひとつを読んで、私と同じように多くの方が喪われてしまった第一勧業銀行京都支点(以下DKBKと略)の建物に深い思いを持っておられる事を知り、思いを伝える術を知らず一人悶々としていた私も知己を得たような気がしております。すでに多くがここで語られ、私がここで付け足すことは蛇足に過ぎませんが、この問題を後々に活かさなければとの願いから、敢えて一筆啓上?する次第です。乱文はお許しあれ。
さて前村さんが言っておられるように、三条烏丸の一画に赤レンガの堂々たる姿を見せ、辰野金吾の作品でも屈指の傑作との評価を得ていたDKBKが、まさか解体の憂き目に遭うとは思いもよりませんでした。
こうした問題が起きる度に疑問に思い脱力感に襲われるのは、日本を代表する観光都市としての位置付けを、今後とも京都市が守り続けていくつもりがあるのかどうか、ということです。
知名度の高い寺社・仏閣、仏像等を数多く有することは、従来から知られた京都像であることは間違いありませんが、町屋や明治以降に建てられた近代建築など、歴史を経て深みを持った建造物が形成する街の景観、そこから醸し出される独特の空気(うまい表現が見つかりません。小林淳男さんの言われる「空気」「香り」大いに共感します)そんなものが品位ある観光都市たらしめる大きな要素であろうと私は考えます。それを守り続けていくには、市民(国民)、行政、そして使用者(所有者)相互の理解が不可欠でありましょう。何故ならば、都市景観とは、共有の財産であり物件の所有者、行政の判断だけで事が決定されるべきものではないからです。
いまの京都市街のどこに文化の薫りを嗅ぎ取り、他に誇れるだけの観光都市の神髄を見ることができるでしょうか。
今日の状況を招いたのは、景観を守るための本質的なルール作りがなされなかったことによるものでしょう。
今回の件でも京都市と銀行側との間では様々な意見の交換が行われた事と思いますが、レプリカ建築をもって三条通りの景観が保てたと市が本気で考えているのならば、今後のためにも、都市景観とは何なのか、保存すべき文化とは何なのか、三者による確認が是非とも必要なのではないでしょうか。レプリカ建築は、そのあたりが不明確なまま表面上の規制を守らざるを得なかった、企業の混乱が生んだ悲劇の産物以外の何物でもないと思います。
素人の立場で勝手なことを申し上げました。今全国で近代建築が確実に姿を消しつつあります。「近代建築の宝庫」と言われる京都が保存のモデル都市として再生し、全国で近代建築物保存についての議論が高まることを願うばかりです。
Ybon <yiwa@gold.ocn.ne.jp>
29 Apr 2000 22:57:58
私には、詳しいことは分かりませんが、伝統ある建物が壊されていくのはとても残念に思います。
ヨーロッパの国を見ていると中世の町並みがきちんと残されていたりしています。第二次大戦で破壊された建物も、昔どおり再建されています。
烏丸四条の三井〔さくら〕銀行も一部分残して立て直されましたが、
やはり残念な気持ちです。以前からの部分も、ほんの少しだけのこっていますが、もっとたくさん残すべきだったと思います。
建物の老朽化で耐震性とか問題になるなら、建て直しするのも良いのですが、その場合、工法は近代的なものになるのでしょうが、そっくりそのままの建物を、再建するのが本来のやり方だと思います。
東京三菱銀行の京都支店も建てなおされるようで、これも残念なのですが、もしまったく同じ建物を建ててくれたら、建物の効率性は犠牲になるかもしれませんが、企業のイメージというのはそれ以上に評価されるのではないでしょうか。いや、そういうことを大事する人が増えることが大切なのではないでしょうか。
辰野ファン <EZV00441@nifty.ne.jp>
1 Feb 2000 01:36:36
「新銀行の店舗用地になるかどうか」とは、何と!
そうすると、更地のままなのでしょうか。
....脱力です。
O.Nakagawa <nakagw@mars.dti.ne.jp>
24 Jan 2000 03:17:03
みなさん、いろいろ書きこみありがとうございます。
辰野ファンさん、工事についてはとんでもない情報があるのですよ。
これは、みなさんにもご報告しておいた方がよいでしょうね。
実は、例の第一勧銀の合併話にともなって、新築工事はペンディングの状態であると聞きました。
で、合併後はあの烏丸三条の場所も、新銀行の店舗用地になるかどうかさえも、実はわからないとか。
だったら、壊す前に合併が決まれば・・、とみんな思うわけですが、
もし、合併がすでに折込済みで、あのような計画を立てたとすれば、
これは相当に巧妙な戦略になりますよね。
組織が変われば、以前の組織の計画は全く破棄できるのだし、責任もなくなるし・・。
辰野ファン <EZV00441@nifty.ne.jp>
17 Jan 2000 22:12:38
こんにちは
そろそろ工事が進んでいるころでしょうか??
どうなったのかな...
izawa <izawa-n@mbox.kyoto-inet.or.jp>
7 Dec 1999 23:22:20
P・S
実物資料は、常に劣化の危険にさらされています。
しかし、文化的価値のあるものは様々な理由により
広く公開されることが求められます。
その2者の間を埋める一つの手法としてレプリカが
あると考えます。
実物資料がない場合それはレプリカとは言わず。
復元模造品であると考えるのです。
以上・・・・・・
izawa <izawa-n@mbox.kyoto-inet.or.jp>
7 Dec 1999 23:09:42
すなわち
レプリカ保存と聞きまして、私が思い描きますのは、下記のよう
な事です。
博物館等では、実物資料の保存と記録の為レプリカを作成します。
保存・記録の概要
実物資料の劣化を防ぐ為、精巧な贋物を作り展示室に設置します。
しかし、それらレプリカは贋物とはいえ、恐ろしく多くの情報を持つの
で、もし、貴重な実物資料が不慮の事故等にて損失してしまったとし
てもある程度の情報が記録されているのでそれなりの文化財的価値を
持ちます。
その代わり実物資料は、しかるべく環境の中で次世代に受け継げるよう
保存されます。(収蔵庫等)
以上まだまだよくまとまりませんが、要はレプリカ作成によって実物資
料を保護する事だと思います。
レプリカ保存という言葉から考えられる意味としては、レプリカをつく
り実物資料をよりよい環境にて保存するという上記の意味なら判るので
すが、どうやらそうではないところに問題があるように思います。
何を言っているのかわからなくなってきましたので失礼します。
izawa <izawa-n@mbox.kyoto-inet.or.jp>
7 Dec 1999 22:36:28
通りすがりのものです。
私は以下の様に考えています。
レプリカ:立体形状及びその他の記録であり。考古学の世界などでは、貴重な実物資料の保存・記録の趣旨にて作成されるものが多い。中には、製法、重さ等を実物資料と合わせるものもあり、必要とされる情
報によって、再現される度合いも異なる。
上記とは異なり。さまざまな資料から当初の姿を想定した結果作成され
る資料もあり、それらは復元模造と呼ばれる。(複製とは区別されるはず)
模造資料:実物資料等により想定され、作成される資料。
であるから、資料としては想定内容が資料となる。
複製資料:型取り等の手法を使い、ある程度必要とされる情報につ
いて、忠実さをそなえ、その他の情報も持つ記録。
模造=ある情報を伝える為の手法
レプリカ=主に形状等図面にて表しきれない要素を伴った記録
以上、乱文にて失礼
小林 淳男 <HCB00203@nifty.ne.jp>
12 Nov 1999 19:11:03
最近 つくづく思うのですが、
やっぱり「空気」「香り」「空間の密度感」みたいな体で感じるもの、が
どうも横に置かれている気がします。
なかなか うまく言葉にできないのですが。。。
円満字洋介 <chatchat@mbox.kyoto-inet.or.jp>
12 Oct 1999 21:38:34
おひさしぶりです
萩尾望都のSF短編に「A−A´」てのがあります
惑星探査で事故死した調査団員のかわりに
本国からかねて用意のクローン人間がやってきます
まったく同じ人物なのですがクローンのほうは
調査出発前までの記憶しかありません
それで本人もまわりの人間もとまどうことから
物語は始まります
レプリカントは記憶を持ち得ません(あたりまえですが)
勧銀問題の現状とよく似ているのではないかと思います。
レプリカ保存の先駆的な作品に滋賀県の近江八幡小学校があります。わたしが行ったときには、はずかしながらレプリカとは気付きませんでした。後で市民の方にお話を伺うと、あれはまったくの「つくりもの」で
「前のほうが良かったでしょう」
とおっしゃっていました(池上先生の体験と正反対ですね)。ここに私のレプリカ体験の原点があります(おおげさかな)。
解体される悲しみは、再現されたからと云って決してつぐなえるものではないのでしょう。解体されたのは、ものである校舎である以前に、そこで小学生時代を過ごした記憶だからです。
さらに、市民の保存運動に対してレプリカ保存を密室で決めた当局に対する不信感が残りました。「まちなみ」という言い方が適当かどうか分かりませんが、「まちなみ」に最終の責任を持つのは、そこで生活している地域の住民にある、と私は思います。
決定のプロセスが公開されず、参加も意思表示もできない現状のシステムが制度疲労を起こし始めているように思えてなりません。逆に云えば、市民とはまったく関係のないところで指定文化財となり保存される建築も決して幸福ではない、と思います。
レプリカ問題のひとつとして、こうした市民不在のシステムの問題があるように思いますよ、私は。
通りすがりの者です <fwhs5634@mb.infoweb.or.jp>
15 Jul 1999 00:10:27
>レプリカは近代建築でもエスプリ・ヌーヴォー館がボローニャに、また、ミースのドイツ館がバルセロナに作られていますが、これですら再建ということで関係者はやったのですが、実はレプリカ
既に存在しなくなったものを再建するのと、取壊しの免罪符のために再建するのでは、出発点が違う気がする(結果は同じようにみえますが)
建物を語り継ぐ上で、その差は大きな違いになるのでは
丹下敏明 <isozaki@maptel.es>
18 Apr 1999 15:59:55
良く知らないので何とも言えませんが、確かに和気洋才なんという言葉が流行った時に、何でもその頃のものだから残そうというようなことがあって、くだらないものまで残していた時期がありましたよね。これには反対ですね。まず、作品としての価値判断というのをじっくりしてみたいところです。これには小林さんが言われるように私企業だからというのは間違いで、建築というのは公共性があり、基本的には保存問題も、条例、基準などの基本的な精神はこの公共性から出発しているはずです。
でもレプリカを作ってというのは潔くないというか、叱られるからこれでもどうぞということで全くひどい話でこの程度が日本の建築に対する評価ということなのでしょうが。
レプリカは近代建築でもエスプリ・ヌーヴォー館がボローニャに、また、ミースのドイツ館がバルセロナに作られていますが、これですら再建ということで関係者はやったのですが、実はレプリカですから、これですら難しい問題ですよね。
草野康仁 <kusano@bd5.so-net.ne.jp>
1 Apr 1999 16:00:41
レプリカ建築について
本来文化の保存とはそれを理解して継承する為の手段の一つのはずが、近年では保存自体にしか注目があたらず「理解と継承」が忘れ去られていると思う。このレプリカ建築はそのもっともよい例だと思います。保存してその満足感で終わってしまう。歴史の無理解的存続・・反対です。
長坂大 <nagasaka@dad.kit.ac.jp>
30 Mar 1999 14:23:58
「今回のレプリカ『保存』は,全面改築より罪が深いと考えています。そんなものを作るぐらいなら,あっさり取り壊してもらったほうがまだまし,とさえ考えています.」
まったく.
新しい価値を創造する能力がないことを示す結果となっているこのレプリカ建築の設計者は悲しい存在だ.
過去50年程を振りかえっても,スカルパのカステルベッキオをはじめフォスターのサッカリーギャラリーに至るまで,世界に優れた増改築の例があるのを我々は知っている.
新しい建築をつくるにせよ増改築を行なうにせよ,こんな哀れな結末へ収束しまうのは一体なぜだろう.
小林淳男 <HCB00203@nifty.ne.jp>
15 Mar 1999 11:11:07
建築の専門家ではないので、とんちんかんな事を書いていたら申し訳ございません。
「街並み」「景観」という事を少し横に置かせてもらいます。
今回の建築を所有しているのは、第一勧業銀行という「私」企業です。
(とはいえ公的資金が投入されるという会社なので単純には言い切れませんが)
だから「私」の考えが第一番に優先されてしまうでしょう。
さて、ここからですが、企業であれば「コスト」がどのように説明されるか、が重要です。
これまでうやむやにされていた企業経営が今後ますます透明度を増していきます。
今回のコストは、株主に説明されているのでしょうか?
また計画そのものも。。。
極端な話、今撤去するお金がDKBにあるという事ですよね。
公的資金が入れられるというこの時期に。。。
O.Nakagawa <nakagw@mars.dti.ne.jp>
11 Mar 1999 02:22:08
はっきり言って、今回のレプリカ「保存」は、全面改築より罪が深いと考えています。そんなものを作るぐらいなら、あっさり取り壊してもらったほうがまだまし、とさえ考えています。その点から、前村さんの意見とは少し対立しそうですね。
保存の問題を議論するときに、保存することを、あらかじめすべての事柄に優先して考えることには反対です。問題は、「誰が」「何を」保存したいのかということが、どれだけはっきりできるかなのかです。本来ならば、誰が=市民(建物の利用者)が、何を=歴史的価値を、ということになるべきなのでしょう。しかし、旧来の保存事業では、誰が=学者が、何を=学術的価値を、保存しようとする事態が多く、そのため壁面保存のような妥協的手法や堀内さんの指摘する多摩の四ッ谷見附橋のような例に陥ってしまう結果ともなったと考えられます。(もちろん、学術的価値も大切ですが)
しかし、今回は、それすらもなく、両者とも全くあいあまいなままです。この、「誰が」と「何を」が見えない保存行為は、歴史的価値の保存にならばいばかりか、むしろ歴史的価値の歪曲に繋がるという意味で罪深い行為であると言わざるをえません。
皆様のご意見をお待ちしています。
金山 眞人 <mahito@dp.u-netsurf.ne.jp>
9 Mar 1999 03:18:55
前村さんのページ紹介を拝見してこちらに参りました金山と申します。建築設計事務所に勤務する意匠屋ですが、近代建築探訪に関しては全くの初心者です。以下にこのページを拝見して個人的に感じたこと、考えたことを書かせていただきました。よろしくお願いいたします。
レプリカ保存と言われるもの、洋風建築探検小僧さんのおっしゃる様に気持ち悪いものです。そして、たぶんレプリカには学術的意味はないでしょう。また、後世に記憶を伝える意味からすれば、本物のほうがいいに決まっています。ただ、色々議論した中で出た結論であれば、レプリカも止むを得ないかな、とも。議論したことが一つの(円満寺さんのおっしゃる意味での)「記念性」となると思いますし、そういった観点からすれば、前村さんのおしゃる通り色々な引出のうちの一つとしては「有」なのかなと感じました。
ところで、建物の保存問題が生じた際、色々議論しない、あるいは議論は内輪ですませてOKとしてしまい、市民に開いて行かないで決めてしまう(「周りが騒ぎ出すと解体の時期が早く成っちゃう」的な推移となる)例が多いような気がしております。京都の勧銀の経緯からもその様な感じを受け、残念に思いました。建物自体は私有財産とはいえ、銀行のような企業こそ「建物が作り出す景観は市民との共有財産だ」、という意識で時間をかけて市民との合意形成をして欲しいと感じさせられました。もっとも、今回はレプリカで再現すれば景観的な配慮はしたことになる、と勧銀サイドが思い込んでいるフシもあったようで、この辺が京都市のミスリードだといわれたり、中川先生が問題視したりする由縁でしょうか?そういった中では、保存本来の議論をネグッて手法として処理している現状の安易さに対して、池上さんの様に「NO!」と言い続ける事もまた重要と感じ、建築史家の方々の発言に期待するものです。
(堀内さんへ)
紅葉ヶ丘の件に少々関わった者として、堀内さんの発言に若干補足させていただきたく存じますので、御了承ください。
1, 建築としては「神奈川県立音楽堂」ではなく「神奈川県立図書館・音楽堂」、あくまで一体のものとして理解して頂ければと思います。
2, 改築計画(紅葉ヶ丘文化ゾーン整備計画、と言ったか)は財政難を理由とした凍結であって中止ではなく、また、音楽堂部分だけは「何らかの形」で残すと言われていますが、どの様な形かは全く不明です。したがって「県立音楽堂が残り…」と言う表現を使用する際は慎重にお願いいたします。
乱筆乱文ご容赦。
堀内 寛晃 < horry@white.plala.or.jp>
1 Mar 1999 06:08:38
また、さっそく今日もこの掲示板に書き込みさせていただきます。
あれからまた、いろいろな方々の意見も読ませていただきました。
それで、またいろいろな事を考えました。
記念性といった事は、非常に大きな問題だと思います。
実際のところ、記念性(その建築のなんらかのイメージなりを、多くの人が共有する事?)を拠り所として、近代建築が残る場合も多いですよね。
村松貞次郎さんがいわゆる近代建築の中でも、モダニズム以降の建築について、
保存される事も少ないだろうと言った事も思い出されます。
しかし、横浜ではいろいろ努力のかいもあって県立音楽堂が残りました。
それでも、だいぶ前のことですけど、非常にレベルの高いレーモンドの建築が一棟消えたりもしています。
そして親しみやすさや、解りやすさを理由として簡単に残るものがでてきたり、
そうではない、なかなか日に当たらないような建築は、あっさり消えたりもします。
例えば、土木的な範疇にもはいるような、
橋や港湾施設や倉庫などはあまり保存について盛り上がりません。
横浜にも、海岸通りの一番戦前の建物が集中している所に、
三菱の倉庫がありましたが、現在は県警本部の16階の高層ビルが建っています。
あと、震災復興で造られた多くの橋が市内あちこちにありますが、
これからどうなるのでしょう。
そういえば、都内の話になりますが、四ッ谷見附の橋は多摩に移築されたのではなかったのでしょうか。
しかし、自分がそこに薄々感じるのは恣意性というか、わるくいえば言い訳です。
最近、フィールドワークとしてニュータウンをいろいろ歩いていますが、
この前、港北ニュータウンで民家園を見つけました。
民家園といっても、民家を一棟移築してあるだけなのですが、
なにか、このニュータウン地区の歴史性やアイデンティティを
一生懸命創りあげようとしているといったふうに、自分には思えました。
実際、住民の交流施設としても使われているようです。
そして、その隣には、旧石器時代の遺跡が道路のために半分壊されてあります。
自分は、多摩の四ッ谷見附橋にも、
都筑の民家園の遺跡にも同じような思いを受けるのですが、
皆さんはどうなのでしょうか。
多摩のガウディと同じ扱いにはなっていないでしょうか。
今回は、今自分の考えている事と重なってしまったために、
少し発言の焦点がぼけてしまったようですが、
自分にとっては、様々な方と意見を交換できる貴重な場と考えております。
自分の学校には、近代建築史を専門にされている方はいないのですが、
日本建築史をされている先生も恐れ多くて、なかなか話す機会もありません。
それなのに、中川さんや、鈴木さんなど。とても恐縮しています。
それでは。
前村 敏彰
<mmm@mars.dti.ne.jp>
1 Mar 1999 00:23:46
中川先生、ここにお書きするか、それともメールの方が良かったのか、
少々悩みましたが、皆さんにもお教えいただければと思い、ここに記さ
せていただきます。全くの素人考えですので、ご批判下さい。
「レプリカ保存」が全面的に悪いかどうか、という点なのです。保存運
動の戦術的・戦略的には、オール・オア・ナッシングでなければ、成果
を勝ち得ない、ということは理解しております。しかしながら、表面に
すべきことではないのかも知れませんが、全面解体で何も痕跡も残さな
いような開発よりは、まだマシ、という「程度問題」なのではないかと
も思うのです。
例えば、明治村のことを考えます。あの移築保存についても、反対意見
があることを承知しております。あの中で、京都から移築された「聖ヨ
ハネ教会堂」は、煉瓦建築ゆえに移築も難しく、確か鉄筋コンクリート
に煉瓦を貼った形だったかと思います(記憶違いであれば、申し訳あり
ません)。明治村にあの建物があるゆえに、京都の河原町に、あんな教
会が建っていたのだと、その在りし日を思い浮かべることができます。
おそらく、この問題は、一番良い方法からはじまって、それがダメなら
この方法で、と、さまざまな提案を示し、持ち主側も、そのあらゆる方
法を検討した上で、落ち着き場所を探す、という手順が必要なのではな
いか、ということなのではないでしょうか。
札幌の中央警察署も、何も痕跡を残さないよりは、まだマシだが、もっ
と他に手はなかったのか、ということではないのでしょうか。全面保存
が一番望ましいのは、その通りなのですが、それがかなわないのならば、
こういう保存方法はと、引き出しを沢山用意しておく必要があるのでは
ないかと思うのです。
京都の三条郵便局の保存方法は、なかなか良かったのではないかと思う
のですが。大阪の日銀よりは良かったと思います(これも「程度問題」
ではありますが)。現地保存で、景観もそれなりに保っているので、大
阪の日銀も、それなりに良いのでしょう。
九州のハウステンボスの建物と、明治村の聖ヨハネ教会堂と、京都の第
一勧銀と、三条郵便局と、京都旧日銀とは、どう違うのか、専門家の方
々のご意見をお聞きしたいと共に、市民にとってはどうなのかも考える
必要があるようです。
多くの近代建築達に、残って欲しい。素人の小生には、この思いだけが、
唯一の力です。誰が音頭をとって、誰が保存のオプションを出していく
のか。全国各地で進められているこの問題の、正しい方法論を、お教え
下さい。
O.Nakagawa <nakagw@mars.dti.ne.jp>
28 Feb 1999 02:52:14
多くのご意見ありがとうございます。
池上重康さんや堀内寛晃さんが指摘されるように、これまでの「ファサード保存」や「外壁保存」に見られるイージーさの無反省が、今回のような「レプリカ保存」を生み出した背景にあるわけですよね。それはその通りです。でも、一方で出てきた方法だけを取り上げて頭ごなしに批判しても始まらないのも事実です。池上さんも指摘するような「保存の手法化」という事態がなぜ進んでしまったのかを考えることが大切です。
実は私もほとんどレプリカ保存に近いような住宅の移築再生に関わったことがあるのですが(震災がらみでしたが)、それは断じで今回のような歴史環境を捏造するようなレプリカ保存ではなかったと考えています。
何が違うのか。まさにそれを考えることがここでの最も重要な論点になると考えています。円満字さんが指摘する記念性の有無という問題は、そこでの大きなヒントとなりそうです。(もちろんこの場合の記念性は、少し大きな概念として捉える必要がありますが。)
しかし、いずれにしても、長坂大さんが指摘するように、「設計[考えること]にかける時間と施工[つくること]にかける時間とのバランスが悪すぎる」ことがすべての前提としてあることは確かです。(このことは、意見交換会での銀行側の説明で改めて実感させられました。)
p.s.
鈴木博之(@東京大学)先生、加藤邦男(@京都大学)先生、書きこみありがとうございます。恐縮です。
地位や立場を超えた多様な意思表示は、電子ネットワークならではの可能性を予感させてくれて楽しいです。
堀内 寛晃 <horry@white.plala.or.jp>
27 Feb 1999 21:44:32
あるサイトからのリンクで、このページにやってくる事ができました。
現在、横浜にある神奈川大学で建築を学んでおります。
個人的には、この第一勧銀の件、大変驚いています。
この建築って、登録にも、指定にも、文化財として登録されていなかったんですか?
明治期の、それも辰野金吾の名建築と言えるものを、こんな簡単に建て直してしまうなんて。
震災の影響なんでしょうか。
現在住んでいる横浜においても、同じような問題が多く発生しています。
最近では、警察関係の病院が一つ消えましたし、横浜地裁も消えました。
そのような事に行政も、我々も手をこまねいて観ているしかできなくて、
中心市街地の活性化なんてことを、もっともらしくやろうとしているのは、とても疑問に感じます。
また、横浜市では、湾岸地区の再開発を積極的に進めているのですが、
その実情はといえば、テーマパークのような巨大な新都心をただ造り続けているだけです。
その中に、ある意味横浜でもっとも有名な近代建築、妻木頼黄の赤煉瓦倉庫も組み込まれようとしています。
(これは重文だし、残るだけましなのかも知れませんが)
横浜は、街のアイデンティティを得るためにも、
積極的に都市施策のなかに、都市計画的手法を用いてきましたし、
近年の汽車道の活用や、山手の洋館群の保存など成果もありますが、
何か、これはイメージ保存の問題とも関わるかも知れませんが、
少し違っているものを感じています。
札幌の中央警察署のことですが、久しぶりに実家に帰ってあの前を通ったとき驚きました。
まったくプロポーションも、ディテールもおかしいし、
あれでも専門家がアドバイスしたと言えるのでしょうか。
イメージ保存の中でも最低レベルだと思います。
父があのそばに入院しており、あそこら辺は自分にとって札幌の中でももっとも思い出深いところです。
NTTの支社や、公文書館(三岸光太郎の美術館だった)とともに、
北一条の幅広い道にあったあの建築が、いまでも思い出されます。
最近の保存の事例を見ていると、とてもイージーに思えるし、
さらに、自分達建築に関わる方においてもかなり議論不足だと思われます。自分の周りでも、議論自体ほとんど無いし、
この話題自体非常に下火になっていると思います。
やはりそれは外壁保存や、イメージ保存などの手法が広く広まったせいでもあるし、
その結果、この事が軽く見られているという事だと思います。
なんとかしなければ、と思います。
池上重康
<hoba@eng.hokudai.ac.jp>
22 Feb 1999 17:17:21
「ばかけんちく」の掲示板でレプリカについて少々書きましたが、今日はその続編を。
(油を売っているヒマがあるのか!とお叱りにならないでくださいませ)
一般の方は、レプリカとオリジナルの違いを、そもそもどこに見出すのでしょうか?
この疑問を解決し得ない限り、このレプリカ問題に決着はつかないように思います。
先日、札幌にある田上義也の設計した小熊邸が解体されました。
正確にいうと、骨組みを2"×4"で新築し、そこに主要部材を貼り付けるという、いわゆるレプリカでした。
しかし、この保存運動に関わった市民の方々は
「現地保存はかなわなかったが、小熊邸の移築保存に成功した」といいます。
はたしてこれを保存といえるのでしょうか?
そのちょっと前に、昭和8年のRC造建築である札幌中央警察署が解体されました。
保存運動もおこり建築専門家の指導のもと「イメージ保存」されました。
特徴的であったテラコッタ装飾に似せたものを、大きく張り出した
玄関庇(これもまたイメージ保存だとか)に貼り付けただけのものです。
これに対して「保存」という言葉を使って良いものでしょうか?
私的には声を大にNO!と叫びたい。
外壁保存、形態保存、イメージ保存、一部保存etc.
個別の事例に対し保存方策を模索するのが本来であるはずなのに、
その検討期間をネグり、「保存」を手法化してしまったことに、そもそもの原因があるように思われます。
「保存」とは本来オリジナルであるはずが、レプリカに対し、この言葉を用いつづけてきた。
いかがでしょうか?
皆様のご意見を伺いたく存じます。
前村 敏彰
<mmm@mars.dti.ne.jp>
21 Feb 1999 23:52:30
2月14日に書きました情報の訂正です。
七条通りのラビットスクーター(富士ラビット)解体の件、その後、誤報
とわかりました。この度の、登録文化財に指定とのこと。何よりです。
第一勧銀も、登録文化財とか、重文とかにして、その価値を知らしめな
ければいけなかったのでしょうね。今から、あんな赤煉瓦の建物など建
てられないのですから。
洋風建築探偵小僧 <voyager@246.ne.jp>
21 Feb 1999 22:07:35
建築の専門知識はありませんが、近代建築のファンです。ところでレプリカ建築とはいかなる物なのでしょうか?新しいビルに昔の外壁をくっ付ける物ですか?実はあれ嫌いです。神戸の旧三井物産とか、東京の野村ビルとかランドマークにならずビルに埋もれて目印にならなくて困るんですよ。あるとき大手町の野村ビルの時計台が目に付かなくて道を間違えてえらい目に遭ったりして、難儀しました。どうしても改装するなら高さだけは同じぐらいにして欲しいです。変なビル作るぐらいなら東京の麻布郵便局とか横浜のキーケン(農水省の建物?)(外壁は付けてはいない、真似して作っているだけですが)とかみたいに、無理にくっ付けないで普通っぽいビルの方が見栄えも良い。見てて昔の外壁が哀れでならない。
最近一勧良くないらしいから一勧に注文つけるのは無理かな?
追伸)周りが騒ぎ出すと解体の時期が早く成っちゃうんですよね。
京都の人に問いたいのですが,たった100年なんて京都にとっての長い歴史(遷都1200年)に比べたら大したことがないんですか?
加藤邦男 <kato@archi.kyoto-u.ac.jp>
19 Feb 1999 18:13:48
幅広い建築の本質に触れる議論が展開されうる、また深められる良い機会です。中川先生のイニシャティブに敬意を表します。よろしくお願いします。
鈴木博之
<hszki@kingo.t.u-tokyo.ac.jp>
19 Feb 1999 15:06:05
大変有益なページが出来て、嬉しく存じます。
東京では日本工業倶楽部が一部屋保存、前面レプリカで再開発されようとしています。レプリカは保存ではないというキャンペーンをもっとやらなければなりません。よろしくお願い致します。
円満字洋介 <chatchat@mbox.kyoto-inet.or.jp>
19 Feb 1999 13:25:08
谷山浩子の歌にこんなのがあります。
そっくりだけど違う
違うけど平気
なぜなぜ平気なの?
そっくだから
今の状況にぴったりだと思いませんか(笑)
さて「意見交換会」の文章が指摘している「3つの無理解」のうちで、私がもっとも印象的だったのは「レプリカ建築で価値は維持されるという、歴史の価値に対する深刻な無理解」というところです。
よく戦争で破壊された街を元どおり復元したという話を聞きますが、それはレプリカであっても貴い価値があると思います。なぜなら「戦争で破壊された」ということと「街の人たちが力を合わせて復元した」という歴史的事実を記念しているからです。その事実は市民に共有されて「地域の歴史」の一部分となっていることでしょう。
今回のレプリカ建築が良くないと思うのは、それがなんにも記念していないからです。なぜ解体せねばならなかったのか。「地域の歴史」として市民が共有できるだけの動機を、残念ながら今回の計画は持っていませんでした。
長坂大 <nagasaka@dad.kit.ac.jp>
16 Feb 1999 16:56:31
経緯を読ませていただき,いろいろな意味で非常に残念です.
そのなかで,「設計」に関することについて少し言わせてくださいい.
こうした結果になる原因のひとつに設計期間や,設計能力の欠如があると思います.
日本では過去のモノや意味を継承しながら,これを新しい時代にあわせてうまく改修した事例が少ない.民家を改造したレストランのような,小さな建築の方がまだうまくいっている例があるかもしれません.なぜか.
そもそも保存・改修の話はとても簡単な言葉で単純化してすすめられる傾向にあります.全面保存,ファサード保存,内部改修….
これらの概念の単純理解は,施主の側の「保存」恐怖症につながっているのではないですか?
おおまかな話はともかく,実際にはこうした言葉で表現できない具体的で個別的な保存・改修,再利用の方法を伝えた上でとるべき道を検討すべきでしょう.
建築にはそのために図面というものがあるわけです.
今回のケースでは,解体+レプリカ建設という結論に至るまでにどれほど複数案の図面を描いて検討したのでしょうか.
こうした建築物には文化的価値と一体となった物体的価値にもあなどれないものがあります.それを見い出す目があるかどうか,活かす能力や時間があるかどうか,誰がその能力を持ち,誰が考えるためのエネルギーを負担すべきなのか.このあたりも今後の議論に必要な気がします.
ごちゃごちゃ考えるのはめんどくさいから,スカッと更地にして新しく建てる.たしかに,これも考え方として正しい場合があります,しかし,今回の場合は疑問です.
この国では,土木を含めた公共施設をはじめ,あらゆるものの設計[考えること]にかける時間と施工[つくること]にかける時間とのバランスが悪すぎます.大きなコストやエネルギー,文化的価値に対して,ろくに考えないでやってしまう.
これは経済戦略的にもおかしいはずなんですが,どうしてでしょう.
早く体質を改善してほしいものです.
小林淳男
<HCB00203@nifty.ne.jp>
15 Feb 1999 15:52:21
前村さんの書かれている「偶然残った」ものだけで建築を語らねばならない我々以降の人間たちは悲劇ですよね。
昔の人が「あれはよかった」と言われても、その現物が目の前にない。
日本では、いろんな側面でそういう傾向があるように思えます。子供たちに見せてあげたい。
見せながら、なにかを語る。そんな「教育」からかけ離れているのでは?
前村 敏彰
<mmm@mars.dti.ne.jp>
14 Feb 1999 03:07:03
三条通りは安泰だと思っておりました。京都市は、何をやっているのやら。近年の銀行の状況から考えると、まさに銀行建築が危機ですね。北國銀行は大丈夫でしょうか?
七条通りのラビットスクーターも、解体とのこと。
結局、後世に残る建物というのは、名品が残るべくして残されるのではなく、結果として、偶然に、残っていたというだけのことなのではないかと考える昨今です。
sato
<EZV00441@nifty.ne.jp>
14 Feb 1999 02:18:13
こんにちは
とうとう取壊しが始まったようで・・・
全く残らないよりは レプリカ保存でもマシか、という気持もあって
考えがまとまりませんが。
議論が尽くされた上での結論とは言えないようで残念。
工業倶楽部も心配です
宮林 晃 <sakitaka@mbox.kyoto-inet.or.jp>
13 Feb 1999 07:08:41
とうとう外壁の解体を始めてしまうなんて、保存活動の盛り上がりを警戒してのことでしょうか。本当に残念です。
O.Nakagawa <nakagw@mars.dti.ne.jp>
12 Feb 1999 04:48:12
2月12日、第一勧銀レプリカ保存問題の掲示板をスタートします。
すでに、解体作業が進んでしまっていますが、
今回のケースが、建物保存や景観行政に与える影響は
とても大きいと思われるため、
引き続いての議論が必要だと考えました。
「これまでの経緯」にある各種の文書などをお読みになり、
ご感想ご意見などを自由にお書きいただけるとありがたいです。