奈緒は障害者です。奈緒の父親になって、いや奈緒が障害者と呼ばれるようになってはじめて、この日本という国が障害者にとって決して住みやすいといえる国ではない(はっきり言って住みづらい国である。)と思うようになりました。


このページは奈緒パパの独り言のページです。 車椅子では修学旅行に行けないの?  

ある中学校に通う2年生の車椅子の女子中学生が、先生の誘導で修学旅行に行かないとの手紙を両親に当てて書かされていたと新聞で読みました。
車椅子では飛行機に乗るのが大変だとか、バスへの乗り降りや行動に制限があるとかを先生に並べ立てられて、楽しみにしていた修学旅行への参加を思いとどまらせられたとの事でした。両親が今まで楽しみにしていたのに自分から行かないと言い出すのはおかしいと子供に確かめて分かったらしいです。
子供の立場にたって物を考えた事があるのか?楽しみにしていた修学旅行に行けない。しかも先生の都合だけで。
このような事が教育現場で行われている事に腹が立って仕方がない奈緒パパです。
障害者が移動に苦労する社会ならばそれを手助けする事を教える事も教育だと思うのですが、切り捨ててしまうとはそれでも教育者なのか?
車椅子だけではなくベビーカーやシルバーカーが安全に、楽に移動できる社会を作るために一人でも多くの理解者を増やす事が大切です。自分たちは歳を取らないのか? 事故にあったり病気で車椅子の世話にならないのか?誰も助けてくれない社会でいいのか?
偏差値を上げる事だけが教育じゃないはずだと思うのですが。


うれしかったこと

奈緒が交流でお邪魔している城北小学校で学習発表会があり、奈緒も練習に毎日出かけました。
1年生は劇をしました。奈緒もせりふを2つもらいましたがきっかけが無いとうまく言えません。さて当日どうなるやらと思っているとお友達にうまくリードしてもらってせりふが言えました。
ビデオを見ながら周りのお友達が奈緒のことを気にしている様子がよく分かりました。
先日いただいた城北小学校のPTAの会報を見ると、学習発表会の感想が載っていて、その中に「・・・家族でビデオを見ていると子供が『奈緒ちゃんも上手にせりふがいえてるやろ』と得意げに言いました。・・・」とありました。
奈緒のことを気にかけてもらっている。そして奈緒が出来たことを自分のように喜んでもらっている。プリントを読みながらうれしくて胸が熱くなってしまいました。
連絡帳にも先生の「うれしくて涙ウルウルです。」のコメントがあり奈緒ママと二人ウルウルしてしまいました。


どうして身障者スペースに健常者が平気で車を停めるのか?

公共施設、銀行、スーパーなどの駐車場には入り口に近いところに身障者用の駐車スペースが設けられています。ここに健常者が堂々と駐車しているのをよく見かけます。
障害者に対しての理解のない、かわいそうな人だと思えばいいのでしょうが、最近特に見かけるたびに腹が立ってしまいます。


車椅子では歩道も通れない。

養護学校には車椅子の生徒が何人かいます。昨年11月に学校行事で「クリーン作戦」として篠山城跡の外堀の周辺を中心にごみ拾いをしました。 車椅子の生徒といっしょに回りましたが、周辺の道路の歩道はどこも介助者なしでは通る事ができませんでした。
なぜ歩道が一段高くなっているのか?高くしたおかげで家への出入り口の所は車を通すために傾斜しています。ここを車椅子で通ろうとすると、車道側に傾いてしまいます。傾斜のひどいところでは車道に出てしまいました。結局いちばんの弱者が危険な車道を通ることになります。
電動の老人車を最近よく見かけますが、これも歩道が通れないために車道を通っておられます。道路を作った人に聞いてみたい「何の(誰の)ための歩道?」

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