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五新線跡をさがして
五新線は奈良県五條市から和歌山県新宮市にのびる路線として予定されていた。しかし工事はすすまず、大正時代から昭和にかけ、計画は中止や再開を幾度となく繰りかえした。完成途中の路肩には鉄道ではなく路線バスが走ることになり、1981年に工事は中止された廃線である。 五条駅は五條市のほぼ中央、高台である須恵(すえ)に位置している。ホームからおりてあたりをみわたすと、緑の山山がひろがっている。おとずれたのは3月の下旬であったが、つめたい風が頬をつねり、山脈は雪で白くおおわれていた。数日前に大雪がふり、地元の新聞では交通機関にも大きな影響をあたえていたことを報じていた。 山地のなかにある五條市は、市をながれる吉野川の河岸段丘上にさかえている。河川沿いにはJR和歌山線、そして排気ガスと泥にまみれた雪ののこる国道24号線がのび、集落もまたそれらにならぶように点在している。しかし、河川からすこしはなれた場所にゆくと、人並みや家並みはぱったりととだえてしまう。東西の移動はそれ程でもないが、南北の移動は標高差がはげしい。交通機関の発展をねがう人びとは、移動することの困難さを身にしみて知っている。五條にすむ人びとの鉄道敷設への希求は、このような地形上の環境も関係しているのではないだろうか。 私がこの五新線の存在についてしったとき、何とも説明することができない気持ちで満たされたのだった。全国に廃線とよばれる路線は数多く存在しており、何も五新線だけが特別だとは星のかけらほども思ってはいない。けれど、すぐに五條と西吉野村にゆきたいと思った。その地に自分がおもむき、同じ環境にふれ、当時の人びとと同じ視点から五新線を考えてみたいと思った。なぜそこまでして鉄道を敷設させたかったのか。ながい年月をかけてでも、人びとの心を動かしつづけた何かが、そこにあるのではないか。彼らは鉄道を求めつづけた。親の世代は子に受け継がれた。けれどそれはかなわなかった。今、五新線にかけた人びとは何を思い、どのように生きているのか。何かにひきつけられながら、それを知りたいと思った。 ■五新線跡
五條市街 ■補章
鉄道の歴史・五新鉄道と前田家 ■資料 |